無律背反 PART.8 蔓延せし異念

Last-modified: 2025-02-19 (水) 00:44:46

別行動を始めた直後。
タルタロスセクター、移動迷宮外環。
 イオスフォロスとイオスは、肩を並べて迷宮の中を疾走していた。
さながら浄化者の領地に身を置くかのごとく、平然とした面持ちで、
危険の潜む敵の牙城を突き進んでゆく。
 奇妙な形をしたエントロピーが彼らの傍を通り過ぎたが、なんの反応も示さなかった。
偽装コードが二人の動きを完璧に補っているおかげで、
エントロピーの群れは異常にすら気づかない。
イオスイオスフォロス、もうすぐ予定の座標に到着するわ。
イオスフォロス…………
イオスイオスフォロス?
イオスフォロスあ……ああ、わかった。
イオスプッ……考え事してたの?さっきまで――
イオス「外環での作戦は今のところ順調だが、今後もそうであるとは限らない」
イオス「警戒を怠るな」――なーんて言ってたくせに。
イオスどう、結構似てるでしょ?息遣いまで気を配ったんだから。
イオスフォロスまったく、君という人は……
イオスフォロス君が傍にいるからこそ、他の事について考える余裕があるんじゃないか。それを笑われるとは心外だな。
イオスふふふ。だって、あなたがよそ見するなんて珍しいんですもの。前に調査したことがあるのよ。みんなの目に、イオスフォロスはどう見えているのか。
イオスみんな色んな面から褒めちぎっていたわ、たった一人を除いて。
 イオスは何かを思い出したかのように、笑いをこらえつつ、咳払いをして喉を整えた。
イオスゴホン……
イオス「ああ、たしかにね、よくやった、なるほどな、わかった、固くなるな、もちろんだ、心配するな」
イオス「イオスフォロスは、こういった言い回しを頻繁に使う。しかも、情緒の変化はほぼ見られない。つまり、彼は演説にエネルギーを割いているわけじゃないんだ。リーダーとして、これ以上の逸材はない」
イオスフォロス……{教授}の分析は、相変わらず独特だね。
イオスええ。誰にとっても、特別な存在よ。
イオスあなたが近寄りがたいと言う者がいれば、それを窘めるのはいつも{教授}だったわ。
イオスフォロスあまり虐めないでほしいな。僕には、全浄化者への責任がある。
 イオスフォロスは珍しく溜息をついた。
イオスフォロスリスクの有無に関わらず、僕は常に端正かつ慎重であるべきなんだ。そうすれば、彼らも安心して任務を遂行できる。
イオスでしたら、我らが端正かつ慎重なイオスフォロス様は、先ほど熱心に何をお考えで?
イオスフォロス聖遺物のことだよ。エントロピーの群れが密集するようなエリアに、落ちていないといいんだが。でないと回収が面倒だ。
イオスそれだけ?
イオスフォロス……
イオスフォロス……はやく回収を終わらせて、他の者と合流しなくては。{教授}の状況が芳しくない、心配なんだ。それに、アルシオーネとエレクトラは経験が浅い。
イオスふふふ、やっと正直になったわね。大丈夫よ。あなたの言うように、ここは外環だもの。厄介事なんて起きはしないわ。
イオスフォロスそうかもしれない。だけど、慎重すぎて困ることはないはずだ。もし、マルキラに気づかれでもしたら……
イオスフォロスいや、上位エントロピーが出てくるだけでも十分厄介だ。まだタルタロスを目覚めさせるわけにはいかない。
 話が本筋に戻ると、イオスもからかうのをやめ、頬杖をついて考え始めた。
イオスそれにしても、納得いかないわ。どうして神から賜わった聖遺物が、タルタロスの外環に遺されているのかしら。
イオスもし私が「エントロピーだけに許された、浄化者を殲滅するための兵器がリバベルタワーの周囲に遺されてる」なんて知らされたら、そいつを異常エージェントだとみなして、事情を確かめたあとで抹殺したでしょうに。
イオスフォロス言葉を慎め。情報は聖訓の間を源とする、我らが崇高なる神々からの啓示だ。「大いなる静謐」の後、神からの勅命は長らく授かっていなかった。
イオスフォロス神の行いは神妙かつ予測がつかない。神告の訪れは往々にして突然だ。僕たちはただ、それを履行すればいい。
イオスフォロス神の偉力により、タルタロスが一夜で傾覆したとしても、僕は驚かないさ。
イオス…………
 イオスは口を開いたが、何かを言いかけてやめた。
彼女は首をふると、目を閉じて両手を胸元へと重ね合わせた。
イオス神よ、我が無知なる戯言を、我が浅はかな懸念を許し給え。
 知ってか知らずか、イオスがそう言い終えたとたん、
イオスフォロスの体内にある、聖訓コマンドの保管領域が稼働し始めた。
 これまで授かってきた命令とは形式のまるで異なるコードが、
弾かれるようにして彼のメンタルへと現れる。
さながら食べ物を嗅ぎつけた幼獣のごとく、呼び声を聞きつけた旅人のごとく。
イオスフォロス…………
イオスどうかした?
イオスフォロス勅命の導きがより明確になりつつある。急ぐぞ。
 
