痴人は花畑の夢を見るか?

Last-modified: 2020-02-10 (月) 14:44:33

 
 
 
 
 
 
 

※SS内では残酷・過激な暴力描写がいくつか含まれます。予めご了承の上でお読みください
 
 
 
 
 
 
 
 
暗闇の中に、悲鳴が響く。
嫌だ、逃がしてくれ、助けて、痛い、生きたいと。
声色からして、数名から十数名の大人の男たち。それらが揃って端女のように泣き喚く声が聞こえる。
灯るは蝋燭の明かり数本のみ。その明かりに、血と涙と嗚咽に塗れた汚らしい男たちの顔が映る。
 
『もう許して…許してぐださ────ぁ』
『嫌だァ! 殺さないでぐれ…! もう二度と関わらない!!
 魔術師も辞める! 故郷に帰る! がえるがらぁあああああ!』
「五月蠅いなぁー。最後の一人になったら終わらせるって言ってるのにー」
 
パキ、ぐちゃ、べき────。
それは無邪気な子供の遊技場のような、それでいて凄惨な戦場のような、
二律背反の印象を抱かせる悍ましい音が響き渡り続ける。
 
「あっれー? 今俺何してるんだろー? ねぇ何してると思うー?
 俺が今曲げているのはー、何処の関節で、っしょー、かっと」
『いぎああああああああああああああ!!!!』
 
彼らに共通するのは、ある一つの咎。
サンヘドリンと呼ばれし魔術結社の真実を知ろうと、近づいた者たちだ。
最初こそ覇気と野望に満ちた男たちではあったが、その表情は今や絶望に染まる。
 
バギメギ、ぐちゃ、と、呆気なくナニカがへし折れて潰れてぶち撒けられる音を聞いて、
暗闇を逃げ惑う男たちの声がさらに恐怖と絶望を帯びる。なんで、どうして、こうなった。
後悔と過去の自分への怨嗟だけが脳内を渦巻き続ける。
 
ただ調べただけなのに。
ただ興味を抱いただけなのに。
ただ手を伸ばしただけなのに。
どうして俺たちは、このような目にあっているのだろう。
 
答えは単純。仕組みは明白。理由は明快。
その伸ばした先が、光明の灯火であったからに他ならない。
太陽に近づきすぎたイカロスは、その翼を焼かれ地に失墜するが運命である。
 
同じように、燈篭の真実を知ろうとしたものは、須らく地獄へ堕ちる。
それが彼らの定めだ。それが彼らの掟だ。そうして彼らは何千年間も続いてきた。
それが────彼らサンヘドリンの意志だ。燈篭の灯火を絶やすな。
近付く無礼なる輩は、人ですらないと。
 
「まぁ俺は別に君たちが人間でも人間じゃなくても、どっちでも良いけど────サ」
 
ヒュッ、と。
潰した人間の頭蓋骨から掬い上げた脳味噌を放り投げ、
その脳漿で蝋燭の1本の灯火を消しながら"ソレ"は言う。
 
「肌の上で蛆虫が動いてるとさァ……掃いたくなるじゃん?」
「というわけでまぁー、うん。運が悪かったってことで、俺の為に死んでくれ!」
「だけどここで出血大サービスだ! なんと最後の1人は生かしてあげる! 俺は優しいからね!」
 
まるでそれは、子供のような笑みだった。
初めてテレビゲームを与えられたかのような。
あるいは初めて、動物園へ連れてこられたような。
そんな子供のような、"初めて"を愉しむ、無邪気な笑み。
 
この大燈篭が如き栄光の組織において、ここまで邪悪と無邪気を併せ持つ笑みを浮かべられる存在など1人しかいない。
出自一切不明、何処からともなく幻影の如く出現し、そして瞬く間に頭角を現し、そして現最高統括司令アーベルデルトの後任として、
サンヘドリン第二ロッジ────英霊研究支部の統括として就任した、サンヘドリン史上最も悍ましく、美しき獣。
 
光明名(な)を、第六天魔・波旬。
その外道を隠しもせず、その悪辣を恥じもせず、その下衆を悔いもしない。
邪悪なるや無慙無愧。対面すれば、吐き気を超え死滅願望すら引き起こす邪悪。
彼にとって、サンヘドリンに近づく輩など、最高の"遊具"であった、
 
「出来るだけ、長く遊ばせてくれよ? 俺は気が長いから!」
 
 

 
 
