懸光昇変 PART.6 ダブルチェック

Last-modified: 2025-02-16 (日) 22:59:36

浄化者No.05哨戒タワー。
 ユーカリストの攻勢がいよいよ激しくなり、チェスボード上で私を追い詰めてきた。
ユーカリストにゅふふ。頭をすぼませて、まるでカメじゃのぉ。
そんな体たらくでは、まろに勝てんぞい?
ユーカリストそれとも何か、さっきの駒が口惜しかったでおじゃるか?
{教授}私を煽ったところで無意味よ。
 私は駒を動かし、ユーカリストの攻勢を避けた。
{教授}私の「城」にとっては、守りこそが重要だからね。
ユーカリストならば、そちの駒がほんに役立つことを祈ろうぞ。
{教授}彼らは駒じゃない。
だからこそ、彼らは私の想像を超えてくる。
ユーカリストうきゃきゃきゃ……コンキョのない自信に満ち溢れる教授も、
いやはやどうして見ものでおじゃる。
ユーカリストじゃが、このままではいささかつまらぬぞい。
 ユーカリストは黒のクイーンを手に取り、目の前でそれをじっくりと眺めた。
ユーカリストちょっとした「スリル」をプラスするかのぉ。
 ドンッ!!
 ユーカリストが駒を持つ手を高く掲げた。
叩きつけられるようにして、黒のクイーンがボード上に置かれる。
 すると、部屋全体が震動し始めて、周囲の景色がまたしても激しく変わった。
傍に潜んでいたエントロピーたちが何かを感じ取ったのか、にわかに蠢きだす。
フェイスユーカリスト!
ユーカリストそう焦るでない、ちょっとした趣向におじゃる。こんな貴重なゲームを、まろが早々に手放すと思うかえ?
ユーカリストそうでおじゃろ、ドロメア?
 ……
????子どもたち、静かに。
 ふと、クラゲの形をしたエントロピーの体から、鈴を転がすような声が響いた。
色めきたっていたエントロピーたちが、再び沈黙する。
????わかった。
 その声が消えるとともに、危険な気配も軽やかに散っていった。
まるでユーカリストの言うように、先ほどのすべてがゲーム上の余興であるかのごとく。
 ――黒のクイーンが棋盤に残した、亀裂だけを除いて。
 ……
ユーカリストおろろん、ちょいと力を入れすぎたか。
 亀裂が黒のクイーンの足元を原点に拡散し、チェスボードをいくつかに分割した。
私は大地が陥落するような音が聞こえた気がした。
 ドォン――!!
 
Nullエリア、オアシス第4予備通信ノード。
 地表が次々と裂け、紫色のエントロピー液が通信用のノードを侵蝕し始める。
建造物は瞬く間にその原型を保てなくなった。
????……できた……
 クラゲ型のエントロピーたちが建物の残骸から下りてきて、少女に寄り添った。
そして親しげに浮き袋を彼女の手にこすりつける。
????うん、こんな感じでいいかな。それは残しておいて、直されたところで困らない。
????ふふふ、焦らないよ。まだ前奏だから。舞踏会はこれから。
 少女はやや俯いてエントロピーを撫でた。
そして視線を遠くの大破したオアシスに向ける。
????だけど、舞台はすぐそこ……
????あと少しだよ、子どもたち……ほんの少しだけ我慢してね。
 クラゲのエントロピーたちが少女の体を這い上がり、彼女を暗闇の中へと押し隠した。
 静まり返ったNullエリアに、透き通った歌声だけが響きわたる。
????楽しく、自由に、踊ろう、ドロメアの子どもたち。
????歌の汐に乗って、遠くへと飛び立つの。
????遠くまで、遠くまで……死を迎える、その時まで。
 
