空を覆い尽くすほどのダークブルーが、私の視線を遮った。 | |||
支えを失った身体が、波によって押し流されてゆく。 クラウド上に呼吸の概念はない。 だが目の前に迫る深淵に、私は本能的な恐怖を感じていた。 | |||
ソル | 教……授…… | ||
温かい手が、私を捉えた。 | |||
海水が耳元を流れ、視界が徐々に鮮明になってゆく。 | |||
ソル | 教授! | ||
{教授} | ソル…… | ||
ソル | 大丈夫!動かないで!身体の力を抜いて、足で水を蹴るの。ゆっくりこっちへ…… | ||
私はソルの指示に従い、少しずつ前へと移動した。 | |||
ペルシカとアントニーナはすでに手をつなぎ、互いに寄り添い合っている。 私たち四人は輪になった状態で、波間に漂っていた。 | |||
ソル | みんな、手をつかんでバランスを取って!なんとかして岸に向かうよ! | ||
アントニーナ | 待ってください、ソルさん!あれを! | ||
アントニーナは必死にバランスを保ちながら、遠くの海面へと皆の視線を促した。 | |||
見れば、怒れる荒波の中に、巨大な潮が渦巻いているではないか。 周囲の海水が、渦の中心へと力強く流れ込んでゆく。 | |||
ソル | 津波の渦潮……! | ||
ソル | 近づかないで!捕まったら終わりだよ! | ||
アントニーナ | 待って!渦潮の中を見てください! | ||
ペルシカ | ……あれは……穴、でしょうか? | ||
海水が吸い込まれるにつれ、渦潮の中心にある海底の岩間が陽の光に照らし出された。 そこに想像していた平坦さはなく、突起のような岩が徐々に押し広げられてゆく様子は、 さながら海底に開く巨大な口のようだ。奥では深淵がゆっくりと頭をもたげている。 | |||
ペルシカ | 岩が……動いてる…… | ||
ソル | み、みんな、お、落ち着いて……地圧による地殻変動のせいだよ、きっと…… | ||
ソル | 小さい海域の津波なら、すぐに止むはずだから、ここでじっとし…… | ||
突然の波がソルの言葉を遮った。 ひとしきり海水に押し流された後で、私たちはようやく海面から顔を出した。 | |||
ソル | げほッ……こんな津波が立て続けに起こるなんて……ありえない…… | ||
アントニーナ | 常識に囚われないでください、ソルさん!ここは現実じゃない、何もかもオペランドで出来てるんですよ! | ||
アントニーナ | 波が来ます!気をつけて!! | ||
アントニーナがそう言ったとたん、巨大な波が私たちへと攻め寄せた。 | |||
アントニーナ | うっ…… | ||
ペルシカ | アン―― | ||
ペルシカの叫びは、海面へと叩きつける波に瞬時に呑み込まれた。 | |||
際限なき海水が再び視線を覆い、冷たい海水が体力を奪ってゆく。 混乱の中でも、ソルが私の手を強く握りしめているのがわかった。 | |||
ソル | 落ち着いて!力抜いて!あたしが助けるから! | ||
ソルが私の身体を支えた。徐々に海面へと浮き上がってゆくのを感じる。 入り乱れる流れから正しいものを見つけたらしく、 ソルは私たちを引いて渦潮から少しずつ遠ざかった。 | |||
{教授} | ぷはっ―― | ||
ソル | これにつかまって! | ||
再び海面へと顔を出した瞬間、ソルは私を何かへと押しやった。 私はとっさにそれをつかむ。太い木の枝だ。 | |||
ペルシカ | 教授!ご無事ですか!? | ||
{教授} | げほッ、げほッ……な、なんとかね…… | ||
ペルシカとアントニーナのほうを見ると、 彼女たちも同じ木の枝でバランスを保っていた。 ペルシカが私の手を握る。彼女の手は冷たい。 | |||
ソル | ダメだ……この木の枝じゃ全員の重さに耐えられない! | ||
ソル | こうなったら…… | ||
ふいに、ソルは私の手を放した。 だがアントニーナが素早く彼女の手をつかむ。 | |||
アントニーナ | 冗談やめてください! | ||
