アドミンセンターへ近づくにつれ、道を塞ぐエントロピーの数も増えていった。 | |||
エントロピーの行動原理を把握したおかげで、 一度に大量のエントロピーを相手せずに済んだはいいが、 高頻度の連戦はひどく骨が折れた。 | |||
ソル | チッ……面倒だ! | ||
ソルは襲い来る触手を斬り伏せ、紫色の波の中に一筋の道を切り開いた。 | |||
ソル | もうすぐだよ!みんな、頑張って! | ||
アントニーナ | あれは……アドミンセンター? | ||
建物の外はエントロピーに埋め尽くされており、本来の容貌はわからなかった。 建物とおぼしき暗色の物体がエントロピーの海に静かに佇み、 不吉な紫色の光を放っている。 | |||
ソル | くそっ……なんて数だ!障壁のコンソール、まだ生きてるの!? | ||
タラナム | 生きてる。アドミンセンターにはファイアウォールがある、しばらくは破られない。 | ||
タラナム | 正面ゲートはエントロピーが多すぎる、裏門から……ゴホゴホッ…… | ||
タラナムが激しく咳き込んだ。体がやや透明化している。 | |||
ソル | おい、ガリ勉。こんな時に冗談やめてよね! | ||
アントニーナ | 待ってください、まさか…… | ||
アントニーナはタラナムのメンタルに強制アクセスした。 | |||
アントニーナ | 自分のオペランドでファイアウォールを維持してたんですか!?もしかして、さっきの津波も…… | ||
アントニーナ | アドミニストレーターなら、セクターのオペランドを扱えるはずじゃ……どうして…… | ||
タラナム | ケホッ……エントロピーを制圧するのが最優先。セクターのオペランドを節約しなくては…… | ||
アントニーナ | これじゃ生命を削ってるも同然です!私のオペランドを…… | ||
アントニーナ | ……ダメだ。私じゃリライトプログラムを迂回できない。 | ||
ソル | タラナム、手出して。 | ||
タラナム | ……? | ||
ソル | いいから早く、あたしが背負ってあげる。優先順位だかなんだか知らないけど、あんたをここで死なせるもんか! | ||
タラナム | ……うん。 | ||
タラナム | 着いた。 | ||
ソル | あれが裏門?長いこと使われてないみたい。 | ||
タラナム | ……ここは研究スタッフが模擬生物を運び入れるための特殊ルート。今まで多くのエージェントが…… | ||
タラナムは黙った。傷を負ったかのような苦痛の表情を浮かべて。 | |||
ソル | 多くのエージェント?あんたの他にもエージェントがいたの? | ||
タラナム | 言え……ない…… | ||
タラナムは顔を背けてソルの視線を躱した。 その動きはぎこちなく、危うくソルの背中から落ちそうになった。 アントニーナが手を伸ばして彼女を支える。 | |||
アントニーナ | 妙ですね、稼働が追いつかなくなってる。 | ||
ソル | とにかく、まずはアドミンセンターに入ろう! | ||
アントニーナ | 待って!そこの灌木に気をつけて! | ||
トゥイナー | ギギッ! | ||
アントニーナの警告とほぼ同時に、数体のエントロピーが灌木から飛び出してきた。 | |||
ソル | この怪物ども……ちょっと、ガリ勉、大丈夫!? | ||
タラナム | 問題ない。下ろせ、お前の邪魔になる。 | ||
ソル | 何言ってんのさ、これくらいへっちゃらだって! | ||
ソルとアントニーナはすぐさま迎撃態勢を取り、先頭にいたトゥイナーを倒した。 | |||
だがすぐに、付近の草むらで待ち伏せていたエントロピーが次々と現れる。 | |||
ソル | あっちの石山が掩体になりそうだ!そこまで撤退するよ! | ||
私たちは石山の後ろに隠れ、迎撃姿勢を取った。 だがエントロピーたちはこちらを追おうとはせず、裏門の前で留まった。 私たちがアドミンセンターに舞い戻るとわかりきっているかのように。 | |||
ソル | 正面ゲートほどじゃないけど、こっちもすごい数だ…… | ||
{教授} | だがここのエントロピーは戦術を理解している、これは重要だぞ。 | ||
{教授} | 私の推測が正しければ、彼らは地底にいたエントロピーとは無関係だ。 | ||
アントニーナ | おそらくは。姿かたちが異なりますし、余剰コードの程度も違う。着目すべきは、戦闘力が地底のエントロピーを遥かに上回る点です。 | ||
