【ザンデを巡る議論】

Last-modified: 2013-01-19 (土) 15:58:55

ffdic:キャラクター/【ザンデ】より転記


考察

主人公を助けたドーガ、ウネと同じ大魔道師ノアの高弟の一人で、
彼の死後に「人間としての生命」を受け継いだが、
それが不満でクリスタルタワー(シルクスの塔)に引き篭もった。
最終的に暗闇の雲で世界を闇に飲み込ませようとしたが、
どういう経緯でそういう行動をする決断に至ったのかは不明である。
人間としての生命をもらったとあるのでドーガウネ同様に人間ではないらしい。
遺産の意味を「師に認められていない」と受け取り力を示したかったのではなかろうか。
 
彼の「永遠の命を手に入れるのだ!」というセリフ、
闇の四戦士のセリフ、ノアに与えられた「人間としての限りある命」から察するに、
世界の光と闇のバランスを崩し、世界を無に帰し時間を止めることで永遠に生きようとしていたと思われる。

  • なお、「永遠の命を~」というセリフはDS版で追加されたもの。
    FC版においては、そうした現世利益ではなく「世界を闇に包む」ことそのものが目的であった
    と捉えることもできる。
    それはつまり、「人間としての命」に絶望したものが取る行動……「自殺」のメタファーである。

>世界の光と闇のバランスを崩し、世界を無に帰し時間を止めることで
>永遠に生きようとしていたと思われる。
単純に闇の力を得れば、永遠に生きる事もできるんじゃないか? 程度だと思うが


ザンデ自身は暗闇の雲を呼びたかったわけではなく、
クリスタルの力がバランスを崩した結果の副産物じゃなかろうか。
本人はあんなものが出てくると思わなかったか、力を制御すれば大丈夫と考えてたかのどちらかで。


ザンデが受け継いだ人間の命は、ノアにとっては最も尊く最も価値があるものであったが、
ザンデにはそれが理解できなかった。
 
因みに暗闇の雲は闇もしくは光の氾濫による産物であり、ザンデとは直接関係ない。
ザンデが闇の氾濫さえ起こさなければ、登場することもなかったんだろうがね。


ノアはザンデに、「」すら照らすというエネルギー、命が生み出す「希望」を手にして欲しかったのかもしれない。


ドーガ「この世に暗闇をもたらそうとしている者、それはザンデじゃ。
 ザンデはかつて、わしと同じ師に学んでおった。大魔道師ノアにじゃ。
 ノアは死ぬとき、わしにその魔力を、ウネには夢の世界を、そして
 ザンデに人間としての命を下さった。だがザンデはそれが不服でこの地を去った。
 そして、古代の民が作り出した装置と土のクリスタルの力を利用して
 あの大地震を起こしたのじゃ。
 ザンデは光の力を封じた。そして暗闇を呼び出し自らの力としようとしているのじゃ。
 悲しいことじゃ・・・・

モーグリ「ザンデ様も良い人だった。でも
 大魔道師ノアが自分には人間の命というつまらない物しかくれなかったと言って、ここを出ていったのです。

  • ノアの弟子をやってた頃はドーガの館に居たらしい。
  • むしろその頃は「ノアの館」だったかも。
  • 「良い人だった」ってことは、昔は性格がよかったんだろうか…
    • 真面目な人ほど極端に走りやすい。

ザンデ「よくここまで来たな。しかしもう闇はそこまで来ている。
 手遅れだったようだな!
 ファファファ・・・・死ねい!

ザンデ「グフッ・・・・私を倒しても無駄だ・・・・
 暗闇の雲はもう既に・・・・全ては闇に包まれるのだ・・・・・・・・

グルガン族の男「私はグルガン族のひとり・・・・
 遥か昔、光が氾濫した時と同じように、今、闇の力が氾濫しようとしている・・・・
 何者かが闇を呼び寄せている・・・・
 その者は知らない・・・・一時は闇の世界が広がっても
 結局最後にはバランスを崩した光と闇の2つの世界は
 どちらも無くなってしまうことを・・・・

