懸光昇変 PART.1 クイーンの危機

Last-modified: 2025-02-16 (日) 22:51:38

 ――チェスなんてどうかな?
僕が勝ったら、君には僕と来てもらう。
 ――チェスぅ?
その手のゲームをミジンも知らぬ新生エージェントへの条件にしては、
いささか不公平ではおじゃらぬかえ?
 ――心配いらないさ、僕だってまだ未熟だ。
こういった人間のお遊びは、僕たちのコードに記されていない。
見様見真似に過ぎないよ。
 ――なぜそうも人間に執着するのか、まろには理解不能でおじゃる……
で?それを信じる根拠は?
 ――僕の記憶データを見てかまわない。
僕のすべての過去を君に明かそう。誠意を示すには十分だろう?
 ――ほぅほぅ。
過去などに興味はおじゃらぬが、そちはげに趣深いでの。
 ――つまり、同意するんだね?
 ――よかろ、ルールを教えるでおじゃ。
 
>> CHAPTER // 懸 光 昇 変 . . .
 
システム【……システム損傷率30%以上、安定した稼働を維持できません】
システム【スリープモードに移行して、システムの修復を行いますか?】
ペルシカ……行わない、強制起動。
システム【メンタルシステムを強制起動しています……】
 ぼんやりとした光景が撮像面に重なり合い、鋭い電磁ノイズが何度も擦れ合う。
 ペルシカは身を起こして立ち上がった。
激しい耳鳴りがしている。
ペルシカ……うぅっ……ど、どうなってるの……?
ペルシカ……い、痛い……視覚システムが損傷した?たしか、G区画の医療小隊のもとで……
ペルシカシーモさんと通信していたはず……
 いくつかのキーワードに反応して、滞っていた記憶データが
メンタルモジュールへと一気に押し寄せた。
ペルシカハァッ……ハァッ……
 意識を較正し終えると、視覚情報が次々と蘇ってくる。
シーモこちら偵察小隊、ロッサム方面からのエントロピーの増援は止んだようです。
ペルシカエントロピーの主力を他に向かわせたんだわ。おそらく、教授たちのほうへ……
ペルシカですが、これは形勢を立て直す絶好のチャンスです。この機会を逃すわけにはいきません。
シーモG区画のサンドボックス障壁を取り戻すんですね?
ペルシカええ。シーモさん、あなたはどう思われます?
シーモ僕も賛成です、それからマグニルダさんも。察するに――
シーモ「自分たちの考えでやってみなさい、きっと大丈夫」――教授だったら、必ずそう言うでしょうから。
ペルシカありがとうございます、シーモさん。後方を含めた全戦力を集めてください、戦線を動かします!
シーモ了解――待ってください、ペルシカさん!様子が変です!
シーモロッサムのほうから……エネルギー……異常な……干渉……
ペルシカシーモさん?変ね、通信が――
シーモ早く……逃げて……遮蔽物に隠れて!
 キンッ――
 遠くからの奇妙な音と同時に響いたのは、
突如部屋へと現れたイムホテプの叫び声だった。
イムホテプ伏せて、ペルシ――
 ドンッ!ドンッ!ドンッ!
ペルシカ!!!
 にわかに出現した光の束が、視覚システムの表層を掠める。
ペルシカは思わず目を閉じた。彼女は強烈な痛みの中、
自身の体が勢いよく吹き飛ばされて、地面に重々しく叩きつけられるのを感じた。
 その光は、まだメンタルシステムの中をちらついている。
続いていくつもの爆発音が鳴った。
 やがて、すべてが静寂へと帰すまで。
 ……
ペルシカ……そうだ、ここはG区画……
ペルシカいったい何が起こったの……戦いは順調だったはずなのに……なぜいきなりこんな……
ペルシカううん……そんなこと考えてる場合じゃない!
ペルシカみんなはどこ……シーモさん……イムホテプさん……!?
 ……
 視覚システムは依然、朦朧としている。
呼びかけに応える者はいない。
システム【警告、システムがオーバーロードしています】
【メンタルデータ錯乱率16%、16.5%、17%……】
ペルシカみんな……
ペルシカ大丈夫、きっと大丈夫。
落ち着いて、落ち着くのよ、ペルシカ……
ペルシカ通信機が、ない……みんなを探さないと……
 ペルシカはぼんやりとした視界の中を模索しつつ進んだ。
今や廃墟となった道を慎重に歩んでゆく。
ペルシカシステム……視覚モジュールの起動をもっと速く。
システム【オペランドが足りません、メンタルシステム錯乱率27%】
【修復作業には時間がかかる見込みです】
ペルシカ(あちこち瓦礫だらけだわ……それに、何かが燃えるような音が……)
ペルシカ(あの時……浄化者に襲撃された時とよく似てる……)
 
