| オアシスの道端で、蔵音は興味津々に 君惠と「神隠し」の物語について討論していた。 | |||
| 蔵音 | ……データベースによると、なんでも日本では、早くは縄文時代から神隠しの事例が残されているそうな。お恥ずかしながら、神隠しに関してはあーしの認識も不完全でございまして。 | ||
| 蔵音 | 君惠は、それについてなにかご存知で? | ||
| 君惠 | 楓様――わたくしめの主に伺ったことがございます。伝承では「天狗」と呼ばれる神とも妖怪ともつかぬ存在が、人々をさらっているのだと。 | ||
| 蔵音 | 天狗……なるほど、中国に伝わる「天の狗(いぬ)」から転じたものでしょうかね……ふむ、興味深い。して、その「天狗」とは? | ||
| 君惠 | 山奥に棲む妖怪で、一部ではそれを神と祀る地域もあるのだとか。大天狗や烏天狗、木の葉天狗などにわかれ、どれも空を自由自在に飛び回り、法力を持つとされております。 | ||
| 蔵音 | ほうほう、日本へ伝わった際に「天の狗」からはずいぶんとかけ離れたようでござんすね。これは面白い。天狗はなんのために人さらいを? | ||
| 君惠 | 一説には、さらった者を連れて日本各地の名所を見物したり、その者に知識や法術を授けているのだとか。 | ||
| 君惠 | 数ヶ月、あるいは数年の時を経て、さらった者を元の場所へと送り届けるのだそうで……あの、蔵音様、どちらへ? | ||
| 君惠の言葉を待たずに、蔵音はもとの道を引き返し始めた。 | |||
| 蔵音 | 送り返してくるんなら結構、探す手間も省けるってもんです。タダで旅行に連れ回すどころか、知識やインスピレーションまで授けてくれるとは、さすがは日本の妖怪! | ||
| 蔵音 | あぁ、あの鳩女が天狗に連れ去られてたらどんなに良いか!筆は進むわ原稿は上がるわ、まさに万事順調でござんしょうに!あーしがこんなところで焦る必要もなくなる! | ||
| 君惠 | ふふふ……左様でございますね。クラウドに天狗がいるかは、定かではございませんが。 | ||
| 蔵音 | そんなことは百も承知で……おや、いつの間にやらこんな場所に。まったく、ナマケモノの影すら見つかりやしない。 | ||
| 野良がよく出没する場所に彼女がいないと知ると、 二人はしかたなく休憩エリアに戻り、情報収集を始めた。 | |||
| 君惠 | こちらでは毎日、多くの方がご休憩なされます。きっと手がかりが見つかるかと。 | ||
| 蔵音 | ふむ、聞いてみましょうかね。 | ||
| 君惠 | はい、わたくしめもお供いたします。 | ||
| 視界に映るエージェントたちは皆、各々くつろいでいた。 二、三人で寄り集まっては、楽しげな笑い声を上げている。 | |||
| 二人は笑い合うエージェントたちに近づき、小声で会話を遮った。 | |||
| 君惠 | 皆様、ご歓談中に大変失礼を。皆様方の中で、野良様の行方をご存知の方はいらっしゃいますでしょうか? | ||
| 絳雨 | あっ、あたし知ってるよー! | ||
| 絳雨が元気に頭上まで手を挙げた。目の前に立ち込める邪魔な霧が晴れ、 ついに光が差すものと蔵音が期待したその時、絳雨がこう付け加えた。 | |||
| 絳雨 | あのね、二週間前にね~…… | ||
| 蔵音 | 却下! | ||
| 絳雨 | えっ? | ||
| 絳雨の顔がたちまち強張る。 | |||
| クロ | あっ!ちょっと蔵音、邪魔だっつの! | ||
| 蔵音 | クロ?あーた、今度はなにをしてんです? | ||
| クロ | 見りゃわかるでしょ!配信だよ、は・い・し・ん! | ||
| 蔵音 | それはそうと、野良を見かけませんでした? | ||
| クロ | あの脚本家女?そういや、数日前にリコの怪談話を聞いてたっけな……おおかた、妖怪どもがホラー映画でも見たくなって、手頃なのさらってったんじゃないの?ラッキーだったじゃん! | ||
| 君惠は茫然と配信用のカメラに近づいた。 画面が彼女の顔で埋め尽くされる。 | |||
