臨界爆震 PART.13 霊犀

Last-modified: 2025-02-05 (水) 01:28:14

データセンター、制御室。
 チューリングは巨大なコンピューターの前に立ち、
緊張した面持ちで各種パラメータとコマンドを入力していた。
チューリングオペランドの解凍開始……これは、データセンターの操作権限……
チューリング「アドミニストレーター権限:Turing」……どうして私の名義になってるの?
 初めて見るはずの無数のフォルダを前に、チューリングは眉をひそめた。
チューリング全部、私のシグネチャのままだわ……
チューリングずっと封鎖されていたせいで、ハンナに名義を変更し忘れてたのかしら。
チューリングまさか、ハンナがそんなミスするわけない。それとも、あえてシグネチャを残しておいた……?
 ふと、チューリングの脳裏にかつての記憶がよぎる。
 
ハンナまぁ、今の段階ならこんなものかな。
チューリングごめんなさい、私の学習速度が遅いせいで。問題点はぜんぶ整理したわ、次のテストで必ず……
ハンナ焦る必要ないよ。チューリングはずっと前に人間の手で造られたんだもん。学ぶことが多いのは当然だし。
チューリングそうよね……ねぇ、ハンナ。テストの内容としては理解できるんだけど、どうしても実際の状況との矛盾を感じる部分があって。
チューリング例えばこの第三問、「セクター業務の優先順位」についての問題。
ハンナこの問題なら正解してるよ、なにが矛盾してるの?
チューリング……エージェントに聞いたの。私がリセットされたのは、この身を犠牲にして、一般エージェントだったあなたを守ったからだ、って。
ハンナ……
チューリングもしそれが本当なら、きっと優先順位の判断ミスが起きたせいよね?だから私は権限を剥奪されて、あなたがアドミニストレーターになった。でも、そのエージェントはそうじゃないっていうの……
ハンナ誰に聞いたのかは知らないけど、もうこの話はやめよう。
チューリングどうして?みんなが言う「あの事件」って一体なんなの?どうして教えてくれないの?今の私には、知る権限がないから?
ハンナ権限とかじゃない。ただ、今のチューリングのメンタル水準じゃ、理解できないと思うから……
ハンナチューリングは……私にとって、とても大事な存在なの。とても……だから、チューリングに不要な混乱を与えたくない。
ハンナチューリングのメンタルがもっと成長したら、私からちゃんと説明する。チューリングが知りたがってる情報は、その日が訪れるまで大切に保管しておくから。
 
チューリングまさか……ここが……私が「犠牲」になった場所?
 チューリングはスクリーンを見た。
コマンドの入力に伴い、解凍のプログレスバーが一定の速度で進んでゆく。
 そして再び、先ほどの一面のフォルダに視線を移す。
そっとコンソールを操作して、中にあるデータを閲覧し始める。
チューリング……防御システム……浄化者……Tシリーズ……
チューリングこれだけのオペランドを、ここの防御システムに充てていたの?「Tシリーズ」という一般エージェントを守るためだけに……
チューリング職位も権限もない、生まれたばかりの一般エージェントに、なぜそこまでする必要が?
チューリングロッサムにとって、なにか特別な意味を持っていたのかしら?
 チューリングはふと、ハンナの顔を思い出した。
思考を遮るかのように、興味深いフォルダの名前が目に入る。
チューリング「カリキュラムとテストの手配」……?
チューリングハンナのカリキュラムによく似ているわ……項目ごとに映像データまで残してるのね。
 所狭しと並ぶデータを目にしたチューリングのメンタルに、
いまだかつてない感情が芽生え始める。
??今日はT1642が初めて自主的に実験を行うわ。
あの子、学習スピードは凄まじいんだけど、やっぱり心配ね……
チューリングこれは……私の声?
 
「チューリング」映像データにして残しておきましょう。
これをもとに、今後のカリキュラムを調整できるし。
 ガタンッ――
「チューリング」どうしたの、1642!?
T1642チューリング、エラー、チューリング、エラー、サポートを要請、サポートを要請……
 カメラが慌てて実験室へと向けられた。
見れば、コンピューター上の実験用プログラムが、どれも好き勝手に稼働している。
カメラを持つ人物が、とっさに安堵の溜息をついた。
 簡単にパネルを操作すると、コンピューターは正常に稼働し始めた。
「チューリング」データをロールバックしておいたから、大丈夫よ。
びっくりした、てっきりあなたが怪我したのかと思ったじゃない。
T1642申し訳ありません、チューリング。これまでの研究データが……
「チューリング」研究データなら、始めから記録し直せる。
「チューリング」でも、あなたは唯一無二なのよ。
「チューリング」あなたが無事ならそれでいいの。
おいで、T1642。私の大事な宝物――
 
