──水面に月が耀やく夜。
『……ォオ…………ォ……ン……』
荒れる潮騒に混じり、大きな声が聞こえる。
『オオォォ……ン……ォ……ォ……』
その声は人のものではない。より大きく、低く、海に響くもの……鯨の声だ。
『オォ……ォ……!……グ、ォ…………』
今、その声は苦悶に濁っており、暗い海面には赤黒い染みが浮いている。
だが、この海洋……大西洋において、この巨大な生物を害する天敵はそういない。
『……ォ…………オ……』
最もそれに近いのは、「人間」である。
……だが、この周囲に船やそれに類する人工物は見当たらない。
澄んだ海を汚すものは鯨の鮮血と油分のみで、害のある環境でない事もまた確かであった。
ならば?
ならば、これを害する獣の名は?
「────ら」
……微かな、鈴の鳴るような声。
大きく低い断末魔が途切れ、ごぼり、とその巨大な遺骸が浮上する。
──瞬間。
ざぱ、ざぱ、と、海辺で子供が戯れるような連続した水音と。
「ら」 「ら」 「ら」 「ら」
「る」 「ら」 「ら」 「ら」 「ら」
「ら」 「る」 「ら」 「ら」 「ら」
「ら」 「ら」 「ら」 「る」 「ら」
「ら」 「ら」 「ら」 「ら」 「ら」
「ら」 「る」 「ら」 「ら」
「ら」 「ら」
「る」 「ら」 「ら」
……海面を埋め尽くすような、赤い光。
それは、獣の…獣「たち」の、双眸。
「ら、ら───ん、ふー」
そして、ぴょこり、と海面から顔を出した無垢な顔が。
何かを思い出したかのように、誰に向けるでもなく口を開く。
「……いただき、ます!」
その言葉を皮切りに、一斉に、乱雑で破壊的な咀嚼の音が響いていく。
ばりぼりと解体される肉塊は、程なくして僅かな骨肉を残した残骸となった。
◆
───人知れぬ摂理は、しかし。時に、未知との邂逅を招く───
◆
一方、別日の朝。
その近海、大西洋中央部付近に浮かぶ、白亜の寺院や教会然とした建築が立ち並ぶ島。
そう、現代に生きる救済の騎士達───「アクシア聖団」の本拠地である絶海の孤島。
その中央部、外観とは不似合いな機械的な内装の建物にて、厚着の女性と白黒の和装をした双子の少女が言葉を交わしていた。
「……え、また?」
「はい。今月に入りもう四件目の漂着なのです」「副議長からもうこの件はこっちじゃなくケンタウリ・ナイツにでも投げとけって頼まれたのです」
「「どうせお前は暇なのでしょう、アーカーシャ」」
「えぇ……。いや時間持て余してるのは確かだけれども……そういうのはそっちのお仕事なんじゃ……」
「シビリアン・カウンシルは海洋清掃業者じゃないのです」「技術方面はお前らの管轄なのです」
「そして我々は懲罰騎士なのです」「ミザールにしてアルコルなのです」
「「えっへん!」」
双子が一糸乱れぬ動きで胸を張る。
「あーはいはい。……いや決してウチも便利屋では」
「ということでお待ちかねの仕事の斡旋なのです」「泣いて喜ぶのです」
「ねぇ話聞いて?……いやまぁ、久々にそっちからのお仕事依頼だから気張るけども」
そう答えると、のそのそとした動きで幾つかのモニターをチェックし、少し首を捻ってから向き直る。
「んー……頼まれたからにはしっかり調査したい、けど……。
人員は……三……いや五人くらいかなー……通る?」
「五人なのです?」「それはちょっと過剰ではないのです?」
「いくら今日は非番が多いとはいえ」「たかだか漂着物の調査にそんなに人員を欠くのは非効率なのです?」
「んーと……」
女は、機械化した手で少しだけ頭を掻いてから答える。
「まー……電子レーダーにも魔力計にもデカい反応はないんだけどね。
でも、今までの記録を見るに……水質やら環境が問題にしては、毎回毎回損傷が無惨に過ぎる。
……つまり人為的な犯行か、もしくは───」
ちら、とモニターの一つを流し見て、少しだけ眉をしかめて。
「もっとおっかない何かがいるのは、確かなんだよ。
これまでは何も見つかってないけど、いつその矛先がこっちに向くか分かったもんじゃない。
……なら、どっちにしても見過ごせない、でしょ?」
「……なるほど、納得なのです」「まぁそもそも、許可は元から出てるのです」
「「そして我々的にもオッケー、つまりはオールオッケーなのです」」
こくこく、と二人がシンクロして頷き、まる、とジェスチャーをする。
その返答を聞くと、アーカーシャと呼ばれた女性は伸びをして立ち上がると、
「んー……よし!じゃあパパっと支度する!
