セリフ/【お兄様ができたみたいでうれしかったですわ!あんたらをここで殺させやしない!】

Last-modified: 2024-02-20 (火) 18:14:26

FF4

ミシディアの双子、天才魔道士パロムポロムのセリフで、前者はポロム、後者はパロムが言ってる。
四天王カイナッツォ撃破後に、彼の最後の足掻きにより、壁が迫る部屋に閉じ込められ潰されそうになるパーティ一行。
この時2人は、両側の壁を支えた状態で、自らにブレイクをかけ石化してしまう。(何故白魔道士であるポロムがブレイクを使えたのかは謎。ふたりがけの応用であろうか?)
この幼すぎる犠牲により、壁は止まり、一行は助かった。
最年少の自己犠牲(?)。
DS版ではポロムがぷりてぃで音声付故に、一層ぐっと来るものがある。

  • CMでも使われたシーンである。
    • FF9のCMでもSFC版のものが使われている。
  • ちなみに小説版では、石化後に長時間かけてドアを壊している。
    この頑丈さは流石最強軍事国家バロンである(?)。

FF4では「仲間キャラが犠牲になり離脱する展開」が多発するが、
その中で一番初めに来るのがこの石化イベントである。(ただし、某幻獣王を別にすればの話だが)
2人の犠牲に未曾有の衝撃を受け、心を動かされた人は少なくない。

  • そして2人が後に元の姿に戻っていた事を知った時、安堵したプレイヤーも数多いだろう。
    某「僕たちの好きなファイナルファンタジー」において、「光の力とは、例え無様でも生き延び、過酷な現実と向き合う力。安易な死の中に光はない」と記されているが、自己犠牲でセシルたちを逃がしたが後に元の姿に戻り、バブイルの巨人を止める際に助力し、最終決戦でもゼロムスの力の前に満身創痍となったセシルたちに生きるための力を与えた彼らにこそ、「光の力」の本質は見て取れる。

金の針を使おうとすると『ニ人の意志により石化しているので効果がない』と出るのがまた…
まあいつの間にか復活していたらしく最終決戦時に祈ってくれていたが。

  • ちなみにこの惨状の直後、テラが即刻エスナで解除を試みるがやはり同様のメッセージが出てくる。
    バブイルの巨人決戦時には長老に治してもらったと言っているが一体どうやって…。
  • あの時治せなかったのはカイナッツォの怨念が残っていたからだと思われる。
    しかしバブイルの巨人復活時にカイナッツォ自身も復活したため、あの場所への怨念が無くなって
    治せるようになったんじゃないかと…。
  • 確かSFC版では石化した双子に対して、アイテム選択画面が開くのだよね。
    つまり当初の企画では、セシルたちの手で治療することもできる予定だったんだろう。
    たぶんヤンを蘇生するのと同様のパターンで、回復のきっかけをくれるのは長老のはずだったんだと思われ。で、その過程を消化してなくても、巨人戦まで来たら復活すると。
    長老云々は、2周目以降へのヒントで。
    • もし何も出来なかったら、プレイヤーから「金の針使えば良くね?」っていうツッコミが入るのを考慮してでは?
      あえてアイテム画面を開かせることで、2人の状況を理解してもらおうとしたんだと思う。
    • 「セシルたちの手では解呪できない」と云う強調演出だと思った(のだが捻くれているのだろうか…)。
      だってセシルたちの身の安全のためにその身を賭したのに、その手で解かれたら「その場で窮地に逆戻り」な状況かも知れない。
  • 強引な解釈としてはまだ魔道士としては一人前ではない(+5歳児)であるにもかかわらず、
    半端なブレイクを発動させてしまったが為に、
    簡単には治療できない状態になってしまっているのではなかろうか?
    • 自分にかけるなんてのは相当なイレギュラーだろうから、その理屈だと半端なブレイクの方がよっぽど優秀な魔法ということになる。
    • エスナや金の針を使うと「自分の意思で石化しているため効果がない」ってメッセージが出てくる。
      だから魔法の威力云々というより術者自身の意思次第で、効果の及び/方が変わってくるということなのだろう。
      せっかく押しとめても石化を解かれてはまた壁が動き出して危機に陥ってしまいかねない。
      だからこそ自らを永久に解けない石化にすることでその危険を回避させたんだろう。
  • ちなみに通常戦闘中に自分にかけたブレイクは、金の針などで治療可能。

『ニ人の意志により石化しているので効果がない』のメッセージは、
石化の「石(いし)」と「意志」をかけているのかとたまに思ってしまう。


FF4TAではパロムがまた自らブレイクをかけて石化しているわけだが…この直後レオノーラが石化を解いている。
ミシディア長老といいレオノーラといい自決ブレイクを解いてしまっているため、できなかったテラの立場形無しである。

  • カイナッツォの時は2人の意志(自分の意志で石化してるから)で普通の方法じゃ回復できない、って説明されてるんだけどねえ…。
  • 師弟関係にある者同士は魔法の解除が出来るのではなかろうか。魔法のメカニズムを把握している、みたいな。
  • 長老は二人の精神に語りかけて石化をやめさせることができたのかもしれない。文献をあさって自決ブレイクの解除方法を突き止めたのかも。
    • 昔見た二次創作ではこういう時のための特別仕様の金の針を探し出すが自作するかして救ったみたいな話があったが案外そんな感じなのかもな。

パロムには「あんちゃん」と慕われ、ポロムには「お兄様ができたみたい」と言われるセシルだが、小説版ではリディアに「お父さんってこんな感じなのかな」と言われて(思われて)いる。7歳児に父親扱いされる20歳って・・・。

