| 夕陽が西へと沈み、神社の本殿には柔らかな黄金色があしらわれている。 | |||
| その時、野良は神社の片隅にしゃがんで、 チョークで地面にインスピレーションの断片を書き記していた。 | |||
| 「編集のハゲ頭に育毛剤は効果なし」 「あ……眠くなってきた。まだ一文字も進んでない……」 「クリスマスのイルミネーションがなかったら、蔵音のヘビを壁に飾ればOK」 | |||
| 野良 | ぬあああーーッ!!これんどこが小説ん題材たいね!?うちゃ、なんばやりよったい!! | ||
| ?? | 野~~良~~~…… | ||
| 聞き慣れた声が遠くから響き、野良はすっくと立ち上がった。 | |||
| 野良 | 蔵音!?なしてここが……!? | ||
| 野良 | 原稿ば書き始めてすらおらんのに……アイツに知られたら、また馬鹿にされる……! | ||
| ?? | 野良様、こちらにおいでですか? | ||
| 野良 | ヒッ、君惠まで……ヤバいヤバいヤバい、ここにおるんがバレてしまう!! | ||
| 野良 | ど、どーすると……!? | ||
| ギシッ……ギシッ…… | |||
| 神社の床板がギシギシと音を立てる。 足音は徐々に迫ってきていた。 | |||
| 蔵音 | 野良ーー、今出てきたら許してあげますよ。さもないと……オホホホ…… | ||
| 野良は腹をくくって、本殿から飛び出した。 | |||
| 野良 | とりあえず神社ば出て、あいつらがおらんのぉたら戻って来るったい…… | ||
| ドンッ! | |||
| 何かぶつかって、野良はあやうく転びそうになる。 その時、誰かの両手が彼女の体を支えた。 | |||
| 君惠 | 野良様……危ない! | ||
| 蔵音 | おやおや……とんでもない怪力ですこと。数日会わないうちに、まーた太ったんじゃあござんせん?あーたにふっ飛ばされるところでしたよ。 | ||
| 蔵音 | まったく、こっちは散々心配したのに、こんなところでノンビリしてたとは。 | ||
| 野良 | な、なんのことだかサッパリ……人違いですよ、私は近くに暮らす好奇心旺盛なモブN子。 | ||
| 野良 | 野良なんて人、会ったことも聞いたこともありませんなぁ。 | ||
| 嘘に信憑性を持たせるべく、天才脚本家はわざわざ野太い声に切り替えた。 | |||
| 野良 | ああっと、夕飯の準備の途中でした。はやく帰らないと…… | ||
| 蔵音 | 逃がしゃしませんよッ!! | ||
| 蔵音は野良の帯をひっつかんだ。 逃げようにも逃げられない。 | |||
| 野良は瞳をくるっとさせて、不満げに言い放った。 | |||
| 野良 | ハァ……つらか。 | ||
| 野良 | せっかく姿くらました思ぉとったんに……どげんしてうちば見つけたとー? | ||
| 君惠 | この暮之夢神社の建設当初、俗世の紛擾(ふんゆう)から逃れるため、通信の遮断処理をご教授様にお頼み申し上げたのでございます。 | ||
| 君惠 | 野良様が神社に入られてからというもの、位置も特定できず、通信も繋がらなかったのはそのためかと。奇しくも神隠しと状況が重なりますね。 | ||
| 野良 | っちゅうか……うち、書き置きしたっちゃね?「心配しなしゃんな」って。 | ||
| 蔵音 | あーたね……今やあーたの宿舎の真ん前が、編集どものキャンプ場になってますよ。 | ||
| 野良 | ウソやろうもん……なんば書いたらよかか、まだち~っとも浮かばんのに。 | ||
| 君惠 | あの、締め切りは具体的にいつ頃……? | ||
| 野良 | 明日。 | ||
| 蔵音 | あーた、よもや神社に願掛けに?今度は神にインスピレーションを請おうとでも? | ||
| 野良 | それが役に立つんなら、こげんところでお喋りしとらんで、とっくに元気に筆ば走らせとぉよ。 | ||
| 君惠 | 野良様。もし怪談話をご執筆なされるのでしたら、僭越ながらわたくしめがお力になれるかと。 | ||
| 君惠 | 現実世界では、各地を遊歴しておりました故。 | ||
| 野良 | えっ、ほんなこつ!?そんじゃ、お言葉に甘えて! | ||
| 野良は両の手のひらを合わせて、目を輝かせ小さく頷いた。 まるで希望の曙光を目にしたかのように。 | |||
| 君惠は二人を境内の奥へと連れていき、その場に座らせた。 そして優しい声で語り始める。 | |||
| 君惠 | 楓様――わたくしめの主と各地を旅しておりました際、とある辺鄙な川沿いの山村を訪れたのでござります。 | ||