 
クロックペルシカ!サンドボックス障壁が破壊された、浄化者がオアシスの外環部分に侵入してきてる!
クロック戦闘モジュールが突破されて、外環のエージェントたちが……それに、せっかく建てた施設まで……
 ペルシカは大破した司令室から外を眺めた。
かつての我が家は、すでに戦火に覆われている。
ペルシカシステムに強制接続した衝撃で、教授が意識を失っています。まずは、先ほど教授のおっしゃった通りに作戦を進めましょう。
クロックもし、戦闘モジュールの起動に失敗して、きょうじゅが目覚めなかったら……どうするの?
ペルシカ……私は教授を信じています。
 
ペルシカ(……そうだ、教授を信じなくては。教授ならきっと、戻って来られる)
ペルシカ(落ち着いて、考えをまとめるのよ)
(できるだけ早く視覚モジュールを起動し終えないと……)
(みんなを探して、オアシスの損傷状況を確認しなきゃ……)
ペルシカ(シーモさん、イムホテプさん、マグニルダさん……)
(皆さんどうか、どうかご無事で!)
 瓦礫につまづいて、ペルシカが地面へと倒れ込む。
その拍子に、鋭い切っ先が彼女の手のひらを切り裂いた。
オペランドとともに、傷口からぬくもりがゆっくりと流失してゆく。
ペルシカ(教授が、いなければ……)
システム【警告、システムがオーバーロードしています】
【メンタルデータ錯乱率33%、33.5%、34%……】
【視覚システム起動中止】
ペルシカ……だ、だめ!だめよ!!起動を続けて!
ペルシカ(考えちゃ駄目、とにかく冷静になるのよ……冷静に)
????……ペルシカさん、ペルシカさんなの?
ペルシカえっ……!?
ペルシカイ、イムホテプさん!?
イムホテプええ、私よ。驚かせちゃった?具合はどう?
 馴染みのある声を聞いて、強張っていたペルシカの緊張が一気にほぐれた。
ペルシカあぁ……
ペルシカご、ごめんなさい。あなたがご無事でよかった……
視覚モジュールにエラーが起きてるみたいで、今、修復しているところです。
イムホテプ容態がずいぶんと酷いわ……慌てないで、私が手当してあげる。
ペルシカう……
 イムホテプはペルシカの手を取った。
彼女の手を伝って、暖かなオペランドが体内へと流れてくる。
 視覚モジュールはようやく正常に稼働し始めた。
激しいノイズが乱雑とした音に変わり、重なり合った光景が再び焦点を結ぶ。
ペルシカあぁっ……イムホテプさん!お顔が……!!
イムホテプ心配いらないわ。動物たちの引っかき傷に比べたら、こんなの大したことないもの。
イムホテプそれよりも、あなた。視覚システムだけの問題じゃないわね――
ペルシカ私は平気です。オアシスの状況は?
イムホテプG区画の少数のエージェントたちと合流したわ。助けを求める声が聞こえて、ここへ駆けつけたの。一部の者は重症よ、医療部門がまだ使えそうな機材の修復に当たってる。
ペルシカやっぱり、被害は甚大なようですね……いったい何があったんですか?
イムホテプ……
ペルシカイムホテプさん?
イムホテプ……私にも、はっきりとは。だけど……
 ペルシカはイムホテプの視線を追って、遠くに目を向けた。
皆に安心感をもたらすはずのサンドボックス障壁はすでになく、
入れ替わりに直径1キロにも及ぶ巨大な裂け目が広がっていた。
 サンドボックス障壁の裂け目から、空白地帯と化した焦土が、
オアシスの内部へとまっすぐ伸びている。
まるで、オアシスという図面に消しゴムを走らせたかのように。
イムホテプいきなり発せられたビーム光に、サンドボックス障壁が貫かれて、
オアシスの一帯が空白地帯になったの。
ペルシカビーム光……それに、この威力……
ペルシカロッサムです……ロッサムセクターの自衛設備に違いありません!
イムホテプロッサムにそんな武器が……?でも、どうして私たちを攻撃してきたの?
イムホテプそれに、あそこには教授がいるはずじゃ……
ペルシカ……教授、そうだ、教授……
ペルシカロッサムで何かあったんです。イムホテプさん、通信機をお借りできますか?すぐにでも教授に連絡しないと。
イムホテプ……
システム【セクター間通信を立ち上げています……】
システム【エラー、応答なし】
ペルシカもう一度お願いします!
イムホテプペルシカさん。オアシスの中央信号塔は、すでにビームで破壊されてるわ。
イムホテプ何度も試したけれど、外部との通信手段は完全に絶たれてる。オアシス内部の通信が生きているのは、不幸中の幸いかしらね。
イムホテプだけど、壊されたのは信号塔だけじゃない。このあたりに集まっていたインフラ設備のほとんどが破壊されているの。
ペルシカ急な襲撃にしてはピンポイントすぎる……あらかじめ計画されていたんだわ……
ペルシカ教授に……何かあったんだ……
 結論を導き出したペルシカの目が暗くなる。
体がぐらつき、今にも倒れそうだ。
イムホテプペルシカさん?
ペルシカへ、平気です、わ、私……ハァッ……私……
システム【警告、システムがオーバーロードしています】
【メンタルデータ錯乱率46%、46.5%、47%……】
【速やかにスリープモードへと移行してください】
 目前の景色が、再び朦朧としだす。
ふいに、聞き慣れたあの声が耳元に響く。
 
