セリフ/【まやかしの希望なんか、いらない…!】

Last-modified: 2020-04-17 (金) 21:18:56

FF10

ユウナレスカ究極召喚祈り子として誰を選ぶのか問われ、究極召喚では結局『シン』を完全に倒すことはできず
いずれ復活してしまうと知ったユウナがユウナレスカに対して言い放ったセリフ。
究極召喚による『シン』の一時消滅と復活の螺旋はスピラの宿命であり変えられない悲しみだと言うユウナレスカに対し、
どんなに苦しい道でもいつかその「悲しみを消す」という父ブラスカの願いを叶えたいと言うユウナ。
平行線をたどる会話の中ユウナが決断したのは「『シン』を倒す究極召喚」というまやかしの希望を与えていたユウナレスカと決別することだった。
この言葉を聞いたユウナレスカは自ら希望を捨てるのか、それならば希望に満ちた死を与えようと言い異形の姿へと変貌していく。
ユウナの決別の決意を聞いたアーロンはメンバーたちにユウナを守り共に戦う決意を促す
FF10きっての名場面である。

  • 後のFF13で、ロッシュが「ファルシに頼り切っているコクーンの民の偽りの希望を消すわけにはいかなかった」といった趣旨の発言をする。
    偽りの希望を否定することで活路を見出したユウナと偽りの希望に固執することで自滅の道を辿ったロッシュ。
    考えさせられる…。
  • ユウナはユウナレスカ戦後にエボン=ジュの存在をつきとめられたから良かったものの、仮にエボン=ジュが存在せず(または、つきとめられず)、シンがただの無敵の魔物であったなら、更なる死の螺旋を続けることになっただろうし、ロッシュに関してもファルシに反旗を翻せば、罪なき一般人に大量の犠牲を出すことになっただろう。
    結果的に見れば、ユウナが成功した結果になるが、ロッシュの行動は危険な賭けをせず、現状を維持しようとする一般人目線での行動と言える。
    互いにリスクを理解したうえでの行動で、一概にどちらが正しい判断とは言えないだろう。
  • かつて短いナギ節を無駄だなんて言わないでと言った同じ口でまやかしの希望と切って捨てている。それを承知で命をかけた父達への侮辱でもあるだろう。
    • その時のユウナの「どんなに短くても『シン』の脅威の無い大切な時間を生み出したい」という言葉も嘘ではないだろうが、
      やはり「今度こそ完全に倒せるかも知れない」可能性というのが根底の「希望」としてあったのだろう。
      だからこそユウナレスカに「絶対に蘇るのか」を最重要ポイントとして質問している。
      そこで可能性はゼロですと断言され、その根底が変われば主張も変わる。もはや「同じ口」ではない。
      「今度こそ復活しないかも知れない。賭けてみるさ」と、同じ「希望」に命を賭した父に対しても、
      「父の願いは悲しみを誤魔化すことではなく消すことだった。父が成せなかったそれを私が叶えたい」
      という発言をしている。当然これは「侮辱」とは縁遠いものである。

DDFF

ユウナのシークレットボイス。
レベル100になるとEXバーストフィニッシュで言うようになる。


実は000でも似たようなくだりのセリフがある。
しかし、そっちは自分たちの意思すら「まやかしの希望」なのだと言っている。
なんかユウナらしくない。

  • 「戦いが終われば 元の世界に帰れるって 信じていました でもそれは わたしたち戦士が 勝手に作り出した まやかしの希望…… ただ 究極の混沌を育むための駒として すべてを捧げる使命を果たせばいい ……物語は 最初から決まっていたんですね」

何故か「まやかしの希望なんいらない!」と微妙にセリフが変わっている。