ピエリデス 暗域 PART.5 食い違い

Last-modified: 2024-11-27 (水) 21:26:48

オアシス、D71臨時観察拠点、会議室。
 広いとは言い難い会議室に、白衣を着たエージェントが大勢詰めかけている。
彼らは室内に散らばり、手中のファイルを交換しながら、ひそひそと話し合っていた。
ボニー皆さん揃ったみたいですね……こっ……これより会議を始めます。
だらしないエージェントだからさぁ、今ウィルスの増殖形式を討論したって何の意味も……
几帳面なエージェントだったら、なにが問題だっていうの?
ボニーみ、皆さん……お静かに……!
だらしないエージェントさっきから言ってんじゃん、肝心なのは……
ボニーみ、みな……皆さん……皆さん、静かにしてくださぁぁい!
だらしないエージェントあん?
ボニーヒッ……ご、ごごごご、ごめんなさい……
イムホテプ……皆さん、お静かに!
 ボニーの傍に立っていたイムホテプは、こうなることを見越していたようだった。
彼女はデスクを二度ほど力強く叩いて、皆の注意を前へと向けさせた。
イムホテプボニーさん?
ボニーファッ!?は、はい……だ……第二回医療共有会議を始めます。A班の責任者の方から、進捗をご報告頂きます。
フローレンスはいはい、進捗ね。理論段階はすでに終えてるよ、今は……
イムホテプフローレンスさん。ここには初めましてのお医者様が大勢いらっしゃるの。最初からご説明頂ける?
フローレンス……チッ、面倒だね。
フローレンス私はA班を取り仕切るフローレンス。私たちは、ウィルスのソースコードを研究している真っ最中なの。
フローレンスつ・ま・り、コンピューターウィルスの、一番敏感で一番ふか~いところにあるアレだよ。喩えれば、DNAみたいなものかな。
フローレンス教授たちはウィルスの発生源を探しに行ったけど、それだけをアテにするわけにもいかないでしょ?
フローレンスというわけで!理論構築はすでに終わったから、これから臨床実験を始めるつもり。以上。
イムホテプ臨床実験……具体的な状況をお聞かせ願えないかしら?
 フローレンスは眉を吊り上げ、
ロングデスクのもう一方に座るパナケイアを一瞥してほくそ笑んだ。
フローレンスえぇ……どうしても聞きたいの?本当に言っちゃうよぉ?
フローレンスすでに100種類以上に及ぶ特殊配列を手に入れてる。ソースコードの生物学的標的は、その中にあると見て間違いないね。
フローレンス残念ながら、計算による論証は限界に近づいてる。研究を進めるためにも、直接臨床実験段階に入ろうと思ってるの。
フローレンス早い話が、指標をリセットしたいってことね。
ボニーし……指標を、リセットぉぉ!?
イムホテプ……それは、死亡指標のことを指しているの?
フローレンスま、そんなとこ。意味は大体合ってる。
フローレンスオアシスにもいるよね?助かりそうにないエージェントがさ。
 バンッ――
パナケイア駄目です!
フローレンスパナっちってば、マジメになっちゃって。だから言いたくなかったんだよね~
 パナケイアは満面の笑みを浮かべるフローレンスを無視して、発言を始めた。
パナケイアA班班長の要求には同意しかねます。患者が生きている限り、医者はそれを救うべきです。
フローレンスあぁ、なんて眩しい!パナっちは天使だね!
イムホテプ静かになさい、フローレンスさん。
フローレンスはーい……
イムホテプそれじゃ、パナケイアさん。B班の研究についてご紹介頂ける?
パナケイアもちろんです。教授がソースコードを見つけにご出発なされたからには、患者の容体を安定させるのが私たちの役目。
パナケイア我々B班が開発した薬剤なら、ウィルスの進化を大幅に抑えることができます。アントニーナさんの救急コードと組み合わせれば、すべての患者にシークエンシング可能です。
パナケイアこれが最も安全な手段です。感染を一種のコンピューターウィルスによるものではなく、数百種のウィルスとみなして研究を行うのです。
 パチパチパチ――
 黙っていたフローレンスが、にわかに拍手をしだした。
フローレンス最も安全なんじゃなくて、最もバカな手段の間違いでしょ?
フローレンス素晴らしい演説だったよ、パナっち。ほんっと、完璧なプランだよね。
フローレンス具体的な進展が一切ないことを除けば、B班の研究はまさにサイコー。
パナケイア何が言いたいの、フローレンス?
フローレンスだから、具体的な進展がひとつもないって言ってるの。
フローレンス患者の容体を安定させてから、一人ずつ対処していくって?ウィルスをなんだと思ってるの?まさか、教授の受け売りじゃないよね?
フローレンスあのセクターじゃ散々な目に遭ってたくせに、教授に拾われてからもその体たらくとはね。
フローレンス「おやおや~、パナっちが困ってるみたい。教授がソースコードを持ち帰るまで、進化せずに大人しくしていよう!」な~んて、ウィルスが考えると思う?
フローレンス冗談よしてよ。私たちはね、死神とレースしてるも同然なの。負けた方は身ぐるみ剥がされちゃうんだから、一枚残らずね。
パナケイアまだ起きてすらいないことに、よくそこまで極端になれたものね?フローレンス、あなたのそれは人助けなんかじゃない、殺人よ。
ボニーあ……あああの……お二人ともケンカはやめてください!
フローレンスケンカなんかしてないよ、パナっちと現状を分析してるだけ。
パナケイアめちゃくちゃなのよ、フローレンス。そんなの単なる推測に過ぎないわ。
フローレンス知らないの?現実は推測から来てるんだよ。感染がどれだけ恐ろしいか、パナっちも見たでしょ?
パナケイアあなたね――!
イムホテプそこまで!
 ボニーとともに会議の進行役を務めていたイムホテプが、
事態をみかねて勢いよくデスクを叩いた。
会議室が再び静かになった。
イムホテプどちらも納得いかないのなら、規定に基づき投票を行いましょう。
イムホテプ投票結果を議決とみなし、票数の多かった方に医療センターの全リソースを提供するわ。
フローレンスえ~……またそれ?教授がいたら、こんな臆病なマネしなくて済むのに。あ~あ、教授が恋しい。
パナケイアあのお優しい教授が、仲間の命を危険に晒すはずないわ。
フローレンスさて、それはどうかな?
 数分後、投票の結果が出た。
 A班とB班、それぞれの投票数は――
パナケイア引き分け!?どうして……あなた方、一体何を考えてるんです?!
イムホテプパナケイアさん、落ち着きなさい。引き分けとなれば、医療センターはいかなる一方も支持できないわね。
イムホテプ数時間後に、第三回医療共有会議を開くわ。班長のお二人の、より詳細かつ具体的なデータとプランを期待して。
フローレンスちぇっ、時間の無駄だってのに。それじゃ、お先に~
パナケイアフローレンス!
ボニーパ……パパパ、パナケイアさん、どうか怒らないで……
ボニーこんな時です、もっと大事なことに体力を使ってください。
パナケイア……うん、わかった。ありがとう、ボニー。
 
