タルタロスセクター、外環の奥深く。 | |||
迷宮の奥深くへと撤退した私たちは、キュービックマップの指し示す通りに、 進行ルートを頻繁に変更しつつ、いくつもの角を曲がって前へと進んだ。 | |||
両側の壁には、黒紫色の軟体生物が植込みのように一面に広がっている。 材質のわからない異物が、海の波のごとくゆらゆらと揺れているのだ。 生物の体表を覆う陥没した皮膚は蠕動し、見るものをぞっとさせる。 ボソボソとした鳴き声は、まるで幼子のうわ言のようだ。 | |||
{教授} | 気をつけて―― | ||
キンッ―― | |||
巨大な剣が振り上げられ、私の忠告と黒紫色の触手を一太刀にした。 本体から切り離され、地面に落ちた触手が狂ったようにのたうっている。 さながらゲストの無礼を激しく咎めるかのように。 | |||
アトラス | 心配するな、勝手はわかってるさ。敵は俺にまかせて、お前はルートの制定に専念しろ。 | ||
アトラス | アルシオーネもだ、あまり無理はするな。お前とエレクトラの状況は? | ||
アルシオーネ | エレクトラはスリープモードに入った、さしあたっては安定しておる。ふぅ……まろは―― | ||
アルシオーネは手中から放たれた金色の矢が、彼女の言葉を補った。 | |||
――まだやれる。 | |||
アトラス | そう強がるな、ダメなら俺が代わる……ゴホッ…… | ||
{教授} | アトラス?その脇腹の傷…… | ||
アトラス | ああ、これか……ははっ。さっきの爆発が思ったより強烈でな。事前に起動しておいた防御フィールドも、完全には防ぎきれなかったようだ。 | ||
アトラス | こんな低レベルなミス、口にするのも憚れるぜ。問題ない、中環エリアで治療すれば済むことだ。今はまだ、やるべきことがある。 | ||
アトラスは笑顔を収め、周囲を警戒した。 足取りを緩める気配はない。 | |||
アトラス | さっきの爆発に乗じて、あのカイナとかいうエントロピーを仕留めようと思ったんだが、失敗した。 | ||
{教授} | そんな状況で、まだ戦うつもりだったのか…… | ||
アトラス | あのエントロピー、これまで遭遇したどの上位よりも遥かに強い。嫌な予感がするんだ……あいつにはおそらく、すぐに追いつかれる。 | ||
{教授} | どうやら、まだタルタロスの中環へは向かえそうにないな。 ルートの制定は引き続き私が。まずはエントロピーの包囲を突破するぞ。 | ||
アトラス | 俺が先陣を切る!はぐれるなよ、しっかりついてこい! | ||
{教授} | ここなら安全だ、ひとまず休憩しよう。 | ||
アトラス | お前たちは休んでろ、俺が警戒しておく。 | ||
アトラスは座ろうとせずに、険しい表情でメイン供給タワーの方向を見つめた。 | |||
アトラス | あのカイナをどうにかしないとな。このまま中環に入ったところで、窮地に陥るだけだ。それに、俺たちの目的を知られちゃまずい。 | ||
アルシオーネ | ……あの女、撒いても撒いても追ってくるでおじゃ。よもやこの迷宮に、われらの知られざる妙な機能が備わっているのではあるまいな…… | ||
アルシオーネが慎重にエレクトラを横たわらせる。 その閉じられた両目を見て、アルシオーネは拳を握りしめた。 | |||
アルシオーネ | カイナ……この代償は支払ってもらうぞ……! | ||
(選択) | 1.衝動的になるな、落ち着け。 | A | |
2.私にまかせろ、今度こそあいつを叩き潰してやる! | B | ||
A | {教授} | タルタロスで遭遇したエントロピーの強さは、今までの個体を遥かに凌ぐ。 特に、あの奇妙な波動が放たれてから…… | |
アルシオーネ | ハァ……そちの言う通りでおじゃる、{教授}。エレクトラがかような目に遭うたのも、すべてはまろの無鉄砲によるもの。二度と同じ轍を踏んでたまるか…… | ||
アトラス | 大丈夫だ、アルシオーネ。俺と親友がついてる。上位浄化者三人が全力で戦えば、相手が多少手強かったところで、上位エントロピーなんざ取るに足らんさ。 | C | |
B | アトラス | はっはっはっは!さすがは親友、その意気だ! | |
アトラスは私とアルシオーネの肩を抱いた。 | |||
アトラス | そうだ、相手が多少手強かったところで関係あるもんか。上位浄化者三人が全力で戦えば、上位エントロピーなんざ取るに足らんさ。 | C | |
C | アトラス | それに、奴が追ってきてるのはわかってる。主導権はこっちにあるってわけだ。 | |
アトラスは私の手にあるキュービックマップを指さした。 その意図を察して、三人が顔を見合わせる。 | |||
アルシオーネ | 事前に計画を立てるでおじゃ。今度こそ、あの変態女をギッタギタにしてくれるわ! | ||
{教授} | 少し時間が欲しい。偽装コードの失効と、 エントロピーが強化されたことも含めて計画を練らないと。 タルタロスを訪れたばかりの時と今では、敵の強さが桁違いだからね。 | ||
{教授} | データは嘘をつかない、オペランドの消耗記録を確認したんだ。 当初と比べて、下位エントロピーを倒すのに必要なオペランドが、 二倍近くにまで膨れ上がってる。 | ||
{教授} | 前線部隊からの情報と、キュービックマップの表示を加味すると…… | ||
