物語:( キャラ/ア-カ | キャラ/サ-ナ | キャラ/ハ-マ | キャラ/ヤ-ワ || 武器物語 || 聖遺物/☆5~4 | 聖遺物/☆4~3以下 || 外観物語 )
図鑑:( 生物誌/敵と魔物 | 生物誌/野生生物 | 地理誌 | 書籍 | 書籍(本文) | 物産誌 )
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図鑑/書籍/本文4
シェロイとシリンの物語
本文を読む
◆第1巻
「これから語る物語は、『疫の王』シェロイの時代のものである。ただ当時、その藩主はまだ『シェロイの疫病』という悪名で呼ばれていなかった。彼の臣民もまだ暗闇の世界に散って、言葉も顔もない野蛮な生物になってはいなかった…」
月娘の城の精霊が暫く沈黙した後、気持ち良さそうに背伸びした。手首や足首を飾る月色の銀貨がガラガラと音を立てる。まるで駄獣の揺れが気に食わないかのようだ。
「ところでコラクスちゃん、『シェロイ』という名の意味を知っているか?」
「うーん…不条理で滑稽な、卑しい者?」
「コラクス」と呼ばれた少年は適当に答えた。日差しと流砂に悩まされ、旅の仲間の話に付き合っている余裕などないようだ。
「我々の部族では、『シェロイ』は恥ずべき名であり、追放された頭領だけが額にその名を焼き付けられる。罵倒や嘲笑の時にのみ、その名を口にする。これは私たちの伝統…他の部族もさほど差はないだろう。
ははっ!凡人の認識は流砂の如く、時間の風と共に游移不定。まったく不可思議だ!」
「コラクス」の適当な回答に精霊は興味を持ち、そして挑発した。
「実は…失われた言葉では、『シェロイ』は『離乳していないライオンの子』という意味を持つ。父の『パーヴェズラヴァン』は、その意味を用いて息子に名をつけた。しかし、自分のことを『常勝の霊』と呼ぶ息子の藩主が、愛する『仔ライオン』によってハイエナのように引き裂かれるとは思ってもいなかった…」
精霊がしばらく沈黙する。聞き手が退屈するのを恐れたのか、少年と視線を交わしてから話を続けた。
「『パーヴェズラヴァン』について、伝説によると、人間が藩主としてそれぞれ統治していた時代、『パルヴィズラヴァン』は列王の中でもっとも力強い一人だった…」
「パーヴェズラヴァン」は、この藩主の本名ではない。精霊によると、かつて父も母もなく、孤児となり、巨鳥ゴグヌスの巣で育てられ、「キスラ」――「美名を賜った者」という名を授かったという。その後、強者への野心を抱き、神聖なる鳥の力を借りて藩主のオルマズドシャーの養子となり、凡人の中の賢人と英雄になった。
すでに消え去った砂漠の一族の歌には、こう記されている。キスラが藩主オルマズドシャーのために大地の四方を行軍したと。そして、九十九の城にモルタルと青銅の高塔や壁を捨てさせ、九十九の遊牧民の指導者を倒し、星空の理を知る九十九の賢者に金の枷をかけ、楼閣にそびえ立つ王都ジュラバドに連れ戻し監禁した。
その時、楽土「ヴァリ・ヴィジャ」が荒れ狂う金色の砂に押し流され、三生魔神の一人が沈んだ。百年の混沌と迷いの中、彷徨う凡人の民は藩地を守った。そして我が主アフマルと緑樹賢王は民を集め、オアシス楽園を再建する。その後、金色に輝く藩王の統治時代が終わるまで守り抜いたのだ。
話を戻そう。オルマズドシャーの冠は、キスラの働きによってより価値を上げ、ついには自分の首が冠の重さに耐えられなくなる。純金の鎖で、永遠に広間の真ん中に吊るさなければならなくなった。
若きキスラはその偉業を称えられ、藩王オルマズドシャーから至高なる褒美を授かった。そして、キスラは養子として「パーヴェズ」という名を授かり、藩王の娘シリンを妻に迎えた。精霊たちの茫々たる歌によれば、彼女は凡人の藩王と祖母リルファルの間に生まれた混血であり、優れた知恵と無限の寿命を持っている。最初の賢者のように、現在の吉凶を予見できたという。
もし、キスラ・パーヴェズがここで止まっていたら、彼の英雄としての名声は揺るぎないものになっていただろう。しかし、ある呪われた日、ジュラバドで藩王オルマズドシャーとその跡継ぎ三百人が一夜にして死んだ。そんな不条理な出来事の後、キスラが自然と王位を継承する。加えて、「ラヴァン」の名を得て、凡人の中でもっとも強大な藩王となった。
「……」
精霊が物語を中断し、砂丘に沈んでいく赤い太陽を見る。そして、甲高い口笛を吹いて少年に駄獣を止めさせると、崩れた石柱の下で野営の準備をするよう合図した。
「話によると…」
精霊が駄獣から軽やかに飛び降り、砂の上で何回か回転した。まるで失われた「セタレ」の踊り子のように、最初に届いた月光が透明な肌を銀色の光沢で均一に染め上げた。ミルラの香りが幾千本の髪と舞い、金の鈴の音と共に遥か彼方まで届く。
そして精霊が少し体を傾け、つま先で立つと、柔らかな笑い声を上げた。
ジュラバドの悲劇を引き起こしたのは、英雄キスラだという説がある。
それによると悲劇の夜、爪のない鳥が堅固な城から飛び出し、飲まず食わずで一晩中泣き叫んだという。城内には人の顔をしたネズミが出没し、王冠を吊るした金の鎖をかじった。あまりに重いその王冠は地面に落ち、壊れて歪んでしまったそうだ。
王冠が地面に落ちる音はあまりに大きかった。堅固な城の遥か遠くに住み、仕事に励んでいたファッラーヒーンの奴隷たちも、会ったことのない暴君を心配したと言われている。
その後、数多くの冒険者たちが金色に輝く砂の下からジュラバドの古びた地下室を見つけた。そこに隠されていたのは、オルマズドとその跡継ぎの巨大な萎縮した遺体。それぞれの遺体には、読めない古い銘文が残されていた…
「この物語があなたを驚愕させることを願う。」
精霊は、目の前にいる人間の少年が獣皮の水筒から水を飲むのを興味深げに見ている。
砂漠の部族は、本能的に飲水を控えめにし慎重である。しかし、精霊は純粋な元素の中で生まれた生霊であり、渇きという感覚を知らない。贅沢な快楽に溺れることもなかった。まさに古代のシリン王女の挽歌のようである。
「祖母リルファルの娘のシリンについては、まだ物語が始まったばかりである…」
精霊は再び狡猾な笑みを浮かべた。その目は琥珀金のようであり、その笑顔は古い故郷の姫君のようであった。
◆第2巻
その時、楽土「ヴァリ・ヴィジャ」が荒れ狂う金色の砂に押し流され、三生魔神の一人が沈んだ。百年の混沌と迷いの中、彷徨う凡人の民は藩地を守った。そして我が主アフマルと緑樹賢王は民を集め、オアシス楽園を再建する。その後、金色に輝く藩王の統治時代が終わるまで守り抜いたのだ。
「それはもう聞いた。」
少年はうんざりした口調で言った。彼は星空に浮かぶ満月を眺めながら、伴星の位置で明日のルートを考えている。
しかし、少年が自分の話を真面目に聞いているのを精霊は知っていた。そして思わず得意げに鼻息を荒くしたが、今度は少年の失礼な態度に腹を立てた。
「凡人は落ち着きがなく、聞いた話をすぐ忘れる。お前が本当に聞いていたかなぞ知る由もない!」
話を戻そう。精霊の哀歌によれば、シリンは凡人の英雄オルマズドと精霊「睡蓮の娘」リルファルの間に生まれた娘である。彼女は蓮の葉の上、香しい露の間に生まれた。白い鷲が祝福を捧げ、コブラが青色の真珠を献上し、雄壮である巨大なワニが身を伏せて彼女を崇拝する。
リルファルは精霊の祖母として、娘を凡人の藩王に渡す前に三つの予言をした。一つ、シリンは偉大な英雄と恋に落ち、その子供は父より優れたものになること。二つ、シリンの血縁者の多くが甘い結末を迎えること。三つ、シリンが父親の王国を独占すること。
また、リルファルは凡人の寵児に三つの忠告をした。一つ、娘の喜びは父の涙と化すこと。二つ、娘が婚姻を結んだ後、二度と同じ食卓で宴を開いてはいけないこと。三つ、娘の跡継ぎは王国に凶兆をもたらすこと。
予言や警告に対して、藩王はただ無視していた。
「その後、シリンは父親の命を受け、偉大な英雄『パーヴェズラヴァン』と結婚した。つまり、最初の予言が当たったということ?」
少年が精霊の物語を中断した。
「そう。でも、それだけではない…」
精霊は少年の鼻先に指を置いた。すると、少年は顔を紅潮させて、慌てて逃げた。精霊の茫々たる死の呪いを受けるのを恐れたのだろう。その無邪気な仕草が精霊をまた笑わせた。
シリンが少し大きくなった頃、母親が彼女のために願ったことは避けられない呪いとなった。彼女は英雄と恋に落ちる機会を待ち、父から王国を継承する日を待ち、完璧で甘い未来を待ち望む日々を送っていた。しかし、どれも実現はしなかった。
正直なところ、シリンと英雄キスラの婚姻は幸せなものではなかった。何しろ、凡人の英雄は支配の野心を持つひねくれ者ばかりだからだ。しかし、精霊の誇りを持つリルファルの跡継ぎは、凡人の英雄の愛が抱くような金線の罠に耐えられず、寝所と炉の安寧に落ち着くことはできなかった。そして、愛のない退屈な生活から、鮮やかな憎しみが芽生える――銀瓶に封じ込められたものと、同じ憎悪を抱いていた。
その後、悪名高い大饗宴の夜、どこぞの卑しい奴隷――マザンダランオアシスの術師、文盲のファッラーヒーンの奴隷が、麝香の飴にサソリの毒を垂らし、藩王オルマズドとその三百人の跡継ぎへと渡した。そして彼らが甘く希望のない死の夢の中に沈み、卑しい者の脂と血に溺れ、血の涙があふれるのをただ見ていた…
この夜、まだ夢を楽しめたのは、父親に宴から外されたシリンと、不本意な協力者および夫のキスラだけであった。
卑しい王殺したちは直ちに、新王によって蜜の入った桶に沈められる。そして、呪いを喚く口は蜜で塞がれた。
新王の口からは黒く穢れた血のような嘘が迸り、勇者の名は次第に暗闇の穢れに染まっていく…
こうして、二つ目の予言は実現した。
その後、キスラ・「パーヴェズラヴァン」の息子で、母に愛されたシェロイは大人へと成長する。しかし父によって、そびえ立つジュラバドから追放されてしまった。父はシェロイの顔を隠して早馬に乗せ、二度と王都に足を踏み入れることを許さなかった。間違いなく、「パーヴェズラヴァン」は精霊の主母リルファルの警告を非常に恐れている。臆病な彼は生きるために、この決断を下した。
こうして、藩王の根も葉もない恐怖から、シリンは再び復讐の好機を得ることができた。
ある夜、彼女は月神の神殿の姫神に扮して、宿泊していた浪人に出会った。爛漫たる銀色の光が絡みつく中、結露した百合の花の間で、彼女は顔を覆い隠した遊子へと偽りの、そして儚い神託を授けた。
「父親の暴虐は、遊子にとって最大の不幸である。月神の寵児よ、月光が照らす場所はいずれもお前が支配する王土。お前が撒いた種はすべて栄えて生い茂る。月光から良弓と鋭い刃を授かったのであれば、なぜ王座を占拠している臆病者に耐える必要がある?さあ、勇気を胸に憎しみと向き合い、己の姿を見るといい。」
話によると、シェロイが躊躇していた時、夜風が吹き、シリンの顔を覆う薄いベールが落ちたという。
見覚えのある顔を見て、顔を隠さざるを得なかった少年は、一瞬にして恐怖と羞恥心に打ちひしがれた。そして、恐怖のあまり穢れた神殿から逃げ出す。鈴のような笑い声も、冷酷な月光も、恐怖を示すものとなった。
その後の話は、取り立てて言うほどの点はない――無敵の藩王「パーヴェズラヴァン」は、顔を覆い隠した反逆者に寝所で刺し殺される。サファイアと黄金の角で飾った豪華な寝所には、消えない血痕が残された。
精霊の哀歌ではこうなっている――大逆を犯したシェロイはかつて、母のシリンに向かって懺悔の涙を流した。しかしシリンは叱責することもなく、愛しい子を抱きかかえ、追放の象徴である黄銅の仮面を外すと、愛情のこもった祝福のキスをした。
シェロイが王になった後、逃れられない悪夢に苛まれる。そして荒れ狂う夜を彷徨う中、大地の深く黒い裂け目に落ちて姿を消した。その後、疫病が裂け目から這い上がり、ジュラバドの人口の半分を飲み込んだ。藩王と家臣を失った国は、飽くなき砂へと飲み込まれていった。
散った生存者たちは、この災厄を「シェロイの疫病」と呼んだ。不条理で短命な暴君の報いであると言った。
母であるシリンは、リルファルの三つ目の予言を実現した――彼女と彼女が産んだ跡継ぎは、復讐によって破壊された土地で真の自由を勝ち取り、驕った者に死を告げる悪霊と化した。
