幕間の物語:トゥガーリン

Last-modified: 2021-01-02 (土) 04:25:39

●登場人物
ぐだ子:マスター。女性。
マシュ・キリエライト:シールダー。デミ・サーヴァント。
トゥガーリン・ズメエヴィチ:サーヴァント・アサシン。キエフの悪竜。
 
八岐大蛇:サーヴァント・セイバー。
真田幸昌:サーヴァント・ライダー。
ジャンヌ・ダルク〔オルタ〕:サーヴァント・アヴェンジャー。
 


 
 ああ、私はまた夢を見ているのだろう。
 
 目の前に広がるのはただただ広い草原、そこに一筋の道が切り裂くように通っている。
 その道には二人の勇士が馬を走らせていた。
 その顔や姿形の詳細は何故か黒くボカシが入っていて伺い知ることができないが、大体の見当は付く。
 そう、キエフの勇士アリョーシャ・ポポーヴィチ、そしてそのお供のエーキムだ。
 
 彼等二人は何やら焦った表情で道筋を急いでいる。
 目指すは心優しきウラミジール公の統治するキエフの街、アリョーシャ達ボガトゥリ(英雄)の集う本拠地だ。
 だが、今はアリョーシャを始めイリヤー・ムーロメツ、ドブルィニャ・ニキーティチと言った英雄はみな街を空けている。
 その隙に異変が起こった、というのだ。
 
 しばらく走っていると、ようやくキエフの街が見えてきた。
 
 高壁の門を抜け、人が囁き合う街道を抜け、キエフのほぼ中心にあるヴラミジール公の館の扉を勢い良く開ける。
 そこには、吹き抜けになっているロビーの中央で、人、家畜、家具、清濁問わずあらゆる物が積み重なってできた大きな山があった。
 その頂点には偉大なる太陽公ウラミジールが苦しそうにうめき、そしてそんな彼を椅子代わりにして一人の女性が座り込んでいる。 
 
 女性はふぅ、と口から炎を軽く吹く。
 アリョーシャ達はすらりと剣を引き抜き、身構えた。
 それに気付いた女性は軽く笑い、嬉しそうに翼をパタパタとはためかせる。
 
「……遅かったですねー、大いなる勇士アリョーシャ・ポポーヴィチ。
 約束通り、このトゥガーリン・ズメエヴィチ、文字通り武功の山を積み立ててキエフに参上しましたよ?」
 
 ◆
 
 
 幕間の物語・トゥガーリン
    ~竜と人~
 
 
 ◆
 
「起きてくれますか、マスターさん?」
 優しい声がする。
 私────ぐだ子が眠りから覚めると、目の前には可愛らしい顔が浮かんでいた。
 トゥガーリン・ズメエヴィチ。最近になって召喚したサーヴァントだ。
「おはようございます、マスターさん。眠っているところ起こしてごめんなさい」
 ぺこり、とトゥガーリンは一歩引いて深々と頭を下げる。
 このサーヴァントは一挙一挙がいちいち愛らしい。これがあの悪竜と語られた存在としてはにわかに信じられない。
 
 トゥガーリン・ズメエヴィチ。ロシアの口伝叙事詩「アリョーシャ・ポポーヴィチと竜の子トゥガーリン」に登場する悪役だ。
 否、少し語弊がある。
 「ズメエヴィチ」は諸説あり、竜の子とも蛇の子とも言われるが、基本的に日本では以下のように訳される。
 
 アリョーシャ・ポポーヴィチと怪物トゥガーリン。
 
 その逸話にはトゥゴルカンの物も考慮されているんですよ、とマシュが言っていたのを思い出す。
 ロシアを蹂躙したモンゴルの騎馬民族ボロヴェツ、その頭領トゥゴルカン…そのイメージを含め、トゥガーリンは大柄な巨漢として描かれる事も多い。
 現にロシアにおけるアニメ「アリョーシャと蛇のトゥガーリン」においては、トゥガーリンはモンゴル然とした巨漢として描かれているのだ。
 しかしその逸話は後世において付加されたものらしく、カルデアに召喚された彼女はそんなイメージとは全く違った可愛らしい少女であった。
 
