| オアシス、チョコラトリー。 | |||
| 何も置かれていない作業台を見て、チョコは溜め息をついた。 | |||
| チョコ | ほら、ここだよ。なーんにもないでしょ?ここが昨日、どんなことになってたか想像できる?チョコレートの山が、もう、こ~~~んな!! | ||
| チョコ | まぁ、片付ける手間が省けたのはいいけど……やっぱり、真相を突き止めたほうがいいと思うんだ!うんうん! | ||
| 君惠 | チョコラトリーにいらしたお客様方はなんと? | ||
| チョコ | ちゃんと聞いたよ。でも、キッチンにはほとんど誰も入ってないって。入ったことがある人は、チョコレートには触ってないって言ってるし。 | ||
| 君惠は作業台の周囲をつぶさに観察し始めた。 そして目を閉じて、空気の流れを感じ取る。 | |||
| 君惠 | ふむ……やはり、霊の気配は感じられませんね…… | ||
| 君惠 | 現実では霊が現れると、一部の気温が急激に下がり磁場が動きます。当然ではございますが、ここにそういった変化は…… | ||
| ピピッ―― | |||
| チョコ | あれっ、保安部門からだ。 | ||
| 慌ただしい通信要請が鳴る。チョコは通信を受けた。 | |||
| エージェント | チョコさんね、いきなりごめんなさい。実は今さっき、昨晩あなたのチョコラトリーに吸血鬼が現れたという報告を受けたの。 | ||
| チョコ | は……?? | ||
| 君惠 | 吸血鬼……? | ||
| エージェント | このところ、プライベートセキュリティシステムのアップグレードを行っているから、本当かどうかはわからないけど…… | ||
| エージェント | とりあえず、報告だけしておくわ。なにかあったら保安部門に連絡してちょうだい。 | ||
| チョコ | あ、はい、わかりました…… | ||
| チョコは頷いて、呆然としたまま通信画面を閉じた。 | |||
| チョコ | な、なんだか……背筋がゾワゾワしてきた……吸血鬼って、いったいどういうこと? | ||
| チョコ | まさか、その吸血鬼がチョコレートを奪っていったんじゃ……でもなんで?吸血鬼って、人間の血を吸うオバケなんじゃないの? | ||
| チョコ | はっ、人間……ど、どうしよう!?教授が食べられちゃうよ!! | ||
| 君惠 | プッ…… | ||
| 傍で静かに佇んでいた君惠が、思わず笑いを漏らす。 | |||
| 君惠 | ふふふ……ご教授様でしたら、ご心配には及びませんよ。 | ||
| 君惠 | 怪異は夜に生まれ、朝に解す。日が沈めば、おのずと答えはわかるかと。 | ||
| チョコ | そっか、現れるのを待つんだね!アンジェラさんのお話でも言ってた、吸血鬼は夜しか行動しないって! | ||
| 君惠 | ええ、単純な方法は、時に最も有効的でございます故。 | ||
| 君惠 | わたくしめがここへ参じてから数日が経ちますが、安眠のできる日は、そう多くはございませんね。 | ||
| 君惠 | 賢い物の怪は、困ったことに闇を好みますから。 | ||
| 深夜、チョコラトリー付近。 | |||
| その夜はちょうど朔日だった。 部屋の明かりが消えると、あたりは漆黒の闇に包まれる。 | |||
| とある場所にかがんで、君惠の肩に寄りかかっていたチョコが、 知らず知らずのうちに目を閉じた。やがて、かすかな呼吸音が鳴り響く。 | |||
| チョコ | すぅ……すぅ…… | ||
| 君惠 | チョコ様、目をお覚ましください!「あれ」が現れました! | ||
| チョコ | ! | ||
| チョコが慌てて目を凝らすと、やや遠くに人影が見えた。 「それ」はチョコラトリーの構造を熟知しているようで、 なんの躊躇いもなく工房内へと入ってゆく。 | |||
| 作業台にはここ数日のように、ザクロのチョコレートが山ほど置かれていた。 「それ」はチョコたちの思ったとおり、待ち切れないとでも言うように、 両手でおもむろにチョコレートをつかみ始めた。 | |||
| ガブッ、ガブッ…… | |||
| 鮮血のように真っ赤な瞳が、暗闇の中で異彩を放つ。 口元からチョコレートの中のザクロ酒が滴った。 晩餐をむさぼるその姿はまるで…… | |||
| 君惠 | 吸血鬼…… | ||
| チョコ | 捕まえたぞっ!!このチョコレートどろぼー!!! | ||
| チョコがそう叫んで、黒い影へと襲いかかった。 | |||
