プロローグ

Last-modified: 2012-05-01 (火) 20:56:16
 

プロローグ

 

「ふふふふ……君たちは取り返しのつかないことをしたのだ」
「その報いは、自らのものとするがよい」

 蒼く輝く地球を眼下に、二対の怪人が跳んだ。
 生命など存在できないはずの宇宙空間を、海にでも漂うかのごとく仰向けになり、引力にひ
かれ落下していく。
 その視線の先にあるものは……。

『さらばだ、もう逢うこともなかろう! 真・ゲッターロボ!!』

 国連はいま、史上最大級の緊急事態を発令した。
 世界へ向け反乱を起こした早乙女研究所の最終兵器、ゲッターロボの化物「真ドラゴン」の
前に、他のいかなる兵器は通用せず、恐慌に陥った首脳部がなりふり構わぬ暴挙に出たのだ。
 それが重陽子ミサイルによる、真ドラゴン破壊命令だった。

 ミサイルの威力は破滅的である。核兵器などは比べものにもならず、もし着弾すれば、地上
の文明はすべて灰燼に帰してしまうであろう。
 愚かな選択だった。地上を滅ぼしてしまうからではない。むしろ地上の文明を引き替えに真
ドラゴンを倒せるのなら、安い代償とすら言える。
 だが、重陽子ミサイルを用いたところで、真ドラゴンを滅することなど不可能である。なぜ
なら、ゲッターロボの動力であるゲッター線エネルギーは無限なのだ。
 どれほど強力であっても、有限の破壊力では通用しない。一時的に動きを止めることが出来
たとしても、すぐにまた再生してしまうだろう。

 このままでは、無意味に破滅が訪れる。黙ってみている訳にはいかない。
 真ゲッターロボは宇宙へ飛ぶ。
 地上に待ち受ける真ドラゴンを破壊せんと、いままさに墜落していく重陽子ミサイルを止め
るべく、速度に特化した形態「真ゲッター2」への超高速チェンジをぶちかます。
 あのミサイルを止めなければ、真ゲッター2が間に合わなければ、地上は死の荒野と化して
しまう!
 間に合ってくれ!!

「うおおおおォォォオッ!!」

 真ゲッターロボを駆る、男達の絶叫が地球全土にこだました。
 だが。
 あと少し、寸でのところで、真ゲッター2は間に合わず……重陽子ミサイルは、真ドラゴン
ごと惑星の地表を削り取って、美しくも凄惨な輝きを、宇宙に瞬かせるのだった。

 

・・・

 

 一九九八年、二月某日。
 東京都――練馬区某公団住宅、某室。
 この日、警視庁警備部、特科車両二課所属の後藤喜一警部補は非番であった。
 彼は珍しく何の波風も立たない時間を、自宅でぼうっとするに決め込んでいた。なにせ寒い
。外では、またしても雪がちらついているのだ。
 犬なら喜んではしゃぎまわるだろう。まあ、自分も当たる棒を探して歩き回る犬みたいなも
のだが……たまには身体を休息させたかった。
 四〇がらみの今となっては、若い頃ほどの無茶が効かなくなってきているのだ、いざという
時に過労で動けないというのでは、話にならない。
 マイルドセブンの箱に手を伸ばし、おもむろに咥えると一〇〇円ライターで火をつける。
 吸い込む、軽めの煙が気分をリラックスさせてくれた。

 リビング兼寝室の和室で、安物の折りたたみテーブルに突っ伏し、座布団に置かれた地蔵と
化しつつテレビの走査線を眺める。
 そろそろ、このポンコツも寿命だろう。
 独り住まいの2DKは殺風景なものだが、いかなる場所においても喫煙の咎められることが無
いのは素晴しい。ダイニングで吸おうが、物置兼洋室で吸おうが、ベランダに出て吸おうが自
由だ。
 反対に、シャバではどうもタバコに対して風辺りが強くなってきている。事実、F1やWGPの
ような、タバコの広告が印象的な世界的ロードレースの場においても、その量はだんだんと少
なく、わびしくなってきているではないか。
 俺の若かった八〇年代では、あんな華やかだったのに。

(こりゃあ……あれだな。一〇年後には害悪扱いかもしれんなぁ)

 テレビでは閉幕したばかりの長野オリンピックの感想が飛び交い、その合間合間に送電線が
倒壊したとか、東京と埼玉の暴走族が仲良く喧嘩しただとか、猪木が引退しただとか、今日の
ワンちゃんは棒にも当たらず可愛いだとかの話題が取り上げられ、まあ日本は平和を満喫して
いた。
 もっともいまは合衆国付属の州だから、真の意味での平和ではないが……台頭する周辺国家
を見ていると、今のところはあちらさんと仲良くしていた方が、得策だろう。

 そうだ、今日はチョイ悪親父でも気取って、朝からビールを嗜んでみようか。350ミリリッ
トル缶の一、二本なら酔いはしない。
 仮に緊急出動がかかっても、なんとかなるだろう。
 公団住宅を出て数秒も歩けば、目の前にコンビニがある。そこでは、タバコも酒も、ちょっ
としたツマミやそこそこ旨い弁当類も、靴下やシャツやら、洗剤だの文房具だの、まあ生活に
必要な品々はみんな置いてあって、今みたいな季節だとおでんさえも煮込んでいる。

 いやいや、コンビニも進化したものだ。
 俺の若かった八〇年代では、弁当は食えたもんじゃない味で、サービスも役立たず、店に入
れば臭いわなんだで、よほどの緊急か任務の時でもなければ利用することはなかったというの
に。
 後藤は真に暇な時特有のつらつら流れる思い出と、現在とを照らし合わせて「昔の方がよか
った、なんていうのは老人のたわごとだよなぁ」と改めて確認しつつ、リビングテーブルに伏
した上半身と、椅子に沈んだ腰をフワリ上げようとする。
 まさに、その時だった。

 

 ぼんっ、と鈍い音が閃光と共に響いた。
 最初は見ているテレビが爆発したのかと思った。
 しかし、違った。
 後藤の目の前に、淡い緑色の光が集まり膨れあがっていく。
 無意識に、灰皿へタバコが押し込まれた。 
「な、なんだぁ……!?」
 膨れあがる光はいよいよ大きくなっていき、後藤を呑み込んでしまうかと言うほどに溢れて
いく。唖然とする後藤。やがて、光の中にぼんやりと人影が現れた。
「なんだっていうんだ」
 つぶやく後藤に反応するかのごとく、人影が動いた。瞬間、後藤の身がさっと後ろへ引き、
思考より早く構えの態勢になる。

「うぅ」

 人影が、呻いた。
 本物の人間なのか。
 ごくり、と後藤の喉が鳴る。生まれてこの方、四〇余年。その中には、何度か人ならざる者
の仕業にしか思えない現象に立ち会った経験もあるが、それだってこんなにあからさまな、ま
るでマジックかイリュージョンかのようなのは初めてだ。
 だが、それは現実に起こっている。夢を見ている訳ではないのも、はっきりしている。
 黙っていても始まるまい。
 後藤は、勇気と共に一の句を吐き出した。

「……どちらさま?」
「ここは……どこだ」

 質問に、質問が返ってきた。そいつはルール違反だな、と後藤は一瞬思ったが、すぐにその
無駄な思考を打ち消す。
 光が収まったのだ。
 人影の、はっきりとした輪郭が明らかになっていく。
 大柄な若い男だった。
 身長が一八〇以上あるように見え、ガタイもいい。が、太ってはおらず、引き締まった感じ
だ。レイバーに何とか搭乗できる、ギリギリの体格であろう。
 年齢は二〇代の後半といったところだろうか。
 顔つきは濃い目ではあるが、精悍で、十分以上の美男子といえた。ただし、まるで野獣のご
とき雰囲気が隠れもせず溢れているので、あれを好む女は限られたタイプになるはずだ。

 しかし、服装がひどい。
 ボロっボロになったトレンチコートに、黒ずんで下地の赤とマーブルになってしまったマフ
ラー、布きれにしか見えないシャツと、擦り切れて破れる寸前のジーンズ。頭には、ボサボサ
に伸びきった髪を乗せており、コートから覗く拳にはミイラのごとく包帯が巻かれている。怪
我をしている訳でもなさそうなのに。
 と、見かけはまるで浮浪者のようだが、臭気を漂わせているでもなし、なによりその釣り上
がった両眼の奥には、猛禽類を彷彿とさせる精気が溢れていた。世捨て人の眼ではない。

 

 ――こりゃ、只者じゃないなあ。

 もっとも、光と共に現れるなどという、どこぞのM78星雲からやって来た男の様な奴が只者
であるわけはないのだが、後藤が感じたのはそういう事ではなく、仮に「こいつ」を街中で見
かけたとしても、同じ感覚を持ったであろうな、という事であった。
 男は周囲をぐるりと見回す。
 なにやら合点がいかないようだった。後藤はもう一度、その口が開くのを待った。

「……おい、そこの親父。ここはどこなんだ」
「どこって、俺のマンションだよ。あ、いや、俺が借りているマンション、かな。ついでにい
うと東京都の練馬区だ」
「東京だと? 避難命令が出ているのに、あんたどうして……いや、そんなことよりも真ドラ
ゴンはどうなった! ミサイルは!?」
(なんのこっちゃ)