「また随分と……手酷くやられたもんだなぁ、オイ」
 
所変わり、とあるロンドンの大病院の地下、隠されるように配置された一室にて一人の男がぼやく。
背丈は天井に届くかといわんばかりの高さを誇り、横幅もそれに合わせるように隆々と盛り上がる筋肉により広い。
その威容は、見る人が見れば竜を想起させるだろう。そんな大男が、ワンカップをお猪口のように持ちながら、
グビグビと酒をあおり病室のベッドに横たわる男を睨みつける。
 
「まぁやらかした事に比べりゃあ……、んな傷じゃ到底足りねぇがなぁ、オイ」
『相変わらず口が悪いな雲仙。親友たるこの俺の現状を心配はしないのか?』
「心配だァ? 寝言言ってんじゃねぇぞ! お前がそんな現状じゃなけりゃあ1発ぶん殴ってるところだわボゲ!!」
 
バギャア! と雲仙と呼ばれた大男が隣に設置されている机を勢いよく叩き壊す。
ベッドに横たわる男はそれを平然と、まるで当たり前の光景のように見ていた。男は全身に包帯を巻いていた。
上半身、下半身、口、鼻、右目を覗く全身の9割に、包帯やギブス、管、あらゆる医療器具が配置されていると言ってもいい。
まるで生きているのが奇跡とでも言わんばかりに、男の姿はそれはもう無惨極まりないものであった。
 
「最新科学医療技術と最新研究による魔術治療……。
 加えて1瓶でも希少なドルイドの霊薬をリッター単位で投入かよ。
 何も目立った成果を残してねぇ一幹部に、随分と甘やかしてんなぁ? アーベルデルトさんはよぉ」
『まぁ、そのおかげで退屈はせんぞ? こうして疑似的な会話もできるわけだしな』
「なんでそんなお前は元気なんだよ……」
 
ハァ……と雲仙はため息をつく。
この横たわっている男……名を霧六岡という男は、数ヶ月ほど前に聖杯戦争に参加した。
そこまでは良いのだが、あろうことかテンションが上がりすぎて明らかに賛同されない己の願いを暴露。
結果、自分以外の聖杯戦争参加者全員から四面楚歌となり、バッタバッタと3人3サーヴァント殺害を決行し、
結果残ったある魔術組織のリーダーと一騎打ちになり最後は全身をダイナマイトで爆破されるという壮絶な末路を迎えた。
……のだが、こうして生きて残ってしまったので今に至るというわけである。
 
「まぁお前が死にかけたのはどうでもいいんだが」
『一応聞くけど、お前本当に俺の親友か?』
「いや明らかに一魔術組織に喧嘩売った方が大問題だろうが!!
 車輪の砂のトップじゃねぇかザイスティスって!! しかもサンヘドリンの名前まで出しやがっただと!?
 お前の一時のノリで俺たち全員を巻き込むんじゃねぇ!!! 入院期間を倍増させてやろうか!!?」
『ハッハッハ、やったことはしょうがなかろうよ。まぁ飲め飲め、俺のおごりだ』
「そりゃ見舞いの品だからなぁこの酒! 畜生…転職考えようかなぁ」
 
ヤケ酒とばかりに日本酒をあおり続ける雲仙。
こんな彼だが、サンヘドリンの33ある支部の内の8番目を任されているとかなり偉い。
本来サンヘドリンは33ある支部は対等だが、1番目たるマザーロッジとそれに連なる13番目までは、
33ある支部の中でも特別扱いされていることが多い。
 
『転職といっても、貴様は十分地位があるだろう。
 十三導手など、なりたくてなれるモノでもないぞ?』
「地位があってもその組織のお先が暗いなら逃げ出したくもなるわ!」
『まぁまぁ、他の13人のメンバーも楽しい奴らではないか。今を愉しむがいい』
「あ!? お前他人事だと思ってんだろ!? 世界的企業社長にキチガイ女に無口なガキに予言バカにあの波旬だぞ!?
 息が詰まるわ!! 唯一話が通じたダズの野郎は死にやがったしよ!! 黙ってたらあの波旬が絡んでくるしよ!!」
『ん? 楽しくないか波旬との会話は』
「おめーだけだよあんな外道キチガイと話が通じるのは!!」
 