 私はちゃくちゃくと服を着替える、今日は魔術協会制服が着たい気分かな。
 ところで何でトゥガーリンはここに来たのだろうか。
「マスターさん今日も素敵です! ・・・はっ、そうでした。お願いしたいことがあったんです!」
 トゥガーリンはぴこんと尻尾を立てると、それをばったばったと振り始める。
「一緒に行って欲しい場所があるんです!」
 
 ◆
 
「はぁ。オルレアンにレイシフト、ですか?」
 部屋の中央には真っ赤に染まった地球────疑似地球環境モデル・カルデアスが設置されている。
 ここはカルデアのメインオーダールーム、その中で私とトゥガーリンはマシュと話をしていた。
「ですが今のオルレアンは時代修復も進みつつあります。トゥガーリンさんの希望に添えるとは思いませんが…」
「いえ、それでも見ておきたいんです。あの邪竜ファヴニールさんのいた場所を。
 勉強しておきたいんです、わたしは落ちこぼれですから」
「そんな、トゥガーリンさんは・・・」マシュが慌てて何か言おうとするが、私はそれを遮った。
 
 違う、と私はトゥガーリンの肩を掴む。
 びくん、とトゥガーリンの身体が震えるのが分かった。
 けど構わずに私は口を開く。トゥガーリン、あなたは落ちこぼれなんかじゃない。
 立派に自分の役目を果たそうとする、立派な英雄なんだって!
 
「うん…うん! ありがとうございます、マスターさん!
 トゥガーリン、嬉しくて感激しちゃいそうです! マスターさーーーーん!!」
「はぁ。」困惑するマシュ。「すみません、落ち着いてください、トゥガーリンさん…」
 
 ガラッ、と自動ドアが開いて、なんだか緩そうな雰囲気を出している白衣の男が入ってきた。
 ドクター・ロマン。現時点におけるカルデアの最高権力者で、私たちのサポートを筆頭して努めてくれている人だ。
「オルレアンにレイシフトだったね。すぐ用意するよ」
 ロマンはそう言うと、いつも私が使っている霊子転移装置────「コフィン」のチェックを始める。
 レイシフトを行うにはコフィンを使用する必要があり、そのためにはロマンの協力は欠かせない。
 
「けど、誰を連れて行くんだい?」と二人の日本人スタッフと一緒に作業していたロマンが質問してきた。
 もちろんマシュとトゥガーリンの二人だ、と私は答えるが、ロマンは途端に険しい顔になる。
「時代修復は進んでいるんだけれど、それでもまだオルレアンにはワイバーンが残ってたりする。
 マシュが居るとはいえ、ちょっと2騎ではぐだ子ちゃんの安全確保は難しいんじゃないかな」
「それもそうですね…。わたしもトゥガーリンさんも攻撃力に不安が残ります」
 
 とはいえ、あまり自己主張しないトゥガーリンがせっかく自分のやりたいことを言ってくれたのだ。
 それに、元気のないトゥガーリンを見ていると私もやる気が出てこない。
 
「だったら、サーヴァントを誰か何人か見繕っておいでよ」
 ロマンがそう提案するが、まだ他のサーヴァントは数日前のイベントの疲れが抜けきっていない。
 特に孔明辺りが悲惨だ。しばらく部屋から出て来ず、絆Lvが9まで達しているというのに深い隔たりを感じる。
 
「困りましたね・・・」と考え込むマシュ。「ジークフリートさんやベオウルフさんやクルサースパさん辺りなら手助けしてくれるでしょうけど」
「ごめんなさい、わたし、あの人たちがなんか苦手なんです…」と、申し訳なさそうに縮こまるトゥガーリン。
 トゥガーリンは同族の血に人一倍敏感で、竜を殺したことのあるサーヴァントが苦手らしいのだ。
 けど本当に手空きなのはそのくらいしかおらず、マシュも困ったように目を瞑る。
 
 そして、弾かれるようにマシュが手を打った。「いました!」
「エミヤさんです。確か今、厨房でネオーエさんやルーファスさんたち食事班と一緒に下ごしらえをしてたはずです!」
 でかしたマシュ。私はマシュを思いっきりハグしてやる。
 確かにエミヤならそれなりに暇していて、それなりに力があって、同行してもらうにはこの上なく申し分ない存在だろう。
 
 善は急げだ。
 トゥガーリンの腕を引っ張り、廊下に飛び出した私を待ち受けていたのは。
 
「話は!」  バン!
「聞かせて!」 ババン!
「もらったぞ!」 ババーン!
 