オアシス、司令部。
黛煙通信ノードの修復に向かった小隊が、通信可能エリアを離れてしばらく経ちますね。
黛煙彼らには、予備通信ノードの修復を優先させています。順調にいくといいけれど……
ペルシカそうですね。レールガンの射線上にある施設は、ほぼ壊滅状態。砲撃範囲から外れた予備通信ノードを修復するほうが、早く済むのは確かです。
ペルシカ黛煙さん、お疲れ様でした。あとは彼らを信じましょう。
 ピピピッ――スクリーン上にポップアップした警報が、二人の会話を遮った。
ペルシカC区画のデータセンターにエントロピーが……!?そんな、シーモさんがすべて片付けたはずなのに……
ペルシカ待ってください……C区画だけじゃない、隣接するA区画とB区画にまで……!?
ペルシカ黛煙さん!プランBです!各エリアの責任者に具体的な状況の確認を!
黛煙ペルシカさん!ホライズンさんから緊急通信です!
ペルシカこんな時に……つないでください!
ホライズンペルシカ!障壁は直ったけど、外からエントロピーが襲ってきたー!
ホライズンマグニルダが戦ってるけど、長くは持たないみたい……増援おくってー!
ペルシカ今度は外から……サンドボックス障壁を強制起動してください!
ホライズンもう試したってばー!G区画のサンドボックス障壁、もうオペランド残ってないよー!
ホライズンわたしたちの持ってたオペランドも、ほとんど障壁につかっちゃってる!司令部からのアクセスを維持するだけで精一杯なのー!
ホライズンこれ以上オペランドを障壁に割けば、わたしたちが倒れちゃう……持ってきた物資がなかったら、とっくにやられちゃってたんだからー!
ペルシカそんな……
マイホライズン隊長!クラゲを引き離してる観測気球から、データが送られてきました!
ホライズンえっ、まだ壊れてなかったのー?
マイは、はい。私もしばらくすれば撃ち落とされると思ってたんですけど……どうやら、クラゲが気球への興味を失ったらしくて……
マイペルシカさんにも映像データを送ります!
 ペルシカはマイから送られてきたデータを開いた。
映像には下位エントロピーに囲まれた、謎のエントロピーの姿が映し出されていた。
さながら紫の海に漂う一枚の旗のように。
マイあの、なにか声が聞こえませんか?
 リズミカルなエントロピーの波音のせいで途切れ途切れだが、
映像からは微かに声のようなものが響いている。
エントロピーの群れ……歌の……飛び立つ……
ペルシカ……歌声?
ペルシカまさか、下位エントロピーを操っているクラゲが……?
黛煙ペルシカさん、緊急事態です!ハッブルさんと連絡がつきました!
黛煙データセンターを襲ったのは、クラゲの形をした謎のエントロピーだそうです。付近の建物や一般エージェントたちに無差別に感染しています!
ホライズン内部にクラゲが!?そんな、一体どこから……
 
ホライズンサンドボックス障壁から、オペランドが失われてる……?マイ、具体的な座標って、わかったりする?
マイそれが、座標が移動し続けているんです。しかも、かなり距離のある二つの場所から、同時にオペランドが流出することもあって。
 
ホライズンそっか、二匹いたんだ……!どうして気が付かなかったんだろ……!
黛煙データセンターの設備を通じて、ハッブルさんが敵のおおよその位置を特定しました。増援を要請しています!
ペルシカですが、もう手配できる人員が……
 動かせる人員は限られている。
ここで戦力を割けば、内側も外側も破られてしまう。
 迅速な決断が要求される。
せめて、どちらか一方だけでも解決できたら……
 ……どちらを選ぶべき?
黛煙このままでは、クラゲによる感染は広がる一方です!速やかに駆除できなければ、どうなるか……
ホライズンこっちももう持たないよー!障壁を破られたら、エントロピーがオアシスに入ってきちゃう……
 ペルシカは拳を握りしめた。
彼女の判断に、無数のエージェントの命がのしかかる。
ペルシカ……だけど私は、どちらも諦めたくない。
 どうする?ふいに、ペルシカの中の時間の流れが遅くなった。
この上なく慣れ親しんだデジタルの生命たちが、彼女の周囲を流れてゆく。
 ペルシカが判断を下すのを、誰もが固唾を飲んで見守る中、
映像の中の歌声だけが、司令室に響いていた。
エントロピーの群れ飛んでゆけ……遠くまで……遠くまで……
エントロピーの群れ……死を迎える、その時まで……