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Last-modified: 2011-06-07 (火) 22:58:29

132 :イドゥンとアルムと二人の思い出:2008/12/21(日) 09:54:54 ID:czVeEH8r
  ~バレンシア地区、ラムの村近くの畑~

 今は真夏の炎天下、麦藁帽子をかぶって首に手拭いを巻き、軍手を履いたアルムが畑仕事に精を出していた。

アルム  「……っと、これで今日の草むしりも終わり。ひとやすみ……ん?」

 ふっと地面に大きな影が落ちたので、アルムは空を見上げる。すると、ずっと上の方に、ゆっくりと飛んでいく大きな黒い竜が。

アルム  「あれは確か……イドゥンさーん!」

 「みんなあつまれ!」のときと同じぐらい大きな声で呼びかけてみる。竜は空中で静止し、悠然とはばたきながらゆっくりと降りてくる。
 竜が降りてくるに従ってその力強い羽ばたきが風を巻き起こし、アルムは麦藁帽子と手拭いを手で押さえなければならなかったほどだ。
 地上に降りてきた竜の体が神秘的な光に包まれ、一瞬後、そこに見知った女性が立っていた。

アルム  「ああ、やっぱりイドゥンさんだった。こんにちは」
イドゥン 「こんにちは、アルムさん」

 いつも通りの無表情ながらも、丁寧にお辞儀をしてくれる。アルムも頭を下げて、それから首をかしげた。

アルム  「どうしたんですか。こんなところまで飛んでくるなんて、珍しいですね」
イドゥン 「少し、探し物をしていて」
アルム  「何を探していたんです?」
イドゥン 「おいしい野菜を」

 これはどうやら自分でも相談に乗れそうだ、と悟ったアルムは、イドゥンを誘って近くの大樹の下に腰を下ろした。

イドゥン 「……わたしには小さな妹が三人いるのですが」
アルム  「ミルラとチキとファですか」
イドゥン  「ええ。あの子たち、最近お肉しか食べてくれないんです。野菜は美味しくないから、と。
       偏食はいけないと思ってわたしもユリアもあれこれと工夫しているのですが……」

 小さくため息をつく。相変わらず表情の変化も声の起伏も乏しいが、彼女が妹たちのことを心底から心がけていることはよく分かる。

アルム  (偏食、か。どこの家でも事情は似たようなものなんだな)

 肉ばかり食いたがってエリンシアに叱られている兄たちの姿を思い出して、アルムは少し苦笑する。
 それから、胸を叩いて請け負った。

アルム  「そういうことなら任せてくださいよ。ちょうど今日収穫の野菜があるので、持ってきます」
イドゥン 「でも」
アルム  「遠慮しなくてもいいですよ。僕としても、野菜嫌いの子がいると聞いたら黙ってられませんからね。じゃ、ちょっと待っててください」

 アルムは畑に取って返して、今日収穫したものの中でも特に出来がいいと見た野菜を、小さな籠に入れて戻ってきた。

アルム  「お待たせしまし……どうしたんですか?」

 イドゥンが大樹の幹のある箇所をじっと見つめていた。近づいてみると、そこには

アルム  「ああ、まだ残ってたんだ、これ」

 アルムは苦笑する。そこには、「アルム セリカ」と、相合傘の下に拙い文字で名前が刻まれていた。

133 :イドゥンとアルムと二人の思い出:2008/12/21(日) 09:55:23 ID:czVeEH8r
イドゥン 「これは?」
アルム  「ずーっと昔にセリカと二人で彫ったものですよ。
       ……この頃はシグルド兄さんも『二人は仲良しさんだな』なんて笑ってくれてたんだけどなあ」

 今は手をつないだだけでもティルフィングが飛んでくる有様である。本当に、どうにかならないものかと思う。

アルム  「懐かしいな。昔はよくここで遊んだんですよ。木登りしたり、木の周りをぐるぐる回って追いかけっこしたり」
イドゥン 「素敵な思い出」

 木漏れ日の下で、イドゥンが優しく眼を細める。

イドゥン 「もしご迷惑でなければ、今度妹たちと一緒にここで遊んでも構いませんか?」
アルム  「ええもちろん。いつでも大歓迎ですよ」

 アルムは笑いながら、持ってきた野菜の籠を差し出した。

 バレンシア地区でアルムとあったその日の夜、イドゥンは部屋で机に向かっていた。
 彼からもらった野菜で作った数々の料理は、妹たちだけでなく弟たち、さらに祖父や叔父たちにも大絶賛された。
 自分が作ったものを美味しく食べてもらえるのは、実に嬉しいものである。

