概要
最後の最後で存在が明らかになるラスボスのこと。
FFではIIIの暗闇の雲、IVのゼロムス、Vのネオエクスデス、
IXの永遠の闇、FFCCのラモエ(ミオラモエ)が該当する。
ゼロムスはゼムスが、ネオエクスデスはエクスデスがそれぞれ変化した姿なのでまだ許せるかも。
- 暗闇の雲は、後述にあるように、伏線は貼られている。
完全に唐突登場するのは永遠の闇のみ。
逆を行くのがFF2の皇帝。オープニングで早くも名前が登場し、中盤で死んでも復活してラスボス化。オマケに移植リメイクの追加隠しボスの座すらキープ。
- 他にもケフカもかなり序盤から顔を出してる。道化師然としたキャラだったが最終決戦直前で威厳たっぷりのセリフを吐く。
- ヴェインもそうでしょう。最初から威厳も十分。
- 前座たるガブラス共々、ラストダンジョンのボスがチュートリアルの時点で揃っているのは非常に珍しいのでは?(厳密には相方が不在だが)
- FF零式のシドも当てはまるかも。OPでも最初から登場していてラスボスも務めている。
(一国の指導者がラスボスになる場合、大抵は物語初めから存在が判明していることが多い)
しかし審判者となった後は自我を失っているため、厳密には同一人物と言えない。
エクスデス≠ネオエクスデスと同じくらい離れてるから、立場的には中間辺りか。- Iのカオスもそうだな(作中で戦うカオスは全て最序盤で戦ったガーランドが転生した姿のため)。ただ序盤に戦って以降は彼は名前でさえ1度も登場しなくなるので設定を知らない初見プレイだと同一人物であることを気づくことはないので、突然出てきて「 ...... 覚えているか。」と言われても大抵のプレイヤーは「は?」ってなる。
- 光4のカオスも結構ぽっと出だと思う。
- スクウェアだと、サガフロがぽっと出ラスボスが多い。
- サガフロのエミリア編ラスボスのディーヴァは個人的に永遠の闇をも上回るぽっと出。
- 永遠の闇と違い前口上を述べることもなく、断末魔もない。というかセリフが一切ない。
主人公たちも戦闘直前の「気をつけて!何か来る!」的なセリフだけで、それ以外にディーヴァに対する反応はなし。
何故こんな扱いかと言うと「主人公と因縁のあるキャラは人間サイズでラスボスとして映えないから」という、あまりにもご無体な理由で出されたラスボスだからである。
- 永遠の闇と違い前口上を述べることもなく、断末魔もない。というかセリフが一切ない。
- サガフロのエミリア編ラスボスのディーヴァは個人的に永遠の闇をも上回るぽっと出。
伏線や、前のボスとの関係がしっかりしていれば容認されるが、そういったことがなかった場合には当然批判される。
推理小説で伏線も動機もなしに犯人が登場しても興醒めするのと同じことである。
- 時々あるのが逆に余りにも伏線ギッチリしすぎてプレイヤー側が理解しきれないため批判されるケース。
そうなっても「理解しきれないくせに文句言うやつが悪いんだ」と言われてしまう事も多い。 - 一応永遠の闇についてはファンの間で「クジャの心の闇が召喚された」と言われてはいるものの公式設定ではないので苦しい。
- ケフカの例もあるが、90年代は特に影の薄い首領幹部よりも序盤から存在感を示していた幹部が下克上を起こしてそのまま最終ボスにのし上がるほうが印象に残り易いと言われていた。
作品を入れ替えてもまるで違和感がない。(例:エクスデスが無に飲まれた後に暗闇の雲が現われる)
ロマサガ3の破壊するものもこのカテゴリーに入ると思う。
- エクスデス「無とはいったい・・・うごごご!!」
雲「私は暗闇の雲 すべての記憶 すべてのそんざい すべての次元を消し
そして わたしも消えよう
永遠に!!」
…違和感無いな。 - エクスデス「無とはいったい・・・うごごご!!」
闇「ここはおまえたちの世界とは別の次元、そして私は永遠の闇……」
…違和感無いな。 - クジャ「君たちも一緒に連れて行ってあげるよ!」
オーファン「感謝しよう。クジャのおかげで私は生まれた。そして我が名はオーファン……」
…違和感無いな。 - ゼムス「我が名はネオエクスデス!全てを憎む!」
フースーヤ「死してなお」
ゴルベーザ「ゼムス・・・いやネオエクスデス!今度こそ私の手で
[消え去れいネオエクスデス!]
