散りし花弁、汝の名は

Last-modified: 2019-06-22 (土) 14:36:27















人間であったころの少女が、最初に記憶しているのは、笑顔で自分を見送る両親の顔であった。




生まれつき魔術回路の備わらなかった少女は、衰退を始めた魔術の家系にとって穀潰し以外の何物でもなかった、
ならばせめて、自らの家系の神秘の一切を継ぐ前に外へと売り払い次への肥やしとするというのが魔術師というものであろう。
彼女はそんな、魔術的合理主義の犠牲として、二束三文で富豪の召使として幼いころに売り払われた。


少女はその出来事を、悲しいとも思わなかった。


何故ならば、少女にとっては物心つく頃には既に、その売り払われた家こそが自らの生家といっても過言ではなかったからだ。
少女にとって、両親の記憶など、先も言ったとおりに自分を見送る姿のみ。そんなものにどんな哀愁を感じればいいというのだろうか。
故に。少女はそれから起こる生家での自らの扱いに悲哀は感じれど、両親を強く恨むようなことは微塵もなかった。


────この時、彼女が他者を恨めていれば、どれだけ幸せであっただろうか









送られた家で彼女を待っていたのは、奴隷と呼ぶも憚られるような物扱いだった。
毎日のように魔術鉱石の採掘へと駆り出され、与えられる食事も最低限の物。寝床も狭かった。
なぜそのような最悪の扱いが許されるのか? 理由は簡単だ。彼女に既に戸籍はない。戸籍は死亡扱いで抹消された。
故に、彼女は既に人ではない。物だ。物ならばどんな酷い扱いをしても、壊れればまた取り換えればいい。
彼女が引き取られた家は、そうやって何万人もの幼い子供を使って富を得てきた。


それに加えて、彼女は生まれつき身体が弱かった。
粉塵を吸い込んですぐに咳き込み、倒れ込んで作業が中断されるなどしょっちゅうであった。
そんな日には決まって、食事に泥水をぶちまけられる嫌がらせを受け続けた。周囲の同じように売り払われた少年少女も迷惑を被った。
『連帯責任だ』それが彼らを買い取った富豪の口癖であった。それ故に、彼女は周囲から忌み嫌われていた。


彼女は常に名前では呼ばれなかった。
「おまえ」「そこの」「もうひとり」「のろま」……呼ばれた名前は数知れない。
その中でも、彼女は一つの名前で呼ばれることが多くなった。……邪魔者、除け者、いないほうがましな者。
────すなわち、ストゥーパー。彼女は既に、物扱いすらもされず、ゴミと同列に扱われていた。


そこまでの地獄へ堕ちてなお、少女は誰を責めるまでも無く自分が悪であると信じ続けた。
両親に売られた、だから両親が悪い。そういった思考が欠如しているが故に、彼女は"他人が悪い"と思考することが出来なかった。
身体が弱い自分が悪い。魔術回路?がその割らなかった自分が悪い。全て自分が悪い。ごめんなさい。ごめんなさい。
そう頭の中で反芻しながら、薄い毛布1枚を頭まで被って眠りにつくのが彼女の日常であった。
その目に知らず知らずのうちに溜まる、雫の意味さえも知らずに




このままでは、彼女の精神が壊れ、肉体も死に至るのは時間の問題であった。
そう。このままでは────────









その日、彼女はいつもとは違い誰もいない倉庫の隅でうずくまっていた。
この日はたまたま作業が早く終わり、少年少女は早くに帰ることが出来た。
しかし、自由を得れても彼女には居場所がない。なぜなら彼女はストゥーパー(除け者)だから。
故にこうして、誰の人目にもつかない場所で、膝を抱えているしか彼女にはできなかった。


長い時間が彼女にとっては苦痛だった。
速く夜が終わってほしい。でも明日には来てほしくない。
このまま、永劫に時が止まってしまえばいい。そう思いたくなるほどに。


そんなある日の事であった。


「おや? こんな場所に人がいるなんて、珍しいですね」


一人の少女の声が、倉庫の入り口から響いた。
何度か聞いたことのある声だった。この屋敷の持ち主に仕えている給仕の女性の声だった。
早く逃げないと。こんなところで見つかったら何を言われるかわからない。そう少女は思考した。
しかし逃げようにも、周囲を物に囲まれているため走ることなど到底できない。どうしよう、
そう思考していたその時であった。