 真ドラゴンってなんだ。
 政治犯か組織か何かのコードネームか、それとも新型レイバーの名か? だが、今日はそん
な奴らや、レイバーが暴走しているという情報は入っていない。
 入っていれば、特車二課第一小隊の南雲隊長と共に、現場へ駆り出されているだろう。これ
から与る予定の第二小隊が隊長の研修も兼ねて。
 そしてミサイルとやらだが、ここしばらく自衛隊や、米国やらソ連やらが誤射したり発射し
たり、配備数を増したというニュースも聞いていない。
 自慢するつもりなど毛頭ないが、後藤には警察をはじめ関東一円に勢力を持つヤクザ達や、
霞ヶ関の連中とか、防衛庁の一部にコネクションがあり、日本に起きるアクシデントについて
は耳聡いつもりだった。
 その俺が知らない事が「どうなっている」とは、どういう訳だろう。

 まあ十中八九「俺の知らない世界」での出来事なのだろうが……。
 後藤はしばらく、スタートレックの登場人物にでも成り切る覚悟を固めていた。

「知らないよ。避難命令は出ちゃいないし、真ドラゴンだのミサイルだのが、どうにかなった
なんてのも初耳なんだがね」
「なんだと……」
「なんだと……って言われてもなぁ。ほれ、ご覧の通り世の中は平和だ」
 後藤は、男の背後にあった使い古しのテレビへあごをしゃくる。その中では、代議士の脱税
疑惑が報道されていた。
「俺も、これからちょっと買い物にでも行ってこようか、と思っていたところでね。そこへお
客さんがご到着されたってワケだ」
「……馬鹿な……では、ここは異世界だというのか……いや、それにしては文明レベルに大き
な差違はみられない。パラレルワールド……?」
「お兄さん。思考中に悪いんだけどさ、ご用件はなにかね」
「……用件なんてねぇよ、邪魔しちまって悪かったな。いますぐ消えるから、今日のことは忘
れてくれ」

 

 ゆらり、と男が動いた。
 後藤はその仕草に敵意だとか、悪意のようなものを感じなかった。純粋に出て行こうという
のだろう。
 ふっと構えを解いた。ここで自分が民間人だったなら、去っていくその背でも見続けていた
かもしれない。
 だが。
 ここで、こいつを取り逃がしてはならない。なぜだかの理由は説明できないが、後藤の警察
官としての勘が、そう告げているのだ。しかしこの男は、こちらが待てといって待つようなタ
マにも見えない。
 さて、どうしようか。
 思考をぱっと一巡させたのち、後藤はカマを掛けることにした。まずはあちらの気を惹きつ
けつつ、正体を探って見ねばなるまい。

「あ、ちょっと」
「なんだ」
「言っとくけどさ、ワープ装置だとかタイムマシンだとかのすごい機械は、無いからね。この
世界」
「……」
「嘘だと思うなら、東大にでも行ってみりゃいい。ここは、俺も嫌になっちゃうぐらい地味~
なところでね、他のみんなもイヤイヤながら、お仕事して生きているんだ」
「……」
「だからさ、闇雲に動いても元の世界には帰れないと思うよ。まずは生きる手段、つまりは衣
食住を確保した方が良いんじゃないかね?」
「……なるほどな」
「あ、信じた?」
「どこから来たかも解らねえ相手に、ペラペラ喋る野郎だと思ったんだよ」
「ありゃま」

 カマを掛けていることがバレてしまった。どうやらこのでかい男、見た目よりも遙かに頭の
良い人間らしい。なかなかどうして、手こずらせてくれそうじゃないか。

「仕方がない、じゃあまずは正体明かしといこうか」

 

 と言って、後藤は部屋の隅に放り投げてあったカバンへ寄ると、中をごそごそとやって小さ
な手帳を取り出した。それは本物の警察官ならば、必ず所持していなければならないはずのも
のである。
 水戸黄門の印籠がごとく手にもち、ずい、と相手に見せた。

「これ何に見える?」
「警察手帳……か」
「そういうこと」
「とても、そうは見えねえがな」
「よく言われるよ」
 なはは、と笑う後藤。
「公安のデカか?」
「……昔、そうだったんだけどね。今は警備部の窓際に左遷されちゃって」

 いっそ公安員で押し通そうかと思ったが、やめた。どうも、このでかい男に半端な嘘をつい
ても、あっという間に見透かされそうだったからだ。
 事実、いきなり自分の過去を当ててきたではないか。
(……見る人間が見りゃあ、俺はいまだにトレンチコート臭いってことか。頭、痒いね)

「で、そのサツが何の用だ。この不審者に任意同行でも求めるつもりかよ」
「とりあえず住居侵入罪の現行犯でお縄、っていう手もあるんだよね」
「面白ぇ。やってみるか?」
「うん。止めとくわ」

 警察手帳がカバンに放り込まれた。あれが再び陽の目を見るには、また長い時間がかかりそ
うだな、と後藤はなにげなく思う。
 代わりに折りたたみ式の安物テーブルに置いてあった、マイルドセブンの箱を取り上げる。
あと二本しか残っていなかった。そうだ、こいつも買い置いておかないと。

「格闘でかないそうもないし、そうでなくても、無造作に銃をぶら下げている奴を相手にちょ
っかいを出そうとは思えんよ」

 後藤は本日二本目のタバコを咥えて、火を点けると男の腰へ指をさす。そこにはベルト代わ
りなのか、ごついチェーンが(ファッション用のそれではなく、明らかに工業用である)巻か
れて、銃が突っ込んであるのだ。
 後藤でなくとも、対峙しようという気にはなるまい。

「俺は警察官ではあるけれど、銃は持たない、持っている相手には逆らわないって主義でね…
…タバコは?」

 ひとつ咥え、くい、と残りの一本を箱ごと差し出す。

「いや、いい」
「おたくも嫌煙かね。最近増えたよなァ、肩身せまいなァ」
「……俺はピース派なんだよ」
「お、そりゃ濃いねぇ」

 顔と同じぐらい……という冗談を舌の先っぽまで出かからせて、引っ込めた。いま、無意味
にこの男を刺激したくない。
 とにもかくにも、まずは逃がさないことだ。
 この男は間違いなく危険人物だ。初っぱなの印象も、すこしばかり話してみたいまの印象で
も、それは変わらない。こんなのを首輪もなしに街中へ放つわけにいくものか。
 腐っても平和を守るのが警察の仕事である。
 そして俺は、腐ってはいるが警察官だ。
 そのためには、多少の自腹を切ることも辞さないでいこうではないか。

「ところであんた、腹は減ってないかね。ここはおごるよ? 俺ン所へ現れたのも何かの縁な
のだろうからね。袖触れ合うも……っていうじゃない」
「ずいぶん気前の良い話じゃねえか。それも警察官の仕事ってか」
「要約すると、そういうコトになるかな」
「けっ、飄々としやがって。まあいい、それならおごられてやろうじゃねえか」

 

 おお、食いついてきた。
 世界は広く、人種がいくら異なれども、食への欲求だけは共通不変のものだなぁ、と後藤は
のんきな思考をめぐらせる。
 さて、それじゃあどこへ行こうか。
 自腹を切ってもいいと決意はしたものの、給料日前なので散財するのはちょっと心許ない。
なんとなくだが、これからお金が必要になりそうな気もするし。
 ここは、そうだなぁ。

「ラーメンでもいいかね?」
「何でも構やしねえよ」
「よしきた。行きつけの良い店があるんだわ……っと、そのまえにお兄さん」
「なんだよ」
「とりあえず、着替えてくれんかね。その服装じゃ入店拒否されちまう。あと銃。取ったりし
ないからここへ置いていってくんない?」
「着替えはともかく、銃を置いていけだと」
「だってほら、ここ日本だからさ」
「日本だからどうだって言うんだ」
「……ああ、なるほど」

 

 どうやら、これは夢ではなく本格的にSFの世界が展開されはじめたらしい。この男が知って
いるニッポンと、俺が知っている日本国は、まったく違う国といって良いのだろう。

「つまり、あんたの居た世界の日本では、銃は携帯していても良いわけだ。ところがね、この
日本じゃあヤクザと警官以外には禁止されているのさ。一般人がそんなもんを持って、街中を
ぶらついてご覧よ。あっという間に逮捕されちまうぞ。嘘だと思うなら……」
「解った、解った! 置いていけばいいんだろ、置いてきゃ」
「いやぁ物わかりがよくって助かるよ」

 後藤は半分ほどに減ったタバコを、灰皿へ押しつけてニヤついた。

「そういや、自己紹介がまだだったな。俺は後藤喜一。話しての通り警察官をやってる。階級
は警部補ってところなんだけど、それでお兄さんの名前は?」
「流竜馬だ」
「ナガレリョウマか……まあ勇ましい名前だこと。あれかね、やはり坂本龍馬にちなんでの命
名なのかね」
「知るか。御託はいいから着替えをよこせ」
「はいはい。っといっても、なんせこの中年親父の持ち物だから、若い人に似合うのがほとん
ど無くてね……ちょっと待っててくれ」
「服なんざ着られりゃあいい、早くしてくれ」
「そういう訳にはいかんさ。TPOってもんがある」

