セリフ/【正義よりも正しいことよりも、大事なことがある。 いつかわかる時がくる。 】

Last-modified: 2021-08-13 (金) 18:44:54

FF4

試練の山にてクルーヤからセシルに向けて。
言ってる事は凄く格好イイのだが、「それで結局大事な事って何?」とツッコんでみたくなる。

  • 正しくない事の中で大事なこと…と考えてみた時、当たって砕ける事かなーと思ってた。
    • ただ後半の展開を見ると、明らかにゴルベーザの事を指してる模様。
      親心が言わせた台詞だろう。 合掌…。
  • 正義や正しいことにとらわれ過ぎて、ゼムスに洗脳された大切な兄弟を単純に悪と断罪するなかれ、みたいなものだろうか。
  • 暗黒騎士を無理矢理倒してしまうと、このセリフが聞けない。

大切なのは善悪じゃない。最後まで挫けないことってところだろうか?
「ゼロムス……負けるわけには……いかない!」発言にも通じる。
セシルがパラディンにクラスチェンジできたのはセシルが正義だからなんて単純な理由じゃなく、
苦悩し続け、ミシディアで謗りを受け、試練の山でも襲撃を受け、暗黒騎士の攻撃にも耐え続けて最後まで諦めなかったからだしな。

  • 正義といっても絶対に『善』であると限らない、って意味じゃないのかな?
    • 苛烈な正義は悪にもなり得るからね。

セシルは、結局解かる時がこないまま、今日もプリンプリンセスマインドフレアを狩りまくる。

  • そして一つもしっぽを手に入れられないままミジンコ討伐へ。
  • 結局、この言葉の意味について得心する素振りもないまま物語が終わってしまうので、
    すべてはユーザーの解釈にゆだねられるのであった。

そういえばリディアがEDで「大切なのは心…そうだよねセシル!」といっているの見る限り、
おそらくクルーヤが言っていたのは「心」そのものではないだろうか。自分自身に負けるな的な意味で。


正義や正しい事といった観点から見れば、たくさんの人を傷つけたゴルベーザを許すべきではない。
しかしセシルはゴルベーザの事を許した。
そう考えると、クルーヤのいっていた事は「絆」のことじゃないだろうかと、自分は解釈している。
FF4のテーマの一つは「絆」らしいし。

  • 憎しみに憎しみで返しても結局争いは止まらないのだ。
    • ぶっちゃけゴルベーザもゼムスもまとめてぶっ潰せば禍根も一切なくなるんですけどね。
      セシルが「兄殺し」という業を背負う事にはなるけれど。
  • 植松さんはIVのピアノコレクションのジャケットに寄せたメッセージで
    「坂口が初めて「FFのテーマは『愛』だ」と公言したのがこの作品だった」と書いていた。
    • クルーヤの伝えたかったこともそういうことだったのではないだろうか。

闇の剣を振るい悪の国家に仕えた暗黒騎士から、聖なる騎士へとクラスチェンジを遂げるセシル。
そんな息子へ敢えてこの言葉を贈る辺りが心憎い。
「正義や正しいことが瑣末だ」と言ってるのではなく、
「正義や正しいことが大事なのは当たり前で、これからは更にそれより大事なものを探求していけ」って意味かと解釈。
「正義や正しいこと」の意味に目覚めるまでが、パラディンの試練だと思うので。


セシルは「正義や正しいこと」は暗黒騎士以前から理解していたと思う。
「自身の信念」と「暗黒騎士、赤い(き)翼隊長」という立場、「豹変したバロン王への不信と恩義」という様々な葛藤に悩み苦しんでいた息子に向かって
「自分の信じた道を貫け、正しいと信じることを成せ」という父親からのメッセージではないだろうか。
セシルがこの試練の前にパラディンに開眼できたのは、暗黒騎士の時点から彼の信念=本質が正義であったからであると思う。

  • 国王すり替え前だと暗黒騎士ではあるものの「悪の国家」かっていうと…。
    • バロンを悪の国家に仕立て上げたのはゴルベーザ、もっと深く言えばゼムスだからな。
      それ以前は暗黒騎士も悪いものではなかったのでは?

ちなみに小説版では「過去を否定すれば未来は閉ざされる」と悟りを開いている。
過去を後悔することはあるだろうが、それを否定せず受け入れる決意をしたらしい。

  • つまり正義でも正しくもなかった自分にも意味があるってことだろうか。
  • ちなみに小説版セシル曰く「言っている事の半分も理解できなかった。けどそれなりに分かったこともある」。
    もっと分かりやすく説明してやればよかったのかもしれない?

