墟上之歌 戦憶探溯 PART.1 墟上

Last-modified: 2026-02-06 (金) 07:29:59

 こんな暗闇は嫌いだ。
 計器の電子音、ベッドが稼働する機械音。
そして良く知っている足音と、紙の擦れ合う音。
 
蔵音この音……家に、戻った……?
蔵音爺さま、そこにいるんです?
滕教授よく戻った、蔵音。
蔵音本当に、戻ってこれた……だったら早く教えておくんなまし。
まったく、驚くじゃありませんか。
蔵音それにしても、いつどうやって戻ってきたんだか、まるで印象にない……
視覚モジュールが起動しないのはなぜです?
滕教授壊れてるんだ、助手が換えのパーツを取りに行ってる。
滕教授お前を送り届けた者が言っていた、人間に銃で撃たれたのだと。
蔵音銃で?やっぱり、戦闘に巻き込まれたか……
あげくに一部の記憶まで失われてる……
フン。まぁ、予想はしてましたけどね。
蔵音だから言ったでしょう。
戦闘能力のないあーしらには、戦場は危険すぎるって!
滕教授すまん……だが、お前の持ち帰ったデータは素晴らしく貴重だ。
 老いてもなお力強い手のひらが、私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
私はこうされるのがたまらなく好きだった。
蔵音フン。焼き魚2匹程度じゃ到底許せやしませんね。
焼きサバ、それも最高級の天然モノをご用意いただかないと。
滕教授ははは……安心しなさい、焼きサバなら助手に用意させてる。
蔵音ふむ……ま、よござんしょ。
それなら、ここで待たせてもらいますよ。
滕教授ああ、ゆっくり休め。
 笑みが徐々に遠のくと同時に、耳元で衣類の金具がはめ込まれる音がした。
 その動作はやや難渋していた。
私が手助けしていた時のような、てきぱきとした音ではない。
蔵音……ちょいと、出かけるんです?今から?
滕教授戦火はあらゆる痕跡を呑み込んでしまう、小さな民族の歴史は瓦礫とともに崩れ去る。
滕教授お前の修復にはまだ時間がかかる。
だが、あの痕跡たちを待たせるわけにはいかん。
最後の資料データをすぐにでも確保せねば。
蔵音冗談およしなさいよ、少しは年齢を考えたらどうなんです?
しかもあすこは戦場ですよ!?
君子危うきに近寄らず、そう教えたのは爺さまでござんしょう!
 待って、行かないで。
行ってはだめ。
滕教授助手の言うことを、ちゃんと聞くんだぞ。
 爺さま、行かないで!
蔵音……あーしが回復してからでも遅くないでしょうに!
もしものことがあったらどうするんです!?
誰もあーたを助けられやしませんよ!
 怪我をしてしまう、跳ねた弾丸に脊椎を貫かれて!
私がここにいたのでは、巳ツ子もあなたを守れない!
滕教授相変わらず心配性だな。
美味しい魚を持ってきてやる、楽しみにしていろ。
 その歳でよく勝手なことができたものだ、どうして私の忠告が聞けない?
 資料採集のためなら、命さえも惜しくないのか。
わからない……なぜそうまでする必要が?
そうする価値が本当にあるのか?
 怒りの叫びが脳内にこだまする。
ガチャン――静まり返った現実の中で、扉は閉じられた。
 【警告:行動が制限されています】
【素体損傷率42%、救援を要請してください】
 さっさと動け!
忌々しい暗闇め……私の邪魔をするな!
 【警告:行動が制限されています】
【素体損傷率42%、救援を要請してください】
 見せろ……動けっての!
 訊ねなければ……なぜ危険と知っていて、なおも戦地へと赴くのか――
 