  • 両親と共に育った双子と、セリフから父の不在が分かるリディアでは、当然印象も変わるだろう。
  • 双子は、長老と暮らしていたのでは。 両親は健在なのだろうか。
    • 設定上は「幼い身で自力で魔法習得していく2人を見た両親が長老に預けた」とあるので両親と離れて暮らしていたことは確実だろうが、
      ゲーム中ではそれとわかる人物は全く出てこない。バロンのミシディア襲撃時に命を落としてしまったのかもしれない。

ちなみに小説版では、2人はデビルロードの幻視でこの未来を既に知っていた。


SFC版の全文GBA版の全文DS・及びiOS版の全文
パロム「あんちゃん ありがとよ!パロム「あんちゃん
ありがとよ!」
パロムあんちゃん、ありがとよ!
ポロム「おにいさまが できたみたいで
とっても うれしかったですわ!
ポロム「お兄様が
できたみたいで、とっても
嬉しかったですわ!
ポロムお兄様ができたみたいで
嬉しかったですわ!
テラ「おまえたち なにを!テラ
「お前たち何を!」
テラおまえたち何を!
パロム「あんたらを ここで
ころさせやしない!
パロム「あんたらを
ここで殺させやしない!
パロムあんたらをここで
殺させやしない!
ポロム「テラさま!
セシルさんを おねがいしますわ!
ポロム「テラ様!
セシルさんを
お願いしますわ!」
ポロムテラ様!
セシルさんをお願いしますわ!
パロム「いくぞ ポロム!パロム
「いくぞポロム!」
パロムいくぞポロム!
ポロム「うんッ!ポロム「うんッ!」ポロムうんッ!
『やめろー!セシル「やめろー!」
パロム ポロム「ブレイク!パロム ポロム
「ブレイク!」
パロム
ポロム
ブレイク!!
  • 上の表を見れば分かるが、今のタイトルはDS版の台詞になっている。
    しかし、DS版の台詞変更にはどんな意図があるのだろうか?
    ポロムの「とっても」とセシルの「やめろー!」が無くなって、やや感情が抑えられているようだが。
    • 文字数制限かと思ったけど「セシルさんをお願い~」が一行に14文字も使ってることを考えると違うのかな?
    • DS版のPVでは、セシルが「さがれ2人とも!」と(音声付きで)しゃべるシーンがあるが、実際のゲーム中では削除されている。意図は不明。
  • 実際に口に出したときのテンポを考慮したと思われ。
  • SFC版では、この後にセシルが2人の名前を叫ぶとき、「パロム」のときは決定ボタンでセリフを消せるが、「ポロム」のときは消せない。

セシルが「やめろー!」と言った時、セシルはパロムとポロムが石化しようとしたことがわかっていたのだろうか。

  • 石化かどうかは分からなくとも、口ぶりからして何かやらかそうとした事がわかったんじゃないだろうか。

2人の石化を解こうとする努力は良いんだが、あの状況で石化を解いちゃったらそのまま潰されちゃうんじゃないか?と思わないでもない。石化した直後に機構自体がぶっ壊れたなら別だが。


石化したからといって、2人の重量程度で止められるものなのだろうか?
それを考慮したためか、小説版の挿絵では足と床がくっついて石化したような感じになっている。
これならちゃんと止まりそうだ。


半熟英雄4発売当時、公式サイト「半熟モバ劇場」の祭りコーナーのラストにてこのシーンがセルフパロディにされていた。


ポロムの「ブレイク!」は、パロムに「ブレイクを唱えて!」という意味だったのだろうか。

  • 2人がけであれば、威力は弱いながらも本来黒魔法であるメテオやフレアも発動できるので、たぶんこのブレイクも2人がけだったのではないだろうか。
    普通の手段では石化が解けないのも、自らの意志だったことに加え、2人がけだったことで魔法が解けにくくなっていたからなのかも。

5歳児2人が自己犠牲で大人たちを守るというあまりにやるせないイベントである。
残された大人たちは、子供たちを守るどころか守られてしまったことを
さぞ無念に思ったことだろう。
テラはこの後「ばか者が! 死ぬのは、この老いぼれでよかったろうに!」
と自分が犠牲になれなかったことを悔いている。

  • このイベントはプレイヤーの年齢によって受ける印象が異なる。
    子供の頃に見てもそこまで大きな衝撃は受けないかもしれないが
    自分が子供を持つぐらいの年齢になってから見ると、あまりにも惨い…と思えるだろう。
    • 大人になってもただゲームのキャラが死んだ程度に感じる人もいるし年齢はあまり関係ない。
      共感力の差だろう。共感力がある人ならキャラクターの気持ちになって感情移入することができるが、
      共感力のない人は子供を持つなど自分で体験したことでしか感じることができないし、
      自分がそうなら他人もそうだという思い込みからバイアスがかかってしまうのだろう。
    • 初プレイ時は小学生だったけどこのシーンで泣いてしまった。人が死ぬのを見るのは子供だって辛いのだ。

DDFF

ラビリンスにおいて、石化の状態異常カードにこのイベントを元にしたと思われる絵柄が描かれている。

いたスト

Specialでもチャンスカードにこのイベントの様子が描かれたものがある。

  • チャンスカードNo.13。効果は「自分の持つ全ての店の値段が13%下がる」という、シリーズ恒例の文字通りちょー悲惨な代物。
    引いてしまうと例のSEが流れる。