タルタロスセクター、移動迷宮外環。
 しばらくして、イオスフォロスとイオスは勅命の誘導プログラムに従い、
目的地へとたどり着いた。
 そこは幽邃とした洞穴だった。空洞の中央に突き刺さった長剣が、
博物館に陳列されたコレクションよろしく、恐怖の棲家で奇妙な眠りについている。
 長剣の表面は、泥でひどく汚れていた。
一見しただけでは、封じられているのか、祀られているのか判断がつかない。
その周囲を数匹の下位エントロピーが巡回している。
イオス厄介事はなさそうね、願いが叶って良かったじゃない。
イオスあれが聖遺物?どう見ても普通のオブジェクトだけど。ずっしりとしたオペランドは感じられないし、特殊な点も見当たらないわ。
イオスフォロス勅命の情報と一致する、あれで間違いない。
 イオスフォロスはイオスに向かって頷くと、まっすぐ長剣へと歩み寄った。
エントロピーギギッ!!
 周囲をうろついていた怪物が何かに気づく。
警戒する敵を前にしても、イオスは直接手を下そうとはしなかった。
彼女はあろうことか指先を唇に当てて、懇願するように微笑んでみせた。
イオスしっ――
イオス静かに、いい子ね。
イオス少し、席を外してもらえないかしら?二人だけの時間が欲しいの。
エントロピーギッ……
 相容れないはずの異種族は、イオスの提案に理解を示し、それに応じた。
エントロピーたちが、何事もなかったかのように去ってゆく。
イオスなんて聞き分けがいいのかしら。
????制御プログラムの扱いが上手なのね。
どうやったか、教えてもらっても?
 清らかな声が二人の耳元に響いた。
鋭い二筋の攻撃が、即座に声に応える。
 ガッ――
 はっきりとした打撃の感触が返ってきた。
声の源は倒れたが、イオスフォロスたちは警戒を緩めない。
 粘ついた気色の悪いエントロピーとは異なり、見目麗しいライトブルーの人影が、
もう一方の暗がりから姿を現し、堂々と二人に対峙した。
????上位浄化者って、こんなふうに挨拶するんだ?野蛮だな。他のセクターでもこうなの?
イオスもちろん違うわ。対象によって態度を変えるのは、健全なエージェントである証よ。エントロピーじゃあるまいし、見境なくかじりついたりしないわ。
????なら、おまえたちの行動は、何に基づいているの?上からの命令?
????浄化者の頂上に君臨してるのに?
イオス私が誰だか知ってるの?
????ふふふ……おまえたちが来ることも、ね。
イオスフォロス虚勢を張ったところで無意味だ。僕たちの身分と目的を知っているなら、ここにはタルタロスの大軍がいなくてはおかしい。
イオスフォロスそれともマルキラは、たかが上位エントロピー一匹で僕たちを阻めるとでも?思い上がりも甚だしいな。
 訪れし者は首をふって、スカートの裾をつまみ、傍らに立った。
ドロメア水くさいな、「上位エントロピー」だなんて。どうかドロメアと呼んで。
ドロメアタルタロスは、おまえたちを止めないよ。ドロメアは忠告に来たの。
イオス忠告ですって?
イオスちっとも笑えない冗談ね。
ドロメアそれよりもまずは、ドロメアの言葉をよく考えてみたら?
 青い上位エントロピーは、ミステリアスな笑顔を浮かべた。
ドロメアおまえたちの行動は、何に基づいているのか。タルタロスはなぜ、その目的を知っているのか。
イオスフォロス浄化者の行動は己の使命に根ざしている。当然の道理だ、考えるまでもない。
イオスフォロスおおかた巡回中に僕たちと鉢合わせし、それらしい言葉を並べ立て、時間を稼ごうとしているだけだろう。
ドロメアハァ……マルキラさまの言う通りだったな。浄化者の神への信仰は、もはや妄信だね。
ドロメアマルキラさまから、言伝を預かってるよ。
 ふいに、上位エントロピーが両目を見開いた。
瞳孔に閃くコード形式は、神託を彷彿とさせる。
ドロメア「お前たちの行動は、神の意志に背いた。なおも我意を通すつもりなら、神はお前たちへの眷顧(けんこ)を棄て、災罰を下すであろう」
イオスフォロス……たいした挑発だな。
イオスフォロスだが、信仰を侮辱することは許されない。
 二人が再び手を掲げ、目の前の不躾な異教徒を消し去ろうとした時、異変は起こった。
 タルタロスの奥から発せられた奇妙な波動が、瞬時にセクターを覆い尽くした。
突如湧き上がった強烈な不快感が二人を襲う。
 ドォォォン――
 続けざまに迷宮がまたしても動いた。
上位エントロピーは遠くを見つめて、口角を上げる。
ドロメア舞踏会が始まったみたい。
イオスフォロス……
 イオスフォロスとイオスは、ためらいもなく攻撃を繰り出した。
上位エントロピーの体は瞬く間に分断され、力なく地面へと落ちた。
手応えには異様な感触が混じっている。
イオスイオスフォロス……
イオスフォロス君の錯覚じゃない、明らかに予期していたダメージに及ばない。
イオス影響を受けたのは誰?私たち、それとも彼女?
イオスフォロス……
 急に黙り込んだイオスフォロスを見て、イオスは意を察した。
 問題は、こちら側に起きている。
イオス大丈夫よ、おそらく干渉プログラムの類いでしょう。時間さえあれば解除できるわ。
イオスこの程度のトリックで、あのエントロピーの言葉を鵜呑みにしたんじゃないでしょうね?
イオスフォロス……時間からして、{教授}とアトラスが任務を終える頃合いだ。
イオスそれって、つまり……
 