 何故か廊下でポーズを決めているのは、ジャンヌ・オルタ…ぬちゃん。
 そして、キレッキレの動きで立っている真田幸昌ちゃんとジョジョ立ちな八岐大蛇ちゃんだ。
 
 ……なんで、そんなところに。
 続けて飛び出してきたマシュが、ああ…と言いたげな感じで天を仰いでいた。
 
 ◆
 
「こっろっせ♪ こっろっせ♪」
「おい、オレの獲物を横取りするな!」
 物騒な歌声と罵声と共に、幸昌と八岐大蛇がワイバーンを次々と斬り倒してゆく。
 
 かつてオルレアンでは竜の魔女を名乗ったジャンヌ・オルタによって大量のワイバーンが召喚されていたのだ。
 この時代にいたぬちゃんとジル・ド・レェが消滅した今も、その残りが今も少し生き残っていた。
 それを片付けつつ、ファヴニールが出現した場所であるオルレアン近くの戦場跡へと向かってゆく。
 
「大丈夫ですか、トゥガーリンさん?」マシュがぶるぶる震えているトゥガーリンを気にかける。
 トゥガーリンにとってワイバーンは同じ竜種、いわゆる同族であり、それが倒される光景は見てて気持ちのいい光景ではないらしい。
 このオルレアンのワイバーンは本物ではない、ぬちゃんによって召喚された存在である…が、それでもやっぱり嫌悪感はあるようだ。
 
 ロマンもそんな彼女の様子をモニターしておるのか、気を遣って『帰還するかい?』などと声をかけている。
 だが、トゥガーリンはそれを拒否していた。
「大丈夫。トゥガーリンが言い出したことです、がんばります…」
 誰が何を言ってもこの調子だ。
 本人が頑なに拒否している以上、どうしようもあるまい。
 
 
 そして数時間ほど歩き、やっとオルレアン付近まで到達した。
 ぬちゃんの表情がちょっとだけ険しくなってきた。無理もないだろう。
 それに、ここは私としても思い出の深い場所なのだ。
 
 かつて第一の特異点修復の折にバーサーク・アサシン、バーサーク・ランサー、バーサーク・セイバーと戦い。
 そして、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとシャルル=アンリ・サンソンが決着を付け、
 その果てにジャンヌ・ダルクとジャンヌ・オルタ、二人の聖処女が初めて顔を合わせた場所でもあるのだ。
 
 マシュもあの戦いを思い出しているのか、神妙な顔付きになっている。
 そうだ、ここはそれだけではなかった。
 邪竜ファヴニールと決着を付けたのもまた、このオルレアン付近の丘だったのだ。
 あれは私にとっても初めての大型魔獣との戦いでもあり、後の魔神柱との戦いの先駆けだったともいえる。
 
「おい、上を見ろ!」唐突に幸昌が叫ぶ。
 それと同時に一気に周囲が暗くなる────太陽を大きな何かが遮ったのだ。
 上を見ると、そこには想像を絶するほどの巨大な竜が飛び回っていた。
 
「グオオオオオオオオオオオオ!」
 その竜は大きく吼えると、胸にある紋章を光らせる。
 アレは間違いない。かつてオルレアンにおいて強敵として立ち憚った、邪悪なる魔竜────ファヴニール!
 