- いいデスとも!
上記のようにいきなり現れるラスボス同士で入れ替えてもいいが、普通の作品と入れ替えても違和感がないかもしれない。
- こうてい「・・おまえは いった・・い な・・にもの・・・・ ウボァー」
闇「ここはおまえたちの世界とは別の次元、そして私は永遠の闇……」
…微妙だな。 - リバースセフィロス撃破→画面暗転→雲「私は総てを無に還す為にやってきた暗闇の雲」
…違和感ないかも- クラウド対暗闇の雲か
雲VS雲…中々熱い対戦カードじゃないか。
- クラウド対暗闇の雲か
- ジェクト「それじゃ…いっちょやるか!」
闇「そして私は永遠の闇……」
感動が 台 無 し じゃないか
皮肉な事に唐突に現れるラスボスの方が強いと評価される傾向にあるようだ。
暗闇の雲
3と9はラスボスがほぼ同じパターンの登場であるが
ユーザーの反応は大分違っていたのには時代の変化を感じさせられる。まず波動砲で殺されるからか。
- 少なくとも最後の一時間は「あの緑のおばさんを今度こそ倒してやる」と思ってプレイすることになるからね。
- クジャとザンデじゃ思い入れが違うってのもあると思われ。
3はザンデ追っかけてどうこうしようって目的で進む話じゃないから。
名前自体は時々出てるけど、ザンデを明確に敵と意識するのは既に終盤だ。
少なくともプレイヤーの意識としては。
だからいきなり別のラスボスに摩り替わっても、そこまで唐突な感じがしない。
そもそもザンデとは最終決戦が同時に初対面だったりする。
4のゼムスも似たようなもので、逆にエクスデスはクジャに近い。 - 闇の世界のクリスタル四戦を挟む時点で他と性質が全く違うし。光でも闇でもなく、両世界の戦士の力を合わせないと倒せない別格の存在としてラストダンジョンを通じたキャラ付けがなされており、ドラクエでいうところのハーゴン・シドーの関係なのだという納得感がある(というかザンデの方がよっぽど謎w)
他にも、かつての光の氾濫やこれから起きようとしている闇の氾濫については序盤から語られているので
闇の氾濫の化身である暗闇の雲はある意味、序盤から伏線を張られ続けてラストでついに登場した、
という言い方すら可能。
「いきなり現れるラスボス」達の中で、唯一ディシディアでの参戦を成し遂げたのは、
暗闇の雲ただひとりである。
- ザンデができるのはメテオ・クエイク・ライブラだけだから……
- 広域クエイクとか散弾メテオとか対空ライブラとかでなんとか…
- DS版だとガ系使えるし、あとFC版ではほのお使えたろ。
- ザンデも影は薄いから…
- たぶん男女バランスと知名度の問題だな。
- アルマゲストが使えるなど、先生もネオエクスデスの片鱗が垣間見える。
暗闇の雲の存在については事前に伏線が張られている。
以下古代の民の迷宮の土のクリスタルのメッセージより。
さあ わたしのなかより ちからをとりだすのだ。
くらやみのくもを ふりはらうのだ!
