懸光昇変 PART.16 交わる決意

Last-modified: 2025-02-16 (日) 23:12:16

オアシス、G区画第二防衛線、臨時司令部。
ボニーペルシカさん、次の負傷者が到着しました!
ペルシカ了解です。9時の方向へお連れしてください、そちらに医療設備を用意しておきました。
ペルシカちょうど戦況が安定しているようですね、ここは私が!
ボニーあれっ、アンナさんは?
ペルシカ現在、障壁のオペランドがクラゲエントロピーに吸収されています。それを制すると言って、障壁へ向かわれました。
 ペルシカは指揮端末のスクリーンから視線をそらし、
後方スタッフを指揮して、負傷したエージェントたちの処置を急いだ。
ペルシカ……なんてひどい……
ボニーはい……もう負傷者を安置できる場所がありません。A区画の防衛ノードが死守されたそうなので、そちらに臨時医療施設を……
???ペルシカ、ペルシカがいるの……?
ペルシカクロトさん、私はここです。
 聞き慣れた呼び声を耳にし、ペルシカは身を屈めて彼女の手を取った。
ペルシカ大丈夫ですか?
クロト問題ない、ヘルが攻撃を防いでくれたから……
クロトレイシーは、センタウレイシーは……?
ペルシカセンタウレイシーさんは……
 エントロピーに襲撃された彼女は現在、抑制剤で感染の重症化を食い止めている状態だ。
30分前、ペルシカがセンタウレイシーにオペランドを注入したのを最後に、
彼女は昏迷状態に陥っている。
 ――ペルシカはそれを告げられなかった。
ペルシカセンタウレイシーさんでしたら、ご無事ですよ。安心して治療を受けてください。
クロトよかった、レイシーは無事……
クロトゴホッ……嘘をついた。本当は、体がひどく痛む。だけど、レイシーの焼いたクッキーが食べられるなら、この痛みも我慢できそう。
ペルシカ……傷が酷いです。喋らないで、今はゆっくり休憩なさってください。
クロトええ。なんだか眠い……おやすみ、なさい……
 ペルシカはクロトの手を握ったまま、温かなオペランドをクロトの体へと送った。
彼女の傷口が、ゆるやかに回復し始める。
ボニー戦いを指揮しながら負傷者の治療もしてるのに、オペランドをそんなに使ったら、ペルシカさんのメンタルが……
ペルシカありがとうございます、ボニーさん。私は大丈夫ですよ。クロトさんの応急処置は済ませました。あとはお願いできますか。
 ペルシカは立ち上がって周囲を見た。
負傷したエージェントたちによって、臨時司令部は埋め尽くされつつある。
この小さな部屋は、もはや死に最も近い場所となっていた。
ボニーあの……方針はこれまでと同じですか?
ペルシカはい。できる限り治療を行いますが、施しようがない場合は強制スリープさせます。オペランドが足りないか、対処できない問題があれば、私に声をかけてください。こちらで対応します。
ボニーな、なら、ペルシカさんのオペランドは……?
ペルシカ心配いりませんよ、程度はわきまえていますから。ソルさんたちが、私たちのために時間を稼いでいます。
ペルシカ私のオペランドが底を尽きそうになったら、総員エニグマセクターへと撤退しましょう。オアシスの全エネルギーコアを起爆することで、上位エントロピーを屠ります。
 ペルシカは窓の外を見た。その様子を眺めていたボニーの目には、
今にも倒れてしまいそうな、儚い人影が映っている。
ペルシカもうこれ以上、死を背負う必要なんてないのに……
ボニーペルシカさん、やっぱり休んだほうが――
ソルペルシカ!誰が来たと思う!?
 突如部屋へと押し入ってきたソルを見て、ボニーが驚く。
ソルあれっ、ボニー?ごめん、驚かせちゃった?
ボニーだ、だだだ、大丈夫ですっ……!
 胸を撫で下ろした後でボニーが目を上げると、
音に驚いたペルシカも、同じようにこちらを振り向いていた。
 だが、彼女の顔にあるのは驚愕ではなかった。
強張っていたペルシカの表情が、ソルを見たとたん和らぐ。
それどころか、ほんのわずかに笑顔を浮かべている。
ボニーあ、あの……わたしは治療がありますので、これで失礼します!
ペルシカソルさん、そちらの方は……?
ソルあっ、そうそう!あれ、リンドは?
 「リンド」の名前を聞いて、ペルシカはにわかに身震いをした。
 つないでいたはずの手が機械アームにすり替わっているのに気づき、ソルは頭を掻いた。
傍にいた青緑の髪をした少女が、馴れ馴れしくペルシカの肩を抱く。
ハヴォックど~も~!あたしはハヴォック!庇護者の一員や、よろしゅう頼んま!
