セリフ/【ヴィエラが森の一部だとしても、森はヴィエラのすべてではないわ】

Last-modified: 2018-10-13 (土) 17:38:16

FF12

前フリa.jpg

ネタの前フリとしての印象のほうが強いかもしれないが、
このセリフ自体はヴィエラ達のアイデンティティの葛藤を描く真面目な内容である。
 
フランの主張をまとめれば『ヴィエラの人生のあり方は森で暮らす以外にもある』ということになる。
一方のヨーテは次のように主張している。
 

ヨーテ
「森を捨てたヴィエラは、もはやヴィエラではない」
「ヴィエラは森と共にあらねばならん。
 それが森の声であり、われらの掟だ。」

そして実際に森を出たフランも、ヨーテの主張の正しさを痛感している。
 

フラン
「もうヴィエラではなくなったわ。
 森も里も家族も捨て、自由を手に入れた代わりに、過去から切り離されてしまったの。
 今の私には森の声も聞こえない。」

ヴィエラは森の声を聞くことができる。
しかしフランには失踪した妹ミュリンの行方を告げる森の声が聞き取れなかった。
森を離れてヴィエラ特有の能力が鈍ってしまったためである。
 
森なしで生きられないわけではないが、森と共にあってこそヴィエラらしく生きられる。
フランはヴィエラ達の掟を破って自由を手に入れたが、ヴィエラらしさが失われていった。
フランの生き方はヴィエラらしい生き方ではない。しかしヴィエラの生き方の一つではある。
 

フラン
「頼みがあるの。
 私の代わりに声を聞いて。
 森は私を憎んでいる?」
 
(瞑想して森の声を聞くヨーテ)
 
ヨーテ
「去っていったお前を、ただ懐かしんでいるだけだ。」
 
フラン
「嘘でも嬉しいわ。」
 
(フランが立ち去ろうとする)
 
ヨーテ
「気をつけろ。
 森はお前を奪ったヒュムを憎んでいる。」
 
フラン
「今の私はヒュムと同じよ。
 そうでしょう?
 さよなら、姉さん。」


ヴィエラらしい生き方を守るヨーテだが、ヨーテらしさがないということではない。
人と変わった生き方をすることが自分らしさではない。
自分の信じる道を進むことが事の本質で、他人と同じか違うかの問題ではない。
自分はどうありたいのか、何がしたいのかが問題になる。
フランとヨーテは信じる道が違っただけといえる。
ミュリンは、今進んでいる道に自信が持てず、疑問に思っている。


掟と共に森にあることを選んだ立場であるヨーテだが、上記のフランとのやりとりしかり、決して掟に背いた者を憎んだり、悪し様に思っているわけではない。
現にフランに限らず、里抜けしたヴィエラは一定数いるが、森にあらねばヴィエラに非ず、というだけで連れ戻したり追っ手を差し向ける様なことはしていない。
里全体を守り導くという立場故、掟を第一とする性格が前面に出ているが、後々里を訪れると「生きていれば、それでよい。森の外で実を結ぶ花があってもいい」という旨の話をしてくれる。
ヴィエラであるか否かではなく、一つの命として、それぞれの意思を尊重する彼女の内なる性格が見えてくる台詞である。


FF12のテーマは『自由』なので、それを束縛する『掟』を題材にしたシーンと考えられる。
しかし『掟』を否定はしておらず、『自由』を手放しで賛美してはいない内容になっている。
こうした方向性は元空賊サマルの話にも共通している。


渡辺氏は今作を「遊ぶ人の人生観で印象が変わる」と話しているが、ここはまさにそういうイベントだろう。
ベストシーンに挙げる人もいるし、ヴァンのネタやヴィエラ族の衣装の印象しかない人もいる。

  • スタッフロールの背景絵の最後の一枚がヴィエラ三姉妹の絵であり、
    この絵と合わせて名シーンと評価が高い。
    ヴィエラ三姉妹.jpg
  • 子供の頃、同じところを憧れ覗き見ていた三姉妹の内、一人は掟を選び、一人は自由を選び、最後の一人はその狭間で揺れている。エルトの里のストーリーを覚えていると時の流れというものを良くも悪くも感じさせる。

視聴覚室