(中略)
シルクスのとうは ひかりのちからを あつめて
つくられたとうだ。
ザンデは そこで わたしたちの ちからを
りようして やみのくもを よびだそうとしている。
なお「暗闇の雲」の名前が出てくるのはここが最初だが、それ以前にも
ドーガは「ザンデが闇を呼び出そうとしている」といった内容の発言をしている。
なのでテキストをしっかり読んで頭に入れてさえいればそれほど唐突には感じずに済む。
- 「暗闇の雲」の抽象概念をイメージして描いた画像があのボスのグラフィックなんだと解釈できる。
「暗闇の雲」といきなり言われてそれがボスの名前そのものだと思う人はあまりいないと思う。
また、後付と言えば後付かもしれないがDS版ではウネがパーティに居る間にこんな話も聞ける。
(以下ウネの発言)
(前略)
時が停止してから1000年間
私は夢の世界から
現実世界を見ていたのじゃが…
ザンデではない もっと邪悪な何かが
浮遊大陸に大地震を起こしたりと
働きかけていたようじゃった…
時間が停止して ザンデ自身も停止している
ってのに いったい何者がそんなことを…
ゼロムス
元のボスが進化したような感じなゼロムス、ネオエクスデスも違和感はそこまで高くない
(特に前者は原形のゼムスがイベントバトル扱いで倒されてしまうので何か次があるのは明白)
ので結局集中砲火を浴びるのはペプシマンということになってしまう。
ゼムスについては、フースーヤ加入時点で月のクリスタルが存在を明らかにする。
- いや、モップ加入自体が既に終盤も終盤でしょ。ここまでゴルベーザは小者臭いことやらかしたりしょうきにもどしたりと小賢しい嫌な奴だったのに土壇場で突然「兄さんは操られてるだけのいい人なんだよ」なんて言われても興ざめである。
ネオエクスデス
ネオエクスデスがあまり批判されないのは名前が幸いした感も。
キャラ的にはエクスデスとは別人なので「唐突な別キャラの登場」とも言えるのだが、
名前にエクスデスがついていることで、なんとなく自然に受け入れられている面がある。
- 設定をよく知らない場合、ネオエクスデスは単にパワーアップしたエクスデスだと思っている人もいる。
別人だと思わなければいきなり登場したとも思わない。 - 設定はともかく、展開としてはラスボスの形態変化とほとんど何も変わらないため、そもそもポッと出だと
いう印象を持たれる可能性の方が低いと思われる。 - 永遠の闇も「そして私はネオクジャ」とかだったら、そこまで言われなかったのかな。
それはそれで、別のツッコミが入りそうな気もするけど。- ネオエクスデスは無の力がエクスデスをとりこんだものな訳で、形をなしてないが無の力そのものは第三世界でずっと出てる。エクスデスは無に向かって話しかけているし。
もちろんそれが具現化してラスボスになると予想したプレイヤーは皆無だろうが。 - ケフカやセフィロスと違い、FF5は別にエクスデスをテーマとして進んでいくわけではない。
FF5でバッツたちが最初からずっと対峙していくのはクリスタルであり、世界そのものであり、それが第三世界で無の力という終着点に至ったその最終形態がネオエクスデス。
むしろエクスデスを倒してメデタシメデタシになるよりもずっとラスボスに相応しい。ポッと出などでは断じてない。- エクスデスにとって無の力は世界征服のための手段であるのに対し、ネオエクスデスは自分を含めた全てを無に還す=無そのものが目的、と手段と目的が完全に入れ替わるため精神・人格的な意味では完全に別物なのは間違いない。
ただし「無の力がエクスデスの肉体を乗っ取って顕現した姿」とも言えるので、そういう意味ではエクスデスの(ゲームのラスボス的な意味での)最終形態と言えるのかも知れない。
- エクスデスにとって無の力は世界征服のための手段であるのに対し、ネオエクスデスは自分を含めた全てを無に還す=無そのものが目的、と手段と目的が完全に入れ替わるため精神・人格的な意味では完全に別物なのは間違いない。
- ネオエクスデスは無の力がエクスデスをとりこんだものな訳で、形をなしてないが無の力そのものは第三世界でずっと出てる。エクスデスは無に向かって話しかけているし。
エクスデスに関してはエヌオーという先達者が伏線として機能しており、無に飲まれるのは予想できた。
