FF7AC
セフィロスがクラウドの超究武神破斬ver.5によって打ち倒された時に告げられた言葉。
片翼の天使が鳴り響く中戦うシーンは格好良く、これまた格好良くキメて去っていくセフィロス。
続編への雰囲気をプンプン感じる。
別項目でも扱っていたが、FF7以降からは"思い出"という単語が頻出な希ガス。
- 「もう来ないでいいから」と突っ込んだ視聴者が多数なラスボスの死に際のお言葉。
今まで自分に憧れを抱いていたクラウドに酷い仕打ちを散々して、もうお前の思い出にいられるような男ではない…って意味とも取れないだろうか?
直前のクラウドのセリフから考えて、俺はそう考えた
- 口調がとても柔らかいのと光に浄化されているような演出から再登場を予言しているよりそちらの方が自然ではある。あの瞬間だけかつての「英雄セフィロス」に戻っていたのかもしれない
- もしそうなら「私」ではなく「俺」と言って欲しかったところ。豹変前のセフィロスの一人称は「俺」だからね。今考えるとめっちゃ違和感あるけどもw
まあACくらいなら久しぶりということで良かったかもしれないが、
こうも頻繁に激突されると流石にお腹一杯気味のユーザーも多発している。
いいかげん思い出の中でじっとしていて欲しいものだが思い出にさせないのは開発者か?
- コンピはACCで一段落、当分動きはないと、スタッフが雑誌インタビューで語っている。
- それは何か安心したような…って、リメイクはどうなるんだ!
- ってか、「当分」というのは「またやってくる」ことの裏返しでは…?
- まぁ、一応リメイクも控えているし「また蒸し返す事」にはなるよねww
ACCのCMにもこのセリフが登場していた。もはやゴルベーザで言う「いいですとも!」と同じような状態。
- しかし幸か不幸か、真っ当なセリフなのでゴル兄ほどはネタにされていない。
- こっちの場合は視聴者に向けて私は記憶の中でとどまる男ではないのさと主張しているのか(笑)
- かもね。直接は関係ないけどごく最近のFFトレーディングカードのCMでもセフィロスが付いてくるって宣伝してたしww
元々しぶとさが売りなのでキャラに合った台詞でもあるのだが、思わずいい加減にしてくれと叫びそうになるのは何故だろう。
- クラウドの存在そのものがバックアップになっているような感じになってしまっている。
DFFやらKHやらなんやらかんやらで復活しまくっている為にネタ台詞扱いされることも多いが、
セフィロスからすれば両親はアレだし慕っていたガスト博士には見捨てられたも同然だし、挙句の果てに親友二人すら居なくなってしまった状況。
もう自分を思い出として覚えていてくれる人はいない、と自虐している台詞とも取れる。
イカとかストーカー呼ばわりもされるが、彼もまた犠牲者の一人である悲劇の英雄だという事を忘れないであげよう。
- 待て待て、ジェネシスは生きてるはずじゃない?
- ジェネシスはこのあとのディープグラウンドとの戦いが終わったと同時に復活するからね。それまでのジェネシスをセフィロスが認識していたのかどうか気になるところ
- だがもう復活したジェネシスはセフィロスの親友だった「ソルジャー・クラス1st ジェネシス・ラプソードス」ではないだろう。
DFF
セフィロスが勝利時に言うことのあるセリフ。
スコールもこれによく似たセリフを言うことがある。
- 合ってないような気がするのは俺だけか?
- 私は負けていなくなったりしない、みたいな意味かな。
- 用法はそのまんま「過去形にはならない」と同じ。
DDFF
ディシディアデュオデシムファイナルファンタジーにおいてのセフィロスの戦闘開始前の汎用ボイスの1つに「思い出に変えてやろう」というのがある。
DFFAC
セフィロスのC.Lv15で開放されるシンボルチャット。
「私は、思い出にはならないさ」と台詞の間に読点が入っている。
クラウドに「思い出の中でじっとしていてくれ」と言われたら、こう返してあげるのが鉄板だろう。
その他では戦闘不能直前に、辞世の句として用いるのも一興か。
「私は~」の部分を使ってネタチャットにも活用できる。
「私は良い子だ」で良い人アピールをしたり「私は母さん……」とママにもなれる。
- デフォルトの挨拶チャット「私が誘おう」でも同じように遊べる。
「が」と「は」の違いはあるが。
スマブラSP
セフィロス参戦ムービーで「思い出の中にじっとしていてくれ」というクラウドに対しこう返答する。
相変わらず倒れてやる気はないようだ。
ゲーム本編では勝利時クラウドがいるとリザルト画面で「思い出にはならないさ」ということがある。
「私は」の部分は省略されている。