第五章 東京レイバーショー

Last-modified: 2013-04-13 (土) 22:53:57

 夜――渋谷道玄坂。
 シンと下がりきった気温を、輝くネオンたちが温める時間のこと。都内にしては勾配の急な
坂を、いつもと変わらずごった返す老若男女だったが、今日に限ってはその流れを止めて酒気
と共にひとかたまりとなっている。
 彼らはいま、道玄坂の大捕物を見物しているのだ。
ただし一部の人間は、通行の障害となった連中の内部を顔をしかめつつ、すり抜けていった。
おそらく仕事帰りなのだろう。
 特車二課も、人混みも、彼らにとっては迷惑以外の何者でもない。

 

「太田、俺がこいつの動きを止める。その間にハッチを開けろ」
「おう」

 

 今日の獲物は酔っぱらいレイバーだ。
 ちょうど、近くのビルが改装工事を行っており、そこへ配置されていたレイバーが夜の訪れ
と共に魑魅と化したのである。
 昼間に嫌なことがあったのかもしれない。はたまた仕事が終わった瞬間に、上司から雷をも
らって普段のストレスが爆発したのかもしれない。あるいはクビを言い渡されて自暴自棄にな
ったのかもしれない。
 いずれが理由にせよ、許されざる事である。近年は自転車でさえも事故増加のあおりを受け
て、飲酒運転罰則化の動きが見え始めているというのに、一般人が操縦できる機械としては最
大のものに分類されるレイバーを、酔って動かすなどとは……。

 

 道玄坂のあちこちに、その被害を受けた自動車やバイクが転がっている。爆発炎上しなかっ
たのだけが唯一の救いといえたが、それらは全て他人の持ち物であり、財産である。
 もしかすれば、何年もの貯金やローンをはたいて入手した、宝物だったかもしれないのだ。
渋谷の繁華街という場所ゆえに、人命が失われていた可能性さえも高い。
 それらを考慮すれば、この罪を犯した人間に対する罰が、幾許の懲役と金銭の刑事罰、違反
点数による行政処分では軽すぎる。実際、再来年の二〇〇一年には飲酒運転の厳罰化が予定さ
れてもいる。

 

 竜馬の3号機が、相手の汎用作業レイバー、菱井ブルドッグに右の横ッ腹から組み付くと、
2号機に「来い!」と叫ぶ。それに呼応した太田が、反対側から体当たりをするように取り付
いて、完全にブルドッグの動きを止めた。
 ビルに挟まれて周囲に余裕のない場所だから、相手レイバーを暴れ回させることだけは避け
ねばならない。機体に相当の無理をさせることにはなるが、各関節可動部のモーター出力を最
大限に上げて力任せに処理しようというのだ。
 竜馬には無論、太田にとっても馴染みの深い戦法である。
 といっても、今まではこの上で無意味な格闘戦や銃撃に臨んでいたのが太田なのだが、さす
がに竜馬と熊耳の教育あってか、それは削ぎ落とされている。

 

 3号機がフルパワーを発揮しモーターに盛大な咆吼をあげさせている間に、2号機の腕がび
ゅんと伸びて、ブルドッグのコクピットハッチ下部、緊急用手動開閉レバーに指をかけて引い
た。本来は人間が両腕で体重をかけて、引き降ろすものであるが、イングラムの五指が誇る器
用性はその操作を可能とさせた。
 ばしゅ、と圧縮空気が抜けてブルドックのコクピットが解放される。
 中からは酒瓶を抱えた作業員の成れの果てが出てきた。即座に3号機が、操縦機に手をやっ
て握りつぶす。これ以上暴れられては敵わない。

 

「そこまでだ。降りな、酔っぱらい」
「にゃにぉぉ……」
「黙って降りんか、この犯罪者が! レイバーを飲酒運転するなどとは、貴様いったいどうい
う」
「いいから早く降ろすぞ。説教はお前の仕事じゃねえだろ」

 

 竜馬の的確なつっこみに、太田はぎゃあぎゃあと反論しつつも、鮮やかな手つきでブルドッ
グ乗員の確保を行っていく。
 その姿を、少しばかり離れた場所に路上封鎖代わりに指揮車と、レイバーキャリアを置いて
見つめるのは香貫花と熊耳だった。

「太田くんも手際よくなってきたわね」
「当たり前です。もう何度も出撃しているんですから」
「そうね。それが当然じゃないと、流くんが大変だもの」
「彼は一人で十分だと思いますが」
「あら、そんなことは無いわよ。実際、泉さんとのペア時は効率が一人の時より上回ったわ。
まだ太田くんだと、一人以下の場合が多いけど」
「……」

 

 熊耳からおもわぬ嫌味をうけた香貫花が舌打ちをする。完全に聞こえているはずだが、熊耳
は瞬きひとつしなかった。
 香貫花は「これで貴女が上司でなかったら、飛びかかっているところよ」と心の中で悪意を
吐きまくる。いや。多少、音となって漏れていたかもしれない。
 それでも熊耳は身じろぎひとつしない。自身も相方も有能ゆえの、勝者の余裕といったとこ
ろだろうか。

「背後関係はなさそうです」
「ただの酔っぱらいですな、ありゃ」
「そんなコトいちいち俺に報告しなくていいよ」

 

 そんな、あからさまに嫌悪のオーラを醸し出し合う、女警官二人の背を見つつ、松井・風杜
両刑事から報告を受けているのは後藤だ。

「我々は上から言われた通りに出張ってきて、確実に現場の仕事をこなすだけ……というわけ
で、こなした」
「はあ……しかし、そういう割には前のお二人さん。なんというか、どうも剣呑ですな。大丈
夫なんですか」
「そのうちなんとかなるでしょう。おーい、皆さん。そろそろ帰りますよー」

 特車二課第二小隊一行は、引率者にひかれて帰宅していくのだった。あとに残されたのは機
動隊と刑事たち、本物の警察官だけである。

 

 ――今日もバカ騒ぎしていきやがって……。

 

 彼らの憔悴を知ってか知らずか、恐らくは知らないであろう、竜馬らは指揮車の中で今日、
成人式だった野明に関してあれこれと話題を飛ばし合っている。

「泉は今日、成人式だったか。非番が重なって運が良かったな」
「そうっすねぇ隊長。そうそう、あいつ警察の礼服なんか着ていこうとしてたから、慌てて止
めたんですよ。警察関係者だけの式とかじゃないんだから、んなモン着ていったら浮くに決ま
ってるってのに。というか、警務も何で貸そうとするのか解りませんよ」
「なんだ。行かせちゃえば良かったのに。面白い写真が週刊誌に載ったかもしれないよ」
「冗談きついですよ」
「おい、セイジンシキってなんだ?」
「えっ。竜馬さん、まさかあんた、成人式が何か知らないなんて言わないよな」
「知らねぇな」
「!」

