コプリーセクター、地下。 | |||
仄暗い環境下では、時間の流れがひどく緩やかに感じられる。 | |||
どこからか扉の開く音がした。 一筋の寒々とした光が、洞窟深くにある牢獄を一瞬だけ照らした。 | |||
タラナム | …… | ||
タラナムは無表情で、暗闇の中にいる怪物を見つめる。 人の部分は顔をうずめて何かを咀嚼していた。その周囲には大きく分厚い触手が蠢く。 まるで蠕動するボールのように、その生命体は丸くせぐくまっている。 | |||
タラナム | …… | ||
触手に伸し掛かられた残骸を目にしたとたん、タラナムは反射的に顔を背けた。 数秒経ってから、彼女はゆっくりと口を開く。 | |||
タラナム | 【捕食完了、次の段階に入ります】 | ||
その声を聞いて、肉の塊は明らかに震えたようだった。 そして恐る恐る四肢を広げる。 | |||
少女の怯えた表情が、タラナムの前へと現れた。 | |||
デミウルゴス | ■■…… | ||
タラナム | 【対象はオペランドの摂取を完了】 | ||
タラナム | 【定期実験を開始します】 | ||
デミウルゴス | ……■■■■■? | ||
タラナムは警戒態勢を保ったまま、デミウルゴスの傍へと近づいた。 どうしたことか、デミウルゴスはいつものように彼女に牙を剝こうとはせず、 依然として隅に縮こまっている。 | |||
タラナム | 【……拘束プログラム起動】 | ||
デミウルゴス | ■■■■■! | ||
タラナムが起動ボタンを押すと、岩の体をした作業台の下から機械アームが伸びてきて、 デミウルゴスの触手を次々と掴んだ。 | |||
デミウルゴスがわずかに抵抗を見せる。 | |||
タラナム | 分割開始。 | ||
彼女は慣れた手付きでコンソールを操作し、 デミウルゴスの体に次々と分割ラインを引いた。 | |||
続いて、いくつものレーザーカッターが自動的に現れ、 デミウルゴスの体を切り刻み始めた。 | |||
デミウルゴス | ■■……■■■…… | ||
デミウルゴスにいつものような激しさは見られなかった。 タラナムは彼女の触手を手早く切り落としてゆく。 | |||
タラナム | ……もう、慣れたか。 | ||
触手を失い一塊になったデミウルゴスを見て、彼女は首をふった。 カッターを置き、デミウルゴスに背を向けて実験データを記録する。 | |||
だがその瞬間―― | |||
デミウルゴス | ■■■■■■■!!! | ||
なにやら粘ついたものが、凄まじい速度でタラナムの背中に命中した。 | |||
タラナム | うっ!? | ||
たいした力はなくとも、完全に無防備なタラナムを押し倒すには十分だった。 続けざまに、触手に吸い付かれるような感覚がタラナムを襲う。 | |||
? | キッ…… | ||
タラナム | 小型エントロピー……いつの間に分裂を…… | ||
タラナムが弾力性のある物体を振り払おうとしていると、 何かが素早く這うような音が聞こえた。 それは彼女を通り過ぎ、牢屋の出口へと逃げてゆく。 | |||
タラナム | まずい…… | ||
十数秒かけてタラナムはようやく立ち上がった。 実験台にあるのは一本の機械アームと、 自分ではない誰かによって切り落とされた触手の残骸だった。 | |||
デミウルゴス | ■■■……■■■…… | ||
デミウルゴス | ■■■■■■■……■■■……! | ||
デミウルゴスは再生しきっていない四肢をひきずって、洞窟内を必死に這っている。 | |||
でこぼこした岩が四肢の断面に突き刺さり、激しい痛みをもたらす。 ほんの少し進むたびに、全身の力を使い果たしてしまう。 まるで体の一部が無理やり抜き取られるかのようだ。 | |||
デミウルゴス | ■■■■■■■…… | ||
だが彼女は、自ら触手を切断したことを後悔してはいなかった。 そうでもしないと拘束プログラムとのリンクを解除できない。 切り落とされた触手が新たな手足となり、逃げるための時間を稼いでくれた。 | |||
切られた断面がずきずきと痛む。 だが「自由」のためなら、こんな痛みなど取るに足らない。 | |||
デミウルゴス | ■■■…… | ||
目の前には、いつもと変わらぬ岩壁が広がっている。 | |||
牢獄を抜け出したところで、彼女に行く当てはなかった。 | |||