セフィロス
クラウドとセフィロスの一騎討ちは、これに該当するとは言えない。
セフィロス本人はずっと寝てたとはいえ、コピーはいっぱいいたし、名前も序盤から出てきて存在感たっぷり。
強いて言えば「待ちに待ったラスボス」だろう。
- 上記のメンバーと違ってラスボスとはいえ、「イベント戦」。引き合いに出すとしたらエボン=ジュと同レベルの話。
- セーファ形態を倒したあとに闇の中で1on1になったのは確かに予想外ではあったかな。それも人間性の欠片も残してない化物に対するクラウドの精神断ち切り編かと思いきや実際に物理領域で戦ったらしい?のは尚更に。
アルティミシア
個人的には、ネオエクスデスが該当するなら
同パターンのアルティミシア最終形態もいきなり現れるラスボスと言えると思う。
確かに名前自体は変化していないが、前の形態までとは明らかに人格・容姿の変化が大きく、
その前のグリーヴァとジャンクションした形態で終わっていても不思議でない。
- ライブラをかけると「すべての時間と空間を圧縮し、体内に取り込むために体を変化させた」
と出てくるから訳無くああなったわけではないし、本人とおぼしき者は下半身にいる。
魔法のハインに乗っ取られたとよく言われることは多いが、それは仮説にすぎないしな。 - 本質はどうあれ、ジャンクション・グリーヴァ形態で終わると思ってたのは俺だけでは無い…はず
- それはどっちかと言うと演出面からくる勘違いかと。
ラスト3戦目があれだけ派手なエフェクトで終わると、普通は終わりだと思うだろうな。
まあ単に(巷で語られる仮説は抜きにした)8のストーリーの本筋を締めるという意味では、第一形態で終わったってなんらおかしなことはないわけだし。 - 最終形態はHPをゼロにしたあと台詞が始まってHPが100で復活する。1回攻撃すれば削れるHPだが、それに気づかず必死に闘ったのは俺だけではあるまい。
永遠の闇
今までのFFの風潮から、ラスボスは形態を変化したり、かなり大きいと思っていたので、クジャも何かしら次があると思っていたから、永遠の闇はゼロムスと同じくらいの扱いでいいと思うのは私だけでしょうか。
- ゼロムスも永遠の闇も、敵の負の感情から生まれた存在という点では似ている。
ゼロムスは憎悪、永遠の闇は死への恐怖。
ただし、ゼロムスはゼムスの憎悪が増幅したもの、つまり元がゼムスの一部である。
一方、永遠の闇はクジャの死への恐怖によって呼び出されたもの、
つまりクジャ自身とは関係ない。
FF9は、登場人物皆が生を見つめ死に向き合うという根底の流れがあるので、
「クジャを倒せばおしまい」という単純な展開が良かったとは思わない。
物語の結末で、それまで世界の人すべてを苦悩させた存在である
「死=永遠の闇」と対峙することになるのはストーリー的に必然の流れで、
最後の敵として全く唐突な存在だとは感じない。
…しかし、そんな超越者たる存在がペプシマンな容姿で現れてしまったのは、
やはり唐突以外の何者でもなかった…と言わざるを得ない。
- それでもクジャに憑依してスーパーサイヤジン2にするなどしてほしかったのは否めない。
「死」が話の根幹としてあるにせよ、死という「概念の具象化(擬人化?)」と相対しなければならないことはない。- ジタンにFF9のテーマに関する答えを永遠の闇との会話で言わせたかったのかもしれない。それにしても、もう少しやりようはあったと思うが。
- 暴走するスタンドの様な形であればペプシマンな見た目だろうと、これほど批判されなかっただろう。
先輩である暗闇の雲は「そういう災害がかつてあった」という伏線の張り方をしていた。
FFIXでも召喚獣の設定などがそれを補強するものだが、いささか押しが弱かった。
そこらへんの要素がもう少し目に見える形で出ていれば、と惜しまれるペプシマンである。
- 暴走するスタンドの様な形であればペプシマンな見た目だろうと、これほど批判されなかっただろう。
- 我はクジャの死への恐れが増大せしもの…。
わが名はクロジャ…全てを…無に返すものなり…!!- そんな感じの展開だったら個人的には納得できた。
旧作のセルフオマージュということで原点回帰というテーマにも沿ってるし。
- そんな感じの展開だったら個人的には納得できた。
