コプリー 暗域 PART.4 対峙

Last-modified: 2024-11-30 (土) 19:05:08

コプリーセクターの端、某生体観測所。
 割れた窓の隙間から吹き込む風が、長く鋭い音を鳴らした。
 ふいに草むらが動いたかと思うと、中から一人の人形が顔を出した。
末宵……こちら末宵。ファイアウォールを迂回し、目標セクターへの潜入に成功。
末宵今のところエージェントの姿はない。セクター端の観測所も無人だ。あとで現在の座標と映像情報を送る。
末宵……あのエージェントか?忘れるもんか。でもエントロピーの痕跡は見当たらないな。
末宵……うん、わかってる。なるべく衝突は避けてターゲットの捜索を優先、だろ。問題ない。
末宵増援は必要ないかな。慎重にいくさ。末宵アウト。
 通信を切ると、末宵は周囲を見渡した。
末宵くどいヤツ。初塵だけの任務だったら、ドレーシーもここまでうるさくないくせに。
末宵にしても、ここは確かにヤバいな……ターゲットはここにいるのか?
 
末宵土壌の採取完了。エントロピー液による汚染の痕跡はなし……
末宵海水は大丈夫そうだな。地下もキレイだ。
末宵正常すぎて、逆に異常。
末宵情報によると、ここにエントロピーがいるはずなんだけど……汚染されてないのは、一体どういうことだ?
 末宵はその場でくるくると二度回った。焦る気持ちを素早く抑えつける。
末宵違う、エントロピーじゃない。ターゲットを見つけ出すことが最優先だ。
末宵でもここ、人っ子ひとりいないんだけど……
末宵エージェントが全員エントロピーに喰われた、ってわけじゃないよな。
末宵いや、ありえない。そうだとしても何かしらの痕跡が残るはずだ……それに浄化者が黙ってないだろ……
末宵仕方ねーな。あのへんの建物、片っ端からあたってみるか。
 
 末宵は注意深く、とある建物に近づいた。
読み取ったマップ情報からすると、ここは生態観測所のようだ。
 やや寂れた電子ゲートは固く閉ざされている。
末宵は識別エリアを慎重に迂回し、ゲートロックをハッキングしようとした。
ふいに、彼の視線が暗いスクリーン上に留まる。
末宵……電気が通ってないのか?
 軽く扉を押すと、ゲートが音を立てて開いた。
緩慢とした機械の作動音がかすかに聞こえる。
末宵廃棄されてるわけじゃない、まだ誰かが使ってるんだ。
末宵だったらなんで電気が通ってないんだ?オペランドが足りないのか?それとも、閉じとく意味がないから……?
 彼は考えながら、生態観測所へと足を踏み入れた。
 機械の作動音をたどっていくと、すぐにとある部屋に着いた。
部屋の中央にはいくつもの作業台が並べられていて、
そこから伸びる無数のコードが地面に散らばっている。
末宵制御室なのか?
 作業台は稼働しているようだが、部屋にエージェントの姿はない。
 末宵は武器を握ったまま、制御室を進んだ。
精密かつ複雑な機器の間で視線を泳がせる。
末宵生態学か……あいにくだな、オレの知らない領域だ。
 末宵はとあるデスクの前へやってくると、おもむろに引き出しを開けた。
中にはレポート用紙がぎゅうぎゅうに詰まっている。
 彼は軽く頭をふってデスクから離れた。
制御室の壁に沿って、いくつかの展示棚が置かれている。
その上には用途の知れない無数のビンが並べられていた。
末宵ん……?
 生態学の実験とは無縁だが、末宵は本能的に一抹の違和感を覚えた。
末宵薬……違うな、試薬か?なんで機械だらけの部屋にこんなものが?
末宵妙だな。42Labみたいな最先端企業じゃなくても、一介の研究員がこんなズボラな真似するわけがない。
末宵待てよ、まさか……
 末宵はそっと棚に近づいた。
目の前にあるのは、いたって平凡な木製の展示棚だ。
だがどうしたわけか、それを目にした末宵のメンタルはざわついていた。
末宵(なんだ、この不安は……)
末宵(自分じゃ気づかないことに、無意識に感づいたのか?それとも……)
 彼は頭をふって、メンタルからの忠告を抑えつけようとした。
末宵(怖がることないさ)
 末宵は展示棚に手を伸ばす。
???【外のエージェントはここにいるべきじゃない】
末宵
 末宵はとっさにふりむき、声のする方へ長槍を向けた。
 青い髪をしたエージェントは長槍と末宵を順に見た。声に起伏は見られない。
???【今すぐ立ち去れ】
末宵……
末宵誰だ、お前?
???【今すぐ立ち去れ】
末宵……質問に答えろよ。
???【今すぐ立ち去れ】
末宵いい加減にしろよ。お前、アドミニストレーターだな?
???……
???【外のエージェントはここにいるべきじゃない】
末宵チッ。
末宵コプリーセクターのアドミニストレーター、タラナム。だろ?
タラナム……!
末宵ロボットの真似はいい、お前のことは知ってる。
末宵(ビンゴ。レポート用紙に名前があったからな……)
末宵ゴホン。で、ここにはお前一人か?
タラナム……お前には関係ない。
タラナム立ち去れ。
末宵お前な……
末宵(ダメだ、エージェントと衝突するわけには……んー……)
末宵まぁ聞けよ。オレは異常エージェントじゃないし、お前らのセクターを攻撃するつもりもない。
タラナム正常なエージェントなら、自身のセクターでの仕事に戻るべきだ。立ち去れ。
末宵あっれー?なら、ここの「正常なエージェント」たちはどこに行っちまったんだ?アドミニストレーターさん?
タラナム……お前には関係ない。はやく立ち去れ。研究がある。
末宵No.316。
タラナム……!
末宵覚えてないか?それとも、あえて忘れたか。
タラナム……立ち去れ。
 タラナムの態度に末宵は肩をすくめると、傍にある機械の上に腰かけた。
末宵半月前、オレたちはマグラシアをさまよってたエージェントを助けた。
末宵そいつはエントロピー……コンピューターウィルスに感染してた。メンタルをぼんやりさせてね。
末宵何を聞いても答えない。でも、そいつがどっかのセクターから追放されたのは確実だ。
末宵そしてそのセクターは、ウィルスによる攻撃を受けているはず。言いたいことはわかるよな、アドミニストレーターさん?
タラナム……立ち去れ。研究がある。
末宵それしか言えねーのかよ、お前は。
末宵とっくに調べはついてるぜ。そのエージェントはコプリーから来たんだ。
末宵お前が知らないはずないよな?
タラナム……知らない。
タラナムセクターは正常に稼働している。ウィルス警報もない。
末宵人っ子ひとりいないのが「正常」か?
タラナム……
タラナム見えていないだけ。
末宵……?
タラナムここのエージェントは皆、水中で海洋の生態を観察中だ。外界とは隔たれている、お前には見えない。
末宵……へぇ、マジで?
 末宵は嘲笑うかのように、眉を吊り上げた。
タラナムそう。他所のエージェントとは異なる。
タラナム立ち去れ、我々には仕事がある。
 末宵は長槍を戻した。だが視線はタラナムに向けられたままだ。
末宵だったら、あのウィルスに感染されたエージェントはどう説明する?
タラナムウィルスの駆除は浄化者の仕事。
末宵なら浄化者はどこだ?
タラナム奴らなら、いつでも呼び出せる。
タラナム浄化者が来ればお前は追い出される。立ち去れ。
末宵……
末宵(衝突は避けないと……本当に浄化者を呼ばれても困るしな……)
末宵……わかったよ。ま、お前の職務怠慢を問い詰めに来たわけじゃねーし。
 末宵は数歩後ずさり、ゆっくりと制御室を出た。
 タラナムはゲートの前までついてきて、末宵が生態観測所を立ち去るまで、
彼の一挙一動を静かに眺めていた。
 ゲートの閉ざされる重たい音が室内に響いた。
タラナム……
タラナム【対象は指定エリアを離脱しました】
タラナム【……安全のため、さらなる確認を行います】
 
