胡蝶は月下に飛翔する

Last-modified: 2020-02-10 (月) 14:43:51

 
 
 
 
『……今、なんつった?』
「え、えーっと…前あったおじちゃんが、これなら売れるよって……」
『そこじゃない! その後だ!』
「ええ…! えーっと…さんへど、リン? について書いてある」
『それだ! 見せてみろ!』
 
パラリ パラ… パラ…
 
『チッ、日本語か…! 暗号化されているのか? 読みにくいなこいつぁ!
 だが……、光、明名……の…仕組み…? 僅かに…読める…!』
 
パタン
 
『これをどこで?』
「えぇっと……前に行った…聖杯戦争で……」
『(聖杯戦争…………なるほど確かにそれなら奴らが介入していても仕方ねぇ…
 仲間割れか、あるいは餌か…なんでもいい。これを利用できるんなら儲けもんだ)』
「どうしたの?」
『よし!! こいつも買うぜ! いくらだ!?』
「えー? えっと、そうだなー……100000ドル!」
『そんなはした金で良いのか!!? 即決だ買ったァ!!』
「なーんて、貰ったものだしそこまでいかなくても良…えええ!!?」
 
 
『暗号化されていようが関係ねぇ…筆跡に残った思念を解読させてもらう。
 これでサンヘドリンの心臓は握ったも同然だ……精々利用させてもらうぜ……!!』
 
 

 
 
────サンヘドリン・グランドロッジ 中央会議室
 
「三木島君が死んでから、もう2週間は経つね。寂しくない? 同じ経営者として、さ」
 
薄暗い会議室に、ねっとりとした粘度の高い気味の悪い声が響く。
その声にこたえるように、薄暗がりにぼんやりと灯っているモニターから声が返る。
 
『いやちっとも。死んだという事はそれまでだった、という事だからね』
「ハハハ!! 死んだ後の準備すらしている貴様が言うと説得力が違うなロックベラー!」
 
呵々、と暗闇に大笑が反響した。
世界各国の軍服が入り混じったかのような奇怪な服装の男であった。
そしてその隣に座る、サングラスをかけた髭の初老の男は、対照的に静かに語り始める。
 
「死んだことは問題ではありません。問題は、死んだ際の状況です」
「む? 死ねばそれまでではないのか? サンヘドリン式の埋葬でもするつもりか」
「ああそっか、霧六岡くんは知らなかったっけ?」
 
ニタニタと嗤いながら、先ほどの不気味な声を響かせた男、波旬が続ける。
 
「聖杯戦争ってさ、願いを叶えられるじゃないか。サンヘドリンは聖杯を集めてリソースにしたいけど、
ちょっと間違えると即座に裏切られる諸刃の剣じゃない? だからさ、聖杯戦争に参加するサンヘドリンのメンバーは、
その総てに例外なく監視者(ウォッチャー)がつくんだよ。知らなかったでしょ?」
「知らん。というか参加した当人である俺ですらも知らなかったぞ!!?」
「そりゃ参加する当人が知ってたら意味ないし…」
『それに君は、すぐに他者へ語りかねないからね』
「参ったな、ぐうの音も出んわ」
 
ハッ、と自嘲する男をよそに、波旬はふぅむと1つ唸って顎を撫でる。
 
『それで問題は、ミスター三木島が死んだ際の状況だ』
「んまぁー、俺も見てたけどサ、死んだ直前…あれでしょ?
三木島君のあの…なんだっけ、フォールアウトなんとか。
あれで全ドローン電波障害でしょー?」
「ええ」
「……すっごく、妖しいよねぇ」
 
ニタァ、と波旬が口端を吊り上げて不気味に嗤う。
対面に座るサングラスの男性、趙 俊照(チョウ・ジェンシィ)が続ける。
 
「波旬さんの懸念は私も同感です。あの魔術を使わざるを得なかった戦闘だったのは認めます。
ですが魔力を過剰に込めていた形跡が見受けられます。……おそらく本当の目的は、監視の遮断と推測。
私はここから、彼は自身の死に際に何らかの工作を働いたと推測します」
『死の偽装工作かな? それとも、何者かに情報を渡した……とか』
「前者は死体を回収の後、科学・魔術双方による検死の結果本人と分かっているため可能性は低いでしょう。
ですが後者ならば……可能性は非常に高い。彼は随分と、"熱心"だったようですからね」
『だからこそ、君は彼を警戒していたね、波旬』
「え~? そうだったかなぁ?」
 
煙に巻くように、浮足立つような口調で波旬は笑う。
とにかく、と一旦趙が話を区切り、そして続ける。
 
「長くなりましたが、結論を申しますと、このような経緯から
故・三木島が何らかの手段でサンヘドリン内部の機密を外部へ伝えたことを考慮し、その対策を練りたく此度は緊急の会議を開きました。
ロックベラー氏には、情報の監査網を敷いていただきたく思います。範囲はアメリカ・ロンドン・日本の三ヶ国を中心に」
『良いよ。君たちには世話になっているからね。それくらいなら"お安い"御用さ』
「ありがとうございます」
 