 言って、後藤は2DKの物置兼洋室になっている部屋へ移動すると、クローゼットに首をつっ
こんであれやこれやと放り出し始めた。
 なんせあれだけ身長のある相手だ。丈に合う服を探すだけでも一苦労である。
 それが、あれやこれやと一〇分ぐらい続いて、その最中に竜馬の「まだか」が丁度一分刻み
のタイマーと化し、一一回目のコールが鳴ろうとした辺りで、やっとまともそうなおべべが見
つかった。
 無地のワイシャツに、暗黒色のシングル・スーツと、スラックス。
 いろいろ訳あって、自分のサイズよりかなりオーバーしたものを以前、購入したものだ。竜
馬でも余裕をもって着られるだろう。まるでビジネスマンの服装だが。

「それと、防寒着……まあ、これでいいか」

 つづいて、パーカーを取り出す。
 オリーブドラブ色、いわゆるミリタリー系グリーン色に染まった、ヒューストンのM-51パー
カーコート。これも故あって入手したものであり、後藤自身が着用することはほとんど無い。
 元々は軍用品だったものなので、無骨なデザインだ。竜馬が羽織っているコートの代替品と
してもちょうどよかろう。

 

 これで着替え一式が見繕えた。
 全部、防虫剤臭いのがちょっと引っかかるが、くれてやった竜馬はそんなことはまったく気
にもしていないようだった。
 むしろ、ワイシャツだのスーツだのが動きにくいことに不満を漏らす。
 とはいえ竜馬が着替えている最中の、これでもかというほど筋骨隆々とした肉体を見ると、
そういう文句が出てくるのは仕方なく思えてくる。
 まあ、とにかく強そうだ。格闘なんぞに及ばなくて良かった。と、後藤は芯の底からそう思
った。

「俺がスーツなんざ着るハメになるたぁな。あのクソ野郎の顔がちらついていけねえ」
「おや、スーツを着た人間に因縁でもあるのかね」
「なんでもねえよ。こっちの事だぜ、後藤さんよ」
「詮索する気はないよ」

 今のところは、と心で付け加えると後藤は「じゃ、着替え終わったところで行こうか」と竜
馬を連れて自室を後にするのだった。

 

・・・

 

 公団住宅を出、商店街。
 特別区とはいっても、都心から幾分か離れた練馬の持つ雰囲気は、どちらかといえば隣接す
る神奈川や埼玉、あるいは西東京のそれに近い。
 並び立つスーパーロボットの様なビルディングが、人間を見下ろすコンクリートジャングル
ではなく、背の低い、家庭的な建物が割と目立つのだ。
 そんな風に連なった未だ昭和の香りを残す店々のある空間にも、いまやレイバーという巨人
が風景になっているから、テクノロジーの進歩には目を見はるものがあろう。
 後藤達がめざす、支那料理店から少し離れた場所でも四脚式作業用レイバー「クラブマン」
が廃店舗の解体作業に勤しんでいる。
 それを見上げて竜馬がつぶやいた。

 

「なんだあのロボット、面白ぇ形してやがる。ザリガニみてぇだ」
「ああ、ありゃレイバーっていうんだ。固有名じゃなく、総称でね」
「レイバー? ロボットじゃないのか?」

 そう、レイバー。直訳すれば労働者であるが、この場合においてレイバーとはなんぞや?
 それは……

 

「ハイパーテクノロジーの急速な発達と共に、建設、土木の分野を主としつつも他方面、あら
ゆる分野に進出した多足歩行式大型マニピュレータ。そいつらを総称してレイバーって呼んで
る」

 

「……もうちょっと、俺の解るように説明しろ」
「簡単に言うと、昔レイバー90っていう乗り込み式の大型作業機械が大ヒットしてね、それ以
降、同じタイプの機械は、みんなひっくるめてレイバーって呼ばれているのさ。ジープみたい
なもんだ」

「じゃ、やっぱりロボットじゃねえか」
「そうなんだけどさ。今ではレイバーって呼んだ方が理解が早いんだ。この世界で生きていく
なら、覚えておいた方がいい用語だよ」

 後藤の説明に、竜馬はつまらなさそうに首をゴクリと鳴らした。

「けっ、ただの言葉遊びじゃねえか。まどろっこしい」
「しょうがないじゃないの。言葉ってのは変化していくんだから。あ、この店この店」

 後藤は古ぼけたのれんをくぐると、竜馬へ手招きする。
 その横に置かれた、チャーシュー麺や五目チャーハンのサンプルを収めたガラスショーケー
スは、ずいぶんと白やけしていた。おそらくは店主と共に、高度成長期に発展していく東京の
姿を見続けてきたのであろう。
 後藤は入店するなり、カウンター向こうに見える厨房へ立つ店主へ「どーもー。あ、ワンタ
ンメンとビール、お願いします」言うなり、入り口側の席へついた。竜馬もそれへ習う。

「真っ昼間から酒かよ」
「いいじゃないの、別に。ところで流さんだっけね、あんたは歳いくつだっけ」
「なんだよ突然……二八だ」
「なら、一杯どお」
「いらねえよ」
「付き合い悪いなぁ。まあいいや、じゃあ何を食べる?」
「ん、チャーハン大盛りで頼む」
「はいよ。おやっさん、チャーハン大盛りもお願い……さてさて。それじゃあ、メシが来るま
で少しばかりお話ししましょうか」

 後藤はぞんざいに置かれたコップの水を一口飲むと、カウンターにひじをつき、掌をあごの
下で組んだ。その仕草には、憎めないニヤつきで固定されている顔も手伝って、一切の敵意を
感じさせなかった。
 この男は常時こんな調子だが、おそらくは、いかなる場面においても相手を油断させるため
の演技なのだろう。まあ、ある程度は「地」かもしれないが、特に人から情報を聞き出す時な
どは、効果が高いはずだ。
 竜馬は見抜いていたが、解っていても毒気を抜かれてしまう。
 なるほど、なぜ左遷されたのかは知らないが、公安刑事というのはこいつにとって天職だっ
たろう。機動隊の一員として真面目に市民を護っているよりも、国家と政治の裏側にうごめく
妖怪どもと交渉している方が似合う。

 

「で……何を話しゃいいんだ。身の上話でもしろってのか」
「そうだねぇ、まずその身の上話でも聞かせてもらいたいね。流さんはどこへ居て、どこから
来たのか……どういう話でも聞くし、信じるよ?
 なんせ、あんたはいきなり俺の目の前へ現れたんだ。そこからして、世の中の常識ってやつ
が通用しない」
「俺だって常識的に考えて、こんな所にいるのが信じられねえんだがな」
「というと?」
「全部説明すんのは面倒だ、かいつまんで話すぜ。俺は、ある世界でゲッターロボという戦闘
ロボットのパイロットとしてインベーダーと戦っていた」
「い、インベーダー? ってあの昔、喫茶店に置かれていたゲーム……なわけないよな」

「インベーダーってのは名前通り、宇宙からやってきた侵略者だ。メカも生物も、もちろん人
間だろうと見境無しに寄生して乗っ取るっていうバケモンよ。月面に現れたが、十年に渡る戦
争で、地球へ侵略される前に根絶やしにできた……はずだった」

「本当にSFの世界だな。でも『はずだった』っていうのは?」
「まあ、聞いてな。その後……ゲッターロボを造った早乙女ってジジイの持つ研究所に、俺は
身を置いていたんだ。だがある時、アクシデントが起きた。それは……」

 

 間。
 しばらく続き、それを打ち破るべく口をひらいたのは後藤だった。

「なんだか口に出すのも忌々しい、って感じだね。あんまりトラウマになっているような話は
聞かせてくれなくてもいいよ。俺は、強制するのは好きじゃない」

「いや……言うさ。当時研究所で行われていた新型ゲッターのテストの際、人手足らずだった
ところにテストパイロットを勤めてくれていた、早乙女の娘がな……事故死した。
 ゲッターロボは三人乗りで動かすメカで、俺と、隼人という男と、早乙女の娘で動かしてい
たが、彼女だけが」

「……なるほど」

「その時から運命の歯車は狂った。早乙女のジジイは人と会わなくなり……ある嵐の夜、死体
となって現れた! 俺はちょうどその時、その場所へ隼人という男に呼び出されたんだ。
 緊急の用事だとかでな。だが、待っていたのは、血まみれのジジイと俺を殺人犯と思った警
察どもよ」

「警察、ね」

「フン。だがな、他の誰も気づいちゃいねえが、俺には解っている。ジジイの死体は本物同様
につくられたクローンで、じつのところ隼人とグルになって、俺に殺しの罪を着せ、三年間も
刑務所にぶち込みやがったってことをな。
 それが証拠に、三年後にジジイは生きて表舞台に戻ってきやがった」

「……なぜ、そんなことをしたんだ? たとえば娘さんの死をあんただけの責任と決めつけ、
恨みでというには、やり方が回りくどすぎる。だいたい、その隼人っていう男も事故のときゲ
ッターへ一緒に乗っていたんだろ」