 

 突然、非常識な発言を始めた竜馬に、熊耳があわててフォローに入る。どうやら、彼の居た
世界では成人式という儀式は廃れてしまっているらしい。
 それを察知した熊耳はボソボソと、
(流くん、成人式っていうのは二十歳になった人が出る、もっと昔の元服みたいなものよ。割
と常識だから覚えておいて)
 耳打ちする。
 竜馬は面倒くせえな、という表情を隠さなかった。二人しか居ない指揮車の中での会話だか
ら、誰に見られることもなかったのは幸いといえよう。

 

「……あ、ああ、篠原くん。彼はほら、昔、式には出なかったのよ。口が悪いからこんなこと
言っているけれど、色々思うこともあったんでしょう。あまり突かないでおいてあげて」
「そうなんですか? ま、確かにあんなもん、出たって何の教訓にもなりゃしなかったですけ
どね……とっと、今のは失言でした」
「おい篠原ぁ。心得違いだぞ、成人式というものはだな、その日から大人としての自覚をうな
がす儀式であってだ、洗礼を受けた者は、己の責任に目覚めねばならんのだ!」
「ああそうかい。二七にもなるのに鉄砲撃ちがたって暴れる、ガキみたいなおっさんに言われ
たかないね」
「なんだと貴様!!」
「太田。落ち着きなさい。この先レイバーショーの警備もあるのに、こんなことでいきり立っ
ていたら話にならないわ」
「うぬぬぬ……」
「へっ。俺より大人げない奴がいるんだから、この世は面白ぇぜ」

 竜馬が指揮車のハンドルを握りながら、レシーバーごしに笑みを浮かべる。本来は熊耳が運
転担当なのだが、帰り道は運転したい、とわがままを言い出したので、仕方なく譲ったのだ。
 そんな彼の言葉を、熊耳は機器だらけで狭っくるしい助手席から(大人げのなさなら、たぶ
ん太田くんと同格よね……)と、否定するのだった。

 

・・・

 

 翌日。

「おはよーっ。行ってきました成人式」

 

 二十歳になり、合法的に酒を飲めるようになった酒屋の娘が、おそらく昨日はその権利をし
こたま堪能してきたのだろうな、と思わせるホクホク顔で出勤してきた。
 ただし酔いが残っているとか、そういう危険性はまったく感じさせなかった。実際に熊耳が
アルコール検知器でチェックをしてみたが、反応は見られない。
 それでも、多量の酒を消費したであろうことは間違いない、と遊馬は見抜いていた。
 というのもこの娘、イングラムという自動嘔吐機を平然と乗りこなすだけでなく、アルコー
ルに対しても異常なまでの耐性をもっているのだ。その事実を、遊馬だけが何度か交したデー
トの中で知っている。
 いずれ、第二小隊の親睦会などで発覚するときが来るだろう。

 

「よぅし新成人。今日から心を入れ替えて働けよ」
「がんばるよぉ。あたしもイングラムも。太田さんと2号機に「だけ」は負けないからね」
「けっ、ほざけい。いつまでも小細工が通用すると思ったら大間違いだぞ」

 そんな、悪口を言い合いながらも、和気藹々とした様子の第二小隊オフィスだったから、ま
さか誰もが後藤の口から、その雰囲気をどん底に落とす発言が飛び出すとは思っていなかった
だろう。
 だが、その時は訪れた。

「よう皆。ちょっと急な話ではあるんだが、重大な事なので発表するぞ。まあリラックスして
聞いてくれや」

 

 のそのそと、いつもの調子を崩さないでオフィスに入って後藤だったが、微妙にその背中に
は緊張感が漂っている。
 初めは、また面倒な任務が上から押しつけられてきたのか、と一同は予想したのだが、内容
はまったく違った。
 それは、第二小隊の主装備に関わる話であったのだ。
 特車二課が持つ装備の代表。それは当然レイバーだ。無くてはならない、無ければ始まらな
い装備であり、同時に、とんでもない金のかかる警察組織きっての金食い虫でもある。
 特に警察専用に設計されたイングラムは、目の飛び出るようなコストがかかる。

 

 今後、特車二課は広がるレイバー犯罪に対応するため、迅速に小隊数を増やしてゆかねばな
らないが、しかしイングラムほどの性能を持ったレイバーを大量に配備すると、警察予算を非
常に圧迫してしまう。
 無論、だからといって高性能レイバーの採用をやめて、第一小隊が使っているような中古の
改造品で済ましていこうという訳ではないのだが、とにかくイングラムは高すぎた。

 

 もう少し、廉価なバージョンの開発はできないものか?
 そういう要請が、すでにイングラムを配備した時から、篠原重工に発注されており、そして
ようやくそのプロトタイプが完成したのが今月のことらしい。
 その名はイングラム・エコノミー。
 名前からして廉価版である。

「そのな……小隊の増設にあたってだ。二課に配備されるレイバーを、すべてこのエコノミー
へ入れ替えようという動きが、上層部で主流になっとるんだ。つまり、第一小隊の96式改はも
ちろん、うちの98式も下取りに出される可能性がある、と」

 その言葉に、まず野明が反応した。
 後藤の予想通りだ。

 

「なっ……そんなの納得できませんよ隊長! まだ配備されて一年も経っていないじゃないで
すか! せっかく馴染んできて、いい動きができるようになってきたっていうのに!」

 可愛いイングラムを手放したくない! 野明は私情こそ口走らなかったが、顔にはありあり
と、その台詞が書かれている。後藤は「まだ決定した訳じゃない」と彼女をなだめつつ、次に
竜馬へ顔を向けた。君の意見も聴きたいな、と。

 