チューリング「私の大事な、宝物――」
 ウーーー
 突如鳴った警報音が、チューリングを現実へと引き戻した。
システム音声【警告、緊急防御障壁が突破されました!】
【警告、緊急防御障壁が突破されました!】
チューリングそんな……ソルさんは……!
 チューリングはセキュリティカメラの映像スクリーンに飛びついた。
 
データセンター、正面ゲート付近の廊下。
 狭い廊下には様々な研究用機材が並べられ、人が一人通れる程度の隙間しかない。
 障害物の前を蠢くエントロピーの群れが、ほんの僅かな光さえも遮った。
 奴らにここは突破できない――その仄暗い廊下には、
双剣を手にした金髪金眼の人形が立ちふさがっているからだ。
ソルどうした、かかってきなよ?ほら。
ソルあたし一人に怯えちゃってさぁ、ザマぁないね!あんたらのボスに顔向けできんの?
トゥイナーガァッ!!
 挑発が効いたのか、一匹のトゥイナーが隙間を通り抜けてきた。
 シュッ!
 小気味よい斬撃音とともに、トゥイナーが一刀両断にされる。
一方で、ソルのエントロピー免疫プログラムも限界をきたし、
黒紫色の脈絡が彼女の腕からゆっくりと這い上がってゆく。
チューリングソルさん!
ソルあっ、チューリング?どうしたの、なにか問題あった!?
 突然、廊下にチューリングの声が響いた。館内の通信設備を通じて語りかけているのだ。
ソルは彼女に応答しつつ、手の甲についた黒紫色のオペランドを振り払った。
そしてすぐに視線をモンスターたちの方に戻す。
チューリングううん、解凍プログラムの稼働は順調よ。
チューリングただ、あなたの様子が気になって……
ソルそっか、なら良かった。こっちも問題ないよ、狭い廊下でなら一匹ずつ対処できる。
ソル障害物が必要だったから、勝手に色々動かしちゃった。大事な機材だったらごめんね。あとであたしからハンナに謝っとくよ。
ソルおーい!死にたいヤツもういないー?
 機材で埋め尽くされた廊下で、エントロピーとソルは対峙を続けている。
チューリング強がったって無駄よ、監視カメラから見えてるわ。両手が紫色に……ウイルスに感染してるのね?
チューリング無理はしないで、建物内に射撃システムがあるらしいの。起動できるか試してみるわ。これだけのエントロピーが相手じゃ……
ソルああ、あったね、そういえば……有り難いけど、多分、アンナじゃないと難しいだろうな。
ソルこいつら数は多いけど、オツムは弱いんだよね。見なよ、あたしに倒されるために、仲良く一列に並んでんの。
チューリング自分がフラついてるのに気づいてないの?今にも倒れそうよ……
ソルえっ?あたし、フラついてた?そんな風に感じないけどな……
チューリングそれに、ゲートにエントロピーがどんどん押し寄せてきてる。このままじゃ突破されるのは時間の問題だわ。
ソル大丈夫だって言ってるじゃん。チューリングにもらったオペランドがあるんだし――はぁッ!
 隙間からこちら側へ来たエントロピーを、ソルが斬り伏せた。
その勢いに乗じて壁に寄りかかる。
ソルあのさ……チューリング。チューリングはチューリングにできることをしなよ。オペランドを解凍し終えたら、ハンナとクロックに送るんだ。
ソルそれが終わったらすぐに逃げて。制御室でならマップは見れるよね?きっと緊急通路があるはずだ。あたしと合流しなくていいから、そこから真っ先に逃げるんだよ。
チューリング同意できないわ、それではあなたを危険に晒してしまう。
ソルあんたは戦えない。あたしの任務はあんたをここへ送り届けて、用事を終えたら、ここから無事に逃がすこと。目標達成まであとほんの少しだ。
チューリングわからない……あなたはロッサムのエージェントじゃないのよ。なぜ私たちのためにそこまでするの!?
チューリングあなたを犠牲になんてできないわ。ソルさん、通路を何かで塞いで、今すぐ逃げて。後は私が……
ソル犠牲になんてなるもんか。
ソル生き延びるのは、ここで死ぬよりもよっぽど難しいんだ。チューリングがあたしを信じてくれれば、すべてが終わった後にまた会えるさ。
ソルだから今は、自分が生き延びることだけ考えろ!
チューリングでも、今の私はアドミニストレーターでもなんでもない、ただの一般エージェントなのよ!?
ソル何言ってんの。チューリングにもしものことがあったら、ハンナを泣かせちゃうでしょ。
チューリング……ハンナ……
ソルハンナにとって自分がどんなに大切か、チューリングだってわかってるくせに。
ソル約束してよ、ここから生き延びるだけでいいからさ。
チューリングソルさん、私は――
 ガシャンッ――
 突然の騒音に言葉が遮られる。ソルがとっさに、傍にあった障害物を蹴飛ばしたのだ。
廊下の前方から、何かが床に叩きつけられる音が響いたが、
命中した手応えは得られなかった。
ソルチッ……避けられた?
???さすがね……私の気配に気づくなんて……
ソルお前がこいつらのボスか?あれっ、この声、どこかで……
ソルまぁいっか、ようやく黒幕のお出ましだ。あたしと一対一で勝負しな!
???ええ、喜んで……と言いたいところだけど……
ソルハァ!?やるの、やらないの?
???どちらも……同じこと……
???殺しても……殺さなくても、同じこと。
???問題は、オペランドが送り出せたか……あなたは、単なる時間稼ぎ……
ソルふぅん、少しは頭が働くんだ。
ソルつまり、あたしとの一騎打ちから逃げる気なんだな?
???総員……正面ゲートより撤退。
???彼女たちが言ってた、緊急通路……そこから攻める。
ソルさせるかッ!!
 ソルはすばやく剣をふるい、空中に一筋の炎を咲かせると、
敵の群れへと飛び込んでいった。
???遅い……
 敵がソルの斬撃を避ける。
エントロピーの大群がソルへと一気に群がった。
だが、ソルは止まらない。
 破損した研究設備のコードから、火花が上がっているのをソルは見逃さなかった。
煌めく刃で重なり合う機材へと素早く斬りかかり、瞬時に大きな火花を散らす。
それに激しい爆発が続く――
 ドォンッ!!!
ソルゴホッ……ゴホッゴホッ……
 煙が晴れると、廊下は爆発で崩壊した瓦礫によって埋もれていた。
 ソルは額から流れるオペランドを拭う。
瞳には熱狂に満ちた光をたぎらせて。
ソル残念……これでお互い……囚われの身だ……
ソル来な……何度だって言ってやるよ……あたしと一対一で戦え!!
 