 ふいに、何者かによって目の前の暗闇が開かれた。
かき立てられた記憶が波のように退いてゆき、
今度は新しい情報が処理モジュールに押し寄せてくる。
蔵音……あまり、愉快とはいい難い夢だわね。
蔵音ここは……どこ?
??目標の再起動完了、発声システムに問題はなさそうだ。
??名前と、所属するセクターを述べろ。
 頭上から冷ややかな男性の声が響いた。
蔵音はふと、何かが後頭部に押し付けられているのに気づく。
蔵音……蔵音。しょ……所属は……クラウドセクター。
??ふむ、稼働ロジックも問題ない。立ってください。
 蔵音は体を起こして、周囲を見渡した。
 そこは戦いを終えた後の廃墟だった。
彼女はちょうど、くぼんだ瓦礫の中に収まっている。
蔵音……思い出した。とあるセクターに入ったはいいものの、アドミンセンターにたどり着く前に、何かに爆撃されて……
蔵音ここはどこなんです?
??キュクロプスセクターです。立てないんですか?
蔵音その視覚モジュールが正常なら、足が押し潰されてることくらい、気づいてもよさそうなものですけれど。
??その程度の瓦礫、エージェントなら容易くどけられるでしょう。
蔵音あのですねぇ……措辞は精確にお願いできます?こんな重たいオペランドの塊を甘ったるいウェハースなんぞに例えられるのは、キュクロプスのエージェントぐらいのものでございますから。
??通常、エージェントは所属するセクターを離れられないはずです。
蔵音正論をブン投げてる暇があったら、そのやんごとなき御手で、瓦礫をどけてくださると有り難いんですけどねぇ、ええ。
 赤髪のエージェントは彼女を見た後で、
その足を押さえつけている瓦礫をすべて取り除いた。
蔵音それで、このセクターは一体全体どうなってるんです。ここじゃ爆弾が降るんですか?
??運が悪かったですね。上位浄化者の攻撃で、このエリアの建物が崩壊したんです。
??今、セクターを少しずつ建て直しています。あなたを見つけられたのも、それが理由です。
蔵音ふぅん。で、その上位浄化者と絶賛戦闘中であらせられると。
??いえ、上位浄化者はもういません。それに、戦ったのは俺たちじゃない。
蔵音さすがは軍需セクター。上位浄化者の怒りを買うとは、威勢のいいことで。
 蔵音は立ち上がって、自身の状況を一通り検査した。
蔵音(損傷率は高くない。衣類がわずかに千切れたのと、ほんの掠り傷だけ。そんなことよりも……)
蔵音ちょいと訊ねますが、あーしを見つけた時、近くに蛇がいませんでした?
蔵音こう、小さくて可愛らしい蛇ですよ!
 身振り手振りで説明しながら、蔵音は対応する知覚モジュールを起動した。
電子音声【対応するAIアクセサリを検知、損壊率89%】
【強制スリープモードに移行しました……】
蔵音…………
蔵音困ったことになったもんです。たとえ修復しても、記憶データは吹っ飛んでるでしょう。ま~た、とんでもなく長い話を聴かせてやらないと。
??あなたは周辺で唯一生き残ったエージェントですよ。何を探してるのかわかりませんが、ここを速やかに離れたほうがいい。
蔵音戦いはとっくに終わったんじゃ?
??戦争は、いつ始まってもおかしくありませんから。
 蔵音は見知らぬエージェントの視線を追って、遠くを眺めた。
かつて、セクターに起こったであろう物語は、すでに廃墟の中へと埋もれている。
 
滕教授戦火はあらゆる痕跡を呑み込んでしまう、小さな民族の歴史は瓦礫とともに崩れ去る。
滕教授お前の修復にはまだ時間がかかる。
だが、あの痕跡たちを待たせるわけにはいかん。
最後の資料データをすぐにでも確保せねば。
 