アントニーナ | ここのエントロピーは、芸術セクターで遭遇したものとよく似ています。 | ||
ソル | 芸術セクター……つまり、こいつらはオディールのエントロピーってことか!あいつめ……ずっとアドミンセンターで待ち伏せしてやがったんだ! | ||
ソル | ちっくしょ~、こっちの行動筒抜けじゃん! | ||
ソル | アンナ、トラッキングとかでオディールの奴を引きずり出せない!? | ||
アントニーナ | エントロピーは上から下への樹状ネットワーク構造を成しています。デミウルゴスが死ねば、オディールは上位からの制御を失い、他のエントロピー同様に動きを止めるはず。 | ||
アントニーナ | もしくは……いや、ありえない。 | ||
ソル | 制御を失う……ってことは、オディールがもとに戻るってこと? | ||
アントニーナ | 試してみる価値はあります。 | ||
アントニーナ | まずはデミウルゴスを倒しましょう。オディールに対処するのは、その後でも遅くありません。 | ||
ソル | よし!要は、アドミンセンターに入って障壁をどうにかすれば、マルっと解決するってことだね? | ||
ソル | ガリ勉、どうやって入るか教えな。あたしが突っ込む! | ||
タラナム | アドミニストレーター権限がないと、扉は開かない。 | ||
アントニーナ | つまり、タラナムさんでないと開かない……彼女を掩護しながら、私たちだけでエントロピーの海を進むのは困難でしょうね。 | ||
タラナム | ……エントロピーがいなかったら、ここからアドミンセンターまでどれだけかかる? | ||
ソル | そんなの楽勝だよ!5秒……あ、でもあんたを背負ってるから、まぁ……長くて10秒ってトコだね! | ||
タラナム | わかった、よろしく頼む。 | ||
ソル | え…… | ||
ふいに激しい狂風が目の前を掠めたかと思うと、 裏門の表面を這っていたエントロピーの一部が、空へと巻き上げられていった。 | |||
ソルに背負われているタラナムが、胸元をぎゅっと押さえて小さく呟く。 | |||
タラナム | あと……10秒…… | ||
{教授} | 行くぞ!ソル、残ったエントロピーを頼む!アントニーナは援護を! | ||
私たちはほぼ無意識にアドミンセンターへと走り出した。 ソルの燃え盛る剣がエントロピーの残党を一掃する。 タラナムの権限を感知して、裏門がゆるやかに開いた。 | |||
ソル | みんな早く! | ||
全員がアドミンセンターに入ったのを確認すると、 最後尾にいたソルが扉を手早く補強した。 かくして野獣のような叫び声は、扉の外へと隔たれた。 | |||
ソル | おい!ガリ勉!?どうした、しっかりしろ! | ||
タラナムはもはや自分の体を支えきれない。ソルは彼女をそっと地面へ下ろした。 | |||
タラナム | ……成功だ。 | ||
アントニーナ | やっぱり……また自分のオペランドで気候をコントロールしましたね!?これではもう…… | ||
タラナム | かまわない……これは……私の願い…… | ||
ソル | こら、寝るな!アンナ、あたしのオペランドをこの子に! | ||
アントニーナ | 言ったでしょう、彼女のオペランドはリライトプログラムから来ていると。制御権限を持つ者だけが、彼女にオペランドを供給できる。 | ||
アントニーナ | オペランドの供給もなく、このまま消耗し続ければ……コンソールを操作するどころか、身動きさえできなくなってしまいます。 | ||
ソル | あんたって奴は……おい、セクターのエントロピーを殲滅するんだろ!?寝るな、寝ちゃだめだ! | ||
タラナム | お願……い…… | ||
タラナム | 私の……権限で…… | ||
タラナム | アドミニストレーター、の権限、で……コンソールを操作…… | ||
アントニーナ | ダメです。アドミニストレーター権限は、すでにリライトプログラムに結びつけられてる。 | ||
タラナム | それなら……リライトプロ、グラムを、解除…… | ||
アントニーナ | ……自分が何を言ってるのか、わかってるんですか? | ||
アントニーナ | リライトプログラムを解除すれば、あなたは抜け殻になってしまうんですよ。 | ||
タラナム | かまわない…… | ||
タラナム | 最優先項目……エントロピーの制圧…… | ||