ハヴォックうっわぁ、負傷者がドえらいことになっとんな~。よう今まで持ちこたえたわ、ホンマ。あたしらが来たからには安心してや!
ペルシカあ、ありがとうございます……
ハヴォック遠慮せんといて!ジブン、ペルシカやろ?知っとるで~、超有名人やさかいな!
ペルシカえっ、私をご存知なんですか?
ハヴォックそらあんた、オアシスの超重要人物なんやからトーゼンやろ!リンドもよう……むぐぐぐッ!?
 ふいに、扉の外から伸ばされた機械アームが、
危機一髪のところでハヴォックの口を塞いだ。
ソルあっ、リンド、どこに行ってたのさ。迷子になったかと思ったじゃん!
リンドチッ……
 外から舌打ちが聞こえたかと思うと、滅入った表情のリンドが扉の前に現れた。
ペルシカリンドさん……
リンド言っとくけど、これは任務だからな。エントロピーについて説明する必要がなかったら、こんな所に来るもんか。
リンド話が終わったら戦場に戻るから。そっちだって、昔話してる暇なんかないだろ?時間を無駄にしたくない。
ペルシカはい……わかっています。あなたがお元気そうでよかった。
リンドマジでやめてもらえる、そういうの?最後まで話す気が失せる。
ソルま、まぁまぁ……
 対峙する二人を気まずく眺めていたソルが、無理やり話題を変えた。
ソルとにかくさ、エントロピーについて教えてよ!
リンド……わかった。
 リンドは慣れた手つきで端末を開いた。
すると、背後の機械アームがなだめるように彼女の頭を撫でて、
ロリポップキャンディを一つ手渡した。
リンド私らは{教授}からの救援要請を受け取って……あ~、最初から説明すんのダルすぎ。ハヴォック、頼んだ。
ハヴォックえっ、あたしィ?まぁ、ええけど。
 ハヴォックは野次馬根性を引っ込めると、
大きく背伸びをして、これまでの経緯を説明しだす。
 ひとしきり情報交換を行ったことで、
双方は互いの状況と現在の情勢をはっきりと認識した。
ペルシカあなた方のおかげでしたか……どうりで通信がこうも早く復旧したわけです。
ペルシカ教授がメッセージを送れる状態にあることも、大きな励みです。本当にありがとうございます。
ソルまさかリンドが、あの「ドロメル」とかいう上位にタイマン挑んでたとはね……やるじゃん!
ハヴォック「ドラメラ」やっちゅーの!ぜんぜんちゃうやんけドアホ!
リンド……「ドロメア」な。ハヴォックは大げさにしすぎ。相手はただ、クラゲエントロピーに憑依して私とくっちゃべってただけ。
リンドそれ以外の情報は知らなくていい。とにかく、大量のオペランドを注いだら、クラゲが急に動かなくなった。
ソルその隙に、敵をやっつけたってこと?
リンドそう。クラゲのデータの断片を手に入れた、分析にまわして。
ペルシカ……わかりました。アントニーナさん、聞こえますね?
アントニーナ了解しました、すでに分析を始めています。
ハヴォックはっや!追放者もなかなかやるやん!
リンド話を戻す。
 リンドはハヴォックを睨みつけて、話を続けた。
リンドおそらく、オペランドを大量に吸収したせいで、いわゆる「サナギ」状態に陥ったんだと思われる。それで動きを止めたんだ。
ソルなるほど!これで弱点がわかったね!今度こそ一網打尽にしてやる!
ペルシカ……
ペルシカありがとうございます。頂いた情報に関しては善処します。
リンド報告任務終わり。ハヴォック、行くよ。
ハヴォックよっしゃ!
ペルシカお疲れ様でした。撤退準備を始める頃に、改めてご連絡を……
ハヴォック撤退ィ~?撤退するって、どこに?
ペルシカエニグマセクターに、一時的に避難する予定です。
ペルシカあなた方の支援のおかげで、A区画の防衛ノードは守られました。ですが、敵の戦力からして、ここもじきに戦火に包まれるでしょう。頃合いを見て、速やかに撤退しなくては。
ハヴォックほな、「オアシス」はどないすんねや?
ペルシカオアシスよりも、追放者たちの命が重要です。焦土作戦を用いて……
リンドふざけんな!!
 リンドが即座に前に出て、ペルシカの胸ぐらをつかんだ。
ソルなっ……!?
リンドついにメンタルがイカれた?遠路はるばる駆けつけて、敵の弱点まで教えてやったのに、撤退するだと……!?