DS版の追加エピソードでは、
青き星に魔法や技術を伝えたことを「間違っていたのかな…私の…思いは…」と言うシーンがある。
これを聞いた後だと、「正義よりも~」のセリフがなおのこと身にしみる。

  • 自分は間違っていたのか自問自答するクルーヤを「魔法をどう使うかは父さんのせいじゃない!」と言って救ってくれるのがセオドール。
    • そのクルーヤがセシルにこの言葉を授けて暗黒から救い出し、ゴルベーザはセシルによって救われた。
      運命の巡りを思うと感動…。
  • 自分の行ったことが正義だったのか正しかったのか悩んだクルーヤは、最期に何を思ったのだろう…。
  • >>間違っていたのかな…私の…思いは…
    少なくとも息子にパラディンになる方法は間違って教えてしまいましたね。

セシルはバロン王の命令でミストやミシディアの多くの人を傷つけたが、
リディアやミシディアの住民達に許されることで救いを得た。
もし、セシルが正義の名のもとにゴルベーザを斬り殺したとしたら、セシルを許した人間達の立場はなくなってしまうし、
ゴルベーザもクルーヤもセシル自身も救われないまま終わってしまう。
セシルがゴルベーザを許したことで、彼らを含む多くの人間が救われたというわけである。

  • 「悪を許せない正義」は、結局ゼロムスの言う「憎しみ」の一種でしかなく、
    「悪を許せる心」の方が大切であると言うことである。
    • リディアはそのことを誰よりも先に知っていた。EDで答えを言うのが彼女であることも当然かも。
    • ちなみにカインはそれを知るのにあと10年かかる。
    • 自らの悪行を悔やみ、責任を取ろうとしたからこそ許されているわけで、「悪を許せる心」というのは違うと思う。セシルやゴルベーザとゼムスを比較してみれば判ると思う。もしも首題の意味するところが「悪を許せる心」であるならば、悪(ゼムス)を許さなかった結果生まれた完全悪(ゼロムス)についてなにか言及があるはずだと思う。

本台詞そのものに対する「明確な答え」はなく、目の前の状況だけで判断して
自分の正義のもとに行動する前に一歩引いて物事の大局を見よ、ということなのかも。
操られてたとは言え罪を犯したゴルベーザを倒してめでたしめでたし、で
本当にそれでいいのか?という話なんだと思う。
人は各々に自分の正義というものがあったり、正しいことが絶対と思うことがあると思う。
けれどもそれが必ずしも良いこととは限らない。
例えば現実世界でも、少しでも正しくない行いをした著名人を鬼の首を取ったように叩き、罵り
なんだったら、それが遠い過去のことでも「絶対許すまじ」とばかりに責め立てたり
自殺に追い込んでしまうような人たちがいる。
でも本当にそれでいいのか?というメッセージも込められてるのかもしれない…

  • 操られていたとは言え罪は罪として悔恨の念を抱き続けた人間と、悔やむどころか自慢話や笑い話にして憚らない人間を一緒くたにするのもどうかと思うわ。当人の在り方への視座が抜け落ちていないかな。それに前段は当事者間の話なのに、後段では第3者がどう関わるかという話に変わっている。
  • 察するに、悔やむどころか自慢話や笑い話にして憚らない人間のところまでは考えに行き届いてなかったようだね。そこまでのレベルなら責め立てられてやむなしと言えよう。ただ、さすがにそれが行き過ぎて自殺に追い込むとかはどうかとは思うが。まして第3者だし。まぁ話が変わってる所は用語辞典という観点からしてもワンチャンいらないかもね。更に言うなら、FFIV発売当時は他者から責められる以上の行為は大衆メディアではなかったと思う(インターネットが一般に浸透していない時代だし)し、あったとしても会社内・学校内等とかなりローカルな話になるので、そこまでのメッセージ性があったとは考えにくい。今の浮世の様相に憂えた勢いで書いてしまったっぽいね。書いてしまったものはしょうがない(しっかり言及されたから書いた本人も消すに消しづらいだろうし)かもだけど。

普通の人間には自分が犯した罪を自分で受け入れるのは難しかろう。
「開き直り」とどう違うんだというのも難しいし。
プレイヤーの間でもセシルの虐殺やカインの裏切りといった罪を当人達が放り出してると感じているような意見はよく見かける。

  • 当人達が勝手に許して一件落着させた気になっているだけで「絶対に許さない」と思っている人間は間違いなくいるはずである。
    「悪を許さない心」が間違っているというのはそういった人々を間違っていると言っているようなもの。
  • 現にミシディアに「俺はお前を許したわけじゃないからな!」って言ってる人がいる。
    この台詞に、そのあたりを色々込められてる気がする。

DDFF

ゴル兄さんの対セシルエンカウントボイスが「正義よりも大事なことがある」 である。
親父の魂は長男にも受け継がれていたらしい。


カオスに召喚されたゴルベーザの立場から考えれば、敵であるコスモス勢に力を貸すのは、主への裏切り行為に他ならない。
たとえ世界を滅ぼす側にいるとしても、その陣営を裏切ることが正しいのかと問われれば答えるのは難しいはず。
それでも弟の為、ひいてはコスモスや戦士達の為に助力しようとする彼の決意の前に、この言葉は相応しいと思う。