 

「そうだ……恨みじゃねえ。どうやら、その時点で早乙女はインベーダーが生き残って、地球
のどこかに潜伏していると気づいていたようなんだ。こいつらは知能があって非常にしつこい
上、逃げ足も早い。一匹でも残せばまた増殖する。
 だから今度こそ完全に息の根を止めるための対抗策を、世間へ情報が漏れないよう、自分が
死んだ、と見せかけて準備していたようだ。そして隼人は、その唯一の協力者だった」

「根絶やしにしたはずだった、ってさっき過去形だったのは、そいういうことか」

「ああ。そして早乙女の対抗策に、俺の遺伝子を使った人造人間が必要だったらしい。知れば
反抗すると思って、俺を身動きのとれない場所に放り込んでおきたかったんだろうよ。
 事実、そんな計画を知らされたら俺は、暴れていただろうしな。そしてここからが本題だ」

「……ようし。お聞かせ願おうじゃないの」

「さっきも言った通り、俺が三年間拘束されたあと、早乙女のジジイは生きて再び表舞台へ出
てきた。それも、量産されたゲッターロボを従えて世界を相手に、喧嘩を売りやがったのさ。
インベーダーがあらゆる物質に寄生する以上、地上のすべてを破壊するって、無茶苦茶な理論
でな」

 

「世界を相手とは、派手だねどうも。まさか口論でっていう訳でもあるまい、実力行使での話
だろう?」
「当たり前じゃねえか」
「と、すれば相手は世界中の軍隊ってことにもなるわな」
「ああ。実際に相手したのは国連軍だったがな」
「量産したとはいっても、そんなことが出来るほど強いのかね。ゲッターロボっていうのは。
そのなんだ、グレートマジンガーとか、ダンガイオーみたいに」

 

「俺の居た世界では、最強だといってもいいだろう。動力には、名前の由来にもなったゲッタ
ー線っていう、一種の宇宙線エネルギー炉心が使われている。
 こいつが馬鹿げたことに、いくら使っても枯渇しない代物でな。理論上は無限に出力を上げ
られるわけだ。問題は器の側の……つまり機体の方で、耐えられる出力に限度があるのと、出
力を上げた機体では扱える人間が限られるぐらいでよ。
 俺は、そのゲッターを扱える人間の一人だったから、早乙女の反乱阻止を条件に仮釈放され
国連軍の手元にあった旧型ゲッターをあてがわれた」

 

「ふむ……なるほど。少し輪郭がつかめてきたな。しかし、無限ときたか。ううん、俺の予想
していたはるか上を行っているなぁ。そこまでいってりゃワープぐらいできても、おかしくな
さそうだ」
「だが。俺の世界でもワープの技術は、まだ確立されていない。恐らくは、あのとき、真ドラ
ゴンの……」
「待った、真ドラゴンってなんだ」

 

「ああ、悪ぃな。ここは詳しく説明しておくぜ。でないと、訳がわからねえんでな。
 言うからよく聞けよ。ゲッターロボにはいくつか種類があって、一番最初のそれと、話にあ
った改良量産型のゲッターGに、真ゲッターなんてワンオフ機もあるが、こいつら全てに共通
していることは、三機の戦闘機に分離できる上、再合体する際、先頭にした機体に従って三形
態に変化する特性がある。だいたい空戦型、陸・地中戦型、水中型って区分でな」

 

「……すごいんだね……」

「で、ゲッターGの空戦型がドラゴンって言うんだが、真ドラゴンっていうのはだな、この量
産されたゲッターGが数百……いや数千だったか? 正しく数えちゃいねえが、とにかく凄ぇ
量のゲッターGがたったの一体に融合して生まれた巨大なゲッターロボの化物だ。でかさは数
キロはくだらねえサイズだったな。
 そしてその真ドラゴンこそが、早乙女の用意したインベーダーへの対抗策。俺の遺伝子を使
った人造人間を、パイロットの一人として用いるつもりだったらしい」

 

「戦闘機が、数千機も合体して……か。まるでアニメみたい。しかしどうも……話がオカルト
的な方向に向かっているな。あんたの居た世界っていうのは、この世界とは色々と物理法則が
違うらしい」

 

「そんなこと俺が知るか。とにかく、そいつこそが真ドラゴンだ。動いただけでも地球がやば
いっていうレベルの相手が出てきて、国連の奴らもパニックになったんだろうよ、やつらは重
陽子ミサイルを打上げやがった。地上を一発でぶっ壊せるミサイルだ。
 ……そんなもんを大量のゲッター炉心の塊みたいな真ドラゴンへぶつけてみろ。下手をすれ
ば、世界中にゲッター線が撒き散らされて、地上は二度と人が住めなくなっちまう」

「それじゃ仮に真ドラゴンとやらを倒せても、本末転倒じゃないの」

 

「だから、パニックだったんだろう。一応、自給自足可能な巨大地下シェルターは存在してい
たみたいだがな。
 とにかく、そんなもん見過ごしちゃおけねえ。俺も一時的には、ジジイや隼人を殺せればあ
とはどうなったって構わねえと思ったが、それじゃインベーダーの思うつぼじゃねえか。だっ
たら、ジジイの地上破壊も、それに乗った隼人も、インベーダーどもの侵略も、重陽子ミサイ
ルでの馬鹿な自滅も、ぜんぶ許さなきゃいい。なんとしても止めようとした」

 

「そんな理想論みたいなのも、ゲッターロボがあればなんとかなる、と」

「そうだ。腕自慢する訳じゃねえが俺は他の誰よりも、ゲッターの性能を引き出せる。ジジイ
は余計な事を考えねぇで、俺に真ドラゴンを寄越せばよかったんだよ。くそっ」

「なるほどなあ。複雑でとんでもないスケールではあるが、やはりあんたの所も人間がいる世
界なんだわな……ところで、ミサイルはどうなったんだい」

「……結論を言うと、破壊に失敗した。邪魔が入ってな……月面で倒し損ねていた、インベー
ダーの生き残り、つまり現時点での敵の親玉が仕掛けてきやがったんだ。そいつらを見た時に
は驚いたぜ。
 なんせ、早乙女と一緒に月でゲッター線研究に携わった二人の科学者だったんだからな。ど
うやらそいつらが月面でインベーダーに寄生されていたらしい。敵は身近にいたって訳だ」

 

「じゃあ地上は……いや、なんでもない。それで?」

「俺たちは真ドラゴンへ堕ちる寸前のミサイルを、宇宙から超高速で追跡して破壊しようとし
たが……間に合わず、俺が最後に記憶しているのは、乗っていたゲッターもろとも光に包まれ
た映像だった」
「で、気がついたらあんたは俺の部屋へ居た、と」
「そういうことになる。真ドラゴンのゲッター線エネルギーが、何らかの暴走を起こしてこう
なった、としか考えられねえ」

 

 喋り終わると竜馬は、どむ、とカウンターに拳を置く。よほど悔しかったのか、ギリギリと
歯ぎしりまで鳴っている。小さく「畜生……」とつぶやいてもいる。
 そんな竜馬だったから近づいてくる芳しい匂いに気づかなかったのだろう、チャーハン大盛
りの皿が目の前へどん、と置かれて、おお、と顔をあげた。
 見れば、丸々と太った老店主が平和な笑顔をうかべていた。

「お兄サン? なんかよく解らないけれど、悩みすぎよくないよ。これ食べて、元気だすね」
「あ、ああ。ありがとよ。じゃあ後藤さんよ、いただくぜ」
「どうぞどうぞ……俺はちょっと、頭を冷やすとするよ。なにせ話がでかすぎる」
「そうしてくれや」

 

 言うと、竜馬はチャーハン大盛りへ取りかかった。
 店主は「後藤サン、も少し待ってね」と口早にいって再び厨房へ下がる。後藤とこの店主の
つきあいはそれなりに長く、後藤が人を連れてきた場合、混雑時でなければだいたい期待通り
の順序と時間で、品を出してくれる。
 警察官だと教えたことはないのだが、なんとなく解るのかもしれない。なかなかに人をよく
見ている店主だ。

 大陸系の訛りがあるカタコトと、店から感じる年代から推測するに、戦後のどさくさにまぎ
れて、土地を手に入れ、商売をはじめた華僑といったところか。いや、もしかすると帰化して
いるのかもしれないが。
 どちらにせよ長い間、日本で暮らしても祖国の訛りは抜けなかったらしい。
 こういう手合は多い。
 練馬区はそれほどでもないが、都心や副都心に移れば、そういう発祥をもつ、日本人のもの
ではない店舗や建築物が、いまやまるまると肥大化し、駅前の一等地をはじめ高級な土地を占
拠しているのだ。

 その中には国際企業にまで成長した大メーカーもあり、国内の税収源がひとつとして重要に
機能してまでいる。
 だが。
 それは長い目で見たとき、日本の国益にはならない事だ。
 なぜなら、彼らは日本が真ドラゴンに滅ぼされたとしても、帰るべき土地がある人々だ。
 国家存亡を問うような「いざ」という事態が起きた時、命を投げ打って協力をしてくれる存
在ではなく、立場が不利になれば、有利な側へと簡単に寝返る。
 責めることはできない。それが人間真理というものだ。