タラナム | 二次優先項目……自身の保護…… | ||
タラナム | 優先順位から……リライトプログラムを放棄し……アドミニストレーター権限、委譲するべき、と判断…… | ||
ソル | だめだ、そんなことできない…… | ||
タラナムはソルの手を握った。 | |||
タラナム | この日を……ずっと、待っていた…… | ||
タラナム | どうか……私の願いを、叶えて…… | ||
ソル | でも、でもあんたは、消えちゃうんだよ……? | ||
ドンッ、ドンッ―― 外ではエントロピーが、ファイアウォールの解かれた扉を攻撃し続けている。 | |||
アントニーナ | 扉が破られるのは時間の問題です。 | ||
ソル | わかってる。 | ||
アントニーナ | 誰も諦めたくない、その理想はわかります。ですが現実は…… | ||
ソル | 現実は……選ばなくちゃいけない。でなきゃ、もっと失うことになる! | ||
ソル | 理想は……ぜんぶ実現できないから、理想なんだよね。ようやくわかったよ。 | ||
アントニーナ | 彼女は最期に、あなたに願いを託しました。 | ||
ドンッ、ドンッ、ドンッ―― エントロピーの攻撃はますます激しくなってゆく。 | |||
アントニーナ | ソルさん…… | ||
ソル | ……わかった。アンナ、お願い。 | ||
ソルがそう言うと、タラナムは初めて微笑んだ。 | |||
タラナム | できたら……アドミニストレーター、の部屋に……戻りたい。 | ||
タラナム | あの、思い出たち……と、一緒に…… | ||
タラナム | ありが……とう…… | ||
タラナム | 【リライトプログラムを解除しました】 【残り稼働時間:1%未満】 【コプリーセクターのアドミニストレーター権限を移行しました】 | ||
タラナムは彼女を囚えていたリライトプログラムを失い、最後のオペランドをも失った。 眠りにつく直前、彼女の瞳は混沌に濁るどころか、 いまだかつてないほどに澄み渡っていた。 | |||
タラナム | あの日以来、初めて……命令じゃなく自分の意思で、行動できた…… | ||
タラナム | これでやっと、あの子たちと同じように、虚無へと還ってゆける…… | ||
タラナム | あとは、どうかお願いね…… | ||
タラナム | ありがとう、それから、ごめんなさい…… | ||
彼女の最期の声が、稼働停止とともに泡となって、徐々に散っていった。 | |||
アントニーナ | …… | ||
ソル | ……アンナ、先に制御室に行ってて。 | ||
アントニーナ | 一緒に行かないんですか? | ||
ソル | 少し、時間がほしい。 | ||
アントニーナ | ……わかりました。 | ||
アントニーナは頷くと、先ほど手に入れたアドミニストレーター権限を見て、 拳を強く握りしめた。やがて、彼女は足早に制御室へと向かう。 | |||
ソル | ……教授。この子の望み通り、アドミニストレーターの部屋に連れてくよ。 | ||
ソル | いつか、この子のメンタルを貪った黒幕を見つけ出せれば…… | ||
ソル | また、意識が戻るかもしれないし…… | ||
ソル | ありえないってわかってるけどさ。こんなところに置いてけないよ…… | ||
(選択) | 1.彼女の願いを叶えてやれ。 | A | |
2.彼女にはまだ数多くの秘密がある、安全な場所に運んであげよう。 私たちもまたいつか、ここに戻ってくるかもしれないし。 | A | ||
A | 私たちはタラナムの抜け殻を運んで、アドミニストレーターの部屋へと向かった。 | ||
アドミニストレーターの部屋は、長らく使われていないようだった。 壁には様々な写真が張ってある。 | |||
タラナムはベッドに静かに横たわっている。まるで疲れて眠っているかのように。 | |||
{教授} | ……ソル。 | ||
ソル | あたしは平気だよ。 | ||
ソル | 命令をちょうだい。アンナのために時間を稼がなきゃ。 | ||
ソル | デミウルゴスさえ倒せば、ぜんぶ終わるんだ。 コプリーも、オアシスも、みんな助かる。 | ||
{教授} | ……ああ。 | ||
ドンッ―― | |||
扉がついに極限を迎え、その隙間からエントロピーたちが侵入してきた。 | |||
ソルは剣を抜いた。燃え盛る炎が、暗い海を切り裂いた。 |