ソル | 心配ないって!浮かぶのは得意だから! | ||
アントニーナ | ダメです、危険すぎる!他に方法があるはずです! | ||
その時、進退窮まる私たちに予想外の事態が起きた―― | |||
早くつかまって! | |||
{教授} | ……!? | ||
聞き慣れない声が遠くから響いた。 続いて、縄のようなものが迅速かつ精確に、私の腰へとまとわりついた。 | |||
手触りはゴムのように滑らかだった。だが、単なる物体だとも思えない。 私が触れたとたん、それは微かに身震いしたのだ。 まるでデリケートな小動物のように。 | |||
{教授} | これは…… | ||
顔を上げると、他のメンバーも似たような縄にまとわりつかれていた。 | |||
??? | 皆さん、大丈夫ですか? | ||
先ほどの声がまた響いた。 声を追って岸を見ると、淡い緑色の髪をしたエージェントが立っていた。 片手で海辺の大きな岩礁をつかみ、もう一方の手を仰々しく振っている。 | |||
岸から離れている上に、波しぶきが飛び散るせいで、 相手の容貌はすぐにはわからなかった。だが服装が独特であることは判別がついた。 クラウド上のエージェントとは違って、現実での装いに近い身なりをしている。 | |||
奇妙なことに、そのエージェントは手に何も持っていない。 どうやってこの縄を操ってるの……? | |||
??? | あ、あの……長くは持たないんです! | ||
??? | 今、皆さんを岸へと引き上げています!でも、わたし一人じゃ…… | ||
ソル | 十分だよ、ありがとう!! | ||
ソルは岸にいるエージェントに向かって叫んだ。エージェントはソルの言葉を聞いて、安堵したようだった。 | |||
ソル | 教授、あたしがこの縄でみんなを岸に送る。でも、一度に連れて行けるのは一人だけだ! | ||
ソル | 教授、まずはあたしと一緒に…… | ||
{教授} | 先にペルシカを連れていって、私なら大丈夫だから。 | ||
ペルシカ | いけません、教授…… | ||
(選択) | 1.あなたの温調システム、正常な体温を保てなくなってる。 今は遠慮してる場合じゃないよ。 | A | |
2.私のことは心配しないで。たかだか前後の問題だもの、みんな助かるよ。 | B | ||
A | ペルシカ | ……そうですね。教授、どうかくれぐれもご無事で! | C |
B | ペルシカ | ……どうか、くれぐれもご無事で!岸でお会いしましょう! | C |
C | {教授} | 私を信じて。 | |
ソル | 教授、アンナを頼んだよ。 | ||
{教授} | わかった。 | ||
ソルは先にペルシカを抱きとめ、 木の枝の空いた位置にアントニーナをつかまらせた。 | |||
ソル | アンナ、教授とここにいて。岸に戻ったら、すぐに助けに来るから! | ||
アントニーナ | ……わかりました。 | ||
アントニーナの答えを聞いて、ソルはようやく彼女の手を放し、 岸にいるエージェントに向かって叫んだ。 | |||
ソル | 縄を伝っていくから!しっかり引っ張ってて! | ||
??? | おまかせください! | ||
ソルは片手でペルシカを抱きかかえると、 もう一方の手と両足で縄を手繰り寄せ、岸へと向かって行った。 | |||
波が凪いでゆく。ソルとペルシカが順調に岸へと近づいているのを確認し、 私は波に揺られているアントニーナの手を引いた。 | |||
{教授} | アントニーナ、私につかまって。より安定するはずだよ。 | ||
アントニーナ | ……待って、放してください! | ||
アントニーナの激しい抵抗に遭い、私はすぐに手を放した。 | |||
{教授} | えっ……ごめん、こうしたほうが安全かなと思って…… | ||
アントニーナ | 違います!オディールの信号です!捉えたんですよ! | ||
アントニーナは懸命に空いた指を使って緑色のスクリーンを呼び出し、 変化し続けるデータと曲線を追った。 | |||