タラナム【確認完了、パラメータに変動なし】
タラナム侵入された痕跡はなし。
???そんなんで安心するんだ?
タラナム!!?
 天井から突如、一筋の光が放たれる。
タラナムが反応できずにいると、頭上からとある人影が彼女の前に降り立った。
末宵……なるほどね、建物の下に隠してたのか。
末宵悪いな、そりゃオレの領域だ。
タラナムお前……
末宵動くな!
 末宵は再びタラナムに長槍を向けた。今度は彼女の喉元に切っ先を当てて。
タラナムう……
末宵最初から怪しいとは思ってたんだよな。だが、まさかここまでやるとは。
末宵言え。エージェントどもをどこへやった?
タラナム【アクセス権限がありません】
末宵こんな時にトボける気かよ?
末宵……まぁいいさ。この部屋でなら、色々見つかるだろうしな。
末宵あの端末のデータを片っ端から検索すれば……
タラナム……やめろ。
末宵ん?
タラナム【優先レベルを調整中……】
タラナムわかった。お前をエージェントのもとへ案内する。
末宵案内……?
タラナムそう。このルートを進めばいい。
末宵……お前が噓をついてない証拠は?
タラナム私も同行する。
タラナム必要なら、いつでも私を稼働停止にできる。
末宵……フン。
 末宵は返事をする代わりに、長槍を軽く動かした。
タラナムが大人しく扉を開ける。
 すると、真っ黒な通路が目の前に現れた。
末宵お前が先だ。
タラナムああ。
 道がどこへ通じているかはわからない。末宵は焦る気持ちを必死に抑えた。
末宵(さっきの話とここの環境からして、ことと次第では、本当に「ターゲット」が見つかるかもな……)
末宵(いや、マジかよ?長い間追い求めてたものが、こんなちっこいセクターにあったりするか?)
末宵(でも、本当だったら……証明できるかも……)
 タラナムは急に歩を止めた。つられて末宵も立ち止まり、前方を見た。
末宵なんだよ、おい?
タラナム……道がない。
末宵道がない?お前が案内してんだぞ?
タラナム塞がれている。
末宵はぁ?お前、ここのアドミニストレーターじゃねーのかよ。
 末宵はそう言いながらタラナムを追い越し、前へと進んだ――
 ふいに頭上から黒紫色の海水が降り注いだ。末宵はとっさに身を強張らせる。
末宵――エントロピー液!?
 海水は瞬時に二人の立っていた場所を呑み込んだ。末宵は荒波に押し流される。
 再び海面に顔を出すと、タラナムは慣れた様子で、
壁にある手すりのようなものをつかんでいた。
彼女の半身はエントロピー液に浸かっているが、なんら影響は受けていないようだ。
末宵どうして……あいつは確かに何も……
タラナム……
末宵くっそ、油断した……お前なんかに、このオレが負けるわけ……!
 末宵の声がだんだんとエントロピー液に埋もれてゆく。
その数秒後、タラナムは彼から視線を逸した。
タラナム(沈んでいない、潜ったか)
タラナム(いずれにせよ、彼女からは逃れられない)
タラナム……許せ。
 そう言って、タラナムは真っ暗な道を去った。
 彼女の背後で、通路の扉は轟音とともに閉ざされた。