復讐鬼と吸血鬼 第2話

Last-modified: 2009-06-09 (火) 00:41:25

第2話 「出撃」
 
 
 
 
 満月の光が降りそそぐ夜―――――― ロンドン郊外、とある英国貴族の私有地。
そこには非常に古い血筋を受け継ぐ伝統的貴族の権威をよく示した、観る者に畏敬の念を抱かせる巨大な屋敷が建っている。
一見いかにも高貴な、伝統ある雰囲気の古めかしい建築であるが、その内部は最新技術を多々用いた設備が整っていた。
とくに防犯、というより『防衛』や『迎撃』と言うべきシステムが多分に詰め込まれている。まるで軍でも相手にするかのような。
 
だが、この屋敷の当主とそれに仕える者たちが相手にするのは、軍隊などよりずっと恐ろしく、そして強力で凶悪な連中だった。
 
 
その屋敷の執務室。 窓から月光が射すその部屋に四人の男女が集まっている。
内二人は若い女性と老人。 残り二人は―――― ヒトでは無い、化け物。
 
 
 女性の名はインテグラ。 インテグラル・ファルブルケ・ウィンゲーツ・ヘルシング。
 
この屋敷の所有者、ヘルシング家の当主。 そして『人間』である。
金糸のような見事なブロンドの長髪に、北欧系白人種の整った美しい顔立ち。だがその肌は褐色だ。
英国の歴史を考えると、その身体には南インドのドラヴィダ人の血が流れているのかもしれない………
 
彼女こそ大英帝国を脅かさんとするアンチ・キリストの怪物たちと、100年間も闘い続けているヘルシング家の末裔であり、
そして国教(プロテスタント)を侵すそれら化物どもを葬り去る組織 『王立国教騎士団』―――― HELLSING機関の長なのだ。
 

 彼女の傍に侍る老爺の名はウォルター・クム・ドルネーズ。
 
ヘルシング家の執事(バトラー)兼、元『ゴミ処理係』。 先代ヘルシング卿の頃から仕えている最古参の奉公人だ。
その二つ名は“死神”である。 好々爺然とした彼に似つかわしくない、この名の由来たる『武器』と『技』を目にした者は少ない。
だが、いくら人畜無害な老紳士の仮面を被っていても、その片眼鏡(モノクル)の奥から放たれる鋭い眼光は隠しようがなかった。
やはり彼もまた、まぎれもない『人間』だ。
 
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 残る二人は人間ではない。人間の姿をしているがヒトではない化物。
その正体は“不死の怪物(ノスフェラトゥ)”、吸血鬼――――であるが、それらは二人ともインテグラの忠実なる部下だった。
 
 
 二人の吸血鬼の内、“少女の姿をした化物”の名はセラス・ヴィクトリア。
 
軍服に似たヘルシングの制服を着込んだ、金髪ショートヘアの少女。 ほんの少し、気後れした眼の少女。
実際、外見と年齢自体は少女というべきものではないが、彼女自身の気弱な性格と、そこからくるどこか頼りない印象のために、
淑女(レディ)というよりは少女と表現し、またお嬢さん、あるいは甚だ不遜であるが、『小娘』と呼ぶのが相応しいと思えてしまう。
だが、その本質はまぎれもない化物であり、根底にあるのは吸血鬼の本能と性(さが)である。
ひとたび闘争に酔って昂れば、彼女はその能力を遺憾なく、そして嬉々として発揮し、殺戮の宴で踊り狂う残虐な魔性なのだ。
 
しかしつい先日“そうなった”ばかりの、吸血鬼として幼いセラスは、人間であった頃と現在の自分の違いに悩み苦しんでいた。
虐殺に悦び、血にどうしようもない渇望を感じるバケモノである、“女吸血鬼・セラス”を人間の理性が拒むことで葛藤していた。
その葛藤こそが彼女の物理的なものではない、何か……別の『弱さ』に繋がっているのかもしれない。
未だ血を吸ったことが無い吸血鬼であるセラスが、人間の生き血を吸って、人間を喰って、真の化物となるのはいつの日だろうか。
 
 そしてもう一人、最後の一人。 彼の名は『アーカード』 ――― < A R U C A R D >
 
 室内だというのに真っ赤なロングコートを纏い、紅いサングラスをかけている。その向こうに奈落の底のような瞳があった。
それに艶やかな黒髪、病的に白く悪魔的な妖艶さを兼ね備えた美丈夫の顔。 なるほど如何にもそれらしい出で立ちである。
 