手中のマップが高速回転し始めると同時に、 目の前のデータフローが勢いよく流れ出した。 | |||
{教授} | ここだ。そう遠くないところに、待ち伏せに適したエリアがある。 | ||
私はスクリーン上にエリアを囲った。 脳内にプランを素早く形成し始める。 | |||
{教授} | 選べる作戦は二つ。リスクの比重が異なるだけで、成功率はどちらも同じだ。 プランAは誰もが均等に危険に晒される。プランBではアトラスの危険は大きくなるが、 アルシオーネとエレクトラは比較的安全だ。 | ||
アトラス | それなら、プランBだな。 | ||
アルシオーネ | ……待て! | ||
アトラス | だがこの作戦じゃ、エレクトラの面倒は見れなくなる。 | ||
アトラスはアルシオーネの頭を撫でた。 | |||
アトラス | アルシオーネ、姉さんを頼んだぞ。 | ||
アルシオーネ | ……わかった。 | ||
作戦を決めると、私たちはすぐに予定していたエリアへとたどり着いた。 私とアトラスは前方でルートを検め、後方にいるアルシオーネが、 作戦内容とエレクトラの容態を繰り返し確認しては、時おり私たちに状況を伝えた。 | |||
アルシオーネ | エレクトラの体温が凄まじく上がっておる、しかもメンタルが再起動しおった。この調子なら、すぐに目を覚ますはずでおじゃ! | ||
アトラス | はっはっは。良いニュースが二つも舞い込んでくるとはな。 | ||
{教授} | アルシオーネ…… | ||
私はアルシオーネに冷静になるよう諭そうとしたが、 アトラスが私の腕を引いて、首をふった。 | |||
アトラス | いいんだ、好きにさせておけ。あいつなりに落ち着こうとしてるのさ。 | ||
アトラス | カイナの信号はまだ近づいてない。今のあいつにできることは限られてる。エレクトラが傷ついたことに、責任を感じているはずだ。 | ||
{教授} | ……彼女のこと、よくわかってるんだな。 | ||
アトラス | お前だってそうだろ。ただ、忘れちまっただけさ。 | ||
アトラスは私の肩を叩いた。 | |||
アトラス | さてと、引き続き道を片付けるとするか。親友、ここで間違いないな? | ||
{教授} | ああ。この分かれ道から、カイナを待ち伏せ場所へと誘導する。 だが、まずは付近のエントロピーを一掃しなくては。 | ||
アトラス | 了――解ッ! | ||
アトラスは慣れた手つきで、アルシオーネの弓と矢筒を取り出した。 簡単に調整を行ってから、壁に照準を合わせる。 | |||
次の瞬間、耳元で空を切り裂く音がした。 余韻が消える頃、壁に張り付いていたエントロピーが動きを止めた。 | |||
アトラス | 壁の罠はこれでよし。それと、カイナに「とっておき」を用意しておいた。 | ||
{教授} | 爆弾矢か? | ||
アトラス | はっはっは!さすがは親友!アルシオーネの矢筒に入ってたんだ。起爆の時間をコマンドで調整できる。壁の残ったオペランドと組み合わせれば、かなりの殺傷力になるぜ。 | ||
アトラス | 起爆するタイミングは、アルシオーネに委ねればいい。 | ||
そう言いながら、アトラスは長弓と爆弾矢の起爆コードをアルシオーネに手渡した。 | |||
{教授} | ……なるほどな、良いアイディアだ。 | ||
アトラス | お前を見て閃いたんだよ、親友。 | ||
アトラスは笑って私の肩を叩くと、後方を一瞥し、 エレクトラの容態を注意深く確かめているアルシオーネを見た。 そして予定のポイントに立ち、前方の道に向かって攻撃姿勢を取る。 | |||
アトラス | これで準備は整ったな。あとは、カイナが来るのを待つだけだ。 | ||
{教授} | ……以前の私も、君のように仲間の武器を熟知していたのか? | ||
アトラス | はっはっは!さっき、アルシオーネの矢で作った「とっておき」のことだな? | ||
アトラスが下顎を撫でる。 遠い記憶を思い出したようだ。 | |||
アトラス | 俺は昔、アルシオーネの訓練を手伝ってたんだが、あいつは学ぶのが早くてなぁ。だがいつも、武器と消耗品の補充を忘れちまう。 | ||
アトラス | 戦ってたら矢がなくなってた、なんてことがしょっちゅうだ。まぁ、今でもたまにあるんだが…… | ||
{教授} | アルシオーネの装備の点検と準備は、ぜんぶ君が担当していたのか? | ||
アトラス | それと、訓練の一部もな。担当ってわけじゃない、念のため確認しておく程度さ。 | ||
{教授} | 意外だな。 | ||
アトラス | そうかぁ?お前だって似たようなもんだぞ。 | ||
{教授} | 私が? | ||
アトラス | 短剣の扱いは伊達じゃないし、武器の設計図も山ほど持ってるだろ。信じないんなら、データベースを見てみろ。 | ||
{教授} | ……まさか、エレクトラの担当は私か……? | ||
アトラス | はっはっは!そういうこった。サイコロで決めただろ? | ||
私にその記憶はないが、アトラスの説明を聞いて、私は思わず笑みをこぼした。 | |||
私たちはそんなふうに、他愛ない会話を続けた。 アルシオーネの表情からも焦燥感が消え、完全に戦闘態勢に入ったようだった。 | |||
同時に、視覚システムが警告文で真っ赤に埋め尽くされたかと思うと、 それも徐々に消えていった。 | |||
アトラス | 気をつけろ、来るぞ! |