縁も結も連絡ありがとね…………あ、そういや、今日ティナはどしたの?」
「むぅ、おつかいがよくできましたみたいな態度はやめるのです!」
「……そして、こんな程度の情報を一々メッセンジャーを介して伝えるのは非効率なのです」
「これより重要な案件はまだ幾つもあるのです」「……まぁ、聞いてる限りこれも結構大事な気はしてきましたが今更なのです」
「……まぁ、そだね。……ま、あっちも問題ないなら何より」
「ともあれ、そういうことなら招集したいようにしていいのです」「問題行動を行わないならそのへんは個人管理なのです」
「「でも不正やらかしたらチョッキンなのです!」」
ぐわー、と口で効果音を発しながら、縁と結は二人で一つのハサミ型の刃を鳴らし威嚇する。
「はは、わかってるって。……さて、んじゃ、変に騒ぎになる前に片付けちゃいますかねー」
そう言うと、ひらひらと手を振りながら空いた片手で眼鏡を直し、様々な機械が並ぶ建物の奥の方へと歩いていく。
……その姿を見送ってから、双子の懲罰騎士は、ぼそりと。
「「……むぅ」」
「こういうときだけ年上ぶるのはずるいのです」
「過剰に怖がられるのも遺憾だけどこの扱いも複雑なのです……」
……そう言って頬を膨らませ、互いに顔を見合わせていた。
◆
「最近、狼のエルダーの動きが活発だ」
聖堂教会の一角にて、そのような言葉が響く。
「つい先日もそれらしい報告があった。
アクシア聖団……という騎士団が、エルダーと衝突したそうだ」
「へぇ、そうなの」
一人の少年の報告に、少女が素っ気なく返す。
少女の名は、レフィカル・レミ。見る者が見れば、背に天使の如き羽根を幻視するような美しき少女。
「しかし、最近は何故こうも聖杯戦争が多いんだ。
俺のような若輩者までもが、こうまで駆り出されるとは」
不満げに漏らす少年の名は、鉄(くろがね)要(かなめ)という。
彼らは、異端────その中でも俗に『狼』と呼ばれる集団を主に狩る、聖堂教会の一部署である。
正式名称は人狼局。狼を狩るという性質上、彼らは狩人と揶揄されるときもしばしばある。
「人が少ないからね私達。新入りは来ないし。
ソフィア君もいなくなって帰ってこないし、狼も増える一方だし。
それに加えて、ここ最近聖杯戦争が増えてきたでしょ? やっぱり狼と出会ったりした?」
「………………………………」
レミの問いに対して、カナメは口をつぐんで少し押し黙り、ギリ…ッと歯を食いしばる。
ソフィア、それは彼が所属する『人狼局』の仲間で、騎士と呼ぶにふさわしい男であった。
だが、今は何処にいるかも分からないため、彼が失われたことは、カナメにとっては耐えがたい理不尽であった。
──────そして、彼がいなくなった理由、聖杯戦争に彼は出向き続ける。
そんな中で、ある一つの存在と出会ったことを彼は静かに思い出した。
「……どうしたの?」
「狼とは会わなかった……。だが、ある意味ではそれ以上に、危険な奴がいた」
「……狼以上? そんな奴がいるの?」
カナメは眉を顰めながら、レミの問いに答える。
曰く、それはつい先ほどに体感した聖杯戦争に於いて対峙した、一人の参加者だったという。
「そいつは依頼で聖杯戦争に参加したと言っていた。
……人殺しの儀式とは言え、金のために出るという輩も、まぁ少なくはないだろう。
だが……そいつは違った。俺はそいつに言った。俺たちの事を、そして狼という存在の事も」
「………………そして、逃げるような輩じゃなかったと?」
「ああ、そいつは……"笑ったんだ"」
カナメの脳裏に、その男と対峙した情景が浮かぶ。
起源覚醒者、人面獣心の怪物たち、その話を聞いて、命の危機を知ったうえで、
ギラギラと殺気を泡立たせて笑う、派手なスーツに色眼鏡を着用した男の顔を。
「狼は、どうであれ己の起源、本能に従って生きている。
だが奴は……自分が悪だと、異端だと分かったうえで、それを"楽しんでいる"。
しかもそれを、仕事としてだ。……普通じゃない」
「……………………」
その報告を聞いて、レミは携帯を取り出して聞く。
「名前とか、分かる? 調べたら何か出てくるかも」
「ああ、ご丁寧に名刺まで貰ったよ。……矢衾警備保障、だとさ」
────────────────
────────────
────────
────同時刻
「ん、ああ……今日は随分とご機嫌ですね社長」
「聖杯戦争の依頼、ごくろーさまでーす。どうでした?」
「ん? ああ……ククッ」
複数人の社員からの挨拶を受けながら、
血に塗れた派手なスーツを羽織った男は堪え切れないといったように笑う。
男の名は、矢衾幻河。"殺し"を仕事(ビズ)とする矢衾警備保障(株)の創業者。
社員は世界中どこへでも赴き、依頼(ころし)をこなし己の欲と役割を満たす、殺戮の専門家の集い。
その中心人物である矢衾自身もそれには例外でなく、まさしく殺戮を楽しむ狂人であった。
「いやぁー……、まぁ、ね。
久々に良い獲物見つけちまってねぇー。……いやどうもいかんなぁ……。
ちょーっと、こいつぁすぐには収まりそうもないねぇ……」
ククククク、と喉を愉快気に鳴らしながら男は笑う。まるで絶好の獲物を視線に捉えた獅子のように。
その今までに聞いたことのない社長の言葉に、清楚な女性が拳を握り、くたびれた男性はナイフを振る。
『絶好の殺しの好機が来る』と、彼らの長年の殺しで鍛えた勘が囁いたのだ。
「お前ら、狼だか人狼だか名乗ってる連中、片っ端から殺って良いぞ。
楽しめるらしいからな、存分に遊んでやれや。邪魔する連中もいたら……まぁ好きにやってくれ」
「邪魔って…………またロータス・オムニサービスとか?」
「連中? 連中は殺しの邪魔するようなタマじゃないだろう。
どこかで別の仕事でもしているだろうさ」
◆
「はっくしょい!!」
寒空の下で、くしゃみが空高く響いた。
「汚いわ流星はん!」
「ばっきゃろー!寒いから仕方がないだろー!?」
「せやけど、受けた依頼やさかいしょうがないやん……。
なんでも受けるのがうちらロータスのモットーさかい」
寒空の下で漫才じみたテンションで会話する彼らは、ロータス・オムニサービスという会社の社員。
「魔術専門の人材派遣会社」を自称する魔術結社であり、業務内容は一切問わずあらゆる業務の依頼を受ける。
そんな彼らなのだが、何故か本日は急遽舞い込んできたアイドルライブの誘導員をしていた。
「最近仕事ないのは分かるけど……もう少し仕事選べって話だよ。
あー、ここにいる連中全員爆発させたい」
「ホントそういうとこやぞ流星はん。んなだからルナティクスに勧誘されるんや」
「あんな狂人集団と一緒にすんなばっきゃろー!!」
「あ、あの…………」
騒がしく口論する二人の社員の背後から、可憐な声が響いた。
振り返ると、そこには美しい緑色の髪を二房にまとめた、美少女が立っていた。
「今日臨時でお手伝いに来てくれた人たち……ですか?
