浄化者No.05哨戒タワー。 | |||
ユーカリストの攻勢がいよいよ激しくなり、チェスボード上で私を追い詰めてきた。 | |||
ユーカリスト | にゅふふ。頭をすぼませて、まるでカメじゃのぉ。 そんな体たらくでは、まろに勝てんぞい? | ||
ユーカリスト | それとも何か、さっきの駒が口惜しかったでおじゃるか? | ||
{教授} | 私を煽ったところで無意味よ。 | ||
私は駒を動かし、ユーカリストの攻勢を避けた。 | |||
{教授} | 私の「城」にとっては、守りこそが重要だからね。 | ||
ユーカリスト | ならば、そちの駒がほんに役立つことを祈ろうぞ。 | ||
{教授} | 彼らは駒じゃない。 だからこそ、彼らは私の想像を超えてくる。 | ||
ユーカリスト | うきゃきゃきゃ……コンキョのない自信に満ち溢れる教授も、 いやはやどうして見ものでおじゃる。 | ||
ユーカリスト | じゃが、このままではいささかつまらぬぞい。 | ||
ユーカリストは黒のクイーンを手に取り、目の前でそれをじっくりと眺めた。 | |||
ユーカリスト | ちょっとした「スリル」をプラスするかのぉ。 | ||
ドンッ!! | |||
ユーカリストが駒を持つ手を高く掲げた。 叩きつけられるようにして、黒のクイーンがボード上に置かれる。 | |||
すると、部屋全体が震動し始めて、周囲の景色がまたしても激しく変わった。 傍に潜んでいたエントロピーたちが何かを感じ取ったのか、にわかに蠢きだす。 | |||
フェイス | ユーカリスト! | ||
ユーカリスト | そう焦るでない、ちょっとした趣向におじゃる。こんな貴重なゲームを、まろが早々に手放すと思うかえ? | ||
ユーカリスト | そうでおじゃろ、ドロメア? | ||
…… | |||
???? | 子どもたち、静かに。 | ||
ふと、クラゲの形をしたエントロピーの体から、鈴を転がすような声が響いた。 色めきたっていたエントロピーたちが、再び沈黙する。 | |||
???? | わかった。 | ||
その声が消えるとともに、危険な気配も軽やかに散っていった。 まるでユーカリストの言うように、先ほどのすべてがゲーム上の余興であるかのごとく。 | |||
――黒のクイーンが棋盤に残した、亀裂だけを除いて。 | |||
…… | |||
ユーカリスト | おろろん、ちょいと力を入れすぎたか。 | ||
亀裂が黒のクイーンの足元を原点に拡散し、チェスボードをいくつかに分割した。 私は大地が陥落するような音が聞こえた気がした。 | |||
ドォン――!! | |||
Nullエリア、オアシス第4予備通信ノード。 | |||
地表が次々と裂け、紫色のエントロピー液が通信用のノードを侵蝕し始める。 建造物は瞬く間にその原型を保てなくなった。 | |||
???? | ……できた…… | ||
クラゲ型のエントロピーたちが建物の残骸から下りてきて、少女に寄り添った。 そして親しげに浮き袋を彼女の手にこすりつける。 | |||
???? | うん、こんな感じでいいかな。それは残しておいて、直されたところで困らない。 | ||
???? | ふふふ、焦らないよ。まだ前奏だから。舞踏会はこれから。 | ||
少女はやや俯いてエントロピーを撫でた。 そして視線を遠くの大破したオアシスに向ける。 | |||
???? | だけど、舞台はすぐそこ…… | ||
???? | あと少しだよ、子どもたち……ほんの少しだけ我慢してね。 | ||
クラゲのエントロピーたちが少女の体を這い上がり、彼女を暗闇の中へと押し隠した。 | |||
静まり返ったNullエリアに、透き通った歌声だけが響きわたる。 | |||
???? | 楽しく、自由に、踊ろう、ドロメアの子どもたち。 | ||
???? | 歌の汐に乗って、遠くへと飛び立つの。 | ||
???? | 遠くまで、遠くまで……死を迎える、その時まで。 | ||
オアシス、司令部。 | |||
黛煙 | 通信ノードの修復に向かった小隊が、通信可能エリアを離れてしばらく経ちますね。 | ||
黛煙 | 彼らには、予備通信ノードの修復を優先させています。順調にいくといいけれど…… | ||
ペルシカ | そうですね。レールガンの射線上にある施設は、ほぼ壊滅状態。砲撃範囲から外れた予備通信ノードを修復するほうが、早く済むのは確かです。 | ||
ペルシカ | 黛煙さん、お疲れ様でした。あとは彼らを信じましょう。 | ||