「……そのエコノミーとかいうのは、イングラムに比してどんぐらいの値段なんだ?」
「十分の一、だそうだ。浮いた分はすべて人件費に充てられるってワケ」
「スペックは?」
「仕様書をみる限りだと、七割ってとこだね」
「なるほどな。じゃ、役に立たねぇ」
「どうしてそういえる?」
「俺も一応軍ぞく……いや、色々経験してるからな。費用対効果ってのがどんなもんか、それ
なりに知っている。いくら開発競争が激化してるからって、たったの一年で十分の一までコス
トを下げちまうなんて、普通は出来ることじゃねえ。
 色々な部分で相当な誤魔化しをやってる。イングラムとは別系統のレイバーだって言うなら
まだしも、信用ならねえよ。実質的なスペックは七割なんてもんじゃないと思うぜ。半分も出
ているかどうか、怪しいもんだ」

 

 それにだ、と竜馬はつづける。

「仮に小隊数が一気に十倍に増えたとするぜ。それだけの人員を、どうやって促成栽培するん
だ? どれほど効率的に育ったとしても、使えるようになるまで、絶対に第一小隊と俺たちで
ケツ持ちしなきゃあならなくなる。その時に肝心のレイバーが安物だっていうんじゃ、ブロッ
ケンみたいなのが出てきた時に蹴散らされちまうぞ。
 まあ、戦争だったら数だけに物を言わせるって手段で行けるかもしれねえが、こっちは市街
戦するワケにはいかねえんだろ? だとすると、一機のレイバーにはそれ相応の実効制圧力が
必要になってくる」

 

「なるほどね……」

「どうしても導入したいっていうなら、米軍みてえにハイ・ローミックスで行くべきだな。少
なくとも、今の時点で第二小隊からイングラムを外すのは、得策じゃねえ」

 なるほど、元軍属だ、と後藤は無言で頷く。ところどころで警察ではなく、軍人的思考が入
っているのだ。
 ただ、もはやレイバーなどという凶悪な破壊力をもった犯罪者が相手となれば、警察の活動
も軍隊のそれに似てくるのは必然であろう。竜馬の発言は、的を射ているといえた。

 

「太田はどうだ?」
「自分ですか。自分は……やはり、現行機より性能の劣る機械を与えられるのは、いかがなも
のかと思います」
「頭がいくらあっても足りなくなるもんな」
「なんだと貴」
「篠原、こんな時にまで太田を挑発せんように」
「すいません隊長」

 

 ふむふむ……と、後藤は頷きつづける。さらに、熊耳、遊馬、香貫花とバックアップの面々
に求めた意見もフォワードの連中とほぼ同じだったし、進士と山崎の少し離れた視点からも、
やはり低性能機への更改は不安がつのる、という意見が上がってきた。
 と、すれば、第二小隊の総意はイングラム・エコノミーへの更改反対となるわけだ。じつの
ところ後藤もこの新型機には、期待する気持ちにはなれなかったところなので、すこし安堵が
募った。
 理由はすこぶる単純だ。
 いくらなんでも、値段が安すぎる。
 ぐだぐだ言う必要はない。警察用レイバーとして、こんなに値段が落とせるなら最初からや
っている。
 上層部は焦りのあまり、メーカーへ無茶な要求をし過ぎなのだ。

 

「みんなの意見はよくわかった。事は士気にも関わる問題だしな、俺からも南雲隊長に進言し
て、二課の総意にできるように動いてみるよ」
「しかし……私たちにはイングラムがあるから、こういう意見になりますが、第一小隊がはた
して同意してくれるでしょうか?」

 96式改より高性能なレイバーなら、いますぐにでも欲しい。第一小隊の面々は、みなそう思
っているのではないか?
 熊耳の考える事はもっともだった。
 だが、後藤にはその不安はそれほどなかったらしい。

 

「南雲隊長は現場の人だからね。少なくとも、今までの経緯を考えてイングラムと同等のレイ
バーが必要だ、と考えていると思うよ。石和巡査部長たちも、栄光の第一小隊メンバーだ。イ
ングラムより低性能機しか扱ったことがない、なんてのはプライドが許さないだろうさ」
「……煽るつもりですね。後藤隊長」

 進士が呆れたようにいうと、後藤はにやけ顔をつくって応じた。
 警察というものは、人から組織そのものにかけて、ことごとくプライドが高いもので、同時
にそれが傷つけられることを極度に嫌う。
 理由は、警察の業務が頭をさげる商売ではなく、相手を見張る仕事であることや、幹部の人
員はすべて国家公務員で構成される文字通りエリート集団で、特権意識が高く、その空気は地
方公務員が占める下層にも流れてきて、結果、民間とは隔たった空間が生じている……という
ような事が、まず挙げられるだろう。

 

 もちろん、細分化していけば理由はもっと無数に存在するが、いちいち考察していると一冊
の本が出来上がってしまうので、割愛したい。
 進士などは元民間のサラリーマンだったから、この閉鎖空間に醸成された奇妙な特権意識が
未だ鼻についていて、後藤の意図を瞬時に察したに違いあるまい。

 南雲の第一小隊は、威張り散らすような真似こそしないが、警察のご多分には漏れておらず、
時々、騒動ばかり起こす第二小隊を小馬鹿にしたような態度を取ることがあった。
 後藤は、そこを利用するつもりなのだ。

「ところで、現物は見られねえのか? 更改の時期に達してねえ装備を売ってまで配備したい
レイバーなら、メーカー側から動いてる所のパフォーマンスぐらいするだろうよ」
「流のいうことも最もだな。現物は二月になったら見られると思うよ」
「二月?」
「そ。ビッグサイトの警備が入ってるだろう?」

 

 あ。
 と、野明が口を開けた。

「コミケ!」

 後藤と遊馬の首がガクンと垂れた。

 

「残念ながら冬コミは一二月に終わってるんだわ。俺たちが行くのはレイバーショー。どうだ
篠原、おまえん所はエコノミー、出してくるんだろう?」
「だから、俺に聞かれても解りませんって。ただまあ……大々的に売る気があるなら、間違い
なく出品してくるでしょうね」
「と、いう訳だ。八日から一四日まで有明の国際展示場で開催される、第三回東京レイバーシ
ョー。特車二課第二小隊は一週間、これの警備にあたる。エコノミーの現物はそのついでに拝
ませてもらおうじゃないの」

 

・・・

 

 そして、同じ日の夜……小笠原諸島へ視点は飛ぶ。
 東京より南下することおよそ一〇〇〇キロメートル。本土でいえば、東京から福岡までを陸
路で移動するほどの距離にあたる、太平洋に囲まれた南の島。
 近くには火山列島・硫黄島が浮かび、大東亜戦争末期、上陸せんとする米軍海兵隊を前に、
増援も救援も無い、圧倒的不利に立たされる旧日本軍が最後の力を振り絞り、抵抗を見せた激
戦の記憶が、いまも残る海域でもある。
 ほとんどの島々が無人であり、一般人はもとより、硫黄島に基地を置く自衛隊の人間も立ち
入ることは滅多に無い。
 人間が少ないこの空は高く、満点の星々が美しく輝きを放っている。