「ファヴニール! 私よ、ジャンヌよ! 命令を聞くのです!」ぬちゃんが叫ぶ。
 だが、その巨大な竜はそれを無視し、上空を飛び回り続ける。
「なぜ…なぜ命令を聞かないのよ、ファヴニール!」
 
 その答えは、ロマンによってもたらされた。
『それはファヴニールの霊基の残滓…、言わば、シャドウファヴニールだ!』
「シャドウサーヴァントのようなものですか!?」マシュが言うと、映像のロマンは肯定する。
 それなら、実力としてはあのファヴニールよりは劣る……今の戦力でも、何とか戦うことはできるだろう。
『なので、今のファヴニールには人の言葉は聞こえていない、と思うな!』
「そう…なのね」
 ぬちゃんが苛立ってギリィ、と唇を噛むのが見えた。
 
「おいこら! 降りてこい!」
「ハッ! 臆したか、ニーベルンゲンの邪竜も大したことはないな!」
 幸昌と八岐大蛇の二人がファヴニールを挑発している。
 もちろん、ジャンヌ・オルタの言葉ですら届かないのにたかが一サーヴァントである二人の言葉が届くはずもないだろう。
 とても聞くに堪えないような罵声まで出てくるが、ファヴニールは一向に降りて来る様子を見せない。
 
「があああおおおおおおおおおおおおうっ!!!」
 
 そんなファヴニールを引きずり降ろしたのは、トゥガーリンの咆哮だった。
 皆が驚いて振り返る中、ファヴニールは凄まじいほどの衝撃を立て、地面に降り立った。
 
「マスターさん、わたしを連れてきてくれて、ありがとうございます」
 その言葉と共に、トゥガーリンはファヴニールの前に飛び出す。
「!? トゥガーリンさん、一体何を!?」マシュもあまりにも無謀な彼女の行動に驚きを隠せない。
 
「ファヴニールさん! 少し聞きたいことがあるんです!」
 トゥガーリンが叫ぶ。
 そう、ファヴニールと接触したい────それこそが、トゥガーリンがオルレアンに来たがった理由だった。
「がおおおおおおおおおおおっ!」
 トゥガーリンは続けて吼える。
 
 すると、ファヴニールも応えるかのように吠えた。
「グオオオオオオオオオオオッ!」
 そのまま、ふたつの竜は咆哮を続ける。
 
「なぁ、アレ一体何なんだよ…?」幸昌がこそこそと所在なげに話しかけてきた。
「わ、私たちに聞かれても困ります…」とマシュが代弁する。
 
「なるほど、そういうことか」頷く八岐大蛇。
「結構苦労してるのね、あの子」首を振るぬちゃん。
 って分かるの!? と、ツッコミを入れると、伊達に竜種とその魔女をやってないわ、と二人は得意気に頷いた。
 
 トゥガーリンは必死にファヴニールに吼え、話しかける。
 しかしファヴニールは話にならないとでも言いたげに首を振ると、トゥガーリンに向けて前脚を振り下ろす。
「あうっ…!」 
 唐突な出来事だったため、トゥガーリンはほぼノーガードに近い状態でその攻撃を受けてしまうのだった。
 空中に弾き飛ばされ、地面に落下する…ところを幸昌が慌てて受け止めた。
 すかさず、ぬちゃんと八岐大蛇とマシュの3人は臨戦態勢に入り、マスターとトゥガーリンを守るように展開する。
 
 マシュが叫ぶ。
「マスター! トゥガーリンさんを連れて引いてください!」
 わかった、と私は答えると幸昌からトゥガーリンを預かり、素早く撤退しようとする。
 けど、ファヴニールはそれを見逃してくれなかった。
 こちらが視界に入ると、その顎を開いて火炎弾を数発、こちらの進行方向に向けて撃ち込んでくる。
 慌てて何とかかわしたものの、完全に退路を奪われた形だ。
 
 そして足を止めた私に、ファヴニールの前脚が叩きつけられようとしていた。
 けど、それは割り込んできた八岐大蛇が神具・天叢雲剣によって受け止めてくれる。
「力比べかぁ! ぬおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
 
 八岐大蛇は流石にセイバーだけはあり、ファヴニールとの力比べは拮抗していた。
 だが、体格差はどうしようもなくじりじりと圧し潰されてゆく。
 このままではマズい……私は幸昌とぬちゃんに素早くアイコンタクトすると、二人は大きく頷いた。
 
