【どらくえ3 謎の魔王をやっつけろ】

Last-modified: 2021-01-24 (日) 22:51:47

概要

「ドラゴンクエスト3 ㋪公式ガイド」と銘打たれた非公式攻略本。
本の寸法はいわゆる「新書サイズ」で、ゲームのイメージカラーに合わせたのか赤い表紙である。
三好竜二&RPGオールスターズ著で、1988年7月に冬樹社より出版された。
その見た目と内容の残念ぶりから、同人誌として扱われることもしばしばの本誌だが、なんとちゃっかり一般の書店でも購入できるISBNコード(ISBN-4-8092-8001-2)付きのれっきとした書籍で、定価480円(ちなみに発売当時は消費税はまだ導入されていない)。
 
ちなみに当時、空前のドラクエブームを背景に【エニックス】も出版事業に参入し、【公式ガイドブック】の刊行を開始。8月にDQ3、9月にDQ1・DQ2が出版される。
他方、【ファミコン神拳 奥義大全書】はDQ2・3発売時に同時出版されたが、DQ3が最後となる。
本書はそのように本家エニックスが攻略本の自前化に乗り出す中、まさにゲリラ的に非公式に出版されたものと言えよう。
 
普通の攻略本とは違って画面写真は一枚も掲載されていないが、最大の特徴として公式イラストとも劇中のグラフィックとも全然別のレトロな絵柄のカラー挿絵がついている。
この挿絵、【ロマリア】はローマ帝国、【ダーマ】は中国の城、【サマンオサ】はインカ風といったように、地上世界では元ネタの地方に応じて町を描いてあるのだ。
(ただしダーマ神殿のモデルは正確にはチベットの仏教寺院なのでこの挿絵は誤り)
キャラクターも【僧侶】の女がただの【シスター】だったり、【ボストロール】がインカの壁画っぽい容姿だったりと、悪い意味で本家とのギャップが著しい。
 
文体は今でいう「プレイ日記」風であり、さらに「このゲーム、歴史の知識と地理のセンスが無いと面白さが半減する」とまで書いてあり、上の世界ではモデルとなった現実の地名や歴史的事実についても解説している。

さらに、【ギアガの大穴】を「アギトの大穴」と誤記していたり、【ゾーマ】戦で【いてつくはどう】が「すべての呪文を無効にする吹雪」と、【ふぶき】との混同を疑われる表記(そもそも当初は名前の通り冷気・吹雪の技という意味合いは強かった)になっていたり、【ひかりのよろい】の説明で「アーマークラスを下げ、しかもヒーリング効果がある」という専門用語が解説もなしにいきなり登場したりと、きちんとした編集者を置いていたであろう出版社発行の書籍としては、校正の不備がいくつか見受けられるのが残念なところ。
 
ちなみに「アーマークラス(AC)」とは主にTRPGで使われるステータスで、ざっくり言うと防御力のこと。
上記にACを“下げる”とあるのは、この数字は小さいほど守りが堅いことを示すからである。
要するに「ACが"下がる"=防御力が“上がる”」わけだが、DQにこんなややこしい用語なんかないのでこのACによる表現が適当であるとは言い難い。
まあ、この用語はTRPGの元祖であるD&Dに始まって、かの有名なウィザードリィなんかでも使われているので、当時のゲーマーの間ではごく常識的なものであって今さら解説の必要などないとみなされたのかもしれないが。
 
なおこの本、公式ガイドブックには掲載されていない【アレフガルド】以降も収録されており、袋とじ形式で【ゾーマの城】のマップと攻略法まで書かれていた。

これがエニックスの逆鱗に触れたようで、著作権侵害で訴えられてしまう。その後の経過は、記録が確認できるものは以下の通り。

  • 1988年7月23日 エニックスは同書に対し、著作権侵害による販売差し止めを求める仮処分を東京地方裁判所に申請(朝日新聞1988年8月31日)。
  • 1988年11月 東京地方裁判所は「在庫の販売を認めるが、今後販売する分からは一部のマップを外す」という和解案を提示。エニックス側はこれを拒否し、本訴訟に切り替える(ファミリーコンピュータmagazine1989年3月3日号)。
  • その後この事件は「両者和解という形で幕を閉じた」とされている(ファミコン通信1992年5月22日号)。

和解内容とその時期が明らかでないため、販売停止等の合意がされたのかは不明である。

どらくえ3騒動から2年後の1990年5月、冬樹社はドラクエ4の「ドラクエⅣパーフェクトデータ」という無許可攻略本を出そうとしたとして、再びエニックスから販売停止の仮処分が申請される。こちらについてはエニックス側の主張が認められ、1990年6月27日に東京地方裁判所により解説書の発行、発売の禁止が命じられた。(朝日新聞 1990年6月28日)

このような複雑な経緯もあり「どらくえ3は販売停止になった激レア本」というウワサがインターネット上では流布しているが、実際は根拠がない。上記「ファミコン通信1992年5月21日号」では「発売1ヶ月で約10万部を売りきった」と記録があるため、激レアかどうかの判断は注意が必要である。