 そんな無人島に、レイバーの駆動音が鳴り響いた。

 97式改装甲戦闘レイバー。四菱AL-97B通称サムソン、陸上自衛隊が現在装備する唯一のレイ
バーであり、主力機である。
 完全な人型は有しておらず、タイラント2000のような箱形の胴体に短い手足が付いていると
いうもので、人型ロボットというよりは、戦車の延長線上に設計思想がある機体だった。
 それが亜熱帯性の高木林をかき分けながら前進していく。

 

 数は二個小隊。
 陸自におけるレイバーの運用は、戦車隊のそれに習って三、四機のレイバーをもって一個小
隊とする。今回は、三機ずつの編成だったので計六機だ。
 任務は米軍レイバー隊との極秘演習である。
 ただしその目的は、先述の97式改が、加熱するレイバー開発競争のために陳腐化が著しく、
新たな戦闘レイバーを選定する必要に迫られている陸自が、導入の筆頭候補に選んだ米陸軍の
最新型SEUSA製戦闘レイバー「EX-13」の性能を見るためである。
 つまり実質は演習というよりも性能試験に近かった。

 

 というのも、陸上幕僚監部はすぐにでもEX-13を導入すべしとする意見が多かったのだが、
四菱と防衛庁との関係に配慮したのと、自衛隊の装備品は可能な限り国産を用いるべしとする
派の主張に押されて、あくまで演習という名目にとどめたのが真意だった。
 とはいえ、四菱も己が置かれた立場は解っている。
 もはや97式改では主力レイバーの座を維持できなくなりつつあるのだ。シャフト製の新型が
どの程度のものなのか。それを調べるために、演習地上空には四菱の技術者を乗せたヘリが回
遊していた。

 
 

「……で。そんな超極秘情報を、どぉこから掴んできたんだい隼人クン」

 そして、いままさに演習の最中にある小笠原諸島をさらに南下して、日本国外の海域に浮か
ぶ大型客船……を装った、内部にレイバーの整備区画を設けたSEJの移動実験室である「さん
ぐりあ号」の一室。
 そこでは一対の悪人が密談を交していた。

「ま、機密を探るのは得意でしてね」
「へぇ……君は、スパイか何かだったのかい?」
「さあ? ただ緑川がずいぶんと役に立ちました」
「なるほど。最近彼女の雰囲気がめっきり変わったと思ってはいたんだけど、君の仕業か。こ
わいなぁ」
「私は課長の方が恐いと思いますがね」
「あっはっは。さぁて、バドはどうやってくれるかな……」
「軽くもんできてくれますよ、グリフォンは超出来物ですから。それでは広域にジャミングを
しかけます。しばらくはラジオもテレビも見られなくなりますので、暇つぶしの手段でも考え
ておいてください」

 

・・・

 

「お。なんや敵がキョドりはじめおったわ。ジャミングがいったな……」

 グリフォンを高木林の茂みに潜ませ、全システムをダウンさせひっそりと隠れていたバドが
ぽつりとつぶやいた。
 と同時に、グリフォンに火を入れる。

「狩るか」

 バドがきゅっと眼を細める。さながら獲物を狙うネコ科の動物のように、機体の脚にぐっと
力をためていく。
 目の前にはジャミングにより通信が出来なくなったのであろう、クモ型ロボットという表現
がぴったり合う、米軍の新型機「EX-13」が右往左往している。
 バドはそれにめがけて、グリフォンを漆黒の空へ、ばぁっ……っ、と跳躍させた。

 

 闇夜に漆黒の機体が翻り、手に持った巨大な戦斧をクモ脚へ叩きつけて一閃。その斬れ味は
凄まじく、ばっさりと鋼鉄の機体を割ってしまうほどだった。
 相手は予期せぬ敵の出現に泡を食って、何も出来ないで居る。精強な米軍といえども、予想
外の事態にはこんなものか。
 バドはコクピットの中で残忍な笑みを浮かべると、戦斧でEX-13をクモ型たらしめている、
八ッ脚を一瞬で全て両断した。

 

「感謝せえ。ホントなら速攻コクピットに一撃。で、終いや」

 EX-13を一機戦闘不能にしたバドは、くるりと向きを変えて再び高木林に潜むと、97式改が
居た方向へ突き進んでいく。
 あまり時間を掛けすぎては脱出の時間がなくなる。
 今回は隼人に言われたとおり、グリフォンの威力をテストできれば良いだけなのだ。今ので
格闘性能は確認した。あとはイングラム以上の器用さを与えたという、五指の性能を試すだけ
だ。
 バドがグリフォンを突き進ませていくと、97式改が二機固まっている場所に出る。おそらく
ジャミングに慌てているのだろう。
 さきほどの米軍機よりは落ち着いているように見えるが、あれより性能の劣るレイバーなど
敵ではない。
 グリフォンは再び高木林をへし折って、97式改の前へ飛び出ると、一機に戦斧を叩きつけて
沈黙させ、もう一機にはがっぷりと組み付いた。
 こちらは人型。相手は半人型。
 体型だけでも格闘に及べば相手は不利だったが、グリフォンのパワーはそういう細かい事を
考えるのを忘れさせてくれるほどの勢いだった。
 97式改の腕を押さえつけるだけで、その怪力は接続部からバキンとへし折ってしまう。脚も
同様だった。
 武器などなくても、このレベルの相手ならグリフォンは無敵だろう。

 

「あっはは!」

 バドがコクピットで笑った。
 弱いものいじめが、これほどにも愉悦なものなのか。
 自分より弱いものはただの物体。玩具、餌。そのようにしか考えない人間は事実、世に存在
するが、バドはこの瞬間、その気持ちが理解できていた。

「隼人さんの言ってた弱い人間に生きる資格はないって、こういうことかなあ!?」

 

 グリフォンを動かし、97式改のコクピットハッチ開閉ノブをぐるりと回す。
 モーショントレーサーでの作業になったが、グリフォンの腕と指はまるで自分の手のごとく
動いてくれた。
 グリフォンはイングラムよりまったく器用だ。モーショントレスだけなら、子供でも使える
だろうとバドは思って、同時に自分が子供だったことを思い返してまた笑った。