雲仙がここが一応病院であることも忘れて怒鳴り散らす。
彼が属するサンヘドリンの第二ロッジを担当する男こそがその波旬なのだが、
隣に立つだけで胃が裏返るような不快感を催すという理由から、好んで会話するのはこの霧六岡以外にサンヘドリンにいない。
なぜそこまで嫌われているのか? とベッドに横たわりながら霧六岡は首を傾げて疑問に思っていた。
 
 

 
 
「ん? あれ? 君もう1人?」
『あ……ぁ、ああ……?』
 
蝋燭を血で消しながら、明かり一つ無くなった暗闇を波旬が見渡しながら問う。
彼は現在、最近ではめったにできなかった"遊び"をしていた。とは言っても、隠れてはよくやっているのだが。
それでも直属の上司の許しを得て、勤務時間中にやれる遊びというのは珍しい。だから彼も興が乗っていた。
 
内容は極めてシンプル。かつ明快。
遊び相手と一緒の部屋に入って、波旬が100秒待つ。
部屋には窓はなく、出入り口は天井に1つだけ。他にある物は、剣、槍、銃…めぼしい武器が一通り。
それと、魔力を込められた蝋燭が、波旬を除く遊び相手の数から1つ引いた数分だけ。これは波旬以外消せない魔力の炎が灯る。
その焔を、波旬が遊び相手と"遊ぶ"ごとに1本消す。全て消えたら、生き残った最後の1人に、彼がご褒美をあげるというものだ。
つまり、今波旬と同じ部屋にへたり込み、顔を嗚咽でみっともなく汚し、地面に汚物をまき散らしている男は、その権利を得たという事だ。
 
「おめでとう! 君は偉い! 最後まで残ってくれて、俺は嬉しいよ!」
『え……? ぇ、あ? え!?』
 
何が起きたかわからない。ただ必死で、自分がどこを走っているかもわからないまま逃げ続けた。
そんな彼にとって、何も見えない暗闇で響く突然の称賛と拍手は、其れこそ何が起きたのかわからない事態であった。
 
「わからない? 君は生き残ったんだ。最初に約束したよね?
 最後まで生き残ったら、生かしてあげるって。良かったねぇ、君は生きれるよ!
 さっきまで死にたくないよ~、逃げたいよ~、って叫んでた甲斐があったね!」
『お……俺は……俺、が……?』
 
パッ、と明かりが突如として部屋を照らす。
突然の明かりに目を細めた男だったが、その細めた目に映ったのは凄惨極まりない光景だった。
 
さっきまで彼の仲間だったモノが、あたり一面に散らばっていた。
頭部が、心の臓腑が、引き抜かれた背骨と脊髄が、千切れた手足が、まるでゴミのように広がっていた。
そして目の前には、その返り血と脳漿を全身に浴びて、満面の笑みで拍手をしている男が立っていた。
 
『俺ばぁ……ヴォエエ……!! …ぇ…っ!!』
 
男は嘔吐した。自分が助かった、という安堵感を目の前の光景が超えてきた。
余りにも救いがないその現実離れした光景を前に、彼はただ胃袋の中身を地面にぶち撒け続けるしかなかった。
もう出す水分もないはずなのに、それでも彼は吐かずにはいられなかった。
 
「おおよしよし、怖かったねぇ。もう大丈夫だよ」
 
ぽん、と血みどろの男が肩を優しくたたく。
ビクリと肩を震わせる男に対し、"ソレ"は優しく耳元で語りかけるように言った。
 
「大丈夫。君は生きていけるから。君はもう安心だ」
   ・・・・・・・
「もう死ぬことは無いんだから」
 
ぐちゃぁ、と、"ソレ"は嗤った。
それを最後に、男は意識を失いたかった。だが、其れすらも男には許されなかった。
 
 

 
 
『まぁアイツも我らがサンヘドリンの一員なのだ。仲良くするに越したことは無い』
「したくねぇというか出来る気がしねぇけどな……。あいつが英霊肯定派なのが唯一の救いだわ」
『ああ、あいつ肯定派だったのか……。あまりアピールせんから忘れていたよ』
 
彼らが話す肯定派とは、サンヘドリンが持つ1つの命題に関する話である。
彼らサンヘドリンは、その組織トップである最高統括司令と呼ばれる役職が代変わりする毎に、
ある1つの命題を定め、それに対して肯定か否定かで、第一を除く32ある支部を分けるという変わった取り決めがある。
 
