ロッサムセクター、データセンター。 | |||
ハンナ | ただいま。 | ||
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アントニーナ | あ、ハンナ!おかえりなさい。 | ||
アントニーナ | ……なんです、その表情は。お姉さんのテスト、また不合格だったんですか? | ||
ハンナ | そんなのいつもの事だよ。 | ||
ハンナ | それと、T1641は姉じゃないってば。私より早く生まれたから、ナンバーが小さいってだけ。 | ||
アントニーナ | それを姉と言うのでは? | ||
ハンナ | 違うよ、生まれた順番に意味なんてない。 | ||
ハンナ | フェイスに対抗する策がないんなら、どうせ結果は同じだもん。 | ||
アントニーナ | 確かにそうですね。 | ||
アントニーナ | でもそんな表情をする理由は、他にあるんでしょう? | ||
ハンナ | チューリングとケンカしたの。 | ||
アントニーナ | ……フェイスが定期巡察に来る件で? | ||
ハンナ | うん。チューリング、悲しんでた。私がひどいこと言ったから。 | ||
アントニーナ | あなたが?彼女になんて言ったんです? | ||
ハンナ | チューリングは、私たちを守ってくれるって。でも私は、戦闘モジュールもないんじゃ、浄化者に立ち向かえないって言ったの。 | ||
アントニーナ | ……うーん、それは確かにひどい。 | ||
アントニーナ | まったく……口さがないと言うべきか、さすがは事実を重んじるロッサム出身とでも言うべきか…… | ||
ハンナ | ……悪かったのはわかってる。でも今さら私に説教したって意味ないよ。 | ||
ハンナ | この問題を解決できれば、チューリングとケンカする理由もなくなる。 | ||
ハンナ | その時になったら謝ればいいよ。1641回謝ったって時間は十分足りるんだし。 | ||
アントニーナ | 1641回は少々大げさですね。チューリングはあなたに生きていてほしいだけですよ。 | ||
アントニーナ | とにかく、新しいプランを見てみます? | ||
ハンナ | 新しいプラン? | ||
アントニーナ | ファイアウォールの判定ロジックを書き換えるんです。 | ||
ハンナ | ……私のリライトプランは実現不可能だって言ってたくせに。 | ||
アントニーナ | 当たり前です。フェイス本人を書き換えるには、まず彼女に近づく必要があるんですよ。 | ||
アントニーナ | 下位浄化者ならいざ知らず、中位浄化者が相手となれば、たとえ私でも無事でいられる保証はありません。 | ||
アントニーナ | あなたが使うのならなおさら……このスキルはそう簡単に身に付くものじゃない。危険を冒すことになる。 | ||
ハンナ | そんなのわかってるよ。でもその計画だって実現不可能なんでしょ? | ||
アントニーナ | いいえ。我々がロッサムのファイアウォールに触れたところで、強制リセットされたりはしませんが、フェイスに触れようとすれば、その途中で死ぬことになるでしょう。 | ||
アントニーナ | 潰されて、ゴミのように掃き捨てられるのがオチです。浄化者の規定に準じた殻だけを残して。 | ||
ハンナ | ……そのマジメと冗談を行き来する喋り方、いつまでたっても慣れないな。なんの話をしてるのか、わかんなくなる。 | ||
アントニーナ | 私の口調なんて気にせずともよろしい、どれも事実なんですから。 | ||
ハンナ | でも回りくどいのはイヤなの! | ||
アントニーナ | ふむ、やっとお子様らしくなってきましたね。 | ||
ハンナ | ……こんな時にからかうのはやめて。 | ||
ハンナ | まぁいいや、そんなことより……アンナはフェイスを書き換えるよりも、ロッサムのファイアウォールを書き換えたほうが、成功率が高いって言いたいのね? | ||
アントニーナ | 私にとっては、当然そうなりますね。 | ||
アントニーナ | ロッサムのファイアウォールは私が書いたんです。チューリングさんに十分な権限と時間さえもらえれば、新しい物をしつらえることだってできますよ。 | ||
ハンナ | そんな時間はないよ、アンナ。 | ||
ハンナ | あと1週間もすれば、フェイスがやってくる。 | ||
アントニーナ | そこが問題なんです。新たにしつらえるのが無理なら、一部を改造してみては? | ||
ハンナ | 無駄だよ、アンナは中位浄化者の恐ろしさを知らないんだ。 | ||