| 弾幕 あっ!この人知ってる、新しく来た巫女さまだよね? 弾幕 体ほっそ!ちゃんと飯食えよ、ぶっ倒れるぞ! 弾幕 え、すごい綺麗な人、ファンになっちゃったかも…… | |||
| クロ | ああああ……ヤバいヤバいヤバい、我が配信者人生の基盤が揺らいでいる!おい、おまいら!浮気するな、この裏切り者ーーッ! | ||
| 君惠 | この中に、大勢の方が?わたくしめの姿が見えて、声が聞こえるのでございますか? | ||
| クロ | えっ、ま、まーね……画面のむこうに数百人、いや、千人はいるよ。前はもっといたんだけど…… | ||
| 君惠 | 画面のむこうの皆様方。わたくしめは蔵音様とともに、稀代の脚本家たる野良様を探している最中にございます。 | ||
| 君惠 | 野良様が消息を絶たれてから、すでに何日も経過しております。画面のむこうの皆様方、どうかわたくしどもに手がかりをご提供頂けませんでしょうか。 | ||
| 蔵音 | 短髪の黒毛に魑魅魍魎のごとき赤い瞳をした、胸がハト胸なら頭もハトぽっぽの冗談好きなナマケモノ女にござんす。 | ||
| クロ | え、えーと……ってなわけで、なにか知ってるリスナーがいたら、メッセージで教えてね~…… | ||
| クロは画面に割り込んで宣伝を手伝った。 その時、とある弾幕が三人の注意を引いた。 | |||
| 弾幕 ……アンナのとこにいたけどな、どうしていなくなっちゃったんだろ…… | |||
| アントニーナ | おや、野良がまた失踪ですか。 | ||
| 蔵音 | 微塵も驚かないとは、これいかに。 | ||
| アントニーナ | いつものことでしょう、あなたのほうがよくご存知のくせに。 | ||
| 蔵音 | 今回は一味違いますよ。連絡もつかなけりゃ、位置も特定できない。あるものといえば、あの女が残していった意味不明な走り書きだけ。 | ||
| アントニーナ | 確かに先日、ここに立ち寄っていかれましたが…… | ||
| 蔵音 | その時、あの女はなんと? | ||
| アントニーナ | 新しい小説のアイディアが沸かないとかで、ひどく悩んでいたようですね。 | ||
| アントニーナ | 彼女が締め切りに追われるのはいつものことですが、微塵もアイディアが沸かないというのも大変ですね。野良のああした様子は初めて見ました。 | ||
| アントニーナ | 彼女に泣きつかれて仕方なく、ネタのランダム排出システムを即席で仕上げましたよ……まったく、本人の創作モジュールにバグでも起きたんですか? | ||
| 君惠 | ランダム……それは、御神籤(おみくじ)のようなものでございましょうか? | ||
| アントニーナ | そんなところです。30以上ある題材の中から52回を引いた結果、その内の38回が怪談や妖怪にまつわるものでしたね。 | ||
| 蔵音 | 妙ですねぇ……鬼火を見ているんなら、なにかインスピレーションが湧いてもおかしくないものですが。 | ||
| アントニーナ | 「まだったい、まだ足りんッ!」――そう叫んでましたよ。 | ||
| 君惠 | 野良様は……妖怪や霊を少しも怖がらないのでございますね。 | ||
| 蔵音 | ありゃ恐怖映画専門の脚本家と言っても過言じゃあござんせん。あの女にとっちゃ、妖怪のたぐいよりも締め切りのほうがよっぽど恐怖でしょうよ。 | ||
| 君惠 | 左様でございましたか。ふふふ……何度も怪異の題材を当ててしまわれるなんて、さすがでございますね。 | ||
| アントニーナ | 最近の心霊現象の現場へは向かわれましたか?そこでなら、手がかりがつかめるかもしれませんよ。 | ||
| 蔵音 | ふむ……そうだといいですがね。それにしても、居場所すら特定できないとは……まさか本当に神隠しにでも遭ったんじゃ? | ||
| 君惠 | 冥々の裡(めいめいのうち)に、神々のお導きあり。 | ||
| 蔵音 | その心は? | ||
| 君惠 | アンナ様の助言のおかげでございますね。誰にも感づかれず、神にまつわる場所でしたら、わたくしめに心当たりがございますれば。 | ||
| 蔵音 | おや、それは一体……? | ||
| 君惠 | はい、暮之夢神社にござります。 |