今日はよろしくお願いします! この寒空の中、ご苦労様です!」
「元気なこやなー。いやいやー、これも仕事やしなー。気にせんといて嬢ちゃん」
「ありがとー。ん? ひょっとして君がこのライブで歌うアイドル? 見るからに可愛いし」
「可愛いだなんて……そんな、あ、ありがとうございます!」
少女がぺこり、と頭を下げる。
ダボダボの白衣の少女、津田流星の察しの通り、この少女はアイドルであり……そして魔術師である。
名を詩姫人理。元の姓を外道(そとみち)というが、これはある魔術師の隠し子としての姓である。
外道(そとみち)一族とは、番外魔法"ラビッツフット"と呼ばれる幸福の具現化を追い求めた大陸の魔術師の派生である。
今から少し前に、その目的のためにある半神半人の存在を北海道にて呼びだそうとするも失敗し断絶。
それにより孤児院に預けられた後、アイドルになったのが彼女である。何があったかは割愛しよう。
他にも外道一族は、父を探す過程でカルデアや特異点、果ては人類悪などといった、様々な可能性を辿る少女、外道天魔や、
ベルゼバブに会うために、シェオールの祭壇を作り上げた一人の死したはずの魔術師、外道悪徒などといった、
多くの魔術師とその可能性たちが存在している。非常に重要な"可能性"の一端である
「こんな幼いのにアイドルなんてやっててえらいなー。
僕なんて正直まーだ自分にあってる仕事が分からなくて」
「そんな……ボクはただ……出来る事をやっているだけですから……
……………それに……」
人理は、どこか嬉しそうな表情で笑い、
そのかわいらしい掌を胸の前でぎゅっと握る。
それはどこか、大切な物を守る仕草のようであった
「それに、大切な人が、待ってくれてますから!」
「ヒュー! あっついねーばっきゃろー!」
流星が茶化すように言い、人理が笑い、そしてもう一人の社員、ダリオもまた笑う。
その笑顔は、この混ざり往く世界の中でも変わる事のない、一筋の輝きであった。
◆
──────同時刻
ピンポーン、とある場所で呼び鈴が鳴る
「…………はい」
呼び鈴に応える形で、一人の少女が出る。
少女の名は、青葉逢音。他人に支配されることで、その人物に寄生する『被支配』の起源覚醒者。
先にアクシアの騎士団と衝突をした、狼と呼ばれる集団に所属する一人の少女である。
だがしかし、現在の彼女はそこまで害がある存在と言うわけではない。
彼女は起源覚醒と同時に、見た物に「支配欲」を抱かせる黄金ランクの『寵姫の魔眼』に目覚めたが、
ある聖杯戦争において、一人の少女をその魔眼の虜にして以来、彼女はその少女と二人屋根の下に過ごしている。
「やぁ、こんにちわー」
だが、とはいえ起源覚醒者にして魔眼保持者。危険な事には変わりはない。
被支配の起源の下に、何人もの女性をその身に依存させて、そして破滅させてきた。
そんな一人の少女の元を訪ねたのは、まるで狐としか形容しがたい一人の女性であった。
「……誰ですか?」
「ああ、突然訪ねちゃってごめんねぇー。おねえちゃん、こういう者でー」
狐のような女性が名刺を差し出す。
名刺には「FFF社しゃちょー フェリシア・F・ファーディナンド」
とでかでかと書かれていた。
「……しゃちょー……? ご丁寧に、ありがとうございます」
「いやいやぁー良いよ良いよー。高校生? 仕草が丁寧で偉いねー。ユキ君とは大違い!」
名刺を受け取って、逢音は丁寧にペコリと頭を下げる。
その下げられた頭に、フェリシアは思わず手を乗せて良い子良い子する。
「あ、その、そう言う事は……。それに、どういったご用件でしょうか…」
「ん? ああ、ごめんごめん。実はねー」
そう言いながら、少し身を乗り出すように家の中を覗くフェリシア。
少し見ると、その家の中には聖杯が山のように積まれた場所があるのを、すぐさまに見つけ取った。
数にして、おそらく10からそこら。ボウリングが出来るレベルの数である。
「あああったあった! ちょっとこの辺で異常な魔力が観測されたからさー。
ちょっと回収して来てー、って依頼されちゃって。どうかな? おねえちゃんに売ってもらえないかな?」
「お断りします」
率直に断られた。当然である。逢音にとって、聖杯とは特別な存在だ。
確かに魔術師から見れば聖杯など垂涎物だが、彼女にとってはまた別の貌があった。
彼女はその『寵姫の魔眼』の魔眼によって、多くの女性を依存という形で破滅させてきたが、それは彼女の望んだものではない。
彼女は、常に支配され続けたい。何も破滅させることが目的ではない。
自分を縛ってくれる人、一緒にいてくれる人とずっといる事が目的なのだ(ただし女性限定)
故に彼女は、そのどうしようもない『壊れる関係』という運命に抗う最終手段として、複数の聖杯を持つのだ。
────加えて、彼女が今共にいる、ひとりの少女もまた、その聖杯を守る使命に拍車をかけている。
「んー、そっかー。そうだよねー。
聖杯だもんねー。そう簡単には譲りたくないよねぇ」
彼女、フェリシアの所属するFFF社は、数百年前に西部にて発生した聖櫃を巡る戦争に於いて、
生き残った一人の魔術師が起業した魔術企業であり、多くの魔術に関連する代物を収集するのが役割である。
従って、こういった聖杯などという存在も回収義務がある。ただその役割のせいで、天然痘ウイルス株だの
喰っても減らない謎のフランスパンだのマリモ(悪)だのと厄介な代物しか集まらない。
だが、そんな厄介な代物でも、それが彼女の役割なのだ。
役割である以上、彼女はその聖杯を回収し補完し続ける義務が────
「んー、まぁ大事な物っぽいし、じゃあいいや」
義務? 何それ美味しいの?
