| 一週間後、キュクロプスではセレモニーが執り行われていた。 | |||
| ジン | 「犠牲となったすべてのエージェントたち、そして二度と戻らぬターシャの記念日を設立する」…… | ||
| ジン | 提案が実現するだなんて驚きですね、蔵音さん。 | ||
| 蔵音 | あーし一人の提案じゃあござんせん。数多くのエージェントたちの願いですよ。 | ||
| ジン | 彼らがそう願っていただなんて、知りませんでした。 | ||
| 蔵音 | 民俗ってのは無理強いじゃなく、人々の願いが発端ですからねぇ。 | ||
| 蔵音 | 口にしなくとも、無意識に影響を与えてしまうもんです。 | ||
| 蔵音 | 最初の一人が動き出せば、それに共鳴する者たちが感化されて、あとに続く。 | ||
| 蔵音 | それが次第に積み重なって「習わし」は生まれる。 | ||
| ジン | 予想外の事態によって、井戸が川になったというわけですね。 | ||
| 蔵音 | 河川は例外なく海へと還る。もともと感情ってのは、共鳴し合うものでございますからねぇ、ええ。 | ||
| ジン | 「カクテルグラスに揺れるのは酒ではなく、百人百様の人生である」 | ||
| 蔵音 | ほぉ?悪くない展延でございますこと。 | ||
| ジン | 僕の言葉ではありません。とあるバーテンダーの本の序章に、そう書かれていたんです。 | ||
| ジン | 民俗学とお酒がこうして結びつくのは、感慨深いものがありますね。 | ||
| 蔵音 | おほほほ……あーたが教授にカクテルをご馳走する横で、祭日におけるお酒の意味ってのを小一時間説明してさしあげますよ。 | ||
| ジンは微笑んだ。 | |||
| ジン | その前に、蔵音さん。あなたをお探しです。 | ||
| ネームレス | 蔵音さん。 | ||
| 蔵音が振り向くと、ネームレスが少し離れた場所に立っていた。 | |||
| 蔵音 | おや、久方ぶりだこと。ここ一週間、お見かけしませんでしたねぇ。Monitor101の話しじゃ、オリヴィアと残業してらしたんですって? | ||
| 蔵音 | 仕事は終わったんで? | ||
| ネームレス | いえ、まだです。今日はターシャさんの記念日なんで、花を捧げに来ました。 | ||
| 蔵音 | なるほど、ご気分は如何です? | ||
| 蔵音はそう言いながら、同じように花束を一つ手に取ると、 並んでいるエージェントたちの後ろに向かった。 ネームレスがその後を追う。 | |||
| ネームレス | 妙な気分ですよ。あなたの言っていた、端午節を思い出します。 | ||
| ネームレス | ターシャさんが戦った場所に花を供えても、彼女は受け取れない。ただ単に、自分に言い聞かせてるだけです。俺がリセットされない限り、想いは途切れないと。 | ||
| 蔵音 | それこそが祭日の意味するところでございますから。 | ||
| 蔵音 | きっと……爺さまが身を挺して文明を守ろうとしたのも、それが理由でござんしょう。 | ||
| 蔵音 | 亡くなった者を覚えてさえいれば、彼らは違った形で存在し続ける。 | ||
| ネームレス | でも、やっぱり納得いきません。ターシャさんが、どうして戻りたくなかったのか。 | ||
| ネームレス | もしかしたら、俺たちに二度と会いたくなかったのかもしれませんね。それでも俺たちは稼働し続けて、彼女を想い続けてる。 | ||
| 蔵音 | もしターシャが本当に嫌がっていたらどうします? | ||
| ネームレス | それなら、ターシャさんの口から直接伝えてもらうしかありませんね。いつか俺が彼女と同じ考えを抱いた時、俺のデータは彼女とともに封じられるはずです。 | ||
| ネームレス | その時になったら、データの海で彼女とまた出会えるかもしれない。 | ||
| 蔵音 | ご存知ですか、ネームレス。 | ||
| ネームレス | え? | ||
