地上の光景は一変していた。
荘厳なる吐藩の山々はそこには無く、山脈には幾重にも亀裂が走り、
壁面の如く切り立った断層が、さながら終末の光景すら思わせる。
そして、人類の生死を背負う赤髪の少年の姿も、そこには無かった。
「くそッ! 返事をしろ、マーズ!!」
「落ち着け! 拓馬、ガイアーは無事だ」
土埃を掻き分けアークを飛ばす拓馬に、獏が注意をうながす。
上空を見やると、両腕を胸元でクロスさせたガイアーが、機械特有の冷めた視線で下界を見下ろしていた。
「ガイアーがああして静止している以上、マーズはまだ生きているハズだ
もっとも、マーズの身に何かあったなら、今頃地球はガイアーごと消滅していただろうけどな」
「そんな事は分かってるさ!
だが、マーズが本当に無事なら、脱出のためにガイアーを動かしているハズだ
アイツは気を失っているのか、あるいは、ガイアーを呼べない程に消耗しているのかもしれねぇ」
「そ、そうか! それじゃあ急いで探さないと…… おい、拓馬、アレは何だ?」
「何だと…… うおっ!」
地上の有様に意識を奪われ、二人は【それ】の飛来に備える事が出来なかった。
レーダーに気付いた時には、それは既にゲッターの後方まで迫っていた。
「くっ」
かろうじて機体をよじらせ、間一髪で直撃を避ける。
瞬間、拓馬の視線が謎の飛来物と交錯する。
それはさながら、空飛ぶ生首。
ヒラメ、あるいは手足の無いゴキブリといった方が近いか、触覚の代わりに二本の角を備えた流線形の物体。
メタリックな外装は髪の毛のように幾筋かに分かれ、
そして、甲虫ならば腹部に当たる部分には、中性的な顔立ちのロボットの頭部が存在した。
「コイツ…… ぐっ!? グアアアァァッ」
直後、強烈な放電がすれ違いざまに拓馬達を襲う。
白色の閃光がスクリーンを覆う中、反射的に拓馬がレバーを倒す。
だが、神体は一瞬にして前方へと逃れ、闇雲に振るわれた巨拳がむなしく空を切る。
「クソッ! あの図体で、なんてスピードしてやがる」
「――!? ヤベェぞ、拓馬! ヤツの狙いはマーズだ」
強力な加速でアークを引き剥がした神体が、低空飛行で電撃を周囲へ撒き散らす。
狙いもへったくれもない稲光の暴力が、大地を抉り瓦礫の山を吹き飛ばす。
このまま神体のなすがままにしておいては、いずれは身動きのとれないマーズが巻き添えとなる事であろう。
「バカ野郎ッ! テメェの相手は俺だろうがッ!!」
拓馬が叫び、神体の背面目掛け一条のビームを放つ。
だが、神体もその行動は予測済みであったのだろう。
いち早く機体を旋回させて光線を避け、再び雷鳥と化してアークの眼前へと迫った。
電撃が両腕の筋肉を強張らせ、閃光が視界を、轟音が聴覚を奪う。
それでも尚、白刃を振り下ろそうとするアークの右腕をかいくぐり、神体の渾身の体当たりが腹部へ直撃する。
衝撃でアークの胸甲が蕩けて爆ぜ、傷口から、無骨な機器に覆われた炉心がチラリと覗く。
「グッ ううっ…… ゲッターの外装を砕いた、だと!?」
「電撃だッ! あの電撃が金属を溶かし、装甲を劣化させているんだ」
獏の推測、だが、それだけではない。
ウラヌスの真空波、スフィンクスの超高熱、そして今、三体目の高電圧。
度重なる神体との連戦が、傷口を癒す事の出来ないゲッターの鋼鉄のボディを、徐々に蝕んでいたのだ。
「――ついに底が見えたな。ゲッター!
