【すぎやまこういち】 の変更点


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 *概要 [#x33e7493]
 [[【ドラゴンクエストシリーズ】]]([[DQS>【ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔】]]以外)の[[【楽曲】>【ドラゴンクエストの楽曲】]]を担当する作曲家で、諸君も一度は名前を聞いたことがあるはず。
 なお「すぎやまこういち」という名前自体は本名で、漢字では「椙山浩一」と書く。だが読み間違いが多いという理由でひらがな名義での活動が主となっている。
 ファンからは[[【すぎやん】]]という愛称でも親しまれており、その名を冠した仲間モンスターも何体か登場している(後述)。
  
 ちなみにドラキーが好きらしく、その理由は「指揮者が燕尾服を着ているように見えるから」。実に音楽家(指揮者)らしい視点である。
 *経歴 [#vc4c0446]
 [[交響組曲「ドラゴンクエスト」>【交響組曲ドラゴンクエストシリーズ】]]のオーケストラによるコンサートを毎年各地で行っている。
 1960年代後半に大流行したグループサウンズ時代の大御所作曲家の一人であり、ドラクエ世代より上の年代の人にも高い知名度を持つ人物。
 DQ以外の作品としては、 
 -弦楽のための「舞曲」 
 -五重奏曲「魔術」 
 -亜麻色の髪の乙女(ヴィレッジ・シンガース) 
 -学生街の喫茶店(ガロ) 
 -恋のフーガ(ザ・ピーナッツ) 
 -花の首飾り(ザ・タイガース) 
 -ミュージカル 「孫悟空」 
 -ミュージカル 「シンデレラ」 
 -伝説巨神イデオン 
 --カンタータ「オルビス」 
 -魔法騎士レイアース (TV版・監修)
 -帰ってきたウルトラマン 
 -科学忍者隊ガッチャマン 
 -ゴジラVSビオランテ 
 -サイボーグ009 (TV第2期および劇場第3作)
 -仮面ライダーアマゾン
 -東京競馬場と中山競馬場の発走ファンファーレ (1986〜)
 
 などなど。活動期間も活動の範囲も非常に幅広い事がおわかりいただけるだろう。
 中でも「ゴジラvsビオランテ」の音楽は、そのままDQシリーズに流用しても違和感が無い程にイメージがピッタリ。ゴジラとビオランテの決戦時に流れる音楽など、それこそDQでのボスキャラ戦そのもののイメージである。
  
 作曲した歌の中に「帰ってきたウルトラマン」があるが、自身が作曲した[[【ドラゴンクエスト ダイの大冒険】]]の アニメ主題歌である「勇者よいそげ」(OP)、[[【この道わが旅】]](ED)を歌ったのは、帰ってきたウルトラマンでウルトラマン=郷秀樹隊員を演じた団時朗。
 なにかと縁を感じる組み合わせである。
 その他、CMの曲から政治家のテーマ曲など、ここでは書ききれないほど多くの曲を作っている。
  
 これだけ多くの名曲を作っているのだからさぞ有名な音楽大学を出ているのかと思いきや、実際は東京大学理科二類に入学、その後転学部して教育学部心理学科を卒業している。
 本人曰く、音大へ行く学費が無かったうえにピアノも弾けなかったので、「仕方なく」東京大学に進学したとのこと。
 専門教育こそ受けていないものの音楽は大好きであり、作曲は独学で勉強していたという。
 東京大学卒業後は[[【フジテレビ】]]に入社し、ディレクターとして「ザ・ヒットパレード」を企画。周囲の反対を押し切って放送を実現させ、大ヒット番組となった。ちなみに、この番組のテーマソングも自身で作曲している。
 その他にも、「新春かくし芸大会」などのヒット番組を次々と制作した。
  
 TVディレクターとして非常に優秀な能力を見せつつ作曲も平行して続けていたが、ヒット曲が増えるにつれて自分の曲が自分の番組に出るようになると、変な憶測をされないようにと苦慮することになる。
 かのJASRACとフジテレビが著作権料について揉めることも増えた上に自身の音楽への思いも捨てきれず、「やっぱり音楽がやりたい」とフジテレビを退社。作曲に専念することとなる。
  