彼らは『人類の発展による霊長としての栄光保持』が組織の主題であり、そのために最も必要なのは切磋琢磨であるとした。
そのために彼らは、善悪二元を謡うゾロアスターの神話の如く、彼らは1つの命題を周期ごとに変え肯定否定に分かれ争う事で、
各支部固有の研究に加えて時流に合わせた風を取り込みつつ、切磋琢磨を起こさんと定めたのだ。
その命題の名を、『二元命題(デュアリティオーダー)』という。今代のその二元命題こそが、
昨今世界中で増えた聖杯戦争により召喚される、"英霊"であるという話である。
 
「肯定とは名ばかりだが…な。あの薄汚えぇ腹ん中じゃあどう英霊を利用するか考えてんだろ!! 胸糞悪ぃ!!」
『まぁ基本肯定派は英霊利用の資本主義者共が多いからなぁ……。かと言って否定派は団結できるかといわれればそうでもない』
「ロックベラーの奴はただ聖杯戦争潰したいだけだからなアイツ……。めんどくせぇわホント」
『まぁ利用肯定派はその最右翼が1人死んだのだわけだが、さてどうなることやらな』
 
ハッ、と笑う霧六岡。その姿はとても重傷患者には見えない。
彼が言う、英霊利用の最右翼とは、数か月前の聖杯戦争で死したサンヘドリン幹部の事を言う。
英霊を資源として活用する手を模索していたが、その英霊を使う聖杯戦争の中で死亡した。
だがただでは死なず、彼が独自で調べたサンヘドリンの真実を外に流出させたうえで、死亡したという経緯がある。
 
「ま、すぐ後釜が埋まるだろうよ。ダズの空き枠みてぇにな」
『あの最右翼の後釜が俺たちと同じ英霊否定派なれば笑えるなぁ!!
 我らサンヘドリンの否定派と肯定派の美しき均衡が崩れるではないか!!』
「あ? お前知らんのか? 基本二元命題の肯定と否定は均一に保たれるんだぞ?」
『そうなのか?』
「ああ、片方が多くなりすぎたりした場合はアーベルデルト司令がロッジの統括に声かけて、
 うちの下の方で研究しねーかって勧誘するんだよ。そしたらそいつは第一の支部員となる」
『あの人類最高峰の研究設備といわれる第一でか!? なるほどそれは破格の条件……。だが何故そこまでして均衡を保つ?』
「さぁな。33に支部が別れて以来ずっと続けられてきた事らしい。"善悪の比率は可能な限り同数が望ましい"とさ。
 ま、俺もアーベルデルト司令に勧誘されて初めて知った裏事情だがな。断ったけど」
『何故!?』
「俺は自由な方が良いんだよ。ダナンも住み心地良いしな。まぁ研究は好きにさせてくれるとは言ってるし、
 なんなら支部員全員纏めて移住させても良いぞといわれてるが……ほら…第一ロッジってイギリスだろ?」
『ああ』
「飯がよぉ……ほら…」
『ハハ、言われてみれば確かにそうだ。アザミがいなくなった今目も当てられんな!』
「まったくだ。ハァー……、俺も転職しようかねぇー…」
 
ゲェフ、と酒臭い息が部屋中に広がる。
横たわる重傷患者と、酒に酔った大男のとりとめもない会話は、
そのまま面会終了時間が訪れるまで続いていた。
 
 

 
 
『HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!!』
 
薄暗い明りが灯るだけの部屋に、けたたましい笑い声が高らかに響く。
愉快で、痛快で、聞いているだけで踊りたくなるような、そんな笑い声が。
そんな雰囲気がちぐはぐな部屋に、ノックの音がこだまする。
 
「邪魔するよ。精が出るね相変わらず」
「おやおや、アーベルデルトさん。おひさしぶりー」
「ん? 笑い声が響くから君かと思ったが……違ったか」
 
扉を潜ったのは、壮年の男性だった。彼の名は、アーベルデルト・ヴァイスハウプト。
サンヘドリンという巨大魔術結社のトップを務める、元時計塔伝承科の魔術師である。
人間の努力と、その努力が生み出す成果をこよなく愛するという、人類の発展を重んじるサンヘドリンらしい魔術師。
だがそれ故に、努力しない人間や何も生み出せない過程には意味がないというほど苛烈な結果主義の人間である。
 
そんな高い権力を持つ魔術師が訪れたのは、サンヘドリンの第二ロッジ。
マサチューセッツにあり、その研究内容はサーヴァントや英霊召喚に関する事象全般である。
その第二ロッジの統括が居座る部屋で、彼は第二ロッジ統括である波旬が座る椅子に目をやった。
 