「シリンは我が主アフマルに引き取られ、美しい銀色の魔法瓶の中に拘留されたという話がある。また彼女は今も砂漠を彷徨い、身の程を知らない冒険者たちにしがみついて、漆黒の世界に落ちた最愛の子を探しているという説もある…」
精霊は誇らしげに微笑み、この物語が真実であるかのように締めくくる。
月が高く昇り、砂漠がまだ砂漠でなかった遠い昔、姫神が生贄を捧げた時期のことであった。
遐葉論
本文を読む(魔神任務第三章第五幕「虚空の鼓動、熾盛の劫火」クリア前)
◆第1巻
…勝手に彼女の真名を口にする勇気はない、ましてや彼女の神々しい姿に軽々しく触れることなど、もってのほかだ。私、スニタ・コサムヴィは知識の浅い下僕。ただ、かつて彼女に付き従った賢者から聞いた話を記録していたに過ぎず、他に情報源はない。これら言葉は、私自身の存在のように紛うことなき真実である。
月の影が砕けた時、淵の底から獣の群れが現れ、幾千万もの生き物を食い尽くした。彼女によって創られた者は誰一人としてその運命から逃れられず、彼女が与えた善意も平和も知恵も、純粋な悪意を前にして消え去っていった。凶悪な笑みを浮かべる残月の下、枯れ果てた黒潮が砂漠と谷に流れ込み、かつて薔薇に絡みついた泉を汚した。その穢れは大地を汚し、凡人を絶望の淵に落とした。賢人たちは、原野も村も都も飲み込んだ洪水であったことから、それを「黒潮」と呼んだ。
彼女はそのすべてを自分の目で見て、生き物の悲しみと苦しみに涙を流した。彼女の涙が地に落ち、燃える邪悪な炎を消し去ると、不毛だった焦土には甘露に満ちた花が咲いた。しかし、災厄の根源はまだ焦土の下にあり、死の影は澄んだ月の光を覆い隠している。そして、彼女は地上の生き物を救うことを誓い、後に続く霊使いたちと共に最後の遠征へと出た。
●第2巻
彼女は斑々たる光と影に沿って、とうに朽ちた林間へと向かって歩いていく。足を踏み出すたびに、彼女の背後で千本のサウマラタ蓮が静かに咲いていく。すべての災難、焚き火や死または破壊は、彼女の優れた知恵を前に消え去った。芳しい香りがする花々は死地で再び咲き、今日もアルダラビ河の砂利のように豊かに咲いている。暴風も彼女の歌によって止められ、柔らかな吐息に変わり、彼女の襟元に飾った大きく素晴らしい鈴を吹き、優雅で良い音を響かせる。あらゆる霊使い、精霊、人間の子、または人でないすべての物は安寧を喜び、彼女の名を褒め称えた。何故なら、彼女は知恵を持ち、至高の慈悲を抱えてる者である。
深い森の中で、彼女は草を抜いて武器に、花を集めて冠を作り、完璧なグロリアーニを吹いた。すると、一瞬にして幾千万の魔軍が塵と化し、居場所を探す間もなく消え去っていた。彼女はかつて荒れ果てた砂海に命の風を吹かせたように、森の生き物の涙を軽く拭き傷を治した。まるで遠い昔に、永遠のオアシスにいた使女のように。
ただ、この大地は依然として壊れており、悪鬼や妖魔がその心を飲み込み、自分たちの住処に変えて、太陽と月と火の光が届かない幽冥なる洞窟と化していた。土埃を財宝に、汚泥を佳肴に、鳥のように羽毛をまとっていながら、空高く舞い上がる力はない。彼女は決心した。あの暗い洞窟に行き、誰も出ることのできない邪悪な場所に入り、戻ることのできない道を進み、もっとも慈悲深く純粋な旅をすることを。
彼女は空洞になった俗世の心に一人足を踏み入れ、その永遠の顔に軽く触れた。そして、彼女は不朽のガオケレナとなり、俗世そのものとなった。霊知や芳草、それらすべては彼女の決して滅びない意志である。また、狂い咲く花海が彼女を囲み、翠玉のように青く、露のように香り高く、天衣のように濡れそぼつ。凡人が古い衣を脱ぎ捨て、新しい礼装に着替え、元の桎梏を捨てて永遠の神殿へと昇っていくように、百羽の鳥が彼女を巡って歌い、彼女が終ぞ取り戻した新生を讃えて歌い上げる。
◆第3巻
多くの人は、彼女の声を聞いたことすらないし、聞いたとしてもそれが彼女であることを知らない。何故なら、遠いところの話を聞いて、それを伝えるのに長ける者は稀であり、真理を知っていて教導に長ける者は稀だからだ。彼女の意志は万物を覆っており、知恵のように不滅である。その破壊できないものは誰にも壊せはしない。何故なら、この世に存在した不在はなく、不在の存在もないから。
注意しよう、森はかつて、漆黒の獣の潮の前に倒れ、静かな水に落ちた月の光は、それが映し出す夢のように断片化し、果てしない迷宮も燃える炎の中で崩壊したことを。あらゆる獣の君王は死に際に咆哮をあげ、彼女から託されたものを守るために倒れた。しかし、記憶そのものは壊れず、崩れず、落ちず、彼女の失われた知恵のように、不老不死で、永遠で、いにしえのものであった。
夢の国の王女は、彼女の導きに従って白い枝をそっと折り、枯れ葉の中で再び蒼翠の猟場を作った。壮大な願いをかけた森の子供たちがようやく、再び安らかに眠れるようになった。どんなに苦しくても、狩人は必ず帰り道を見つける――それが、彼女が子供たちに、かつて子供だった大人たちに与えた最初で最後の約束である。世界に散らばる月の塵は露のように消えても、記憶に残るもの、すべての夢や思いは真珠のように、たとえ風と砂ぼこりに磨かれたとしても、その潔白さを変えることはない。
本文を読む(魔神任務第三章第五幕「虚空の鼓動、熾盛の劫火」クリア後)
◆第1巻
…勝手に彼女の真名を口にする勇気はない、ましてや彼女のその時の厳かで神々しいに軽々しく触れることなど、もってのほかだ。私、スニタ・コサムヴィは知識の浅い下僕である。ただ、かつて彼女に付き従った賢者から聞いた話を記録していたに過ぎず、他に情報源はない。これら言葉は、私自身の存在のように紛うことなき真実である。
月の影が砕けた時、淵の底から獣の群れが現れ、幾千万もの生き物を食い尽くした。彼女によって創られた者は誰一人としてその運命から逃れられず、彼女が与えた善意も平和も知恵も、純粋な悪意を前にして消え去っていった。凶悪な笑みを浮かべる残月の下、枯れ果てた黒潮が砂漠と谷に流れ込み、かつて薔薇に絡みついた泉を汚した。その穢れは大地を汚し、凡人を絶望の淵に落とした。賢人たちは、原野も村も都も飲み込んだ洪水であったことから、それを「黒潮」と呼んだ。
彼女はそのすべてを自分の目で見て、生き物の悲しみと苦しみに涙を流した。彼女の涙が地に落ち、燃える邪悪な炎を消し去ると、不毛だった焦土には甘露に満ちた花が咲いた。しかし、災厄の根源はまだ焦土の下にあり、死の影は澄んだ月の光を覆い隠している。そして、彼女は地上の生き物を救うことを誓い、後に続く侍従たちと共に栄耀の遠征へと出た。
●第2巻
彼女は斑々たる光と影に沿って、とうに朽ちた林間へと向かって歩いていく。足を踏み出すたびに、彼女の背後で千本のサウマラタ蓮が静かに咲いていく。すべての災難、焚き火や死または破壊は、彼女の優れた知恵を前に消え去った。芳しい香りがする花々は死地で再び咲き、今日もアルダラビ河の砂利のように豊かに咲いている。暴風も彼女の歌によって止められ、柔らかな吐息に変わり、彼女の襟元を飾る大きくて素晴らしい鈴を揺らし、優雅で良い音を響かせる。あらゆる霊使い、精霊、人間の子、または人でないすべての物は安寧を喜び、彼女の名を褒め称えた。何故なら、彼女は知恵を持ち、至高の慈悲を抱えてる者だからである。
深い森の中で、彼女は草を抜いて武器に、花を集めて冠を作り、完璧なグロリアーニを吹いた。すると、一瞬にして幾千万の魔軍が塵と化し、居場所を探す間もなく消え去っていた。彼女はかつて荒れ果てた砂海に命の風を吹かせたように、森の生き物の涙を軽く拭って傷を治した。まるで遠い昔、永遠のオアシスにいた使女のように。
ただ、この大地は依然として壊れており、悪鬼や妖魔がその心を飲み込む。その空洞を太陽と月と火の光が届かない幽冥な洞窟と化し、自分たちの住処に変えた。それらは土埃を財宝に、汚泥を佳肴に、鳥のように羽毛をまとっていながら、空高く舞い上がる力はない。だから、彼女は壮大な願いを残し、あの腐敗した幽府へ向かい、枯渇をすべて清らかにせんとする旅へ出た。
あらゆる霊使い、精霊、人間の子、または人でないすべての物は彼女にその空洞となった俗世の心に足を踏み入れ、永遠の面影に触れることを伺望した。彼女によって贈られた俗世の善意と平和、そして知恵は、不朽のガオケレナと化し、俗世そのものへと化した。これは浄蓮咲き覆う時。また、狂い咲く花海が彼女を囲み、翠玉のように青く、露のように香り高く、天衣のように濡れそぼつ。百羽の鳥が彼女を巡って歌い、彼女が終ぞ取り戻した新生を讃えて歌い上げる。人の子が失った歳月は林を駆ける夜風のように。二度と見つかることはない。しかし彼女は最初の種を砂海に埋めた時の姿のように、逆風に乗って戻り、俗世にその昔日の姿を見せる。まるで賛歌が歌う通りにーー
その大誓願こそ、正覚である。業障煩悩、聞かざるものはない。
吉祥の慈光は諸魔の怨念を伏せる。枯れに覆われる土地も、聖なる智で新生を手にする。
帰す時も清浄で、曇りなく晴れ。空行く陽、星空で光る月のごとし。
諸蓮華は焔のごとき、慧光遍照。祝福の聖地にて、今歌い賛美する。
◆第3巻
多くの人は、彼女の声を聞いたことすらない。聞いたとしてもそれが彼女であることを知らない。それでも彼女は一人ひとりの願いに耳を傾ける。多くの人は、彼女の姿を見たことすらない、見たとしてもそれが彼女だとは知らない。それでも彼女は一人ひとりの夢を見守る。何故なら、遠く彼方の話を聞いて、それを伝えるのに長けた者は稀であり、真理を知っていて教導に長ける者は稀だからだ。彼女の意志は万物を覆っており、今なお彼女はスラサタンナ聖処に身を置き、この土地にある一つ一つの夢を守っている。それは彼女が帰った時、あの潔白な枝をへし折るように夢の国の王女を導き、枯れた葉から永世蒼翠の猟場を築き上げたかのように。
森はかつて、漆黒の獣の湖を前にして倒れ、果てしない迷宮も燃える炎の中で崩壊した。あらゆる獣の君主は死に際に咆哮をあげ、彼女から託されたものを守るために倒れた。しかし、どんな苦厄でも、彼女が贈った甘い夢を略奪できないーー人々が次の夜の夢を期待すれば、きっと新しい思い出が朝露と月の中で平和の花を咲かせる。
これこそが彼女が夢見る者へとした約束であり、最初で最後の約束。なぜなら、すべての思いは真珠のように、たとえ風と砂で幾度削られても本来の姿は変わらない。なぜなら、すべての夢は野草のように、たとえ猛火に飲み込まれても、やがては温かい春風の中で揺らぐ。
プシュパの歌
本文を読む
◆第1巻
…この話を聞いたプシュパヴァティカ国の女主人は腰を低くし、
難解な謎で王女の知恵を試そうと、(…)の大宮までやって来た。
永遠に輝き続ける女主人の周りには、数え切れないほどの侍女や従者、兵士がいた。
彼らは皆、上質なリネンや絹を身にまとい、まるで昼の幾千万の星のように、唯一の月光を飾っていた。
【ハルヴァタット学院のハーバッド、タファッツォーリのコメント――ここには誤訳がある。この小節の最後の文にある「絹」は、璃月の特産と混同しないよう「誰も見たことのない織物」と訳すべきだ。また、この小節の第二句で述べられている「大宮」は、原語では「宮殿」や特定の「建物」を指すのではなく、「神が存在する土地」を指している。この巻の翻訳を担当したヴァフマナ学院の学者たちは、その時代の言葉を本当に理解しているようには見えない。だが、それについては私が丁寧にコメントを添えておく。】
…甘い香りが漂う(柵?花園?戦場?)の女王――
それはまるで、木陰にある割れた銀の月の周りを流れる小川のように。
遠い昔より、これほど美しいものを眺めた者はいなかった。
七月に降る朝霜を、誰も見たことがないように。
【ハルヴァタット学院のハーバッド、タファッツォーリのコメント――この小節の最初の文、現時点では意味を断定できない言葉もあるが、「畑」や「墓地」と訳すこともできる。
ヴァフマナ学院のハーバッド、ヤールシャーテルのコメント――コメントありがとう、タファッツォーリマスター。今やこの本の著者が誰なのか分からなくなってきたよ。】
…そして、プシュパの女主人が言った――
「翼を持つ者、地上の万国を支配する君王を讃えよ。
私は初めに創られた精霊、輝く虚像、創造主の目から流れる光の揺らぎである。
遠方の人々があなたの知恵を歌っている。あなたは長い間私を苦しめてきた迷いを消し去ってくれるだろうか?
