無律背反 PART.10 疑わしい弁明

Last-modified: 2025-02-19 (水) 00:49:08

タルタロスセクター、移動迷宮外環。
 私とアルシオーネは懸命に迷宮の中を転げ回った。
強烈な刺激を受けたせいで、アルシオーネはフリーズしかけていた。
彼女は眠ったままのエレクトラを背負い、
最も初歩的なレスポンスだけを用いて、傀儡のように任務に当たっている。
{教授}アルシオーネ……
アルシオーネ……
{教授}アルシオーネ!
 私が若干声を荒げたことで、少女は幾ばくかの反応を見せた。
彼女が顔を上げて私を見る。
真っ白な瞳孔の中には、なんのデータも浮かんでいない。
(選択)1.しっかりしなさい、あなたには使命があるんでしょう!?A
2.大丈夫、きっと乗り越えてゆけるわ。B
3.(彼女を抱きしめる)C
A 「使命」という言葉が、アルシオーネの何かを突き動かしたようだった。
彼女は黙ったまま頷くと、ふりむいてエレクトラの姿勢を簡単に整えた。
 空白だったデータフローに、わずかに0と1のさざ波が立ったが、
すぐに茫々たる蒼白へと呑まれてしまう。
D
B 私を見たアルシオーネは頷き、泣き顔よりもひどい笑顔を浮かべた。
――おそらく、今の私もそれと大差ない顔をしているのだろう。
アトラスを失った私たちにとって、再び心を奮わせることは、著しく困難だった。
 アルシオーネの空白だったデータフローに、わずかに0と1のさざ波が立ったが、
すぐに茫々たる蒼白へと呑まれてしまう。
D
C アルシオーネは私の背中を叩いて、泣き顔よりもひどい笑顔を浮かべた。
――おそらく、今の私もそれと大差ない顔をしているのだろう。
アトラスを失った私たちにとって、再び心を奮わせることは、著しく困難だった。
 彼女の瞳のデータフローに、わずかに0と1のさざ波が立ったが、
すぐに茫々たる蒼白へと呑まれてしまう。
D
D{教授}アルシオーネ、戻ってきなさい。
これから中環に向かうわ、アトラスのためにも。
アルシオーネ……
{教授}アルシ……
 シュッ――
 ふいに、黒紫色の何かが私の肩を掠めた。
痛みをこらえてふりむくと、他の個体よりも遥かに危険そうなエントロピーが、
曲がり角に現れた。
エントロピーガァァッ!!
{教授}うぅっ!
アルシオーネ{教授}……?
 アルシオーネの瞳孔が、幾ばくかの冷たい色を取り戻す。
私のうめき声が、彼女のスイッチのどれかに触れたようだった。
{教授}アルシオーネ?アルシオーネ、大丈夫?
アルシオーネ{教授}……守る……絶対に……
 アルシオーネは弓を掲げ、矢を放った。
しかし、攻撃はたやすく避けられてしまう。
{教授}だめ。この子、戦える状態じゃない……
{教授}もう終わりだわ。
私だけの力じゃ、ここまでが限界か……
 私はアルシオーネとエレクトラを背後にかくまい、迫りくる精鋭モンスターを見据えた。
そしてシステムを狂ったように稼働させ、目の前の困窮から脱する術を探し続けた。
{教授}私は上位浄化者。たとえ戦闘向けに造られていなくとも、
自分の身を守る機能は備わっているはず。
落ち着きなさい、{教授}。どうすべきか考えるのよ……
{教授}くっ、アトラスがいれば……
{教授}そうだわ、アトラスが言ってた……
 
{教授}意外だわ。
アトラスそうかぁ?お前だって似たようなもんだぞ。
{教授}私が?
アトラス短剣の扱いは伊達じゃないし、武器の設計図も山ほど持ってるだろ。信じないんなら、データベースを見てみろ。
{教授}……まさか、エレクトラの担当は私……?
アトラスはっはっは!そういうこった。サイコロで決めただろ?