 開けられたコクピットの中には乗員が見える。
 どうやら女のようだったが、その眼は驚愕に満ちて漆黒のレイバーを凝視しているのが、高
精度のモニターにはよく映った。
 バドは一瞬、それを引きずり出し、握りつぶしてやりたいような衝動に駆られたが、内海に
殺傷は避けろと厳命されていたので、ぐっと我慢する。
 代わりに指をコクピットへ突っ込んで、乗員のヘルメットをかぶった頭をトントンと叩いて
からかってやった。相手の恐怖に引きつった顔が、愉快だった。

 

 ついでに思いつきで、97式改の胴体にヒッカキ傷で「ぐりふぉん参上」の文字をあつらえて
やったから完璧だ。
 グリフォンの指には、格闘で相手を貫くためナイフのごとく尖った「爪」が生えているのだ
が、こんな使い方さえできるのを見せた方が、人間じみてて面白いだろう、とバドは思った。

「さ、もうええかな」

 潮時だ。
 まだ生きたレイバーは残っているが、すべてを壊していれば逃げられなくなる。名残惜しい
が撤退だ。
 バドは、回遊しているヘリに見つからないよう、それがグリフォンに背を向けた瞬間、
「ウイング!」
 叫ぶと、ばしゅんと背部ユニットに現れた黒いマントをたなびかせて空へ浮かび上がり、ば
しゅん、とその場を離脱していった。

 あとに残されたのは、死屍累々の様相……だった。

 

・・・

 

 グリフォンがさんぐりあ号に帰船する。
 多くの作業員に取り囲まれて積み込まれると、グリフォンはあっという間にバラバラにされ
て積み荷と化していった。
 すべて、隼人のえらんだ選り抜きのスタッフである。作業の速度・質と共に、どれほど一流
の企業にも所属できて、高給を取れるレベルだ。
 その現場を、内海と黒崎、そして隼人がじっと見つめていると、グリフォンを降りたバドが
てくてくと三人の前に歩んできた。
 潜水服のような真っ黒いスーツを身につけているが、彼の細く、未成熟な体にはよく似合っ
ていた。
 バドは三人の前にたつと、ぐっとサムズアップをつくる。

 

「やってきたで、内海さん」
「おつかれさん! どうだった戦果は」
「97式改を二機。あとアメさんの新型を一機や」
「上出来じゃないか」
「ホントはもっと大暴れしたかったんやけどね。まあ凄いわグリフォンは。あれなら戦車とガ
チでやりあっても勝てるんとちゃうか」

 楽しそうにいうバドを黒崎がじろりと睨み付けた。
 今回の無茶は、内海の提案を隼人が実行に移したもので、自分は反対だった。グリフォンの
性能実証になにも、こんな危険をおかす必要などないではないか。
 たしかに隼人は有能だ。
 だが、彼の能力に内海が頼りきった時、きっと課長の身に破滅が来る。あの男は、芯の部分
で信用できるものではない。
 確証はないのだが、これまで世の裏側に生きる人間と付き合い続けてきた経験と勘が、黒崎
にそう告げているのだ。
 バドにも、調子にのってもらっては困る。

 

「調子に乗るなよバド。実戦ではふとした油断がポカに繋がる」
「調子になんか乗ってへんよ? 乗ってへんから、きちんと内海さんの言うことを守ってきた
んやで」
「なに?」
「相手のタマ取るんは無しや、って約束。調子に乗って勝手してもエエんやったら……」

 ふっ、とバドの視線が黒崎のそれとぴったり合う。
 その瞬間だった。
 黒崎は己が全身に、ゾクリ、と汗が噴き出そうな寒気を覚える。

 

(なんだ、こいつは……)

 

 言いしれぬ恐怖といってもよかった。
 以前、内海が連れてきたばっかりの頃のバドからは、そんな感じは微塵ほども受けなかった
ものだ。当たり前といえば当たり前。ただのさらわれた子供だったのだから。
 だがいま、自分の目の前に立つバドは、その記憶の中の子供とはまったく別のなにかに見え
る。
 バドが、にやあ、と笑った。
 嫌な笑い方だった。
 黒崎は、戦場の中で普通の兵士にまぎれた快楽殺人者に、似たような笑い方をするのが居た
のを思い出して、おもわずふっと眼を背ける。
 その先には隼人の姿。
 バドをこのように変えたのは間違いなく、この男だろう。
 やはり、危険だ。
 このとき黒崎の疑念はもはや確証に変わっていた。
 いますぐにでも、神隼人をシャフトから、いや企画七課から追い出したい。だが、内海課長
はすっかり隼人の才能に気をよくしてしまっているようで、

 

「よーし初戦は大勝利だな……次はグリフォンのお披露目といきたいねえ。場所と時期は、そ
うだなあ。東京レイバーショー! が、いいと思うんだけど、どうかなみんな」

 などと、今回よりもさらに無茶な計画をぶちあげていた。
 中止にはさせられないだろう。隼人は、内海がいったことを、忠実に実行するだけだ。黒崎
は力なく、せめて軌道を修正させられる部分には、意見を申し上げていくしかなかった。

 

・・・

 

 そして、きたるべき二月八日。
 東京都江東区有明三丁目、東京国際展示場――。

 見渡すばかりコンクリートが生え並ぶ鋼鉄のジャングルを抜けて、東京湾に面した臨海副都
心の景観というのは、二三区内の中でも独特だ。
 かつては海辺を生活の共にする下町であったが、現在は世界に通ずる「TOKYO」のイメージ
を強く担い、豪華で絢爛、メタリックな質感と生物的な曲線を併せ持った、種々の建築物が無
数とそびえ立ち、それを太平洋に続く海が抱いている巨大港湾都市である。
 九〇年代も中頃になって以降は、これ全体を指して「お台場」と呼称するようになったのも
記憶に新しい。

 

「たしか言い出したのは都知事だったかな……」

 後藤が、ミニパトの中でだらりと休憩をとりながらひとりごちた。
 それにしても軽規格の車内は狭い。じつに狭い。去年やっとその規格が改正されたから、今
後入札されるミニパトはきっとマシになるだろうが、だからといってこの旧規格トゥデイが変
身してくれるわけではない。
 ただでさえレイバーが金食い虫の特車二課だ。自分がここにいる間に、ミニパトが更改され
ることはあるまい。
 そんなことを考えていると、目の前を慌ただしく制服警官が通り過ぎていった……と思うと
とまた通り過ぎ、通り過ぎたと思えば、次の瞬間、束になって通り過ぎていく。