フェリシアは目を細めてにんまりと笑って、あっさり聖杯を諦めた。
あまりにあっさりとした辞退に、流石の逢音も頭上に疑問符が浮かぶ。
「え? あ、はい……」
「じゃあさじゃあさ、代わりにおねえちゃんの社員になってくれないかな?」
「え? ……えっ?」
再び疑問符。
あまりに唐突な事態に、数多くの聖杯戦争を体感した逢音も、
目の前の人物に対して色々と困惑の感情を余儀なくされる。
「だってそれ魔眼でしょ? それに、たぶん起源にも覚醒していると見えるなぁー。
これは結構な逸材! だったらうちで働くしかない! 学生でも大丈夫表向きはバイトとして雇うから!
見たところ二人暮らしでしょー? 片働きだと大変じゃない? ほらほら善は急げだよ。まずはお近づきの証にあの聖杯でボウリングでもしよっか!」
「(…………なんなのこの人……)」
よくわからずに疑問符だけが少女の頭上を旋回する。ただ、確実な事は一つだけ。
今の彼女には、自分を誰よりも支配してくれて、そして一緒にいてくれる少女……
詩姫人理がいる。その少女を裏切るわけにはいかない。一人にするわけにはいかない。
そう考えて断ろうとするが、目の前の女性は、どうにも帰ってくれそうになかった。
「ほらほらー、第一投ー!」
結局、しゃちょーの勧誘は彼女の同棲している少女
────先に、ロータスの社員たちと談笑していた少女、
詩姫人理が帰ってきてひと悶着あるまで続いた。
◆
騎士たちが招集されて、一時間後。
島の外縁部近く。件の海岸へ続く道には、何人かの騎士が集まっていた。
「ほーい、点呼!」
時刻を確認したアーカーシャが、彼ら、そして彼女らに対して呼びかける。
「はい。……一等騎士(マスター・ナイト)第六席「カペラ」、アイナ・マネキン。推参しました」
初めにその声に応えたのは、銀の髪を長く伸ばした、鈴の鳴るような美声の少女。
「同じく一等騎士、第七席「リゲル」。キース・アントワーヌ、此処に」
それに続くは、豪奢な服装と携えたフルートが印象的な絶世の美男子。
「一等騎士第二十一席「レグルス」!
アシュレイ・リトオール!!! そしてこいつは!!!」
更に若干食い気味に自己主張を続けるのは、灰と赤色の髪と日焼けした肌を持つ青年。
そして、その後ろに隠れていた眼帯を付け外套を纏った少年が顔を出し、焦りながらに続く。
「……わ、吾輩も!? この後に吾輩も名乗るのか!?
……ぇ、ぇと……ごほん。……イ、イニシエイト・ナイト!
覇王アクィラ・アッカルドであ……です」
「あっ覇王(笑)くんじゃん。珍しいね、
見回りなぞ覇王の仕事ではないー、とか言ってあんまパトロールしないのに」
アーカーシャがからかい気味に、この場で唯一のイニシエイト・ナイト
──彼ら「アクシア聖団」の騎士としては弟子としての修行中に値する階級──であるアクィラの設定面を小突く。
「いや!こいつは暇そうだったから俺が連れてきただけだ!!」
「ハイ…ソウデス…」
と、横からアシュレイが大声で簡潔に理由を述べ、アクィラが顔を背けて小声で生返事をする。
「あぁそういう……。……いやしかし、こう言うと難だけど思ったより集まってくれたね。ありがと」
アーカーシャは軽く頷くと、全員を見回してから短く礼を述べる。
「いえ。……私も、最近の鯨の被害は聞いています。「歌で救う」カペラとして、例え獣であっても、歌を唄う者の危機を捨て置いてはおけませんから」
「此方も、リゲルに課せられた「奏でて救う」スコア故、一定の面目があります。……それに、「カペラ」の悲しみは、共に奏でる際に影響を及ぼしかねません。
後顧の憂いは排除しなければ」
それに応えるように、アイナとキースがそれぞれ悲痛な面持ちと沈着なマスクで理由を語る。
「俺は暇だったから来ただけだ!