ウラヌス、ミロ、シンよ、お前達の仕事は無駄にはせんぞッ!!」
神体の中で、男の片眼鏡が怪しく瞬く。
ブスブスと金属の灼ける匂いを漂わせたゲッターが、ガクンとひとつ痙攣し、両肩を落とす。
抵抗の術を失った空中の獲物目掛け、男が機首を翻し、猛烈な加速をかける。
「もらったぞッ! ゲッタァ――ッ!!」
「……バカめッ! かかりやがったなァ、生首野郎ッ!!」
「何……!?」
突如、ゲッターの背面が展開し、八枚の鋭利な翼が扇状にバサリと開く。
その時、雷神の風貌を宿した悪魔の胸元が、奇妙な緑色の輝きを放つを、監視者の男は見た。
直後、バチバチと帯電する翼が、一斉に発光を始める。
「サンダァアァァ ボンバアァアアァァ――――ッ!!」
「グムッ! ウ、ウオオッ!?」
電撃と稲妻、閃光と衝撃、轟音と爆音が激突し、両機体の周囲から全ての情報が消える。
慣性のまま、猛スピードの神体の頭部は、身動きのとれないゲッターの胴を両断するかに思われた。
が、予想された手応えは無く、神体は無為に閃光の雲を突き抜けた。
「これは…… ヤツらは何処に……?」
監視者の男が周囲を見渡すが、視界には一面の青空と、崩壊した大地が広がるのみであった。
それでも監視者の男は取り乱すことなく、手元の操作盤を動かす。
神体の中から本体同様の、小型の流線型の機体が幾つも射出される。
それは、高速戦闘を行う本体をサポートするための、無数の監視ロボットであった。
――だが、結果的には、男がロボットのカメラ操作に意識を移した一瞬が、死闘の明暗を分けた。
「――! しまった! 上か!?」
「一発勝負だッ! いくぜ、獏!」
「オオッ!!」
「 チ ェ ン ジ !! ゲ ッ タ ー カ ー ン だ ッ !! 」
片眼鏡が見上げる遥か上空より、恐るべき速度で三体の戦闘機が迫る。
一機を包み込む形で二台が上下からドッキング。
おぞましき異世界の乱入者が、神体の頭上で巌の如き変貌を遂げる。
「クッ、回避を」
「遅ぇぇ――!!」
引力に引かれるままに、岩石の如き巨体が加速する。
両肩の大型スパイクが勇ましく回転し、カーンの全身をすっぽりと包み込む。
見るからに頑丈そうな体躯を備えていた三体目のゲッターは、瞬く間に頑丈そうな砲弾そのものと化した。
「グオッ くっ、こんな…… 監視者を、六神体を舐めるなァ――ッ!!」
「ウルせぇ! このまま擦り潰してやらァ!!」
規格外の弾丸の衝突に、平べったい神体のボディが大きくえびぞり、機体が急速に落下を始める。
唸りを上げるスパイクが容赦なく火花を散らし、眼下に地面がみるみる迫る。
「うおおおおお!?」
ドワォ!!
痛烈な衝撃が再び大地を揺るがし、砕けた岩盤が土柱と共に巻き上がる。
カーンと地面にサンドイッチされた神体は、強固な装甲のド真ん中を穿たれ、やがて、その機能を停止した。
「や、やった…… あとはマーズを……」
「まだ終わっちゃぁいねぇ!!」
「た、拓馬!?」
摩擦熱で蒸気を上げるカーンのハッチをこじ開け、拓馬が瓦礫の海と化した地表に降り立つ。
相方の突然の暴走に、驚いた獏が素っ頓狂な声を上げる。
「野郎、地表スレスレで脱出しやがった! マーズを狙っていやがるんだ!」
「まさかっ!? いくら何でもそんな事……」
出来るかもしれない、と、マーズと出会った時の事を思い出し、獏が考え直す。
無性生殖人間は、風のような速さで走り、十メートル以上もの高さまで飛ぶ事が出来ると、マーズ本人が語っていた。
彼らの身体能力を持ってすれば、落下速度を殺して大地に降り立つ事も可能かもしれなかった。
「待てよ! 拓馬、俺も」
脱出のスペースを空けるため、獏がカーンを動かそうする。
しかし、落下の強い衝撃で、機体は砕けた岩盤の窪地にはまり、容易に脱出できない。
「クソッ! パワーが上がらねぇ」
「お前は残れ、留守になったゲッターを奪われでもしたらシャレにならねぇ」
・
・
・
ゆらめく視界。
雲ひとつない青空の中に、逆光を背に受ける黒い影が浮かぶ。
(ガイアーだ……)
マーズは空を見ていた。