| ガシャンッ!! | |||
| 君惠 | チョコ様!! | ||
| チョコ | い、いたたた…… | ||
| 君惠が慌てて照明を灯すと、そこにはチョコにのしかかられた、幼い人物の姿があった。 「泥棒」の正体を見て、チョコが驚く。 | |||
| チョコ | えっ――へ、へリックス?????? | ||
| 君惠 | オアシスの……ご朋輩のようでございますね。 | ||
| チョコ | ど、どうして…… | ||
| チョコ | へリックス?へリックス?? | ||
| 君惠 | へリックス様のご様子が……どうにも妙です。 | ||
| チョコ | あ、ほんとだ……まるで魂が抜けちゃってるみたい……ま、まさか、ユーレイに取り憑かれてるとか!? | ||
| 君惠はヘリックスに近づいて耳を凝らした。 穏やかな呼吸音の中に、ちいさないびきが混じり、眼差しはぼんやりとしている。 君惠はとある仮説を立てた。 | |||
| 君惠 | へリックス様には……睡眠時遊行症がおありなのでは? | ||
| チョコ | すいみんじ……? | ||
| 君惠 | いわゆる「夢遊病」にございます。 | ||
| ピピッ―― | |||
| システム | 【オペランド残量:15%】 【高効率の作業状態を維持できません、オペランドを補給してください……】 | ||
| 君惠 | もしや、オペランド不足?メンタル承圧が限界に達しているのでしょうか…… | ||
| チョコ | えぇ……何日も見かけないと思ったら。アンナさんが、へリックスは医療部門で、えーと……遺伝子の、コンパクト……じゃなかった、コンパイル手術をしてるんだって言ってたな。 | ||
| チョコ | へリックス、最初はね、お仕事がなくてずっと塞ぎ込んでたんだ。自分を役立たず、なんて言って……とってもかわいそうだったの。 | ||
| チョコ | でも、アンナさんが開発したシステムのおかげで、やっと能力を発揮できるようになったんだよ。 | ||
| チョコ | たぶん、頑張りすぎちゃったんだと思う…… | ||
| チョコは優しくへリックスの肩をなでた。 | |||
| 君惠 | へリックス様がこうなられるまで、誰も異変に気づかれなかったのですか? | ||
| チョコ | 医療部門の人たちも、24時間以上働いちゃダメだって言ってたはずだけど…… | ||
| チョコ | でもこの子、いっつも無理しちゃうの。チョコだって何度も、医療部門の病室にお見舞いにいったんだから。 | ||
| 君惠 | オペランドが不足していたせいで、睡眠モードに完全に移行できず、無意識に食べ物を探し求めていたのでございますね。 | ||
| チョコ | そっか……だからここでチョコレートを…… | ||
| チョコ | へリックス、かわいそう……こんなに無理して…… | ||
| 君惠 | (「役立たず……」) | ||
| 君惠は呆然としているへリックスを眺めた。 目の前の少女は、自分とよく似ている。 | |||
| 君惠 | (……神社を離れた時、わたくしめにも、同じような事を……) | ||
| チョコ | とにかく、まずはへリックスを起こしてあげなきゃ。 | ||
| 君惠が首をふる。 | |||
| 君惠 | 夢遊病の場合でしたら、起こさないほうがよろしいかと。 | ||
| チョコ | ど、どうして? | ||
| 君惠 | 夢遊病の方を目覚めさせてしまうと、脳に損傷を負うと言われております。真偽のほどは、定かではございませんが…… | ||
| チョコ | えぇ、ならどうすればいいの?あっ……もしかして、チョコが大声で叫んだせいで、フリーズしちゃった!?ど、どうしよう…… | ||
| 君惠 | いいえ、ご心配なく…… | ||
| 君惠は呆然としたままの少女を優しく抱きかかえ、 ゆっくりと彼女に自身のオペランドを分け与えた。 | |||
| 温かなオペランドが体内へと注がれ、少女の精神状態が徐々に安定してゆく。 まぶたがだんだんと閉じられてゆき、そのまま君惠の腕の中にすっぽりと収まった。 | |||
| チョコ | あ、そっか!オペランドを分けてあげればよかったんだ。ごめん、気づかなくって……君惠さん、大丈夫? | ||
| 君惠 | 問題ございません。へリックス様がようやく眠りにつけたようで、なによりでございます。 | ||
| 君惠 | ヘリックス様、どうかよい夢を…… |