彼こそはヘルシング“最強にして最大”の戦力。無敵にして不死身の吸血鬼。 アンデッドの王。 化物殺しの鬼札(ジョーカー)。
王立国教騎士団ヘルシングの『ゴミ処理屋』。 対吸血鬼のエキスパート。 化物専門の殺し屋。 ヴァンパイア・ハンター!!
100年前ヘルシングに倒され、以来100年間ヘルシングに仕え、現在もまた使役され、同族を殺し続けている最強の吸血鬼。
その不死身ぶりと超常の能力は並の吸血鬼の比ではない。 まさしくノスフェラトゥ。 吸血鬼の中の吸血鬼である。
 
 
 
対化物機関であるヘルシングの構成員が何故、こともあろうか宿敵たる吸血鬼なのか?
“目には目を”ということだろうか。 確かに戦力としては頼もしいことこの上ないだろう。
しかし総じて人間に敵対し、人間を見下し、人間を食料と見なし、人間を遥かに上回る
能力を持ったプライドの高い魔族(ミディアン)である吸血鬼が、何故に人間の従僕に?
 
セラスの場合はある意味簡単だ。
彼女の血を吸い、吸血鬼という新たな生を与えることで救ったのはアーカード。
そのアーカードが仕えるのはヘルシング。 アーカードの眷族―――使徒的存在の
女吸血鬼である彼女がヘルシングに使えるのは、当然のことといえるかもしれない。
もとより死人となった彼女が身を寄せることができる所は限られているだろうから。
 
だが、そのアーカードは? 何故アーカードはヘルシング機関に従っている?
何かおいしい見返りがあるのか、でなければ致命的な弱みを握られているのか。
あるいはヘルシングという組織、もしくはインテグラという人間への純粋な忠誠心か………
とにかく理由は不明であるものの、彼はヘルシング局長たるインテグラに服従している。
 
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「さて……ことは急を要する。だが、まず状況を説明しようか」
 
インテグラはそれ一本で低所得者の月給が飛ぶ非常に高価な葉巻を燻らせながら、そう言って傍らの忠実な執事に目配せした。
ウォルターは頷いて、2枚の地図を取り出して拡げる。 ひとつはイングランド北部の地図。もう1枚はロンドン市内の詳細な地図だ。
 
「ことの起こりは北部だが、現在の現場はロンドン市内だ」
 
「「!」」
 
アーカードとセラスに微妙な驚きと緊張が生じた。
今まで本土イングランド内外を問わず、国内で吸血鬼を始めとする化物共が出現し、事件を起こしたことは多々ある。
だが大英帝国の首都であり、また己らヘルシングの本拠地が存在するロンドンに侵入を許したことは、ほとんど無い。
 
「発端は二週間前。北部の小農村、スチュワート村に1体の吸血鬼が侵入した」
 
「それって……!」
 
「そうだ、セラス。おまえが女吸血鬼(ドラキュリーナ)となったチェーダース村の隣村だ。状況もよく似ているぞ」
 
「…………」
 
セラス・ヴィクトリアが吸血鬼となったのは約一ヶ月半前の7月5日。北部の小村チェーダース村に吸血鬼が侵入した事件によってだ。
吸血鬼は牧師として村に入り込み、住民の中に溶け込んだ後に吸血行為を開始。次々と村人を襲撃して吸血し、喰屍鬼へと変えた。
それらは秘密裏に行われ、村人たちにその正体が露呈することは無かったものの、間一髪助かった村民の証言によりついに発覚。
村人と警官に問い詰められた吸血鬼は本性を表し、村の住民を皆殺しにした。 結果、チェーダース村近くの地方都市市警が出動。
しかしいくら銃器で武装していようとも、ただの人間。それも吸血鬼と喰屍鬼の知識を持たない者たちがそれらを倒せるはずもなく、
突入した警察隊は壊滅。みな喰屍鬼にされた。その隊所属の婦警であったセラスは、吸血鬼に襲われていたところを救出されたのだ。
要請を受けて出動したヘルシング―――― アーカードによって。
 
吸血鬼を始末するためそれごとアーカードに撃ち抜かれたセラスは、彼が提示したふたつの選択肢、
『“神からの最高の贈り物”である死』か『太陽の光に背いた新たな生』か、どちらかを選ぶこととなった。
そして彼女は選択したのだ。吸血鬼という呪われた生を、闇夜でしか生きられぬ新たな命を選択した。
太陽を、“昼”を、光に満ち満ちた世界を捨てて。 他の色々な、大切なものも捨てて。
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「標的の吸血鬼は二週間前に新任の牧師としてスチュワート村の教会に赴任、その後10日ほど経ってから村人を襲い始めた。
 化物風情がこともあろうか、そしてまたしても我らが国教の聖職者に化けて栄えある大英帝国に入り込んだというわけだ………」
 