 その輝かしい実績と、ヒット番組を次々と飛ばす発想力、やりたいことをやりたいようにやって生きてきた人生から、まさに「リアルチート」と言われているレジェンドマン。
 本人は「自分がやりたいことは、何が何でも実行する『子供』のような人」と、「周囲の目を気にして、やりたいことができない『大人』な人」を対比させ、「子供でいい」「僕もやりたいことをやりたいようにやってきた」と語っている。
 *ドラゴンクエストとの出会い [#u822625a]
 すぎやまこういちをスタッフに迎え入れたのは、[[【エニックス】]]のプロデューサーの[[【千田幸信】]]である。
 事の発端は、すぎやまがエニックスに送った同社のPCソフト『森田和郎の将棋』のアンケート葉書にあった。この葉書がたまたま[[【ポートピア連続殺人事件】]]のアンケート葉書の束に紛れ込み、千田の目に留まったそうだ。
 ちなみにこのアンケート葉書、書きはしたもののすぎやま本人は投函が面倒になり、机の上に放っておいたらしい。で、その葉書を奥さんが見つけ、事情を知らずにお節介でポストに投函してしまった、というのが事の真相のようだ。
 こうしてすぎやまと千田は会うことになり、千田は「これからのゲームは音楽の重要性がより高まるため、プロによる曲が必要不可欠」と力説。すぎやまもこれに同意した。
 そして、エニックスのゲーム音楽を手がけて欲しいという話になり、すぎやまは二つ返事で承諾。元々ゲームが大好きであったすぎやまは、「やるやる!やりたい!」という感じだったらしい。
 かくしてすぎやまは、手始めにエニックス開発のPCゲーム『ウイングマン2』のゲーム音楽を手がけた後、新作RPG、すなわちドラゴンクエストの制作スタッフの一員となったのだった。
 つまり、すぎやまと千田が出会ったのはまさしく偶然の賜物で、最早奇跡と言っても過言ではない。
 もしすぎやまが葉書を送るのをやめてサッサとゴミ箱に捨てていたら、DQの運命は全く違う方向へ向かっていた……そう考えると彼の妻もまたDQにおける貢献者・功労者の一人だと言えるだろう。直接関わってはいないものの、この出来事がなければそもそも何も始まらなかったのだ。
  
 このようにしてDQの制作に携わることが決まったのだが、スタッフとの初顔合わせの際には「俺たちのグループによそ者が入ってきやがった、という雰囲気だった」とすぎやま本人は語っている。
 ご本人曰く「当時のゲーム開発の現場は大学のサークル活動の延長線上で、アマチュアの熱気でゲームが作られていた時代だった」とか。
 現役大学生や20代の青年たちが多くを占めるスタッフの中にあって当時50代のすぎやまはまさに親子ほどの年齢差。確かに居心地は良いものではなかったであろう。
 特に、すでにDQのために内部で曲を用意していた[[【中村光一】]]との折り合いが悪かったようだ。
 しかし、ゲームの話題で盛り上がったことで世代差を超えて打ち解けることに成功し、晴れてDQの楽曲を手掛けることとなったのだった。
 *音楽性 [#ubd7d138]
 本人の音楽性の高さは言うまでもないが、FC時代のゲーム音楽の作曲というものは音数も音質も限られた中で行う、いわば厳しい[[【縛りプレイ】]]のようなもの。
 そんな状況でも多くのプレイヤーを感動させる音楽を書けるという非常に卓越した技巧を誇る。
 特に初代DQ1の場合、使える音数はわずか2音だけだったというのだから驚嘆する他ない。
 また、ゲーム中は同じ音楽をずっと聴く傾向にあるという発想から"何度聴いても飽きないような「聴き減りしない曲作り」"を意識し、ドラクエの音楽がクラシックを基調としているのも「中世ヨーロッパ風の世界」と言われたことに加え、流行の音楽ではやがて飽きるだろうという想いもあるという。
 その他にも、
 -(FC時代、2~3トラックしか使えないことに対して、多くの作曲家がゲーム音楽の作曲を辞退していたことについて)最近はやたらサウンドで厚化粧していて、その実くだらない曲が多いのですが、ゲーム音楽は2声や3声しか使えないので、ごまかしが効きません。メロディー・ライティングの力量が正面から問われることになるのです。本来、曲の素晴らしさの中心は、バッハにしてもベートーベンにしても、抜きんでて優れたメロディーラインにあったのではないでしょうか?
 プロの作曲家にゲーム音楽を頼もうとすると、メロディとハーモニーだけでは勝負できないような連中は、みんな拒否したわけです。「3トラックで音楽ができるわけがない」という声もあったんですが、 僕から言わせると、「それは力がないから」です。バッハの「フルートのための無伴奏パルティータ」は、フルート1本ですばらしい組曲ができてるわけです。あれは1トラックなんだよね。1トラックでも、メロディ、ハーモニー、リズムをぜんぶ表現できるということを、大先輩のバッハがやってるわけですから、「2トラックではできません」というのは、プロのセリフではない。
 -(ドラクエの序曲を5分で作ったことに対して、ピカソの名言になぞらえて)55年と5分でできたんです。
 -(交響組曲で使われているドラムセットについて)例えばバッハやベートーヴェンの曲には、その時代に人気があったダンスのリズムが入っているように、現在であればロックやディスコでのダンスのリズムが入ってくるのは自然なこと。それを拒否するのは時代感覚がないというか、極端に言えば、現代に生きていることを自分から否定するようなものですね。
 -CMや映画の劇伴は制作時間が短いことがほとんどで、前日の夜に打ち合わせて翌朝10時までに作って、なんてしょっちゅうだった。そういうことを生業としてやってきたから、1週間で作ってと言われてもびくともしなかったですね。(ドラゴンクエストの曲を1週間で作ってくれと頼まれたことを回顧して)
 
