悪窟へ向かいし狂人の詩

Last-modified: 2019-06-22 (土) 14:35:44









パキリ、と小気味の良い音が響いた。割りばしの割れる音だ。


煙たつ、黒に近い茶の汁はその出汁が出たばかりであると物語るように食欲をそそる。
鼻腔をくすぐるかつおだしの香り、遅れてさらに届くは、香ばしい油の香り。カラリと揚がったかき揚げだ。
割りばしで汁の中に潜った蕎麦を掴み、そして口元へ運び、口に蕎麦の一片が含まれたその瞬間、勢いよく啜る。
それと同時に口の中に広がる、出汁と醤油の美味さ。少し混じる、かき揚げから溶け出した油の味がさらに食欲を引き立てる。
遅れてかき揚げを一口。美味。サクサクとした食感に加え、玉ねぎの甘さと小エビのコクが加わり、これは──────


「美味(ぐろぉりあす)!!」









周囲もまばらな人の少ない食堂にて、一人の男の声が大きく木霊した。


「霧六岡さん。称賛は嬉しいですがもう少し声量を抑えてください」
「いやぁ!! 美味(ぐろぉりあ)美味(ぐろぉりあ)! 貴様の料理の腕はまさしく格別だな!!
世界中で給仕を担当していたのだったか!! 日本料理の心得もあるとは思わなかったぞ!」
「まぁ、はい。日本にもそれなりにいたことがありますので」


叫ぶように喜びを表す男の前に座る、鉄面皮のような無表情のメイドが、ぺこりと頭を下げる。
それに対して、その男の方はずるずると止めどなく目の前に置かれた、かき揚げの乗った日本蕎麦を啜って頬張っていた。


「何せここに来いと言われてからというもの、まぁ日本食が恋しいものでなぁ!
機内食に始まり味のしないフライに乾いたパンに得体のしれぬ鰻の料理! 全く嘆かわしい!
産業革命期にイギリスの料理は死滅したと聞いていたが、よもやここまでとは思っていなかったぞ!」
「でもイギリスにもおいしい料理はあるんですよ。ローストビーフ、ありますよね? あれはイギリス発祥です。
イギリスは産業革命期において、『早く、栄養の取れる料理』を目指しました。その結果、朝食とローストビーフのみは誇れるんですよ。
朝食は労働者たちの1日の精力の源ですからね。もっとも、それ以外のものは全て捨て去りましたが」
「あ? ローストビーフとは日本料理ではなかったのか? ローストビーフ丼とやらがあるだろう」
「どう聞いても英語の部分に違和感を感じなかったのですか」


多種多様に表情を変える男と、鉄面皮の如く表情を変えないメイド。
そのあまりにも相反する2人の会話は、映画や絵画のシーンのように明暗が別れているようであった。
一見すると何の接点があるのか、と見える2人であったが、実のところ非常に親密な関係にある2人であった。


彼らの所属する組織の名を、サンヘドリン。
人類に新たなる栄光をもたらす、という名目で創設された魔術結社であり、その幹部は33人に上る。
彼らは揃って、その幹部の一員であり、男の名を霧六岡六霧、女性の名をアザミという。


「この料理の美味さには秘訣があるのか? そうか光明名の効果であろう!!
貴様の名は……あー、忘れたがまぁよかろう! きっと料理に影響を与える、 そうだろう?」
「まぁ教えてないので忘れるも何もないんですがね。というか光明名が影響を与えるのは自分自身だけです。
名乗りし本人以外には効果がない。最初に言われましたし、頂いた教本にも書いていたでしょう?」
「俺は週刊少年ジャンプ以上に分厚い本は読めない戒律を掲げているのだ」
「また随分と軽い戒律ですこと」


表情1つ変えずに、アザミは手元に置いてあるカップに注がれている紅茶を音もなく啜る。
その、どこか呆れ気味の態度に対して、霧六岡が口をはさんだ。


「だがまぁ、本人にとって軽い重いだけが光明名の力に繋がるわけではない。
重要なのは、その戒律と代償に対しての"信仰(おもい)"だ。それが他者か、あるいは己かの違いだろう。
他者が恐れる戒律を定めれば、例えそれが己にとって滓が如き戒律でも、名への信仰は溜まっては往く。
サンヘドリン外部からは多少だが、その名が外へ知れればあとは芋づる式だろうよ。故に名を広め、栄光を集めよ。
──────我らに課せられた意味とは、そういう事であったろう?」
「……なんだ、覚えているじゃないですか。"始原の矜持"」
「まぁ、あるいは──────」