それに、アンタがどんくらい強いのかもしかしたら見れるかもしれないからな、「リギル・ケンタウリ」!!」
「成る程そういう……あっうんレグルスはそれでいいと思うよ」
続くアシュレイの発言をさぱっと流すと、アーカーシャが一度息を整えてから向き直り。
「じゃあ、改めて」
「……一等騎士第三席、「リギル・ケンタウリ」。アーカーシャ=VIIが嘆願し、また命じます。
近海で起きた異常現象の原因解明、及び排除。これを、我らと汝らの目指す救いの為に除することを、此処に──」
言葉に合わせ、すらりと四人の持つ柄のみの剣が抜かれると、瞬く間に刃を形成する。そして。
「「「「「──誓う」」」」」
キン、と短い金属音と共に、五つの刃が一点で束ねられた。
────────
────
──
─
「……あれ、ですか」
「ふむ……随分と、手際が良いようで」
縦列に並び進む騎士の一人、天声を持つ少女が「それ」にいち早く気付く。
一行が向かった海外に鎮座していたのは、ほぼ骨だけの状態となった鯨の遺骸であった。
「ひ、ひぃ……」
「何だ、クジラって食えるって聞いたからちょっと期待してたのに骨しかねぇのか……」
「おーいレグルス? その発言は色々ヤバいから気をつけようねー? …………さーて、と」
重装備を感じさせない身軽さで岩場を越え、それの間近にアーカーシャが手早く近付くと、周囲を一周しながら何やらメモを取りはじめた。
「……?見た限り、別段異常な部分は無いように見えますが……」
「いえ。この近海に、このような仕業を成す生物は居ないはずです。本来、死骸とはもっと凄惨なものですから」
その間、アイナの浮かべた疑問符には、キースが怪訝な顔をしつつ回答する。
間もなくアーカーシャが戻ると、キースに対して少しだけ手招きをした。
「……リゲル、少し」
「なんでしょう」
「……これまでの漂着の調査報告の時より、確実に「数が多い」。……多分、来る。演奏の準備、お願いね」
「ふむ。了解しました」
「……あ、あれ?今何か……」
小声で交わされた会話が終わる頃、アクィラが何かに気付いたように声を挙げる。
「どうした!? 敵か!?」
「い、いや、今、海に何か───」
───瞬間。
ざぱぁ、と。
凪いだ空間に、異質な水音が混じるように。
海面からその鎌首を擡げたのは、白く、つるりとした流線型の、『何か』。
その先端には、橙色の花のような裂け目が。大口を開けて、眼帯の少年……アクィラの方を向いていた。
◆
「何ッ!! 空蝉派に動きがあっただと……?」
日本のとある場所、一人の男が動揺を隠せずにガタリと立ち上がる。
「ああそうだ。何やら大きな情報を得たとの動きが間者を通じて分かった」
その立ち上がった青年に、一人の老人が穏やかに答える。
彼らは弦糸五十四家と呼ばれる魔術一族の、桐壷派と呼ばれている一派の中心に立つ2人。
名を桐壺新太郎と夕顔茂森という。
かつて初代である弦糸新太郎が見た、滅びの光景を覆すために集った54の魔術師の家系が、彼ら弦糸五十四家である。
だが、過去に"雲隠事件"を引き起こして以来、空蝉派と桐壷派に分裂し、今は水面下の構想が続いている状態である。
そんな彼らの元に、その敵対する空蝉派のトップが動き始めたという情報が入ったのだ。
「だがしかし、何故突然」
「曰く、世界が混ざり始めたと瞳めは言っていたそうだ。
真意のほどは不明ではあるが……、おそらくあの女が動き出すほどだ。何かが起きているのだろう」
「なるほど。これは私も一肌脱がざるを得ないようだな!!」
青年がワイシャツのボタンに手をかけ乳首を露出しようとする。
それを、もはや彼の露出のお目付け役状態になっている夕顔が華麗な手際で諫め止める。
「確かにお前が動かざるを得ない時も来るであろう。
だがいまではない。今は空蝉らと同じく、情報を収集するべき時だ」
「ふむ、当てがあるのかね?」
「あぁ、入れ」
夕顔の合図とともに、一人の女性が衾をスゥと開いて部屋に入ってくる。
非常に長く、そして艶のある美しい黒髪が目を引く女性であった。
そして隣には、煌びやかな装束を纏った女性が付き従う。
「…………これは……」
「混ざり合う世界に心当たりがある、と協力を打診してきてくれたものだ」
「沢本有紗です。初めまして。よろしくお願いします。……こちらは」
「サーヴァント、か」
黒髪の女性、有紗が隣に立つ少女を紹介しようとする。
しかし、長くを生きた新太郎は、その少女の正体を即座に見抜くことが出来た。
「……分かるのですか」
「ああ、こう見えても弦糸のトップだからな。
厚着の下に隠れた真実など即座に看破することが可能なのだ」
少女のサーヴァントは一瞬「何言ってるんだこいつ」という顔をするが、
「ならば話は早い」とその豊満な胸を張り己の真名を高らかに告げる。
「知っているのならばサーヴァントについては不要、か。