- ジタンにFF9のテーマに関する答えを永遠の闇との会話で言わせたかったのかもしれない。それにしても、もう少しやりようはあったと思うが。
- クジャを匂わせる要素(名前、容姿、思考など)をあえて排除したのではないか、とも思う。ビビをみてもわかるように、皆が最終的に打ち克つべきは「死(への恐怖)」だった。しかしクジャ自身は「生(への執着)」そのものであり、これを最終的な敵にして倒させてしまうことは、作り手がこの物語で描きたかったことの根幹に大きく反したのかもしれない。たとえ唐突な展開であったとしても、本作のラスボスはあくまで「死(への恐怖)」でなければならなかったのだろう。ただ、これをわかりやすくするのであれば、例えばマダイン=サリの召喚壁で「生への執着が死への恐怖を召喚する」みたいな伝承があるとか、マダイン=サリが滅びた理由はそれだったとか、ウイユヴェールに何らか永遠の闇に関する手がかりがでてくるがパーティ一行は何のことやらさっぱりわからない(2周目のプレイヤーにはわかる)、とかいった演出は可能だったかもしれない。
- 確かに、インビンシブルと入れ替えるといい感じかも
- クジャは死の召喚獣的なこいつを生み出してはしまったが、最後までそれを拒絶しきった…というのは最後にジタンが救出に向かったりクジャが死を受け入れていたりする流れも含めて重要な部分だろう。多分。
個人的な見解にはなるが、ガーランドの存在も永遠の闇のぽっと出感を助長しているのではないだろうか。
彼は「黒幕を更に操る黒幕」、或いは、「クジャ個人ともガイアとも相容れない利害関係を持つ第三勢力」という、三つ巴の一角を担うキャラとして登場してしまった。
つまり、「三つ巴の一角が落ちれば、残りの2勢力の直接対決でカタがつくのが自然な流れだ。ガーランドが退場した以上、クジャとの直接対決で物語は締められるのだろう」という(ある種のメタな)プレイヤーの印象を、永遠の闇は裏切ってしまった。
「死の恐怖という概念の具現体」という方向性は理解できるが、三つ巴の戦いに違和感なく介入しうる存在だという点をアピールしきれなかったのが彼の悲劇なのではないかと思う。
- といっても、クジャのやろうとしてることやその虚しさを見ていれば、既存作の流れからするとクリスタルの中から何か出てくるくらいあるんじゃないか~辺りまでは楽々読めるだろう。それがペプシマンかどうかは兎も角。
- テラはガイア以前にも星を取り込んで生きてきた。すなわち「星の死」すらも超越しようとした古代テラ人も恐れていた「死」を倒すことが重要なんじゃなかろうか。
オーファン
13のオーファンもこのカテゴリーに加えて良いように思う。
- オーファンは中盤のラストあたりで存在が明言されているから該当しないのではないかな?
まぁただのエネルギーの塊というかタマゴというか繭がファルシとして実体化するのは戦闘直前だが… - 永遠の闇のように、一切情報がなかったわけではないし、オーファンは該当しない。
- はっきりバルトアンデルスがオーファンの話をしてたしな。
- 序盤「どうにかしてコクーンを救う」→中盤「コクーンの人類をファルシの支配から解放する」→終盤「そのファルシの大元はオーファン」と、順番を踏んで明らかになっている。いきなりではないだろう。
- そもそも目的も言動もバルトアンデルスとほとんど変わらないので、いきなり別キャラが現れたという感じがしない。
バルトアンデルス第二形態みたいなイメージ。
バハムート軍団
- あいつらはカイアスの召喚だから違うんでね
- 絶対召喚で今までカイアスが召喚していたのはバハムート・カオス。
カイアスの召喚だとしても唐突なのはかわりない。- カイアス自体、何度もバハムートに変身しているし、すぐにカイアスだと感づく。混沌についてもライトニングから説明されているし、突然登場のラスボスには入らないだろう。
ラスボスじゃないが、EDのホープ君の「命名します。ブーニベルゼ!」のほうが唐突すぎだろ。
- 神話について知っていないと「何それ」となること請け合いである。
ルルサス
ラスボスではないが、FF零式のルルサスもこのジャンルに分類されると思う。いきなり「我ら来たれり」とか言われても。
- そいつらはそれこそラスボスじゃないから該当しないんじゃない?