先刻、第四神体・シンの生み出した大地震により、岩盤の間に押し潰されながらも。
彼は無性生殖人間の膂力でもって、地上へと這い出す事に成功していたのだ。
もちろん、無傷ではない。
雪山の一件より蓄積していた疲労に加え、全身の打撲、おそらくは肋骨も何本かは折れている。
更に、頭部への衝撃と体力の消耗で、気を抜くと意識の方も危うい状態であった。
本来ならば、ここまでくればダメージを心配する必要はない筈だった。
マーズがひとつ念じたならば、たちどころにガイアーの引力装置が働いて
彼を安全なところまで自動的に運んでくれる筈であったから……。
だが、その為にはまず、目の前に現れた障害を取り除かねばならなかった。
「……監視者、か」
「随分と酷い様だな、マーズよ」
カチャリ、と、片眼鏡の男が銃を構える。
脱出の衝撃で、セットした長髪は大きく乱れ、一張羅のスーツの裾も破れてはいたが、
その身には傷一つ負っていない。
ガイアーは地上に比肩する物が無い、極めて強力なロボットであるが、
それ故に兵器としては、やや大雑把な代物だった。
光弾にせよ引力装置にせよ、威力が強大すぎるために、マーズに危害の及ぶ状況では使用できない。
先ほど、圧倒的な戦力差を持ちながらシンの術中に嵌ってしまったのも、その欠陥を突かれた為であった。
ゆえに現在、ガイアーは動かせない。
監視者とマーズ、両者の間で、既に状況は詰んでいた。
「待て、僕の話を聞け……」
「問答無用だ、貴様の余計な誤作動のせいで、同志の血が無駄に流れた
その報い、貴様の死と地球の消滅で償ってもらおうか」
「クッ」
殺気を感じ取ったマーズが、渾身の力で横に跳ねる。
直後、狙いをわずかに外した熱線が、マーズの右腿を貫く。
「グ、グアァ!」
「フン、限界だな、これで終わりだ、マーズよ」
再び倒れ込んだマーズ目掛け、男が銃口を構え直す。
既にマーズの全身は悲鳴を上げ、まともに体を動かすことも出来ない状態であったが、
それでも尚、生き残る術を求め、ざわざわと長髪を波立たせ始めた。
「無駄な足掻きを…… もう良い、死ね! マーズッ!」
「!!」
本能のままにマーズが髪の毛を針のように打ち放つ。
監視者は横っ飛びで難なくかわし、再びマーズに銃口を向け、銃爪を弾く。
ドゥッ! と言う銃声が、中空に響き渡る。
「な、何だとォ!?」
監視者が驚きの声を上げる。
吹っ飛ばされたのは、彼の右腕の方であった。
横合いから打ち込まれた銃弾が右肘に直撃し、根元から抉り取られたのだ。
光線銃を握り締めた肘先がドスンと地面に落ち、放たれた熱線が無意味に天空を焦がす。
「クソッ! 今一歩の所で」
監視者がとっさに振り返る。
そこには、銃口を構えて飛び込んでくる拓馬の姿があった。
「このエセ紳士がッ! マーズから離れやがれッ!」
少年が再び銃爪に手をかける。
リボルバー式の、使い込まれた感のあるクラシカルな拳銃である。
本来の監視者ならば慌てる場面ではない。
銃口から弾の軌道を予測し、直線状から身を逸らす。
彼ら無性生殖人間には、それだけの行動をとれる身体能力がある。
だが、先の一撃の威力を思い出した男は、本能的に後方へと大きく飛び退いた。
直後、第二射。
銃弾が中空で散開し、面の攻撃となって空間を通過し、射線上の岩盤を跡形もなく消し飛ばした。
「散弾だとォ!? 小癪な真似を!」
状況の不利を悟った片眼鏡が、隻腕の手負いとは思えぬ身軽さで岩影へ消える。
「見たか! マーズッ!?
人類の生み出す兵器のおぞましさよッ!
これほどに手の込んだ武器を嬉々として生み出す生物が、宇宙の何処にいるというのだ!」
「好き勝手言ってんじゃねぇぞ!
それが、他人様の星に爆弾置いていった一味の言うセリフかッ!?」
油断無く周囲を見渡しながら、拓馬が弾倉を変える。
リボルバーから弾丸が数珠繋ぎに延び、小型の散弾銃がマシンガンへと変貌する。
直後、死角から飛礫が飛来し、のけぞった拓馬が大きくバランスを崩す。
一瞬の隙を突いて飛び出した監視者が、その手を光線銃へと伸ばす。
「全ては宇宙の秩序のため!