「あら、これは可愛い少女が1人」
「………ぁ……」


とても速い身のこなしであった。
一瞬と錯覚するほどの速さで、そのメイドは少女の目の前に立っていた。
悲鳴を挙げそうになる少女の唇に、メイドは人差し指をそっとあてる。


「大丈夫ですよ。誰にも貴方が此処にいたことは言いません。
それに、貴方が此処にいる理由も聞きません。安心してください」
「……ぇ、あ…」


そう人差し指を立てたまま、メイドは優しく少女に微笑んだ。
そしてエプロンのポケットに手を入れ、中からチョコレートやクッキーを数個取り出し、
微かに震える少女の掌に握らせた。


「これを食べて落ち着いたら、明日も頑張りましょうね。
明日も欲しいようでしたら、またここに来てください」
「……あ、……あの……」


少女は震える手で、声を何とか絞り出す。
その声に、ゆっくりとメイドは振り返る。


「…ぁりがとう、…ございます」
「…………どういたしまして」


にこり、とメイドは優しく微笑んだ。
その笑顔を見て、少女は思った。また会いたい、と。
お菓子なんて要らない。また彼女と会えるなら、何度でもここで待ちたい。
そう思えるような、美しく、そして優しい笑みだった。









そんな日々が数日続き、いつしか彼女は作業で苦しまなくなった。
内側から力が湧くような、呼吸が楽になったような、そんな錯覚があった。
それで周囲からの侮蔑や嘲笑が全部なくなるわけではないけれど、嫌がらせは少なくはなった。
いつもより、ほんのちょっぴりだけ軽い気持ちで少女は屋敷へと帰れるようになった。
そして、彼女はいつもと同じように、倉庫へ向かった。


「また来たのですね」
「ぇ……あ、うん」


メイドはそっけなく言い、いつものようにお菓子を渡した。
いつも来て、迷惑だったかな? と問おうとしたが、口には出せなかった。
おどおどと、いつも自分がこんな場所で一人だけお菓子を貰い続けていることに、彼女は負い目を感じていたのだ。
そんな彼女を察したのか、メイドはにっこりと笑って、少女を暖かく包み込むように抱きしめた。


「え? あ……え?」
「……以前より、元気になっていますね。良かった。
鼓動も……正常ですね。ええ。本当に…………良かった」
「…………心配、して、くれるん…………ですか?」


メイドは無言で、こくりと頷いた。


「あの日、貴方からは、とても寂しい……いつか壊れてしまうような、悲しい心音が響いていました。
倉庫に入ったその瞬間から分かりました。……だから、居ても立っても居られず、隠し持っていた菓子に、
強化の魔術を掛けて貴方に与えました。────それが私のエゴと言われれば、それまでですが」


ですが、元気になってくれてよかった。とメイドは続けた。
この人は、こんなにも自分を心配してくれている。初対面の自分を、まるで自分自身のように。
その事実が、少女には嬉しかった。心の底から嬉しくて、涙が止まらなかった。
今まで抑えていた感情が一気に噴き出したかのように、とめどなく涙が溢れ出た。


「わたし……ぅえ……、う、ぇぇぇぇええん……!」
「…………辛かったんですね……。ええ、ええ。何も言わなくていいです。
私が、貴方の辛いことを分かってあげられます。だから、何時だってここに来ていいんですよ。
負い目を感じる必要はありません」


大粒の涙を優しくふき取ってくれた彼女の肌は、優しく温かった。
そんな彼女から、少女は驚く提案を受ける。


「そうだ。他人である私からもらうことが負い目を感じるというのならば、友人になりませんか?」
「…………ぇ?」
「…いやでしょうか?」
「い、いえ! そんなこと…!」


では、と続けメイドは少女の手を握った。
後に聞いたことによると、メイドは少女を見てみぬふりが出来なかった。
それ故に友達となって、彼女を守りたいと思ったと語った。メイドである彼女自身も、少女のように辛い過去があった。
だからこそ、メイドは少女を放っておくことが出来ず、こうして手を差し伸べたという。