アントニーナ | あの渦潮の下だ……! | ||
アントニーナの言葉を聞いた私は、渦潮の中心を見た。 波が小さくなるにつれ、岩の裂け目がゆっくりと閉じられてゆく。 裂け目の先にぼんやりと、紫色の液体が波打っているのがわかった。 | |||
アントニーナ | 岸に上がったら、ソルによろしく言っておいてください、教授。 | ||
{教授} | アントニーナ?何を―― | ||
アントニーナは腰に巻かれた縄を振りほどいた。 岸から緑髪のエージェントの驚いた声がする。 | |||
次の瞬間、彼女は収束しつつある渦潮に飛び込み、波の下へと姿を消した。 | |||
(選択) | 1.アントニーナを追って地底に向かう。 | D | |
2.アントニーナを引き留める。 | E | ||
D | 迷っている時間はなかった。私は躊躇なく腰の縄をほどき、 アントニーナが消えたほうへ泳いだ。渦潮の威力は弱まりつつあった。 泳ぎは訓練で身についている。この程度の流れなら、進む方向を制御できるはずだ。 | ||
私は渦潮の周辺にたどり着いた。 真下にある岩の裂け目は、人が一人通れるだけの幅へと狭まりつつあった。 残された時間は少ない。 | |||
周囲を見渡しても、アントニーナの姿はなかった。 きっと岩の下へと潜ったに違いない。 | F | ||
E | 私はアントニーナを止めようと、とっさに水面下へと潜った。 だが渦潮の流れに沿って進む彼女との距離は、あっという間に開いてしまう。 | ||
迷っている時間はなかった。私は躊躇なく腰の縄をほどき、 アントニーナが消えたほうへ泳いだ。渦潮の威力は弱まりつつあった。 泳ぎは訓練で身についている。この程度の流れなら、進む方向を制御できるはずだ。 | |||
私は渦潮の周辺にたどり着いた。真下にある岩の裂け目は、 人が一人通れるだけの幅へと狭まりつつあった。残された時間は少ない。 周囲を見渡しても、アントニーナの姿はなかった。きっと岩の下へと潜ったに違いない。 | |||
前へ進むか、それとも退くか。 だがアントニーナを放ってはおけない。選べる道は一つだ。 | F | ||
F | 私は海底へと潜りながら、ペルシカに連絡を取った。 | ||
【通信接続中……】 | |||
ペルシカ | 教授!何があったんですか!?まさか、アントニーナさんが波にさらわれて……!? | ||
{教授} | ううん、彼女が自分から潜ったの。 地底からオディールの信号が検出されたみたい。 | ||
ペルシカ | そんな……身勝手な! | ||
{教授} | うん、私もそう思う。 でも、アントニーナはやみくもに動くようなタイプじゃない。 | ||
{教授} | 冒険してみる価値はある。 | ||
ペルシカ | 教授、まさか…… | ||
{教授} | 2人の方が勝算はあるし、4人よりも犠牲が少なくて済む。 | ||
ペルシカ | アントニーナさんを追うつもりですか!?いけません、危険すぎます!! | ||
{教授} | 心配しないで、なんとかなるから。それに、上にはあなたたちがいるでしょ? | ||
{教授} | あなたとソルはセクターのアドミニストレーターを探して。 その道のプロなら、海底のこれだけ大きな穴に気づかない道理がない。 | ||
{教授} | アドミニストレーターなら、岩を開く方法を知っているかもしれない。 もう一度裂け目が開けば、必ず合流できる。 | ||
ペルシカ | ……はい、わかりました! | ||
ペルシカ | こうなったら、あなたの判断を信じるしかありません。 | ||
ペルシカ | くれぐれもお気をつけください、教授!アントニーナさんを見つけたら、こちらに連絡を…… | ||
{教授} | わかった、連絡する。 | ||
通信が切れた時、私はすでに閉じかけている裂け目へとたどり着いていた。 | |||
私は黒紫色の洞穴を見据えると、覚悟を決めて中へと飛び込んだ。 | |||
やがて、視界は虚無へ帰した。 背後からは、穏やかな波の音がかすかに聞こえていた。 |