【吉田直樹】

Last-modified: 2023-07-22 (土) 03:57:03

概要

DQ10初代チーフプランナー。モンスターバトルロードシリーズのディレクターも務めた。
現在はDQから完全に離れているが、初期開発メンバーの一人として、DQ10のディレクター交代・プロデューサー交代などの重要な節目にはビデオメッセージで登場する。
(現在の肩書は、ファイナルファンタジーXIVプロデューサー兼ディレクター、ファイナルファンタジーXVIプロデューサー、スクウェア・エニックス第三開発事業本部長、取締役執行役員など。詳細はFF大辞典の同項目を参照。)
 
DQ10では開発初期からのメンバー(そもそもDQ10を作るために齊藤Pの招聘でスクエニ入りした経緯がある)。
主にりっきーとともに【ハウジング】周りなどのライブ関係を担当していた。(DQ10・FF14のハウジングの仕様はかなり似ているが、吉田がDQ10で作ったものをFF14に持ち込んだ、というのが真相のようである。)
また、テクニカルディレクターとして青山さんをチームに引っ張ったのは吉田である。青山と吉田は以前、共にハドソンに在籍していたことがあり、一緒に仕事をしたことはなかったが、一緒に飲んで熱いゲーム談義を交わすことがあった。その後、吉田のスクエニ入社に先立って、青山が旧スクウェア社に移籍していた。
なお、【ウェディ】の名付け親でもある。吉田がDQ10で企画したクエストが没になり、その中に登場した「ウェディ」だけが残ったそうである。
 
吉田がDQ10にコアスタッフとして関わっていたことが完全に明らかになったのは、サービス開始後(1stストーリーのスタッフロールにて)、すなわち2012年8月2日より後であった。発売の少し前ぐらいからあちこちのイベント等で明言を始めていたのであるが、主に海外に於いてであったためそれほど大きな話題にならず、広く知られるようになったのは発売後のタイミングである。
また、2ndストーリーのスタッフロールでもスペシャルサンクスとしてクレジットされている。
 
当時はアーケード版モンスターバトルロードシリーズのディレクターも兼任しており、「魔界からの使者ダリー」を名乗ってゲームイベント等に登壇していたこともある。
その開発当時の黒歴史を2014年末のニコ生特番で齋藤Pに暴露され、両作のプレイヤー界隈で話題をさらった。さらに2015年8月のFF14 2周年生放送で続編本家項目)がまたしても斎藤Pにより暴露されて悶絶した。
これに対して、後に斎藤P退任の際のビデオメッセージで「いよいよ、齋藤よーすぴが、ファイナルファンタジーXIVのプロデューサーとして就任するということで、いいですね? そういう決意だと……」に被せて「ミラクルフラッシュが決まったァ!」が流れ、雪辱を果たしている。
 
DQ9の開発末期に藤澤DがDQ10の現場を離れていた時期には、ディレクター代行も務めた。
藤澤Dが離れていた期間は1年半程であったようだが、その間に開発がかなり進み、すでに大枠が出来上がっていた状態であったという。
しかし藤澤Dの考えていたものとは方向性が違ったらしく、齊藤Pに相談してかなりの部分を作り直す決断をしたという。
 
藤澤D復帰後程なく離脱、その約1年後にFF14の立て直しのため現職に就き、現在に至っている。