交錯する螺旋その3-例えばそれは、渾沌たる特異点の中で-

Last-modified: 2018-12-15 (土) 13:25:27
 
 
 

――から、からりと。
乾いた鐘の音が、どこか寂しく谺する。

 

それは木漏れ日の彩る喫茶店である。
昼を前にする店内は俄に賑わいを見せ始め、
先程に鳴った鐘の音も、忙しなくその報せを届けていた。

 

まばらにして日の光が差し込む店内の照明は控え目に、
外食店特有の香ばしい匂いと、珈琲豆の挽かれた芳香が甘味を含んで良く香る。
整然と並べられたテーブルは、開放的でありながらも寂しくならないような絶妙の配置。
一つ一つは平凡と言えるが、それ故に調和された落ち着きをその店内に投げかけている。

 

今の世と在っては特に代わり映えもしない、どこにでもあるような喫茶店の内でしかし。
一際に目を引かれるのが、溶け込むような柔和の少年と、対になるような浮き彫りの男である。

 

丁度、日の当たらぬ場所。
淡い照明が木目調を煌めかせる隅の席の二つ。
良く磨かれたテーブルを挟んで、その少年と男は他愛もない談笑を交わしていた。

 

空を震わす音律は一つの音楽のようでありながら、
その内容はいつかのどこかにも語られているようなありきたりの会話。
アナンシ、と男は少年をそう呼んで。 カール、と少年は男をそう呼んだ。
時折に流れるどこか浮世離れしたそれが、お互いの名前であるに違いはなかった。

 

「そんでそんでねー? 僕が楽しみにしてたゲームまぁた延期してー」

 

黄金色の彼の名を、アナンシと呼ぶ。
今に流される子供のような格好をした柔和の少年。
あるいは少女と、そう言い換えても良いくらいには外見よりの性差はつかない。
あらゆるが混ざったその果てに、お互いの特徴を忘れてしまったかのような中性のカタチ。
いっそ神々しいとも言える柔らかな様も、その結果であるのかもしれない。

 

「来年の8月以降ですか……。 ああ、それはお気の毒に……」

 

対する烏羽色を影に揺らす、陰鬱な男の名を、カール・クラフト。
その漂わせる雰囲気はどこか浮いていて、不透明に仄暗い胡乱さに満ちている。
対面の少年とは真逆のように見えてしかし、この二人が揃えば不思議と日常に溶け込んだ。

 

お互いが、気の置ける友人と会話をしているかのようであった。
少年の黄金色が陽の煌めきを流して。 男の烏羽色が黒漆に揺らいで蠢く。
 照的であると言える光景は、日常の最中に度々と現れる絵画のような美しさを思い起こさせる。

 

「む……」

 

そんな美しきを裂くようにして鳴った、一つの電子音。
活気付きながらも未だ閑散とした場にそぐわぬ機械的なそれは、今やに男が取り出した携帯機器より響いているようである。
視線がいちどきに彼らへと集まれば、黄金色の少年は苦笑を浮かべながら頭を下げつつ、烏羽色の彼を叱咤する。
珍しいとはいえ、そんな喧騒もまた、ありふれた日常の一幕に過ぎなかった。

 

――しかしてそれは、現実の方が虚構をなぞるように。
電子音のその先。 彼方よりの声。 遥か遠縁からの報せが。
日常を打ち砕く変革を、あるいは凶兆を告げる喇叭の音色に等しくなければ。

 

「はい。 こちらメルクリウス……」
『た、大変です! 大変です大参謀殿!!』
「どうしたんですか? そんなに慌てて」
「も、申し上げます! ブリテン島にて、"奴"に動きが発生しましたぁ!!」
「――なに!?」

 

ガタリ、と動揺を多分に含む音。
それに加わる一際に大きな硬質の短音は、彼が思わずとその携帯機器を落とした音か。
焦りを知らないような彼だった。 戸惑いを分からぬような烏羽色であった。
それが今や、その余裕を崩されたかのようにして驚愕を色濃く顔と声とに張り付かせている。

 

「ど、どうしたのカール!?」

 

付き合いの長い少年の驚きは一入であったろう。
よそ、そんな有様を初めて見たかのようだった。
 再び視線を集めていることにすら気を向けられずに彼を見て――更に、異変。

 

「フッ……ハハッ……ハッハッハッハッハ……!
 未知が……此処にも……! ハハッ! ハハハハハハ!!」
「か、かーる……?」

 

空を掴んでいた左手が顔を覆い、喉の震えは呵呵とした大笑に変わった。
驚愕より急転した歓喜と興奮。 人目も憚らずここでないどこかを視て嗤っているその様は狂気にも似る。
永久に続くかと思われたそれはしかし、電子に掠れた遥かの声によって急遽に転落を見せた。

 

『い、如何なさいましょうか!』
「同行の監視と――あぁ、“何故動き出したか”の原因究明を、早急に」
「は、はい! 了解しました!!」
「……はぁ。
 なぁんだ、やっぱいつものカールじゃん」

 

沈着に、冷静に。 けれどどこかに反する感情を湛えているような。
少年がよく知っている、先程の日常と変わらぬ烏羽色の彼。
どこか浮いていて、どこか不気味で、不透明に胡乱な男。
日常という平穏と乖離しながらもしかし、それに溶け込んだ影色の姿こそが何時もの彼であると、少年は息を付いた。

 

「……あ」

 

そうして漸くに、自分たちが視線を集めていることに気づく。
先程とは打って変わった困惑と好奇に満ちた瞳の数多。
乾いた笑いを浮かべながら、どうしようかと周りを見渡して――はたと、視線を止める。

 

「――」

 

――赤い少女だった。 陽だまりの少女であった。
太陽のように鮮烈ではなくて。 月のように静やかではないけれど。
夜空に浮かんで、見る人に夢を見せてくれるような――そんな、星の少女だった。

 

栗色の髪が陽光を受けて仄明るく、
第一印象である赤色は温もりに満ちた暖色となって彼女を飾っている。
非現実的な装いはしかし、その少女が着れば不思議にすとんと日常へ落ちるのだった。
未だ幼さを残す顔が困惑を浮かばせ、これまた赤色の瞳が心配の揺らぎを少年と男とに投げかけている。