 などの言葉を残している。
  
 そんなすぎやまにも苦手分野はあり、それは本人曰く「戦闘曲」らしい。
 戦っている場面について一作につき2~4曲を書かなければならないので意外と大変だそうだ。
 通常戦闘曲についてはいつも5曲ぐらい候補を作って、そこから1曲を選んでもらっているとのこと。
 *ゲーム向け作曲もするゲーマーとして [#m07ce5b9]
 自身も筋金入りのゲーマー(自称「元祖プロ・ゲーマー」)であり、ドラクエの音楽を書く際にも作曲家としての視点だけでなく、ゲーマーとして実際にプレイする際の視点も考えて曲を書いている。ゆえに必ずプレイしてから曲を用意するようにしており、[[【ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔】]]では老体ゆえにリモコンを振るプレイスタイルではテストプレイが出来ないとして新曲制作は辞退し、[[【松前真奈美】]]が担当した。
  
 なお、ドラクエなどをやる時は主人公の名前を「すぎやん」にしているとのこと。 
 主人公が王族の時などは[[【すぎまろ】]]にするなど結構拘っているらしい。 
 その語感の良さから彼のあだ名としてファンの間では定着しており、スタッフや関係者の名前がつけられることの多い[[【仲間モンスター】]]の名前にも採用されている。
 DQ5の[[【ヘルバトラー】>【バトラー】]]3体目に「すぎやん」、DQ8の[[【スカウトモンスター】]]に闇のコンダクター「すぎやん」がいる。
  
 そのやり込みっぷりはかなりのレベルに達しており、「言っとくけど、DQ4は全員レベル99ですよ。裏ボスを3ターンで倒しました。」と発言したり、DQ8を3周もプレイしていたり、あまつさえDQ9を発売前にやり込んでレベル97まで上げてしまったり(なお、その後プレイ時間170時間で全員レベル99にして、レベル99魔王に挑んでいる)、普通の人を呆れさせるほどにゲームをやり込んでいる。
 どっぷりトコトンやらないと気が済まない性格なのかも知れない。
  
 2016年9月には、85歳にして「''世界最高年齢でゲーム音楽を作曲した作曲家''」としてギネス世界記録に登録されるまでになっている。まさに生ける伝説だ。
 2019年4月11日に88歳の誕生日を迎えた際には、[[【鳥山明】]]によるサプライズイラストが描かれた。音符のスライムたちに囲まれて、米寿(88歳)とかけてかベージュのローブの纏って指揮棒を握った勇者の姿というもので、「とりやまあきら」のサインの上には "DRAGON QUEST LXXXVIII(88)" の文字が書かれた。
 ちなみに、SFC版DQ1・2のソフトをよく見てみると「すぎやこういち」と誤植されてしまっている。
 *著作権 [#p1b3ee23]
 日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員という肩書もあり、著作権に対しては非常に高い意識を持っていることでも知られる。
 MIDIなどのDTMによる既存曲の再現にも厳しい立場をとり、DQシリーズの曲を個人で打ち込みをし、インターネット上でアップロードする際にも、無断ではなく正規の契約をするように推奨している。
 そのため一時期ネット上でDQの曲はほとんど耳にすることがなくなっていたが、YouTubeやニコニコ動画などでは包括契約を締結して権利関係がクリアされたため、徐々にだが打ち込み作品が戻りつつある。
 なおJASRACはその組織の性質などから批判を受けることが少なくないが、すぎやま自身は著作権に対する厳しい立場をとる理由について、
 >「音楽提供者側に対価が回らないことによる創作意欲の低下、
 ひいては音楽業界への就業意欲の低減での業界縮小の懸念」
 
 と述べている。
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