インテグラはそこで煙を大いに吐き一息ついた後、その美貌を冷ややかな、だが確かな怒りの表情で歪めた。
 
「我々を、国教をなめ腐りおってクソ化物(フリークス)が……!」
 
忌々しそうに低い声でそう言うと、葉巻を荒々しく灰皿に押し付ける。
 
つい十日ほど前にも男女の吸血鬼が2体、アメリカ中西部で犯罪を繰り返した殺人鬼カップルの『ボニー&クライド』を気取り、
バーミンガムの街道17号線に沿って次々とその進路上にある家々を襲撃し、最終的に4家族16名を殺害した事件があった。
インテグラを苛立たせるのはそれらの犯行が単なる吸血行為と喰屍鬼の発生に留まらず、その吸血鬼たちが犯行現場の家に
神を呪い、貶し、侮辱し、アンチ・キリストを謳って、暗闇や地獄を礼賛する言葉を書き残していったからだ。 犠牲者たちの血で。
国教を守護する者としてそれらは実に許しがたい行為なのだろう。 そしてさらに今回の事件だ。
吸血鬼という化物が聖職者たる牧師の姿で血を吸い、喰屍鬼という化物を生み出すということをやってのけたである。
しかも別の吸血鬼が同様の事件をわずか一月半前に、それもすぐ隣の村で引き起こしておきながら間を置かずに。
インテグラの怒りはいかばかりか。
 
「だが、スチュワート村の人間も馬鹿じゃあない。似たような事件がついこの間に隣村で起こったとあれば、すぐに感づいた。
 2日後、牧師に疑いを向けた村民はチェーダース村の事件を知っていたことも相まって慎重になり、近場の市警に通報。
 前回の事件を担当した同市警は今度こそ名誉挽回せんと我々ヘルシングには連絡せず、短機関銃やショットガンなどの
 小火器類で完全武装した機動隊を大量投入し、吸血鬼の制圧に当たった………余計な事をしてくれたものだ。
 結果、喰屍鬼どもはほぼ殲滅されたものの、肝心の吸血鬼は機動隊と全面衝突せず包囲網を突破。まんまと逃亡した」
 
「逃げた? 腰抜けめ……しかし、賢い判断だ」
 
 そこで初めてアーカードが口を開いた。声と顔にはその吸血鬼に対する侮蔑が表れている。
吸血鬼独特の高貴さと信念と理性を持つ彼からしてみれば、誰彼かまわずに人間の血を吸って喰屍鬼を作り出すという
今回の事件のような行為は軽蔑すべきものなのだろう。 まして自分に殺意を向ける人間たちと正面切って戦闘をせず、
喰屍鬼を囮に負け犬のように尻尾を巻いて逃げ去る吸血鬼は、何の誇りもない唾棄すべき存在と思っているに違いない。
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 だが、彼の言う『賢い』というのもまた正しかった。
吸血鬼にとって人間とは狩りの対象であり食糧にすぎないが、その数と知恵が集まれば“敵対者”となる。
一見無敵の吸血鬼にも弱点はある。そして人間は強力な武器を所持しており、その力をもってすれば吸血鬼を殺すことも可能だ。
まして超常の能力を碌に持っていない三流四流どころ吸血鬼にとっては、『普通の』銃器も充分な脅威であることは明らかだろう。
故にこの吸血鬼がとった闘争せずに逃走するという行為は、自己の生存を第一に優先するという点において正確な戦法といえる。
 
「フム……確かに賢いかもしれませんな。その後の行動も含めますと」
 
アーカードの称賛にインテグラは閉口し、ウォルターが説明を引き継いだ。
 
「“こいつ”は包囲網を突破した後、バスや鉄道などの交通機関を利用して移動。行く先々でその場の人間を喰屍鬼にしています。
 あえて己の脚を使わないことで我々のような連中の追跡をくらまし、かつバリケードとして喰屍鬼を大量に作り出したようですな。
 こいつにとって車輌は飯の詰まったエサ箱というわけです。ですがあまりにも喰屍鬼を作り出しすぎたのが逆にアダとなりました。
 喰屍鬼の発生した地点をたどるのは簡単でしたので、それらを始末するのも兼ねて派遣した武装局員がこの吸血鬼と遭遇。
 局員はあらかじめ吸血鬼自体とは自衛以外で積極的に交戦するなと命令されておりましたので、その時点では撤退しました。
 ですがその後、距離を置いて追跡・尾行したところロンドン市内に侵入したのを確認との連絡があり、現在の状況にいたります」
 