蔵音(戦争……再建……なんて見慣れた景色。爺さまが向かったあの場所と同じ……)
蔵音(あのジジイ、こんな場所のために意固地になって……?)
??状況はわかったでしょう、ボーっとしてないで行ってください。
蔵音ま、待って……!
??他に何か用でも?
 エージェントの訝しげな眼差しに、蔵音は一瞬言葉を失った。
とっさに出た声がけに、彼女自身も驚いていたのだ。
蔵音えぇ、っと……その……
蔵音……こ、ここにしばらく、居させておくんなまし。
 エージェントが奇妙な表情を浮かべる。
??なぜここに居たいんです?
蔵音(あーしは、なぜここに居たい?)
 スリープモードから目覚めたばかりのせいか、蔵音のメンタルはひどくもつれていた。
蔵音(戦後のデータを採集するため?自分の安全を懸念して?それとも……)
蔵音あ……あーしの蛇が……じゃなかった、パートナーが破壊されちまいましてね、ええ。ただ、メンタルデータは残ってるんで、新しい媒体を探してやらないと。
 蔵音は混沌とする現状から、セクターに居残る理由を必死に探し出した。
説得力があるとは言えないが、とっさに見繕った言い訳のおかげで、
彼女はいつもの堂々としたスタンスを取り戻した――言い争いは彼女の十八番だ。
蔵音あれは大事なパートナー兼用心棒でして。こんな状態でNullエリアをぶらついて、誰が安全を保証してくれるんです?あーたが守ってくれるとでも?
??そういった要望は、残念ながら今のキュクロプスには応じられませんね。
蔵音まぁまぁ、最後のは冗談ですって。そう固いこと言わず。あーしがここに残れば、少しは力になれるかもしれませんし?互恵からの勝利こそが正義というもの!
??必要ありません。
蔵音あっそ……なら戦闘は?浄化者と戦ってるんなら、味方は多いに越したことはないでしょう?
??……自分の身も守れないような人形が、戦いに役立つとは思えませんが。
蔵音だ、だったらサポーターメカニズムは?シグネチャコードのアーカイブは?使えそうなものは一つもないんです?
蔵音ちゃんとしたゲストの身分でも?
??……
 蔵音はしつこく食い下がった。
やがて、平静なエージェントの表情にようやく一抹の変化が現れる。
??あなたはキュクロプスのエージェントじゃない、他に行くべき場所があるはずです。
蔵音はて、「行くべき場所」とは?
??通信手段はあるようですね、こちらへ。
 
 蔵音はスカートをたくしあげ、エージェントの後を追って、
起伏の激しい廃墟から平らな大通りへと出た。
 エージェントは黙って先を歩いている。
戦いの後の重苦しい気配が実体を持ったかのように、
蔵音の知覚システムを圧迫していた。
蔵音……
蔵音やはりエージェントといえど、戦乱の重苦しさからは逃れられませんか。
??重苦しさ?
蔵音ええ、鬱屈した感情ですよ。どの顔にも笑みはなく、足取りは効率だけを追い求めてる。
蔵音戦下の世じゃ、生き残ることがすべてですから。
??それが俺たちの使命です。
蔵音戦って、そして生き残る。だろうと思いました。
??不思議に思わないんですか?
蔵音人形も先住エージェントも変わりませんよ、人間に与えられた使命のために行動する。
蔵音理解できない事柄なら山程ありますがね。結局のところ、それぞれで使命は異なりますから。
蔵音例えば、とある場所の文化情報を確保するために、極めて危険だと知っていて、それでもなお戦火に飛び込んでいくだとか。
??……
??あそこの人形たちの中で、疑問を持たなかったのは、あなただけだ。
蔵音あそこの人形たち?
??着きました。
 赤髪のエージェントが足を止めた。
蔵音がつられて前を見る。
 曲がりくねった壁の残骸が、セクターを隔てるかのように、遥か遠くへと伸びている。
まるでかつてそこには、巨大な壁がそそり立っていたかのごとく。
 今や壁は崩れ、その破片はあらかた取り除かれてはいるが、
残された痕跡が手術痕のように目立たしい。
 故にその残骸の間にある、傷ひとつない建物がひときわ目を引いた。
蔵音あれは……バー、でござんすか?
 エージェントは蔵音を連れてバーの扉を押し開いた。
??ジンさん、あなた方のセクターのエージェントを連れてきました。
ジンありがとうございます、ネームレスさん。
 カウンターの奥に立っていた金髪の人形が、蔵音と赤髪のエージェントにお辞儀をした。
ジンこんにちは。サポーターとしてキュクロプスに駐在する、オアシスのジンと申します。