 

直感に似て、一目惚れに遠い。
背筋に走ったそれが、自身と似たものに対する共感の痺れであることを少年は知った。
古く懐かしい図書のように香るそれは、紙魚の、インクの、本の――物語の匂い。
人は自らと似たものに好感を抱くという。 少年のように、人でないものであってもそれは変わらないようであった。

 

困惑と好奇が混在する中に在って、
唯一とも言えた心配を覗かせる双眸を、少年は興味深くに見つめ返す。
怪訝が入り混じっていくそれを見て、あぁ、自らは笑っていたか、と今更に少年は綻びに揺れた。

 

「――くふ。
 あぁ、ごめんねぇ、ウチの奴がメーワクかけちゃってさ。
 まぁ、その……たまにある病気のようなものだと思ってくれたらありがたいんだけど」
「は、はぁ……ええ、と、その。
 ……大丈夫、なんですか……?」
「ふふ、心配ありがとう。
 いやぁ、最初僕もビックリしちゃったんだけどねぇ。
 何かもーいつもの感じに戻ってるし、大丈夫なんじゃないかなぁ。 ね、どうなのさ、カール?」
「ふむ……そうですね」

 

少年がその影色に話しかけて漸く。
男の視線がこちらを刺している事に少女は気づいた。
その姿を瞳に収めていたはずなのに。どこまでも不透明でありながら、不自然なまでに透明な所作。
少女が思わず後退る。 警戒と、僅かながらの怯えを少年は赤い瞳に見た。

 

「そう警戒しないでくれたまえ……と、言いたいところであるが。
 先程の醜態を見られていては仕方がない、か。
 ……しかし、病気とは悪意を感じる表現です。 訂正を要求しますよ、アナンシ」
「えぇー? どうみても病気っていうか、思春期にかかるアレっていうか。
 “機関が遂に動き出したか……”的な感じだったよねぇ。
 君もそう思うだろ? ねぇ――"ストリードちゃん"?」
「え、あ、ええと……。
 ……。
 …………。
 ……え……?」

 
 

 
 

他方。砂塵が荒び、崩れかけた建物が軒を連ねる小さな町。
かつては厳しい環境に耐えながらに必死に生を繋いでいたことが伺えるように、露店の跡などが見てとれる。

 

……だが、町の人間は皆、生気を失った、苦しみの表情で砂の上に倒れ伏していた。
理由は単純。皆、死んでいるのだ。

 

「……ここか」

 

そんな町に、額の汗を拭いながらに足を踏み入れる男がいた。
灰色の髭を伸ばし、鋭い眼光で遺骸たちを睨み付ける…その男は、魔術師であった。

 

「……ち、当てが外れたか」

 

一つ、二つと町人であったものを調べた男は、舌打ちをしてから立ち上がると溜め息をつく。

 

「(町単位での集団致死…これが流行り病であれば、
 高温と乾燥に強い病原体として重宝したんだが。…これは、確実に…)」

 

何かを察したらしき男は、踵を返して速やかに場を離れようとする。
それも当然の帰結であった。この町の住民を死に追いやったのは、病ではなく。

 

「呪いの類、か……。……ッ!」

 

そう、男が口に出した途端。
崩れかけの家屋の一つから、ごぅ、と悪しき気配が漏れ出る。
咄嗟に距離を取り、気配の方向を睨んだ男の目に映ったのは、

 

「……は」
「ほう?中々察しが良いようだの、若造」

 

浅黒い肌に、紫の薄衣。そして、禍々しく昏い、死の気配を纏った───幼い、女であった。

 

「……そう言うお前は……少なくとも、ただの餓鬼じゃなさそうだな」

 

距離を保ったまま、臆さずに男が問う。
その瞳からは、警戒と共に、探りを入れる意志が感じられた。

 

「フン、お主もお主じゃろう。死体を見た感想が"期待していた死に方と違う"とは中々の人でなしであろうに」

 

てく、てくと一歩ずつ近寄りながら、女が返答する。
互いに目を逸らさずに。油断は見せず、彼我を見定めるように。

 

「ふ、生憎と俺は魔術師なんでな。
 人徳なんぞとうの昔に捨て去った。……お前も、そうじゃないのか?」
「儂か?…………くく」

 

その問いに、女はにたりと笑んで、足を止める。

 

「儂は……儂「ら」は、悪霊。お主ら生者を遍く害し。呪い。殺め。そして惹き込む、悪霊よ」

 

言うや否や、周囲には黒い霧が立ちこめ始める。
──いや、それは正確には霧ではない。町一帯を覆う程の、大量の呪い……そして、悪霊であった。

 

「……そうか。……ふむ」

 

だが、男はそれを見てもたじろがず。却って、納得したように頷いて。

 

「ならばお前は、どうやら俺にとっては得になる存在のようだな」
「……ほう?………お主、何を以てこの儂を利益などと見る?」
「ふん、簡単な話だ。さっきも言ったが俺は魔術師だ。当然、目的は根源に到達すること」

 

その言葉に悪霊たちの動きが止まったのを確認すると、男は語りながらに歩み寄っていく。

 

「そのためには、方法が必要だ。
 魔術を極めるなり、聖杯だかを使って無理やり道を作るなりすればいい。
 ……だが、それだけでは、例え道が開いたところで片道切符だ」

 

「……ほう」

 

「何故か?「そうならないような力」が働くからだ。
 人間の共同の意志だか何だかが生み出す、抑止力ってやつがな」

 

忌々しそうに、ぐ、と拳を握り、真っ直ぐに女を見据えながら、男はその野望を語る。

 

「……だから俺は、病を使って人間を駆逐する。
 俺の行く道を阻む抑止の力を弱めるために、まずは人間の頭数を減らす。……そこで、だ」
「…………」
「お前、俺に協力する気はないか。見たところ、死人の怨念をディブクにして使役してるんだろう?
 …俺は、人間で無くなった魂には興味はないからな。悪い話ではないと思うが」
「…………く、くく……ははははは!!」

 

神妙な顔で話を聞いていた女が、その提案を受けて大笑する。
その間も、男は目を逸らさない。野望に満ちた鋭い目で、返答を待つ。

 