 

 そういう事態を防ぐためにも、国政および外交は万全でなければならないのに、現状が日本
の土地が日本人の自由にならないという、惨憺たる有様なのは、元を辿れば戦争に負けたから
である。孫子が負ける戦はするものでないよ、と説いている通りだ。

 しかしながら、土地が海に囲まれて生来の引きこもり体質である日本人は、基本的に人付き
合いが下手だ。そのため海外、特に人種がごった返すがゆえ超社交家揃いの大陸国家を相手に
すると、いつも負け戦に巻き込まれてしまう。
 形式的には勝ったのだが、なぜか得るものがぜんぜん無いというパターンもよくある。

 完勝するのは文字通り、神風が吹いた時だけだ。その神風を吹かしているのは、主に自然現
象を司る神様と、寝ないで働くを良しとするド根性という名の日本人の祈りである。
 あと少し、外交官の頭がよく、度胸が据っていたらなぁ。

 ……と、後藤は思った。
 竜馬の話のスケールがでかすぎたせいで、しばらく店主の顔から、現実的な論理へ無意味と
思考をめぐらせていたかったのだ。
 しかし休憩おわり。
 後藤は頭をSFモードに再設定する。

 

 と、ちょうどよくワンタンメンとビールも運ばれてきたではないか。とりあえず胃に食べ物
を入れて麦酒のんで、今後どうするかを考えよう。
 話を聞いたら、予想していたレベルをぶっ飛んで、とんでもない世界からやってきた男だ、
流竜馬という人物は。
 嘘をいうにしてはあまりにも突飛がなさすぎるし、だいたい、そんな創造性があるような人
間には到底、見えない。
 これで、どうあっても、市中へ野放しにする訳にはいかなくなった。

 しかし、保護するにしたってどうすればいいか。当たり前の話だが、こいつには戸籍すらも
無いのだ。かといって元の世界へ戻る手段が見つかるまで、そのままにしておくには、少々で
なく、とても危険だ。
 人相と言動から見ても、明らかに大人しくしていてくれそうにない。それどころか元の世界
へ帰る手段を探すためには、法に触れることなど構いもしなさそうですらある。
 仕方がない。
 まずは、彼の戸籍を用意することから始めよう。法務省民事局総務課、登記情報管理室室長
の山田くんの骨を折らせる事になるが……。

 彼とは、小学校以来の友人であり、今でも時々、年賀状のやりとりなどをする間柄だ。
 若い頃はよくつるんで遊んだものだ。彼が若気の至りで、ちょっとばかり婦女子相手にハッ
スルしてしまったのを、なんとかかんとか折り合いをつけてやったのも、良い思い出であり、
そんな彼も今は気だてが良く美人の奥方と、聡明な息子を一人と、母親似で可愛い娘一人をお
持ちだ。
 そんな絵に描いたような幸せな家庭を、ちょっとばかり戸籍を造ってもらう、というお願い
を聞くだけで維持できるのだから、なあに、安いものじゃないか。

 

 後藤がそういう風な企みをビールと共に呑み込もうとしている時だった。
 店の入り口から、ガラス戸ごしに差していたはずの陽光が、レイバーの駆動音と共に遮られ
た。ふと首を巡らせてみると、さきほどのクラブマンのものであろう脚の一本が、店先に出現
していた。
 なんだ? 工事現場からは少し離れているが……
 なんとなしに悪寒のようなものを感じた。それは竜馬も同じだったらしく、彼はチャーハン
を掻き込む手を止め、水を一杯飲んでからふっと立ち上がる。

 

「……っ」

 そして、ぐらりとクラブマンの影が落ち込んでくるのと、竜馬が店の外へ駆け出したのは、
ほぼ同時のことだった。

「ヌオッ!!」

 外から竜馬の叫びが一閃する。
 バランスを崩したのか、店へ向かって転倒してきたクラブマンの上体、コクピット部へずわ
っと跳び上がると、その勢いのまま跳び蹴りをぶちかましたのだ。
 辺りに、ぐわーんっ、というさながら大鐘でも叩いたかのような轟音がこだまする。数メー
トルをバッタの様に跳ね上がった竜馬の蹴りは凄まじく、数トンの重量を持つはずのクラブマ
ンを軽く跳ね返した。
 クラブマンはオートバランサーが機能したのか、転びそうになる脚をバタバタツルツルとも
つれるようにしながら、態勢を立て直しに必死となる。
 見ているとギャグのような動きだが、人間だったら間違いなくすっ転んで膝小僧でもすりむ
いている状況で、巨体の直立を維持しているのだから、優秀な性能だ。

 直後、四ツ脚に乗せられたコクピットから、男がにょっきり飛び出てくる。ニット帽をかぶ
った、ガラの悪い青年であった。が、そのガラの悪い顔を青くしている。
 まあ無理もあるまい、人間の数倍はある大きさのレイバーへ向かって、こともあろうにその
人間が空高く跳躍してきたかと思うと、巨体を揺るがす蹴りを放ってきたのだ。
 さながら仮面ライダーに襲われた気分であろう。
 その青年へ向かって、仮面ライダー竜馬が怒気を露わにする。

 

「てめえ! 人が食事している間になめたことしてくれるじゃねえか! ええ、おい!?」
「す、すいやせんっ、つい、バランス崩しちまって……こ、こいつオートバランサーに欠陥が
あるんですよ、絶対!」
「欠陥品だとぉ……? おかしいなぁ、今、俺の蹴りには思いっきり良い動きで立て直ってい
たように見えるんだがな。じゃあもう一度試してみるか。ああ心配すんな、転びそうになった
ら、俺が支えてやるからよ。こう見えても力にゃ自信があるんだ」
「う、うわぁあああッ!!」

 ギロリ、という音がしそうなほどのするどい目つきで、青年を射貫く竜馬はしかし、口が端
まで裂けそうなほどに笑みを浮かべて、再びクラブマンに飛びかかろうとした。
 そこへ制止がかかる。のそりと店から這い出てきた後藤だった。

「あー、待った待った。流さん! 待った」
「なんだ後藤さんよ。邪魔するんじゃねえ。この小僧、きっと……」
「いやいや。あわや大惨事というところをよく回避してくれたよ、一警官としてあんたに礼と
敬意を表する。だから事後処理は本職に任せて、食事に戻りなさいって。
 まだ半分も食べちゃいないのに、チャーハン冷めちゃったじゃないの。代わりの品、なんで
もおごってあげるから」
「……いや……別に冷めたチャーハンで構わないけどよ。だが、とりあえず、この小僧は引き
ずり降ろしておくぜ」

 いって、竜馬はぴょんとクラブマンのコクピットへ跳ね上がると、震える青年を引っ掴んだ
まま、路面へ「だんっ」と飛び降りてから、獲物を蹴り転がした。
 ふと気づけば、周囲からはわらわらと人が集まって来、レイバーを相手に生身で格闘を演じ
た竜馬を珍獣でも見るような目で囲んでいる。

 

(あちゃ)

 これだけ派手に暴れたのだから、野次馬が集まるのは仕方のないことではあるが、こいつら
がまた竜馬の機嫌を損ねそうだ。
 どうやって人散らしをしようかな、と思っていると思いがけぬ援軍が現れた。

「あいや私の店商売中よ、あなたがた食べていかないのならホラ、散った散った!!」

 と例の老店主が店から巨大な中華鍋とお玉を手に出て来、叫びながら、店の半径数メートル
から蜘蛛の子散らしを実行していくのだ。
 そして、粗方散らし終わると、竜馬へ向かった。びしっ、と頭二個分は背の高い竜馬の顔へ
お玉を向ける。

「お兄さん! あなた凄いね! 私感動したよ! じつのこと言うとここ最近、地上げ屋みた
いなのがしつこくて、ヘキエキとしてたのよ。ここら一体、再開発するから立ち退けたちのけ
って。でも私、八〇年代の狂乱地価も乗り切ったから、お客さんひとりでもいる限り頑張りた
いと思ってるよ! ありがとね! ありがとね! お礼になんでも無料で作るから、食事の続
きしてってよ。さあさあ!」

 と、大陸系の人間らしい大声で謝意を示すと、他人から礼を言われることに慣れていないの
か、しどろもどろになっている竜馬を強制的に店へ連行していく。
 後藤はその背を見つつ
(あとからもっと凄い嫌がらせ、されないと良いんだけどなぁ)
 と、先行きに大きな不安を感じつつも、騒ぐ店主に電話を貸してくれと声をかける。すぐに
カウンターに置いてあるのを、好きにつかえと返ってきた。

 まあ、とりあえず現場に居合わせた現職警官として、練馬警察署の面々に応援を要請しなく
てはなるまい。ついでにレイバーを転倒させそうになった、このガラの悪い青年くんが逃げな
いように捕まえておかないと。
 このコは大方、どこかの暴力団関係の人間に違いあるまい。店主は再開発のため立ち退きを
要求されていたと言っていたから、立ち退き金をチラつかされても無視したか、はね除けてい
たのだろう。
 で、言うことを聞かず居座る相手に、業を煮やした不動産業界の方が、お仲間の暴力団に泣
きついてちょいと過激な脅しをかけてもらった……と。