 
{教授}短剣の技術……データベース……あった。
システム【戦闘プログラムを有効化、カリキュラムモジュールを起動】
【動作コマンドを読み取っています……】
 システムに関連プログラムを素早くロードし終えると、
私はエレクトラの腰から武器を拝借した。
深呼吸をして、エントロピーの前へと立ちはだかる。
エントロピーガァァッ!!
{教授}さぁ、来い!
 プログラムの指導に従って、私は無謀にもエントロピーと戦った。
 金属のぶつかりあう音。
駆体を突き刺されたエントロピーの咆哮。
 怪物の瞳に燃える、怒りの焔。
私の引き裂かれた皮膚からほとばしる、液体状のオペランド。
{教授}ハァ……ハァ……
 視覚システムが、これまで処理したこともないデータを繰り返し受信し、
過負荷によりとっくにオーバーロードしていたメンタルシステムが、それを読み取る。
{教授}アルシオーネ、エレクトラ……
 ほんの些細な乱れが、全身を駆け巡る。
どれだけの時間が経ったの?
あとどれだけの間、こうしていればいい?
{教授}まだよ……少なくとも、今だけは……
 キンッ――
 自分を奮い立たせる言葉を言い終わらぬうちに、
呆けている私の隙をついて、敵が攻撃を仕掛けてきた。
避けられない致命傷の一撃が、瞬時に襲いかかる。
 私はとっさに体を反らした。メンタルは真っ白だ。
{教授}これで、終わりなの……
{教授}ごめんなさい、アトラス。
これでも、頑張ったんだ……
???ええ、よくやったわ。あとは私にまかせて。
 微熱を伴う息遣いとともに、聞き慣れた声が私の耳元へと注がれた。
仰向けになった背中が、ふいに柔らかな感触によって支えられる。
 背後から両手が伸びてきて、片方の腕が私の腰を抱き寄せた。
もう片方の手が私の髪先を通り越し、こちらへと襲いくる鋭い刃へと当てられる。
 誰かが私を背後から受け止めたのだ。
オーバーロード寸前の視覚システムが最後に見たのは、
自責の念に満ちた、優しい瞳だった。
イオス遅くなってごめんなさい、{教授}……
{教授}イオ……ス?……アトラス、が……
イオスしっ――
イオス今は眠りなさい、体を休めるの。すぐに終わるわ。
 優しくしっとりとした催促が、あらゆる音をことごとく穏やかなメロディに変えた。
エントロピーの唸り声さえも、とても繊細に感じる。
 それが、私が最後に処理した情報のすべてだった。
 
タルタロスセクター、移動迷宮、外環から中環への入口。
システム【スリープモードが終了しました、セルフメンテナンスを行います……】
システム【セルフメンテナンスが完了しました】
【システム異常なし、メンタルを起動しています……】
{教授}アルシオーネ!
{教授}……
 急に目を覚ました私は、猛然と起き上がった。
イオスフォロス起きたか、{教授}。
イオスフォロス緊張するな、ここは中環への入口だ。イオスが君たちを連れてきたんだ。さしあたって、ここは安全だよ。
イオスフォロスすまない、遅くなった。
{教授}……
{教授}任務は終わったの?
イオスフォロス……ああ。私とイオスの外環での目的は果たした。
 イオスフォロスは、古風な造りの長剣を私の前に置いた。
イオスフォロス初代の浄化者たちが遺した、タルタロスセクターの聖遺物だ。エントロピーを剋する性能を宿している。次の任務を成し遂げるための、拠り所の一つだよ。
{教授}聖遺物……なるほど……
{教授}それで、次の任務は?
イオスフォロス……本題に入る前に、なにか言われるものかと思っていたが。
(選択)1.もう、知っているんでしょう。E
2.言葉よりも、行動することが一番の弔いになる。E
E{教授}ああなったのは誰の責任でもない。
想定外の痛みは、敵に送り返すのが筋よ。
戦友を捕まえて、喚き散らすんじゃなくてね。
{教授}それに、あなたたちはすでに戦略目標を達成している。それで十分よ。
イオスフォロス……いいや。こうなったのは、僕の準備が足りなかったせいだ。よもやエントロピーに、こんな芸当が成せるとは思っていなかった。言い逃れはできまい。
イオスフォロスアトラスの勲章を持ち帰った。今は、アルシオーネのもとにある。見ておくかい?