「……く、く…………お主、中々愉快な男じゃのぅ! ……ふふ、気に入ったぞ!」
「賛辞など要らん。で、どうなんだ」
「ヘイお主ちょっと肝据わりすぎじゃない? 
 ……ま、マジメな話、断る理由はない上に、お主は見ていて飽きが来なさそうだしのぅ……うむ、うむ」

 

こく、と頷き、その小さな手を差し伸べるようにして、また、にたりと笑い。

 

「よかろう。今は、その口車に乗せられてやる。
 ……このメギドラ・エイハブ・サレナ。一時の間、お主と盟を結んでやろうぞ?」

 

そう、名乗る。かつて人間として生を受け、現世に燻り二百年余。
外天の黒百合、悪霊王女。邪なる魔道に生きる者すら恐れる、呪いの行軍の主。
ともすれば、悪魔との契約にも匹敵するその魔手に対し。

 

「……名乗られても、呪い使い相手に名乗る程俺は馬鹿じゃないが……。……いや、此処で臆する方が情けない、か」

 

少しだけ困惑の表情を見せた男は、ぶっきらぼうに、しかし、確かにその手を取り。

 

「……ジョートセン・トゥオーネ。世界を病で満たし、根源に至る───魔術師だ」

 

そう、名乗り返す。
人間として、生ある者の矜持を示すかのように。

 

「…………ふ、くく……やはり面白いのう、お主」
「真生の人外が何を言う。……まぁいあ、契約は済んだ。
 まずは、この町の調査を依頼してきた奴の場所に向かう。
 ……こんな暑い場所まではるばる来させておいて、俺を裏切った分の報いを受けさせてやるためにな……」

 

数秒して手を離すと、ジョートセンは先程自分が来た方向を睨み付け、気候への愚痴を零しながら歩き出す。

 

「……お主、儂が言うのも難じゃが理不尽じゃのう」
「当然だ、病は相手を選ばないだろう」
「……く、くくっ…………。……楽しい旅路になりそうじゃ
 ひとまずはイギリスにでも行ってみるか? あそこはここ最近失踪が多い。
 材料の調達には、うってつけじゃろう?」

 

悪霊はそれに、鼻歌を奏でながら続く。
行く先に、生と死の地獄を作るために。

 

───斯くして、呪いと病は結託する

 
 

 
 

「……え……?」

 

覗く赤色に驚きの混色。
それを見て、目を眩ますような黄金色の少年は笑みを深めた。
茶目っ気をたっぷりに。 純粋さ故の悍ましさを多分に含みながら。
巣にかかった獲物を絡め取ろうとする“蜘蛛”のように、言の葉を並び立てていく。

 

「――『ストリード・ミトリカル・ブーリテレク』。
 そういう名前だろう? 言の葉の魔女。 語り部の君」
「な――ど、どうして、私の、名前…………」
「わからない?」

 

くるりと、幼子がするように身を一つ。
中性のカタチを見せびらかすようにして、子供のようなあどけなさで回るように揺蕩う。
微笑ましい光景だと言うものもいるだろう。 けれど、少女にはそれが超越者の嘲笑に見えてならない。
――それなのに。 少年は自身を少女と同じであると謳うのだ。

 

「そう、僕は君と同じ。
 文章に揺蕩って、行間に泳ぐ語り部の蜘蛛。
 名乗り上げるとするのならば、僕こそは物語の――」
「――アナンシ」

 

かつりと一つ、鋭く机を叩く音。
高らかに謳われる少年の声を拉ぐようにして放たれた咎めの言葉。
その机を挟んで交わされていた響きとは打って変わった、酷く重苦しい名前の音律。
打ち付けるようなそれにすら、少年は笑って答えた。 楽しそうに、愉しそうに、嗤って。

 

「――くふ。 そうだね、きっとまだ早い。
 物語を白けさせてしまうようなことなんて、とてもではないが僕にはできないとも。
 うん、こういう時は、そう――『今は、語るべき時ではない』。 とでも言えばいいかな?」
「……」
「けれど、それでも、さ。 カール。
 この邂逅は言わば秩序を錐穿つ白兎の巣穴。
 空白に進む幻想の時間につかの間僕たちは落ち始めてしまったのさ。
 あぁ――ならば。 僕は闇夜に満ちる今にこそ幕開けを言祝がなければならない。
 ――カール、極視の君よ。 いつまでも観客気分じゃあいけない。 君は既に役者として舞台に取り込まれた」

 

そう、巫山戯るような笑みにすら、真剣さを滲ませて。
大仰に、芝居じみて語られる声は男とも女とも聞こえる中性のアルト。
朗々に響き渡るそれは正しく観客を前にした役者のそれであり、
薄くしかし底のない微笑みに付随するゆったりとした身振りと手振りは、
観客席に座っていた烏羽色の男に、舞台の楽しさを知ってもらおうと手を伸ばす様を幻視させた。

 
 

 
 

「……おいおいおい。どうなってるってんだこりゃあ」

 

一人の青年が、絢爛と輝く真夜中の都市の中心で呟く。
何かがおかしい。彼の直感がそう告げており、眉を顰める。

 

青年の名は、ディング・セストスラヴィク。
ある世界線のカルデアのマスターの一人であり、物資を調達するのが仕事である。
この世界線に於いては、カルデアは複数のマスターにより人理の修復を行っている可能性に或る。
そんなマスターたちの中でも、彼は多くの可能性の世界に迷い込むという特異体質を持っていた。

 

『どうしたんだいディング君? 困惑の声を上げるとは君らしくもない』
「あー……どうもこの新宿、何かがおかしい。"今までの新宿じゃねぇ"」

 

彼らのカルデアもまた、かつて新宿で発生した幻霊事件を片付けたことがある。
故に、この新宿もまた知っている。今日は彼の日課の酒造りの為の物資を調達ついでに、
何か特異点の残滓があれば他マスターと共に修正するか……程度の感覚で来たものであった。

 

だが、実際に来てみればそこでは、まるで泥濘が如き魔力が滞り溜まっていた。
通信機から聞こえるダ・ヴィンチのふざけた声に、返す余裕もない程に

 

「ッ!」

 

ィィィィィン、と音が響くと同時に空を見る。
そこには、明らかに時代錯誤であるはずの"龍"が飛んでいた。

 