| 蔵音 | 人間も似たようなことを言いますよ、来世に希望を託すだとか。 | ||
| やがて、二人の番がやってきた。 | |||
| 広場の記念碑の前に、蔵音は花束を置いた。 | |||
| ネームレス | 来世は、俺にはよくわかりません。だけど未来なら――ここにはやがて、キュクロプスで唯一の花畑ができるでしょう。 | ||
| 蔵音 | 素敵じゃあございませんか。ここは随分と殺風景ですからねぇ。 | ||
| 蔵音 | 今度来る時は、一面の花畑を拝めるわけか。何の花を植えるか決めたんです? | ||
| ネームレス | トレーダーが来た時に、生態セクターか芸術セクターから種を分けてもらえないか聞いてみるつもりです。 | ||
| ネームレス | 蔵音さんは、いつここを発つんですか? | ||
| 蔵音 | 今日の祭典が終わったら、立ち去りますよ。 | ||
| 蔵音 | 忌々しい奴ですけれど、ジンの言葉は正しい。あーしにキュクロプスは変えられない。 | ||
| ネームレス | でも、俺たちが変われたのは、あなたのおかげだ。 | ||
| 蔵音 | いいええ。道を選び取ったのはあーた方でござんす。あーしはただ、その過程をほんの少し早めて、見てくれをほんの少しマシにしたというだけで。 | ||
| 蔵音 | あーしがキュクロプスのためにできることは、もうありんせん。 | ||
| 蔵音 | あとはさっさと現実に戻って、一番大切な人のもとへと帰らなくては。 | ||
| ネームレス | 一番、大切な人ですか? | ||
| 蔵音 | 家族よりも大切な存在なんて、ありゃしませんよ。 | ||
| 蔵音 | 爺さまに残された時間は少ないんです。顔を合わせるたびに、次の機会が減ってゆく。 | ||
| ネームレス | ……あなたはいつも、さっきの概念が理解できたかと思うと、またさらなる概念を容赦なく放り込んでくる。 | ||
| 蔵音 | あのジジイのロクでもない習慣を受け継いでしまったのかもしれませんねぇ。学生の中じゃ、それはもう嫌われ者でして。 | ||
| ネームレス | 俺は、あなたを嫌ったりしません。 | ||
| ネームレス | そうだ、これを受け取ってください。 | ||
| ネームレスは真新しい立方体を取り出した。 | |||
| 蔵音 | これは……? | ||
| ネームレス | あなたの要望どおりに、監理型に作らせた「巳ツ子」です。 | ||
| ネームレス | こいつが、オアシスまであなたを守ってくれますように。 | ||
| 蔵音 | なるほど、ものは試しでござんすね。ポンコツだったら即送り返してやりますから、覚悟なさいな。 | ||
| ネームレス | はい。 | ||
| 蔵音は立方体を受け取って、セレモニー会場の外へと向かった。 | |||
| ネームレス | 蔵音さん、待ってください。 | ||
| 蔵音 | まだ何か? | ||
| ネームレス | あなたがセクターを出る時、俺はオリヴィアの業務を手伝ってると思います。 | ||
| ネームレス | 今のうちに、伝えておきたくて。 | ||
| 蔵音は訝しげに彼をまじまじと見つめて、次の言葉を待った。 | |||
| ネームレス | あなたが現実に戻るまで、キュクロプスはいつでもあなたを歓迎します。 | ||
| 蔵音 | ……くくく。次に会う時は、立派な花畑を見せておくんなまし! | ||
| 半日後、キュクロプスセクター周辺のNullエリア。 | |||
| 蔵音 | ……まさかこいつが、あーたの言う案内人で? | ||
| ジン | ええ、何か問題でも? | ||
| 野良 | ええ、何か問題でも? | ||
| 蔵音 | 大ありですよ!!今どきリピート機なんざ流行らんっつの!!このベタ塗りホルスタイン女が!! | ||
| 野良 | 気分良うなっとぉところ申し訳なかけんど、うちゃ取材しにきただけやけん。 | ||