 

 今回のレイバーショーは以前にも増して警備が物々しい。
 なぜなら、開催直前になってから環境保護を謳うテロ組織、地球防衛軍が犯行予告をぶちあ
げてきたからだ。
 彼らはその活動、すなわち暴力を振るうに当たってはしばしば盗難レイバーを用いるが、今
回はそのレイバーが目白押しとなった会場が舞台である。展示品といえど、その気になれば動
かすことが可能なわけで、万が一強奪でもされれば、たちまちレイバーショーは阿鼻叫喚の地
獄と化してしまうだろう。
 おかげで、第一回、第二回の時とくらべてかなり来場者数は減少している。

 

 レイバーショーを楽しみにしていたお客さんたちはもちろんだが、主催者たる社団法人・レ
イバー産業振興協会……四菱を筆頭とする、レイバーメーカーグループは、がっかりとしてい
ることだろう。
 しかも地球防衛軍は、何時何時に行動を起こす、とまでは明言してきていないため、いかな
るタイミングで事件が起こるかは予測しにくかった。
 仕事で来なければならない者達は、気が気ではあるまい。
 個人で来ている人も、また、不幸にも事情を知らないでいる人々も、そのすべてを警察は護
らねばならない。

 

 ……こんな迷惑きわまりないことを続ければ、むしろ環境保護そのものに疑問符が付きかね
ないのだが、地球防衛軍の連中はそれが解らないのだろうか?
 それとも、奴らの目的はむしろその逆効果を狙った狂言なのか。
 どちらにせよこれは威力業務妨害であり、もし動き出したら速やかに逮捕せねばならない。

 そのためにイングラムを三機、常時稼働状態にもちこんであるのだ。
 電池交換は各々三時間ごとにタイミングをずらして、隙が出来ないようにもしてある。
 が……じつは3号機キャリアにおいてのみ、バックアップに持ってきた電池の数が多いのは
後藤と榊だけの秘密である。
 実力は竜馬が抜きんでているわけだから、こういう状況で優遇されるのは当然なのだが、贔
屓が表沙汰にはならないように配慮するのも、精神的な貧弱さが目立つ現代的若者を多く部下
に抱えた、頭の勤めがひとつである。
 それは、警察官や軍人に必要なスパルタ教育は榊と竜馬が担ってくれるのだから、自分が憎
まれ役に立つ必要もないだろう、どうせ憎まれるならもっと別の方向から。という、後藤のし
たたかな計算でもあった。

 

「さて……鬼が出るか蛇が出るか、だな」

 後藤は辰巳の側を背に、東展示棟の屋外駐車場にそびえ立つイングラムを眺めながら、ぼん
やりと煙草をくゆらせていた。

 

・・・

 

「流巡査!」

 時を同じくして、熊耳は完全に困ってしまった表情を張り付けて、イングラム3号機を見上
げていた。
 例によって竜馬が常識外れの行為に出ている。
 彼は3号機の肩アーマー上部、紅い回転灯の上へ器用にも仁王立ちして、上空八メートルか
ら、ビッグサイトの象徴たる逆ピラミッドを見ていたのだ。
 警備が任務とはいえ、現段階では何もやることが無いため、高いところへ昇りたくなったら
しい。
 だが、公衆の面前である。
 言って聞くような竜馬ではないが、ここは何としても彼を引きずり下ろさねばならない。私
たちは警察官なのだ、と熊耳は意を決する。

 

「なんだ巡査部長」
「なんだ、じゃ無いでしょう!? すぐに降りなさい」

 言って、熊耳は周囲へチラリと視線を走らせた。そこには遠巻きながら、市民の視線、視線、
視線。
 どうもレイバーマニアはもとより、警察マニアやら制服マニアやら、竜馬個人の追っかけや
ら、とにかく一般的趣向を外れたマニア連中が、こぞってイングラムとその乗員を見に来てい
るらしかった。

 彼らにしてみれば、当レイバーショーの醍醐味は展示場内のレイバーや色とりどりのコンパ
ニオンよりも、こちらなのであろう。
 おまけに訓練されきったマニア隊らしく、こちらから注意されるほどの距離には近づかず、
一定の距離を保ったまま決して秩序を乱そうとしない。

 

 いっそのこと勝手に写真撮影でもしはじめてくれれば「公務中ですよ!」と、ずかずかと近
づいていって蹴散らしてしまえるのだが、総員もくもくと、その眼に情熱の光景を焼き付けん
とするばかりだ。
 おそらく写真などは、超小型の隠しカメラで撮るにとどめてあるのだろう。
 不気味といえば不気味だったが、それをいちいち調べにいくわけにはいかなかった。なにも
彼らはデカに追われるマル被では無い。
 とにかく、そういう市民の視線を浴びている状況だ。
 どうするか? と、思考を一巡させる。
 すると秘策が思いつかれた。

 

「流巡査。交代の時間よ、休憩です! 降りないとお弁当も食べられませんよ」

 

 食欲に訴えかければ効果があるだろう。企ては、はたして的中した。熊耳が言った瞬間、竜
馬が反応したのだ。
 ただ、その反応が良すぎた。彼はよりにもよって、3号機の胴体を伝って飛び降りて来てし
まった。それを目撃した取り巻きのマニア連中が、おおっ……と、どよめく。
 確認のために記すが、イングラムの頭部をふくめた全高は八・〇二メートルであり、肩から
降りても地上高は七メートル近くにもなる。普通の人間が墜ちれば、よほど運が良くない限り
は病院に搬送される騒ぎになる高さだ。
 しかし竜馬はケロリとしている。相変わらずの人外じみた身体能力と、それを隠そうともし
ない剛胆さに、熊耳はこめかみを抑えたくなったが、ぐっと我慢する。

 

(ここは、とりあえず流くんのコントロールに成功した自分を、褒めてあげたほうが建設的よ
ね……本当はまだ交代時間じゃないのだけど。ちょっと太田くんに泣いてもらいましょう)

 と。
 ただしこの場合、本当にこめかみを抑えたいのは、太田だったかもしれない。

 