「これは…………!?」
『異国人……侵入外敵感知!! 攻撃開始、トラ、トラ、トラァ!!』

 

声が響く。
それと同時に、空から無数の爆撃が飛来する。

 

「ぬおっ!? やっべぇ!つーか今の日本軍だろ!?新宿御苑だぞここ正気かあの野郎!」

 

すぐさまにディングはその場を駆け逃げ出す。
しかしその逃げている最中も、彼は多くの"災害"に見舞われかけた。

 

崩壊した新宿通り、禍々しく赤く染まる最高裁判所長官公邸、
それら、いや、この東京すべての場所で事態は刻一刻と混沌を深刻化させていた。
放置されていたスポーツバイクを漕ぎながら見るそれは東京とは思えないほどに燦々たるものだった。

 

「カルデア! エマージェンシー! エマージェンシー!!
 新宿が再び特異点となっていやがる! いや、新宿なんてもんじゃない!
 山手線圏内……? もうこりゃあ特異点なんてもんじゃない!」

 

虹の名を冠する橋を渡り逃げようとするも、目の前には蛆虫や百足や蠅、蜂、虻、
有象無象の"蟲"を生み出し続ける異形が鎮座していた。

 

「だぁっ、畜生! 二か月前の虫酒か!? 半年前のトカゲ酒か!? どの恨みだくそったれ!」

 

危険。その二文字だけではとても言い表せないが、それに類するすべての感覚を覚えると同時にディングは逃走を選択した。
そういえば、以前水晶の蜘蛛にコーヒーリキュールを与えた時もあったか…などと馬鹿らしい走馬燈を浮かべかけたその時、通信機が鳴った。

 

「はいよこちらディング!! ダ・ヴィンチちゃん解析は終わったか!? 一体ここで何が起きて────」
『ふははははははは!!!! つながったか!! よぅし問題はないようだな!!』
「混線かぁ!? 間違い電話だかけなおせ! おかけになった周波数は……」

 

通信機から響いてきたのは、喧しいを通り越してけたたましい男の笑い声であった。
悪態をつきながら男は道端のスクーターのカギを壊し、配線を繋ぎ、無理矢理にエンジンをかけ疾走する。

 

『待て!!!! 貴様に用がある!! 間違いでも混線でもない!!
貴様だ!!! この特異点に迷い込んだ、"もう一つの星見人の使者"よ!!!!!』
「スクーター全力で走らせてんのによく通る声だなオイ! 星見人だぁ!? まさか星見静じゃあねぇよな!?」

 

以前の事、自分をかつて拾ってくれたマリスビリーの言っていたカルデアの由来を思い出す。
確か、かつての天文台が由来だったか。つまり、星見とは即ちカルデアの事を差すのだろう、とディングは推察した。

 

「その言い方だとまるでカルデアが複数あるようじゃねぇか! まず一つ! 誰だお前!」
「口調は悪いが察しは良いな!!! 良いだろう!!!」

 

顔も見えぬ通信相手は落ち着いた口調に戻り、己の名を名乗る。
その名乗られた名前にディングは開いた口が塞がらなかった。しかし、通信相手は構わずに続けた。

 

「我が名は安倍晴明。故あって、貴様らとは別の次元のカルデアに協力をしている。
 貴様のいる特異点、それは本来我々の世界の特異点だ」
「────今、二つの世界が融合し始めている。どうか、協力して欲しい」

 
 

 
 

物語を紡ぐ者同士の邂逅、そしてそれに対峙した"観客"の一人。
三者三葉、全てが特異であり、それぞれが各々の感情を抱く空間がそこにはあった。

 

「――それとも。
 釈迦に説法というやつだったかな、カール?
 観客である事をやめ、13の剪定の使者(やくしゃ)を紡いだ君にとっては」
「さて、何のことやら……。しかし、これは……ふむ。……縁、ですか?」
「因縁と。 そう言い換えてもいいかもしれないね。
 似ているようで、けれどほんの少し違う。
 胡蝶の羽ばたきは万華鏡の如くに、些細を広大に変え得るものだ。
 この僕こそがそれを保証するとも。 さて――漸くに、役者は揃ったようだ」

 

「――どうか、しましたか」

 

幻影を断ち切るようにして振り下ろされたのは冷然の低音域。
およそ、感情を感じさせない声だった。
合理にも似た、平坦さに満ちた氷の声であった。
――それに含まれた、仄かな暖かさは。 少女にしか、聞こえてはいないようだった。

 

「あ、ふ、フラウスさん……」
「……申し訳ありません。 遅れました」

 

黄金色の少年とも烏羽色の男とも打って変わった、朴訥の青年だった。
赤色に飾られてないというのに、少女と並び立つと何故か、それを思い起こさせる氷の青年であった。

 

「そんなことは……あ、いえ、でも」
「大丈夫ですよ」

 

青年は、何も浮かべなかった。
口だけが言の葉を紡ぎ出し、その声音すら掠れた平坦さに満ちる。
合理の氷。 機能だけを残した冷徹の雪月花。 人らしい熱を感じられない、白色の凍て空。
少年と男が対照的なように。 陽だまりの少女と冷然の青年は、どこまでも対照的な交差を引く。
その様は、まるで魔女とそれを守る騎士のようだった。

 

「あ……」

 

氷は視線を鋭く少年と男に投げかけた。
少女にしかわからぬ熱は最早に消え、彼女を庇うように立ちはだかるは凍てつく銀色の冷然。

 

言の葉の魔女と氷解の騎士。
方やにして物語の王と極視の氷獄天。
黄金色の少年は、その様を変わらぬ笑みを以て見つめている。
そして、男は――。

 

「……なるほど。 ヘルト・クリーガーか」
「――……」

 

かつ、かつり。
鋭く机を叩く音が、一つ、二つ。
諦観の冷徹を軸に、達観の虚空を多分に含みながら。
見定めた獲物を丸ごとに飲み込もうとする“蛇”のように、言の葉を積み立てていく。

 

「人造英霊兵団。 第三帝国が実現させ得る魔導兵器。
 私の知っているそれは生体部品を用いて霊核を仮想的に再現した継ぎ接ぎの怪物が如き代物であったが。
 君のそれは違うな。 ホムンクルス、フラスコの小人。 霊核の再現に白紙の紙を用意したか。
 それならば確かに。 英霊という色彩も、その魂に嘸や描きやすいだろう」

