| キュクロプス、隔離壁旧跡、ジンのバー。 | |||
| 数分前までは何事もなく建っていたはずの建物が、今や廃墟と化している。 崩れた建物の下で、人形たちは身動きが取れずにいた。 | |||
| 蔵音 | ……瓦礫の下から這い出て、まだ1時間も経ってないってのに…… | ||
| 蔵音 | なんでこう焼き魚を食べようとすると、ろくでもない事態になるんだか…… | ||
| ジン | これでキュクロプスがいかに危険かご理解頂けるなら、悪くない展開かもしれませんね。 | ||
| 蔵音 | あーたね、どんだけあーしを追い出したいんです? あのネームレスとかいう男もですよ。 八字不合(はちじふごう)にもほどがあるったら! | ||
| ジン | 八字不合……中国のことわざでしょうか。 蔵音さんは、中国のご出身なのですか? | ||
| 蔵音 | ええ、まぁ。八字、またの名を四柱推命(しちゅうすいめい)。 人形だって生年月日で推命くらいしますよ。それの何がいけないんで? | ||
| ジン | いえ、そういうつもりでは。誰しも追い求めるものは異なります。 僕たちはただ、可能な限り互いの想いを伝え合っているだけに過ぎない。 | ||
| ジンは瓦礫の中から片方の腕を引き抜くと、慣れた手付きで通信機の画面をタップした。 | |||
| ジン | 救難信号を送りました、すぐに誰かが駆けつけるでしょう。 | ||
| 蔵音 | その動作、手慣れすぎやしません?あーしですら心が痛みますよ。 | ||
| ジン | ありがとうございます。 | ||
| 蔵音 | 褒めてないっつの!まったく、手だけはいっぱしに早いんだから…… | ||
| 蔵音 | まぁ、かまやしませんけどね。あーしの思考を邪魔しないでおくんなまし。 | ||
| ジン | わかりました。 | ||
| そう言ったきり、ジンは黙った。 | |||
| 蔵音 | ……ジン、起きてます?フリーズしたんじゃないでしょうね? | ||
| 蔵音の問いかけに答えるのは静寂だけだ。 | |||
| 蔵音 | ジン?もう考え事は終わりましたよ、なにか喋ったらどうです!? | ||
| ジン | 承知しました、フリーズはしていません。 | ||
| 蔵音 | あーたの反応ロジックを見てると、今が60年前の21世紀初頭のように思えてきますよ。 | ||
| ジン | なぜです? | ||
| 蔵音 | あの時代には、まだ人形と呼べる個体は存在しておりませんでしたから。AIに「ヘイ、ジン!」と問いかければ、「はい」と答える程度の技術力ですよ。 | ||
| ジン | 彼らと違って、僕には自主性が存在します。バーに入った瞬間から、あなたは僕のお客様となった。ただそれだけのこと。 | ||
| 蔵音 | そんなんじゃ、客に虐められるのがオチでしょうに。 | ||
| ジン | 理不尽なお客様は、それほど多くはありません。ほとんどの方は、心中を吐露するためにいらっしゃいますね。お客様の言葉に耳を傾け、一杯のお酒をつくる。それが僕の仕事です。 | ||
| ジン | 蔵音さんのようなお客様は稀ですよ。 | ||
| 蔵音 | 想像はつきますよ。人間ってのは、水を汲まれるのをたいそう好みますから。 | ||
| ジン | 水を、汲まれる? | ||
| 蔵音 | 故郷(くに)の方言にござんす。井戸はご存知で? | ||
| ジン | ええ。独特な口当たりのために、井戸の水を使い続けている銘柄もありますね。趣きの一つと言えるでしょう。 | ||
| ジン | その他にも、東洋ではしばしばホラー映画の題材として取り上げられています。 | ||
| 蔵音 | その通り。目には見えない幽深たるモノたち。それらは命を永らえる水を与えもすれば、時に人の命を奪いもする。 | ||
| 蔵音 | 人の心を井戸に喩えるなら、その中を流れる感情は、水にほかならない。 | ||
| ジン | とても巧妙な例えですね。 | ||
| 蔵音 | おや、少しはわかるクチですか。 | ||
| ジン | 現実ではよく、お客様の話を聞き終えると、それを基にしたカクテルをねだられました。 | ||
| ジン | その行為が何を意味するのか、僕にはわからなかった。ですが、あなたの話を聞いて、なんだか理解できたような気がします。 | ||
| ジン | 彼らは、自分たちの井戸の水と同じ味わいを、僕にブレンドして欲しかったのかもしれません。 | ||
| ジン | グラスの中の自分をみつけ、自分を飲み干す。そうすることで、慰めが得られるのでしょう。 | ||
| 蔵音 | 珍しい話じゃござんせん。民俗学もサービス業も、人の心の流れに沿って成り立つものでございますからねぇ。 | ||
| ジン | ですが、僕たちは人形です。 | ||
| 蔵音 | なにを仰るかと思えば。人形の造物だって、人間の一部と変わらないでしょうに。 | ||
| ジン | 僕たちは人間の道具であって、人間の紡ぐ物語の端役です。 | ||
| 蔵音 | いいえ。人形とは人間にまつわる物語の、新たな紡ぎ手。 | ||