それが自己満足、エゴであると言えばそれまでだろう。
だが、その差し伸べた手で実際に少女は救われた。だからこそ、少女は、その握られた手を握り返した。


「……でも、ごめんなさい。
友達になれても……私、名乗れる名前なんて……」
「私も同じですよ。私も、とっくの昔に名前なんて失くしてしまいましたから」
「……そう、なんですか……」
「ですから、こうお呼びください。アザミ、と」
「……アザミ? スウェーデンの国花ですか?」


少女の聞き覚えのある名前であった。
非常に親しまれている名前であり、彼女が幼いころから花が好きだったこともあり、
それが華の名前であることはすぐさまに彼女は理解できた。


「好きな花の名前なんです。…おかしかったでしょうか?」
「いえ……とても、素敵な名前だと思います。ええ…………」
「此処を出れた時には、スウェーデンに行き一面のアザミを見るのが夢なんです」
「……もし、私も出れたら、一緒に行ってもいいですか?」
「ええ、もちろんです」


メイドは、否、アザミはチョコレートを少女の口に運びながら頷いた。
それを少女は口いっぱいに頬張って、甘さを噛み締めながら笑った。


「それじゃあ、これからも頑張らないとですね、私」
「頑張る前に、ほっぺにチョコがついていますよ」


メイドはそう笑いながら、少女の口の端についたチョコレートの欠片を指で擦り取り、
そして指先についたチョコをぺろりと舐め取った。


「あはは……ありがとう、ございます……」
「いえいえ。また、こうしてこの倉庫に来ていただけると、私も嬉しいですから」


貴方と話していると、それだけで楽しいですから、とアザミは続けた。
その微笑みに、少女は不意に鼓動が高まった。


もうこの時には、少女の中でこの屋敷と労働への嫌悪感は拭い攫われていた。
まるで、アザミの温かい優しさによって、浄化されたかのように。









それから二人は、多くの事を話した。
アザミは此処ではない遠くで生まれたという事。
互いに花が好きだという事から、華の種類の事。
アザミと少女は5歳ほどしか年齢が離れていない事。


やがて打ち解け合い、二人はため口で話すようになった。呼び捨てで呼び合えるほどになった。
年が近いこともあり、まるで生来の仲の良き友人達であるかのように、二人は語り合った。


多くの事を話した。チョコレートやクッキーと言った甘いお菓子もいっぱい貰った。
お菓子に或る強化魔術に加え、その甘さやアザミの言葉は、その全てが少女を支える力となった。
何時しか、明日なんか来てほしくないと願っていた少女は、またアザミと会える時を待ち望むほどに成長していた。
彼女と会える。そのためだけに、彼女はこの数年間を生きていたといえる。


そうして、5年が過ぎ、少女が11歳になる時に、それは起こった。


「なんでここに呼ばれたかわかってるか?」
「…………わかりません」


少女は、この屋敷を統べる富豪の部屋に直接呼ばれた。
毎夜メイドと会っていることがばれたか、と考えたがすぐにその可能性は否定された。
何故ならアザミと出会う時間帯は決まってこの富豪が寝付く23時以降だと分かっている。
それ故に、彼にバレる可能性は限りなくない。なら何故呼ばれたのか、少女は理解できなかった。


「お前、昔から体弱かっただろ。
隠しても分かるんだよ。気張ってても分かるんだよ。数字で。
お前の担当だけ採掘量低いんだよ。わかってんのか?」
「…………申し訳ございません」
「謝んなくていいんだよ。どうしようもねぇんだから。
役立たずは役立たず。ゴミはゴミだ。それは変わんねぇんだよ」


富豪はそれから延々と、人格や生まれすらも否定するような暴言を投げ続けた。
だが、少女は耐えることが出来た。夜になればまたアザミと出会える。それだけを頼りとして。
暴言の嵐が一通りやみ、富豪は続ける。