ウォルターはロンドンの詳細地図、その北部に記された『Cockfosters』を指示棒で指す。
 
「標的はロンドン地下鉄で移動して“いました”。コックフォスターズ駅からピカデリー線に乗り、都心部へ入り込もうと企んだようです。
 しかもこいつはすべての停車駅で乗車してくる客を片っ端から喰屍鬼にしています。幸い時刻が深夜だったこともあり被害者は
 少ないものの、放っておけばロンドンは喰屍鬼で溢れかえってしまいますな………列車がピカデリー・サーカス駅に到達する前、
 ロンドン交通局へ連絡して強制停車させることができたのは僥倖でした。標的は現在、旧オルドウィッチ駅跡の地下ホームにいます。」
 
青い『Piccadilly line』に沿って動いていた指示棒が『Aldwych tube station』で止まった。
そのすぐ近くには『King's College London』と書かれた小さな文字列がある。
キングス・カレッジ・ロンドン―――― 学生数2万を超えるロンドン大学最大のカレッジで、それらの生徒を収容している寮もある。
早急に標的の吸血鬼を始末しなければ、学生たちが襲われる可能性もあるということだ。 セラスの表情がより一層引き締まる。
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「………御心配なく、セラス嬢。すでに付近一帯はロンドン警視庁(スコットランドヤード)によって封鎖されています。
 キングスカレッジの学生たちも大学上層部を通して連絡し、『周囲に有毒化学物質が漏出した』ということで避難させてあります。
 オルドウィッチ駅入口も我々の武装局員15名によって包囲し、喰屍鬼どもが這い出てこぬようにしておりますので大丈夫ですよ」
 
「えっ? ああッ! ええと、その。そうですか、アハハハ……… (表情を読まれた? ていうか私、顔に出やすいのかしら)」
 
乾いた笑みを浮かべ冷や汗を流すセラス。そんなセラスに優しく微笑むウォルター。そのウォルターにアーカードが尋ねる。
 
「ウォルター、その列車がオルドウィッチ駅で停車したのは何時だ」
 
「今から約30分前です、アーカード様」
 
「駅入口を包囲したのは?」
 
「………20分ほど前です。ですがこの地区の路上監視カメラの記録には地下ホームから標的の吸血鬼もしくは喰屍鬼が出てくる姿は
 認められませんでしたし、地下路線内に設けられた監視カメラにも標的が徒歩によってホルボーンへ引き返すか、コベントガーデンに
 向かったという映像記録はありません。オルドウィッチ自体は廃駅なので監視カメラが無いために、今現在リアルタイムの標的の姿を
 確認することはできませんが、取り逃がした心配はないかと思われます………何か懸念することでもあるのですか」
 
「つまりだ、そいつは30分間も阿呆のように何もせず、廃止された地下鉄駅で静かにたたずんでいた、ということか?」
 
「!! ……それは」
 
列車が廃駅で急停車したということは、『交通局あるいはヘルシングが異変に気づき、対処すべく動き出した』と考えるのが妥当だろう。
まして今回のような用心深い吸血鬼がそう思考しない方がおかしい。ならば何らかの対策にすでに打って出ていなければならないはず。
少なくともまず止まった列車から出て、地上に上がるか路線に沿って他の駅に移動するのが手っ取り早く、また妥当な行動だと思われる。
にもかかわらず、この吸血鬼が何もしていないということは。
 
「何かを企んでいるのか、あるいは“何かに”阻まれているのかは知らんがな。なんとも良い予感がしてならん」
 
「良い予感だと?」
 
「ああ、そうだとも御主人様(マイ・マスター)。確固とした“予測”なんかじゃあない、曖昧模糊とした下らんモノだがな。
 たまらない、心躍る何かの予感がするのだ。 股座がいきり立つような、とてつもなく楽しくてしょうがない何かの、な………」
 
心底楽しそうに嗤うアーカードに、心底嫌そうに顔をしかめるインテグラ。主たる彼女は従僕たる吸血鬼に命令する。
命令(オーダー)は唯ひとつ(オンリーワン)。
 
 
「『見敵必殺(サーチ・アンド・デストロイ)』だ。何をしていようと、何がいようと!
 大英帝国の敵を、国教に反する化物どもを速やかにブチ殺してこい!!」
 
 
「ヤ、了解(ヤー)!!」
「Sir, Yes Sir. My MASTER!」
 
 
鬼が征く。 二人の鬼が。 獣が、“獣鬼”が待ち受ける暗闇の地下へと。 憤怒の炎で血が煮えたぎっている地獄へと。
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