三つの謎を解いてくれたお礼に、香料と金、それから宝石を献上しよう。」
(…)の王女はこう答えた――
「翼を持つ者、地上の万国を支配する正理を讃えよ。
私は昨日の所有者、明日の朝の主宰でありながら、あなたのような美しさと優雅さを見たことがない。
プシュパの女主人、あなたの心にどんな疑問があっても、遠慮なく私に聞くがよい。
香料も金も宝石も、それらを全部合わせても、知識を与えることの価値と比べようがない。」
◆第2巻
そして、プシュパの女主人が言った――
「慈悲深い君王よ、もしあなたが本当に誠実であるなら、
ここで、最初の謎を聞いてもらいたい。
生きている時は死んだように冷たいのに、
消え去った後、人々に暖かい風を送るものは?」
(…)の王女はこう答えた――
「晩春の枯れやすい薔薇のこと。棘だらけだけど、その美しさは隠せない。
花は摘まれて濃厚な香水となり、茎は切断されランプの灯芯となる。
後にも先にも、縁で結ばれた数多くの恋人たちがそれに魅了され、赤旗の君王もその美しさを敬慕する。しかし、薔薇は誰も恋しがっていなかった。ただ、新月と朝露を伴って枯れるだけ。」
プシュパの女主人は、心の中で密かに感嘆するが、その可憐な顔は変わらず穏やかなままであった。
そして、さりげなく一歩前に出ると、王女に二つ目の謎を出す。
プシュパの女主人はこう言った――
「博識な君王よ、それは確かに最初の謎の答えだ。
けど星から深淵まで、この世界には未だ数え切れないほどの解明されていない謎がある
博識な君王よ、あなたの知恵が本当に人々の言い伝え通りであれば、
先のように、二つ目の謎を解いてみよ。
大地から昇ってまた空から降りる。
誰にも姿を見せず、すべてを見透かしている。
上はまるで下、下は上と似ている。
上から下に行けるが、下から上には行けないものは?」
(…)の王女はこう答えた――
「それは高天が定めた正義の法、原初の時から練り上げられた神聖なる計画。
この世の誰も永遠の律法を目撃したことはないが、律法は常に万物を支配している。
陰謀と妊邪を放任や誇耀せず、身を伏せて天神のヴァアナを尊奉するのみ。
その禁断の術をあえて模倣するなら、叡智の境界で待っているのは厄災と破滅だけである。」
◆第3巻
それを聞いたプシュパの女主人は心が躍ったが、可憐な顔は依然として冷たさを帯びている。
彼女は全知たる存在にそっと平伏し、王女に三つ目の謎を出す。
プシュパの女主人はこう言った――
「博識な君王よ、さすが星と深淵の間においてすべての賢さを司るだけある。
けど、この世界は儚いものばかりではなく、永遠と呼ばれる光り輝くものも存在する。
博識な君王よ、あなたの知恵が本当に人々の言い伝え通りであれば、
同じように、最後の質問に答えてほしい。
矢に耐えられないけど、破滅に耐えられる。
鎧を貫くことはできないけど、城を攻め落とせる。
高天の使者に屈せず、地上の万国にも屈しない。
神々であれ、妖魔であれ、力を振り絞っても、勝つことができないものは?」
(…)の王女はこう答えた――
「それは終わりのない知恵であり、(…)の文明を守ったのはそのものである。
(…)のように生き返り、(…)のように破滅することはない。
時間がそのものの足元に砂埃を巻き上げても、幾千万年後はまた(…)のまま。
人々はやがてそれの(…)を喜ぶ。そのものも必ず彼らのために(…)。」
【ハルヴァタット学院のハーバッド、タファッツォーリのコメント――この省略は人為的なものではなく、巻物が欠落した結果である。巻物原本の端にある痕跡から推測できる箇所もあるが、残念ながら本巻の翻訳を担当したヴァフマナ学院の学者には関連する知識がなかったようだ。そのため、ここで少し補足しておくことにした。
この小節の最初の文に欠けている言葉――「(私(たち)」、あるいは「永遠」、または「すべて」。
この小節の三つ目の文で欠けている言葉――ここでは人の名前のように見えるが、「適切に処分された遺骨」とすることも同様に可能である。
この小節の四つ目の文で最初に欠けている言葉――「帰還」、「死亡」、あるいは「再生」。
残りの欠けた単語については、現時点では推測することができない。
ヴァフマナ学院のハーバッド、ヤールシャーテルのコメント――当時、こんなこと教えてくれなかったよな?】
王女は三つの謎をすべて解いた。どれも彼女にとって難しい秘密ではなかった。
プシュパの女主人が彼女の言葉を聞いた後、王女は感心せずにはいられなかった。
そして、プシュパの女主人が言った――
「慈愛に溢れ、博識であり、永遠の君王よ。
あなたの知恵は、人の間で広がっている伝説を遥かに凌駕している。
あなたの眷属はいかに幸せか、あなたの民はいかに幸運か。
傍にいることができ、心ゆくまであなたの教えに耳を傾けられる。」
…以来、二人の女王は強固な同盟を結び、当初から傍にいた者、(血?怒り?レッドクラウン?)の君王と三人で一致団結し、(…)の民を永遠の繁栄へと導いていく。
千夜物語
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◆第1巻
無影人の物語
かつて、大陸に影のない人たちが暮らしていた。
彼らは質素な生活を送っており、住処以外の世界のことについては何も知らなかった。
ある日、道に迷っていた冒険者が彼らを発見した。無影人は、その冒険者に寡黙で忠実に追従する者がいることに驚いた。冒険者も、大陸の片隅に、日光が差し込んでも影を残さない、このような一族が存在することに驚きを隠せなかった。
「こんな発見があるなんて夢にも思わなかったな。」と冒険者は言った。
「夢?僕たちはもう、長いこと夢を見ていない。」無影人の一人が言った。「老人が言っていた、あらゆる夢は、もう既に夢見られているって。」
「影には魂の秘密が隠されているんだ。君は影がないから、夢を見ないんだね。」冒険者は言った。「君たちもかつて夢を見ていたように、影があったのかもしれない。」
「だったら、僕が失ったものを見つけるためには、どこに行けばいい?」
「密林に行こう。あそこには夢がいっぱいあるから、夢を捕まえる者が余分な夢を分け与えてくれるかもしれないよ。」
無影人の青年は故郷を離れ、冒険者が密林と呼ぶ場所への長い旅に出た。鬱蒼とした密林の奥には幾層にも重なった影がある。雲の影、樹冠の影、そして取るに足らない鳥でさえ、柔らかい地面に大きな影を残すことができた。
来る日も来る日も、彼は幾層にも重なった影の間を行き来していた。影には魂の秘密があり、その多くの秘密の中で、秘密を持たないのは自分だけであると彼は考えた。そしてある日、彼はすべての夢が自分に開かれていること、自分自身の夢はなくとも、こうやって他者の夢の中に入れることに気付いた。
彼が経験した多くの夢の中で、鳥の夢は色鮮やかで、虎の夢はいい香りに包まれていたが、夢を捕まえる者は見つけることができず、いわゆる余分な夢も見つからなかった。夢と影は一対一でこの現実に対応しており、彼は冒険者が自分のことを騙したのではないかと考えた。主のいない影が無いように、主のいない夢もないのではないかとも考えた。
彼が自分の失敗を認めようとしたその時、夢を捕まえる者が彼を見つけた。その邂逅はホラガイの夢の中で起きた。彼はその終わりに差し掛かった時、夢の中で白波と潮風を探そうとしたが、少し感傷的な余韻の中では、何も得られなかった。
「あなたも、このホラガイと同じ。この密林には似つかわしくないの。」
話しかけてきたのは一人の女性だった。彼はすぐに、彼女が冒険者の言っていた夢を捕まえる者だと気付いた。何故なら、女性の影は宝石がちりばめられたカーテンのように、奇妙な斑模様になっていたからだ。
「ずっとあなたを探していた」彼は言った。「あなたなら、余分な夢を持っているかもしれない…」
「それは朝露のように過ぎ去りやすいの…」夢を捕まえる者の言葉に悲しみはなかった。「主のいない夢は長くは保たない。私も色々な方法を試してみたけど、どれも結局消えてしまったわ。」
「…ほら、このホラガイのように…私たちも離れなきゃいけない。」夢を捕まえる者は彼の手を引き、もはや白波も潮風もない、死にゆく夢から連れ去った。
小川のほとりで、女性は彼に色んな物語を語り、夢を見る秘訣を教えた。その後、女性は夢を捕まえる者の禁忌について、彼に何度も警告した。他者の夢は振り返ってはならない、他者の秘密は底なしの深い井戸のようなものだから、と。
「悪夢はあなたが思っているよりもずっと狡猾なの。奴らがあなたのしたことを見つければ、あなたに群がって、光のない領域へと引きずり込むでしょう。そこには影の境界線はなく、離れることもできない。長く居続ければ、あなたは薄れゆく記憶の中で、奴らのカサカサ声から意味のある言葉を聞き分けることができるでしょうね。でもね、死者の名前は言ってはいけないの。さもなければ、奴らが迎えに来るわ…」
「あなたたちには影がないと思っていた。」彼は正直に尋ねた。「夢を捕まえる者も、自分の夢がないから他者の夢を集めなければいけないんだと。」
女性は答えず、彼女の斑模様の影は夕風に吹かれて、草の葉のように揺れた。
しかし、無影人の青年は答えを求めるあまり、夢を捕まえる者がうまく影を守っているところにチャンスを見つけ出した。密林を彷徨う生き物とは違い、その夢の扉は大きく開かれ、夢を捕まえる者の夢へと続く険しい小道が続いていた。
明らかに、彼女は自分の秘密を他者の夢の中に隠している、と彼は思った。だが彼女の秘密とは何なのか?それは誰の夢なのか?
夢を捕まえる者の夢は、鬱蒼とした密林のように幾層にも重なっていて、彼はあっという間に道に迷い、いつの間にか悪夢に巻き込まれようとしていた。
「僕は夢を捕まえる者の禁忌を破ったけど、底なしの深い井戸を見つめても答えは見つからなかった。」彼は考えた。「彼女は、長く居続ければ、奴らのカサカサ声から意味のある言葉を聞き分けられるって言ってた。それで誰の夢かくらいは分かるかもしれない。」と。
そこで彼は悪夢に身を任せ、深層へと足を踏み入れた。そこは女性が警告した通り、境界も光もない領域だった。彼は名前を表す言葉を見つけることを期待して、あらゆるかすかな声に耳を傾けた。
どのくらい経っただろか*、彼はついに断片的な音節を一つの名前に繋ぎ合わせた。その名前には、思わず暗唱してしまうような特別な引力があった。
そして、彼は両目を開けた。
「奇妙な光景が見えた。」彼は言った。「一人の女性が僕の夢の中に入ってきた。彼女は僕の夢を盗んだ。僕の知らなかった魂の秘密を盗んだ。それから、僕の影が無くなった。彼女は僕の名前を呼んだ。それは…]
「わかっているでしょう。」女性は彼の言葉を遮った。「死者の名前を言ってはいけないと。さもなければ奴らがお迎えに来ると…」
夢を捕まえる者は小川のほとりに座り、斑模様の影は夕風に吹かれて草の葉のように揺れていた。
「それは死者の物語に過ぎない。こんな話はたくさんしてきたけど、語られていない話はまだまだあるわ。」
そして、夢を捕まえる者は、無影人の青年のために、まだ聞いたことのない物語を語り続ける…
◆第2巻
ダステアの物語
昔、ヴァフマナ学院から来たダステアは、古国の遺跡を調査するために砂漠の奥地へ一人向かったが、不幸にも砂嵐に遭い、道に迷ってしまった。死にかけた彼の目の前に琥珀色の瞳をした若い女性が現れ、杖で轟音の砂塵を分け、彼を砂漠の外に連れ出した。
彼らが村に到着したのは正午のことだった。彼女は自分の家に招いて昼食をご馳走し、午後にはキャラバン宿駅に送ってあげると言った。しかし、若い魔法師がどのようにしてか風砂を分け、道ゆく漆黒の獣を追い払う様子を目の当たりにしたダステアは、去るのを嫌がり、彼女を師と仰いで、古国の秘法を教えて欲しいと願った。
魔法師は、琥珀色の瞳は死者が見たもの、生者が見たもの、そのすべてを知ることができると答えた。影のない人、空想に揺れる青銅の鐘、陸地を離れることのない鯨、銀の鏡で折り重なる月光の下にしか存在しない都市、永遠の中に幽閉された学者、七本の弦にぶら下がった高塔。彼女は、彼が比類なき天賦と計り知れない前途を持っていることを知っており、自分が知りうるすべてを教えてあげようと考えた。しかし彼女は、彼がすべてを学んだあと、自分への興味をなくし、自分を見捨ててしまうのではないかと少し心配していた。
ダステアはすぐに地面にひざまずき、靴のつま先にキスをして、どんなことが起こっても、あなたの優しさは忘れない、たとえ共に死ななければならないとしても、忘れることはない、と約束した。彼の誠意は若い魔法師を感動させ、彼女は優しく微笑み、彼を地面から起こして、彼の手を取り、地下室の扉の前まで連れて行った。彼女は彼を弟子にする意思があること、彼女に知りうるすべての秘密は地下の書庫の中に隠されていることを伝えた。
彼らが螺旋階段を下っていくと、一つ一つの階の壁に鏡が掛けられており、松明のかすかな光と彼の顔が映し出されていた。自分がどのくらい歩いたのか、何時間、あるいは何分だったか、暗闇が彼の時間に対する認識を曖昧にさせていた。階段の先には狭い扉があり、その奥には六角形の書斎があった。天井が見えず、部屋の高さを測る術もなかったが、それでもこの場所にある本の種類は、彼の知識に対するすべての想像をはるかに越えていた。
魔法師の指導の下、彼は順調に学んでいた。しかし数週間後、沈黙の殿から使者が村に訪れ、ダステアに、彼の指導教員が不幸にも病死したこと、そして彼が以前提出していた論文が審査を通過したことを考慮し、教令院が彼を例外的にハーバッドとして抜擢し、師の跡を継いで引き続き学生を指導させることを決定したと告げた。彼はハーバッドになれることを大いに喜んだものの、ここを離れることは気が進まなかったため、慎重に魔法師に尋ねた。何冊か本を持っていって、一緒に教令院に戻り、引き続き指導をしてくれないか、と。若い魔法師は彼の招待を受け入れたが、彼女には教令院に入って学びたいとずっと切望していた一人の妹がいたが、出身が砂漠だったために、ずっと入れなかった。彼女はハーバッドに妹を聴講生として入らせてほしいとお願いした。ハーバッドは、教令院への入学には厳格な審査の手続きがあり、聴講生であっても彼女のために例外を作ることはできない、と答えた。魔法師はそれ以上何も言わず、ただ荷物を片付け、彼と一緒にスメールへと戻った。
数年後、ヴァフマナ学院の賢者が逝去した。魔法師の助けを借りて完成した世を驚かせる論文によって、予想通り、新任の賢者がハーバッドに推薦された。魔法師は彼をお祝いに行き、賢者という身分を使い妹を聴講生にしてほしいと願った。新任の賢者は彼女を拒否し、このようなことをする義務がないこと、もう論文を書かなくていい以上、彼女の指導も必要ないことを示した。彼女に自分の村へ戻り、安心して養老すべきだ、と。魔法師はそれ以上何も言わず、ただ荷物を片付け、一人砂漠へと戻った。
さらに数年後、大賢者が逝去し、ヴァフマナ学院の賢者が新任の大賢者に推薦された。その知らせを聞いた魔法師は砂漠から駆けつけ、新たな大賢者を見つけると、ひざまずいて彼の靴の先に口づけし、昔交わした約束を思い出させようとした。砂嵐で居場所をなくなった自分の民を受け入れ、雨林に避難させてくれるよう懇願した。大賢者は激怒し、彼女を青銅の牢獄に閉じ込め、飢えと渇きで死なせてやると言った。理由は、彼はこの砂漠からやって来た詐欺師を知りもしないのに、戯言を言い立てて教令院を脅迫しようとしていたからだ、と。もう若くない魔法師は頭を上げ、頬の涙をそっとぬぐうと、最後にもう一度、曇った琥珀色の瞳で大賢者を見つめ、村に戻って自分の一族を救うことを許してくれるよう願った。大賢者はこれを拒み、衛兵に彼女を縛るよう命じた。すると、若い魔法師はそれ以上何も言わず、こう答えた――