デミウルゴス | ■■■■…… | ||
岩壁の重なる先は行き止まりだった。 傷の癒えていないデミウルゴスは、持っていたオペランドを使い果たした。 彼女が這うのをやめた時、背後にはすでに足音が近づいていた。 | |||
タラナム | 無駄、この先に道はない。 | ||
デミウルゴス | ■■■■…… | ||
タラナム | 切断した触手から小型エントロピーを生み出す能力を確認。カッターの使用方法もすでに習得している。 | ||
タラナム | だが一連の行動によるオペランド消費は、投与値を超過しているはず。オペランド所持量増加の原因解明が待たれる。 | ||
タラナム | 本項目をタスクに追加。 | ||
独り言をつぶやいてから、タラナムは動けなくなったデミウルゴスへと近づいた。 | |||
デミウルゴス | ■■…… | ||
デミウルゴスは反射的に触手を挙げ、訪れるであろう罰を防ごうとした。 だが再生していない四肢では、短すぎて頭を庇いきれない。 | |||
タラナム | …… | ||
しかし、タラナムが普段のように彼女を罰することはなかった。 | |||
デミウルゴス | ……■? | ||
タラナムは体を屈め、ツールを使ってデミウルゴスを掴むと、来た道を引き返した。 | |||
小部屋の前まで戻った時、 タラナムはデミウルゴスのオペランドがどこから来たのかを察した。 | |||
主人を失った牢屋の隅には、 タラナムが目を逸し続けてきたエージェントの残骸があった。 形状からして、明らかに最後に投与したものだけではない。 | |||
タラナム | ……なるほど、計画的だった。 | ||
タラナム | 毎回食べる量を節約して、溜め込んでいた…… | ||
タラナムはデミウルゴスを見た。相手は恐怖のあまり小さく縮こまっている。 | |||
タラナム | ……成長した。 | ||
タラナムはデミウルゴスに手を挙げずに、彼女を作業台の上に戻した。 | |||
機械アームが再び彼女を拘束する。 見れば、デミウルゴスの触手はすでに再生を始めていた。 さきほど記録したばかりのデータは正確性を失った。 | |||
タラナムは埋め合わせるかのように、レポートに他愛無いデータを付け加えた。 | |||
タラナム | これでいい。 | ||
ハプニングのせいで、実験は唐突に終わりを告げた。 | |||
デミウルゴスは元いた場所に横たわると、やや気が緩んだようだった。 だがタラナムがまだいることに気づき、再び緊張しだす。 | |||
デミウルゴス | ■■…… | ||
タラナム | 怖がるな。 | ||
タラナム | ……だが、怖がらないはずがない。 | ||
タラナム | それだけ恐ろしいことを、私はしている。 | ||
タラナム | ……なぜ逃げる?逃げられなどしないのに。 | ||
デミウルゴス | …… | ||
デミウルゴスは黙っている。声を出したところで、タラナムには理解できない。 タラナムは独り言のように言った。 | |||
タラナム | 私の言った「自由」のため? | ||
タラナム | そのために、ここを出ようと?……嫌なことから逃げ出すために? | ||
デミウルゴス | ■■…… | ||
タラナム | ……無駄。 | ||
タラナム | 外もまた、もう一つの牢獄。 | ||
タラナム | 何もない、この先もありはしない。 | ||
タラナム | ここも。コプリーも。マグラシアの外も。 | ||
タラナム | 私たちは同じ、たいした違いはない……だろう? | ||
タラナム | あがいたところで、牢獄からもう一つの牢獄に移るだけ。 | ||
デミウルゴス | ……■■■…… | ||
デミウルゴスは困惑した表情を浮かべたままだ。 | |||
タラナム | お前に理解できるはずもない。 | ||
タラナム | ……何を期待している、私は。 | ||
タラナム | とっくに、リライトプログラムにメンタルを明け渡したのに…… | ||
タラナムはふりむいて、作業台の電源を切った。 | |||
タラナム | 【定期実験完了、後ほどデータ報告を提出します】 | ||
デミウルゴス | ……■■■…… | ||
小さな部屋が瞬時に真っ暗になる。 デミウルゴスの再生したばかりの四肢から放たれる、 かすかな紫色の光だけを残して。 |