タァン! と勢いよく霧六岡は器をたたきつける。
その手に持つ陶器には、既に蕎麦はおろか汁の一滴たりとも残されてはいなかった。


「その己が光明名に対する、名付けた己自身の思いの強さもまた、力となる。
それならば、そ奴は一体どのような思いで己が光明名を定めたのだろうなぁ? 『堕ちた翼への手向け人』?」
「さぁ。わかりませんね。人が人に抱く感情など。それが他者でも、自分自身だとしても。
とはいえ、お粗末様でした。スープまで残さず頂いてくれると、さすがに気分が高揚します」
「おおっと! 先に言われてしまったか! まさしく美味であったぞ! ご馳走様だ!」


そう言いながら、男は高笑いしつつ立ち上がる。
男は満足そうに懐からくしゃくしゃのスターリング・ポンド紙幣を数枚取り出してアザミへ渡した。


「……渡し過ぎでは? 材料はほとんど厨房にあったものですが」
「勘違いするな? これは100%、正真正銘、貴様への技術へと払うものだ。
材料さえよければ美味なる食事が生まれるなどと寝言をほざく阿呆共がいるがそれは違う!
人だ! 人が美味を作るのだ! 例え最高級の本マグロとサーロインを掛け合わせたとしても、
腕立つ者がとらねばそれは腐敗した腐肉も同じ!! 即ち! これは貴様1人への"敬意"だ」


そう言いながら、男は足早に去っていった。
カッ、カッ、カッ、と、食堂に響く靴の男が遠くへと木霊していた。


「急ぐのですか」
「最高統括殿がお待ちなのでな! 悪いが積もる話はまた後だ!
その時はまた、愉しい話を聞かせていただこうか! ではさらばだ!! また会おう!」


そう言って、男はまるで漫画が舞台演劇に出る悪役のような、
わざとらしい高笑いを響かせて食堂を後にした。









飯を食い終わり、膨れた腹を満足そうに撫でながら霧六岡は廊下を歩む。
すると、見慣れた顔が目に留まり、男は笑顔で手を振り元気よく挨拶をした。


「やぁやぁメルヒオールか! 今日も女を侍らせているとは好色漢(かさのば)よなぁ!」
「おはよう霧六岡、寝不足の頭に響くから大声やめてくれないかしら」


ハァ、とすれ違った眉目秀麗な小さな少年がため息をつきながら歩みを止めた。
彼の名は、メルヒオール。一見すれば少女のようにも見える美しさと可愛さであるが、
その実は男性であり、それもドのつくスケベで、常に隣に一人の女性を侍らせてやまない少年である。
本日も、ゆったりとした縦セーターでありながらボディラインがくっきりと浮き出るほどにプロポーションの高い、
魔女のような帽子をかぶった背の高い女性を連れている。とはいっても、少女のような服装を好むメルヒオール故、
傍から見れば二人は姉妹にしか見えない。


「しかしそこな女も酔狂よなぁ? このような男と共に往くなどと!
まぁ酔狂さで言えば、この俺が他者の事を言えぬのは百も承知であるが!」


フハハハハハ!! と霧六岡は楽し気に高笑いする。
一方、言われたほうの女性は霧六岡に怯えるように、もじもじと俯いている。


「うちの娘が怖がっているから、あんまり大声出さないでくれる?」


ギロリ、とメルヒオールがその背の低さからは思えないほど鋭い視線を霧六岡に突き刺した。
その可愛らしい服装や容姿からは真逆。魔眼などを彼が持っていればそのまま殺されるのではないかというほどに、
強い圧が込められていた。


「ぁ……メルヒオール、さま……♥」


傍らに立っていた女性は頬を紅潮させ、主となる人の背中に身を隠しつつも、その細い腕に腕を絡め抱く。
ぷにゅんと彼女の性的魅力をアピールしてやまない乳袋がその腕にぴったり合わせ包み込むように形を変える。
霧六岡は、そのふたりの姿に思わずヒュゥと口笛を吹いた。