 オアシス、D71臨時観察拠点、B班実験室。
 オペランドの凝縮液が、パナケイアの操作で試験管へと注がれてゆく。
化学反応は完了間近だ。
 しかし肝心な時に、パナケイアがオペランドの制御を緩めてしまう。
データが過剰に流れ込んだせいで、試薬はたちまちオシャカになった。
パナケイア……
パナケイア67号の薬剤配合の原料を取って、もう一度試してみるわ。
メガネのエージェント……
パナケイアどうしたの?
メガネのエージェントあの、パナケイアさん。少しお休みになったらどうですか?
もう5回も実験に失敗していますよ。
メガネのエージェントあなたのルールだと、3回失敗した時点で、一旦状態を整えるはずでは?
パナケイアあ……
パナケイアそうね。ごめんなさい、気が急いていたみたい。冷静にならなきゃね。
メガネのエージェントA班が心配なんですか?
パナケイア……うん。明日もし、フローレンスが完璧なデータとプランを出して来たら、って考えちゃって。
メガネのエージェントありえませんよ……それに、先輩方は必ずB班を支持してくださるはずです。
なにせ、あなたが正しいのは明白なんですから。
パナケイア違う……そうじゃないの……
 パナケイアの瞳が、一瞬のうちに暗くなった。
パナケイアフローレンスの言う通りよ、私たちには何の進展もない。
メガネのエージェントそんなまさか!
あれだけのエージェントの容体を安定させたのに!
パナケイアだから?この種のコンピューターウィルスは、凄まじい速度で進化し続けてる。フローレンスの言う通りなのよ。私たちは、対症療法を施しているに過ぎない……
パナケイアいずれは、ウィルスに薬物耐性が備わってしまう……
メガネのエージェント……妥協するおつもりですか?
フローレンスさんが患者を実験に使っても、かまわないと言うんですか?
パナケイア……
メガネのエージェント確かに、私たちの方法では限界があるかもしれません。
ですが、プロセスを無視して強制的に臨床段階へと入るのは、我々の初志に背きます。
メガネのエージェント私たちが選ばれないからと言って、A班の過激なやり方に賛同すべきだとは思えません。
パナケイア……そうよね。何があったとしても、極端に走るのは良くないわ。
 パナケイアは深呼吸をして、デスク上の書類データを整理し始めた。
パナケイアフローレンスに会ってくるわ。今ある成果をもとに、新しい方向性を探るよう説得してみる。
メガネのエージェントい……今ですか!?
パナケイア今よ!