モニターに向かい、趙が頭を下げる。
 
『だが、動くのはこちらだけではないだろう? 元々こういうのは、君の専門だ』
「もちろんでございますとも。"猟犬"を動かします。念を入れ、"群青"に加え"白銀"の2部隊を」
「ひゃあ、随分力入れてるじゃない。もしかして、追い抜かれた事根に持ってる?」
 
ヒュウ、と茶化すように波旬が口笛を吹く。
それに対して趙はただただ、冷静に言葉を続ける。
 
「必要に応じた数ですよ。何せ時計塔に根を張らせるのですから」
「まぁ最悪になれば"漆黒"を動かすからな趙は。まだ序の口というところであろう。
魔術の総本山を相手取るとなれば慎重を期すというもの、うむ重畳(ぐろぉりあす)! 正しい判断だ」
「そっ、なら俺は何も言わないや」
「いえ…相手取るわけではないのですが……」
『話は終わりかな? なら私は切るよ』
「ええ、ありがとうございました」
 
そう言って、モニターはブツリと映像が途切れ、ただ暗闇だけを映していた。
沈黙したモニターに代わり、珍妙な服装の喧しい男、霧六岡が今度はしゃべりだす。
 
「まぁ、奴が死んだことが大事になっていることは分かった。しかしだ。
何故俺が此処に呼ばれた? 俺は波旬や趙ほど陰謀策略には弱いタチだぞ?」
「それはね、まぁここにいる人たちじゃないとできないお話さ」
 
そう波旬が言うと、趙が隣に置いていたアタッシュケースから何かを取り出す。
それは凄まじく年季の入った、ボロボロの本のように見えた。
 
「────の原典だよ」
 
それは、霧六岡も聞いたことのある名前だった。
 
「ああ、知っている。よぅく知っているぞそれは。
かつて青き若輩だった身の頃、授業で習った名であったな、それは」
「あれ? これ授業でやるものなの? へぇー、珍しい」
「波旬、貴様も日本出身であろう」
「悪い悪い! 俺人間じゃないからさ!」
 
ケタケタと嗤いながらふざけた口調で波旬は答える。
閑話休題、談話を区切って趙と波旬は本題へ移る。
 
「まぁ本題に入ると、だね。……これを触媒にした、"ジューダス"の研究が最終段階に移った」
「────────それはそれは、また随分な機密事項の名前が出てきたな」
 
呵々、と笑い霧六岡が口端を上げる。
まるで、我慢ならぬとでも言いたいかのように
 
「浮上は? 浮上さえすれば、33ロッジは完成であろう?」
「最終段階だからこそ、まず潜航がまだなのさ。そこでだ」
 
君だよ、と波旬は続け、霧六岡のほうを指さす。
 
「君の共感魔術を通じて、この触媒から召喚される英霊とジューダスを繋げてほしい」
「……ああ、なるほど。厭離穢土(いんへるの)を使えと? 理解したよ。
だが俺は33ロッジの管轄外だぞ? 確かにジューダスの研究先は日本ではあるが」
「いいんだよ! 俺から話は通してあるし!」
「具体的な手法は考えているのか?」
「優勝すれば聖杯を使えばいいし、優勝しなくても、この触媒から呼び出されるであろう英霊なら、
座に還るついでにジューダスを牽引することができるだろうしね」
「正直、私は"あの"英霊が呼びだされるとはまだ信じがたいのですがね」
「良いだろう!」
 
そう言って、霧六岡は手渡された触媒を手に取りガタリと席を立つ。
 
「どのような英霊かは知らんがまぁ呼べば仲良くできるだろう!
それよりも、英霊と人の精神を繋げるとなると少し大掛かりな準備が必要になるだろう。
そのためにも、俺はこれで発たせてもらおうか。触媒、感謝する!!」
「うん! 日本で良い聖杯戦争開催の兆しがあったら教えるよ!」
「ありがたい。ではその前に、腹ごしらえとするか!」
 
そう言って霧六岡は、意気揚々と会議室を後にした。
彼が向かったのは、サンヘドリン本部の食堂であった。
おそらくはいつものように、勝負の前の腹ごしらえと行くのだろう。
 
「しかし、本当に呼べるのですかね」
「大丈夫大丈夫」
 
波旬はニタニタと笑いながら、頬杖をついて笑顔で語る。
 
「きっと彼なら召喚できる。だって、とても"アレ"と気が合うだろうしね」
 
波旬はまるで、その英霊を見てきたかのような語り口調であった。
 
 