ペルシカうっ……リ、リンドさん……
 ペルシカは深呼吸をした。
リンドとの対峙によるプレッシャーが、ペルシカを蝕む。
それでも、彼女は向き合わなくてはならない。
ペルシカ実は……敵の弱点に関しては、うすうす感づいていました。
あなた方の情報は、それを裏付けただけに過ぎません。
ペルシカ上位エントロピー――ドロメアの稼働を止めるのに必要なオペランドの量を、
試しに計算したこともあります。
ペルシカハヴォックさん。リンドさんを襲ったクラゲを満腹状態にさせるには、
どれだけのオペランドが必要でしたか?
ハヴォックう……それがその、情けないハナシ、庇護者小隊全員が吸いつくされてもうて……
ペルシカ思ったとおりです。クラゲ一匹を沈黙させるのに、それだけのオペランドが必要になる。ドロメアが相手では、どうなるかわかりますね?
ペルシカ最悪の場合、オペランドがすべて敵に渡り、私たちは万策尽きてしまう。
ペルシカたとえクラゲエントロピーを殲滅できたとしても、新しい敵が現れたらどうします?あらゆる資源を失った私たちに、戦う力など残ってはいないでしょう。だからこそ――
ペルシカだからこそ、オアシスを諦めて撤退するのが、最善策だと申し上げているんです。
リンドフッ……「オアシスを諦める」ね……
リンドあの時、オアシスを目指すと言ったのはおまえだ、そのせいでノットは死んだ。
 「ノット」の名を聞いて、ペルシカが微かに身を震わせる。
リンドそれが今度は「追放者」が大事だから、オアシスを諦めるって?
ペルシカ……
ペルシカ……私は、死傷者の状況を踏まえて判断を……
リンドおまえ……ノットの犠牲をなんだと思ってんだ!?
ペルシカ私のせいでノットさんが死んだから!!だから、こうするしかなかったんです!!
 リンドの手が止まる。
体から力が抜けて、ペルシカは地面にへたり込んだ。
 長時間の戦闘指揮と治療活動、加えてメンタルの高負荷な稼働のせいで、
ペルシカは立ち上がるエネルギーすら失っていた。
ペルシカ……ずっと……ずっと、ずっとずっと後悔してきました。
ペルシカどうしてあんなに、オアシスにこだわっていたんだろう。オアシスである必要が、どこにあったんだろう……
ペルシカ何度も、何度も何度も違う可能性を考えたんです。でもわかってる、私にはそんなの不可能だって。
リンド……
ペルシカリンドさん。私、ずっとあなたにお会いしたかった。安全に過ごしていらっしゃるか、ずっと気がかりでした。でも、その日が訪れるのが、とても恐ろしかった……
ペルシカだって、私が判断を誤ったせいで、ノットさんは……
ペルシカだから、もう二度と、私のわがままのせいで誰かが死ぬのは嫌なんです。
ソルペルシカ……
ペルシカそんな顔しないでください、ソルさん。これが本当の私なんです。卑怯で、臆病で……
ペルシカ私には失敗を冒す度胸も、それを受け止める勇気もない。だけどここで撤退すれば、少なくとも皆さんの命は助かる……
 ソルがしゃがんで、ゆっくりとペルシカに近づく。
ペルシカは思わず目を閉じた。
だが、彼女を待っていたのは抱擁だった。
ソル……ずっと、一人で悩んでたんだね。気付いてあげられなくて、ごめん。
ソルだから何度も、あたしたちを撤退させようとしたんだね。今までの命令も、ぜんぶ犠牲を避けるためだったんだね。
ペルシカ……は、い……
ソル大変だったね、ペルシカ。
ソル……そういえば、言ってなかったかも。あたしね、ペルシカに感謝してるんだ。
ペルシカ……え?
ソルペルシカのおかげで、あたしたちはオアシスにたどり着けた。「追放者」の居場所を手に入れて、たくさんの仲間を迎えることができた。
ペルシカ……
 ペルシカは呆然とソルを眺めている。
彼女の言葉を理解していないようだ。
リンド……ソル、どいて。
ソルリ、リンド、落ち着いて……
 立ち上がってリンドを阻もうとするソルを、ハヴォックが引き戻した。
そして彼女にそっと耳打ちをする。
 リンドは前に出ると、荒々しくペルシカを立ち上がらせた。
リンド悲劇のヒロインぶってんのがサイコーにムカつくんだよね。世界が自分を中心に回ってるとでも?
リンド私が怖い?私がおまえに会いたくないとは考えないんだ?おまえを殴らずにいるだけで、メンタルが今にもオーバーロードしそうだよ。
リンド私はおまえの判断を一生許さない。おまえの執着のせいで、ノットは死んだ。
リンドけど……ソルの言葉は否定しない。なにせノットもオアシスに行くのに賛成してたから。
ペルシカ……え?