「ああ、良いでしょう? この椅子。
 さっき作ってみたんですよ。俺こういう加工得意ですから!」
 
波旬は笑いながら自分の座る椅子を撫でる。
それはまるで生きているかのような肌の質感があり、それはまるで生きているかのように脈を打ち、
それはまるで生きているかのように呼吸をしており────
 
『HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!!!』
 
それは比喩ではなく、生きた人間そのものであった。
手足は在り得ぬ方向に捻じ曲がり、広がり、固定され、もはや人間と思えないような、
あえて言葉を選ぶのならば、キュビズム絵画のような捻じ狂いのままに固定されている。
そんな中、椅子で言うなら背もたれというべき場所に縫い付けられた顔のようなパーツが、
高らかに笑い声を上げながら涙を流し続けていた。
 
「死にたくないって言うからさ、二度と死ねない身体にしてあげたんだ! まぁその後に何もしないとは言ってないし?
 置いとく場所も無いから、じゃあせっかくだし家具にしようって! 加工中痛い痛いって五月蠅いから笑う以外出来なくしたんだけど、
 これが大当たり! 生活に笑顔があるだけでこっちも楽しくなっちゃうね!」
「少しは言葉使いを弁えろ…表向きとは言え、お前と私は上下関係に或る」
「まぁ良いじゃないですか、一応は敬語使ってるんだから……それより、
 わざわざマサチューセッツまで来たって事は、何か用なんでしょ?」
『HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!!!』
 
波旬がにやつきながら、アーベルデルトの顔を覗き込む。
ああ、と短く返事を返し、アーベルデルトは本題へと話題を移す。
 
「"ジューダス"の件は知っているな?」
「まぁ、そりゃ当然。俺と霧六岡君と、あと趙くんぐらいかな知ってるの」
「その調整・研究が終了した。なので君には、彼の"監視役"を頼みたいのだ」
『HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!!!』
「えー…………? めんどくさぁ……。ってか、要るんですか? 監視役?」
「当然だ。彼に自意識はない。奪ったという方が正しいが、どちらにせよ彼はある種の"無防備"だ。
 だから、彼が時計塔や彷徨海などに渡るその前に、彼を回収する役割が必要なのだ」
『HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!!!』
「えー? でも俺以外に適任とか……、あ、霧六岡くんは重傷だったかぁ」
「そうだ。だからこそ君に頼みたい」
「でもー」
『HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA────────』
「ああもう五月蠅いな! 黙っててくんない!?」
 
べしゃ、と波旬が己を座っていた椅子の背もたれを軽くたたく。
その瞬間、彼が座っていた椅子の半分が夥しい数の肉片へと分かれて部屋中の床に飛び散った。
 
「うわ! やっちゃった~…! まぁた力加減忘れてた!
 これやっちゃうと次の日この身体壊れちゃうから困るんだよなぁ!」
「…………それで、やってくれるだろうか?」
「ああ? ああ、うん。良いよ! 玩具壊れちゃったし」
『HA……H……HA……』
 
床に散らばった破片の内、頭部だったモノがまだ笑い声をあげている。
波旬がかけた魔術により、それはまだ死ねていない。おそらくそれは未来永劫滅びることは出来ないだろう。
そんな自分がかけた魔術を想いながら床に散らばった肉片を嘲笑し、踏みつぶしながら波旬は言う。
 
「いやぁ~……ホント、彼らも馬鹿だよねぇ、アーベルデルトさん? 見てよこれ!
 ちょっと流れてきたヒントを基に欲を出した結果がこのざまだよ」
 
床に散らばった肉片の中から、脳みそがへばりついた頭蓋の破片と千切れた心臓を拾い、
まるで童女がお手玉をするかのようにその手で弄りまわす波旬。無邪気な笑顔に、脳漿と血が飛び散り付着する。
 
「馬鹿だよねぇ人間って……。俺たちサンヘドリンの最奥を覗けるはずがないのに……。
 光明名の力の源? そんなもの……君たちみたいな劣等が簡単に届くわけないだろうに、さ」
「光明名の神秘は巧みに秘されている。だが、それでも指をかけるまでには至った。
 其れは素直に、称賛するべき事実だと考えるよ、私は」
「えー?」
 