「でしたら、どうか自分の村にお戻りください。」
大賢者は唖然として顔を上げると、自分がキャラバン宿駅の前に立っていることに気付いた。夜は更けつつあり、遠方の村は砂煙と夜の色に包まれて、はっきりと見ることはできない。若い女性が彼の前に立ち、微笑みながら、その琥珀色の瞳孔に今の彼の姿を映し出した――まだ論文の審査に合格していない、ヴァフマナ学院のダステアの姿を。
「さて、もう遅いですから、そろそろ教令院に帰りましょうか。何しろ、物語にもあったように…」
◆第3巻
王子と駄獣の物語
昔々、まだオルモス港が海を航海するデイズたちによって支配されていた頃、とある勇敢なデイズがいた。彼は無数の島や秘境を征服し、その結果多くの財宝を手に入れて、オルモス港屈指の富豪となった。しかし彼は長年を航海に費やしたため、晩年になってようやく一人息子を得たものの、王子が成人に達する前に亡くなってしまった。
若い王子はデイズの財産を受け継いだが、父の部下を率いることができず、徳望高い長者の指導もなく、すぐに放蕩不羈の生活を送るようになった。オルモス港の繁華街は金を飲み込む獣のようで、数年のうちにデイズの遺産はすべて浪費され、王子は巨額の借金を背負うことになった。王子が気付いた頃には、すでに家徒四壁となり、モラ一枚見つけることができなかった。邸宅を売り、最後の使用人を追い出した後、窮地に陥った王子は仕方なく、街にある霊廟に赴くことにした。そこには、船乗りたちを祝福してくれる古神が供えられており、現在のような立派で荘厳な姿になったのは、王子の父の布施のおかげだった。
王子は霊廟の司祭に助けを求めた。「多くの知恵を持つ長老よ、私は七つの海を制覇したデイズの息子なのに、浪費のためにこのような無様な姿になってしまいました。どうかご慈悲を、借金を返済でき、家宅を取り戻せる道を示してください。これからは改心して、慎ましく生きることを誓います。」
「若き王子よ。」司祭は言った。「凡人の運命は神々によって書かれたものであるが、凡人自身が作り出したものでもある。改心を誓ったのなら、これからは一生懸命に働くべきではないか?どうして、まだ都合のいい方法を探そうとしているのだ?」
「私の父は霊廟のために多くの布施をしてきました。私に言わせれば、これら金装の神像とあなたたちのお金の半分は私のものと言っても過言ではありません。そして私は今、その借金を取り立てに来ただけです!」と、王子は怒鳴って言い返した。
「傲慢な王子よ、神と取引をする気か?」司祭はため息をつきながらこう言った。「まあ、君の父上に免じて、もし君が今後身の程をわきまえ、経営に善処すると約束するのなら、再び富を得られる道を示してしんぜよう。」
王子は神像に誓いを立て、司祭は彼に外港の市場に行くよう指示した。市場に到着した王子は、華やかな貴婦人のような装いの女性が、痩せさらばえた駄獣を見張っているのを見た。
王子は前に出て、話をかけた。「尊い奥様よ、私に何かできることはありますか?」
「いいところに来たわ。」婦人は答えた。「私は急用で海に出なければならないけど、この獣の世話をしてくれる者がまだ見つけられていないの。もし手を貸してくれるのなら、三ヶ月後、海外から帰ってきたとき報酬として1000万モラを払うわ。」
それを聞いた王子は喜びで胸がいっぱいになった。
「ただし、」婦人は言葉を続けた。「この獣にお腹いっぱいまで餌を与えてはならないし、話しかけてもならない。守らなければ、今持っているものをすべて失うことになるわよ。」
「私は失うものは何もないだろう?」王子はそう考えて約束し、婦人は駄獣を彼に任せた。あっという間に三ヶ月が過ぎ、王子は婦人の言うとおり、最後の夜まで駄獣に腹いっぱいまで餌をやらず、一言も話しかけなかった。
その日、王子は焚き火の前で報酬をもらった後の生活を考えていて、ふと思い立って駄獣に言った。「駄獣よ、私が再び豊かになれるのは、おまえのおかげだ。何か要望があったら、必ず応えてやる。」
その言葉を聞いた駄獣は、なんと涙を流してこう言った。「尊い王子様、私の要望は一つだけ、最後の日はお腹いっぱいまで食べさせてください。」
駄獣が言葉を話せることに衝撃を受けた王子は、好奇心に駆られて婦人の忠告をすぐに頭の片隅に追いやり、身を翻して畜舎から水と草を取ってくることにした。
「我が善良な王子様よ。」満腹になった駄獣はゆっくりと言葉を発した。「私は高天に仕える神であり、砂海の諸国を治める王だったが、あの邪悪な魔女に騙されて今のような姿になってしまいました。もしあなたに慈悲があり、私を砂海に解放してくれるなら、私は烈日の王に誓いましょう、あなたに無限の富を、あの魔女の報酬よりも遥かに多くの富を約束すると。」
駄獣の話を聞いた王子はまだ半信半疑だったが、ひとまず駄獣を隠し、自分も隅に隠れて婦人の帰りを待つことにした。
翌日、婦人は予定通り市場にやって来たが、王子も駄獣も見つからなかった。
「乞食め!約束を破ったわね!」婦人は怒鳴った。「もし捕まえたら、一番小さな魔瓶に入れて、永遠に苦しめてやる。」
婦人の姿を見て、王子はようやく駄獣の言葉を信じた。婦人が離れた後、彼は駄獣を逃がす準備をした。去り際に駄獣は彼にこう言った。「慈悲深い王子様よ、砂漠の神々があなたを祝福しますように。私はあなたに無限の富と無尽なる喜びを与えるという約束を守ります。しかし、ただ一つ、それがどこから来るのか、尋ねてはなりません。そうすれば、今持っているものをすべて失ってしまいますから。」
駄獣の指示に従い、王子は砂漠の端の秘密の場所に到着した。そこで、王子は壁が金と宝石で飾られ、扉が純金で作られた高く立派な宮殿を見つけた。扉の外で、美男の召使いが沢山の美女を連れて彼を迎えた。
それ以来、王子はまた花天酒地の生活に戻った。毎日、召使いの男は数え切れないほどの金銀や宝石、珍味、美酒などを運んできて王子を楽しませ、日毎に異なる楽団や踊り子を連れてきた。このような生活が3年間続いた。
しかし、いくら楽しい生活でも、退屈してしまう日がやってくる。ある日、数日間の酩酊状態から目覚めた王子は、ふと思った――「今の生活には飽きた、新しい刺激を見つけないと。あの時、魔女の忠告を聞かなかったからこそ、こんなに良い生活を送れたんだ。王を名乗ったあの駄獣は、私に秘密がばれるのを恐れて、何かを隠しているに違いない。この無限の富の源を探ることができれば、きっとより多くの喜びを手に入れることができるだろう。」
そこで、王子は忠実な召使いを呼び寄せて尋ねた。「我が忠実な召使いよ、おまえが毎日持ってくる金銀、珍味、美酒、さらには楽団や踊り子たちはどこから来るのか、教えてくれないか?」。
「もちろんです、我が尊い主よ。」召使いの男は答えた。「私は毎日砂漠と宮殿を行き来していて、主様の毎日使うものはすべて砂海から取ってきたものです。美しい踊り子は揺れ動く砂ウナギで、眩い黄金は果てしなく広がる砂漠の黄砂、そしてすべての佳肴は私の手によって作られたものです。」
「そして私、あなたの忠実な召使いは…」暫くの沈黙の後、召使いの男は言った。「謙虚な聖金虫に過ぎません。」
その瞬間、絢爛豪華な宮殿は一瞬にして崩れ去り、気がつくと王子は低い砂丘の上に座っていて、周囲には虫以外何もなかった。
長い時が経ち、やっと正気を取り戻した王子は、衝撃と恐怖の中にも悲しみと後悔を感じずにはいられなかった。しかし、失ったものは簡単には取り戻せず、王子はついに流浪者へと成り下がり、二度と喜びを感じることができなくなった。それ以来、彼は話を聞いてくれる人に出会うたびに、このような話をするようになったという…
◆第4巻
学者の物語
昔、とある学者がいた。文化人によく見受けられるすべてを見下す性格を身に着けた彼だが、お世辞でも同僚の中で優秀な方とは言い難いものだった。
学問は果物と似ていて、時間はすぐにその鮮度を持ち去る。もしそれが新鮮な時にかみ砕いて飲み込めなかったら、残るのはただ甘ったるい腐敗のみだ。
「時間、我が仇敵よ。」若い学者は思った、「その憎さたるや、私の同僚にも勝る。」
残念なことに、怠惰や散漫といった生まれつきの性格は、容易には変えられないもの。結局、季節はただ移り変わり、その「憎い同僚」は人から賞賛されるほどの栄誉を手に入れ、彼には無意味な歳月の跡が残るのみであった。
運命の悪戯か、この物語の主人公は願いを叶えるチャンスを一つ手に入れた。
「時間、公平のようで、そうではない。私の思考は人ほど俊敏ではない、時間が私に対してあまりにも厳しいのであって、私が人より素質に劣るのではない…」もう若くない学者は思った、「今の私にはチャンスがある。これをしっかり利用しなければ。」
そして、彼は傷を負ったジンニーにこう願った、「公平な時間を私にくれ…この私がよりよい論文を書けるように。」
ジンニーはすぐに彼の意味するところを理解した。「物事にはすべて代償がある。」ジンニーは言った。
「もちろんだ、もうそのうちの一部は払っている。」彼は肩をすくめた、「若かりし頃を無意味に浪費した。今になって、もう世間が求める幸せとやらを求める気もない、ただ世間をびっくりさせるほどの著作を残して、それが私の名と共に言い伝えられればいいのだ。いつか色あせるインクで劣化する紙に残すのではなく、石に刻む。こうすれば、千年後の世界でも、依然として私の痕跡は残る…こうも言えよう、公平ささえ取り戻せれば、私は時間に勝てるのだと。」
「それが願いなのであれば。」ジンニーはそれ以上言うのをやめ、学者のために願いを叶えた。
あれはジンニーだったのか、それとも姿を偽った悪魔だったのか、今考えれば、確かに検討に値する問題だった。このことはさておき、願いが叶った学者は、彼の思考に比べて周囲のすべてが遅くなったのに気づき、びっくりした。
「よし、よし。今なら、思考の俊敏さはもう問題じゃない。」はじめ、学者はとても満足した。十分な時間があれば、いくらでも深く考えこめると彼は考えた。時計の中の一粒の砂が落ちる時間は、左手を上げて額に触れられるほど十分ではないが、その考えを密林から砂漠へ、荒野から雪原まで馳せることができる。やがて本にはページがあり、逐一めくるという動作が必要なことに彼はいらつき始めた。だが例え本の内容がすべて一枚の紙上にあったとして、彼の目玉はそれほど早く動かすことができなかった。目が一つの文字に留まる時間は、彼がその文字に関連するすべての言葉を思いつき、その言葉に関連するすべてを想像するのに十分だった。
「考えられることが多くても、書き出すことができるのはわずかだ。」その後、学者は思った。「私は最も華麗な言葉で、最も論理的な論証を書き記すべきだ。」しかし序言を書き出したばかりにも関わらず、彼の考えはもう結論へと飛躍していた。そのため、彼は何度も自分が思考した内容を繰り返し、繰り返す度にそれを完璧に近づけていった。ただ、何もかも彼の脳内の出来事であり、すべてが終わる頃、彼はまだ七文字目すら書き終えていなかった。
この、最も華麗な言葉で最も論理的な論証がなされるはずだった論文は、最終的に学者の体のせいで、ページをすべて破り捨ててからつなげた本のように支離滅裂なものとなった。ひとつながりの文字列さえ、一冊の本からランダムに選ばれた残片のようにちぐはぐで、常人が関連性を見出すことは到底不可能だった。
あれは星なき夜、彼は何百年もの遠征から帰ったかのように、力ずくで書斎から離れ、下にある庭へとやってきた。
「書くよりも、直接話して伝えた方がましだ。」彼はまだ少し希望を抱いていた。しかし、彼の発声器官もその考えの変化には追いつけなかった。言葉を発する途中で考えを改めでもしたように、吐いた音節と音節はつながり、何度も往復し、最後は嗚咽のような呟きとなってしぼり出された。
「可哀そうな老人だ!なにかに取りつかれているようだ。」綺麗な服を身に着けた若い男女は、彼に同情する目つきを投げかけた、「でも、彼には月がある。」
人々はそう言って去っていった。体という檻に閉じ込められた学者を、一人月下の庭に残して。つまらなくなった彼は、かつて読んだある物語を思い出していた…
◆第5巻
鏡、宮殿と夢見るもののお話
夜な夜な、彼女はあのはるか遠い宮殿を夢に見る。無数の曲がり角、アーケードと通路が複雑に入り組んだ建物を構築している。どの廊下の曲がり角にも金メッキの縁のある銀の鏡がかけられている。国王が二百年もの歳月(当時の暦で計算するなら、さらに六年を足さないといけない)をかけてこの宮殿を設計し、王座に座れば、どの鏡を見ても、あの精巧に計画されできた紆余曲折の光の道に沿って、国のあらゆる場所を覗き見ることができた。しかし、彼女は夢であの廊下に掛けられた鏡を見るとき、ただぼやけた自分の姿しか見えなかった。お面を付けた若い女性が華美な服を身に纏い、立派な回廊を進む姿。それは白昼の光に照らされ、現実味がなくぼんやりとしていた。少しおかしなことだが、彼女は夢の中の自分の目的を知っているように感じていた。彼女はあの王に謁見し、あの王に何かを語らなければならない。彼女はその克服できない意志がそうさせようとしているのがはっきりわかっているが、毎回夢から目覚めたとき、語ろうとしていたことは、いつも反射する鏡に映る光の下へ置き忘れてしまう。
年が過ぎていき、曙の夢の中で、彼女は一度も王座への道を見つけておらず、あの王の姿を目にすることもなかった。かつて、鏡の中に迷い込んでいた少女は、今では名の知れた魔法師となった。それでも、あの短い夢の中に挟まれた、無意味ではっきりとした意識の中の、あの怪奇な考えが彼女の心を囚え続けていた。とある日、彼女はあのはるか遠い国の手がかりを見つけた。魔法師は迷いなく、世間の人が大事にするすべてを捨てて、一人で旅立った。まだらな月光を越え、陰影の深い谷に沿って、一番暗い密林の奥で、彼女は夢の中の国を見つけた。ただ、都市は何百年も前の猛火によって滅び、かの繁栄した王国は今はなきものとなっていた。詩にあるように:
過ぎた朝の風は過去に忘れられ、
天が霞と歌声を遮るように。
ただ微かな光は塔の先できらめき、
荒れた城の蒼白で長き夜を映す。
傾いた宮殿に入ると、廃墟の間、あの金メッキの縁のある銀の鏡はとうに割れ砕け、そのかけらは地に落ちて、どれも寂しそうな月を映していた。宮殿は夢のように怪奇で謎めいてはおらず、ただいくつかの曲がり角とアーケードがあるだけで、大した手間もかけずに彼女は王座の間への扉を開けることができた。そこは円形のホールで、何百枚もの鏡が石で作られた壁に掛けられていて、廊下の鏡と同じように、大半は壊れていた。魔法師は無意識のままゆっくりと何百年も空いていた王座に腰を掛け、まだ壊れていない鏡に顔を向けた。
鏡の中を、お面を付けた若い女性が、華美な服を身に纏い、立派な回廊を進んでいる。その女性の後ろにある鏡のなかでは、あの壊れていない鏡たちが、女の影を幾千と映していた。
彼女は唖然として、ふと頭を上げると、あのお面を付けた若い女性が彼女の前に立ち、静かに彼女を見つめていた。彼女が想像したことのない悲しみがその目にはあった。魔法師は何かを言おうとしたが、女性は短剣を彼女の心臓へと差し込んだ。ローズの柔らかな光がもの言わぬ剣先で咲き誇り、辺りで炎が燃え上がる。それは、数百年前にも火難に遭ったホールをまたしても飲み込んだ。
彼女は戸惑いと驚き、そして安堵の笑みを浮かべた。女性がお面を外すと、その下には魔法師の顔があった、その干からびた唇がかすかに動いた。