| 君惠 | 山に囲まれ、通信手段もない。村人は数十年、ひいては百年前の暮らしを続けておいででした。そこには今もなお、多くの神職者様方が神に仕えておられました。 | ||
| 君惠 | あの日は夏真っ盛り、連日暴雨が続いておりました。河川は氾濫し、ついに村の堤防の一部が崩壊。 | ||
| 君惠 | 堤防が決壊すると見るや、村長は神社の巫女を人柱にするとご決断なされたのです。 | ||
| 蔵音 | ほう、要は生贄ですな。 | ||
| 君惠 | ええ……その通り。 | ||
| 君惠は目を閉じて、遥か昔に交わした会話を思い出した。 | |||
| 君惠 | 村長様、もうじき洪水が……このままでは村は崩壊してしまいます。どうか、巫女様方を人柱とする旨は、お考え直しくださいませ…… | ||
| 君惠 | 山のほうに高台がござります。そこへ避難すれば皆様は助かります。命さえあれば、村を再建することも可能でございましょう。 | ||
| 村長 | ……なんじゃと?そこな巫女、ここは我らの村じゃ。 この村の繁栄のために、我らがどれだけの心血を注いだかわかるか? | ||
| 村長 | 我らは先祖代々、この土地で慎ましく暮らしてきた。 この土地が失われてしまえば、我ら村人に行くあてはござらぬ。 | ||
| 村長 | 我らは愚かにも神の怒りを招いた。 さすれば、我ら自身で神を鎮めるのが道理というもの。 これが神の試練ならば、我らは甘んじてそれを受けよう。 | ||
| 村長 | おぬしのような部外者……それも人造の巫女など、神への冒涜に他ならぬ。 我が村の掟に口出しする資格なぞない! | ||
| 君惠 | …… | ||
| 野良 | ひどか村長もあったもんっちゃなぁ。 | ||
| 蔵音 | 古くから遺された観念てのは、どこもそんなもんですよ。村社会に固執する者ほど排他的になる。 | ||
| 蔵音 | その巫女――ま、この際はっきり言いますけれど、あーたがどう努力しようと、奴らの観念を捻じ曲げることは難しい。 | ||
| 君惠 | 仰る通り、わたくしめには村長様を説得する力も、村人様方を避難させる方法もございませんでした。唯一、説き伏せられた者といえば…… | ||
| 君惠 | 本当に、よろしいのですか……? | ||
| 君惠 | 貴村の伝統や、御神の思し召しを疑っているわけではございません。ですが……それでは貴方様は…… | ||
| 村の巫女 | 君惠様……私は、幼い頃から巫女として育てられた身の上。 いつの日かこうなるとは、わかりきっておりました。 | ||
| 村の巫女 | 神に代わって人々に旨意(しい)を伝え、人々に代わって神に祈りを捧げるのが私の使命。 神の怒りを買ったならば、身代わりとなって神の怒りを鎮め、罰を受けるべきなのです。 | ||
| 君惠 | ええ、ええ、わかっております。けれど、それでは貴方様方が…… | ||
| 村の巫女 | 私たちは……とっくの昔に、私自身ではなくなっておりますから。 | ||
| 君惠 | …… | ||
| 村の巫女 | この生も死も、すべては御神の、ために……御神の…… | ||
| 人柱となる巫女は、言葉とは裏腹に震えを抑えきれないでいた。 君惠は彼女の手を握った。手のひらがひどく冷たい。 | |||
| 村の巫女 | う、うう……うぅぅ……わ、わかっているんです、怖がっちゃいけないって…… 生まれた時から……神のために、捧げられたのに…… | ||
| 村の巫女 | そうとわかって……覚悟もしてたのに……それなのに…… | ||
| 村の巫女 | 君惠様……それなのに、どうしても……体の震えがおさまらないのです…… どうしても……ううっ、うぅぅ…… | ||
| まだあどけないはずの少女はその時、大人を装い、 ぶかぶかの巫女装束を身に着けていた。 | |||
| 彼女には見渡す限りの、鮮やかな青春の日々が待っているはずだった。 そのすべてに、終止符が打たれようとしている。 | |||
| 村の巫女 | 死にたくないです、死にたくない……もっと生きていたかった…… 神様に、私の声は届いていますでしょうか? | ||
| 君惠は、その痩せ細った小さな体を抱きしめた。 その時、彼女の心の中に何かが芽生えた。 彼女は深呼吸をして、震える声でこう言った。 | |||
| 君惠 | 神は……神はお聴き入れになられました。 信仰深き者は、誰一人として死なせはしない、 貴方様に生きていてほしいと、そう仰られました。 |