「美しい。女を守る男の視線。まさしく正義に立つ者のそれであるがよ。
だが、これでは俺が悪であるなぁ。いかんなぁ! 俺は正義側の人間であろうに!!」


そう高らかに笑いながら、男は踵をくるりと返した。


「あら帰るの、こっちとしては嬉しいけど」
「もう夜の9時を回るからなぁ! 俺はお前たちがこの時間には床につくのを知っているからな!
嗚呼、寝る子は育つ! 良きことだ! 良く寝、良く食べ、そしてよく遊べば百戦危うからず!
つまり何が言いたいかというと! "おやすみなさい"だ! 歯磨きも忘れずになァ!」


そう男は笑いながら、カツカツと靴音を高らかに鳴らしながら廊下を歩んで遠ざかっていった。
残された二人は、ぽつねんとその背中を見ているしかなかった。


「はぁっ……分かっていた…の、でしょうか。メルヒオールさまに、毎晩、愛していただいてる、の……」
その少女は抱いているメルヒオールの腕を離さず、紅潮した顔でもじ、もじと太腿を小刻みに動かす。
だが、その萌え袖に包まれた腕は一層抱き締める力を強める。……それは、単なる愛欲のみならず。


「それよりも……怖い、ひと……でした。……まるで、底の見えない、暗い穴のような……」


少女が震えるような声で、呟くようにしたのを聞いた。
その腕が震え、それに挟まれているたわわな胸がぷるぷると揺れるのをメルヒオールは感じ取った。
紛れもない恐怖のサインである。それに気付かぬほど、メルヒオール・ゲッテンシュタインは鈍感ではない。


……かつて、昔にあった出来事を思い出させるような相手だったのか。女装の麗人はそう思案する。
であれば、その恐怖を解いてやるのが己の役割であろう。


「心配しなくても、あいつは多分素で私たちが9時には就寝する健康優良児だと思っているわ」
「でも……きのうも、夜の3時過ぎまで、メルヒオールさまも…」
「余計なことは言わなくていいの」


ふぅ、と短く息を吐くと、メルヒオールは未だ抱かれているその腕を振り解く。
あ…と残念そうな声が漏れるのに若干の嗜虐心を覚えると、すかさずぷりぷりと主張が激しい尻肉を鷲掴んだ。たわわな胸が跳ねる。


「はんっ……♥ め、メルヒオール…様……?」
「こんなことでしか、貴方を慰められないけれど許してね」


最初は片手だけ、やがては両手で。
尻肉だけでなく、腰に手が回り、続いて乳房へ。
女性もまた、それを受け入れるように腰をかがめ、肌を密着させる。
二人は指を絡ませながら、やがては全身を密着させた。


「あっ……♥ んっ、……は♥
メルヒオール……んんっ、様……♥」
「……こんな、知らない人しかいない場所にいきなり連れてきちゃって、
でも、私だけは、……貴女の味方だから……」


そう言いながら、メルヒオールは屈んだままでいる女性をひしっ、と固く抱きしめた。
それに対し、女性は蕩けたような表情のまま、恍惚と呟く。


「──────はい…………♥
メルヒオール、様の、言うことなら、しんじられますから……♥」


女性はメルヒオールを抱きしめ返す。
その肌は紅潮し、しっとりと汗で濡れ、艶やかに衣服が肌に張り付いていた。


「……続きは、部屋でね」
「……っ♥ はい……♥ メルヒオール様……♥♥」
幸せそうに頬を染め、その女性は主となる、女性と見紛わんほど麗しい小さな男性にありったけの愛を込めて返事する。
そんな彼女に、メルヒオールもまた無言ながらも愛をもって、その長くて白い髪を撫でることで応えたのであった。









そんな背後で起こる濡れ場半歩手前の状況には目も耳もくれず、
霧六岡は足早に廊下を駆け抜けていた。


そんな彼に、1人の男が声をかける。
血濡れのような文様の着物を羽織った、顔の整った男であった。


「やぁやぁこれは霧六岡殿! 久しぶりだねぇ」
「おお波旬! 人理渾然以来ではないか! いやあの記憶は"この俺"ではないが!」
「へぇー、覚えているんだ。また珍しい。とはいえ、あの時は焦ったんだぜ? 君が死んだかと思ったから」
「貴様が俺が死んで悲しむような男には見えないがなぁ!」
「そんな! 俺は悲しいぜ!」