このとき、魔法師は遂に相手が語ろうとしていたことを聞きとれた。数十年、数百年、計り知れない夢ととりとめのない黄昏に失せていった言葉は、とある物語であり、彼女から彼女へと語られるそれは、何千もの砕けた銀鏡に反射し、永久にこだまし続ける…
◆第6巻
鳥追いのお話
これは、とある鳥追いの老人のお話。
王国の北には密林があり、その密林の中にはとある口真似をする鳥が生息していた。その羽はまばゆく輝き、朝の光が森に差し込むときに集まり、雲のように聳え立つ木の間を口うるさく飛んでいる。密林の中にはとある老人がいた。やつれた姿で、痩せこけているうえに黒い肌、ぼろい服を身に着け、野蛮人のようで、一日中、その口真似する鳥を捕まえようとしていた。
天まで聳え立つ木も新緑の若枝だったのと同じように、老人も昔は若くて美しい少年だった。彼は密林のそばの村で育ち、機敏で心優しい彼はみんなから好かれていた。当時村で好意を寄せていない女の子がいなかったほどである。しかし少年は自分の愛する人しか目になかった、その愛する人とは森の中で祭司をする少女で、森からの寵愛を受けて、彼の目の前で様々な奇跡を起こしてみせた。少年は往々にしてこれを見て感心していた。
少年はいつも思っていた。もし祭司である少女と一緒に過ごせれば、このまま命が尽きてもいいと。
しかし楽しい時間は束の間で、王国は長い戦争を始めようとしていた。すべての若者は招集され、少年も故郷から離れ、戦場へ赴くことになった。出発前夜、彼は初めて自分の愛する人の涙を目にした。その涙は青葉から滑り落ちる露のように、少年の心の底へと落ちていった。当時の彼はまだ少女がなぜこれほど悲しむのか全く分からず、ただまもなくやってくる別れの感傷に浸っているだけだと思い、慌てて未来の約束を交わし、これで少女の悲しみをやわらげようとした。
悲しむ少女は、その約束にまったく応えなかった。ただしばらくの沈黙の後、口真似をする鳥を少年のもとへ行かせ、遠く離れた自分の愛の言葉を伝えさせると言った。少しばかり変わっているが、少年はただ、自分の心をつなぎとめるための少女なりのやり方なのだと思った。
少年は頷いた。
翌日、少年は出発し、王国の兵士となった。すぐに帰れると思っていた彼だが、この戦争はあまりにも長く、少年の顎にひげが生え、目つきが鋭くなり、武器を握る両手に厚いタコができたとき、ようやく終戦の宣告が出た。
残酷でむごい戦争の中、唯一少年に癒しを与えたのは、故郷からくる口真似をする鳥だった。あの鳥たちもまた神の助けがあるかのように、いつも静かな深夜に彼のことを見つけ、祭司である少女の言葉を伝えた。こうして、少年は彼女が語る思いが詰まった甘い言葉を聞き、村の些細な変化や彼のために書かれた短い詩を耳にできた。
長い別れは少年の少女への愛を減らすことはなく、逆に彼の心にある石碑のように強い存在へと変わっていた。
戦争が終わると彼は急いで故郷へ戻り、少女を妻に迎えようとした。だが、少女は急病のせいで、少年が離れたすぐ後のある寒い夜に、命をなくしていたということを耳にした。
少年はデタラメだと思った。なぜならつい昨夜、彼は口真似をする鳥から、少女が自分のために詩を朗読するのを聞いていたからだ。
彼は庭へ押し入り、少女の部屋のきつく閉ざされた扉をこじ開けた。その瞬間、秘法を受け、深い眠りから呼び起こされるのを待っていた無数の口真似をする鳥たちは、ドアから差し込んだ光に驚いた。そのせいで、起きた鳥たちは彼が開けた扉から、彼の体の隣を、彼の耳のそばを、翼を羽ばたかせて通り抜け、流れる薄い雲のように外へ、もともと身を寄せるべき密林へ飛んで行った。そのあと、少年の前にあったのは、何もない空っぽの少女の部屋であった。
その瞬間、彼はやっと、なぜ少女があの晩あんなに悲しそうに、あんなに変わった手段を選んだのかを悟った。
そして、あのドアを開けたせいで逃がした口真似をする鳥は、今際の際の少女が彼の余生のために準備した、あまりにも多い言葉だったことも。
鳥の寿命は人が想像しているよりはるかに長い。それからというもの、愛する人の気持ちを密林へ逃がした罪を償うため、少年は林へと入った。口真似をする鳥を追いかけ、少女が鳥のくちばしに宿した魂を追いかけ、昼夜を問わず、寝食も忘れ、狂ったように探し続けた。少年はやがて中年へ、そして老人となった。もう新しいことをしばらく聞いていなくても、少女の言葉を覚えている鳥が少なくなっているとしても、もしかしたら一つ、一つだけ自分が耳にしたことのない言葉があるかもしれない、そんな執念のため、少年ではなくなった鳥追いは林を離れるのを嫌がった。
彼は慣れた手つきでその鳥を捕まえ、檻に入れ、優しく鳥たちの首筋を撫でて、からかい、最もいい穀物を食べさせ、一番透き通っている水を飲ませ、ようやく鳥たちに話しかける。「さあ、言うんだ、言ってごらん。俺の愛する人、森の寵愛を受けた少女は、どのように君を手懐け、君に何を話させようとしたのか。」
お腹いっぱいになった口真似をする鳥は、時折このような物語を口にする…
レムリア衰亡史
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◆第1巻
海はすべてを育み、万物を呑み込む。
伝説によれば原始の時代、人々の道徳は十分に確立しており、法律や権威の支配に頼る必要はなかった。天界の使者が大地を往来し、その導きにより、人々は太古から続く安寧の中で平和に暮らし、繁栄と豊穣を享受してきた。
天の導きによる統治は果たして幾世代に渡って続いただろう。やがて人々はうんざりするような永遠に飽き始めた。後の世の人はもはや神託に従おうとせず、逆に神が承諾していないことを望み、運命の足枷から抜け出そうとした。そのため高天は激怒し、海に命じて津波を起こさせ、人が住む都市国家を打ち砕いた。その後大雨が百日降り続き、海がすべての罪悪と妄想を呑み込み、原始の時代は終わった。
海の水が引いて大地が再び顔を出すまで、高海にはもはや都市も文明もなかった。生き残ったり新たに生まれた人々は山林や川の畔に棲み、未開で野蛮な生活に戻った。地上と水中のあらゆる生き物と同じく、この時代の人間は自然の掟に鞭打たれ、駆り立てられるがまま、いつ果てるとも知れぬ時間をぼんやりと過ごしていた。
それからまたどのくらいの年月が流れただろう。はるか南方でジュラバドの王朝が台頭して転覆した。東方の貴族も一度は高海の辺境に到着した。だが我々の先祖は依然として無知と迷信の泥沼に沈んでいた。
やがて偉大なレムス王が金色のフォルトゥナ号に乗ってメロピスに降り立ち、文明と秩序を再びフォンテーヌの地にもたらした。彼は人々に耕作の技術を教え、土地を耕地に変え、巨石で神殿と都市を築き、人々が住めるようにした。そして何より重要なことに、王は人々に音楽と芸術を教え、人間を他の生物から切り離し、万物の主人であると言う自覚を持たせた。
その後、レムス王とその不朽の艦隊は高海のすべての島を征服した。海淵の下の巨龍までもが王に臣従した。原始の時代が終わって以来、こんな素晴らしい日々はなかった。永遠の繁栄は直に成し遂げられるかに思われた。
神王とその民たちが甘い夢に浸り、永遠に進歩する未来を楽しんでいた時、神王の予言者たちは不吉な予言をした。「どれほど栄えた帝国でも徹底的な破滅を迎えるもの。それがフォルトゥナです」
そこで神王は七天の運行と、海と陸を流れる風から原初の計画を悟り、それに基づいて調和と繁栄の楽章を作曲した。地上の都市国家がこの至善の楽章を共に奏でれば、運命の審判を逃れ、そのまま永遠に至福の楽園に行けると信じて。
しかし古代の作家たちはこぞって、栄枯盛衰は世の習いで、永久不変のものはないと言った。
◆第2巻
願わくば偉大なる栄光がレムリアに、そしてその不朽の統治者・あまねく天下の諸臣民の王・世の調律師レムスに帰せんことを。今では、どれほど経験豊かで聡明な博学者でも、永遠の都のかつての壮麗さと輝きを想像できない。
船が御道に沿って海を支える柱を通り抜け、御船フォルトゥナ号が停泊している巨大な港に入ると、まず目に飛び込んでくるのは天高く聳える塔だ。レムリアの塔は高天の教えを聞くためではなく、高海の諸島間を往来する船を導くために建てられた。塔は現実と夢の交差点に建てられたという。船乗りたちが海の魔物の誘惑で眠りに落ちても、鐘の音に沿って霧を突き抜け、レムリアへの航路を見つけられる。
御道に沿って歩き続けるとマチモスに至る。ここはレムリアの勇敢な戦士たちが暮らす街だ。巨大な神殿や闘技場は、都市の栄光と勝利を記念し、巨石で築かれている。高くそびえる堅固な壁は瑠璃と黄金で飾り立てられ、青銅と大理石の彫像が至る所に置かれ、市場には金や香料、各地の特産品が山積みになっている。
マチモスを抜けるとレムリアの中心街カピトリウムに出る。芳しい香りが漂い、あちこちで心地よい歌声が響く。ここは芸術家たちの楽園であり、優れた智者と音楽家だけがここで暮らすことを許される。その中でも神王に奉仕する機会が得られるのはごく少数である。ここの劇場と宮殿は最も調和のとれた形で構築されており、柱と丸天井には華麗で複雑な彫刻が施されている。こうした建物の中心にあるのが山のように高く大きな銅柱で築かれた金色の宮殿で、偉大なレムス王はこの宮殿の中央に座り、帝国の隅々から伝わってくる楽章や音符の一つ一つに耳を傾けている。帝国のどこかで不協和音がしたら、神王はすぐに琴の弦をつま弾いて正し、帝国全体が奏でる楽章を完璧なものにするのだ。
高海の人々が世の楽章から逸脱して、調和と繁栄の合奏を乱すことのないよう、レムス王は人間の中から有能な者を四名抜擢した。彼らに自分の力と権威を分け与えて共に統治するよう命じ、各都市国家の調律師としてあらゆる不協和音を取り除くようにさせた。
またレムス王は調和と繁栄の旋律が四海に響き渡るようにと、長々と続く御道を敷き、音符を御道を流れる波紋に変えて、カピトリウムから高海の隅々にまで伝えた。
しかし、定められた運命は神々でさえ変えられないものであり、運命の審判から逃れようと企むことがすでに重罪である。神王が犯した数々の罪の中で最も罪深いものは、神だけが持てる権力を人間に譲ろうとしたことだ。力と権威を得た人間は堕落し、続いて暴動と反乱が起きた。
運命は狡猾で、いつも己に抵抗する者の手によって計画を達成する。運命の日が至り、偉大な不朽の都・レムリアの衰亡はもはや動かしがたいものとなった。神王の音楽はカピトリウムの片隅にしか響かなくなり、権威による統治は終わった。
古代の作家たちが言ったように、栄枯盛衰は世の習いで、永久不変のものはない。
◆第3巻
かつて人々は、不朽のレムス王と永遠の都による統治は、祭場に環状に置かれた巨石のように、時間や運命の束縛を超えて千年も万年も続くものだと、無邪気に信じていた。
大地が一夜にして崩壊し、高く聳える塔や建物が根こそぎ倒れ、巨大な柱がもろとも天まで届くような大波に飲み込まれるまで。御道は崩れ、神殿は傾き、永遠の都とその住民、戦士、智者、高官たちは、かつて太陽のようにまばゆく輝いていた黄金の宮殿とともに、永遠に光の射さない深い淵の底に落ちていった。
そこで人々はようやく、自分たちの目に見えていた永遠が、如何に愚かな妄想であったかに気がついた。
願わくば、栄光が我らの高貴な先導者、川と海の君主、諸水域の女王に帰せんことを。願わくば女王が法を守り、とこしえに統治せんことを。願わくば平穏がフォンテーヌ全域に、満天下の万民に帰せんことを。帝都が転覆し、権威が失墜し、高海の人々が再び野蛮と壊滅の沼に沈もうとしたとき、我らの気高い女王が諸族間の争いを収めたのである。人々は湧き出る泉を取り囲むように新しい都市国家を建て、法律による統治を始め、今日に至っている。
レムリアの衰亡から今まで百年も経っていないが、その歴史はすでに伝説と迷信の海霧に包まれている。これは一つには、レムリアに絶滅の運命をもたらした終末の惨禍があまりにも無情で急だったため、知識を伝承する学者や古典が永遠の都とともに海に呑み込まれてしまったからである。もう一つ重要な理由は、レムリア人の末裔を自称する謎の学者たちが、意図的に歪曲したためである。私の仕事は、歴史の普遍的な理性をもって粗雑な情報を取り除き、この輝かしい古代文明の真の姿を再び世に示すことだ。
今、一部の地方の伝説では、古代の偉大な学者たちまでもが魂を吸い取る魔法使いのように描かれている。彼らは人の魂を特製の魔像に入れて、思うままに使役していたというのだ。確かにレムリア人は恐ろしい魔像を作ったことがあり、今日でも時おり田舎でその痕跡を見つけられるが、これは末期レムリア社会の腐敗と堕落によるものだ。レムリア人は自らの崇高な役割を放棄し、享楽と怠慢におぼれた。他人に暴力を振るうことを黙認したため、逆に暴力に叩き潰される結果となったのである。
古代の作家たちがかつて言ったように、栄枯盛衰は世の習いで、永久不変のものはない。
フォンテーヌ動物寓意譚
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◆第1巻
娘とお日様
キツネの養女が嫁ぐ年頃になりました。娘の顔は美しい泉のように透き通り、
とびきり艶やかでした。この世のどんな美女も敵わないと、誰もが口を揃えて言いました。
そこでキツネは娘にこう言いました。
「ねえ、娘よ。母さんはもう歳で、これからは今までのように面倒をみてやれない。
自分で婿を選んでくれるとよいのだけど。誰もがおまえの婿になりたがっているそうだよ」
娘は母親にこう答えました。
「それならお母様、この世の中で一番強いお方のもとへ嫁がせてください」
「ああ、それならお日様だね」とキツネは言いました。「高い空にかかっているお日様、娘の婿になってくれますか」
「いやいや」とお日様は断りました。「こちらの雲のほうが私よりずっと強いよ。私の光を遮れるのだから」
「では、雲さん、お日様の光を遮ることのできる雲さん。娘をお嫁にしてくれますか」
「いやあ、だめだねえ。だって風は私を簡単に吹き飛ばせるから。風に頼んでごらん」
しかし風は山に遮られてしまいます。そこでキツネは山を訪ねました。ところが山はこう言って断りました。昔、ネズミと諍いになって――怒ったネズミに、トンネルのように穴を掘られてしまったのだと。
つまりネズミは、連なる山々よりも強いというのです。
ネズミはネコの方が強いと断り、ネコはイヌの方が強いと断り、イヌはオオカミの方が強いと断りました。
こうして一巡し、結局またお日様のもとに戻ってきました。
そこでこの若く美しい娘は、お日様と結婚しました。
教訓:あれこれ言い逃れをせず、運命の導きに従うべきです。
どれほど誠実で、機知に富んでいたとしても、結局負うべき責任からは逃れられません。
◆第2巻
カラスとキツネ
ある日、カラスが盗んだチーズをくわえて、木の枝に留まりました。
木の下に住んでいたキツネはそれを見て、カラスを見上げて言いました。
「カラスくん、
きみがくわえているものはご馳走でも何でもないよ。
賢い者なら、できるだけ避けようとする厄介物だよ。
きみの喉はそんなに狭いのに、チーズはすごく分厚いだろう。
もしそのまま飲み込んだら、命を落とすかもしれないよ。
町のチーズ職人は、それを知っていて、
チーズをきちんとしまわずに、わざと盗ませたんだ」
けれどカラスはちっとも気にせず、チーズをくわえたまま離しません。
カラスに諦める気がないのを見て、キツネはまた言いました。
「カラスくん、
そのチーズはそもそも味わう価値のある珍味じゃないよ。
きみが何も考えずに山や林を飛び回っていたころ、
この世にチーズというものがあるなんて、聞いたことがあったかい?