| ジン | おや、教授からの情報と食い違っているようですね。確認してみます、少々お待ちを。 | ||
| 蔵音 | 教授からのメッセージになんて書かれてるんです、見せておくんなまし!! | ||
| 野良 | あっ、ま、待って……!! | ||
| 蔵音 | ほぉ~……これはこれは…… | ||
| 野良 | うぅっ……! | ||
| ジンの通信機から顔を上げた蔵音は、皮肉めいた表情を浮かべている。 | |||
| 蔵音 | 「蔵音が心配だから出迎えを申請する」……いったいぜんたい、どこの野良猫が書き記したものでしょうかねぇ? | ||
| 野良 | と、通りすがりン野良猫が焼き魚がなかと生きてけん貧乳の蛇ば心配しとっただけやけん。 | ||
| 蔵音 | おやおや、それならニャーニャー鳴いてその蛇とやらを悦ばせてみたらどうなんです?乳ばっかり膨れ上がった能無しの猫を哀れんで、この事を言いふらさずにいてくれるかもしれませんよ? | ||
| 野良 | ……話題ば変えるったい。 | ||
| 野良 | ここまでん旅で、悪うなかネタが手に入ったっちゃ。 | ||
| 蔵音 | ほぉ? | ||
| 野良 | キュクロプスん様子ば見よったら、初めてあんたに評論書かれた作品ば思い出してもーて。 | ||
| 蔵音 | あ~、あのデタラメだらけの内容で事実をひん曲げた三流脚本でござんすね。はいはいはい。 | ||
| 野良 | ま、まぁ、確かに、あん時はうちも未熟だったけんど…… | ||
| 蔵音 | えーー?なにかおっしゃいました?風が大きくてなーーんにも聞こえませんねぇ!? | ||
| 野良 | だ・か・ら!あん時は確かに未熟やったって言いよーと!あん後で、うちや大勢のファンたちが、そん文化ばちゃ~んと学んでるけんね! | ||
| 蔵音 | ……今日はやけに正直じゃあございませんか。太陽が西から昇ったりしませんかねぇ? | ||
| 蔵音 | ま、そういった結果もよござんしょ……娯楽作品の宣伝効果は、論文のそれに遥かに勝ることは周知の事実でございますから、ええ。 | ||
| 野良 | フフン……メディアと学問、どっちも一長一短やね。 | ||
| 蔵音 | 勘違いしないでおくんなまし、あーたの腕を認めたわけじゃあござんせん。三流脚本家なんざ、箸にも棒にもかかりゃしませんよ。 | ||
| 野良 | あんたこそ、できるモンならうちのサポートなしでオアシスに行ってみんしゃい? | ||
| 蔵音 | ハナっからお呼びじゃないっつの。なんせ、あーしには巳ツ子がおりますから。現実世界じゃ二人であちこち旅したもんです。 | ||
| 蔵音がそう言うと、カラフルなブロックで構成された蛇が、 彼女の背後から顔をのぞかせた。 | |||
| 野良 | ぐぬぬ……華やかさにおいては負けたような気がするけんど、こりゃ第一ラウンドに過ぎんもんね! | ||
| 蔵音 | ほぉ?なら次は戦闘能力でも競います? | ||
| 蔵音 | そこの巨大な岩ですら、巳ツ子は容易く壊せますよ? | ||
| そう言って、蔵音は巳ツ子に白い岩を破壊させた。 | |||
| ところが、白い岩は砕けなかった。 岩に亀裂が入ったかと思うと、その内側から白いオペランドが溢れ出す。 | |||
| 野良 | なんやこれ、どっかで……見たような…… | ||
| 蔵音 | ……あーしも、妙に見覚えがありますねぇ…… | ||
| ジン | おそらく、下位浄化者の一種でしょう。 | ||
| 浄化者 | 【攻撃信号を検知、支援を要請します】 【座標:キュクロプスセクター周辺、No.4哨戒タワー】 | ||
| 野良 | …… | ||
| 蔵音 | …… | ||
| ジン | ……困ったことになりました。 | ||
| 蔵音 | ナレーションしてないで、さっさと逃げるんですよ!!!!! | ||
| いくつもの鋭くも騒がしい叫び声は、Nullエリアに長らく響いていた。 |