「昼飯はなんだ?」
「日替わり弁当味噌汁付、一食四〇〇円。機動隊の仕出しは今回、みんなこれで統一されてい
るみたいね」
「仕出し弁当としちゃ、ずいぶん安いな……」
「特車二課(私たち)が金食い虫で、予算が苦しいんでしょう。文句をいうと他の機動隊員か
ら睨まれるわよ。他のものが食べたいなら、こっそりとコンビニにでも行ってきなさい」
「食い物は粗末にゃしねえよ。しかしそんなことを提案するなんざ、おめぇ……いや、巡査部
長らしくもないな」
「後藤隊長が最初にファミリーマートでフライドチキンを買ってきていたわ。仕出しは冷えて
いて美味しくないのですって。私から言うことは他にもう、何もありません」

 はぁ~、と熊耳武緒、心からの溜息。

「……」

 

 そんな嘆きを看取った竜馬は、静かに3号機をキャリアへ戻すと、珍しいことに彼女を優し
く指揮車までエスコートしていった。
 彼にとって、警察が治安をしっかり守っていて、その警察官が食べ物を平然と好き嫌いでき
てしまうこの日本は、ひどく平和な別の国に見えていたのかもしれない。

「ところで、野明たちはどこに行ったんだ? 1号機がキャリアで寝っころがってるが」
「泉さん達も休憩よ。いまごろ例の新型機を見に行っているんじゃないかしら。食事が終わっ
たら私たちも行ってみましょう」

 

・・・

 

 そして噂された野明だが、彼女はくしゃみこそしなかったが、鼻のあたりがむず痒そうに人
混みをかき分けている最中だった。
 前回、前々回より来場者数が減少したとはいえ、ここは天下の東京だ。その一大イベントと
もなれば並々ならぬというか、波のようになって人間が押し寄せてくるのはいつものことであ
り、それにいちいち驚いたり疲れているようでは、仕事にならない。

 二人はシャフトグループのブースに差し掛かる。
 と、そこには因縁のTYPE-7ブロッケンが堂々と展示されているのが見えた。

 

「タイプ7だ……」
「なるほどな。こりゃ、俺たちに警備命令が出るわけだ」
「でも遊馬さぁ、こいつ純軍事用レイバーだよね? それってモーターショーで戦車展示する
みたいなものじゃない? それってなんかおかしくない?」
「普通に考えりゃそうだが、日本でレイバーを広くお披露目できるイベントは、いまのとこレ
イバーショーだけだからな。それにブロッケンはイングラム相手に大暴れしたおかげで、実力
は折り紙付だ。シャフトはひょっとすると防衛庁に売り込みをかけにきたのかもしれんぞ」

 

「遊馬はブロッケン一連の事件は、シャフトの自作自演だって疑っているんだっけ?」
「まあな……うまくいきゃ、相当な儲けになるだろ。親父も同じことは考えてると思うぜ」
「遊馬ん家が?」
「ああ。警察にはエコノミーなんてのを提案してきたが、イングラムの性能を捨てるつもりは
ないだろう。後継機開発はもちろん、派生機も現行の98式と同等以上の性能をもったタイプを
計画しているはずだ。その中に自衛隊仕様があってもおかしかない」

 

 遊馬は以前に「イングラムほどの高性能レイバーを、ただの警察用にとどめておくはずがな
い、必ず軍事用にカスタマイズされた機体が出てくる」と、竜馬が予言していたことを思い出
して受け売りを言った。
 あれから足かけ一年が経過しようとしているが、レイバーの開発競争は収まる素振りも見せ
ずに加熱し続けている。
 そこにレイバー情報誌などを見ると、防衛庁御用達の四菱はどうも新型軍事レイバーの開発
に難儀しているようだし、ここでイングラムを軍事用に改装、あるいは再設計した機体を持ち
込めば、見事防衛産業の仲間入りを果たせるかもしれない。
 遊馬は、成り上がり企業の篠原重工社長である父親が、その野望を抱かないはずはないと確
信に至っていた。

 

(けっ。あの強欲ジジイが……)

 

 と。
 しかし野明はそんな遊馬の鬱屈とした思いなど知らず、純粋に彼の言葉を受け取って想像を
ふくらませていた。

「なるほど、イングラム・ミリタリーってとこかぁ。色はもちろんOD色で……って、なるとも
う完璧にあれだよね。あれ」
「なんだよ」
「ジェガ……」
「待った! 野明お前、それは言わないお約束だろう!」
「でも、あたしはリ・ガズィのが好き!」
「黙れっての!」

 

 任務中にいちゃつく二人は篠原重工のブースへと足を運んでいき、そして目当ての新型機、
イングラム・エコノミーの展示機の前へと立った。
 そこで目に映ったのは、全体的にイングラムを貧相にしたようなレイバーの姿だった。
 98式の象徴たる左耳の大型ブレードアンテナは省略され、額の射撃用補助センサーも無くな
ってカメラは一基に統一されている。
 その代わり、コクピットを透明度の高いキャノピーで被ったことで、肉眼での視認性を大幅
に向上させた……というか、つまり人間の眼に視界を頼ることでセンサー類を削減し、コスト
ダウンを果たしたらしかった。

 

 イングラムをクラウンのパトカーになぞらえるとすれば、エコノミーはさながらカローラを
パトカーにしたようだ、と言える。
 要するに、似てはいるのだが、どことなく地味で弱そうなのである。

「これがエコノミーか」
「名は体を表す、とはよく言ったもんだね。いかにも安物ってカンジ」
「だが、悪くはなさそうじゃないか」
「それは乗ってみないと、なんとも言えないじゃない」

 

 遊馬は少し、野明は相当不満げに、新型機エコノミーを見上げる。その足下では、解説者が
マイクを片手にぺらぺらと先進であるらしいスペック内容を述べつづけているが、あまり見る
者のウケはよく無さそうだった。
 イングラムの廉価版である以上、どうしてもオリジナルの影はつきまとう。そして比べてみ
たとき、エコノミーは誰の眼にも好意的には映らないのだった。
 ある意味、可哀想なレイバーである。
 解説者はなおも専門用語を連発するヘタなアピールを続けるが、そこへ人だかりの中から野
次がはいる。

 

「おいあんた! 能書きはいいが、これは98式AVの正式な量産型と捉えていいのか?」
「はい? え、ええっとですね……98式AVは、そもそも我が社のAV計画における第一号機でし
て、このエコノミーはその第二弾にあたるわけですが……」
「俺が訊きたいのはそういう事じゃない。具体的にいうと、だ。こいつはイングラムと喧嘩し
たブロッケンあたりと、同等に渡り合えるのかと訊いているんだ」