ぼくに言わせれば、それはもともとぼくたちが食べるものじゃない。
山の中で腐っても、強風に吹かれ海に流されても構わない、
決してそれに縛られたり、誘惑されたりしちゃいけない」
カラスはぶるっと羽を震わせましたが、やはりチーズを離しません。
カラスが諦めようとしないのを見て、キツネはため息をつきました。
「カラスくん、
もし本当にこのままチーズを味わうつもりなら、
部外者のぼくは、もちろん邪魔立てしない。
でもきみは、チーズの料理の仕方もよく知らないだろう。
もしこのまま何も知らずに丸呑みにしてしまったら、
せっかくの貴重で珍しい食べ物がもったいないよ。
あーあ、よそでたくさん料理の仕方を習ったのに、残念だなあ!」
カラスはそれを聞いてうずうずし、思わずこう尋ねました。
「その料理の仕方を教えてくれない?」
口を開いた途端、くわえていたチーズは地面に落ちました。
キツネはチーズをくわえると、くるりと背を向けて巣穴に帰りました。
教訓:知らなくてよい秘密を愚かにも探ろうとすると、
しまいには自分がもともと持っていたもの全てを失ってしまいます。
◆第3巻
ロバのお話
平凡な人がどんなに変装しても、垢抜けては見えません。
世の中の誰もが、自分なりの長所と短所を持っています。
それを謙虚に受け止め、自分に足りないものを直視するしかありません。
このお話に出てくるロバのように、うまくやろうとしてかえってしくじり、笑いものにならないように。
キツネがチーズを奪った話を聞いて。ロバもじっとしていられません。
「どうしてだろう?
キツネだって別に利口な動物じゃないのに、いつもちやほやされる。
ロバのぼくは毎日せっせと働いているのに、誰も笑顔で迎えてくれない。
それなら、ぼくもキツネさんみたいにやらないと。
そんなの簡単さ。ちょっと利口にやればいいだけだから」
そこで、ロバは木立の中に隠れて、誰かが通りかかるのを待ちました。
うまい具合にチーズ職人の娘が荷車を引いて通りかかったので、ロバは飛び出しました。
キツネの格好を真似て片足を上げ、賢そうなふりをして言いました。
「おやおや、見たところ、荷車の引き方をまるでご存知ないようですね。
そのチーズを置いて、荷を軽くすれば、もっと早く着きますよ」
娘はこれを聞いてびっくりし、言いました。
「まあ!ロバのくせに人を騙そうっていうの?
ちょっと棍棒を持ってきて。こいつを粉挽き小屋に追い返すから!」
自分に向けて振り回される棍棒を見て、ロバはたちまち黙ってしまいました。
教訓:他人の真似をして本性を隠そうとしても、
結局は無駄に終わるだけでなく、かえって災いを招くことになります。
怪盗と名探偵:レインボーブローチの謎
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◆第1巻
僕のことはポワレと呼んでくれるかな。数年前――いったい何年前だとかは気にしないで―――文無しで、郊外に未練のなかった僕はフォンテーヌ廷にやって来た。叔父で有名な私立探偵のチェストさんのもとに身を寄せ、ところが思いも寄らなかったことに、叔父が僕に与えた最初の任務は、彼の助手として、神出鬼没の怪盗ルパンを追跡することだった…
真夜中のフォンテーヌ廷は元来、そう物寂しいわけではない。だが、この時のピエール氏の邸宅付近は、通りに人影もなく、秋の夜風の音だけが、長々と嗚咽する琴の音色のように、冷ややかな月の下に響いていた。
少し離れた物陰で、警察官も記者も、明かりのついた邸宅をじっと見つめ、「賓客」がおいでになるのを待っていた。
関係者全員と同じように、僕も通りの角の陰に隠れていた。長々と待たされて些か退屈に感じてきた。
「もうこんな時間ですよ。ルパンは本当に来るんでしょうか?」
スチームバード新聞の女性記者は明らかに違う見解を持っているようで、すぐに反論してきた。
「きっと来ます!怪盗ルパンが予告状を出して、あのレインボーブローチを盗むと言ったんですから――彼が約束を破るなんてありえません!唯一分からないのは、今回はどれだけカッコイイ方法で登場するかです…」
「え?その言い方、もしかして彼のことを…」
「そんなの当然でしょ!伝説の怪盗ルパンに憧れない人なんていませんよ!」
女性記者が僕に、怪盗ルパンの数々の「偉業」を興奮気味で語ってくれているとき、時計の針が静かに零時零分を指した。
突如、爆破音が響き、続いて邸宅の明かりが尽く消えた。不意の暗闇に目が慣れるより早く、今度はまばゆい閃光が邸宅の窓から迸り、夜陰を昼のように明るく照らす。
ようやく視界を取り戻した警官たちが次々と突入し、僕もその勢いに流されながら、ピエール氏の邸宅の収蔵室に足を踏み入れた。
台座の上は空っぽで、レインボーブローチは消えていた。
疑いようのない事実を目の前にしては、怒りの叫びも、悔しげな呟きも、無力で無意味に思える。次第に近づくざわめき声と遠ざかる爆破の残響が奏でる不協和音に、頭が痛くなる。
僕にできることは何もないので、叔父に言われたように、もっともらしく現場を検証し、それから家に帰ろうとした。
立ち去る前、背後からシャッターの音と、女性記者のやや職業倫理に欠ける賛嘆の声が聞こえた。
「ああー!伝説の怪盗紳士ルパンは、またもや華麗に不義の財宝を奪っていったわ!さすがルパン様、なんて完璧なショーなのかしら!」
◆第2巻
幸い現場は叔父の家からそう遠くない。僕は疲れた身体を引きずって家に帰った。
叔父は僕が帰ってきたことについて、特に何も言わなかった。いつもと変わらず、いつもの席に座って、手にした読み物をめくっていた。
「明日の『スチームバード新聞』は、さぞかし見物だろうな」
「叔父さんはちっとも心配してなさそうですね」――僕はコートを脱いで掛け、襟のボタンを外し、ソファの座り心地のいい位置を探して座ると、さっき起きたことと現場の詳細を逐一報告した。
「…最初の爆発は、屋敷の建物を破壊するためではなく、クロックワーク・マシナリーの動作音をより大きな音で隠すためだったのだろうな」
「クロックワーク・マシナリー?そんな嵩張って重たい機械を持っていたら、逃げられないでしょう。それなら、クロックワーク・マシナリーは現場近くに残されているに違いありません。そこから何か手がかりが見つかるかも…ルパンも大したことないですね。じきに網にかかるでしょう」
「そうとも限らない。最初の爆発がクロックワーク・マシナリーの目眩ましに過ぎなかったように、クロックワーク・マシナリー自体がまた別の餌になっているかもしれんぞ」
「なんだか複雑になってきちゃいましたね」――僕は頭をくしゃくしゃに掻いた。「じゃあ肝心のブローチの行方は…」
「まだ邸宅内に隠されている」――叔父はそこでひと息入れた。「幾重にも巡らした計略の目的はただ一つ。現場の警察官に、ブローチが持ち去られたと思わせることだ。盗まれた物がまだ室内に残っているとは誰も思わないだろう」
「そうすれば、あとは適当な身分を騙るだけで、堂々と邸宅に入り、誰にも疑われずにそのブローチを持って行くことができる。そうだろう?」
◆第3巻
「なるほど、なんて狡猾なやつだ…」
叔父は興味深げに僕を見つめ、僕の話の続きを待っているようだった。そこで僕は深く息を吸って、自分の推理を語り始める。
「叔父さんは以前こう仰っていました。全ての不可能を排除し、最後に残ったものがどれほど奇妙であっても、それが真実になると。そうすると、あのとき現場にいた全ての人に犯行の疑いがあります――いえ、最悪の場合、全員が共犯者かもしれません。ルパンという名の怪盗は、そもそも一人じゃないかもしれない…」
僕はその場にいた全員を頭に浮かべ、怪しい点を思い出そうとした。
「スチームバード新聞のルブラン嬢は、あからさまにルパンを崇拝しています。彼女の記者証はチェックしましたが、身分証明書の偽造なんてルパンにとっては朝飯前でしょうね」
「執律庭から来たチャンドラー氏は、ブローチが盗まれる直前、一時的に現場を離れていて、事件が起きてから僕たちの前に戻ってきました。彼の慌てふためいた様子は、今思えば少しわざとらしかったかも…」
「マレショーセ・ファントムから来たクリスティ女士は、ルパンがクロックワーク・マシナリーを利用する可能性をずっと主張していました。叔父さんの説に従えば、これこそルパンが使う目眩ましかもしれません」
……
「では、叔父さんから見て、この中で最も犯人の可能性が高いのは、いったい誰なんですか?」
その場にいた全員の容疑を分析した僕は、慎重に叔父に質問した。
「きみの観察眼はなかなか鋭いね」――叔父は手にしたパイプを置いて立ち上がった。月明かりの下で冷ややかな光を照り返す白鋼の杖を握ったまま。「でも一つ、見落としているようだ。この事件にとって一番肝心な点を」
僕が呆気にとられていると、彼は杖を持ち上げて言った。
「それは君だ。見ず知らずの叔父のもとに身を寄せた『ポワレ』と名乗る君も、現場にいただろう。そうだね?――ルパンくん」
色褪せた古城の倒壊■
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◆第1巻
◆第2巻
◆第3巻
エリニュスの歌
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◆第1巻
第六章
第七回
リマシ王の使者がエリニュスを訪れた。彼女にアルモリカ城の水と土を求め、サンフォニア・カピトーリ(永久不変の調和したメロディーの意味)に臣従するよう求めた様子について。
レナウのオージハン騎士が成した気高い功績、および彼が毒を吐く悪龍といかに闘ったかについては、
これまで十分に語ってきたのでこのあたりで一段落にし、ここからはエリニュスの当時の状況について振り返ろう。
当時、エリニュスはベロヴァチ、アトレバテス、ヴィロマンドゥイ、各諸国の王子たちを破り、彼らの帰順を受け入れていた。
そして、各諸国の王子が治めていた領土でも、衆の水の主の恩恵を理解し、敬虔な心でその教えに従った。
彼らの誠実さと大義への理解を祝うべく、アルモリカでは八日に及ぶ盛大な宴会を催して、貴賤を問わず住民をもてなした。
その日突然、カピトゥ城のリマシ皇帝からの使者だという楽師が訪れ、命により情報を伝達すると言った。
彼は従者も護衛も連れず、独りで馬に乗って来ており、皇帝の特使の証として金蜂のファスケスを持っていた。
居合わせた人々は誰もが不愉快に思ったが、敬愛する騎士団長エリニュスのために、彼に挨拶を許した。
その使者はエリニュスに謁見するとまず型通りの挨拶を述べ、最も厳格な礼儀作法をとり、それから訪問の意図を述べた。
「私は最も尊く最も偉大なリマシ皇帝、天下万民の皇帝の名代として、あなたの朝廷にご挨拶させていただきます。
お怒りになって分別を失われませぬよう。リマシ王は、あなたに二つの貢ぎ物を納めるよう命じておいでです。
一つは水。極めて純粋な水は罪を溶かすことができます。もう一つは土。強い土が間もなくやってくる侵食を食い止められるからです。
リマシ皇帝は、あなたとあなたの臣民に水と土を納めるよう望まれており、もしもあなたが不敬にもこの要求に背くのであれば、予定通りに滅亡が訪れるでしょう。」
リマシ王の使者がそう言い終えると、ジェローヌのギヨーム騎士が顔色を変えて激怒し、煌めくナルボンヌの聖剣を抜いた。
「ハッ、脅すには及ばぬ!この場で好き放題に妄言を吐くとは…同席するすべての騎士たちに対する侮辱!
私が守ると誓った主君を辱めようとするのなら、遠慮なく一撃で貴様をさらし首にしてくれようぞ!」
さらに、ブランカンドリンの騎士やその同胞マルセイユの騎士といった錚錚たる騎士らが次々と剣を抜いた。
すると、澄んだ目をしたエリニュスの騎士が、カピトリーノの使者に危害を加えてはならぬと、居合わせるすべての騎士に命じた。
「高貴なる使者のお方、リマシ皇帝にお伝えください。この世の万物で我々が膝を折る相手は、
慈心深き衆の水の主、我々のために罪を背負う女主人のみです。最も尊く最も偉大な統治者と呼べるお方。
いかなる王も、神も、すべて、その名前に背けません。あの方は間違いなく善の極みであり、輝きの極みなのですから。」
その話を聞いたリマシ皇帝の使者は再び口を開き、王子と騎士らの目の前で、次の話をした。
「リマシ皇帝がまだ全域を統治していない頃、戦や疫病、飢饉といった禍が常に降りかかっていました。
互いに争っていた諸勢力が、今やみな尊きサンフォニアに帰順しているのは賢明な行動です。
さもなくば、洪水がやってきたとき、嘆き悲しむのは誰でしょうか?非常事態に、誰に助けを求めるのでしょうか?