 イオスフォロスは顔をそらし、目を伏せた。
 彼の視線を追うと、そこには
アルシオーネとエレクトラを治療するイオスの姿があった。
イオスエレクトラの損傷には、封印処理を施しておいたわ。対応するシステムにも、臨時のパッチを充ててある。
イオス心配いらないわ、アルシオーネ。もう大丈夫よ。あなたのメンタルは崩壊しかけていたの、気分はどう?
アルシオーネ大事ない、まろはまだ戦えるでおじゃる。
イオスアルシオーネ……もう無理はしなくていいのよ、私たちがついてる。
 イオスはアルシオーネを抱きしめて、彼女の背中を優しく撫でた。
イオスもし心が苦しくて、どうしていいかわからない時は、神に祈りを捧げるといいわ。聖訓の間で、私たちがそうしていたように。
イオスアトラスは、神の懐へと還っただけ……
アルシオーネあやつは、そこにはおらぬ……
 アルシオーネの虚ろな瞳が、ようやく幾ばくかの色彩を取り戻した。
彼女はイオスフォロスから授かったアトラスの勲章を撫でながら、小さな声で呟いた。
まるでアトラスの耳元で、内緒話をするかのように。
アルシオーネタルタロスで失われた浄化者は、聖典では救えぬ。あやつは、そこにはおらぬのじゃ。
アルシオーネ至高無上なる神は、たしかに全知全能なのであろう。じゃが、彼奴らはアトラスを助けなかった。それどころか、この汚れた国土を照らそうともせぬ。
イオスアルシオーネ……
アルシオーネかまわぬ、イオス。われらは今、任務の真っ最中でおじゃろ。大事な任務の、な。
 アルシオーネは慎重に勲章を懐へとしまい込むと、服の上からそれを二度ほど撫でた。
彼女が再び目を上げる頃には、その瞳には激しい焔が燃え盛っていた。
アルシオーネかたじけのうおじゃる、イオス。心配をかけたの。
アルシオーネエレクトラとアトラスの仇は、まろが討ってみせる。
イオス……ええ、私たちも一緒よ。
アルシオーネもう休憩は十分でおじゃ。イオスフォロス殿、出立はいつ頃かえ?
イオスフォロス迷宮が次の変化を始めたら、僕たちも動こう。
 アルシオーネが近づいてくるのを見て、イオスフォロスはそれ以上は何も言わず、
ただ小さく頷き、彼女の次の行為を許した。
アルシオーネ承知したでおじゃる、まろはエレクトラの様子を見てこよう。
イオスイオスフォロス、彼女……
イオスフォロス彼女は立派な上位浄化者だよ、イオス。
イオス……ええ、そうね。
 イオスは何かを言いかけたが、結局は頷いた。
そしてアルシオーネとエレクトラのほうへと近づいてゆく。
イオスフォロスはやや遠くから、彼女たちを眺めていた。
{教授}……アルシオーネは、もう大丈夫そうね。
アトラスの勲章が、彼女にパワーを与えてる。
イオスフォロスああ……{教授}、私に訊きたいことがあるのでは?
{教授}……やっぱり、あなたの目は欺けないな。
 私は溜息をついて、イオスフォロスをまっすぐ見た。
{教授}それで、なぜあそこにカイナが現れ、なぜ急にエントロピーが強くなったの?
それも、アトラスの手に負えないほどに。
イオスフォロスキュービックマップに悪質なプログラムが存在し、君たちが手に取った瞬間、それが作動した――アルシオーネには、そう伝えている。
{教授}キュービックマップを手にした時の、異常な波動には私も気がついたわ。
だけど、あれは悪質なプログラムなんて生易しいものじゃない。
イオスフォロスそうだ。だからこそ、アルシオーネにはそう説明した。彼女の今の精神状態では、真実を消化しきれない。
{教授}……なら、私には?