  • 暗闇の雲の力で世界を闇で包もうとはしていたが、その後に無が待ってることは知らなかったらしい。
  • もし光の戦士に邪魔されなければ、ドーガが言ってたように暗闇の雲の力を自らの力として吸収して、
    ドーガやウネが授えられた力よりもすごい力に満足したあと、無とはいったい・・・うごごご!という最期を迎えたのかな。
    • 永遠の精神生命が有限の器に捉われて絶望を覚え、
      肉の世界は下らんから破壊すると宣言したのだと思われる。
      先に待つものがなんであるかは十二分に知っていたのでは。
      死の瞬間の苦しみなどはひょっとしたら知らなかったかもしれないが。

結局、何がしたかったのか具体的に語られない。

  • 失望のあまり破滅主義に傾倒してしまった故の行動だったのかも。

プレイ当時、子供心に「これってノアが悪いよなぁ」と思ってた。
3人のうち他の2人がゲームとかマンガとか買って貰えたのに1人だけ道徳の教科書貰ったようなもんだろ?
そりゃザンデじゃなくたってグレるよ。

  • そう思ったプレイヤーも多いのか、
    DS版ではドーガが仲間にいる間の会話でルーネスが彼に同情するセリフが見られる。
    「人間の命なんてもらってもなぁ・・・ザンデってのが怒るのも分かる気がするよ」
    ルーネスのその言葉に対してドーガは「人間の命は限りあるからこそ美しい」と、
    ダ○大のポ○プのような事をのたまうが
    正直、元の寿命は人間より長かったであろうし、ザンデからしてみれば
    「お前にはあと数十年しか命が続かないようにしてやろう。精一杯輝けよ^^」
    と言われたような気だったのかもしれない・・・
    • 上司を殺害して慢心した途端に余命宣告食らってズドーンなクジャと同じ心境だろうな。
      ドーガとウネはゲームとマンガ買ってもらえたから他人事で言いたい事言ってるだけだし。
      クジャと違ってザンデは元々は善人だっただけにかわいそう。
    • 自分が素晴らしいと思ったからと相手の望まない物(
      しかも相手にとっては無価値どころか大きな不利益)を押し付けたノアの自分勝手さこそが、
      FF3における諸悪の根源ではなかろうかと思う。
    • ノアはザンデという存在に可能性を与えたかっただけなんだろうがな。
      ザンデは永遠の生命と呼べる精神世界に帰ろうとしただけで、
      別に本質的には何も失っていないと思われる。
      なんおメタファかは前の方で語られているから省略。
  • 某妖怪人間と違って自分は人間だと思ってたけど、
    実は違う生き物だった事に気づいたというのではないから、
    人への憧憬が少なかったのだろうと思う。
    人外モンスターでも人間とコミュニケーションを取れるモーグリのような生物もいるし、
    オーガやトロル、サイクロプスのように人間に類する形態をとっていながら
    フィジカル的に人間より遥かに優れているものがいる世界では、
    人間である必然性も少なかったのではないか。
    FF1に登場した人魚のように人間に憧れるほうが少数派なのだろう。

ちょっと電波入るが、ノアはいい人と見られていたザンデの本性(支配欲、残虐性)を薄々感じ取っており、
強大な魔力や夢の世界を彼に託せばその力を暴走させると思っていたのではないだろうか。
だからこそ彼に「儚いけれどかけがえのない、そして可能性を秘めている」人間としての命を与えることで
他人の存在と命を大切にしてほしいと願ったのかも知れない。
結果としては完全に裏目に出たわけだが…。
「道徳の教科書」を与えるからにはそれなりの理由があった、という事で。


ザンデが暴走する前に、ドーガかウネどっちでもいいから
贈り物交換してやれば良かったんじゃなかろうか…?
師の遺志を尊重したのかもしれんが。


DS版ではドーガに下記のようなセリフがある。

そして闇の力で大地をおおい時間の流れを止めてしまった…
ザンデは時間を止めることで限りある人間の命から解放されようとしたようじゃ…しかし
おまえたち光の戦士が現れ時の流れが動いた今、再びザンデは時間を止めようとしておる。

DS版では「時間を止めることによって相対的に永遠の命を手に入れようとしていた」ということらしいが
暗闇の雲が現れた理由は良く分からない
(世界を闇に包んだ後、なにもかも無に帰すのが暗闇の雲の目的のため、
 ザンデの存在すら無に帰ることになる)。
「俺が死ぬなら世界も道連れにしてやる!」というザンデ様の死に際の心変わりだったのかも知れない。