諸国の皆さまは血気盛んでありますが、無知蒙昧と迷信から救い出してくれたのは誰でしょうか?弱者の悲鳴は誰に吐き出すのでしょうか?皇帝の勅令は、悪意からではなく恩情から出されたものです。誰一人として水に沈むことなく、誰もが平等に助かることをお望みなのです。」
◆第2巻
第六章
第九回
各諸国の騎士がエリニュスと力を合わせ、カピトリーノの侵略の企みに対抗しようと誓った様子について。
アグリカーネの騎士が話し終えると、ドゥレストの騎士で弓に秀でたリヨンの王子が初めて口を開き、見解を述べた。
「あのヴァイヴァリウムの跡継ぎが我々に約束した調和と栄光は戯言、奴の立てた誓いも欺瞞に過ぎなかった。
湖光のエリニュスの騎士よ。あなたのような賢く知恵のある気高い人物は、なおさら奴の虚言や偽善を軽々しく信じてはいけない。
偽善はまさに銀鍍金の毒矢のようなもの、空中を過る瞬間の輝きが眩いほど、もたらす苦痛は鋭くなる。」
彼の妻、「蒼帆の貴婦人」は氷の娘を意味するアドシルティアと言う名で、彼に続いて口を開いた。
「あのヴァイヴァリウムの跡継ぎは、この世で最も不誠実な反逆者ですわ。あのボエティウスと喜んで語り合うだなんて。
湖光のエリニュスの騎士よ。彼がどんな理由を持ち出そうと、カピトリーノ人の悪行をこのまま見過ごすわけにはいきませんわ。
早くカピトリーノと戦う決心をしてくださいまし。彼らに屈してしまったら、魂が枯れ果ててしまいます。
あんな悪人は干上がらせるべきですわ。偽りの誓いを立て、正義を疎かにする者は早くこの世から追い出さないと。
こうして必ず、高らかにあなたの公義を賛美する人が現れます。なぜなら、困窮した人のために悪人を追い討つ者は、必ず彼らの記憶に残るからです」
続いてナイメスの騎士、テュルパンの騎士、そして気高く善良で名高い騎士たちが力を捧げたいと申し出た。
エリニュスは彼らの考えを理解すると、誠意を持って感謝を示し、楽師を呼んでこう話した。
「高貴なる使節のお方、リマシ皇帝にお伝えください。この世のいかなる君主にも我々は臣従するつもりはありません。
衆の水の女主人から賜る平等な栄誉は、高慢な者に踏みにじられることなど許さず、凶悪なる者に私が打ち倒されることも許しません。それに――
私はあの方の祝福を受けた大軍を率いて、あの白い竜を街共々滅ぼします。彼らは血の涙で自らを清めることになるでしょう。
ヤギ飼いのように荒野の泉の音を追い払い、我が国に足を踏み入れた異国人の永遠の教訓としてもらいます。」
そう告げると、エリニュスはフィエラブラの騎士に貴重な進物を大量に用意させ、カピトリーノの楽師に授けた。
そして指揮下の騎士に、楽師をカリュブディス要塞まで護送するよう命じ、皇帝に注進することを許した。今回はここまで。
◆第3巻
第二十章
第三回
エリニュスが衆の水の女主人に別れを告げ、三度も湖に彼女の剣を放り込んだ様子について。
衆の水の女主人はその話を聞くと、永久不変の慈愛、哀れみ、恩情から、彼女に答えた。するとエリニュスはこう言った。
「衆の水を司る陛下。切望していた純水の杯を賜り、この旅路を終えてよいと認めてくださったことを感謝いたします。
まだこの世に残っている騎士、即ちあなた様のしもべたちは、引き続きあなた様と未来の国に忠誠を誓うでしょう。私はあの気高い楽師に随行し、
今も姿を隠す影を狩り、正義を執行します。闇を征く者が光をよく知るのであれば、光は闇の全てを知らず、
善も儚い夢に過ぎません。この善良な騎士たちをあなた様に託します。彼らの罪をお許しください。」
衆の水の女主人はその話を聞くと、永久不変の慈愛、哀れみ、恩情から、彼女に答えた。するとエリニュスはこう言った。
「衆の水を司る陛下、私の凶悪さを隠すことなく、私の罪をお伝えします。この罪はあまりに重いため、赦される余地はありません。
あなた様の気高くて純粋な理想は、このような罪の責任を容赦するべきではありません。私の憂いを解き、心に慰めを与えられるのは放逐のみです。
天からの使者はおらず、度を越した罪状もない。あなたの慈愛と慈悲の国では、罪を裁定できるのは罪だけであり、裁くことができるのは人だけです。
ただ私の苦難を心に刻み、我々の受けた咎をご覧いただければと。この苦難と咎は薬草と毒草のようなものだからです。
私の名をあなた様に託します。我々を厳しく責め立てる者の名が残った時、永久に呪われ、義人と認められないことを願って。
海色の澄んだ目をした騎士はそう言うと、高潔な光り輝く剣を抜いた。切っ先が一面の水色を映し、谷を照らした。
「気高きオートクレール、光り輝く剣よ!この焼け付く日差しの下、松明のように光るのは何故か!
そなたは不義なる者の朱色を十分に飲み、偽りの誓いを立てた者、正義に背いた者どもは、そなたの潔白さの前に倒れ伏し、雪のように舞い散った。
無数の深き罪が私の彩衣に染みついているのは、流血の罪を背負うため。正しき人の命を奪ったというのに、そなたは依然として輝いている。衆の水の主の哀れみを!不義なる者の手に渡らぬよう、美しく神聖なる湖水の煌めきを、ここで湖にお返しする!」
海色の澄んだ目をした騎士はそう言うと、手にした剣を湖に放り込んだ。しかし剣は沈むことなく漂い、岸辺に戻った。
「気高きオートクレール、光り輝く剣よ!そなたは美しく神聖で、黄金の柄に青い水晶が埋め込まれている。
思い起こすと、あの湖畔の少女ダエイラ、純水の貴婦人がそなたは騎士の首領に授け、無数の功を挙げさせた。
彼女はそなたを手にペリゴールを征服し、アイシアスを攻略し、遥か遠い南国の妖女にも、そなたを奪うことはできなかった。
衆の水の主の哀れみを!不義なる者の手に渡らぬよう、美しく神聖なる湖水の煌めきを、ここで湖にお返しする!」
海色の澄んだ目をした騎士はそう言うと、手にした剣を湖に放り込んだ。しかし剣は沈むことなく漂い、岸辺に戻った。
「気高きオートクレール、光り輝く剣よ!そなたはかつて無数の戦を平定し、この大地の戦いを終わらせた。
いつか気高き人が、私の七倍は勝る気高き人が拾い上げ、私の七倍の功を挙げるだろう。
共に過ごした数多の良き日々よ!ああ、長い夜は間もなく明ける、すでに私は正義という冠を永久に失っているのだ。
衆の水の主の哀れみを!不義なる者の手に渡らぬよう、美しく神聖なる湖水の煌めきを、ここで湖にお返しする!」
海色の澄んだ目をした騎士はそう言うと、手にした剣を湖に放り込んだ。すると剣は音を立てずに沈み、跡形もなく消えた。
その後、彼女は始終付き従っていた精霊と共に立ち去り、以降この世でその姿を見た者はいない。
雪羽ガン童話集
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◆第1巻
ペンギンのペールス
伝説によると、遥か南の氷海にペンギンが暮らしているそうな。
ペンギンたちはみなふくよかな紳士淑女で、生まれつきまん丸く、白い体に黒色の燕尾服をまとっている。陸地ではよちよちと歩き、飛ぶこともできない。だけど、氷に身を伏せてまん丸なお腹をスケートボードのように滑らせる。そして海に飛び込めば、泳ぎの超絶テクニシャンに早変わり――分厚い双翼を流線型の体と調和し、海中を自由に泳ぎ回れる。
こうしたペンギン豆知識を知っている子供が多く、ペンギン好きでかなり詳しい子も少なくない。
しかし、この世界のペンギンはすべて遥か遠い空の向こうから来たのだということを知る子供はいない。発達した双翼はかつて宇宙の星間を滑空するのに使われており、群れをなしたペンギンは巨大な飛行チームを形成して、つるつるした体は恒星の光を反射していたのだ――若い赤色巨星から、寿命の近い青みがかった白色矮星まで、オリオン座の腕だろうがタンホイザーゲートだろうがお構いなし…ペンギンたちは、そうした遥かな旅路や探索の数々を永遠に覚えている。
しかし、遥か遠い星々で発生した災害のせいか、それとも単なる家族喧嘩か、数家族が星空を飛ぶペンギンの群れから離脱して、テイワット大陸の南の氷海に落ちた。そして彼らはこの地で最初のペンギンとなった。当時のペンギンは飛ぶことも泳ぐこともできなかった。大地に墜落したため、彼らは止まった空気の中で飛び回る能力を失った。まして水中を泳ぐなど問題外――初めて水中を泳いだ伝説の若きペンギン、ペールスが現れるまでは。
多くの若いペンギンと同じように、星の煌めく夜空と、真っ青な大空を見て、若きペールスも「もし祖先のように自由自在に空を飛べるなら、どんなにいいか!」と考えた。
そこで、ペールスは空を飛ぶ鳥から再び空を飛ぶ方法を学ぼうと決めた。
ペンギンのペールスは、まず一番背の高いグンカンドリを訪ねた。「ははっ、何とでもなるぞ!海の魚を三十匹くれたら教えよう!」
そこでペールスは五十夜かけて、月の煌めく砂浜で三百枚の貝殻を拾い、海中のクジラに交換してもらって三十匹の魚を手に入れた。
次の日、グンカンドリは三十匹の魚を一気に飲み干すと、「飛ぶ秘訣は軽くなることさ、ダイエットから始めればいいじゃないか!」と言い残して得意げに飛び去ってしまった。
ダイエットすること自体は難しくない。しかしペンギンが分厚い脂肪を失ったら、ペンギンと呼べるだろうか?ペールスは首を振った。
その後グンカンドリが賢人に「強盗鳥」と呼ばれるようになったのは、その屁理屈と貪欲さが理由だということは子供たちみんなが知っている。
ペンギンのペールスはカモメに助けを求めたが、ぎゃあぎゃあと大声で返事するばかりで、やはり意見がまとまらず、カモメたちは言い争いを始めてしまった。怒りのあまり飛ぶのをやめてウミスズメに退化してしまう鳥まで出てきた。もちろん後日談ではあるが…
ペールスはまたカモメに助けを求めたが、高慢なカモメは実践しようのない技法を教えるばかりで、一番基礎的な課程を教えてくれなかった――この天翔ける貴族たちは、滑空さえできないのに嵐の中を舞うことなど無理だと見透かしていたからだった。
そして気落ちしたペールスは海岸に帰った。夜の穏やかな海面を眺めて、ペールスは倒影の中ちらほらと見える波しぶきが故郷の星々にそっくりだと初めて気づいた。そして深く果てしない海へと跳び込んだのだった――
こうして、しばらく為すすべを持たなかったペンギンのペールスは、海中を飛び回る方法をやすやすと身につけた――水中での高速滑空といい、急旋回といい、分厚い双翼とまん丸い流線型の体はそのためのものだったのだ!
そうしてペールスは初めての泳げるペンギンになった。その後に続いて多くのペンギンが勇気を奮い起こして海に飛び込み、先祖が星々の中でそうしていたように、探索して食物を探し、遊び戯れるようになった。ペンギンのペールスの後、ペンギンたちは海の生活に慣れ、星空についての思い出を次第に忘れ、夢の中でさえ深く限りない宇宙に帰れなくなった。そうしてペンギンの一族は永遠に大地と海の間に縛られている。
◆第2巻
マルコット草の王女
そう遠くない昔、すべての草木と獣にそれぞれの王国があった。
マルコット草の王国には、ピンク色の長髪の王女が生まれた。伝説によると、彼女はカニのハサミの中で誕生したが、その柔らかな根をどこに下ろすこともなく、ずっと硬い種のままだった。
「最も親愛なる娘、一番かわいい宝物よ。どうして安定した高貴な生活を選ばず、ぐずぐずして成長の道を選ばないのかい?」父親であるマルコット草の王が気を揉んで尋ねた。
「お父様、お父様、どうかお怒りにならないで!わたくしはカニのハサミの中で生まれました。カニのハサミはわたくしの旗艦のようなもの、わたくしは普通の土に根を下ろして派手で華奢な花に成長するのではなく、海を征服し理想の新大陸に向かって進む運命なのです!」
王はその話を恐ろしく感じた。王自身も軟弱な花に過ぎないのだ。今日の王女は、肥沃で柔らかい大地の土壌に満足していないが、明日もし花冠を王より豪華にしようと思ったらできるというのか?
王がそう思ったのは、自分が派手で俗な花に過ぎないと劣等感を持っていたからだった。
そこで彼は王女をカニのハサミともども金匣の奥に固定し、その匣を純水であつらえたドレッサーにしまって、さらにドレッサーをプリュイロータスの国のサファイア湖に沈め、ロータスの母が笑顔を見せなければ、匣が開いて中身が水面に浮かび上がることはない――そして、プリュイロータスが泣いてばかりだということは誰もが知っていた。
「これなら完璧だ」と王は考えた。「こうすれば我が王冠は安泰だ。長い間、最愛の娘の種皮が広がって谷を埋め尽くし、娘が限りない冒険に望みを失うのを待つだけで、娘は逃れようのない成長を受け入れざるを得なくなる……」
「その時が来たら、私の利口な娘も私のように、運命の導きに従って、しっかりと健全に成長する!」
しかし、長い監禁で勇敢な王女を屈服させられるはずはなかった。金匣を開けるため、王女は何度もいろいろなジョークを練習して、カニのハサミをカタカタと笑わせ、金匣をカタカタと震わせた。しかしそれでは不十分だった。
そこで、王女は何度もいろいろな喜劇を稽古して、カニのハサミがたまらず種と一緒に躍り上がって喜んだ――手も足もないのに!金匣が盛大な喜劇のシアターにまでなったが、それでも不十分だった。
そこで、王女は現地取材して、自分が監禁されている牢獄の中からあれこれ笑いの種を探し、全身で笑いを取った。カニのハサミが彼女と一緒に泣き笑いして、そのうち泣いてばかりのプリュイロータスたちも彼女のネタに引きつけられ、無意識に笑い声を立てた。ついに――好奇心が抑えられず、ロータスの母が種の王女の謁見を特別に許可した。
予想外にも、ロータスの母は王女を見るなり、ぷっと吹き出した。それから笑い声はますます大きくなり、ひっそりしていた宮殿を揺り動かして、サファイアの湖面を破った。
そうしてマルコット草の王女は自由を勝ち取った――もっと重要なことは、彼女が限りない苦難の中でも快活に笑うことができ、さらに他人を楽しませる能力を獲得したことだ。
こうして、根を下ろさず芽も出さないマルコット草の王女は、カニのハサミに乗って波を切り裂き、遥か遠い夢の世界に向けて長い長い航海に出た。それ以来、海の中では長い間、カニのハサミの旗艦の伝説が広く伝わっている。
◆第3巻
ミスター・フォックスとクロックワーク警備ロボ
それはそれは昔、ミスター・フォックスとクロックワーク警備ロボは親友だった。
ミスター・フォックスは大泥棒、クロックワーク警備ロボはその名の通り警備員だった。
もちろんそれはだいぶ前のことだが、彼らは今でも仲が良く、仕事が変わっても、職務や社会的地位が変わっても、彼らの友情はずっと変わらない。
クロックワーク警備ロボはずっとある悩みにつきまとわれていた。年を経て機械が老化すると、悩みも気球のように膨れ上がり、臨月のブタのようにますます重くなって、ミスター・フォックスの日に日に毛が抜ける尻尾でも拭い去れず、言葉にならない苛立ちが募った。
クロックワーク警備ロボは親友のミスター・フォックスに自分の悩みを打ち明けた。「あまりにも長く生きてきて、あまりにも多くの人を見届けお別れしてきた。面白いジョークを何度となく聞いても、そして苦しかったことを一つ一つ忘れても――クロックワーク駆動の機械の自分でも、『少しずつ忘れる』のは言うほど簡単じゃない。」
古い友人の悩みを理解したミスター・フォックスは「もし長生きが忘却と感覚の麻痺しかもたらさないのなら、死によってキミに生命があったことを証明するのが一番だろう」と提案した。
「しかし、毛のふさふさとした古くからの友よ」クロックワーク警備ロボは合金の警棒を脱いでため息をついた。「かなり前のあの大強盗事件の中で、お前は『死』をマドモワゼル・トードの化粧台から奪い去ったんじゃないか?お前のやらかした大騒ぎで、あやうく全世界の生物が死を忘れるところだった。」