チューリングソルさん!!
 爆発の衝撃でセキュリティカメラが破壊される直前、
スクリーンにはエントロピーの群れに飛び込むソルの姿が映っていた。
チューリングどうして……どうしてそこまで……
チューリングオペランドの解凍はすぐに終わる、あと数分でハンナたちに転送できるのよ、もう戦う必要なんてないのに……!
チューリングわかってる……ソルさんは、私の撤退する時間を稼いでいるんだ……
 チューリングは最後のコードを入力しながら、素早く思考を巡らせた。
 ソルを助けにいくか、それとも彼女の言うようにここから撤退するか。
 戦う能力もない自分に、一体何ができるだろう?
 ドォンッ!
 遠くから激しい爆発音が聞こえる。
ふいに、足元が揺れだした。
チューリングもし私が、ここに留まったら……
 
ハンナチューリングは……私にとって、とても大事な存在なの。とても……だから、チューリングに不要な混乱を与えたくない。
ハンナチューリングのメンタルがもっと成長したら、私からちゃんと説明する。チューリングが知りたがってる情報は、その日が訪れるまで大切に保管しておくから。
 
「チューリング」でも、あなたは唯一無二なのよ。
「チューリング」あなたが無事ならそれでいいの。
おいで、T1642。私の大事な宝物――
ソル生き延びるのは、ここで死ぬよりもよっぽど難しいんだ。チューリングがあたしを信じてくれれば、すべてが終わった後にまた会えるさ。
ソルだから今は、自分が生き延びることだけ考えろ!
 
 かつての記憶が、走馬灯のように目の前をよぎる。
チューリングでもそれじゃ、ソルさんたちは……
 
ソル何言ってんのさ。チューリングにもしものことがあったら、ハンナを泣かせちゃうでしょ。
ソルハンナにとって自分がどんなに大切か、チューリングだってわかってるくせに。
ソル約束してよ、ここから生き延びるだけでいいからさ。
 
チューリング……彼女たちの言うとおりだわ……
チューリング生き延びなくちゃ……彼女たちのために。
 その瞬間、チューリングは決意した。
システム音声【オペランドの解凍が完了しました、送信しますか?】
チューリングそうだ……それとは別に、ソルさんにこのプログラムを。
システム音声【プログラム入力完了、送信しますか?】
チューリング送信!
 緑色の光とともに、オペランドがネットワークを通じて運ばれてゆく。
チューリングこれでよし。あとは……緊急通路を起動して、私の権限を……
 ふと、彼女は先ほどのデータを思い出した。
システム音声【データセンターの緊急通路の起動権限を確認します】
システム音声【パスワードを入力してください】
チューリングパスワード?パスワードなんて……
 チューリングは茫然とした。
だがすぐに、彼女はとある回答を導き出す。
 複雑な感情を抱えたまま、チューリングは素早くキーボードを叩いた。
システム音声【パスワード:T1642】
【認証に成功しました】
 認証をクリアした効果音が鳴ったとたん、
膨大な量のデータフローがスクリーン中を埋め尽くした。
そして今度はチューリングの顔が映し出される。
システム音声【指向性検索完了、のべ932項目の権限を利用できます】
システム音声【おかえりなさい、Turing】