 

 割とよく聞く話だ。
 もう八〇年代バブル期の頃ほど勢いはないが、それでも当時から続く国家的計画である東京
湾の大護岸・大埋め立て工事バビロンプロジェクトと、九五年に発生した東京南沖大地震で生
じた、瓦礫の撤去や被害地域の再開発需要等で、割合景気は好況であり、転じて土地の需要も
あった。
 おかげで大型重機を越えるほどの価格がするレイバーも、よく売れて技術開発が進むので、
性能の上がるのが早い。
 わずかに三年前の機種がロートル扱いされる現状だ。
 世界的な金融危機でも起こらない限りは、この状態があと一〇年ぐらい続く予定である。

 今後、発展していくレイバーのことを考えると、警察もまた対応策をどんどん更新し強化し
ていかねばなるまい。
 レイバーは鉄人28号の世界で夢みた、機械巨人なのである。それが一旦暴走した時に止めら
れる力を持っているのは、戦車だの戦闘機だのの戦争兵器を除けば、同じレイバーだけだ。
 ただ、今日からは流竜馬を加えねばならないが……。

 

 増え続けるレイバー犯罪へ対抗するために、警察庁は警視庁におけるレイバー運用を決定。
 これよって警備部に、格闘戦用レイバーを装備する第十一番目の機動隊「特科車両二課」が
新設されることになった。
 あだ名をパトロールレイバー中隊。
 すなわち「パトレイバー」誕生の瞬間であった。

 

 今は第一小隊しか存在せず、後藤が与る予定の第二小隊がやっとこさ準備中だが、すぐさま
第三、第四小隊と欲しい。
 それを動かすための人材も、可能な限り優秀でかつ、可能な限り短時間で欲しい。

 無茶苦茶な注文であるのは、皆わかりきっていることだが、それでもレイバー運用の主役は
アメリカではなくソ連でもなく、日本なのである。ロボットの開発へ熱意をかけてきた国が、
とうとう花開かせた世界へ誇る産業であり、文化である。
 ここで、犯罪が原因でその歩調が鈍ったなどとあっては、日本国と日本警察の栄誉に関わる
というものだ。なにがなんでも、レイバー犯罪は撲滅する。

 のんびりした風を装っている後藤にも、そういう上層部の熱意と気風はよく伝わってくる。
ここはまあ、俺も一肌を脱ぐのが男ってもんだろう。
 後藤は練馬区警察署に連絡を取りながら、老店主にてんこもりのホイコーローを喰わされて
いる竜馬を横目で見た。

 

(あれが人間として通じる世界ってどんなトコなんだろね。想像すればするほど、ゾッとせん
なぁ……でも、いまので俺はぞっこん惚れちゃったよ。
 期待の婦警候補生と、噂の機動隊きっての暴れん坊。そして生身でレイバーを倒す男。これ
で納入予定の三機にあてがう搭乗員が揃った上に、危険人物の身柄確保ができる。一石二鳥と
は、まさしくこのことじゃないか)

 後藤は電話を終えると、てんこもり状態が終わらないホイコーローに苦戦する竜馬の背へ、
わざと足音を大仰にたてながら近づいた。おかげで、反応がない。その隙に、両手をぽむと肩
へ乗せて言った。

「流さんよ。いいことしてくれたお礼に、とっておきの物を見せてあげよう。ちょっと八王子
まで付き合いなよ。あ、店主さん電話どうもです」

 一〇年近い相棒の、1989年型ホンダ・シビックEF3も久しぶりの出番だな、と後藤は意気込
んだ。なお、お古なのは買い換える金が無い訳じゃない。
 電子制御式燃料噴射装置と、ATが自動車に普及しきったいまだから、この時期、始動にも手
間取るキャブレター車の、それもMTを乗り回すのが乙なのである。

 ビールは、コップから半分しか減っていなかった。なにも問題はあるまい。

 

・・・

 

 場所は移り、東京都八王子市。
 かつて繊維業が発展し、いまは精密機器等の製造業が林立、さらには多くの大学を有し国内
有数の学園都市でもあるこの街に、レイバーメーカーの最大手、篠原重工業株式会社の工場の
ひとつが設置されている。
 ちなみにもうひとつは埼玉県所沢市にあり、こちらも首都圏の大動脈を担う性格をもった街
である。
 その八王子工場に、後藤のシビックがゆるゆる入っていく。
 そしてゆるゆると門で警備員に警察関係者であることを示す警察手帳を見せ――あ、一日で
二回も出番があった。すごいや――などと無駄な事を考えていたから、その警備員の顔をあや
うく見落とすところだった。
 この娘は、例の予備校生じゃないか。

「はい、確認しました――どうぞ」
「おや君は……たしか特車二課志望の婦警候補生」
「えッ!? なんであたしの事、知っているんですか」
「ま、変わり種の噂ってのは聞こえてくるもんでね。なんでも、新型を見たいがため、ここで
警備員のバイトしてるそうじゃない。公務員なのに」
「……ぅ、ぇ、ぇっと、その事は……黙ってて……くれませんか……?」

 警察関係者に素性が知れていた――!
 その、往年の「時かけ」を演じていた頃の原田知世似で、本物より少しだけ可愛くないぐら
いの、一般人にしては十分すぎる美少女(一九七八年、一二月一七日生まれ。現在一九歳!)
警備員は慌てて俯き、小声でなにやら言い訳をはじめた。

 

 彼女の名は泉野明(いずみ・のあ)。
 早稲田の警視庁予備校で、もうじき卒業を迎えようとしている婦警のタマゴであり、同時に
たかがノンキャリアの候補生分際でありながら、すでに本庁でまで噂になっており、さらにそ
の事実を本人だけが知らないという、色々な意味での変わり種である。

 ただし、最近は警察の女性比率も上がっているし、本家本元の機動隊にも存在する。特車二
課にも南雲忍警部補を小隊長に置いているので、女だてらに荒事を……という理由で有名な訳
ではない。
 ではなにかというと泉候補生は、
「全国警察組織中の女性で唯一といっていいであろう、レイバーマニアであり、それが昂じて
パトレイバーへ乗りたいが一心で警察への道を目指しており、性格は真面目で身体も頑強、そ
のうえ若い頃の原田知世と激似!」
 だったことに、全てが集約されている。非常に奇跡的要素が詰まった人材だが、特に最後の
件は大きな理由といえよう。
 ただ美人なだけでなく、かつてのアイドル……すなわち、おじさんたちの思い出に残ってい
る美少女に酷似しているというのは、あまりにも巨大な武器だった。

 

 もし、本人がそのことを深く自覚していて、操る術をもっていたとすれば、芸能界へ殴り込
みをかけて、とっくにおじさんたちを上回るカネを自由にできるだけの生活をもっているか、
あるいはその真逆に位置する、ちょっと年齢制限のある文章ではしたためられない闇の中へ落
ち込んでいるかの、両極に居たであろう。

 ともかくも、そんなレイバーマニアの彼女は基本的に副業を禁止されている公務員の身の上
で、アルバイトをしていた。
 すべては篠原重工の送り出そうとしている、警察用新型レイバーをその目にしたいが故に。
 しかし近く、彼女の願いはもっとも理想的な形で叶えられることになるだろう。
 なにせ、後藤は自身のレイバー小隊が創られる事が決定した時点で、もっとも早く目星をつ
けた部下が野明だったのだから。
 警官レベル1のスペックとしては、申し分の無いものを備えているうえで、配属先は自分の
ところを熱望している。そして可愛い。
 警察は正義の執行者であり、同時に可愛いは正義なのだ。最高の組み合わせではないか。果
たして、ただ可愛いだけで許される、という事象が世の中にどれほどあるとお思いか。
 実際に美形な連中には、解るまい。
 むしろ、彼女を選ばない理由があっただろうか?