余は偉大なるファラオ、アサシン・ツタンカーメン! 有紗のサーヴァントだ!」
「ツタンカーメン…………ふむ……」
その名乗りを聞いて、夕顔は顎髭を撫でながら思案する。
確かその名は少年王を意味し、そして弦糸にあるデータベースによると、
そのサーヴァントのクラスはキャスターで、髪の逆立った少年であったとあるが、
これも"世界が混ざっている"とやらに関係があるのだろうか? と老人は推測した。
「名乗ってくれてありがとう。
私は桐壷新太郎。先も言ったように、弦糸五十四家の当主だ。
あちらに座っているのが夕顔茂森だ」
「どうも」
「よろしくお願いします」
「さて、自己紹介も互いに済んだところで本題に入ろう。
…………何故、うちに来たのだ?」
桐壷がじっ……と有紗を見つめながら問う。
有紗はその視線に、少し臆しながらも、自分が此処にいる理由を話し始めた。
「私は、以前死んだ身です」
「…………ほう、それは……肉体的な意味で、か」
「はい。本来沢本有紗という人間は、ある大阪での聖杯戦争で、雷神の仔によりその命脈を絶たれ、
……その後、作り出された迷宮の踏破の後、正しく死んだはずでした」
少女の言葉に、桐壷は眉を顰める。
"大阪であった聖杯戦争"という言葉に、違和感があった。
彼の記憶の中では、大阪で聖杯戦争が開催されたなどという事象は聞いたことが無かった。
「…………しかし、何故今生きているかが分からない。そう言う事だと?」
「死者蘇生は魔術世界でも珍しい事だが……なるほどこれは……」
「あれで沢本家は断絶されたと思われていましたが、このままでは再び、ビーストであるイザナミが蘇りかねません」
ビースト、そしてイザナミという言葉に新太郎はビクリと眉を大きく動かし反応する。
────沢本家とは元々、魔術の道へと進んだ真田家元家臣である沢本六十郎が発足した家系である。
紆余曲折の末に、大阪にて黄泉夢幻迷宮イザナミを作り上げ、その後ビースト・イザナミを召喚した。
彼女はそんな沢本一族を断絶させることを願う女性でありその死をもって彼女の願いは叶った……はずであったのだ。
「弦糸五十四家は、私が知らない一族でした。
これほど大きな勢力を持ちながら、私たち沢本が知らない魔術家系が日本に或る……。
そして、死んだはずの私が此処にいる。……おそらくは、この二つには因果関係があるのではと思い、こうして伺った次第です。
……信じてほしい、という言葉が軽すぎるというのは分かりますが、どうか協力をしてもらえないでしょうか?」
有紗が頭を下げる。
その姿に、夕顔はふぅむ……と唸りながら顎髭を撫で思案する。
「言っていることに偽りがないように思えるが……どうも信用に欠ける……桐壷、どう見る?」
「信じようじゃないか」
男は快活に笑って、沢本という知らぬ魔術家系の娘を見やる。
「桐壷……!?」
「元より我ら弦糸五十四家。弦糸新太郎の妄言にも等しい真実を聞き入れ集った五十四人の末裔。
ならば、例え妄言迷言と笑われるような言葉とて、それが世界の危機ならば立ち上がるのが道理というもの
協力をしよう、沢本有紗。教えてくれてありがとう。此れより我らは運命共同体となる」
「……ありがとう、ございます」
桐壷が手をサッと警戒に差し出す。
その差し出された手を有紗は握る。
今ここに、世界を超えた日本由来の2つの家系の同盟が結ばれた瞬間であった。
「ところで、他にもサーヴァントはいるのか?」
「あ、はい。がしゃどくろや小松姫など、今まで一緒にいたサーヴァントも何故か集っていて」
「ならば我ら桐壷の戦闘勢力も総動員だ! 玉鬘のを手始めに呼べ! この私も本気の為に一皮剥く時が来ゴベァ!」
テンションが舞い上がり、再びワイシャツのボタンに手を賭けて乳首を露出しようとする桐壷。
女性の目の前ではあったが、なんとか露出される寸前でツタンカーメン(女性)のわりと強めのボディーブローで防がれた。
◆
「──ぁ、?」
「ッ、『プロキシマ』!」
海面よりその貌を覗かせた、悍ましき橙色の花に、騎士たちが気づく。
間もなく、振り下ろされるように迫った「それ」とアクィラの間に、アーカーシャが放った白亜の装甲板が飛来する。
ぎぃん、と鈍い音が響き、空中で弾き返された「それ」は、素早く海中へとその姿を隠す。
「ひ、ひぃっ!?」
「早く下がれイニシエイト! リゲルはカペラとイニシエイトをお願い! レグルス、攻撃準備!」
「……了解しました。「カペラ」、こちらへ」
「は、はいっ」
「お? おう! 準備はいつでも万端だぜ!」
空気が、一瞬の間静まり返る。
そして。
「……んー、ぅ」
海中から、白い腕が這い出る。
岩場にまず腕を付き。上陸につれ、頭、胴……と、段々と露わになりゆくその姿。
「ひ、ぃ…………?」
「これ、は……」
