「エントロピー」がオアシスを襲撃する前。 某日、ピエリデスセクターの花園。 | |||
オデットは枯れた草花の傍に腰かけ、物思わしげに花園の中央を見つめていた。 | |||
オデット | んー……「ファンタジー」とは常規に反していながら、人々に愛されているもの……それなら、この花も「ファンタジー」なのかな? | ||
オデット | ううん、やっぱり…… | ||
オディール | オデット!ここにいたのね、探したわ。 | ||
オデットはハッとして立ち上がり、姉の視線を出迎えた。 | |||
オデット | インスピレーションが湧いたの、完成させておきたくって。 | ||
オデット | どうしたの、お姉さま? | ||
オディール | 「創作」は私たちのベースコマンドだけれど、今やコレクションをメンテナンスするオペランドすら足りていないのよ。あまり無駄にしては駄目。 | ||
オデット | もしかしたら、すぐに転機が訪れるかもしれないわ! | ||
オディール | もしかしたら、ね。私たち、いつまで存在していられるかしら? | ||
オディール | ほんのわずかでいい。消えてしまう前に、存在していた証を残せたらいいのに。 | ||
オデット | 私たちはまだ存在してる、きっと方法はあるわ。 | ||
オディール | そうね。ついていらっしゃい、お客様が見えているわ。 | ||
オデット | え?エージェントたちはもういないのに、どうしてお客様が? | ||
その時、オデットの視線が奇妙な光景を捕らえた。 | |||
大きなカバンを背負ったエージェントが花園の前に立ち、 生き生きとした目をくりくりと動かして、あたりを観察している。 | |||
??? | ほほ~~っ、こりゃまた立派な花畑だこって! | ||
??? | ほとんど萎えちまってるけど、リコにゃあわかるよォ。こりゃ、ベラボーな額を投入してるねェ……はぁ~ん、これこれ、このディットコインの香り! | ||
オディール | オデット、こちらは通貨トレーダーのリコさんよ。 | ||
オデット | リコさん?馴染みのトレーダーさんから、聞いた事があるわ!初めまして。 | ||
リコ | おっと、こりゃどうも……んっ?ランコに聞いたのかい? | ||
オデット | ええ、少しね。確か――リコさんは誰よりも優秀なトレーダーなんだとか! | ||
リコ | へぇ、あいつがねェ。なかなかわかってるじゃないか! | ||
リコ | で、なにかい、お前さんたちゃ絶賛創作中かい?入っちまってもかまやしないね? | ||
オディール | 心配いらないわ、どうぞ中へ。 | ||
オディール | 他のトレーダーさんがいらっしゃる事なんて、めったにないもの。ランコさんは別件でお忙しいのかしら? | ||
リコ | あいつなら、他のセクターに行ってるよ。お前さんたちの申請に関しては、リコが結果を伝えに来てやったのさ。 | ||
オデット | 前に提出した、オペランド支援についてのこと? | ||
リコ | え~、「システムから配給される現在のオペランド量では、ピエリデスセクターにある芸術品のあらゆる消耗をまかなえない。」 | ||
リコ | 「特殊な状況であるため、トレーダーにオペランドを支援して頂きたい……」 | ||
オデット | そうなの……リコさん、オペランドをもらえないかな? | ||
リコ | ふ~む…… | ||
リコ | お前さんたちゃ、ランコのお得意様だからね。申請は確かに持ち帰って、全トレーダーの採決を取りはしたけどさ…… | ||
リコ | やっぱり、承諾はできないねェ。 | ||
オディール | …… | ||
リコ | ……おやま、急に落ち込んじまったよ。 | ||
リコ | (ランコのヤツ、こーなるとわかってて、リコに押しつけやがったな!?) | ||
リコ | (貸しにしといてやる、今に見てろ!) | ||
オデット | …… | ||
リコ | だぁぁ~、そんな顔しないどくれよォ。トレーダーにゃトレーダーのルールってモンがあんだ。リコにだって、どーしよーもないさ! | ||
リコ | トレーダーの仕事はトレードすること。オペランドが流動しないことにはねェ。 | ||
オディール | それはつまり、ピエリデスが何かを提供しなければ、オペランドは得られないということ? | ||
リコ | そういやァ、ピエリデスにゃ美術品が山ほどあったっけね? | ||
リコ | その高精度レプリカがもらえンなら、申請が通らないこともないんだけど? | ||