 

「ないよなぁ」
「何ぼそぼそ言ってんだ、気持ちわりぃ」

 世間の評判って大事だもんね、とひとり再納得する後藤に、シビックの助手席にふんぞりか
えっていた竜馬がドスの効いた声を出した。
 あまりに効き過ぎていたのだろう、俯いていた野明もふいに竜馬を覗き込む。と。
 ぴたり。
 目があった。
 それは脳髄へ走る電撃のような恋の予感――ではない。

 

「ひッ!!?」

 例えるならば、逃げ場のない山道でヒグマに出くわしたハイカーの恐怖。
 実際問題レイバーを蹴り倒す竜馬は、ヒグマより恐ろしい生物であろうことは間違いない。
野明は被害者であった。

「……人のツラ見て悲鳴あげんじゃねえ」
「ご、ごめんなさい。つい……」
「ケッ」
「あー悪いね、警備員さん。ちょっとこの人、気が立ってるもんで。許してよ。バイトの事は
黙っててあげるから」
「! ぁりがとうございますっ」
「うん。そんじゃ、またねぇ」

 およそ警部補という階級へ似つかわしくない、フレンドリーな応対を残して後藤と彼に運転
されるシビックは工場の敷地内、駐車場へと姿を消していく。
 この時の野明は、思いもよらなかったに違いない。
 わずか数ヶ月後に、この、とてもひょうきんなおじさんと、凄い怖いお兄さんと一緒に仕事
をすることになるとは……。
 それはまた、竜馬も同じだった。

「おい、後藤さんよ。このでかい工場で、俺に何を見せようっていうんだ」
「まあまあ黙ってついておいでよ。ここの28号ラインにね、俺の職場がこれから扱う予定のご
つい格闘用レイバーがあるのさ」
「格闘用レイバーだと?」
「そ。言ってなかったっけ、俺は特車二課……つまり、レイバーを扱う機動隊の所属だって」
「聞いてねえよ」
「そうだっけ? ごめんごめん。
 でもさ、ほら格好いいだろうコイツ。なんせ元から作業用じゃ無く、他のレイバーを叩きの
めすために設計された警察専用のレイバーだ。たぶん、あんた好みのメカなんじゃないかな。
ゲッターロボってやつにも、コンセプトだけは近いと思うぜ。
 まあ飛べないし、もしATMの一発も食らえば粉々になる程度のものだから、性能は宇宙の果
てと、地上ほどの開きがあるだろうけど」

 

 つらつらと喋る後藤と共に、竜馬は工場のラインへを見物できる通路へ入っていく。そして
ついに後藤のいう「格闘用レイバー」とやらが露わになった。

「……ふ、なるほど。あのザリガニ野郎とは根本が違うみてぇだな」

 竜馬は見上げる。
 ホワイトとブラックのツートン・カラーに彩られ、指から足にいたるまで、完全な人型を有
したレイバーの姿を。
 その全長というか身長は、おおよそ八メートル前後といったところか。
 中世に生きた欧米戦士のハーフアーマーを身につけたような上半身に、機動力を期待させる
スマートな下半身。
 頭部はバイザーに保護された単眼式カメラアイを中央に置き、その上、額には射撃用補助セ
ンサーが、人間でいう左耳にあたる位置へは書いて字のごとく刃のような形のブレードアンテ
ナ、右耳にはポールアンテナが二本搭載されている。そのアンバランスなデザインが美しさを
演出し、かつ、精密なメカの塊であると宣言しているかのようだった。
 そして全体として、軽量級のボクシング選手を彷彿とさせるシルエット。

 

 これこそが篠原重工が満を持して世に送り出そうとしている、史上初・最新鋭の警察専用レ
イバーだ。その名も「98式AV(アドバンスド・ビークル)」通称イングラムである。

「それで物は相談なんだけどね。流さん」
「なんだ」
「あんたさあ……しばらく警官やってみない? もちろん、交番のおまわりさんじゃなくて、
こいつ専用の搭乗員として」
「……何を言い出すかと思ったら、サツに入れだと? 笑わせんじゃねえよ。俺はむしろ敵対
する側の人間だぜ」
「まあ、だからこそなんだよね。鳴り物入りのレイバー隊だ、ぶちあげていかなきゃならん。
普通の警官はいらないんだわ、この際。少なくとも俺にはさ。それに……」
「それに?」
「この世界でも堂々とロボット戦の真似ができて、普段はあんたの好きそうなトレーニングも
誰に憚ることなく行える。さらに警察官として普通では手に入りにくい情報もいちはやく察知
できて、おまけに衣食住と給料がついてくる。そのあたりにたどり着くまでの、面倒な手続き
も全部が俺が持ってやるから、至れり尽くせり……と、いうワケ。
 どうだ、あてもなく未知の世界をさまよって帰り道を探すより、遙かに良くないか?」

 

 その言葉に竜馬は黙り込んだ。
 いかに彼が超人といえども、さすがに分身の術までは使えない。見知らぬ世界でたった一人
で出来ることには限度がある。
 後藤の提案を飲めば、元の世界へ返る手段を見つけるまでの時間を、一気に短縮できるかも
しれないのだ。
 本懐はゲッターロボのある地球へ戻ること。
 そしてもしも、まだ敵がいるのなら今度こそは根絶やしにする。
 真ドラゴン。インベーダーども。そして隼人。奴らの真意を確かめねばならない。一刻もは
やく戻らなければならないのだ。そのためならば――。

「……わかった。いいぜ、その話に乗ってやる」
「そうこなくっちゃあ」

 ……後藤はこの時、警察官の通常業務として存在する書類作成から備品の点検に至るまで、
一切の煩わしさを感じさせる内容を一切、匂わせもしなかった。
 竜馬も馬鹿ではないから、もし警官になれば「そういう仕事」も待っているのはおぼろげに
予測しているだろうが、はっきり面と向かって言われるのと、そうでないのとでは印象という
ものが大違いなのだ。
 企業の求人広告の内容と、実際に携わる仕事の差を知っている人間には、この説の正しさが
容易に理解できよう。
 全ては策士・後藤喜一の掌の上であった。

 

・・・

 

 それからの一ヶ月間。
 後藤は本来の業務以外での仕事をもっぱら忙しくしていた。仕事場の埋め立て地からは毎日
なるべく定時であがるようにし、心のオアシスたる晩酌も自粛。非番の日は朝から晩までフル
稼働し、四〇がらみの中年の楽しみはすべて封印、目的のためにひたすら邁進した。

 すべては「流竜馬巡査」の誕生がため。
 本来であれば、この世に存在しないはずの人物をでっちあげなければならないのだから、並
大抵の労力ではない。
 当初予測した分を超えて資金も必要になってしまい、貯蓄をだいぶ削ることになったのは少
々、手痛かった。
 後藤はそれまでの人生で培った人脈を、最大級に動員したのだ。

 これほどに働いたのなど、はたして何十年ぶりだろう。
 ふと後藤は回想する。
 しかし、疲労とは対照的にストレスはだいぶ吹き飛んでいってくれたから良しとすべきだろ
う。まったくどうして悪巧みというのは、心身の衰えを忘れさせてくれる。隠れてコソコソす
るのが楽しいのは、子供の頃に隠れんぼが愉悦なことと同義なのである。

 法務省民事局総務課、登記情報管理室室長の山田くんの協力もとりつけ、名簿屋に出たり入
ったりし、系図屋に出たり入ったりし、なんとか三月までにはモノにすることができた。
 なにせ警察官というのは係累が大切だ。万が一にも、逆賊の血筋などがあってはならないの
であり、たとえ日本国籍の持ち主だろうと共産圏の人間へゆかりがあったりすれば、門前払い
に終わる。

 

 と、いうわけで流家の系図は、本人が空手の達人ということにちなんで、古く琉球王国が佐
久川氏の分家の分家のそのまた分家のまた分家についで分家から分家……に遡ることができ、
幕末の頃には下級の薩摩藩士として存在。

 と、いうことになり、

 第二次大戦では親族がビルマ戦線にて没し、その後の時代においては父(竜馬に聞くと一岩
という名だったらしい)が東京にて空手家として道場を経営するが、志半ばにて急逝。息子竜
馬が跡を継ぐ。

 と、いうことになり、

 出生は東京都新宿区戸山。学歴は小学校より高等学校まで都内の私立校を通して昇り、高校
卒業から二八歳の現在に至るまでは、前述の道場経営者として新宿区に起臥した。

 と、いうことになった。

 

 とりえあず警察官になるための人間的履歴としては不足のないものだ。念のため、新宿区戸
山三丁目に借家を設けてもおいた。家賃は月四万円也。いまにも崩れそうなアパートである。
 さて、ここまで来れば残るはどうやって速やかに登用するか、だ。

 今から公務員採用試験に申請したとて、どんなに速くても来年以降の採用になってしまう。
だいたい、竜馬が公務員試験をすんなりと通過できるわけがない。
 頭は悪くないようだから座学は何とかなっても、あの風貌であの性格である。間違いなく、
面接で落とされよう。
 で、あるので……後藤はここで一大バクチに出ることにした。
 それは、

 

「海法警視総監への直談判」

 だった。
 この海法という男は、ちょっと前まで警備部長だったこともあり、後藤となんとなしに面識
がある。
 別に階級を超えた仲という訳ではないのだが、作戦行動にあたって会議が必要になるような
場面において、法的にグレーというかミッドナイトブルーあたりの措置を断行せねばならない
場合、それとなく実行者の後藤が仄めかし、統括者の海法がそれとなく許可し、責任は全て中
間の課長へ押しつけられる、というパターンが出来上がっているのだ。

 特車二課においても早速と祖父江前課長がその被害に遭い、辞職へ追い込まれていた。今で
はしがない整備工場の親父に下ったらしい。
 と……要するに、後藤と海法という男は同類なのである。

 

「お久しぶりです、海法警視総監殿。このたびは警備部長よりの昇進、まことにおめでとうご
ざいます。いやあ今日は、お忙しい中時間を割いていただいて恐縮です」
「……後藤君、よもや私へ祝辞を述べるために登庁した訳であるまい。いったいなんだね」
「いや、じつはですな。先日の練馬区におけるレイバー事故の報道について、ぜひにとも、お
耳に入れておきたいことがありまして」
「うん? ああ、例の、人間がレイバーを倒したとかいうやつかね。ゴシップ記事での報道だ
ったこともあるし、流言飛語の類だと思っていたが」
「じつは私、あの現場におりまして」
「……ほう」