……そして、覚束ない脚二つが地を踏みしめる。海より出でしその全容───。
顔立ちのみならば少女のような、全身を白い皮膚に覆った生命。
だが、どこか現世と乖離した質感と…………何より、その腰部から伸び、背後にて口を広げる「触手」こそが、それの異質さを際立たせる。
「……何だ、こいつ?」
「人間……? いや、違う……?」
騎士達が困惑にどよめく中。眩しそうに空を仰ぎ見た「それ」が、彼らを見据えて口を開く。
「…………教会、の……におい……? ……でも、あれ……?」
「……教会? いえ、私達は聖堂教会の者ではありませんが」
「ちがう? そっか。…………でも」
「えっ喋っ…………てかキースさん普通に」
首を傾げ、視線を泳がせたそれの声色が変わると。
「──わたし、今、おなかが空いてるんだ」
海面が揺らぐ。無数の影が遊泳する。
「だから───ね?」
「ッ──」
言葉を皮切りに。
飛び魚が海面を跳ねるように、びちゃ、びちゃ、と。
無数の「それ」が、陸へ躍り出る。
「ひいいい!? たくさんいるうううう!?」
「……みんな! 間違っても、一匹も寺院に上がらせないで!」
「「「「(り、)了解!」」」」
「こいつは、こいつらは──間違いなく、敵だ!」
跳躍し飛来するそれらを、臨戦態勢のアクシアの騎士達が迎撃する。
「……だらっしゃあ魔力放出パアァァアンチ!!!」「ぐぴゃっ」
「「(プレスト){急速に}」!……はぁっ!」「き”ゅぅっ」
「え、援護します!……laaaaaa♪」「らー♪」
「えっ」
「……残念だけど、戸惑ってる暇はないよ!唸れ『ポロス』!」「み”ぃっ」
獅子座の拳が、旋律を乗せた神速の刃が、祝福を唄う天声が、螺旋に廻る刃が、次々と白い生物を撃ち落としていく。
だが、それを意に介さないと言うように。同じ顔、同じ声をした「それ」は、幾らでも海中から姿を現す。
「ひ、ぃっ……な、何なんだお前ら! 何なんだよぉ!?」
そして、その傍ら。
アゾットのような形状の剣を振り回してなんとか相手の接近を拒んでいたアクィラが、そう言うと。
「──″わたし″?」
問われたそれは、一時だけ動きを止めて。
「わたしはね、わたしは……ふふっ、ふふふ……」
その顔を、思い出し笑い、のようにアクィラは受け取った。
そして、無邪気な子供が、褒められた事を思い出すような顔、とも。
「……わたしのなまえは、マリー・ルクレール・マーナガルム」
誇るように。伝えると言うよりは、宣言するかの如く。
「だれよりもたくさん殺し」
陶酔の色を帯びた声が、恐怖となって心を抉る。
「だれよりもたくさん喰べて」
奪い、殺し、憎み、誇れ。
確固たる意志を以て自らを定義するような、禍つ言の葉が紡がれていく。
「だれよりもたくさん増える」
真っ直ぐに目前の獲物を見つめる、白濁した少女の瞳孔が。
毒に塗れた悪意に、嗤う。
・・・・・・・・・ ・・・・
「いちばんさいしょの、獣の牙だ」
嗚呼。嘗て、無垢にも見えたその面には。
今や、美しささえ感じるほどに邪悪な笑みが、爛々と浮かべられていた。
◆
気付いたのは、ほんの少し前だった。
……整理していた資料の中に、見覚えのないものが紛れていたのだ。
それは、『起源骨子』の製作のために、人間の持つ『起源』の作用を調べていた時のもの。
昔の事だから、とも思ったけど、私には引っかかる事もあった。
数ヵ月前、部下の一人が赴いた聖杯探索。だが、その報告にあった都市は、少なくとも「この世界に存在するもの」ではなかった。
誤記載か何かだと思っていたけど、それからも、細かな違和感は続いていた。
資料を開く。……やはり、「覚えのない過去の記録」が、そこにはあった。
平行世界、それも大きく異なるパターンとの混濁……予測していた事態の可能性が、高まっていく。
……ならば、何をするべきか?
決まってる。知らないことがあるのなら、それを脳内に叩き込むのが技術者の性というもの。
辿る。知らない過去の自分が行った収集を。
辿る。かつて見た道筋に、新たに発生した発見を。
特例。覚醒。変質。
集合。害意。人獣。
見慣れない単語が、事例が次々とインプットされていく。
そうして探し回って、覚え回った末に浮かび上がった、一つの「脅威」。
その名は─────。
「「────『狼』」」
他方。
浜辺の岩に座り込み、火を焚いていた橙色の髪の少女が、反芻するようにその名を呟く。
「……かぁー……」
そして、削った枝に刺し炙った何かの肉を頬張りながら、気の抜けた声を上げて空を見る。
先刻、彼女は海から現出した同胞の一人──と言ってよいのかは定かではないが──に、「おねえちゃん!ごはんあげる!おなかすいてるからまたね!」と贈物の奇襲を受けていた。
恐らくは獲物を仕留め、そこから別の獲物を探しに行く道中、たまたま匂いを嗅ぎつけてきたのだろう。
「……そういや何の肉だろこれ……魚……イルカ……?