 
 
────サンヘドリン・グランドロッジ 食堂
 
「さて、ここはイギリスながら美味いものが多い。何を食って帰ろうか……」
「久しぶりですね、霧六岡さん」
 
メニューを眺めながら行きがけの駄賃代わりの食事を何にするか迷っている霧六岡の耳に、
聞き覚えのある澄んだ声が響いた。振り返るとそこには、霧六岡と同じサンヘドリンの幹部の1人、
アザミと名乗っている少女が立っていた。
 
「おおアザミか! 久しいな、マサチューセッツの際にここに来た以来だろうか!」
「………………ええ、そうですね」
「此度は俺が参加者として聖杯戦争に出向くことと相成った!
そこでだ、何か景気づけの意も兼ねて美味いものを食いたいとなったが、
何かオススメはないか!?」
 
そう笑顔で問う霧六岡に、アザミは手に持っていたバケットを差し出す。
 
「そう言うと思いまして、到着の報を聞いてから作りましたよ」
 
中には暖かいままの極上のガーリックトーストが所狭しと詰められていた。
横には肉や魚を揚げたものに、各種調味料と野菜が詰め込まれており、それ1つで1食を済ませられるものとなっている。
 
「本場フランスパンを用いた物か! いや良き哉(ぐろぉりあす)良き哉(ぐろぉりあす)!
副菜も実に俺好み! どれ一口…………良い、実に良い! はれるや!! 俺好みの味付けだ!」
「霧六岡さん」
 
食堂中に楽しそうに笑い声を響かせる霧六岡に対し、
アザミは静かに、ただ静かに、そしてどこか、後悔を感じるような声で一言呟いた。
 
「さようなら」
「────────それは、俺が次の聖杯戦争で死ぬ、とでも言いたいのか?」
「………………………………」
「いや違うな。貴様はそういう事ははっきり言うタイプだ。
となると? つまり? ふぅむ、なるほど! そういう事か」
 
呵々大笑とばかりに、霧六岡はガーリックトーストを口に次々運びながらうんうんと頷く。
対してアザミはと言うと、冷徹な仮面の如き無表情を貫き続けるのみである。
 
「行くのか」
「ええ。此処は、私の居場所じゃない。………止めますか?」
「止めんよ、俺は。俺はその人間が心から決めた行為は止めはしない。
それが俺の道を阻むというのならば止めるが。今の段階では貴様は俺の邪魔にはならんからな」
 
フッ、と霧六岡は静かに笑い、大口を開けてトーストを喰らう。
彼はわずかなやり取りから、目の前のアザミがサンヘドリンを去るという事に気付いたのだ。
それも、通常の手順を踏んで辞めるのではなく、情報を持って、逃げるように辞めるという事に。
 
通常サンヘドリンの幹部、統括と呼ばれる存在が生きたまま辞任することは原則不可能である。
例外としては、統括並びにサンヘドリンであったことの記憶を、アーベルデルト最高統括によって消去され、
一般人として世界に戻る事。あるいは後任を見つけ、次代に全てを託したうえでサンヘドリンの一会員へと戻る事の2つのみ。
どちらも二度とサンヘドリン幹部へと戻れない、即ち"サンヘドリンの築く新たなる世界に居場所はない"という意味から、
何時からか"死亡"と暗に語られるようになった。
 
死亡か、今まで積み上げてきたものの死か、全てを継がせるかの3択。
その中に当然、"生きたまま"外部へ移ることは在り得ない。その選択の先にあるのは、
死よりも悍ましき未来に他ならない。
 
アザミとて、サンヘドリンの幹部としては長く続けていた1人である。
それは重々承知の上であっただろう。しかし、それでもなお、その道を選んだ。
霧六岡はそのアザミの信念を感じ取ったのだ。
 
「貴様の作った台湾まぜそば……美味かったが、食えなくなるのは残念だな」
「もし再開することがあれば、また作ってあげますよ」
「言ったな」
 
ニィ、と口端を吊り上げる霧六岡。
 
「なら必ず生きろ。善に立つ者として命令だ。
全てが終わった後、かならず生きて、俺に極上の台湾まぜそばを食わせろ。
糸唐辛子とにんにくマシマシ、トッピングでトロ肉ととろけるチーズ、麺量450gで頼むぞ」
「覚えておきましょう」
 
普段は鉄面皮もかくやというほどに表情を変えぬアザミであったが、
霧六岡のその言葉を聞いてニコリと、僅かに口端を挙げて微笑んだ。
彼なりの、激励の言葉と受け取ったのだろうか。
 
「なら俺は、腹を空かせるために聖杯戦争に往くとしよう」
「お気をつけて」
「貴様もな」
 
そう言いあい、互いに背を向け合って、二人はサンヘドリンの食堂を後にした。