ペルシカ教授、やはりロッサムへは私が。
ペルシカあなたが戦場に出るのは危険すぎます。それに、私一人にオアシスを任せるだなんて……
{教授}どうした、自信がないのか?
ペルシカそ、そういうわけじゃ、私はただ……いえ、仰る通りです。
{教授}そう緊張するな、ペルシカ。
ずっと一緒に戦ってきたんだ、君の能力はよく知ってる。
{教授}オアシスを、私たちの家を頼んだよ。
大丈夫、君にならできるさ。
 
ペルシカ(オアシスは襲撃された)
(私は、私たちの家を守れなかった、ごめんなさい)
ペルシカ(教授は、失敗したの?まさか、あの教授が?)
ペルシカ(あの時、あなたの代わりに私が向かっていれば、こんなことには……)
ペルシカ(だけど、教授ですら成し遂げられなかったことが、私にできるわけない)
システム【警告、システムがオーバーロードしています】
【メンタルデータ錯乱率57%、57.5%、58%……】
【まもなくシステムがシャットダウンします――】
ペルシカ……システムの警告オフ。
イムホテプペルシカさん……
イムホテプ……ごめんなさい!緊急事態なの、どうか許して!
ペルシカえっ!?
 突然、イムホテプが注射器を取り出し、
破けて露わになったペルシカの皮膚めがけて、それを精確に突き刺した。
ペルシカな、なな、なんのつもりですか!?
い、いきなり注射するなんて、フローレンスさんじゃあるまいし!?
イムホテプ医者のちょっとしたテクニックよ。どう、少しは冷静になった?
ペルシカあ……
システム【メンタルデータ錯乱率7%、システムは安定しています】
ペルシカはい……ありがとうございます、イムホテプさん。
 混乱から醒めたペルシカは、口を開いて何かを言いかけた。
だが、すぐにそれも飲み込んでしまう。
 彼女はイムホテプの顔の傷を一目見て、
次にサンドボックス障壁に開いた巨大な穴に視線を移す。
ペルシカ教授は、私にオアシスを託されました。こんなことで倒れるわけにはいかない……絶対に。
ペルシカオアシスは、私が守ります。
イムホテプその調子!それでこそ私たちの猫ちゃんよ!
ペルシカありがとうございます。司令部は無事なようですね、あそこに戻らなくては。
ペルシカ障壁は破壊された、ここはすぐに戦いの最前線となるでしょう。イムホテプさん、負傷した方たちを探して、できるだけ早くここから撤退してください。
イムホテプ……わかったわ。どうか無理はしないで。それと――
イムホテプ教授は、きっとご無事よ。彼を信じましょう!
ペルシカはい!
エントロピーギギギッ……ギガガガガッ……
エントロピーガァァァァーーーッ!!!
 突如鳴った雄叫びが、二人の会話を遮った。
サンドボックス障壁の裂け目から侵入してきた紫色の怪物が、
粘ついた音を立てて、建物を端から少しずつ呑み込もうとしている。
 すると銃声、そして砲撃音が鳴った。
エントロピーの出現が爆薬に火を点けたのだ。
オアシスの反撃が始まる。
イムホテプペルシカさん、ここは私にまかせて。
ペルシカわかりました、無理はなさらずに。どうしようもなくなったら、安全な場所に避難してください。
イムホテプ心配しないで、どうすべきかはわかってる。
イムホテプそうだ、通信端末を……
 イムホテプは通信機をペルシカに渡した。
イムホテプ司令部までの道のりで使って。私は他のエージェントを見つけたら、彼らの通信機から司令部に救援を要請するわ。
ペルシカわかりました、ここは頼みます。
 ペルシカは通信機を受け取って、大きく深呼吸をした。
そして司令部のある方角へと走った。
システム【セクター間通信を立ち上げています……】
ペルシカだめ、教授を信じるのよ、できることから取り掛かるの。
 ペルシカは頭をふって、雑念を振り払った。
システム【セクター間通信を終了します……】
【ローカル通信を立ち上げています……】
ペルシカ司令部、こちらペルシカ。応答せよ。
ペルシカ今、G区画から司令部に向かっています。各部門の責任者に連絡し、オアシスの現状を報告させてください。あらゆる情報が必要なんです!
ペルシカ繰り返します、こちらはペルシカ。司令部、応答せよ。
 …………
?????……ペルシカ?
ホライズンえーっと……こちらはホライズン。