少なくとも味的に人じゃないな。…………ま、まりぃに説明求めるのもアレだけど……」
基本的に文無しの一人旅なので食費が浮くのは助かるのだが、半ば通り魔めいた支給方法に息を吐く。
べちゃり、と地面に投げ打つように渡された、海水と血に塗れた生肉の塊に引きつく頰を知ってか知らずか、
贈り主は笑みのままに「おなかすいてるからまたね!」と海中に姿を消してしまったが。
「それに……おねえちゃんっつったって、あたしはぜんっぜん後輩だろうに……分かんないなぁ」
溜め息を吐いた少女は、ふと、いつか立ち寄った街で偶然に出逢った、ふわりと笑う顔が印象的な同胞の一人に聞いた言葉を思い出す。
自分達は『狼』と呼ばれていること。
起源なる「方向性」に突き動かされ、その向かうままに行動する者達であること。
奇妙な事に、その全員が本名、もしくは偽名や異名の内に「狼」にまつわる言葉を持つこと。
その狼を狩る専門の人間がいること。
そして、自分が以前縁を結び、つい先程も肉の塊を賜った、白濁とした異形の海魔
──マリー・ルクレール・マーナガルムは、数多の『狼』の中でも最も永く生き、
そして永く"喰らって"きた……長老格(エルダー)と呼ばれる最古の個体の一つである、ということ。
他の『狼』に関しては、魔術の絡む事件が常にそうであるように、起こした事件の存在そのものが秘匿されることが多い、が……
しかし、海に生きるあらゆる命を喰い貪り、一度陸に上がれば街一つ喰い尽くすマーナガルムの“群れ”が刻む爪痕は余りにも大きい。
結果、とても隠匿し切れず──真相は伏せられるにせよ──表の世界で大々的に被害が報道されたことすらあったという。
普段はもっと沖の海を泳いでいるそうだから、陸に近いこんなところに顔を出したあたり、群れの中心からはぐれてしまったのかもしれないが──
「もし陸に上がったら、まーた大惨事だろうなぁ……ま、あたしには関係ないけど」
想起が終わると、先程まで肉を刺していた枝で「レト」「マーナガルム」「三峰院」……etc.etc.と、自身の知った『狼』の銘を砂地に刻んでいく。
そして数度頭を捻った後、ほんとに脈絡ないなぁ、と呟いてそれらの落書きを踏み消した。
「……さて、と。……そこの、何見てんの?」
そうして、一呼吸の後、ぐりんと斜め後ろを振り向く。
───目線の先には、一人の女が立っていた。
「……あら? 気配は消していたはずなのですけど……気付かれてしまいましたか」
艶美な長い黒髪、身長に不釣り合いに大きな胸、
露出の多いドレス様の衣服に、魔性の宝石のように輝く深紅の瞳。
それを視認すると、『狼』の少女は焚き火を蹴り消し、素早く袖下からナイフを取り出す。
「……魔術師だね」
「…まぁ、そこまで感づかれるのですね。
ですが、そんな物騒なことをするつもりはないですよ」
ひらひらとドレスの女が両手を振り、戦闘の意思がないことを強調する。
「ハッ、魔術師の言葉を信じる魔術師がいてたまるかってーの。……で? 何の用?」
しかし、そんな様子は全く気にせず、すぐにでも戦闘できる態勢を保ったまま、『狼』の少女は相手の意を確認しようとする。
「つれない人……まぁ、いいです。
えぇ、単刀直入に言いましょう。貴方には才覚を感じるのです」
「才覚?」
「えぇ」
にこり、と、無垢さと淫猥さが同居した微笑みで女が語り掛ける。
「……狂気の才が。平静の殻に秘めた、零れ出んばかりの狂気が。
ですから、私たちと共に、その狂気を解放し生きませんか?」
「……へぇ?」
その言葉に少し興味を惹かれた、という風に『狼』の少女は眉を動かす。
「そういえば申し遅れました。私は両石閻霧。狂気と共に生きる者の集団、
ルナティクスの「救い主(インヴォーカー)」です。……救い主の事は……まぁ、勧誘員のようなものだとお思い下さい」
「……狂気と共に、か……ふーん」
訝しげな表情を崩さないままに、『狼』の少女は閻霧の言葉を聞いている。
「えぇ。貴方も、心に秘めた狂気を持つ方だと感じますから……もし良ければ」
「……悪いけど、今はパス」
「────あら」
……と、思えば、言葉を断ち切るように口を挟み、その勧誘を一蹴した。
浮かぶのはやはり──「いもうと」であり長姉である白濁の異形と、初めて出逢ったその日に交わした言葉。
“わたしたちは、わたしたちがいきたいところに、いくんだ”
──唄うように、誇るように。紡がれたその言葉が、今も脳裏から離れないから。
「ちょい前のあたしなら、喜んで着いてってたかもしれないけど……
今は、もう居場所を見つけてるんだ。鞍替えも兼業も、する気はないよ」
「……そうですか、残念です」
静かな、しかし確かな拒絶を聞くと、閻霧はしゅんと俯き、その動きを止めた。
「……でも、ま」
だが、その間も、一切彼女から目を離さなかった『狼』の口が動くと同時に、
「───同胞にならないのなら、私のおもちゃになってくださります?」
「……これで引き下がってくれるほど甘いわけないよね! そう来なくっちゃあ!!」
突如として閻霧が放った血色の魔術を、予測していたかのように少女が回避する。
「あら、全然油断しないのですね。少しうれしいです」
「生憎、あんたら風に言うあたしの狂気とやらは「(そういうの){感じる}」だからね、っと!」
その反撃とばかりに、先程の小枝や数個の小石が閻霧目掛け投げつけられる。
およそ少女が投げたとは思いがたい速度のそれらを、しかし狂人はひらりと軽く避けた。
「まぁ……素敵! 余計玩具にしたくなっちゃう! ねえ貴方、お名前は!?」
連続で放たれる魔術の合間に、興奮した様子の閻霧が少女の名を問う。
「答える義理はあんまないけど、いいよ、答えてあげる! ───あたしは「レト」、真竜院レト!」
牝狼神の名を名乗った少女は、灰紫色であった瞳に深紅を湛え、まさしく獣の如き動きで肉薄する。
「可愛らしい真名……ふふっ、えぇ!この『月輪姫』が導いてあげるわ!」
対する狂気の徒もまた、もう一つの名たる狂月咒(ルナティック・ネーム)を名乗り、魔力を込めた双腕を広げ、自らの餌食にしようとする。
「あたし達は、あたし達が行きたい処に行く──今更、人間なんかに導かれてたまるかよッ!」
「男も女も、人も獣も……皆、愛を無くした玩具にしてあげる……!」
狂人の喉元に刃が迫り、獣の背には魔手が迫る。
斯くして、狂気と狂感は相剋する。
末に残るは、果たして如何なるものか。
両者の世界が混ざり合う。両者の舞台が相克し、両者の役者が相乗する。
廻り舞われよ彼岸の果てまで。その先に待つが抗いよう無き終末だとしても。
混ざり交われ可能性。運命(おわり)が開く、その日まで─────────────