「私は竜の魔女! さぁ、頑張りなさい! 八岐大蛇!」
 ぬちゃんは叫ぶとともに、竜の紋章が縫い込まれた軍旗の石突きを思いっきり地面に叩きつける。
 そこから魔力の波が波響し、八岐大蛇の四肢に一層の力が篭もった。
 
 彼女の固有スキル『竜の魔女』。ジャンヌ・オルタはジル・ド・レェによって生み出された竜を使役する魔女だ。
 故に彼女のカリスマは特殊なものとなっており、竜種を大きく奮い立たせることができる。
 八岐大蛇は現在は人間の姿ではあるが、その真名通り日本神話最大の邪竜だ。そのため、彼女のカリスマの効力も十全に発揮される。
 ……羽根や伝承結晶も、惜しみなく注ぎ込んだ甲斐があったというものだ!
 
「八艘飛び……なんつってな!」
 幸昌も日本刀を片手に飛び込み、ファヴニールの手足の健を斬りつけてダメージを与えている。
 しかしファヴニールはまるでびくともせず、八岐大蛇を圧さえ続けている。
「う…、く、このぉ…!」呻く八岐大蛇。
 歯ぎしりしながら彼女は耐えているものの、それでもやはり限界は見えてきた。
 
 幸昌は懐から6つの小銭のようなものを取り出し、それを空中浮遊させる。
「六連丸、行くぜ!」
 その言葉に呼応するかのように六連丸は俊敏に動き、幸昌を取り囲み、そしてそれぞれ一つ一つが魔力を放出、それを幸昌に浴びせている。
 宝具・真田六連丸(もののふのたましいとわに)。彼女の宝具にして、真田幸昌の全ステータスをブーストさせる外付け拡張装置(ブースター)だ。
 それによって強化された瞬発力をフルに発揮して跳躍、思いっきり手にする刀をファヴニールに向かって振り下ろす。
「掛け声はこうだっけな……チェストオオオオオオオオオッ!!!」
 島津の示現流、かつてあの黄金城で見た剣を見よう見真似…というかモノマネで、眼前の緑肉を思いっきり斬り裂く。
 
「汝の道は、すでに途絶えた!」
 ぬちゃんも同様に魔力で剣を編み、それをシャドウファヴニールの腹肉に突き立てていく。
 そしてその中心点から発火―――その炎は一気に巨体を焼き焦がそうと一気に燃え広がってゆく。
 たまらずファヴニールも跳び上がり、八岐大蛇は耐性を立て直すとさっさと飛び退いた。
 
「っと、助かる!」
 八岐大蛇は解放されると即座に飛び退き、神通力で雲を発生させてファヴニールの視界を奪う。
 決着を付けるなら、今しかない。けど、ファヴニールの皮膚はかなり硬い。
 アレを撃破できる決め手となるのは八岐大蛇の宝具くらいではあるが、ついさっきまで捕まっていたのだ。肩で息をしているのが見て取れた。
「……悪いが、少し魔力が貯め足りない。少し時間をくれ!」
 
「とは言ってもなぁ!」幸昌が叫ぶ。
 その眼前ではシャドウファヴニールが首を振って雲を振り払い、胸部の刻印を光らせて魔力を貯めているのが目に見えた。
 キレている、そして、大技の体勢だ。
 
「GARRRYYYYYYYYYYYYYYYYYY!!!!」
 
 ────あ、間に合わない。
 幸昌とぬちゃんの顔にも焦りと絶望が見えた。
 ファヴニールの口から、竜の息吹────猛烈な火弾が幾重にも放たれる。
 
 その瞬間、黒い影が飛び出すのが見えた。
 トゥガーリンを退避させていたはずのマシュだ。
「マシュ・キリエライト、行きます!」
 そしてマシュは大盾を構え、魔力を急速に向上させた
 
「真名、偽装登録────宝具、展開します!!」
 ああ、それは星の聖剣すらも防ぐ、マシュ・キリエライトの人理を守る盾。
「『仮想宝具 疑似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)』!!」
 