ピピピッ――スクリーン上にポップアップした警報が、二人の会話を遮った。 | |||
ペルシカ | C区画のデータセンターにエントロピーが……!?そんな、シーモさんがすべて片付けたはずなのに…… | ||
ペルシカ | 待ってください……C区画だけじゃない、隣接するA区画とB区画にまで……!? | ||
ペルシカ | 黛煙さん!プランBです!各エリアの責任者に具体的な状況の確認を! | ||
黛煙 | ペルシカさん!ホライズンさんから緊急通信です! | ||
ペルシカ | こんな時に……つないでください! | ||
ホライズン | ペルシカ!障壁は直ったけど、外からエントロピーが襲ってきたー! | ||
ホライズン | マグニルダが戦ってるけど、長くは持たないみたい……増援おくってー! | ||
ペルシカ | 今度は外から……サンドボックス障壁を強制起動してください! | ||
ホライズン | もう試したってばー!G区画のサンドボックス障壁、もうオペランド残ってないよー! | ||
ホライズン | わたしたちの持ってたオペランドも、ほとんど障壁につかっちゃってる!司令部からのアクセスを維持するだけで精一杯なのー! | ||
ホライズン | これ以上オペランドを障壁に割けば、わたしたちが倒れちゃう……持ってきた物資がなかったら、とっくにやられちゃってたんだからー! | ||
ペルシカ | そんな…… | ||
マイ | ホライズン隊長!クラゲを引き離してる観測気球から、データが送られてきました! | ||
ホライズン | えっ、まだ壊れてなかったのー? | ||
マイ | は、はい。私もしばらくすれば撃ち落とされると思ってたんですけど……どうやら、クラゲが気球への興味を失ったらしくて…… | ||
マイ | ペルシカさんにも映像データを送ります! | ||
ペルシカはマイから送られてきたデータを開いた。 映像には下位エントロピーに囲まれた、謎のエントロピーの姿が映し出されていた。 さながら紫の海に漂う一枚の旗のように。 | |||
マイ | あの、なにか声が聞こえませんか? | ||
リズミカルなエントロピーの波音のせいで途切れ途切れだが、 映像からは微かに声のようなものが響いている。 | |||
エントロピーの群れ | ……歌の……飛び立つ…… | ||
ペルシカ | ……歌声? | ||
ペルシカ | まさか、下位エントロピーを操っているクラゲが……? | ||
黛煙 | ペルシカさん、緊急事態です!ハッブルさんと連絡がつきました! | ||
黛煙 | データセンターを襲ったのは、クラゲの形をした謎のエントロピーだそうです。付近の建物や一般エージェントたちに無差別に感染しています! | ||
ホライズン | 内部にクラゲが!?そんな、一体どこから…… | ||
ホライズン | サンドボックス障壁から、オペランドが失われてる……?マイ、具体的な座標って、わかったりする? | ||
マイ | それが、座標が移動し続けているんです。しかも、かなり距離のある二つの場所から、同時にオペランドが流出することもあって。 | ||
ホライズン | そっか、二匹いたんだ……!どうして気が付かなかったんだろ……! | ||
黛煙 | データセンターの設備を通じて、ハッブルさんが敵のおおよその位置を特定しました。増援を要請しています! | ||
ペルシカ | ですが、もう手配できる人員が…… | ||
動かせる人員は限られている。 ここで戦力を割けば、内側も外側も破られてしまう。 | |||
迅速な決断が要求される。 せめて、どちらか一方だけでも解決できたら…… | |||
……どちらを選ぶべき? | |||
黛煙 | このままでは、クラゲによる感染は広がる一方です!速やかに駆除できなければ、どうなるか…… | ||
ホライズン | こっちももう持たないよー!障壁を破られたら、エントロピーがオアシスに入ってきちゃう…… | ||
ペルシカは拳を握りしめた。 彼女の判断に、無数のエージェントの命がのしかかる。 | |||
ペルシカ | ……だけど私は、どちらも諦めたくない。 | ||
どうする?ふいに、ペルシカの中の時間の流れが遅くなった。 この上なく慣れ親しんだデジタルの生命たちが、彼女の周囲を流れてゆく。 | |||
ペルシカが判断を下すのを、誰もが固唾を飲んで見守る中、 映像の中の歌声だけが、司令室に響いていた。 | |||
エントロピーの群れ | 飛んでゆけ……遠くまで……遠くまで…… | ||
エントロピーの群れ | ……死を迎える、その時まで…… |