 

かつ、かつ、かつり。
鋭く机を叩く音が、一つ、二つ、三つ。
それと同じように訥々と語られる言の葉が、正鵠を射るように開陳されてゆく。
推理にも似たそれはしかし、ただの答え合わせに過ぎぬと言うように。
虚空が男の黒漆に零れ落ちては溶け込んで、その陰影を一層に富ましては蠢くように悶え震える。

 

「最も――私の記憶にある限りでは。
               ・・・・・・・
 そこまでに至った第三帝国は、視たことがない」
「……貴方は、一体」

 

最早、机を叩く音は響かず。
代わりにように鳴った立ち上がりの衣擦れが、所要が終わったことを言外に告げた。

 

「――事態はおよそ理解した。
 縁というものは。 因縁というものは、どこまで行こうとも私を縛り付けるらしい。
 君も、そうは思わないかね。 第三帝国の遺産、名も知らぬ人造英霊よ」
「……フラウスです。 フラウス・ドレッセル」
「フラウス(明るき)・ドレッセル(騎士)か。 良い名を付けるものだ」

 

そうして男は、初めて青年の方を向いた。
視線ではなくその心。 混沌にも似る影色が青年を包んで離さない。
それは些細な気まぐれか。 この縁に対する、この因縁に対する小さな興味か。
あるいは――酷く薄い、相身互いをその身の上に見たか。

 

青年の右手が帽子を被り直すようにして空を切る。
まるで人間のようにも見える細やかな癖の一つ、その下で。
氷の瞳が男を見ていた。 氷柱の視線が男を貫いていた。
睨むにも似た眦の決し。 陽を流す銀色が、鋭く穿つ蒼氷色が。
凍てついているのにも関わらず焼け付くような言の葉が、男の韜晦を糺すべくに放たれる。

 

――その影に、何かを見出そうとして。

 

「貴方は。
 ……オレと、似ています」
「ほう」
「貴方の思考には熱がない。
 まるで全てを視てきたかのように。 目の前のことを、俯瞰した風景のように感慨もなく見つめている。
 ……合理にも似た、氷のような。 それでも――例外というものは、あるのかもしれないですが」

 

ほう、と一言。感心のような、あるいは相槌のような言葉を一言男は呟く。
夜闇を嘯く黒暗淵の男もまた、月のような冷然の青年に借問を囁いた。

 

――その氷に、何かを求めるようにして。

 

「……未知、と貴方は言いましたね。
 それが貴方の心の熱なんでしょう。 それを持っている分、昔のオレよりは遥かにマシだ。
 ……けれど、それは陽だまりのような暖かさじゃない。 ――全てを焼く、黒い太陽だ」
「くっく。中々に言い当てられてるんじゃないかな、カール?」
「……」

 

男は、何も浮かべなかった。
どこまでも仄暗く、どこまでも不透明で、不愉快に胡乱な烏羽色。
静謐に在る影であってすら、男のモノと在っては隠然に蠢く不気味な影絵そのものだった。

 

「――『かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない』。
 これが縁だというのなら。 きっとこれからも君たちと関わるだろう。
 これが因縁だと言うのなら。 地獄の機械が如きそれは――――――、
 いずれ、どこまでも、私たちを関わらせるだろう」

 

最中に語られた言葉は、男のものであって男のものではなかった。
それを引用すること自体、ある種の皮肉のようなもので。
だからこそ、虚偽に満ちた男から出た唯の真なのかもしれなかった。

 

「最後に一つ聞いておきたい。
 君にとって。 かつてきっと英霊という色彩に塗りつぶされたホムンクルスにとって。
 その娘は――どういった存在なのかね?」
「……決まっています」

 

それを聞きたくて。
烏羽色の男は青年の何かを求めようとしたのかもしれなかった。

 

それを胸に秘めて。
氷の青年は男の何かを見出そうとしたのかもしれなかった。

 

「――オレの、一番大切な人だ」

 

迷いもなければ、それは揺らぎすらなく。
決意が如くに紡がれた言の葉は、最早にして氷を解かすに足る熱量を以て響いた。
凍てついた分厚い氷塊の裡に隠されていたのは、暗闇を照らす温もりの焔火。
今やにそれは少女だけでなく少年にも男にも伝わるほどに周囲を焦がして。
少年は、背後に守られていた少女の顔が朱に染まるのを見逃さず。

 

「……嗚呼、そうか。これもまた、素晴らしき"既知"だ」

 

男は眩しいものを見るようにして目を細め、そのまま瞳を閉じる。
その刹那の静寂にどんな想いが馳せられたのかは、誰にもわからなかった。
瞼が開けられた時にはもう、光彩を絶つ韜晦に覆われて。感情の色すら、見ることは叶わなかった。

 

「『神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる』。
 精々、大切を取り零さぬよう守り通すといい。 フラウス・ドレッセル」
「……」
「行きましょう、アナンシ。 きっと忙しくなる」
「――くふ。 あぁ、そうだねぇ。
 ……じゃあ、またね。 ストリードちゃん」

 

用は済んだと告げるようにして、烏羽色の男は背を向けた。
名残惜しくも別れを告げるようにして、黄金色の少年は手を振った。
決裂にも近く、しかれど縁は別れた今にあっても続いているのだと。
から、からりと鳴る鐘の音が、どこか淡い幻想のように谺して。
一時の邂逅は、一先ずの終わりに朧と溶けていった。

 
 

――語りて曰く。
言の葉の魔女は星を謳い、氷解の騎士は夜空に誓う。
堕落に到達する地平に少女は希望を語り、天冥に連なる子葉の七つを見て青年は空の鞄を自覚する。
女神の謳う天征が悪窟を明津へと転生させる最中に少女の御伽噺が一つ、響き渡って。
人間の叫ぶ新生が幻夢の境界を原初に作り変える最中に青年の咆哮が一つ、鳴り響く。
虹彩に溺れる童話の幻想に言の葉の少女は別れを覚え、日の帰るような可能性の交差する街で氷の騎士は陽だまりに触れた。
幾つも言葉を交わして。 何度も熱を分け合って。 その果てに、永久に語られゆく冬の驚異に立ち向かったのが―― 一年前。

