墟上之歌 戦憶探溯 STAGE 3 匂変-3

Last-modified: 2026-02-06 (金) 07:42:15

キュクロプスセクター、第三主要道路、ターシャの訓練場。
 熾烈な苦闘の末、巳ツ男はどうにか抑え込まれた。
だが、誰もその場を立ち去ろうとはしない。
 蔵音は見下すかのように、広場の縁に腰掛けるネームレスを見た。
冷静沈着なネームレスの態度に、わずかな綻びが現れる。
ネームレス……負けました。
蔵音あ~ら、ヘビのなんたるかをようやくご理解頂けました?まったくなんてモノをこしらえてくれたんです!?
蔵音長すぎる胴体、有り余る攻撃性!こんなもの、なんの役にも立ちゃしませんよ!
蔵音重要なのは、障害物をかいくぐれる俊敏さ、それに軽便さ。
蔵音胴体が長すぎれば、怪我をしやすくなる。いざという時、それをどう隠すかにメモリを割かなきゃならない。
ネームレスわかりました。
 ネームレスはため息をついて、目の前のレトロ風ゲーム機から視線をそらした。
画面には「GAME OVER」の文字列が並んでいる。
ネームレスこれが、スネークゲーム……
ネームレス遊撃戦の入門にちょうどよさそうです。
蔵音当然でござんしょ。ゲームなんてのは元をたどれば、戦闘訓練のために開発されてるんですから。今や完全に本来の目的を見失っておりますけれど。
ネームレス人間が……戦闘訓練のためにゲームを開発した……?
蔵音ええ、そうですよ。子どもたちはふざけ合い、動物たちは狩りを習う。これぞ本能。
 蔵音はネームレスの手からゲーム機を奪うと、それをゆらゆらと掲げてみせた。
蔵音文明の発展に伴い、ゲームには無数の分岐が生まれた。
蔵音バイオレンスを主軸に置いたものもあれば、戦略や演算力を競い合うものもある。こういった自分の記録を自分で破るような、己との戦いタイプもございますね。
ネームレスつまり……人間のゲームとなるために、俺たちは生まれたんですか?
蔵音そんなわけがないでしょう。ゲームの定義なんざ、とっくに変わっとりますよ。
蔵音でもまぁ、それも悪くありんせん。人の本能はより戦いに、心はより平和に親しい。だからこそ、ヘビのように紆余曲折した歴史があるんですから。
ネームレスゲームの他に、似たような例はありますか?
 ネームレスとの諍いに初めて勝利した蔵音は、ずいぶんと気分がよくなっていた。
 指の爪で、手にしたゲーム機の縁を軽く叩く。
蔵音ふむ、そうですねぇ……最も典型的な例としては、中国の端午節が挙げられますか。
蔵音本来は屈原(くつげん)と呼ばれる偉人を哀悼するためだったのが、今や一家団欒の祭日と化しとりましてね、ええ。
ネームレスそれじゃ、死者を侮辱してるも同然じゃないですか。
蔵音人ってのは苦難に見舞われるほど、幸せを渇望する生き物なのでござんす。
ネームレス屈原を失った苦痛を乗り越えて、その者が亡くなった日に幸せを追い求めていると?
蔵音ならあーたは、己の身を投げた命日に人々の無残な生き様を望めと?そんな人間、偉人とはとてもとても。
ネームレス……
ネームレスなら、どうして屈原をリセットしないんです?そいつを尊重してのことですか?
蔵音人間とエージェントは違いますよ、そう易々とリセットなどできてたまるもんですか。
蔵音人間の脳のコピー技術は確立されたと聞きますけれど、試そうと考える者はごくわずか……人間は死への敬畏を抱いておりますから、ええ。
ネームレス死への、敬畏?
蔵音その点は、数多の土地の文化に体現されておりますね。人間が意識した最初の「絶対的」な理。
 蔵音はネームレスに、人差し指を立ててみせた。
蔵音「死んでしまえば、二度と蘇らない」
ネームレスなんのためにそんなことを?生存難易度を上げるのが目的ですか?
蔵音この世に創造主が本当にいたなら、そうお考えになったのかもしれませんねぇ。
蔵音人間がそう何度も蘇生できたら、過ちを銘記する必要もなくなるわけですし?
