墟上之歌 戦憶探溯 STAGE 4 是正-1

Last-modified: 2026-02-06 (金) 07:46:46

キュクロプス、隔離壁旧跡、ジンのバー。
 ネームレスが立ち去ってからしばらくして、バーの扉が再び開いた。
蔵音おや、もう修復し終えたんです?キュクロプスのエージェントも、なかなかやりますねぇ。
ジン建物一つを直すのは、難しくありませんよ。セクター全域ともなると、大変ですが。
ジンいらっしゃいませ、蔵音さん。今日は何になさいますか?
蔵音いいえ、あーしは結構。こいつに一つ、お願いできます?
 蔵音は懐から立方体を取り出した。
ひとしきりの操作を経て、巳ツ男が悲しげな鳴き声とともに、
カウンターの前に姿を現す。
ジンふむ……口当たりの優しい、ロングアイランド・アイスティーがよさそうです。
蔵音へっ?な、なぜわかるんです?
ジンお客様の感情を受け入れ、それを慰めるのが僕の仕事ですから。
ジンそれで、蔵音さんのご注文は?
蔵音結構だと申し上げているでございましょう。焼き魚以外を口にするつもりはありんせん。
ジンわかりました、すぐに準備してまいります。
蔵音だっ、だぁぁぁっ!やめんかっ!
ジンご安心ください、建物には補強が施されています。再び爆発があったところで、経営に差し支えはございません。
蔵音はぇ~、そりゃ素晴らしい!――ってなるかっつの。平然とした顔で末恐ろしいこと言わないで頂けます!?
蔵音この際、単刀直入に聞かせてもらいますよ。ジン、ネームレスの目的をご存知で?
ジンいったい何のことだか。
蔵音ほぉ。カマをかけるつもりでしたけど……その反応。ビンゴでござんすね。
ジン何がですか?
蔵音ここは隔離壁に建てられたバー。戦闘型エージェントどもの動向を、あーたが知らない道理がござんせんもの。
蔵音本当に奴の計画を存じていないなら、「ネームレスに何が?」と尋ねるのが常でござんしょ。真っ先に否定するのではなく。
ジンたいへん優れたロジックシステムをお持ちなんですね。
ジンですが、お客様の秘密を口外しないことは、バーテンダーとして当然の務めです。オリヴィアさん、もしくは教授のお言葉がなければ、僕からは何も申し上げられません。
 そう言って、ジンは調合し終えたカクテルを巳ツ男の口に注ぎ、
その頭部を優しく撫でた。
 巳ツ男は気持ちよさそうにしている。
瞳に宿っていた暴虐さが、ゆっくりと退いてゆく。
ジン同様にもし蔵音さんや、こちらの蛇さんに興味を持つ方が現れても、けして情報を漏らしはしませんよ。
蔵音たとえ、キュクロプスが戦火に包まれようとも?
ジンそれはキュクロプスセクターの問題です。
蔵音たとえ、その戦いに自身が巻き込まれようとも?
ジンそれは僕自身の問題です。
 蔵音はため息をついて、巳ツ男の額に手をやった。
先ほどまで暴れていた巳ツ男は、今や大人しく蔵音の手に頭を擦り付けている。
蔵音感情を受け止めるだけじゃ、何の解決にもなりゃしませんよ。ジン。
蔵音巳ツ男のように、あーしが取り押さえて、あーたがお酒を注がなきゃ、このバーが無傷でいられる保証はどこにあるんです?
蔵音あーたの酒は、確かにネームレスに一時の居場所を与えた。けれど、奴の欲求が酒による麻痺を打ち破れば、それによってもたらされる危険は、あーしらの想像を遥かに超える。
ジン蔵音さん……もし、ここでの事象に干渉するのがあなたの目的だとしたら……
ジンなぜ、エージェントたちに自らの歩む道を選ばせないのです?
蔵音それがいかなる犠牲をもたらすか、わかっているからでございます。
蔵音なんでもかんでも流れに任せるってんなら、ネームレスがあーしを追っ払うためだけに、二度も救う必要はなかったんですよ。
ジンそれが彼の責務なのかもしれません。
蔵音責務だろうが本心だろうが無理強いされようが、奴のしたことは変わりんせん。
蔵音ネームレスはあーしを助けてくれた。それに報いねば。たとえ、奴がそれを望んでいなかったとしても。
ジンもし、彼があなたの意見を聞かなかったら?
蔵音こちらが勝てば、意見を呑ませることは容易い。勝者こそが王。それが戦闘型の「習わし」ってモンでござんしょう?
ジン彼に勝てると?
蔵音どうなろうと、あーしは行きますよ。
 ジンは手元のグラスを目の前に掲げた。
透明なガラスの向こうにある、蔵音の表情。
そこに見慣れた面影を感じたような気がした。
 
ジン……ですが、浄化者の動きは活発です。我々への脅威になりかねない。今動くのは、得策ではないように思えます。
{教授}たとえ危険でも、できるだけ早く向かわないと。
{教授}マグラシアをさまよう人形も、浄化者の標的には違いないもの。
{教授}現実に戻るまでは、オアシスが人形たちの安息の地よ。
道に迷っている家族たちを、私たちが迎えにいかないとね。
 
ジン……あなたは、教授とよく似ている。
蔵音教授?
ジンはい。「山に虎有りと明らかに知り、偏として虎山へ向かう」……中国のことわざでしたか。
蔵音ほぉ、その表情……あの教授がそこまでの傑物でしたとは。
蔵音けれど今のあーしらには、もっと大事なことがございましょう?
ジン「人間の最も本能的な願い、それは形ある存在で形なき絆を伝承することに他ならない」……そう、おっしゃっていましたね。
ジンネームレスさんを阻止することが、あなたの「願い」なのですか?
蔵音……ちゃんと考えたことなんざありゃしませんけどね、そう思ってもらってかまいませんよ。
 蔵音はややイライラした様子でテーブルを小突いた。
ジンがにわかに笑い出す。
ジンこれまで、ネームレスさんの注文といえば冷水ばかりで、僕のお酒を飲もうともしなかった。
蔵音へ?
ジン今日、バーの修復を待っている時に、あなたとネームレスさんが、訓練場にいらっしゃるのを拝見しました。あそこがかつて、どんな場所だったかご存知ですか?
蔵音ええ、まぁ。ターシャの訓練場だと聞きはしましたよ……それが?
ジンよろしければ、キュクロプスの陽が完全に沈んだあと、そちらに身を隠していてください。
蔵音ターシャの訓練場から最も近いのは……
蔵音……あいつ、アドミンセンターにいくつもりか……
ジンそれ以上は、僕にもわかりません。
 蔵音は「フン」と鼻を鳴らすと、巳ツ男を連れて立ち去ろうとした。
蔵音それで十分。礼を言いますよ、ジン。
ジン蔵音さん、お待ち下さい。
蔵音時は黄昏、急ぎませんと。何の用です?
ジン僕の記憶が確かなら、あなたは救助されてから今まで、オペランドを少しも補給していない。
ジンこちらのリキュールから好きなものをお選びください。きっとお役に立てるはずです。
 ジンの視線を追って、蔵音は彼の背後のキャビネットを見た。
蔵音立ち酒ねぇ……よござんしょ。あーしに信条を破らせるからには、失望させないでおくんなまし。