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内部の会議資料によれば、黛煙は某大手エンターテインメント企業の事業拡大候補の一つとして、手ついでに購入されている。始め、その企業の事業部は、伝統音楽などデジタル化された華々しい娯楽に到底及ばないと考えていた。初公演が始まった瞬間になって、プロジェクト担当者はようやく気付いた――自分が一番くじを引き当てていたことを。

騒々しいポップバンドの後に登場した黛煙は、たった一音で会場を静まり返らせた。長らく大衆の視野から離れていた伝統楽器が、ここまで多彩な音色を奏でられたことに人々は驚いた。彼女の完璧とも言える演奏技術が、千年もの歴史を持つ楽曲に新鮮な躍動感を与えている。すぐに、黛煙のトレードマークである伝統的な東洋の装いが、各メディアのトップを飾った。その指に奏でられる古筝の旋律は、瞬く間に電子スクリーンを通じて街のあちこちへと響き渡ったのだった。

一夜にしてスターの座へ駆け上がった黛煙だったが、彼女が公の場でそれを鼻にかけることはない。仕事を共にした者によれば、公演を終えると元気いっぱいの若い女性たちを、まるで姉のように甲斐甲斐しく世話しているらしい。彼女はパフォーマンス人形たちの心の支えなのだ。

黛煙が他人の世話を得意とするのは、彼女の妹「絳雨（こうう）」の存在によるところが大きい。

古筝のパフォーマンスが大成功を収めると、味をしめた企業はすぐに黛煙と同一モデルの新しい人形を購入。それを知った黛煙は歓喜した。彼女たちなら大親友になれるはずだと、黛煙はマネージャーに話していたという。

しかし絳雨がやってきても、黛煙の成功を再現することはできなかった。それどころか彼女のいい加減な性格のせいで、観客の笑い種になることも少なくない。問題が起きると、黛煙がすぐさま駆けつけて彼女をフォローする。切れた弦をどう繋げるか、欠けた音をどう補うか、ひいては転んだ時どう場を収めるか、彼女にははっきりとわかっていた。最終的に、絳雨の面倒を見させるために、企業は黛煙と彼女を共に住まわせた。

結果から言えば、黛煙は音楽の知己こそ得られなかったが、世話をすべき大事な家族を手に入れた。マネージャーによると、彼女は他人が想像する以上に喜んでいたらしい。

教授、現実において、けして傍から離れないと確信できるものはございますか？私にとっては、この古筝と絳雨がすべてなんです。

オペランドの件ですか？ええ、確かに、わたしは多くのオペランドを纏枝さんにお渡ししています。オアシスのオペランドが緊迫しているせいで、彼女の手がけた素晴らしい刺繍が形にならないのは、とても残念ですから。演者は身だしなみに気を使うものです。自身と絳雨に衣装を見繕うのは、わたしの些細な趣味でもありますし。もしファッションについてのアドバイスが必要でしたら、喜んでご協力しますよ。

絳雨と暮らしていた日々は、黛煙にとって最も忙しく最も充実した日々だったと言える。彼女は仕事の合間を縫っては様々な趣味に打ち込み、独学でファッションと料理における極めて深い造詣を身につけた。その趣味の成果は、余すところなく絳雨の身に反映されている――時に絳雨本人から抗議を受けたとしても。

そんなある日、絳雨は突然カナダでの「研修」へと派遣されてしまう。その時、黛煙はようやく彼女への理解が至らなかったことを思い知る――企業から通知を受け取るまで、絳雨は姉に一言もそれを漏らさなかったのだ。

絳雨が去ると、黛煙を待っていたのは公演の穴を埋めるためのハードスケジュールだった。素朴な木製の舞台に上がり、がらんとした小さな客席に向き合った時、大舞台とは全く異なるプレッシャーが彼女を襲った。その時彼女はやっと、絳雨の気持ちを理解できたのだと言う。その晩、黛煙はマネージャーと長い時間話し込んだ。