まるで10年来の友人のように、二人は笑いあいながら会話を交わしながら廊下を歩く。
統括の命令で霧六岡を迎えに来たと語るその男は、雰囲気は良いが妙に馴れ馴れしい男だった
だが気にせずに霧六岡は会話をする。ある程度談笑が進んだところで、波旬と呼ばれた男が切り出した。


「ところでだ、数年前にあった爆発をご存知かな? あそこの、ほら、アースガルズの管轄の」
「ん? ああ、そういえばそういう記憶があったものだ。それがどうした」
「それがねぇ、調べたところによると、どうもそれは"ある魔術師"の計略で起きたらしい」
「──────ほう」


ニタリ、と霧六岡の口端が吊り上がった。


「外道一族……知っているかな? 君の管轄の日本なら、聞く名前かもしれない」
「ああ、知っている。特徴的な名前だからな。最も、数年前から消息は不明であろう」
「うん。でもねぇ、死んだ人がもしそのまま死んでいないとしたら、どうかなぁ?」
「ほう、ほうほうほう。面白い話じゃあないか。まだ人理渾然は解決していないと?」
「いやそうじゃないさ。でも、もしそれに、英霊が絡んでいるとしたら?」
「なるほど興味深い。英霊は我らサンヘドリンの最重要研究対象だ」


そこまで言って、霧六岡はぴたりと歩みを止める。


「ふむ、俺がこれから統括のもとへと出向く理由は、つまり」
「ご名答。これから君が呼ばれるのは、その爆発の件についてなんだ」
「……魔術師が引き起こし、英霊が関わる、秘匿されし案件か」
「そういうことになるね」
「なるほど? 貴様と俺が此処に招集された所以が、なんとなくわかってきたぞ」


男は笑いながら、歩みをさらに早めて"統括"と呼ばれる男の待つ部屋へと向かった。









「君たちには、数年前に爆発事故があったある場所へと向かってもらいたい」


開口一番、サンヘドリンの統括はそのように言った。


「ほう、それはなぜです? かの爆発事故の影響や残滓を調べろと?」
「そういうわけではない。というより、君には事前に話してあるだろう? 波旬」
「いやぁすいません。つい。こういうのは問い返すのが礼儀だと思いましてね」


ニタニタと、見ている側を不快にさせるような笑みを浮かべながら波旬と名乗る男は笑う。
それとは対照的に、統括は平坦な声で続けた。


「今回、その現場の魔力の乱れがおかしいと、第19ロッジから連絡があった。
調べてみたところ、かの大爆発の時と、地脈の記録が同じらしい」
「ほう、ではつまり、その爆発の再現が行われる可能性があると?」
「ああそうだ。"あの時に存在しなかった我々"は観測が出来なかったが、
現在は違う。我々は確かに存在している。そこで、我々が持つデータと照らし合わせた所、興味深いデータが見て取れた」


ハラリ、と数枚のコピー用紙が秘書を通して統括から霧六岡らへ手渡された。
みると、魔力の乱れの数値やグラフなどと言ったデータに加え、興味深い単語が含まれていた。


「──────神霊、ですか」
「そうだ。英霊についていくつか調べているが、まだ我らサンヘドリンの技術を以てしても、
英霊の座の解析には程遠い。アースガルズをはじめとする英霊回帰の研究も進めているが、
相変わらず、恒久的英霊資源化については……、目途か立たない」


そこで、と統括は区切り続ける。


「不可能ならば、先ずはその目と手で確認すればいい。
そこで君たちを招集した。かの人理渾然の記憶を持つ、君たちに」
「なるほど。そしてあわよくば、聖杯があれば回収せよと、そうおっしゃるのですね」
「君との会話は話が早くて助かるよ霧六岡君」


クックック、と喉を鳴らしながら、統括の皺枯れた頬がニヤリと吊り上がる。


「波旬は遠巻きからの魔力、地脈、並びに波形の観測で単独行動だ。
君の魔術ならば、単独でも生存にはもってこいだ。万が一、英霊や神霊に見つかっても対処はできるだろう。
対して霧六岡君はオフェンスだ。聖遺物を1つ手渡す。それで英霊を召喚し、"彼ら"と対峙してくれ」
「ん? 二人そろって英霊を召喚する、というのはダメなんですか?」
「悪いが、我らサンヘドリンがもつ資源は限られている。ロックフェラーの財を以てしても、
英霊の触媒に関しては降霊科がいまだ利権を握っている状態だ。かつ、それらのほとんどは英霊回帰、
並びにその先に立つデミ・サーヴァント計画の為に利用しなくてはならない。すまないが、理解してほしい」
「心配には及びませんとも」