「なら、だ。別のところで役立てりゃいいんだよ。
っつーわけでだ。脱げ」
「…………ぇ?」


下卑た笑みを浮かべながら、富豪は笑った。


「お前も最低でも女だろ? なんだ簡単な事じゃねぇか。
力がねぇ女なら下の穴を使えばよかったわけだ。ゴミでも体は女してるわけだしな。
そういうのを欲しがる輩はいくらでもいる。魔術回路はねぇんだし二束三文だろうけど?
それでも未使用のまま売るのはもったいねぇから、俺がまず最初に使ってやるよ。ありがたく思えよ」
「………ぁ、え……?」


にじり寄ってくる富豪を前に、少女は後ずさるように下がるが、
背後には既に壁がありもう逃げることは出来ない。


「拒否はねぇぞ。所詮俺が抱えてるのは全員人権も何もねぇ塵どもだ。
そいつを安く買い取って、高く使えるようにして、そんで用済みになったらおしまいだ。
要は俺がやってるのは慈善事業なんだ。リサイクルなんだよ。感謝しろよお前らみたいなのに存在意義を与えてやってんだから」


ガシッ、と力強く少女の手首が握られる。
せっかく幸せがつかめるかと思ったのに、ここで全部ゴミみたいに踏み躙られるのか。
もう彼女とも会えないのか。そんな不安がよぎった、その時だった。


タァン、と短い音が響いた。


「────────ぇ?」
「………………」


脳漿をぶちまけながら地面に倒れる外道の背後に、一人の少女が立っているのが見えた。
その服装は、この屋敷で給仕を行う人の物で、その表情は、少女が見慣れた無表情で、
そしてその貌は、彼女が毎夜見ていた、美しいもので────


「アザ……ミ…………?」
「────────────。」


怯え切った少女の表情と対比的に、アザミの表情は氷のように冷たかった。
その冷たい表情の少女の手には、黒き金属の塊が握られていた。火薬により金属の弾を放ち、
人の命を1秒も満たずに殺すことのできる、凶器を


「なん、────で……?」
「……………さぁ」


少女が口から絞り出すように発した言葉に対し、
メイドは自分でも何が起きたかわからないかのような、短い言葉を発した。


「自分でも理解できません。
頭より先に、手が動いたと言えますか。
通常ならば……以前の私ならば、貴方など放っておいて、見て見ぬふりをしたでしょう」


ですが、とアザミは続ける。
そのアザミの表情は、口調は、まるで初めて会ったときと同じように、冷たく冷淡な物になっていた。
まるで、今まで毎夜話していた彼女が、何処かへと去っていってしまったかのように。


「……やはり、わかりません。何故、私がこのようなことをしたのか。
申し訳ありません。不快な物をお見せしましたね」
「………ぇ、いえ……ぇ…っと……」


お礼を言いたくても、言うことが出来ずにいた。
目の前で起きた事、先ほど突き付けられた暴言と事実、
そして、今まで毎夜話していた少女が、顔色一つ変えずに人を殺したという事実。
それらの全てが、少女に礼を言わせることなく、ただ怯えることしか許さなかった。


その時、


『おやおや、出迎えがないなと思ったら、死んだのか』


低い男の声が、部屋の入り口から聞こえた。
二人が振り向くと、そこにはニュースでもよく見る顔である、世界的大富豪が立っていた。









「…………」
「……………」


車内は沈黙が支配していた。
屋敷の主たる富豪が倒れてから少し経ち、あの現場に立ち会った二人の少女は、その場を訪れた一人の男と共にリムジンに揺られていた。
男の名前は、グェンフェード・ロックベラー。世界的シェアを誇るイルミナス・ソフトの若きCEOであり、石油業者たるロックベラー一族の現当主である。
そんな彼が何故あの富豪の元を訪れたかは2人は分からない。だが、あの殺人の現場を見られたことだけは確かであった。


「……私を、通報するつもりでしょうか」
「いや? 別に?」


アザミは冷淡な口調で問う。
それに対し、まるで人死になどどうでもいいとでも言いたげにロックベラーは答えた。


「むしろ君たちには礼が言いたいよ。彼が死んだことで、彼の保有霊脈と保有採掘場をまとめて得れる。
いちいち交渉するよりは、彼の保有財産を全て買取り、頭を挿げ替えるほうが効率的だからね」
「では、なぜ私たちは……連行されているのでしょうか?」
「ああ。そのことか。説明が遅れて申し訳ないね」