 
 

 
 

何処とも言えぬビルの屋上にて、一人の少女がその逃げ惑う青年を見やる。
むろんこの少女も、この世の存在ではない。ベルシュカ・ナイトバール――と呼ばれた少女の、自我から乖離したモノ。アルターエゴ。
魔神柱バアル、その継嗣となるべく続けられた一族の末裔が、自らを呪い、その運命を呪った果てに。
『人として』の自分と『怪生としての』自分を分かつ事によって産まれた、魔神柱の因子と神を素材にしたハイ・サーヴァント。
ゆえに真名を、アルターエゴ・バエル。

 

「……混ざっているな」
「ああ、混ざっているな」

 

男の声が背後から響いた。
振り返ると、そこには漆黒のロングコートを纏った怪しい雰囲気の男が一人立っていた。

 

「何者だ?」
「それはこちらのセリフだろう。貴様こそ、我が恐怖の大王降臨の地にどう出向いた?
 見たところ、混ざっているのは幻霊ではないな。その魔力……おそらくは神霊。それも高位の天空神。
 そしてその中心は……悪魔……第六架空要素、いや違う。……これは……ふむ、ソロモン七十二柱、か」

 

片手に人差し指を立て、まるで宙に己の思考を記し考えを整理するように男は片手を蠢かせる。
その様子を、少女は怪訝な眼で睨みつける。

 

「この新宿は、君が作り出したのか?
 わたし(ベルシュカ)が作り上げた、再演の新宿とは空気が違う」
「そうだともいえるし、そしてそうでもないと言える」

 

男は真顔のまま言う。

 

「名を名乗られたと捉え、此方も自己紹介をしよう。
 私の名前はルディング・メテオストーン。首謀者とも呼ばれている、この街に特異点を作り上げた物だ」
「…………二つの特異点が、混ざり合っているという事か」
「ご名答」

 

ビシッ、と男は少女を指さす。

 

「君は、あのソロモン王からグランドオーダーを受けた、魔神柱になる一族だったのかね?」
「そうとも。だがわたし(ベルシュカ)は魔神柱へと変性する自らの運命を呪い、
 その運命を自らと乖離させた。それが私、アルターエゴ・バエルだ」
「同じように、分かたれた魔神柱は他にもいるのか?」
「私以外にも多数いるようだね。けれど、私はどちらかと言えば例外だろう」
「魔神の一族は他に、どれほどいる?」
「知らない。アトラスィーなどという一族が、
 迷宮から魔神柱の苗床を引っ張り出し培養している…と聞いたくらいか」
「ふむ……」

 

首謀者と名乗った男は、顎を撫でながらしばし思考する。
対してバエルは、フンと鼻を鳴らし目の前の男に言う。

 

「何の因果によって私がこの新宿に、再び現れたのかは検討が付かないが。
 このまま私をこの場に留めていれば、この特異点は間違いなく滅ぶぞ」
「ほう、何故?」
「『新宿』での私には、『恐怖の大王』の幻霊が装備されている。
 これが再演の再演だと言うのなら。おそらくは隕石が、私目掛けて落ちてくるだろうね」

 

バエルは脅すように言う。こういえば目の前の怪しい男も何らかの狼狽えを見せるのではないか、と考えた。
しかし、在ろうことか目の前の男はその言葉を聞いて、心底嬉しそうに口端を釣り上げたのだ。

 

「……そう、か。それはいい。やはり私の予想は間違えていない。
 君たち魔神の一族は、君たち魔柱のアルターエゴという存在は、この新宿を大いに沸かせる一部となるだろう」
「……何故、笑う」
「これが笑わずにいられるだろうか」

 

コートの男は、"首謀者"は笑いながら答える。

 

「何故なら、滅び(それ)こそが私の望みなのだから」

 

泥濘が沸騰する。狂気が渦を巻き、災厄が天より堕ちる。
これが新宿だったのか? と訪れた者は恐怖と疑問を抱くだろう。
そう、これが新宿なのだ。世界は違えども、こうなる可能性がこの魔都には潜んでいたのだ。
この災害の坩堝に、人はただ恐れ、そして慄くしか出来ない。何故ならここは、全ての災害が集う場所。
人はこの、最悪の魔都に対してこう呼ぶ。──────災害の見本市、泥濘の新宿と。

 
 

 
 

「はっきりと……事態を理解できているわけではありません。
 けれど、間違いなく危険なことが起こっているということは、わかります。
 今までと同じくらいか……あるいは、それを超えるくらいの危難が満ちているのかもしれない。
 ……正直に、言えば。 オレは……貴方には、そんなことに関わってほしくはない」
「……ごめん、なさい」

 

青年は言う。その言葉に、少女は俯く。
青年にとって少女が大切であるように、少女にとっても青年は大事な人だった。
だから、少女はそれを撥ね付けなければならないことがが何よりも心苦しくて、痛い。
だが、それでも――――

 

「何かが起こっているのだとしたら。
 きっと困っている人がいると思います。きっと理不尽に嘆く人がいると思います。
 ――きっと。 救いを求める人が、いると思うんです」

 

机に置かれた手のひらが、か細く握られている。
その表情は――栗色の髪に隠されて見えない。

 

「怖くないってわけでは、ないんです。
 怖いです。すごく。今にも、震えてしまいそうなくらい。
 今にも……泣いて、しまいそうなくらい。それほどに失う事が、怖い」
「なら、此処で止まっても良いはずです。たとえ立ち止まってしまっても、誰も責めません。
 貴方は十分に頑張ってきた。だからもう、貴方が行かなくても……」
「ふふ、そうかも……しれません」

 

少女が相好を崩す。
その顔に柔らかな微笑みが咲いて。
添えられた手を、包み込むようにして絡め合う。

 

「――それでも私は、痛みを受け止める人でありたい。
 手を……差し伸ばす人で、ありたいんです」

 

魔法の言葉が、一つ凛と響いた。

 

「私は皆を照らし続ける『太陽(ヒーロー)』のようにはなれないし、
 暗い夜闇を切り拓く『月(ヒロイン)』のようにもなれません。
 ……けれど、私は。見上げた人に、勇気を与えてあげられるような――そんな、『星』のようにありたい」