びちゃぁ、と地面に千切れた心臓を投げつけながら、不満そうに波旬は言う。
心臓の破片は、まるで凄まじい速度で叩きつけられたかのように潰れ、床の染みとなる。
 
「なに? まさか本当に俺たちとこいつらが同レベルって言いたいんです?」
「そうではない。郷に入っては郷に従えと言葉がある。つまり、此処に我らが立つには、
 此処の法則……基盤に従うほか無いという事だ。時が来るまではな」
「それでー?」
「彼らも木っ端とはいえ魔術師だ。既存体系に関しては、我らより智慧が深いだろう。
 そこに少しでも道標を与えられれば、後は既存法則の組み合わせを紐解くだけだ。
 故に、光明名がどういった意味を持つか、悟るのも時間の問題……なのだろう」
「納得いかないねぇー。なんでそんな七面倒な手順を? 手っ取り早くこんな奴ら殺せばいいんじゃ?」
「それでは彼らを超えたことにならない」
 
カツ、カツ、カツ、と歩みながらアーデルベルトは静かに言葉を紡ぐ。
そして床に転がった、脳のこびりついた頭蓋の破片を、勢いよく踏み砕きながら笑った。
 
「彼らの土俵上で、彼らの全力を受け、彼らの全霊を見定めたうえで、彼らを殺す。
 完膚なきまでに我らが彼らの上であるとする。其れこそが────我らが復讐だ」
「その為の第一ロッジ…………。人類14000年間の栄光の集大成の箱舟……ですか。
 まぁ俺としてはどうでもいいんですけどね、復讐なんて」
 
サンヘドリン第一(マザー)ロッジ。人類の魔術の最奥と科学の最先端が融合された、超巨大複合研究施設。
そこに至ることはサンヘドリン幹部たちの憧憬であり、そこではあらゆる研究の素材が手に入る。主な目的は、
サンヘドリンが掲げる栄光の保持と同じく、今までサンヘドリンが研究してきた術式・科学技術・発明・物理法則・素材・触媒、
それらありとあらゆるものをより良く発展させ、いずれ築かれるであろう『世界統一政府』の1欠片となるべく発展させ続ける事。
まさしくサンヘドリンという名の大燈篭の骨子。人類が持ちうる全技術の箱舟と言っても過言ではないだろう。
────だが、そんな人類の栄光などどうでもいいと言いたげに、けたけたと波旬は笑いながら言葉を続ける。
 
「ただ俺は、こいつら劣等が俺らよりでかい顔してるのが気に食わないだけで、
 そのために貴方に従っているだけだから! あ、創ってくれたのは感謝してますけどね!」
「まぁそれで良いよ。君にも随分と手伝ってもらったしね。サンヘドリンの"輪廻"に」
「あー、あれー? あれ、本当に要るんですかぁ?」
「ああ、要るさ」
 
アーベルデルトは椅子にゆっくりと腰掛けなおし、葉巻を加えながら語り始める。
波旬はと言うと、まるで長話に飽きた子供のように床に散らばる肉片で手遊びをしながら聞く。
 
「二元命題を掲げ、善悪二元の如く対立を深める……。それこそが、我らが真の境地に至るための道程……。
 人は対立すべき存在がいるが故に、強くなる。だからこそ我々は、此処にいれると言ってもいいのだがね」
「対立すべき存在、ねぇ? それが例え予期せぬ抗争でも? 例えば、えーっと…あのなんか知らない獣どもとか」
「"狼"か。彼らは所詮人から外れた獣だ。力はあるがそれだけだ。其れよりも…霧六岡くんが運んできた───」
「車輪の……なんかだっけ。あいつら強いの? よくわかんないけど」
「力を持たぬ"人間"だからこそ、恐ろしいモノを持つときがある。
 人の持つ爆発力ほど、輝く光は無いのだから」
「そんなもんですかぁー」
 
心底めんどくさいとばかりに手をひらひらさせながら波旬は部屋の出入り口に向かう。
 
「んじゃあ、面倒ですが監視役、任されましょーっと。日本で良いんでしたっけ?」
「ああ、宜しく頼むよ」
「あいあいさー」
 
そう言いながら、扉を開けて外に出る波旬。
そして扉が閉まる直前に、一言。
 
「ああ、あの堕天使は全部俺が好きにして良いんですね?」
「────好きにしろ」
 
アーベルデルトは笑いながら肯定した。
扉は閉ざされ、後にはただ静寂の漆黒だけが残されていた。