無律背反 PART.7 不破の加護

Last-modified: 2025-02-19 (水) 00:43:29

タルタロスセクター、外環の奥深く。
 迷宮の奥深くへと撤退した私たちは、キュービックマップの指し示す通りに、
進行ルートを頻繁に変更しつつ、いくつもの角を曲がって前へと進んだ。
 両側の壁には、黒紫色の軟体生物が植込みのように一面に広がっている。
材質のわからない異物が、海の波のごとくゆらゆらと揺れているのだ。
生物の体表を覆う陥没した皮膚は蠕動し、見るものをぞっとさせる。
ボソボソとした鳴き声は、まるで幼子のうわ言のようだ。
{教授}気をつけて――
 キンッ――
 巨大な剣が振り上げられ、私の忠告と黒紫色の触手を一太刀にした。
本体から切り離され、地面に落ちた触手が狂ったようにのたうっている。
さながらゲストの無礼を激しく咎めるかのように。
アトラス心配するな、勝手はわかってるさ。敵は俺にまかせて、お前はルートの制定に専念しろ。
アトラスアルシオーネもだ、あまり無理はするな。お前とエレクトラの状況は?
アルシオーネエレクトラはスリープモードに入った、さしあたっては安定しておる。ふぅ……まろは――
 アルシオーネは手中から放たれた金色の矢が、彼女の言葉を補った。
 ――まだやれる。
アトラスそう強がるな、ダメなら俺が代わる……ゴホッ……
{教授}アトラス?その脇腹の傷……
アトラスああ、これか……ははっ。さっきの爆発が思ったより強烈でな。事前に起動しておいた防御フィールドも、完全には防ぎきれなかったようだ。
アトラスこんな低レベルなミス、口にするのも憚れるぜ。問題ない、中環エリアで治療すれば済むことだ。今はまだ、やるべきことがある。
 アトラスは笑顔を収め、周囲を警戒した。
足取りを緩める気配はない。
アトラスさっきの爆発に乗じて、あのカイナとかいうエントロピーを仕留めようと思ったんだが、失敗した。
{教授}そんな状況で、まだ戦うつもりだったのか……
アトラスあのエントロピー、これまで遭遇したどの上位よりも遥かに強い。嫌な予感がするんだ……あいつにはおそらく、すぐに追いつかれる。
{教授}どうやら、まだタルタロスの中環へは向かえそうにないな。
ルートの制定は引き続き私が。まずはエントロピーの包囲を突破するぞ。
アトラス俺が先陣を切る!はぐれるなよ、しっかりついてこい!
 
{教授}ここなら安全だ、ひとまず休憩しよう。
アトラスお前たちは休んでろ、俺が警戒しておく。
 アトラスは座ろうとせずに、険しい表情でメイン供給タワーの方向を見つめた。
アトラスあのカイナをどうにかしないとな。このまま中環に入ったところで、窮地に陥るだけだ。それに、俺たちの目的を知られちゃまずい。
アルシオーネ……あの女、撒いても撒いても追ってくるでおじゃ。よもやこの迷宮に、われらの知られざる妙な機能が備わっているのではあるまいな……
 アルシオーネが慎重にエレクトラを横たわらせる。
その閉じられた両目を見て、アルシオーネは拳を握りしめた。
アルシオーネカイナ……この代償は支払ってもらうぞ……!
(選択)1.衝動的になるな、落ち着け。A
2.私にまかせろ、今度こそあいつを叩き潰してやる!B
A{教授}タルタロスで遭遇したエントロピーの強さは、今までの個体を遥かに凌ぐ。
特に、あの奇妙な波動が放たれてから……
アルシオーネハァ……そちの言う通りでおじゃる、{教授}。エレクトラがかような目に遭うたのも、すべてはまろの無鉄砲によるもの。二度と同じ轍を踏んでたまるか……
アトラス大丈夫だ、アルシオーネ。俺と親友がついてる。上位浄化者三人が全力で戦えば、相手が多少手強かったところで、上位エントロピーなんざ取るに足らんさ。C
Bアトラスはっはっはっは!さすがは親友、その意気だ!
 アトラスは私とアルシオーネの肩を抱いた。
アトラスそうだ、相手が多少手強かったところで関係あるもんか。上位浄化者三人が全力で戦えば、上位エントロピーなんざ取るに足らんさ。C
Cアトラスそれに、奴が追ってきてるのはわかってる。主導権はこっちにあるってわけだ。
 アトラスは私の手にあるキュービックマップを指さした。
その意図を察して、三人が顔を見合わせる。
アルシオーネ事前に計画を立てるでおじゃ。今度こそ、あの変態女をギッタギタにしてくれるわ!
{教授}少し時間が欲しい。偽装コードの失効と、
エントロピーが強化されたことも含めて計画を練らないと。
タルタロスを訪れたばかりの時と今では、敵の強さが桁違いだからね。
{教授}データは嘘をつかない、オペランドの消耗記録を確認したんだ。
当初と比べて、下位エントロピーを倒すのに必要なオペランドが、
二倍近くにまで膨れ上がってる。
{教授}前線部隊からの情報と、キュービックマップの表示を加味すると……
 手中のマップが高速回転し始めると同時に、
目の前のデータフローが勢いよく流れ出した。
{教授}ここだ。そう遠くないところに、待ち伏せに適したエリアがある。
 私はスクリーン上にエリアを囲った。
脳内にプランを素早く形成し始める。
{教授}選べる作戦は二つ。リスクの比重が異なるだけで、成功率はどちらも同じだ。
プランAは誰もが均等に危険に晒される。プランBではアトラスの危険は大きくなるが、
アルシオーネとエレクトラは比較的安全だ。
アトラスそれなら、プランBだな。
アルシオーネ……待て!
アトラスだがこの作戦じゃ、エレクトラの面倒は見れなくなる。
 アトラスはアルシオーネの頭を撫でた。
アトラスアルシオーネ、姉さんを頼んだぞ。
アルシオーネ……わかった。
 