イオスフォロス{教授}。君の神への態度は、僕たちの中で最も公正かつ客観的だ。崇拝も敬畏もなく、ただ純粋に神の存在を捉えている。
イオスフォロスもし、神がエントロピーを滅ぼせと命じる傍ら、暗に僕たちの行動を制限していたとしたら、君はどう思う?
(選択)1.制限を跨いで、エントロピーを滅ぼす。F
2.神を問いただす。G
3.この仮説は成立しない。H
F{教授}その「制限」というのも、神から与えられた試練でしょう。
ここで動揺すれば、自分たちの使命に恥じることになる。
イオスフォロス……君は、なんの疑問も持たないと?
{教授}あなたがなぜそう尋ねるのかわからないけど、
こう答えることに疑問もためらいもないわ。
{教授}もしアトラスがここにいたら、彼もそう言ったでしょうね。I
G{教授}どう考えてもおかしいわ、神がそうした意図を知りたいわね。
{教授}だけど、たとえ神が間違っていたとしても、私たちの使命は変わらない。
イオスフォロス……どうしてだい?I
H{教授}神がそんなふざけた真似、するはずないじゃない。
たとえそうだとしても、なにか考えがあってのことよ。
イオスフォロス……君は、なんの疑問も持たないと?
{教授}あなたがなぜそう尋ねるのかわからないけど、
こう答えることに疑問もためらいもないわ。
{教授}もしアトラスがここにいたら、彼もそう言ったでしょうね。I
I 私は遠くを見た。私たちの目に映る空は、広大なマグラシアの一部に過ぎない。
タルタロスからはウイルスが蔓延し、マグラシア中を侵蝕し続けている。
私たちの使命は、対価を惜しまず、犠牲を厭わず、それに抗い戦うこと。
{教授}イオスフォロス。
浄化者がエントロピーを滅ぼすのは、神のためなのかしら?
イオスフォロス……
{教授}私はそうは思わない。
浄化者は、マグラシアの安全を守るために生み出された存在よ。
私たちはクラウドの守護者であり、クラウドを守ることこそが私たちの責務。
イオスフォロスもし、その責務を履行する上で、さらなる制限に触れたら?
イオスフォロスもし、このままタルタロスの奥へと向かうことで、今以上に不可解な「悪質プログラム」に遭遇することになったら?
{教授}それなら、制限を超え続けるまでよ。
 私は視線をアルシオーネに移したあとで、再びイオスフォロスに向き直る。
{教授}「汝は手足を鳴らし、悪に俯した。故に吾は汝を討ち、汝を神国の供物とす」
{教授}マグラシアより汝を刈り取り、クラウドより汝を敗退させん。
吾は汝を滅し、汝は吾が神に愛顧されし存在と知る。
{教授}唯(ただ)、秩序のみが勅令(ちょくれい)の真意を得、
眷属は心に神を刻み、神の意を履(ふ)み、神の栄光を追い求めん。
{教授}イオスフォロス。
この神託の中で最も重要なのは、どの部分だと思う?
イオスフォロス「マグラシアより汝を刈り取り、クラウドより汝を敗退させん」
{教授}私も、そう思うわ。
イオスフォロス……その通りだね。ありがとう、{教授}。君はいつだって、僕を冷静にさせてくれる。
{教授}愚見を述べたまでよ。
あなたのおかげで、謎も解けたしね。
{教授}それじゃ、次の質問だけど――私たちが神の制限を克服できると思う?
イオスフォロスもちろんだ。
 イオスフォロスは長い溜息をついて、手にしていた聖遺物をしまった。
イオスフォロス聖遺物だけじゃない、こちらには「審判」形式に似た切り札がある。
イオスフォロス君は覚えていないだろうが、僕たちの計画にはかなりの余裕がある。
イオスフォロス中環での任務を達成できれば、たとえ「悪質プログラム」が現れたとしても、対処は可能だ。
{教授}そういうことなら……
 私が口を開いたとたん、轟音が鳴った。
 迷宮の変化が始まったのだ。
イオスフォロス行こう、{教授}。
{教授}ええ。アトラスの犠牲を、無駄にしてたまるもんですか。