貴様ら人類を生かしておけば、生命の未来は……!」
「クソッタレがーッ!!」
二人が同時に向き直り、銃爪へと手をかける。
「……ッ! グアァ!!」
―― だが、その銃爪が弾かれることは無かった。
カツン、と、乾いた音を立て、光線銃が地に落ちる。
痙攣する監視者の左腕には、一筋の赤い針が、深々と打ち込まれていた……。
・
・
・
「それが、お前の答えか、マーズ……」
大地に両膝を屈し、痙攣する左腕を振るいながら、監視者が恨みがましい視線をマーズに向ける。
「人類など、お前が思うほどのものでは無いぞ
これはプログラムでは無い、今日に至るまで地球を監視し続けてきた、俺個人の感想だ」
「……それでも、僕は」
「まだまだ、人間はそう捨てたもんじゃねぇよ、おっさん
高みから地球人を見下し続けてきたアンタらにゃ、分からねぇ話だろうがな」
やや言いよどんだ風のマーズに代わり、あくまでぶっきらぼうに拓馬が言い放つ。
あれ程の死闘の後にも関わらず、拓馬の瞳は、マーズには奇妙に澄んだものに思えた。
「お前らがそう思うなら構わんさ、若造ども
だが、俺はあくまで監視者の……」
「……テメェ!」
震える指先で、再び銃を拾い直そうとする男に、拓馬が容赦なく銃口を向ける。
――と、
「どけえぇェ―――ッ! マーズ! 拓馬ッ!!」
咆哮と共に、男の周囲を黒い影が多い、飛び散った砕石が頭上に落ちる。
呆然と片眼鏡が見上げた先にあったのは、巌の如き巨体の、大きな大きな腕――。
「うおおおおおおおお!!」
ドゴオン、と、三度大地が鳴いて、監視者の男が瓦礫の底へと沈む。
それで漸く、周囲には静寂が戻った。
・
・
・
「これが、ゲッターカーン…… ゲッターの三号機」
驚愕を通り越し、やや呆れた風な表情で、マーズがその無骨な巨体を見上げる。
高い飛行能力と多彩な武装を持ち、あらゆる状況に対応できるアーク。
驚異的な運動性能を誇り、一撃離脱に長けたキリク。
そして三機の中でも、圧倒的な重装甲を有するカーン。
訓練を積んだパイロットが乗り込み、状況によって変形を使いこなしたならば、この機体に死角は無いだろう。
それはまさしく、単独で戦場のあらゆる局面に対応できる、究極の兵器の形の一つであった。
(見たか! マーズッ!?
人類の生み出す兵器のおぞましさよッ!
これほどに手の込んだ武器を嬉々として生み出す生物が、宇宙の何処にいるというのだ!)
どくり、と、不意にマーズの心臓が脈打ち、片眼鏡の言葉がトゲのように突き刺さる。
反射的に頭を振るい、不意に胸中にわいた負の思考を雲散させる。
(何故だ? 拓馬達の辿ってきた道も、
人類がゲッターロボを作らねばならなかった理由も、今の僕は知っている。
それが何故、今更になって、あんな言葉に揺さぶられるんだ……?)
「……どうした、マーズ?」
「あ、ああ、いや……」
拓馬も声に我に返ったマーズが、何とか言葉を返そうとするが、彼に出来たのはそこまでだった。
張り詰めた緊張の糸が切れたマーズは、ついにその場に、どうっ、と崩れ落ちた。
「―― マーズ!?」
慌てて二人が駆け寄り、ダメージを確認するため、破れかけた上着を脱がす。
「うっ!?」
「こ、こりゃあ……」
予想以上の深刻な状態に、二人が絶句する。
先のウラヌス戦で負った裂傷が、今回の戦いで再び開き、
背中の傷口はグズグズに崩れ、紫色にただれ、腐り始めていた。
「マーズ! しっかりしろ、急いで病院に……」
「……無駄だろうな、僕は地球上の生物とは、根本的に体のつくりが違う
生きながら腐っていく肉体を治療する医学は、今の地上には存在しない」
「そ、そんな……」
「それよりも、僕を、ガイアーへ……」
頭上を指差すマーズに促され、拓馬が上空を見上げる。
主の意思を汲み取り、中空のガイアーがゆっくりと降下を始める。
「……先の神体との戦いの折、ガイアーは僕の命令に背くそぶりを見せた。
おそらく僕の指示とは別に、主の生命を守ろうとするプログラムが働いているんだ」
「……それで?」
「僕の身柄をガイアーに任せ、行く先をアイツに委ねて欲しい。
あるいは、ガイアー、なら、傷を癒す術、を……」
「おい! マーズ!!」
必死に呼び掛けを続ける拓馬を遮るように、ガイアーがゆっくりと両手を差し出す。
マーズは不意に、奇妙な安心感に包まれ、安らかな表情で瞳を閉じた……。