 地面に突き立てられた盾を中心に光の防壁が展開され、それは一帯を覆い尽くす強大な防壁となる。
 その刹那、ファヴニールの火炎が流星のように降り注いだ。
「っ…………!」
 マシュは耐え凌ぐが、一撃で済むエクスカリバーとは異なり、間断なく連続して降り注ぐ火弾はマシュの精神力、そして魔力を削り取ってゆく。
 光の壁が所々欠けてきた。ファヴニールは未だに火球を尽きること無く放ち続けており、マシュが耐え切れなくなる方が早いだろう。
 ………そうなれば、マシュの盾によって守られているわたしたちも一巻の終わりだ。
 
 がんばれ、マシュ。
 私は胸を張り裂けるような声で応援する。
 ぬちゃん、幸昌、八岐大蛇も思い思いにマシュに声を掛ける。
 
「ステータスアップ……頑張ります! あああああああっ!!」
 マシュは魔力を一層振り絞り、光の壁は更に強度を増してゆく。
 けど、既に欠けてしまった部分は補修すること叶わず、そこを起点にしてひび割れていった。
 
 
 ────ピキン、と致命的な音がする。
 光の壁に、大きな亀裂が走っていた。
 
 ────ああ、終わりだ。
 私は、その時に諦めてしまっていた。
 きっと他の二人、そしてマシュも同じ気持ちだったであろう。
 歯噛みして。自らの中の英霊の力を出しきれないことを悔やみながら……。
 
 
「まだ、諦めるときではありませんよ!」
 その刹那、マシュに続いて赤い影が飛び出してきた。
 それは今までファヴニールの攻撃を受けて倒れていたはずのトゥガーリン・ズメエヴィチだ。
 
「トゥガーリンの声は勇士がために。
 そう、わたしの憧れたあの人のように。トゥガーリンはみんなが輝けるよう、応援するために、ここにいます!」
「トゥガーリンさん、何を…!?」
 驚くマシュを尻目に、トゥガーリンは翼を大きく広げて天高く跳び上がり、そして息を大きく吸い込む。
 そう。サーヴァントの宝具。トゥガーリンの宝具こそは、英雄を昂ぶらせる竜鳴雷声(キレンツ・サカーニィ)
 
「ファヴニールさん、あなたの言いたいことも分かります。ニーベルングの財宝を守るため、竜の身体を得た。
 あなたは人と協力し合うわたし達が理解できないと言いました。けど、竜と人が手を取り合ってこそ、未来はあるんです!」
 そして、トゥガーリン・ズメエヴィチは吠える。
「『竜の仔、勇士がため吼えよ(トゥガーリン・ズメエヴィチ)』!
 がおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
 
 マナが響いた。
 シャドゥファヴニールには恐怖を、そして味方サーヴァントたちには勇気を。
 その声は敵を慄かせ、味方を奮わせる竜の偉大なる一声、マナの奔流である。
 
 その声を受け、八岐大蛇は叢雲の剣を構え直した。
 魔力も溜まりきった。決めるならば今しかあるまい────!
 私は令呪を使い、飛び出していった彼女を援護する。決めろ、セイバー・八岐大蛇!!
 
「はん。じゃあ、見せてやろうか。とっておきだ、ありがたく思えよ」
 そして八岐大蛇がその身から魔力────神気(オーラ)を、迸らせてゆく。
 9つの蛇を彷彿させるそれは大いなる魔力の流れとして、手に持つ剣に纏われて様々な色を発してゆく。
「この剣は俺の半身。世界も、神も、全てを、悉く食らってやるよ!」
 そして、その剣は振り下ろされた。
 
「っおおおおおおおおお!!!『神剣・天叢雲剣(しんけん・あめのむらくものつるぎ)』────────ッッ!!!!」
 それは日本神話における、神器の一撃。
 竜の斬撃、天地を分かつ一撃にも匹敵する必滅の宝具だ────!
 