呵々、と軽快に霧六岡は口を大きく開いて高笑いをする。


「この俺なれば、必ずやその魔力の変動の原因を調査してみせ、聖杯を持ち帰って見せましょう!
まぁ聖杯が無理としても、英霊がどういった物か、神霊がどういった戦いを見せるのか! それをこの目に焼き付けて進ぜましょう!!
我が光明名、魔攻破邪神シン・デミウルゴスの名のもとに!!!」


両手を広げ、男は高らかに叫んだ。
そうして男たちは、聖遺物を片手にその"現場"へと急行した──────。








女神天征悪窟シェオールプラス本編へ












「いやまぁ、正直なことを言うとだなぁ」


ノワルナの宝具が周囲を侵食する中、霧六岡とそのサーヴァントが立ち上がる。


「俺は、人の感情がどうだとか。生きる意味だとか、これっぽっちも共感できんのだよ」
「ほぉー、初めてマスター殿と気が合った気がするわ。そいつは俺も同じだわ」
「だろう。だから言ったわけだ。貴様と俺は似ていると」
「それは全力で否定する」


はっ、とニュートンは鼻で自らのマスターを一生に付す。
だが霧六岡はそんな態度を気にもせず、眼前に立つ女を敵として見定めていた。


「感情だとか生きる意味が分かんねぇっていうんなら、あの女に敵対する意味はねぇんじゃねぇのか?
文字通り、あの女が永遠に安定ですと笑う邪馬台国とやらで、愉しくすごしていりゃあいいんじゃあねぇのか」
「うむ、それも考えたんだ。今は我らだけであるが、いずれ人も増えるだろう。それならば娯楽も増える。
明後日発売のジャンプも読めるし、待ち望んでいるソーシャルゲームの実装も期待できる。そして皆が不死。
ああ確かに、実に素晴らしい世界であろうよ」


うんうん、と深くうなずきながら、霧六岡は笑った。
しかし──────


「だが、お前の説得で気が変わったよ」
「あ? 俺ぇ?」


ニュートンは目を丸くして驚いた。


「先ほどお前は言ったろうよ。そんな世界で、誰が発展をさせるのか、と」
「ああ。今が完璧なら、誰も創意工夫なんざしやしねぇ。それは科学という歴史の剪定を意味するからな。
そんな世界になってみろ。俺の発見した数々の定理・法則はどうなる? 誰もが忘れるだろうが。んなもん俺は許さねぇな」
「ああ、そうだ。今が完璧という事は、もうそれ以上頑張らなくていいという事。それはダメだ。それだけは、ダメなのだ」


霧六岡は、ニュートンに語った過去を想起していた。
他者と善悪の観点が違うことから、異端として扱われていた幼少期。
そこから彼は歴史を知った。歴史から彼は、善悪は常に流転するものと知った。
その善悪の流転こそ、人類の歴史・本質であると彼は思考した。


故に、眼前にたつ女を否定する。
完璧なる世界? 争い無き世界? そんなもの"くだらな過ぎて吐き気がする"。
俺の憧れた善悪の流転。その歴史が今宵、この場にて終焉を迎えようというのか。
そんなものは人類の可能性の否定だ。人類は善の極致で、悪の奥底にて、進化を見せる生き物。
絶望の畔に立つことこそが、人類の極光を生み出すのだ。──────目の前の女が、それを人類から奪おうとしている。


ならば、止めぬ道理など、微塵もない。


「ニュートン」
「なんだよ」
「俺は、貴様がサーヴァントでよかった」
「打算も計算もなく、男を目の前で褒めるのはホモか陰謀家だぜ?」
「そうか? ならばこう言おう」


そういって、霧六岡は拳を握り締めて横に突き出した。


「あの女の理想を、共に砕く。今までともに歩んできたあの6人らと共に。
そして、この絶望を切り開くあの人造英霊と人造女と共に、この平定を、ぶち壊す。
ついてこれるな」
「テメェこそナマ言ってんじゃねぇよ。この俺を誰だと思っていやがる?
最後の魔術師様だぞ? "たかが平定の世のイメージ一つ"、ぶっ壊せないで何が英霊様だよボゲ」