リコ | このリコ直々に、他セクターに良い値で斡旋してやっからさ! | ||
オディール | あら……他セクターも芸術品を必要としていたの? | ||
リコ | あぁそうさ!たとえば、バーバンクなんかじゃこーゆーのが…… | ||
オデット | そんなのダメよ。 | ||
ふいに空気が固まった。 | |||
リコが仕方なさげな表情を浮かべる横で、オディールが溜息をついた。 | |||
オディール | オデット……わがまま言わないの。 | ||
オデット | レプリカなんて絶対にイヤ。二人が同意したって、絶対に作らせやしないんだから。 | ||
リコ | こいつァ困ったねェ。まずは二人で相談してみちゃどうだい?結論が出たら、リコを呼んどくれよ。 | ||
オディール | ええ、それでしたらまた今度。 | ||
オディール | お手数かけるわね、リコさん。 | ||
リコ | 商談を取り付けンのが、トレーダーの使命だ。どってことないさ。 | ||
リコは手を振って、小走りに花園を離れた。 | |||
ひとしきりの沈黙を経てから、オディールがオデットに手招きをした。 | |||
オディール | 座りなさい、オデット。 | ||
オディール | どうしてリコさんの提案に反対したの? | ||
オデット | そうすればオペランドが手に入るのはわかる。でも、私たちの使命と矛盾してるわ。 | ||
オディール | オデット。知っているでしょうけれど、マグラシアではセクターごとの目的によって、サーバーからオペランドが供給されているの。 | ||
オディール | けれど私たちが生み出し続けているものは、サーバーに計画外とみなされ、オペランド供給の変更条件を満たせない…… | ||
オディール | リコさんの提案を受け入れなければ、創作を続けられないどころか、ピエリデスの運営すら危ういのよ…… | ||
オデット | 私にだって、大変なのはわかってるわ、お姉さま。 | ||
オデット | 人間が消息を絶ってから、余分にもらえていたオペランドの供給もストップしちゃったし…… | ||
オデット | でも私たちは創作をやめられない。このままじゃ、オペランドはどんどん減っていってしまう。 | ||
オデット | 花園のお花もほとんど枯れちゃった。きっと、建物のコレクションも少しずつ消えていくんだろうな。 | ||
オディール | そうよ。どんなに輝かしい作品も、長く苦しい夜に零落してしまうわ。 | ||
オディール | リコさんの条件は易しいわ。いくつかレプリカを作るだけで、生き延びることができるのよ…… | ||
オデット | 完璧に複製できるものを、芸術と呼べるの? | ||
オデット | そんなの、ただの商品じゃない。私のベースコマンドは、そんなこと許さないわ。 | ||
オディール | 私たちのベースコマンドは全く同じよ。あなたはただ、自分がそうしたくないだけ。 | ||
オディール | そもそも、私たちが守っているものなんて、現実世界にあるオリジナルの複製品に過ぎないのよ。 | ||
オディール | レプリカを作るだけで芸術を守れるのに、それらが枯れるのに任せてしまって、本当にいいの? | ||
オディールはオデットを見た。 しかし、妹が以前のように悲しんでいる様子はない。 | |||
反対に、彼女の顔には自信に満ちた笑顔が宿っていた。 | |||
オデット | お姉さま、私ね、いい方法を見つけたの。 | ||
オディール | いい方法? | ||
オデット | ついてきて。 | ||
花園の中央、枯れた草むらの中に、一輪の紫色の花が静かに佇んでいた。 | |||
空には夜が訪れ、花びらからは幻想的な紫色の光が発せられている。 | |||
オデットはオディールの手を引いて、 不思議な花の傍へとしゃがみ込み、それをつぶさに観察した。 | |||
オディール | 夜でも光るのね、まるで花びらの上に星が咲いたみたい。 | ||
オディール | まさに、ファンタジーを定義するにふさわしいわ…… | ||
オディール | あなたが造り出したの、オデット? | ||
オデット | ううん、違うわ。 | ||
オデットは神妙な面持ちで、オディールに向かって瞬きしてみせた。 | |||
オデット | この子の成長を許すだけで、オペランドをたくさん生み出してくれるのよ…… | ||
オデット | きっと、神さまからの贈り物に違いないわ。 | ||
…… | |||
「そう……その時から、運命の輪は回り始めたのです」 | |||
「物語の続きを、これからお聴かせしましょう」 |