ニコリ、とロックベラーは柔らかい笑みを作り笑う。
そして、まるで子供の頃の懐かしいものを語るような優しい口調で語り始めた。


「その前に少し、昔話をしよう。私が新兵器の視察で中東の戦場に向かった時の事だが、
その戦場で、一人の男とすれ違うことがあった。…………魔術師殺しという、フリーランスの男だ」


その名前を聞いた瞬間に、ピクリとアザミの眉が動いたが、
少女はその事実に気付かず、男の紡ぐ言葉を引き続き聞いていた。


「彼は魔術師の思考の孔を突くことが非常に上手かった。実際それは世界中で話題に上がっていた。
……だがね、実際に彼を目の当たりにして、彼の凄さはそこではないと私は気づいたんだ。
彼の真に素晴らしいところはね、その思考と行動を切り離せることだ」


ニィ……、と嬉しそうに男は口端を吊り上げて言う。


「私は人を一目見れば、その人間の持つ弱みがわかる。
彼は……まぁ見た時間は短いものだったが、見る限りではその行動に弱み1つなかった。
これは、思考と行動の切り離しに違いない。どれだけ頭では躊躇しても、その直感がやらねばならないと思考したら、必ずそれを果たす。
かといって短絡的か? といえばそうではない。必ずその行動が起こすリスク、後遺、被害を思考し、シミュレートの中で最小の被害となるようにしていた。
彼には、そういった才能があった。一種の高速思考さ。これは後天的には身につかない。至高の才能であると私は考えている」
「その魔術師殺しと、現状の私たちと、いったい何の関係があるのでしょうか?」
「それは君が一番わかっているんじゃないかな?」


変わらずに冷徹な表情のままのアザミに対し、
鋭く指を指して男は喉を鳴らし笑う。


「"君に同じ才能があると見抜いたんだよ私は"。あの状況で迷わず、そこの少女の為に拳銃を抜いたんだろう?
これからの生活は? 罪から逃げるには? そういった思考を全てまとめ上げたうえで、判断し、そして引き金を引いた……。
その証拠に君は、今この瞬間も一切の迷いもなければ動揺もない。分かるんだよ私には。昔からの特技だからね……」


トントン、と側頭部を人差し指でたたきながら男は続ける。
アザミはただ黙って、鉄面皮のままに男の話を聞いていた。


「逃げる道を、これから先の事も、総て判断したうえで君は行動した。魔術師殺しと同じ、感情と行動の切り離しに近い。
今の君に戸惑いはない。あるとすれば、"何故自分はこんな行動をしたのか"くらい。…………違うかな?」


その言葉に、少女は驚いた。
アザミは変わらずに鉄面皮を貫いている。
自分を守るために、彼女は引き金を引いて主を殺したというのか?
地位も、名誉も、稼ぎ口も捨てて、殺人の汚名を被って、そしてその覚悟を全て脳内で済ませたうえで……。


「だとしたら、どうだというのでしょうか?」
「我々の組織はね、君のような頭がよく、行動が早い人材を求めている」


そういって、男はアザミへ優しく手を差し伸べる。


「どうだろうか? 今我らは、組織の本部へ向かっている。
君が我らに協力を約束してくれるというのならば……、そうだな。
君の身の安全と、そして、彼女の安全な生を保障し続けてあげよう」


ちらり、と少女の方を向くロックベラー。
その言葉と共に、アザミの方がわずかに震えるのを少女は見逃さなかった。


「……良いでしょう」
「アザミ!?」


アザミは無表情のままに、二つ返事で承諾した。
そのまま3人を運ぶ黒き鉄の棺は、サンヘドリンと呼ばれる魔術結社の本部へと吸い込まれていった。









それからのことは、少女はよく覚えていない。
覚えていることは、以前よりも格段に生活が向上した事。
もう二度と、辛い仕事はしなくてもよくなったこと。


────そして、二度とアザミとは出会わなくなったこと。


「……アザミ……」


少女は胸が苦しかった。息がつまりそうだった。
彼女は言えなかった。自分を救ってくれたアザミへの、たった一つの御礼の言葉を
それが悲しかった。それが心残りだった。いつかまた会えたのならば、何よりも最初に言いたい言葉だった。
そして謝りたかった。自分のせいで、こんなことになってしまったと。