 その光の奔流は、一瞬にしてシャドウファヴニールを飲み込む。
 そしてその後には何も残らず、ただただ抉られた地面のみが残った。
 
 ◆
 
『大丈夫だったかい?』
 ロマンの声が響き、私はぐだーっと地面にへたり込んだ。
「本当にお疲れ様でした、先輩」マシュも一緒になって、隣に座り込んでくる。
 
「いやははははは! 全滅するかと思った!」
「お馬鹿! 笑い話じゃないでしょう!?」
 陽気に幸昌が笑い、ぬちゃんに燃やされそうになって慌てて逃げ出していた。
「……ああもう、私は仮にも竜の魔女よ!? それが竜に燃やされそうになるって何の悪い冗談!?」
 
「いいだろう」八岐大蛇はどこからともなく取り出した酒を飲んでいた。
「強い相手との戦いは何時でも奮い立つ、良い事だ」
 そんな彼女に対し、ぬちゃんは怪訝な表情になる。かわいい。
「アンタ実はケルト出身とかじゃないの?」
「悪いが純和風だ。ただまぁ、薩摩の血……はあるかも知れないな」
「薩摩か、そりゃあいい!」幸昌はあっけらかんと笑う。
 彼女の笑顔と能天気さ…陽気さには、何度助けられたものだろう。
 ぬちゃん、そして八岐大蛇の強さにも助けられた。彼女たちがいなければ、私はこの地に倒れ伏していたであろう。
 
 そういえば、とマシュが呟く。
「ところで、なぜシャドウファヴニールは今となって登場したのでしょう?」
 言われてみればそうである。
 このオルレアンは既に定礎復元され、元の歴史に戻りつつある。ファヴニールが復活する要素など残っていないはずだ。
 それなのに────なぜ、ファヴニールが。
 
 そもそも、なぜトゥガーリンはこの時代に来たがったのか。
 もしかして、ファヴニールが復活することを知っていた……?
 
「ま、普通に考えれば誰かに復活、「させられた」んだろうな」
 八岐大蛇がそう結論づけ、ぬちゃんと幸昌もうんうんと頷いた。
『けれど、誰がそんなことをするんだい?』
 ロマンが至極当然な疑問をかけてくる。
 
「そんなことができるのは、わたしの妹くらいだと思います。そんな予感も、していましたし」
 トゥガーリンは呟く。
「クラサちゃん。あの子は、わたしと違って才能に溢れていたから────たぶん、キャスターとしても適正があると思います」
『キャスター、魔術師のクラスだね』
 その声はダ・ヴィンチちゃんだ。彼女…彼?は、いつの間にかロマンの通信に割り込んできていた。
 
「キャスターなら、できるんですか?」
 マシュが問いかけると、答えが戻ってきた。
『魔力の残滓からシャドウサーヴァントに近いものを召喚するくらい、キャスターであれば容易いことだろうね。
 ああ、私でも頼まれればやってみせよう。おっと、なに、よく考えたら骨が折れるからやらないけどね!』
「はい…」マシュが呆れたように返事する。「カルデアの平穏のためにも、ぜひぜひ自重してください」
 ダ・ヴィンチちゃんがその気になればカルデアの中がワイバーンだらけになるに違いない。
 それだけは阻止しよう────、私とマシュは密かに心を通じ合わせたのであった。
 
 
 クラサ・ジラントヴナ。
 トゥガーリンの妹にして「炎の竜」の血を色濃く受け継いだとされる、ロシアの伝説的な竜だ。
 だが、彼女を綴る逸話はあまりにも少ない。
 
 そして、トゥガーリンは空を見上げる。
 空には特異点に残る光帯、そして真っ青な晴れ空が広がっている。
 一体、彼女はそれを見て何を想うのだろう。今の私には、それをうかがい知る術はまだ無い。
 
 ◆
 
 
 また、夢を見た。
 
 雷鳴が轟く。
 木樹が燃え盛る山の中、竜の少女が仁王立ちしている。
 あれはトゥガーリンだろうか。
 彼女がふぅと軽く吹くと強い風が起こり、炎が一気に麓の町へと燃え広がっていく。
 
 その竜の少女は不敵に微笑むと、紅い翼を広げてどこかへと飛び去っていった。
 
 
【Fin】


●登場人物-2

アリョーシャ・ポポーヴィチ:キエフの英雄。 
トゥガーリン・ズメエヴィチ:キエフの悪竜。
クラサ・ジラントヴナ:キエフの悪竜。
 
永久伝承凍土ブィリーナ:その続き。