  • 「世界を無間地獄に落として考える必要をなくそうとしたら釜の底に穴があいてた、まあいいや」
    くらいじゃないないかな。
    絶望極まれば何もかもがどうでも良し。

出番

中ボスやドーガやウネの会話からチラホラ名前が聞けるが、当人が登場するのは最後の最後で、
セリフは魔竜の罠・バトル前・バトル後にそれぞれ一言だけとあまりの出番の少なさからか、
DFFではFF9の永遠の闇並にポッと出の暗闇の雲に座を奪われてしまった。
DFFはラスボスでなくともゴルベーザやクジャなど、
ストーリー的にも重要で出番の多い者なら採用されえたのだが彼はその選考から漏れたようだw

  • 基本的に能動的結末をもたらそうとする者が選ばれているから、
    無と言うより破壊が目的のケフカやそもそも支配を望んでいたクジャ・皇帝、
    支配と旅の人生だったアルティミシア、男らしいジェクト、
    破壊の精霊と言うべき暗闇の雲&エクスデス(後天的に)、システムとして動くセフィロス、
    等と違い純自滅願望のザンデは選ばれようがなかったのだろう。
    • システムとして動くってそれこそ受動的な気がするけど。
      やっぱりザンデは単純に出番とか語られる部分が少なすぎたのが問題だったんだと思う。

得意技がメテオだから2のこうていと被るというのもあったのかもな

  • その点、雲様は「波動砲」という個性的で他と被る事もない技を持ってるな

しかし、FF3の中では暗闇の雲より存在感はあるし、やっぱ可哀想ではある。
どう見ても人間では無い容姿が原因か?
(暗闇の雲は天野絵に忠実になっているためただの露出狂にしか見えない)

  • そうかなぁ、俺個人は暗闇の雲の方がバリバリ存在感あるように思えるが。
  • 人間にこそ見えないが、体つきは人間っぽいと思う。天野絵だと尚更。
  • 人それぞれなのは承知だが「暗闇の雲より存在感がある」とかレアケースだな。
  • クリア後に全体を見渡した場合の存在感とは違う、プレイ中における存在感は強いと思う
    メデューサ辺りからずっとザンデ様ザンデ様言ってるものな、ザンデ=ラスボスでずっと進んではいた

中盤から名前自体は出てくるが自ら存在をアピールする機会がほとんど無かったのが原因かも知れない。


ゴルベーザやエクスデスのように自ら出向かず部下に任せっきりだったのが悪かったのでは。
せめてドーガやウネと会話でもしてやれば良かったのに。

  • ザンデの部下って、ティターンクラーケン以外にいたっけ?
    あとはせいぜいクリスタルタワーや古代の民の迷宮とその周辺の、通常敵&5匹の魔竜くらいなのでは。
    ゴールドルガルーダは違うよな。それぞれ自分の欲望(富や権力)の為に暗躍していた最中に、
    ザンデの策によって世界丸ごと石化させられて海底に沈められていたわけだし・・・
    エウレカのアイテムボスは、その武器の力(または古代人による封印の力?)の化身だし。
    ザンデの正式な支配域はクリスタルタワーエリア内だけかと思うんだが。
    「魔王」じゃなくて「タワーの主」。
    • 純粋な魔術師でありアバターだから、魔王といってもいわゆる軍の長ではなかったわけだ。
      送り込んでたのもいわば彼の召喚獣だしな。
    • メデューサ

DFF的には男女比のバランスというのもあったのではなかろうか。
ただでさえ主人公・宿敵となると男が多目なのだから。


つーか、DFFで暗闇の雲が参戦したのは必然と思ってた俺の方が感覚ずれてんのかな?

  • ザンデはカオスというより純粋なネガキャラだから雲で良かったと思うよ。

一応、インタビューでは候補に挙がった一人として彼の名を上げている。


もし出た場合異名は間違いなく「魔王」だっただろう。


FF3本編での名前の登場回数はザンデが雲様より多いが、
存在感は長いタワーを越えた挙句の強制負けイベントやらで、雲様が上になった感じ。
ゲーム中盤辺りで登場して自分で動けば、また違った感じになったんだろうけど。
ゼムスを押しのけたゴルベーザ、闇を押しのけて出たクジャも動くタイプだったし。