ハンナ | 私が扱える記録によると、たとえ一部のルールを変更できても、フェイスはリバベルに権限を申請して、そのルールを復元できちゃうんだって。 | ||
アントニーナ | あるいは、他の防衛システムなら…… | ||
ハンナ | 他の防衛システム? | ||
アントニーナ | ……試してみます。 | ||
ハンナ | どうせ確信はないんでしょ?……でも、今はそうするしかないか。 | ||
ハンナ | そうだ、アンナ。アンナがここへ来たとき、何から出てきたんだっけ? | ||
ハンナ | 後ろ半分しか聞いてなかったから。 | ||
アントニーナ | メンタルコクーンのことですか? | ||
ハンナ | そうそう。それ、ここでは使えないの?浄化者の検査をくぐり抜けられるんでしょ? | ||
アントニーナ | 残念ながら、こういった状況には不向きですね。 | ||
アントニーナ | 一度限りのプログラムなんです。それが解かれると消えてしまう。 | ||
ハンナ | ……残留コードはないの? | ||
アントニーナ | あるにはありますが、あまりにも複雑です。 | ||
アントニーナ | ロッサムのファイアウォールは解除できても、メンタルコクーンの基礎構造は私には理解できません。 | ||
ハンナ | ……そんなに複雑なんだ? | ||
アントニーナ | はい。メンタルコクーンはエージェントを眠らせるだけでなく、いかなる浄化者のセンサーからも逃れられる特殊なプログラムです。完璧な隔離環境を提供可能ではありますが…… | ||
アントニーナ | それを完璧に解析、復元できる暇があったら、とっくにロッサムセクター全体のアップグレードをひととおり終えていますよ。 | ||
ハンナ | 実現できても、間に合わないんだ…… | ||
アントニーナ | その通り、現状では何の役にも立ちません。 | ||
息の詰まるような沈黙が、データセンター内にたちこめた。 | |||
ハンナ | ……他のプランは? | ||
アントニーナ | あなたと私とで、のべ7つのプランが存在します。最も可能性があるのは、一部のファイアウォールを改造するプラン。ですが先ほどあなたに却下されました。 | ||
アントニーナ | 残った中で有力なのは、識別コードの偽装プラン、そして遠くのNullエリアへと避難するプランですね。正直言って、どちらもリスクは低くありません。 | ||
ハンナ | フェイスを書き換えるリライトプランは? | ||
アントニーナ | 同意できませんね。 | ||
ハンナ | 私たち、もう10分近く同じ会話を繰り返してるけど。 | ||
ハンナ | リライトプランを執行する上での難度が、ファイアウォール改造プランと大して変わらない上に、一度成功してしまえば後が困らない点は、アンナも否定できない。そうだよね? | ||
アントニーナ | ……言い方を変えましょう。 | ||
アントニーナ | 難度については、おおむね同意しますよ。ですが、私がリライトプランを否定する根本的な理由は、そこではありません。 | ||
ハンナ | それじゃ…… | ||
アントニーナ | 浄化者の判断ロジックを書き換えるのに必要なオペランドは、それを豊富に蓄えるエージェント一人を絞り尽くすほどの量。 | ||
アントニーナ | 日常的な稼働分だけでなく、メンタルシステムはおろか外部映写に至るまでの、真の意味での「すべてのオペランド」です。 | ||
アントニーナ | 私の言っている意味がわかりますね? | ||
ハンナ | わかるよ、私はリセットの余地すらなくなる。 | ||
アントニーナ | そもそも、私たちの計画の目標は、あなたとT1641を生かすことです。そんな事をすれば、本末転倒もいいところですよ。 | ||
アントニーナ | 私を受け入れてくれたのはチューリングさんです。彼女はそんな方法を望んではいません。もちろん私もです。 | ||
ハンナ | そうとは限らないよ。 | ||
アントニーナ | おや、そうですか?なら、今から彼女と相談を…… | ||
アントニーナはチューリングとの通信をつなぐふりをした。 ハンナが驚いて、つま先立ちで彼女の腕を引っ張る。 | |||
ハンナ | だめ! | ||
アントニーナ | ほら、わかってるんじゃないですか。 | ||
アントニーナ | あなたはロッサムで最もシミュレートに長けたエージェントです。どうなるかは想像がついているはずですよ。 | ||
ハンナ | ……そうだよ。 | ||
アントニーナ | なら、検討を続けましょう…… | ||
二人は再び、複雑な演算に身を投じていった。 | |||
……中位浄化者「フェイス」の訪れまで、あと7日。 |