【エニックス】 の変更点

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*概要 [#of05ba27]
株式会社エニックス。
我らがドラクエを発売していた会社。現在は法人はスクウェア・エニックス・ホールディングスとなり、事業は子会社の[[【スクウェア・エニックス】]]へ別れている。
名前の由来は世界初のコンピュータの一つとされるENIAC(エニアック)とPhoenix(フェニックス)を組み合わせて作ったと言われている。
公団住宅の空き情報を掲載する雑誌の出版からスタートし、商社的な仕事やロボット寿司(当時の技術では水準に達せず撤退した)なども行なっていた。
その後、パソコンゲームのパブリッシャー事業に参入。ゲーム開発部門を持たないため「ゲームホビープログラムコンテスト」で開発者の掘り起こしを行なう。その第1回の入賞者が[[【堀井雄二】]]や[[【中村光一】]]などであった。
公団住宅の空き情報を掲載する雑誌の出版からスタートし、商社的な仕事やロボット寿司(1970年代後半の技術では水準に達せず撤退した)なども行なっていた。
1982年にはパソコンゲームのパブリッシャー事業に参入。ゲーム開発部門を持たないため「ゲームホビープログラムコンテスト」で[[【千田幸信】]]らが開発者の掘り起こしを行なう。その第1回の入賞者が[[【堀井雄二】]]や[[【中村光一】]]などであった。
 
DQ関連本を中心に出版事業も行なうようになり、そちらの分野でも[[【ドラゴンクエスト4コママンガ劇場】]]など新人を積極的に発掘した。
その後、DQ関連本を中心に出版事業も行なうようになり、そちらの分野でも[[【ドラゴンクエスト4コママンガ劇場】]]など新人を積極的に発掘した。
 
現在は自社開発力が強いスクウェアと組むことでスクウェア・エニックスとなっているが、DQなど旧エニックスの流れを汲むゲームに関しては、合併後しばらくは相変わらず外注のままであった。
*会社歴史 [#aaa71393]
|CENTER:1975年|株式会社営団社募集サービスセンター設立。|
|CENTER:1980年|株式会社営団社不動産(後に株式会社営団社システムに商号変更)が設立される。|
|CENTER:1982年|株式会社営団社システムの商号を株式会社エニックスに変更。|
|CENTER:1983年|コニカと合弁し、株式会社小西六エニックス(後にコニカエニックス)を設立する。|
|CENTER:1985年|「ドアドア」でFC市場に参入。以降、ゲーム会社としての地位を確立。|
|CENTER:1988年|出版物、キャラクター商品販売の子会社としてエニックスプロダクツ株式会社設立。|
|CENTER:1989年|エニックス、コニカエニックス、エニックスプロダクツを営団社募集サービスセンターに吸収合併。&br;商号を株式会社エニックスに変更する。|
|CENTER:1991年|出版業を始める。[[【月刊少年ガンガン】]]を創刊し成功させる。|
|CENTER:1999年|東京証券取引所一部上場。|
|CENTER:2003年|株式会社スクウェアと合併し、商号を株式会社スクウェア・エニックスに変更する。|
|CENTER:2008年|商号を株式会社スクウェア・エニックス・ホールディングスに変更。&br;同時にゲームソフト事業を新規設立した100%子会社である株式会社スクウェア・エニックスに分割。|

**小西六エニックス [#b1c79485]
カメラおよびフィルムメーカーの小西六(のちのコニカ)とエニックスの合弁会社として作られたパソコンソフトの販売代理店。
当時のエニックスのゲームは発売元がエニックス、販売元が小西六エニックスであった(ポケモンの発売元が株式会社ポケモン、販売元が任天堂になっているようなものである)。
DQ3発売時にビッグカメラでの行列が話題になった理由の一つに、販売ルートの関係で入荷が多かったことがある。
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