 

――その流れ星のような言葉を、きっと忘れないだろう。

 

「……これがきっと、曲げられない『私』です。だから、ごめんなさい。
 私は、貴方の……フラウスさんの言葉を、聞いてあげられない」
「……はい。――――ならば」

 

青年は、そう少女が答えるとわかっていた。
それが、青年の見てきた少女であったから。
それが――青年の、暖かな陽だまりであったから。
だから――――

 

「……貴方が星のように輝くのならば。
 オレは、それを支える『夜空』でいい。
 だから――どうか。 貴方には、笑っていてほしい」

 

――かつて、掴んでくれた手の温もりを、覚えている。

 

それは憧憬であったかもしれない。
生きる理由がわからず、故に死への恐怖を解さない。
どうして泣きそうになっているかもわからない凍てついた心。

 

どこまでも凍てついた氷の騎士は、どこまでも暖かな陽だまりの魔女に憧れたのだ。
故に誓う。男は何処までも、少女と共に生き、そして少女を守ると

 
 

 
 

一人の男の胸ポケットにて、携帯から寂しく着信音が響く
その着信音に、その携帯の持ち主は眉を顰める。

 

「…………」

 

男の名は、黒無真純。ある魔術組織の比較的地位の高い場所に所属する男。
彼はある事情からお尋ね者となっている。それゆえに、自分に繋がるあらゆる手段はシャットアウトしていた、はずである。
しかし、今実際にこうして形態が鳴り響いている。相手はどういう存在か? 彼は警戒をしながら、通話ボタンを押す。

 

「……はい」
「ビバーッ!! ようやく繋がりましたね!!!!1! アンビバポイント1万点贈呈です!!
 どうもどうも初めまして!! 私アンビバレンスと申します!!11! 以後お見知りおきを!!1!!」
「…………………」

 

気怠げな男は、スピーカーの向こう側から響く音声に眉の顰めを更に深くする。
その電話の向こう側から聞こえてきた声は、そんな男の様子とは対照的な、
けたたましいと言うも足りないほどの喧しい女性の声であった。

 

「…………悪戯電話か?」
「ビバー!!? そんないきなり直球で酷い!
 私はただの善良で人畜無害なAIですのに!!」
「何故AIが唐突に、まったく見知らぬこの僕にハイテンションに電話なんかかけてくるんだ。
 そもそも迷惑電話をかけてくる時点で人畜無害などとは程遠いだろう。目的はなんだ?」

 

眉間に皺をよせながら、半場呆れ気味に男は問う。
例えもし本当に悪戯電話だったとしても、自分に繋がる番号が流出している事には変わりない。
その出所を聞くためにも、彼はとりあえず相手の正体、目的を探ろうとする。
しかし電話口の向こう側から聞こえた単語は、男の想像を絶するものだった。

 

「なんであなたに電話したか、ですか。
 そりゃあ"そっちの"アースセルに近い人物だからですよ。黒無一族現当主、黒無真純さん?」
「…………………貴様、……どこで…………誰から、……その名前を知った」
「おっとぉ!? ようやく話を聞いてくれる雰囲気になりましたね!?」

 

一瞬で唇が干上がるような感覚を青年は覚える。
対して電話の向こう側から響く少女の声は、相変わらずふざけていて、
そして同時に、どこか嬉しそうであった。

 

黒無真純は魔術の家系である黒無一族の当代当主である。
彼らの一族の目的、それは情報の収集……この世のすべてを観測する事、
ただしそれは表向きの理由、真なる彼ら一族の目的は、ある地域より発掘された虚空詩篇と呼ばれる遺物、
通称アースセル・オートマトンにより観測された滅びを避けるべく、人工生命による守護者を作り出す事こそが
彼の一族の、ひいては彼の一族の所属していた魔術組織『シュテルンヴェルト』の目的であった。

 

だが今はその虚空詩篇は破壊されている。
修復はしたが今だ不十分、その修復のために情報を集めている家系こそが、彼が当主を務める黒無一族なのだ。
その当主しか知らないトップシークレットの名前を、電話の向こうのこいつは知っている、ただものではない
そういった思考が青年の脳裏を駆け巡った。

 

「正直に答えるとは思わないが、…………何者だ」
「でも聞いちゃうんですねぇ~。正直のご褒美にぜーんぶ話しちゃいましょう!
 私の名前はアンビバレンス。先ほども名乗りましたがアンビバレンス。大事なのでもう一度言いますアンビバレンス!
 はい三回言いましたよ覚えてくださいね!! アンビバレンスですよ!! アーンービーバーレーンース!!!」
「名前なんかどうでも良い。お前はどういった存在だ? 何故アースセルを知っている? そして、目的は?」
「私の目的? 簡単ですよ、其方と此方、全部知りたいだけですよ」

 

少女は笑うように言う。電話口の向こうから、明らかにおちょくっている雰囲気が丸出しなのが伝わってくる。
しかしそんな相手のペースに巻き込まれることなく、黒無真純は冷静に少女の言葉を一字一句冷静に分析していく。

 

「そちらとこちら、だと?」
「はい! 私ちょっとムーンセルの管理人をしているんですけどね?
 なんか変に弄ってたらそちらのアースセルという存在を知ったわけですよ!
 んー? これおかしいなぁと頭をひねったらなんとびっくり! 明らかに此方に記録の無い情報がわんさかと!
 世界全ての情報を記録しているムーンセルに漏れがあるなんておっかしいなぁーと調べてみたら世界がぶつかり合って融合してると来ました!
 さぁこんな色んな感情が見れる舞台なんて早々ありませんよ! でもなんかアースセルは容易に手を出せそうにないので、こうして一番近いだろう、
 貴方にコンタクトを取ったわけです! とりあえずハリーアップです! そちらの全てと此方の全てを知って! 私はパーフェクトのアルターエゴを作るのでっす!」

 

言っている言葉を通しての意味は、正直一言も理解できない。
しかし、少女の言っている言葉は全て事実であった。

 