 作戦を決めると、私たちはすぐに予定していたエリアへとたどり着いた。
私とアトラスは前方でルートを検め、後方にいるアルシオーネが、
作戦内容とエレクトラの容態を繰り返し確認しては、時おり私たちに状況を伝えた。
アルシオーネエレクトラの体温が凄まじく上がっておる、しかもメンタルが再起動しおった。この調子なら、すぐに目を覚ますはずでおじゃ!
アトラスはっはっは。良いニュースが二つも舞い込んでくるとはな。
{教授}アルシオーネ……
 私はアルシオーネに冷静になるよう諭そうとしたが、
アトラスが私の腕を引いて、首をふった。
アトラスいいんだ、好きにさせておけ。あいつなりに落ち着こうとしてるのさ。
アトラスカイナの信号はまだ近づいてない。今のあいつにできることは限られてる。エレクトラが傷ついたことに、責任を感じているはずだ。
{教授}……彼女のこと、よくわかってるんだな。
アトラスお前だってそうだろ。ただ、忘れちまっただけさ。
 アトラスは私の肩を叩いた。
アトラスさてと、引き続き道を片付けるとするか。親友、ここで間違いないな?
{教授}ああ。この分かれ道から、カイナを待ち伏せ場所へと誘導する。
だが、まずは付近のエントロピーを一掃しなくては。
アトラス了――解ッ!
 アトラスは慣れた手つきで、アルシオーネの弓と矢筒を取り出した。
簡単に調整を行ってから、壁に照準を合わせる。
 次の瞬間、耳元で空を切り裂く音がした。
余韻が消える頃、壁に張り付いていたエントロピーが動きを止めた。
アトラス壁の罠はこれでよし。それと、カイナに「とっておき」を用意しておいた。
{教授}爆弾矢か?
アトラスはっはっは!さすがは親友!アルシオーネの矢筒に入ってたんだ。起爆の時間をコマンドで調整できる。壁の残ったオペランドと組み合わせれば、かなりの殺傷力になるぜ。
アトラス起爆するタイミングは、アルシオーネに委ねればいい。
 そう言いながら、アトラスは長弓と爆弾矢の起爆コードをアルシオーネに手渡した。
{教授}……なるほどな、良いアイディアだ。
アトラスお前を見て閃いたんだよ、親友。
 アトラスは笑って私の肩を叩くと、後方を一瞥し、
エレクトラの容態を注意深く確かめているアルシオーネを見た。
そして予定のポイントに立ち、前方の道に向かって攻撃姿勢を取る。
アトラスこれで準備は整ったな。あとは、カイナが来るのを待つだけだ。
{教授}……以前の私も、君のように仲間の武器を熟知していたのか?
アトラスはっはっは!さっき、アルシオーネの矢で作った「とっておき」のことだな?
 アトラスが下顎を撫でる。
遠い記憶を思い出したようだ。
アトラス俺は昔、アルシオーネの訓練を手伝ってたんだが、あいつは学ぶのが早くてなぁ。だがいつも、武器と消耗品の補充を忘れちまう。
アトラス戦ってたら矢がなくなってた、なんてことがしょっちゅうだ。まぁ、今でもたまにあるんだが……
{教授}アルシオーネの装備の点検と準備は、ぜんぶ君が担当していたのか?
アトラスそれと、訓練の一部もな。担当ってわけじゃない、念のため確認しておく程度さ。
{教授}意外だな。
アトラスそうかぁ?お前だって似たようなもんだぞ。
{教授}私が?
アトラス短剣の扱いは伊達じゃないし、武器の設計図も山ほど持ってるだろ。信じないんなら、データベースを見てみろ。
{教授}……まさか、エレクトラの担当は私か……?
アトラスはっはっは!そういうこった。サイコロで決めただろ?
 私にその記憶はないが、アトラスの説明を聞いて、私は思わず笑みをこぼした。
 私たちはそんなふうに、他愛ない会話を続けた。
アルシオーネの表情からも焦燥感が消え、完全に戦闘態勢に入ったようだった。
 同時に、視覚システムが警告文で真っ赤に埋め尽くされたかと思うと、
それも徐々に消えていった。
アトラス気をつけろ、来るぞ!