死の代理人がマドモワゼル・トードであることは誰でも知っている。彼女はすべての、醜く、冷たく、嫌な生物の女王だが、同時に最も美しく冷ややかな宝石――「死」を司っている。
「ああ、当時はまだ若くて、マドモワゼル・ジャッカルに夢中だったから、オークションで一番高い宝石を貢ぎたかっただけなんだ……」
「それから?」
「成功して、彼女は死んだ。」
「死」はマドモワゼル・ジャッカルの手から滑り落ちて、地上で粉々に壊れた。破片は土に溶け込み、跡形もなくなった。そうして大地の皆が正常な死を取り戻した。死すべき者はすべてきちんと死んだが、ミスター・フォックス本人は不幸にも自分の死刑を逃し、良心をごまかしながら生き長らえている。
「死がまだこの世界に存在するからには、世界中を歩いて探すほうがいいだろう!」という話になり、ミスター・フォックスは親友の冷たい機械の手を取って、故郷の大都市を離れ、津々浦々に死を探す旅に出た。彼らは歩きに歩き、ミスター・フォックスの美しかった赤い毛皮が白髪交じりになり、クロックワーク警備ロボご自慢のバッジが錆びるまで歩いてやっと、マドモワゼル・トードの故郷にたどり着いた。
「マドモワゼル・トード?マドモワゼル?」クロックワーク警備ロボがドアをノックした。
マドモワゼル・トードはゆっくりとドアを開け、傷やあばたでいっぱいの手を伸ばした。
「うるわしきマドモワゼル・トード、再び礼を欠き非常に申し訳ないが、親友がとても苦しんでいて、治療するにはお手を煩わすしかないのです。」ミスター・フォックスはハットを脱いで謙虚に言った。
するとあばら屋から、「無論、マドモワゼル・トードは自分がどれほど美しいか分かっておる」としわがれた声が伝わってきた。「お主の友人が死を求めるというのは、ならぬ。」
「生は紅茶ではなく、死もキャンディではない。永遠に生きる泉の水は生と死をはっきりと区別できないが、機械の心、機械の舌を持つお主は、何度もその命で生と死を味わうのじゃ…」マドモワゼル・トードは花模様のベールをめくり、「死」という名の冷たい光をたたえた宝石を見せると、クロックワーク警備ロボを手招いた。「さあ、若き警備員よ、来るがいい…誰でも試練を受けることはできるが、軽々しく負けを認めてはならぬぞ、我が強き子よ…」
「お主をウジ虫が食らい尽くすことも、お主に苔がむすこともない。相手が年月だろうが責任だろうが、悲しみだろうが退屈だろうが、軽々しく負けを認めてはならぬぞ、我が子よ。」
そう言いながらマドモワゼル・トードは彼の機械の手を「死」の宝石にそっと押しつけ、ずっとずっと後の彼の結末を見せた――
数えきれない年月の洗礼の後、壊れたクロックワーク警備ロボはスクラップ工場の烈火に投入されて、長い間に蓄積された鉄くずと共に溶かされ、識別できない巨大な金属の海の一部になった。金属たちの硬い思想と感覚の麻痺した感情はすべて融解、昇華、融合され、新たな生命となった――それは金属の生命ならではのまばゆい行き先であり、それに比べれば「死」の輝きさえ凡庸なものに成り果てた。
そして未来を目にしたクロックワーク警備ロボは平然と死を放棄した。彼の親友のミスター・フォックスもひっそりと手を引っ込め、盗もうという考えを放棄した――「生は紅茶ではなく、死もキャンディではない。数々の苦労を共にする友がいるんだ、そう焦って貪欲にこの世のものではない宝石を求めることはないな。」
それからは子供たちが知るように、クロックワーク警備ロボとミスター・フォックスはとても長生きした。彼らの生きる小さな世界が荒れ果て、彼らの太陽が燃え尽き、月が落ちるまで…その後、彼らの物語は尽きることなく、多くの世界で伝わり広まり続けている。
二銃士
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◆第1巻
……
両鬢に白髪が交じった老人は、特製の銃の弾丸を六発、慎重にテーブルの上に立てた。そして、ほとんど視力を失った目で、眼前の兄妹二人を見据える。
「銃弾六発だ。これで十分か?」老人は尋ねた。
兄は「十分です」と答えた。
老人はため息をついた。約束通り、自分が生涯で学んできたことを教えることにしたのだ――十五年前、自宅の前に倒れていたこの孤児たちへと。
剣術、銃術、詐術…
どうすれば猟犬に見つからず邸宅に忍び込めるか…どうすれば相手の睡眠中に痕跡を残すことなく、その息の根を止められるか…どうすれば躊躇なく引き金を引けるか…
「六発の銃弾、六人の命…」老人は独り言をつぶやく。
「いいえ」と妹は言った。「五人の命です。」
「一人には、私たちから二発の弾丸をお見舞いしないといけないので。」
老人は何も言わなかった。この兄妹がなぜ自分を選んだのかも、どうするつもりなのかも老人は聞いたことがない。その昔、何も聞かなかった自分の師匠と同じように。
しかし、今になって老人はやはり二人の愛弟子に哀れみを感じていた。その盲目に近い目で見てきた人生は、この街の誰よりも多い。
「復讐は後戻りのできない道だ。よいか、わが子たちよ」と老人は言った。「わしから学んだ知識があれば、お前たちは十分豊かで満ち足りた生活が送れるのだぞ。」
「お前たちにはわしと同じ道を歩んでほしくない。この目は、神が復讐者に下した罰だ」――彼は卓の向こうにいる兄妹にはっきりと見せるために、自分の濁った目をできるだけ開いた。
「私たちは二十年前にとうに殺されているのです」と兄は言った。「この六発の銃弾をしかるべき場所に向けて撃たなければ、永遠に生者の国には戻れません。」
老人はそれ以上、何も言わなかった。この日が来ることは分かっていたのだ、この兄妹を引き取ったその時から。
「分かった…ならばこれ以上言うことはない」――彼は手で体を支えながら立ち上がった。近頃はこの程度の動作をするのにもひと苦労であった。
それでもテーブルの向こうに回って、愛弟子をもう一度抱きしめたいと老人は思った。二人と顔を合わせるのは、これが最後になると分かっていたから。
「この六発の銃弾のほかに必要なものはあるか?」最後に老人は尋ねた。
「ありません」と兄は答えた。
老人は傍らの妹が眉をひそめているのに気がついた。目はあまり見えなくとも、感じ取れるのだ。
「どうした?アイリス」と老人は尋ねた。彼はずっとこのアイリスという弟子のほうを可愛がっていた。繊細で感情豊かだが、銃を握る手が震えたことはない。
「実は、もう一つお願いがあります」とアイリスは窓の外にある老人の花畑を見て言った。
「先生が植えたレインボーローズを、いくつか摘んで行ってもよろしいでしょうか?」
……
――『二銃士』、224ページ。
◆第2巻
……
「終わりだ…」――二丁の銃が伯爵の額に向けられた。そのうち一丁のグリップからはポタポタと血が滴り落ちている。銃口の先にいる人物の命が尽きるまで秒読みのようだった。
豪雨の中、伯爵は二銃士の背後に倒れている人を見渡して「チッ、役立たずどもめ」と内心で毒づぐ。*「これだけの金を使って、買えたのは結局、痛くも痒くもない古傷だったというわけか。」
「我々が誰だか、分かっているのか?」と銃を持った人が尋ねた。
「分かっていたら、どうだと?」
「地獄の裁判官に報告するのに都合がいい。」
土砂降りの雨が、彼の顔や目や耳を叩きつけるように降っている…にもかかわらず、その血の滴る音はなぜかはっきりと耳へ届く。ポタ…ポタ…と。
「…知っているとも。アイリス、チューリップ。我が子たちだ」と伯爵は言った。もう抵抗する気はない。この豪雨の晩、泥の中へと追い詰められたことで、もう疲れ果てていた。
チューリップはペッと唾を吐いた。
「よくも父親面ができるな?二十年前、お母様を殺した時――お前はあの毒薬を飲むあの人をどんな顔で見ていた?」
伯爵は長いため息をついて目を閉じた。二十年前の出来事を思い出してみる。驚いたことに、それは自分が思っていたよりも簡単だった。
その「瞳」が、ぱっと自分の眼前に浮かんだ。
彼女を愛さないわけがない。
あの美しい姿、心地よい笑い声…部屋から別の部屋に移るとき、彼に投げかける恥じらいの一瞥。
夜の銀河のような、静かな湖底のような、あの黒い瞳に見つめたらたらどうなるかなど言うまでもない。
どうして彼女を拒めよう?
「娶ってくださるの?」――その瞳に向かって、「いいえ」とは言えるわけもない。
だが、彼女が自分に背いていいはずがないのだ。
さらに要求を突きつけ、果ては一緒に遠くへ逃げようなどと。
ポタ…ポタ…ポタ…
「彼女は欲張りすぎたのだ…」と伯爵は目を開けて、そう言った。
「お母様は欲張ってなんかいない。ただ他の人と同じように、穏やかな一生を過ごしたかっただけ」とアイリスは反論した。そのグリップからは血が滴り落ちているが、銃を握る手は少しも震えていない。
「私に全財産を棄てて、駆け落ちするよう迫ったのだぞ!」伯爵は声を荒げた。目の前のこの二人の子どもは、金とは何か、地位とは何かを知らないに違いない。だからそんな幼稚なことが言えるのだ。
「お母様はお前に見栄なんて捨てて、世間の目を気にしないようにしてほしかっただけ。お前が言ったように本当の愛が欲しかっただけ」とアイリスは言った。
「お前たちだって同じ立場だったら、きっと同じ選択をしたさ!」
「いいや」とチューリップは強く言った。「私たちは金と地位のために愛する人を殺したりはしない。そんなことができるのは悪魔だけだ。」
伯爵は首を横に振った。反論する気もなかった。
ポタ…ポタ…ポタ…
「何のためにこんなことをする?」それは自分に問いかけているようでも、銃を持った二人に問いかけているようでもあった。
「母親を失い、父親を殺し…罪名以外に何が残るというのだ?」
アイリスとチューリップは目を合わせた。二人は何のためらいもなく――
「それは…正義だ。」
そして、二発の銃声が響いた。雷のように雨の夜を引き裂く。雨粒という雨粒が驚いて震えた。
兄妹二人は微動だにせず、しばらく雨の中で佇んでいた。荒れ狂う豪雨がこの町を叩いていたが、今の二人の「沈黙」をかき消せるものは何もなかった。
やがてアイリスはレインボーローズを取り出すと、伯爵の胸元に置いた。それから兄の懐にもたれ、大声をあげて泣いた。雨が洗い流した彼女の涙は、人知れぬ地下へと流れ込んだ。そこは死者の国に通じている…ふいに彼女は身を震わせ、兄の服を引っ張った。
「どうした?アイリス」と彼は尋ねた。
「兄さん、見て…」と彼女はさっき置いたばかりのレインボーローズを指さした。それは夜闇の中でひっそりと花開いていた、血のように鮮やかに。
「お母様の大好きだったレインボーローズが…咲いたわ。」
――『二銃士』、358ページ。
◆第3巻
…オーズ街65番地。この犯罪都市の片隅にある酒場で、木の扉が「バン!」と蹴り開けられた。
ガヤガヤとした話し声がぴたりと止んだ。そこにいた人たちは酒の入ったグラスを置くと。この豪雨の中の招かれざる客をじろじろ眺めた。
その男は逞しい体つきで、全身黒ずくめの格好をしていた。黒い服、黒い帽子、黒い靴…酒場のロウソクの明かりに照らされていなければ、外の闇夜がこの扉を蹴り開けたのかと全員思ったことだろう。
招かれざる客はやや体を横向きにしていた。つばの広い帽子で顔を隠しており、角張ったあごだけが見える。彼は酒場を見回した。自分がなぜここに現れたのか合点がいかないようだ。緊張が解けたような態度と肩の荷を下ろしたような息づかいから、人々は彼が大きな偉業を成し遂げたか、復讐を果たしたばかりではないか…と推測した。
今の彼は、ただ酒が欲しいだけであった。
彼は重い足取りでカウンターに向かう。服から滴る雨も忠実な幽霊のように一緒についてきた。靴が床を打つたびに「ダン…ダン…」と音を立てる。行く手を遮るものは何のためらいもなく踏み潰せるとでも言うように、その歩みはしかと揺るぎなかった。
「酒を一杯くれ、強いやつを」――招かれざる客が口を開いた。その声は酒瓶を圧し砕いてしまいそうなほど重苦しい。
酒場の主人はしぶしぶ彼に一杯注いでやった。あの靴跡を拭き取るのにどれだけ時間がかかるのだろうかと思いながら、恨めしげに木の扉をちらりと見る。
「ありがとう」と男は言った。「さっき妹と一緒に、大事を成し遂げたんだ。」
主人は何と言えばいいのか分からず、「その妹さんは?」とひとまず尋ねた。
「行ってしまった。花を植えに行ったんだ。ずっと前からそうしようと思っていてな。それで有り金を全部やった。」
「では、この酒代はどうやって払うんです?」
男はぽかんとした。そんな問題は考えたこともなかったようだ。
「これを使ってくれ。」
ドン――と男は漆黒の銃をカウンターの植えに投げた。
隣にいた客は驚いてグラスを手から落とし、酒を自分のズボンにこぼしてしまった。周りにいた人も思わず息を呑む。
「これは受け取れませんよ。」
酒場の主人は平静を装いながらそう言ったが、酒を作る手を止めてカウンターの引き出しにそっと伸ばしていた――その中にあるのは銃だ。ただ、自分が目の前の男よりも早く撃てる確証はなかった。
「そう身構えるな。最後の弾を撃ったばかりだ。一番大事な一発をな。こいつが火を吹くことはもう二度とないだろう」――男はそう言って、強い酒を再び仰いだ。
彼がグラスを持ち上げた隙に、酒場の主人は男の顔をちらっと見た。整った顔立ち、高い鼻筋、いくつかの傷跡、憂いを帯びた黒い瞳…
酒場の主人は銃に伸ばした手をすっと引っ込めた。目の前の男は酒場に入ってくる前から酔っ払っていたようだった。騒ぎを起こしに来たのではない。
「もう一杯いいか?」と彼は尋ねた。
「少し飲みすぎじゃないですか?」と主人は返した。
「ああ。でも今夜は特別なんだ。」――暗に早く出て行ってくれと言ったのだが、彼には伝わらなかったようだ。
「何が特別なんです?」
「さっき人を殺した。」
主人は酒を注ぐ手を止めた。目の前にいる人の口から出たこの言葉は、冗談には聞こえない。
「復讐だ」と男は付け加えた。「あいつは私の母を殺したんだ。」
「『あいつ』とは?」
「あの『伯爵』だ。」
「バカな!」酒場の主人は男が酔っているのだと今確信した。
「伯爵」が善人でないことは、誰もが知っている。殺してやりたいと思っている人は、この酒場に入りきらないほどいるだろう。だが誰もそんなことをする勇気はない、自分の命が惜しい人ならば。
「それだけ大声で話してたら、数分前のあの銃声も確かに聞こえなかっただろうな」と男はあざ笑うように言った。
酒場の主人は、もう一度目の前の男をよく観察した。大きな手、がっしりとした筋肉――見るからに幾多の戦いをくぐり抜けてきている。それも酒場での小競り合いなどではなく、自分の命をかけた決闘にだ。
突然、ある考えが脳裏をよぎった。最近新聞を賑わせている銃による殺人事件を思い出したのだ。犯人は現場に毎回レインボーローズを残し、いつも豪雨の夜に凶行に及んでいるとのことだった…
「もしや…あなたは…」
主人が言い終わる前に、雷が酒場の外に落ちた。吹き荒れる風が木の扉を押し開け、闇夜が海水のように酒場に流れ込み、人々を呑み込んだ。
酒場のロウソクの火が再び灯されたとき、目の前にいた男はもう姿を消していた。ただその漆黒の銃だけを残して。銃はまるで冷厳な死神のように、静かに人々と、闇夜を見つめていた…
――『二銃士』、完。
時の旅人■
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◆第1巻
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ペリンヘリ■
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