応えるように、ニュートンはその握り締められた拳に、己の拳を軽くぶつけた。


「ではいざ向かわん! 我らが対峙するは涅槃寂静、永劫なりし安寧の世界!
されどその領域、人理の終幕我らが可能性の終着点に他ならない! ゆえに砕く!!
さぁ! いざ共に往かん最後の魔術師よ! 大いなる奇跡はァ!! 今! ここにィィィィィ!!」
「最後までテンションがバカうるせぇんだよバァーカ! あのアルターエゴの宝具が収まったらソッコーで決める!
てめぇも油断すんじゃねぇぞボゲ!」


互いに覚悟を決め、立ち上がる。
それと同時に、アルターエゴ・ノワルナの宝具が、この寂静の領域を侵食を開始していた。



















「…………」


遠巻きに、彼らシェオールへと招かれた者らを見守る影がいた。
名を、波旬。霧六岡と同じく、サンヘドリンの幹部に位置する男だ。


「まさか、全部仕組まれていたとはねぇ」


にたにた、と不気味な笑みを浮かべながら男は倒れた4人をじぃと見つめる。


「俺としてはさぁ、このまま君が目覚めなくても全然構わないんだ。
でもね、君そういうタイプじゃないだろう? 俺知ってるんだ。君みたいな楽しさナンバーワン
な人って、こういう状況の時ほど生きているんだよねぇー。"腹立たしい事にさぁ"」


つんつん、と子供が悪戯をするときのような無邪気さで、波旬は霧六岡の額を人差し指でつついて遊ぶ。


「ほう、意外だな。貴様はこの俺が二度と目覚めないほうがよかったか?」
「いいや君自身に腹立たしいって意味じゃあないさ。そういう人間の不屈性が、ムカつくってだけの事だよ。
とはいえ、無事生還おめでとう。あまりにも唐突な目覚めでびっくりしちゃったぜ」


音もなく目を開いた霧六岡に、波旬は無邪気な笑みで答えた。
そのまま勢いよく霧六岡は飛び上がるように起き上がり、マントを翻す。


「どうだったぁ? "精神世界4人気ままに夢見る旅"は?」
「楽しくはなかったが、俄然面白いものではあった。収穫もあったしな」
「その2つは矛盾する感情じゃないかなぁ? とはいえ、何も持っていないように思えるけど、収穫?」
「ああ」


トントン、と頭部のこめかみを人差し指でつつきながら、霧六岡は笑う。


「あの世界であった全ては、この俺が包み隠さず細部まで記憶している。
統括殿ならばこれを読み取るのは得意分野であろう。彼は魂に触れる天才であるからな」
「あー…そうだね。そういえばそんな魔術だった。それならきっと、君が見た者もいずれ再現できるだろうね」
「ああ。アースガルズに頑張ってもらっている英霊回帰。それを3歩は優に踏み越える代物であった。アルターエゴというらしい」
「アルターエゴ? 他我って意味だっけか。大方、人間の一側面だけ切り取ってそれに英霊を混ぜる感じかな」
「貴様の洞察力は、高いを通り越して気色が悪いな」
「まぁ、そういう人なもんで」
「人でないであろう貴様は」
「それもそっか!」


アッハッハッハッハッハ!! と、二人の愉快そうな高笑いが、何もない場へと木霊していった。


「それと今後の目標も決まった! 
それに加えて、以前のこの事件の首謀者である外道悪徒という魔術師を探すとしよう!
神霊を呼び、なおかつそれを融合できると聞いた! 是非ともサンヘドリンに欲しい逸材だ!
というかだ、貴様死んだなどとガセ情報を握らせおって! 恥をかいたではないか!!」
「あるぇー? 死んだなんて言ったっけかなぁ俺?」
「言ったわ! 罰としてこの後に日本蕎麦をおごってもらう」
「しょうがないなぁ、まぁ生還した暁だし、それぐらいの出費はいいか」


にたぁ、と波旬は笑みを浮かべた。


「アンビバレンスちゃんについても、色々聞きたいしね」
「よぉし任せておけ! あの女とは気が合いそうだったからな!
覚えている限りの事は話してやろう!」




そう笑いながら、男二人は朝日と共に、何処かへと霞のように消えていった。










































「(ん? あのアン……アン……アンインストールの名前、こいつに話したっけか?
  …………まぁ、いいか)」