 

「いやいや、化物というのは実際世の中にいるものですな。なんといっても篠原のクラブマン
を蹴りの一撃で、ですよ」
「見たのかね」
「私の自宅におります。名は、流竜馬。自称二八歳」
「……」
「で、まあ。これがまたファンタジックな話なのですが、出会いは私の眼前に突然「ぱっ」と
現れたのですよ。ぱっ、と。なんでも異世界から事故で来てしまったとかで。話だけ聞けば、
ぜひ精神異常を疑いたい所なのですが、目の前へ瞬間移動されてきては……どうにも」
「……」
「手品師、というわけでもなさそうでしてね」
「……まあ話は理解しよう。それで、君はその化物をどうするつもりかね」

「部下にしたいと思っております。しばらく接してみたところ日本語は堪能ですし、日本文化
もきちんと理解している。意思疎通は可能ですので」
「それは、無茶が過ぎるのではないか?」

「そうでもありませんよ。相手は、言わば知能のある猛獣。勝手にうろつかせる訳にゃいきま
せん。ならば、いっそのこと埋め立て地に護送し、監視下へ置いておく。放っておいて世間の
騒ぎになるのを待つよりも、ここは警察で活用するのが得策です。
 幸い、元の世界へ帰る手段が見つかれば即刻、退去するとの意思も確認できましたし」

 

「ふむ……しかし、これは夢なのでは……ないな。一応訊いておくが、男かね」
「ええ。頭も良い方ですよ。少々、熱血漢ですがね……どうやら人型兵器の搭乗員だったよう
で、レイバーへの適応性も高いと見ています。そして何よりも身体能力。人目のつかないとこ
ろでの任務であれば、いざとなれば生身で戦力になる」
「そういうことか」
「いかがでしょう? 第二小隊のオープニングスタッフとして是非、使いたいのですが」
「君で、抑えられるかね」
「とりあえずのところ、私はこの通り無事でおります」
「……よかろう。話は人事二課へ通しておく、後藤警部補たっての推薦であるとな。必要書類
等はそちらへ送ってくれたまえ」
「いやどうも、ありがとうございます」

 

 談判はそのような具合にトントンと進んだ。
 もっとも、黙認を取り付ける代わり、何か起きた場合の責任は全てお前に負ってもらうぞ、
と遠回しに宣言されたが。
 当たり前の対応ではある。
 保険もなしに、こんな無茶苦茶な話を理解して乗ってくる馬鹿はいるまい。少なくとも、警
察上層部という世界に生きる人間にいるはずがなかった。

 ともあれ、これで竜馬を巡査に仕立て上げる準備は整ったわけだ。
 後は、レイバー操縦免許……正しくは多脚制御機免許だが、これの取得が残るのみである。
 第二小隊発足予定の四月一日には間に合うよう、なんとか一ヶ月弱で取得さるべく捏造した
戸籍をつかって、急ぎ合宿教習にでも送り込もうかと思ったのだが、それはとんでもない方向
に予測が外れた。
 というのは、戸籍を造る間の暇な時間にも、竜馬には座学で警察官の勉強やら、レイバー操
縦の勉強やらをしてもらったのだが……。
 恐るべき才能とは、このことか。
 彼は「めんどくせぇな」と文句をこぼしながらも、レイバーの操縦手本をパラパラとめくり
つつ、一夜漬のような学習をすると、

 

「なるほどな。つまり、こういうメカか」

 と、言ったかと思うと翌日には免許センターへ乗り込んでいわゆる一発試験へ臨み、それか
ら、たった三回のトライで「教習以外での取得は不可能」とまで目されているはずの、多脚制
御機免許をその手にしてきてしまったのだ。
 これには、さしもの後藤も目を剥いた。
 立場上、自分も免許は取得しているが、それまでには血の滲むような努力があったのだ。も
ちろん一発試験などは論外であり、教習所へ何ヶ月も通った結果である。
 その間はたして何度「どうせ俺は乗らないんだし、もう止めちゃおうかなあ」と思ったこと
か。
 いくら、歳の差があるとはいえ……。

「いや。まいったねこりゃ。バケモンかお前さんは」 
「あの程度も扱いこなせないようじゃ、俺はとっくに鬼籍へ入っている」
「例の、ゲッターロボとかいうのに比べればカンタンだ……て、ことかね」
「別に操縦の難度は変わらねぇよ。むしろレイバーの方が小難しいぐれぇだ。ただ、どこまで
歩いて止まれだの、これぐらいの範囲で旋回しろだの、モノ上げたり降ろしたりしろだの、要
求がまるっきり平和だったもんでな。
 俺はてっきりコンマ一秒で落ちてくる岩を避けろだとか、襲いかかってくる大量のレイバー
を切り抜けろだとか、そういう試験があるもんだと思って挑んだから、拍子抜けだったってこ
とよ」

 

「……まあ、そういうコトは、これからの実践であるかもはしれないけれど……すごいね、う
ん。あとはおまわりさんの勉強、がんばってね」
「こっちはこっちで、締め付けが多くて疲れるやな。不安なのはこっちだぜ」
「ま、あんたに優秀なおまわりさんになってくれとは言わんよ。ルールは最低限まもってくれ
れば良いさ。たとえば上官は殴らない、だとかね」
「自信はねえな」
「インベーダーをぶっ潰すんだろう? それまでは我慢もしなくちゃあな、流巡査」
「ヘッ。了解しましたぜ、後藤警部補殿」
「……おぉ。あらためて敬語使われると、ちょっとしたホラーに感じるね」
「わがままな野郎だな。どうしろってんだ」
「ま、格式ばった場所以外だったら俺に対しては自由にしてくれ。他の上官には、可能な限り
遠慮してほしいけどね。こと、特車二課以外の人間に対しては」
「ったく、これだから組織ってのは面倒くさくて嫌ぇなんだ。まあいい、適当にやらせてもら
う」

 

「お願いします。それでなんだけどね、段取りの仕上げとして、流さんには来週、筑波の方へ
行ってもらいたいんだよね」
「茨城の方か……なにをしに行くんだ?」
「イングラムの体験会。篠原重工の筑波研究所で実施するんだ、そこに乗機シミュレータが置
いてあるもんでね。それで適性試験やって、駄目なやつはふるいに掛けちゃうわけ」
「ふるい、な。するとあの白い奴ぁ、並のレイバーより遙かに俊敏な動きをするってコトか。
ちったあ期待できそうじゃねえか」
「当たり。あれだけ格好良くて鈍足ってんじゃ、様にもならないでしょ。まあ、あんたの場合
はご足労かけちゃう訳なんだけど、あれもこれも裏帳簿ってわけに行かないからさ。一足さき
に、イングラムの乗り心地を試してみてきてよ」

 

 と、後藤に請われて一週間後に訪れた筑波では、ぞろぞろと精鋭たちが集っていた。
 しかし、彼らは封じ込められたイングラム・シミュレータの中で次々とナイアガラの滝をつ
くりだしていき、休憩室へ転がること死屍累々の様相を呈すことになってしまう。
 なるほど。イングラムこと98式AVは、免許取得時に用いた様な一般的レイバーとは性能のケ
タが違うのは事実らしい。
 といっても、パイロットに文字通り殺人レベルの負荷をかける、ゲッターロボのそれに比べ
れば、安楽椅子だといえたが……。
 竜馬にはむしろコクピット空間が、ギチギチといえる窮屈さだった方が堪えた。どうも大柄
な人間が乗るようには、設計されていないらしいのだ。

 

 なお、受験者が多いために試験は数日に分けて行うらしかったが、竜馬が訪れた日では彼と
「太田巡査」と、アナウンスに呼ばれた、柔道家スタイルの男以外は全滅だった。
 治安をまもる警察官といっても、この世界の連中は、こんなもんか。
 竜馬は、すこしばかりガッカリした印象に囚われる。
 その感情が伝播したのか、先の太田巡査が休憩室をのしのし歩き回り、

「こォの軟弱者どもがぁ。あれしきで弱音を吐いて警官が勤まるかァ!」

 と、転がる敗残者たちに無慈悲な檄を飛ばす。
 しかし。

「落ち着け、そこの。だいたいお前ぇも顔が青いぜ」
「馬鹿をいえ、俺がこの程度で……うぷ」
「気合と根性だけで持たせたってとこか。武蔵みてぇな野郎だぜ」
「ふ、ふはは。そうよ、俺はかの剣豪、宮本武蔵にも……」
(そっちの武蔵じゃねえんだがな)

 

 そういえば、俺を見て悲鳴をあげた小娘も採用予定だと後藤から聞いているが、姿が見あた
らない。別の日に試験を受けるのだろう。だが、この太田とかいう武蔵か弁慶を何重にもデッ
ドコピーしたような奴で限界ギリギリなのに、耐えられるのか?
 竜馬は「いっそゲッターチームで隊を組めればな」と、一瞬ナチュラルに感じたが、まだ隼
人を許した訳ではないことを思い返し、自分が居るべき世界への帰り道を想うのだった。

 

表題へ 真ゲッターの竜馬がパトレイバーに乗るようです
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