イドゥン (これならあの子たちの偏食も直るかもしれない。アルムさんにはいくらお礼を言っても言い足りないぐらいだわ)

 そこで、今日作った料理のおすそ分けと一緒に届けるべく、お礼の手紙をしたためているのであった。
 ほとんど初めての遠出だったが、バレンシアは予想以上にいいところだった。
 今度家族みんなでピクニックに行ってみようか、と思う。
 あんな穏やかな場所ならユリウスとユリアも仲良く過ごせるだろうし、ナギもいつもより気持ちよく熟睡できるだろう。
 弟や妹たちがあの大樹の下ではしゃぐ姿を想像して、イドゥンは一人微笑む。

イドゥン (お礼……何を書いたらいいのかしら)

 少し考える。普通に「ありがとうございました」などでもいいが、今後の付き合いも考えると、少し表現にこだわりたいところである。
 そう思ったときふっと浮かんできたのは、あの大樹に刻まれていた二人の名前であった。
 これからああいう大切な場所を使わせてもらおうというのだから、それなりの礼儀を尽くすべきであろう。
 イドゥンはゆっくりとペンを走らせた。

少し経って、場所は兄弟家に移る。
 アルムは一人部屋のベッドに寝転びながら、落ち着きなく寝返りを打っていた。

アルム  (どうなったかなあ、イドゥンさん。竜って基本的に肉好きだから、野菜を美味しく食べてもらうっていうのは難しいかもしれないし)

 イドゥンと別れてから、どうにも気持ちが落ち着かないのだった。
 自分が丹精込めて育て上げた野菜がどういった評価を受けるのか。気にならないはずがない。
 たとえて言うなら、どこぞのスレにネタを落とした職人が、5分置きぐらいにカチカチ更新ボタンのクリックを繰り返しているような心境である。

アルム  (あー、気になるなー。ちゃんと食べてもらえたかなー)

 ベットの上で転がっていると、不意に誰かが扉をノックした。

アルム  「はい、どうぞ」

 答えると、扉が開いてセリカが入ってきた。
 その顔に浮かんでいる底知れない笑顔を見て、「何かとても怒っているらしいぞ」とアルムは直感する。

134 :イドゥンとアルムと二人の思い出:2008/12/21(日) 09:56:19 ID:czVeEH8r
セリカ  「アルム」
アルム  「な、なに、セリカ?」

 思わずベッドの上に正座すると、セリカは笑顔のままで切り出した。

セリカ  「さっき、イドゥンさんが料理のおすそ分けを届けに来たんだけどね」
アルム  「そ、そうなんだ! なんて言ってた?」
セリカ  「おかげさまで悩みが解決しました。ありがとうございます、だって」
アルム  「そ、そっか。いやー、良かったなー!」
セリカ  「それで、ね」

 セリカは笑顔のまま、アルムに一枚の手紙を差し出す。何故か、もう封が切られている。

セリカ  「アルムに、って。ああ、開けたのはわたしじゃなくて変態女神だから」
アルム  「ユンヌさんが? 相変わらず困った人だなあ。いや人じゃないけど」

 自分の野菜がウケたことに機嫌を良くして笑いながら、アルムは手紙を取り出してみる。
 その笑顔が一瞬で凍りついた。手紙には温かみを感じさせる丁寧な文字で、こう書かれていたのだった。

 ――二人の思い出に捧ぐ

 昼間の出来事を思い出してみれば、意味は分かる。意味は分かるのだが。

アルム  (なに、この誤解を招く文面。天然なんだろうけど、わざとやってるとしか思えないんですけど)

 アルムが体の震えを自覚しながら顔を上げると、そこには可愛らしく首を傾げるセリカの笑顔が。

セリカ  「……二人の思い出って、なに?」
アルム  「いいいいいいやいやいやいや、ちちちち、違うんだよセリカ、これは」
セリカ  「アルムの浮気者ぉぉぉぉぉおおぉぉぉぉぉぉおおおおっ!」
アルム  「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 それからしばらく経ったある日、イドゥンは約束通りバレンシアのあの場所に家族を連れてやってきた。
 彼らを歓待したのは、その頃にはもうすっかり誤解も解けて、前よりもむしろ仲良くなったアルムとセリカの二人。
 熱々な二人の丁寧な観光案内と、時折飛んでくるティルフィングや手槍の雨の下で、竜王家の面々は楽しい休日を過ごしたとのことである。

 終わり。