少女はある未来に於いて、感情を観測するために作り出されたAIであった。
それが何らかの誤作動により、残酷にして無邪気なAIとしてムーンセルを掌握。
時間も、平行世界も関係なく、あらゆる場所(ただし電脳空間に限る)に出没する"月の主催者"となったのだ。
彼女は月で今日も、感情を知るために参加者を募り、そして"アルターエゴ"を生み出しているのだ

 

そんn少女の正体を、黒無真純は分からない。
だが、彼女の言葉を一字一句に分解すれば理解は容易。黒無真純は感情を凪のように納める。
ムーンセル、あちらとこちら、世界がぶつかり、融合、感情、舞台、そして他我(アルターエゴ)
数多くの少女から放たれた言葉を冷静に1文ずつ解釈していく。

 

「つまりお前は、平行世界からやってきた……と言いたいわけか?」
「理解が早くて助かりますねぇー。はい、私は月の支配者(ムーンキャンサー)、アンビバレンスです★
 好きなものは人の感情を見る事。特技は英霊混ぜ混ぜからのアルターエゴの作成です!」
「アルターエゴというクラスは何度か見たことがある。なるほど……」

 

どこか納得するように青年は一人頷く。
電話口の向こうの少女は、まるで満足げに頷くようにうんうんと声が響いていた。

 

「分かった。だがお前が月の支配者だろうと、ムーンセルの管理人だろうと、
 虚空詩篇(あれ)にだけは手出しはさせん。アレに触れたら、誰だろうとやけどするだろうからな」
「承知の上ですよ。危険がないゲーム程、つまらないものはないでしょう?」

 

ふふふ、と声が響き、そして

 

「まぁ断られると思ってましたし、今日はこれくらいにしておきますねっ!
 是非とも私の名前を覚えてください! できればアースセルに刻んでください!!
 アンビバレンスです! アンビバレンスでした!! それではっ!!」

 

ブツリ、と音声が切れる。
終始ふざけたテンションではあったが、先の電話の主が危険であることは真純自身は強く実感していた。
本拠地がムーンセル、というからにはアースセルに匹敵する演算能力……もしかするとそれ以上の能力と記録を保持しているのだろう。
アルターエゴ……英霊のクラスの1つを作るのを"特技"と言ったからには、相当の戦力を有しているのだろう。

 

……そしてなにより、世界が混ざっているといった。
それは文字通りの意味と捉えて良いだろう、と彼は考えていた。
本来在り得ないはずの、先の邂逅・会話が何よりの証拠となる。

 

「……くそっ……」

 

青年は一人、吐き捨てるように呟いた。

 
 

 
 

陽だまりの魔女と、氷の騎士が互いの意思を語り、店を発ってから少し経ち、
ちょうど少女と青年の会話していた男、カールと名乗った鳥羽色の男の背後に位置する席で一人の女性がうんうんと頷く。

 

「(まさか、あの胡散臭い水銀男を尾けていたら、予想外の代物に出会えるとはね)」

 

先の少女の温かさの対極に位置するような女性が、にたりと密やかに口端を釣り上げる。
紅いフードを被った女性のその雰囲気は、その明るい色とは対照的に、何処か暗く恐ろしかった。

 

「最近物騒だし、影之宮に出した連中もなんか連絡つかないし、
 ここで一つ…………動いてボーナス弾ませてみますかぁ」

 

そう、誰に話すでもない独り言をぼやきながら、女性は片手に取り出した形体を持ち、
慣れた手つきで番号をプッシュし、そしてどこかへとかける。

 

「あー、もしもし本部? 私私。ドクトル・キリ。
ちょっとーさー。……うん、そうそう」

 

女性は小声で、周囲の客らに己の会話を気付かれないように連絡をし、そして笑う。
女性の名はドクトル・キリと言い、先にいた鳥羽色の男とは連携関係にある組織の幹部。

 

組織の名を、デムデム団。人類の滅びを実現するべく動きだす、かつては権天使の集いと謳われた闇の組織。
彼女の目的は、その組織にて最強のデミサーヴァントを作り上げる事。…………そして、その最高の素材である、
英霊の力を宿したホムンクルスが、背後にいた。その事実に対して、キリはただただ興奮を隠せずにいた。

 

「ほら、私結果残してるじゃない? どれくらい融資、融通聞くビアトリクス?」
『ごめんなさい。今少し忙しいんですが……。ガイウス氏の許す限りでしたら許可しますよ?
 少し用事が入りますので、これからはよほどの事でもない限り通話の無いようお願いします』
「あいはーい」

 

子供のようにあどけなく笑いながら、女性は通話を途切る。
その後またせわしなく、何処かへと通話するべく持っている通信機器の画面に指を滑らせる。

 

「もしもしドイツ支部ベルギー支部スウェーデン支部? ジュリィ通話の時ぐらい薬をやめろ!
 あー、ごめんふざけている場合じゃない。急ぎの用事だった」

 

目を細める。口調が鋭利さを帯びていく。
視線の先は、店を後にした少女と青年が通った扉。

 

「えーっと? ストリー……ストリード……ほんちゃらブルグと……
えー、ああそうそうこっちは覚えてる。フラウス。フラウス・ドレッセル
今私がいるとこ分かるー? 分かるねー? そこの喫茶店から出てきた2人、うんうん」

 

愉し気に女性は、手に持つペン───に偽装した手術用のメスをくるりくるりと回しながら、口端を釣り上げる。

 

「最優先で確保して。報酬はいくらでも望むがままに。
 デムデム団全勢力……とまではいかないけど、O-13を出し抜く価値はあると見える」

 

そういって、一通りの支持を通話越しに出した後に、女性は通話を閉ざす。
そして、人がまばらになった店内の中で、精一杯に笑いをこらえて肩を震わせる。

 

「何が起きているかは知らないけれど、私達は私達で好き勝手やらせてもらうよ?
 堕天使の"残骸"、O-13さんがた?」

 

権天使の集いは、混ざる世界に可能性を見た。
堕天使の残骸は、交差する世界に縁と出会った。
では、物語を語る"星"は、この胡乱なる世界に何を見るのであろうか
その答えはまだ、誰も知らない

 

此よりに紡ぎ出されしは似たもの同士の共通交差路。
邂逅の先に待つ未だ来たらぬ未来という名の光の輝きは、誰も知らない――。