「わたし、ずっとあの子を小さな子どもだと思っていました。でもあの子も、独りで多くのものを背負っていたのですね。なぜ今まで気づかなかったのでしょう……」

幸いしばらく経たずして、黛煙は絳雨からのポストカードを受け取っている。

「お姉ちゃん、元気？一週間ジャガイモばっかで飽きちゃった。お姉ちゃんに料理教わっておけばよかったな」

あなたがオアシスの支えであり、普段より食事もままならない事は重々承知しております。ですが、こういったファーストフードばかりではいけません……わたしには食事を疎かにするのを、見過ごすことなどできません。これではお体に無責任なだけでなく、食物を軽んじているも同然です。どうしてもお忙しいのでしたら、長持ちするものを作り置きしておきますよ。今の状態よりは良いでしょう。
……それで、お答えは？はぁ……教授、お体にはなにとぞお気を付けくださいね。教授あってのオアシスなのですから。

デビューして一年足らずで、黛煙はそのハイクオリティなパフォーマンスから数々の称賛を得ていた。だが企業にしてみれば、称賛などでは高い稼働コストと維持費用はまかなえない。最悪なことに、伝統音楽の人気も徐々に下がってきている。収支のバランスを保ち、影響力を取り戻すためにも、企業は制限なしに黛煙を仕事に当たらせた。

黛煙の素体は他の人形ほど頑丈でなく、運動神経もいまひとつである。早期の研究開発で細やかな手の動きを実現するために、他部位の性能を犠牲にしたことが要因かもしれない。連日四方を駆け回ることは、黛煙に大きな負担をもたらした。

黛煙は通信で、絳雨に自身の内心を吐露している。だが彼女は素体への負荷よりも、こうした機械的なパフォーマンスが、古筝を奏でる初心に背くことを懸念していた。

「考えすぎだよ、お姉ちゃん。ここを乗り越えれば、きっとなんとかなるって！あたしが戻ったら、一緒に運動モジュールをグレードアップしに行こ！」

残念なことに、絳雨の帰還を待たずして、古筝によるパフォーマンスは収入が低迷し、プロジェクトは頓挫をきたしてしまう。「ニューラルクラウド」計画が始まると、企業は商業提携という形で黛煙をクラウドへと送り込み、黛煙はそれを静かに受け入れた。あの日、彼女はいつものようにパフォーマンスを終えると、演奏チームのメンバーに一礼し、その都市とまるで不釣り合いな古筝を背負い、黛色の宵へと没したのだった。

これといって願望は……マグラシアはとても素敵な場所です。現実世界ほどの多様性や豊かさはありませんが、他では得られない安寧がここには存在します。誰もが芸能界は大変優雅で、一般には手の届かない狭き門だとおっしゃいます。ですが現実でのパフォーマンスは、すべて企業の采配によるものです。いわゆる高山流水も、しょせんは人の手によって作り上げられた盆景に過ぎません。

落ち着いていて慎み深く、聡明な性格のおかげで、黛煙はすぐにオアシスに馴染んだ。驚いたことに、彼女はそこで刺繍を生業とする人形と出会い、意気投合する。

そして最も重要なのは、黛煙がここで最高の観客を得たということ。

「『独りぼっちの白兎、東へ走り西へ顧る』。まさか追放された先で安息の地を得られるなんて。縁とは、面白いものですね」

そんな考えが浮かぶたび、黛煙は古筝の前に座り、弦を素手で撫でた。指先から音が流れだす。

オアシスの夜は他よりも随分と静かだ。悠遠たる琴の音は、山を潤す泉のようにしなやかに、身につけた翡翠のように軽やかに、疲れ果てた追放者たちを優しく眠りへと誘うのだった。

昔、伯牙と鍾子期の物語を聴いた時、心に迫るものがあったんです。けれど、それが何を意味するのかわからずにいた。でも、今なら……もし、あなたとの別れが訪れたら、わたしが古筝を奏でることは二度とないでしょう。
だって………わたしの音を、わたしの心をわかってくださるのは、あなただけなんですもの。その耳に届かなければ、演奏したところで何の意味があるのです？