目立ってはいるけどいわばラストダンジョンのみに生息する敵キャラみたいな感じだし。
そしてラスボスはプレイヤーのよく知る人物が元だしな。- ラスボスを「最後の敵」、敵を「敵組織」まで拡大解釈すれば間違っていなくもない。
・・・もっとも、そうしても存在が一切示唆されていないということはないので厳しいか。 - 一作品としてはルルサスなんて最後まで全く話題にならなかったからポッと出に含まれるな、一方で設定という単位で言うと6億回以上もの間オリエンスを裏で操る存在なので全然ポッと出じゃないという
- ラスボスを「最後の敵」、敵を「敵組織」まで拡大解釈すれば間違っていなくもない。
- 「【フィニスの刻】=ルルサスの軍勢に最後まで残った国が滅ぼされる」ことなので、ある意味フィニス自体がルルサスの伏線と言えるかもしれない。
いささか、無理やりやもしれぬが。
聖天使アルテマ
FFTのアルテマも該当するのでは?
- キュクレイン死亡時に「あの方」と言っており、その後もヴォルマルフやエルムドアの口から
何度か存在を示唆されているので、あまり該当しないと思う。
聖天使アルテマ=聖アジョラという事実はラスト付近で判明するが。- 「あの方」が「聖アジョラ」を指しているのであれば、該当するかもしれない。
「聖天使アルテマ=聖アジョラ」が判明するのは最後の方だし。- アルテマとかアジョラの名前が出ないだけで、
ルカヴィたちが聖石ヴァルゴのルカヴィを復活させようとしていること、
ヴァルゴのルカヴィが彼らの親玉だってことは
だいぶ前から察しがつく。
- アルテマとかアジョラの名前が出ないだけで、
- 「あの方」が「聖アジョラ」を指しているのであれば、該当するかもしれない。
- 「聖天使アルテマ」は該当しないが、「聖大天使アルテマ」のほうなら該当するかもしれない。
後者は千年神戦争の発端をつくった「堕天使アルテマ」と思われるが、
FFTの時点では最後まで存在が分からなかったはず。 - ハイレグと骨って別人なの?それならエクスデスと同じだけど…。
- エクスデスの方はともかく、こちらは同一人物だと思いたくないw
- ハイレグはアルマ/アジョラに憑依してそれを戦闘スタイルに変化させたもの(いわゆる変身ヒロイン的状態)。骨は宿敵を見て正念場と考えたからこそアジョラの肉体を放棄し全開で降り立った真の姿。と見るのがよいだろう。
- 極端な話アルテマはどちらかというといきなり現れるラスボスというよりはザンデ辺りの立ち位置に近い。
ラモエ
FFCCのラモエも挙げることができる。
メテオパラサイトを倒してミオと会話するまで、あんな化け物と出会うなんて予想してなかった人も多いのでは。
- ↑アレはどっちかっていうと主人公が勝手に喧嘩を挑んだ感じ。
終焉を謳うもの
FF14のパッチ6.0「暁月のフィナーレ」におけるラスボス。
暁月のフィナーレ(および前章である漆黒のヴィランズ)でちゃんと伏線を出しているが、「新生エオルゼアから続く物語の終焉」と題したにしては唐突、という微妙な立ち位置。
名と姿を現すのは決戦直前だがその存在は漆黒のヴィランズから示唆され、暁月のフィナーレで現れた経緯がちゃんと明示されている。
しかし関係する設定のうち暁月のフィナーレで唐突に出てきた物があることや、新生エオルゼアから物語の根幹にいた光の神ハイデリン・闇の神ゾディアークを差し置いての抜擢でもある。
- 一応、彼等にも相応の出番や物語における役割は持たされている。
以上のことから妥当とも唐突とも取られるラスボスとなってしまった。
しかし長期運営のMMOゆえ設定の取捨選択や継ぎ足しも致し方ない点については留意したい。
(況してFF14については運営刷新のあった旧FF14との整合性もとる必要があった)