セリフ/【悪しき心は一体どこから生まれ出るのでしょう。誰しも初めは無垢な赤子なのに‥‥。】

Last-modified: 2022-02-26 (土) 04:57:09

FF4

ミシディアの祈りの館にいる黒魔道士のセリフ。
分類上は「単なる村人の話」であり、
他のキャラがこの言葉に対して反応や論駁をすることはない。
…だが、その内容は実に深い。
もともとFF4はの多いゲームではあるが、その中でもこのセリフは
特に印象に残るものではないだろうか。


ただし、残念なことにこのセリフは聞ける期間が非常に限られている。
ミシディアの長老から試練の山パラディンのことを教わり、パロムポロムを仲間にすると
もう黒魔道士がこのセリフを言うことはなくなってしまうのだ。
きっと、このセリフの存在自体を知らない人もいるだろう。
もし、次に一人でミシディアを訪れた時は、すぐにイベントをこなそうとせずあちこちを歩きまわってみるといい。
村民には冷遇されるだろうが、これに懲りず様々な魔道士達に話しかけよう。
そうすれば、このセリフも含め色々な話を聞けるはずだ。


ちなみに、この黒魔道士のセリフの変遷は以下の通り。

ミシディアに初めて到着した時:悪しき心は一体どこから生まれ出るのでしょう。誰しも初めは無垢な赤子なのに…。
試練の山を目指している時:パラディンとは聖なる騎士。 暗黒騎士の対極を成すもの。
パラディンになった後:その姿、まさにパラディン!…これも定めだったのかもしれません。

  • ミシディアでの赤ん坊(人間?)についての考え方がわかるシーンでもある。
    • バロンの侵略に対する嘆きとも取れなくもないが…。

性善説を頭から信じ込んでいないとこんなセリフは出てこないと思う。
時田氏はデビルマンなどの影響で徹底的に性悪説を植えつけられたというが
どんな気持ちでこのセリフを取り扱ったことだろうか。

  • ミシディアがそれだけ平和だった、ないし他国と考えが違うということなのでは?
  • ミシディアでは性善説で物事を考えるのが常識、もしくは宗教的に当然とされているのではとも思うが、
    FF4における召喚士の設定を見る限りではそもそもあの星は「性善説の世界」なのかもしれない。

同時に「良き心はどこから生まれ出るのか」とも言える。
無垢という事はつまりは「善でも悪でもない」という事。何色にでも染まり得るというだけに過ぎない。