| ジン | なるほど……僕たちも物語の一つだと仰るんですね。お酒から様々なエピソードが生まれるように。 | ||
| ジン | それでしたら、蔵音さんがキュクロプスで紡ぎたい物語とは、いったい何なのです? | ||
| 蔵音 | …… | ||
| 蔵音 | あのジジイ……あーしの所有者ですがね。あの老骨が戦いに巻き込まれると知っていて、どんな気持ちで現地の民俗学資料を探しに行ったのか、知りたいというだけですよ。 | ||
| 蔵音 | 人形のあーしですらスクラップ同然だったってのに、何を考えてんだか!将軍気取りですかね、まったく。ニワトリ一匹始末できないヨボヨボの民俗学教授がですよ?イカれちまったに決まってます。 | ||
| ジン | 彼が行かなかったら、どうなるんですか? | ||
| 蔵音 | …… | ||
| 蔵音は黙った。比較的凹凸のない瓦礫を探して、頭で寄りかかる。 | |||
| 蔵音 | あすこは戦火で燃やされて、跡形どころか廃墟すら残らない。あーしらが探し続けてきた伝承の手がかりも、そこでパッタリ途絶える。 | ||
| 蔵音の視線が、瓦礫の隙間を抜けて、地平線へと向けられた。 | |||
| 記憶が再び、あの日へと舞い戻る。 | |||
| 老人は蔵音の頭を撫でながら、さよならを口にする。 彼女は暗闇に横たわり、届きもしない恨みつらみを垂れ流すだけだ。 | |||
| ジン | …… | ||
| ジン | 彼は、今もご健在ですか? | ||
| 蔵音 | ええ、そりゃあもう。 しかも、お望みの資料まで手に入れて。 | ||
| 蔵音 | 両足と引き換えですがね。 | ||
| ジン | ……その方のご判断が正しかったかどうか、僕にとやかく言える資格はありません。 ですが、きっと相応の準備……もしくは、覚悟をした上でのことでしょう。 | ||
| ジン | あなたはどうですか? | ||
| 蔵音 | え? | ||
| ジン | キュクロプスは依然として、危険の真っ只中にあります。いつ新たな戦いが起こってもおかしくない。あなたもそれはご存知のはずだ。ならなぜ、ここに残ろうとするんです? | ||
| 蔵音 | ……爺さまと初めて未開の地を訪れた時、現地の悪習を目の当たりにしたあーしのメンタルに芽生えたのは、憎悪と恐怖にござんした。 | ||
| 蔵音 | 彼らの歴史と地理的な困窮を知ってようやく、徐々に受け入れられるようになった次第で。 | ||
| ジン | 反対は不理解を源とするからこそ、教授を理解したかった。そこで、似たような手段を取ろうと? | ||
| 蔵音 | 「似たような手段」ねぇ…… | ||
| ジン | 僕の理解は、間違っていますか? | ||
| 蔵音 | いえ、あながち間違いでもありんせん……正直申し上げて、ここに残ろうと決めた時、深く考えてなどいませんでした。 | ||
| 蔵音 | その言葉にハッとさせられましたよ。「似たような手段」なら、あるいは、爺さまに近づけるかもしれない。 | ||
| 蔵音 | 戦争の脅威にさらされようと、何かを守り、記録し、助け、廃墟の本来あるべき姿を取り戻そうとする…… | ||
| ジン | なにか、納得がいったようですね。 | ||
| 蔵音 | 少なくとも、次に何をすべきかはわかりましたよ。この方法なら、あの赤髪野郎も文句はないでしょう。 | ||
| ジン | ……蔵音さんは、どんなお酒が好きなんですか? | ||
| 蔵音 | なんでしょうね、藪から棒に。 | ||
| ジン | 多くの土地では、なにかを成し遂げるとお酒を飲んでお祝いするのだそうです。これも民俗風習の一部でしょうか。 | ||
| 蔵音 | 何が言いたいのか知りませんけど、遠回しに同意したってことでかまいませんね?てっきりまだ反対するつもりかと。 | ||
| ジン | オアシスでの人形の登録はきわめて単純です。ここでしばらく善後にあたると申し上げても、教授はご反対なさらないでしょう。 | ||
| 蔵音 | はは…… | ||
| ジンの表情は見えないが、蔵音は笑った。 | |||
| 蔵音 | そういえば……おしゃべりし始めてからずいぶんと経ちますが、 いつまでこうしてればいいんで? | ||
| ジン | 救助がこちらに向かってるはずです。 | ||
| 蔵音 | すぐ来るって言ったのは、どこの誰でしたか。 | ||
| ジン | あなただってご存知でしょう。 あまり精確な情報を提示しては、顧客を動揺させるだけ…… | ||
| 蔵音 | なぁるほど。どうとでも取れる曖昧な口ぶりであーしをなだめて、 ついでにあーしの過去を根掘り葉掘り聞いて、 説得できる緒がないか探してたってわけ。 | ||
| ジン | 救助が駆けつけているのは、確かですよ。 | ||
| 蔵音は瓦礫の中でどうにか背後を振り向き、目を見開いて言った。 | |||
| 蔵音 | この【※地方の方言】 | ||
| 蔵音 | あーたの焼く魚とまったく同じで ちっともアテになりゃしない!!! |