彼女は何と言うだろうか? 怒るだろうか? 笑うだろうか?
それとも、今までと一切変わらない無表情のままに、淡々と話すのだろうか?
どれだって良い。ただ自分の言葉を、気持ちを、お礼を、謝罪を伝えたい。
それが最後の、少女の思いであった。


「(……いつか御礼言って…謝って……そして……スウェーデンに行こう。
 約束したんだもん……。一緒にスウェーデンに行って、…アザミの花を見るんだって……。
……………スウェーデンは難しいかな……。それじゃあ……アザミの花を一輪……それだけでも持っていきたい……)」


そう、ベッドで微睡み気味に思考していた瞬間に、異変は起きた。


「────ッ!! ゲホッ!! ゲボッ!!」


突如として肺に激痛が走り抜けた。
息を吸うだけで痛い。吐いても痛い。まるで肺を内側から針の筵で突き刺されているかのように。
すぐさまに少女は自分に担当したサンヘドリンの職員に打ち明け、メディカルチェックを受けた。


結果は、肺炎。長きにわたる探鉱作業において、粉塵は彼女の肉体を蝕み続けた。
強化された肉体でも、5年という歳月で体内にたまった粉塵による病状までは防げなかったのだ。
もはや彼女の肺は、現代医療では助からないほどに、ズタボロに引き裂かれていた。


どうにかならないか。私はまだ、あの人に伝えたい事がある。
そう必死で医者に訴えかけたとき、一人の男を少女は紹介された。
"その場所ならば、あるいは助かる可能性がある"と




────────────────
────────────
────────
────




────────────マサチューセッツ州、サンヘドリン第二ロッジ




「やぁやぁやぁ!! 君がアザミちゃんの友達? 待っていたよぉ!」


気味の悪い青年が満面の笑みで少女を出迎えた。
まるでそれは、地面にぶちまけた吐瀉物に混じった血反吐の如く悍ましいオーラを放つ青年だった。
だがしかし、彼しかもう頼れるものは無い。そう感じながら、少女は彼の元を訪れた。


「ああ俺? 気軽に波旬って呼んでくれ!
まぁ早速だけど! 俺は君に誓うよ。君を死なせることは無い。
だってアザミちゃんとの約束だもんね! 彼女がサンヘドリンにいる限りは、君を死なせはしないって!
大丈夫、大船に乗った気で任せてよ! おれは君を絶対に死なせないから!」


ニコニコと微笑みながら、少女の手を引きロッジ内部へと連れて往く波旬。
そういって目の前にあったのは、清潔な手術台だった。


「……これ、は……ゴホッ」
「ああ。君の肉体はもう駄目みたいだからさ。別の物に置き換えようかなって。
とりあえずまぁ、30種類ぐらいの英霊の出来損ないと混ざってもらうよ」


言葉が、理解できなかった。


「別に生きてりゃいいんでしょ? んじゃ何混ぜよっかなー!
ああこれとか良いんじゃない? フォーリナー。マサチューセッツだし適任でしょー!
ああこれもいいかな。いやこれかな? うーん、迷うなぁー」


まるでおもちゃ箱をあさる子供のように、波旬と呼ばれた"ナニカ"はがちゃがちゃとあさる。
その姿が、少女は恐ろしかった。彼は今、なんといった? "置き換える"? "混ざってもらう"?
意味が理解できなかった。


「あぁー、その目、もしかして心配している? 大丈夫大丈夫。
死にはしないから。死ぬ方がよっぽどマシな痛みが全身を駆け抜けたり、自分が自分じゃなくなっちゃうかもしれないけど」


その言葉に、全力で逃げ出そうとしたが遅かった。
手術室の扉は、既に堅牢の如く閉ざされていた。


「心配するなって。サンヘドリンの技術の粋を一身に受けられるんだぜ? 名誉なことじゃないかぁ。
まぁ頑張ってくれ。死ぬことは無いから! 俺は約束を守る男なんだ。君を必ず健康な体にしてみせるよ!!」


「俺は優しいからなぁ!」














それが、人間だった彼女の、最後の記憶であった。