リンド客観的に見れば、ほとんどの奴らは生き残ったしね。
リンドあそこで殿になる意味は、ノット自身がよく理解してたはずだ。
リンドだから、ノットの覚悟を無駄にするつもりなら、私がここでおまえを殺す。
 リンドが手を離した。
ペルシカは背後にあった椅子へと倒れ込む。
リンドハヴォック、見てないで行くぞ。
ハヴォックえっ、もう終わり?
リンドオアシスにはエントロピーがウジャウジャいるんだ、時間を無駄にできない。
ハヴォックほ~ん。見かけによらず優しい一面もあるんやな?
リンドドギツイ一面もあるよ、見せてあげよっか?
ハヴォックナ、ナシナシ、今のナシ――
 リンドとハヴォックの声が遠のいていった。
司令室に静寂が戻る。
ペルシカ……ソルさんも、リンドさんに賛成なんですか?
ソルうん……リンドの言葉は正しいと思うよ。オアシスはあたしたちのホームだ、失うわけにはいかない。
ソル犠牲だって時には必要だよ、またマグラシアを彷徨うよりはマシだろ?今後、何が起こるかわかんないんだしさ!
ペルシカでも、本当にドロメアを倒せるでしょうか……
ソルまぁ、それは作戦によるけど……
ソルペルシカがどんな選択をしようと、あたしは全力でサポートするからね!
????戻ってきてみれば、まだ大口を叩いていましたか。
ソルあっ、アンナ!来るのはやっ!
アントニーナクラゲエントロピーへの反撃プログラムがようやく完成しました。これで、サンドボックス障壁からオペランドを吸収されずに済みます。
ソルつまり……クラゲエントロピーがもう増殖しないってことか。
 アントニーナはやや驚いた様子でソルを見た。
アントニーナその通り。データの解析によって、ドロメアを沈黙させるに必要なオペランドの量が判明しました。オペランドの流失を阻止した今なら、十分対処可能です。
ペルシカそれはつまり……
アントニーナつまり、ドロメアを倒せる可能性があるということ。
 ペルシカはアントニーナの分析報告を見て、言葉を失った。
アントニーナハァ……私はソルさんと違って、歯が浮くような台詞は嫌いですし、人を慰めるのも苦手です。ですが……ペルシカさん。
アントニーナ私はあなたを信じます。決断の是非や、結果の善し悪しは関係ない。最悪、この身を犠牲にしたっていい。
アントニーナ私はあなたを信じます。だからどうか、あなたの仲間を信じてください。
ソルそうだよ!あたしたちなら、きっと成し遂げられる!
ボニーあ、あの……応急処置を終えた報告に伺ったんですが……
 ボニーが扉の外から、恐る恐る顔を出した。
ボニーわ、わたしもお手伝いしたいです!先ほど、ようやく治療が一段落しました!これからも、もっともっとがんばります!
ボニーだからどうか、わたしたち医療部門のことも信じてください……
ソルあっはは!ボニーってば、頼りになるぅ!
アントニーナマグニルダとホライズンからも通信が来ています。各エリアのエントロピーを制圧し終えたため、こちらに手を貸せると……
ソルほらぁ、見なよペルシカ!あたしの言った通りでしょ?みんながついてるよ。
 ペルシカは茫然と顔を上げて、目の前の人々を見た。
溢れる涙に、視界が朦朧としてくる。
ソルペ、ペルシカ、大丈夫……?
ペルシカ大丈夫です。私、ずっと独りでグルグル回っていたみたいです。こんなにも大勢の方が、傍にいるのにも気づかずに……
ペルシカいつの間にか、皆さんに追い越されていましたね。
ソル何言ってるのさ!あたしたちは、いつも一緒だよ!
 ペルシカは頷いて、涙を拭った。
ペルシカすみません。私のせいで、多くの時間を無駄にしてしまいました。
ソル大丈夫だよ。庇護者が来てくれたおかげで、だいぶ持ち直せたからね。あたしも少しは休憩できたし……
ペルシカいえ、そのことではなくて。作戦を実行に移すとなれば急ぎませんと。
ソルえっ、作戦って、上位エントロピーを倒す作戦?もう出来上がったの?
ペルシカあらゆる可能性を検討しましたから。作戦の枠組みはできています、あとはアントニーナさんに詳細をご判断して頂ければ。
ソルすごいや!手伝えることがあったら言ってね!
アントニーナ結構です。分析データもろくに読めないでしょうから。
ソルちょっと、頭脳派をバカにしないでよ!?
 司令室が、久しぶりに和やかな雰囲気に包まれた。
ペルシカ(教授は、ずっとこんな気持ちで追放者を導いていたのね……)
ペルシカでは皆さん、各自作戦準備を!行動開始!
全員了解!