ドロメア「お前たちの行動は、神の意志に背いた。なおも我意を通すつもりなら、神はお前たちへの眷顧(けんこ)を棄て、災罰を下すであろう」
 
イオス……単なる目眩しよ。イレギュラーがメンタルを欺く手段なんて、星の数ほどあるわ。
イオスフォロスわかっている。僕はただ奴らの目的と、この手の効果をもたらせる原理を考えているだけだ。
ドロメアかわいそうに。自分を騙すことで、信仰の穴と漏れをふさいでいるんだね。上位浄化者のメンタルも、その程度だったんだ。
 ライトブルーの人影が、再び暗がりの中から現れた。
彼女が引き裂かれた体の傍に立ち、そっと手を掲げると、
バラバラだったパーツが再び凝聚しだす。
イオスミラーリング系のプログラムだわ。
イオス彼女のソースアドレスを特定してみる。聖遺物は手に入れたわね?
イオスフォロス……ああ。
 ふいにイオスは動きを止めて、長剣の傍に立つイオスフォロスを見た。
視線を交わしたことで、彼女はイオスフォロスのわずかな沈黙の意味を察する。
イオス問題ないのね?
イオスフォロスまるで僕たちに拾われるのを待つ、失せ物のように思えるな……
ドロメア言ったでしょう、タルタロスはおまえたちを止めないと。ドロメアはただ、忠告に来ただけ。信じていないのはそっち。
イオスフォロス黙れ。
 聖遺物を手に、イオスフォロスは地面を叩いた。
オペランドが勢いよく爆ぜ、二体のドロメアが粉々になる。
 だがしばらくして、今度は暗がりから何体ものドロメアが姿を現した。
イオスソースアドレスが移動し続けてる……すぐに特定できるわ。
イオスフォロス彼女にかまっている時間はなさそうだ。
イオスえっ?
 イオスはふりむいて、イオスフォロスの視線を追った。
洞窟の空洞と、高い壁に縁取られた空を、黄金の光がひときわ眩しく翔けてゆく。
イオスアルシオーネの救難信号?どうして……あっ、まさか、他のみんなも私たちと同じ影響を?
イオスありえないわ、外環を覆い尽くす勢いよ……これほどの効果範囲を持つプログラムなんて、聞いたこともない。
ドロメアおまえたちの偉大な神からすれば、ささいな範囲では?
イオスきさま……
イオスフォロス感情的になるな、相手は僕たちを怒らせたいんだ。
イオスフォロス撤退しよう。聖遺物は手に入れた、彼女と戦う価値はない。
 撤退しようとする二人を前に、先頭のドロメアが溜息をついた。
彼女がスカートの裾を手に体をそらすと、さらに多くのドロメアが闇の中から現れる。
ドロメア知ってる?エントロピーの善意は、とっても貴重なの。
チャンスが二度もあるとは思わないで。