蔵音そうなれば、命は最も大事な手札ではなくなる。人々は己の過失を正すことなく、いとも容易く死と蘇生を繰り返す。
ネームレス過ちを忘れないために、命の脆弱さすら受け入れる……俺には理解できません。
ネームレスデータバンクの資料からして、どれだけ甚大な対価を支払おうと、人間は過ちを繰り返し、自分たちを窮地に立たせ続けている。何度も、何度も。
蔵音……あるいは、それが人間とあーしらの違いなんでございましょ。
蔵音あーしにもわかりませんよ。生きてるってのはこんなに尊いことなのに、わざわざ危険を冒そうとするだなんて……
 蔵音はそれ以上言わなかった。
ネームレスの視線は、訓練場の壁に向けられている。
「ターシャ」と書かれた古びた看板が、同じように黙ったまま二人を見つめていた。
ネームレス……二度と戻らないものを使って、過ちを銘記する。生きてる者にとっては意味があるかもしれない。だが、戻らなかった死者にとっては?
蔵音不公平ですよねぇ?ですが死者は死者、死者に口無しでござんすよ。
蔵音どんなに気が進まなくとも、人間ってのは生きたモノにしか目が行かないもんです。だからこそ、あーしは生み出された。
ネームレスあなたが……?
蔵音だから申し上げてるでしょうに。あーしは民俗学研究家、人間の創り出した痕跡を守り、かつて存在した文明や史料を再現するのが仕事だと。
蔵音あーしらは、それらの存在した証を追い求めてるんでござんす。
蔵音慣れ親しんだ建物、故人より伝わる遺品。人間の最も本能的な願い、それは形ある存在で形なき絆を伝承することに他ならない。
ネームレス形なき、絆……
 ネームレスの虚ろな表情を見た蔵音は、目をくるっとさせて、狡猾な笑顔を浮かべた。
蔵音あーしのメンタルには、たくさんの記録が収められておりますよ。ここにしばらく居させてもらえれば、いつでも……
ネームレスダメです。
蔵音チッ……融通の利かないやっちゃ……
 蔵音はうんざりした表情で手をひらひらさせた。
ネームレスつまり、あなたがキュクロプスに留まりたい本当の理由は、自分の責任を果たすため。
ネームレスそれに何の意味が?あなたはキュクロプスのエージェントじゃない、あなたにそんな義務はないんですよ。
蔵音あーしにだってわかりませんよ。
ネームレスわからない?
蔵音こうすることの価値を理解はしつつも、そのために危険を冒す意味は、あーしにもサッパリ。ですがね、それをやりやがった人間がいるんですよ。
蔵音死ぬかもしれないとわかってて、彼は戦場に赴いた。人には無価値とすら思える民俗学資料を確保するためだけに。
蔵音いまとなっても、あのジジイの考えは理解できやしません。
ネームレスそれとキュクロプスと、なんの関係があるんですか?
蔵音あーしは彼の研究の結晶、彼のあらゆる知識を受け継ぐ存在。
蔵音キュクロプスを蘇らせ、戦争による傷跡を癒やすことができれば、あるいは……彼の考えが、少しはわかるかもしれない。
ネームレスそう簡単にいくとは思えませんね。ここの事情は複雑なんです。セクターの問題を無関係な者に解決させるわけにはいきません。
 蔵音の言葉を待たずに、ネームレスが立ち上がった。
ネームレスですが、あなたの話は、俺にとって有意義でした。
ネームレスお礼と言ってはなんですが、これを受け取ってください。
 そう言って、ネームレスはカラフルなキューブを蔵音に手渡した。
蔵音これは?
ネームレス感知増幅モジュールですよ。大蛇を武器として手懐けるつもりなら、こいつがオペランドの節約に役立ちます。
蔵音勝手に決めないでくださる?図体がデカいだけのヘビはいらないと申し上げてるでござんしょう。
ネームレスこれも必要ないと?
蔵音ま……もらえるモンはもらっときますよ。いざという時に使えるかもしれませんし?
蔵音ありがたく頂戴しましょう。
 蔵音は手首をくるんとひねって、キラキラ輝くキューブを袖にしまった。
ネームレスデータバンクに戻りますよ。もう一度ヘビのデータをインプットして、再現できるか試してみましょう。
キュクロプスのエージェント隊長!お話のところ失礼いたします、
第一エリアで未登録のデータの残骸を発見しました……
蔵音隊長ぉ?
ネームレス……すみません、用事ができたようです。あとでまた合流しましょう。
蔵音(鬼のいぬ間に、先住エージェントに話を聞けるチャンス!)
蔵音ああ~、ど~ぞおかまいなく。データバンクへの道でしたら覚えとりますよ。あーし一人でも問題ございませんから~
蔵音それじゃ、また明日?
 その言葉を聞いて、ネームレスはしばし黙った。
ネームレスええ、できることなら、また明日。
 そう言って、ネームレスは背中を向けると、荒れ果てた街道へと姿を消した。