 突如、人だかりから飛び出した質問だったが、それはまさに特車二課が抱いていた不安を代
弁する言葉だった。
 野明もおもわず同調して「そうだ! それをはっきりしてもらわないと使えないぞ!」と声
をあげてしまう。
 すると、さきほどの野次を飛ばした人物が、野明の声に反応してにゅっと人だかりの中から
頭をもたげた。

 

「おや、あんたは……」

 周りの人間より頭一つ分は背の高い、切れ味鋭い美形の男。
 遊馬はむろん、野明もその男の顔はよく覚えていた。
 傍らに肌の浅黒く、顔の彫りが深いインド系の美少年を連れたその姿――まぎれもなく、神
隼人とバドリナート・ハルチャンドであった。

「あ、シャフトのゲーム開発者さん! どっかで聞いた声だなと思ってたら!」
「そうか、あんたらパトレイバー乗りだと言っていたな。なるほど、今日は警備任務で来てい
るわけか……いま休憩中か?」
「はい」
「じゃ、ちょっと付き合いな」

 

 いうと、隼人は今まで突きつけていた質問などなかったかのように、その場を離れた。ぐい
ぐいと人混みを抜け会場の隅にまで移動していくと、コンパニオンやスタッフの控え室やコイ
ンロッカーと一緒に、ひっそりと備え付けられた自販機コーナーへたどりつく。

 狭い空間で、わざわざここまで移動して休憩しようとする人間は少ないのか、中心の混雑ぶ
りが嘘のように思える、そんなオアシスにはしかし炭酸栄養剤の瓶を傾ける先客がいた。
 どうやら隼人の上司であったらしく、彼はお疲れ様ですの声をかけてから「内海課長」と、
その名と役職を呼んだ。

 

「お、隼人くんか。もうお目当てのものは見てきたのかい」
「ええ。それより噂の人物と会いました」
「お! なるほど、後ろの方々は制服からすると特車二課の隊員さんだね」

 まるで玩具でも見つけたかのように、ぱっと笑顔をかがやかせた内海に、隼人は少しばかり
肩をすくめると、野明たちにくるりと向き直る。

「紹介する。内海といってな、俺の上司だ。シャフトジャパン企画七課課長。上司格には見え
ないかもしれないが、俺より給料は高いんだ」
「おいおい、そりゃないだろ隼人くん」

 

 ふ、ふ、と笑いながら隼人は来ていたスーツの胸ポケットからカードを取り出すと、自販機
から張り出た謎の突起にかざしてから、ボタンを押してドリンクを購入していく。
 その様に、野明と遊馬が目を丸くしたような視線を送っていたことに内海が気づくと、ささっ
と解説役のように前へ出る。

「おっと。これはね、うちの会社が開発した新世代のプリペイド決済システムを搭載した自販
機の試験機なんだ。これが普及すれば百円玉をジャラジャラ持つ必要性は無くなるわけさ。ど
うだい、便利そうだろう?」
「へぇ。なるほど、面白いもん置いてますね。さすがシャフトさんだ」
「問題は他のプリペイドカードとの互換性とか、セキュリティをどうするかとか、山積みでま
だ実用化には時間が掛かるんだけどね……とかなんとか言って、それを考えるのはぼくの仕事
じゃあないんだけど」

 

 その合いの手を入れるように、隼人が缶をふたつ野明たちに寄越してきた。コーヒー二缶。

「あ、どうも……今日はオフですか? それとも仕事で?」

 コーヒー缶を受け取って、はにかむ野明が、お礼がわりともちかけた世間話には、隼人の足
許でカップ・オレンジジュースの氷をボリボリと噛んでいたバドが応じた。

 

「ん、まあ半々ってトコやな」
「そうなんだ。えっと……君はバドくん、だっけ?」
「バドやで~。ところでお姉ちゃん、最近イングラムの操縦うまくなったなぁ。シミュレータ
ゲームの方はあないにヘタやったのに。やっぱ現実と遊びはちゃうんやな」
「う……そ、そうだよ~。本物のレイバーは操縦が難しいんだから!」
「あれや、3号機に乗っとる人相の悪いあんちゃんに鍛えられたんやろ? ブロッケンじゃも
う勝てへんな。もっとエラいレイバーでないなとなぁ。フフフ……イテ」

 

 バドが隼人に小突かれて黙った。
 野明と遊馬は、大人である彼が「口の利き方に気をつけろ」とバドを叱ったのだと、疑いも
せずに解釈したが、それを油断だと責めるのは酷というものだろう。
 むしろ責めるべきは、顔見知りということと、おごってもらったことで、二人はなんとなし
に任務に必要な警戒心を解いてしまっていることだ。
 レシーバーも鬱陶しいのか外している有様だった。休憩中とはいえ、褒められた態度ではない。
 そんな二人を、内海はにこにこと見比べながら、炭酸栄養剤を飲んだばかりの口をひらく。

 

「いやいや、お目にかかれて光栄至極。君たちがあのイングラムのパイロットかぁ……隼人く
んに話を聞いてからというもの、一度会ってみたいと思っていたんだよ。
 ぼくはレイバーが好きでねえ。想いが昂じて例のゲーム製作と相成ったわけだが、やはり本
物は違う! どこが違うかというとだねぇ、まずは重量感だろ。あの巨人の二本脚が大地に立
った時のズシン、という感覚は、一種のときめきにも近いものがあるわけだけれども、それを
バーチャルな空間で再現するのは非常に難しい。というのも、そもそもそれは力を追い求めた
人類の……」

 

 ばーっ、と一気にまくし立てる。
 よく喋る人だな、と野明は思いつつも、アレコレと相づちを打っていくとあっという間に時
間が過ぎていってしまった。
 やがて、内海が二本目の炭酸栄養剤を飲み干したところで、隼人がその肩をトンと叩いて引
くと何事かを耳打ちした。
 すると内海の肩がびくんと上がり、野明と遊馬がどうしたんですかと驚く。が、その問いに
は二人とも口裏をあわせたかのごとく、

 

「申し訳ないが、急用を思い出した。また会おう」

 といって、バドを引っ張りながらすごすごとその場から退散していった……そのすぐ後に、
竜馬と熊耳が姿を現わす。
 どうやら野明たちを探していたらしい。

「お前ら、こんなところに居やがったか。レシーバーを外すんじゃねえよ、探したろうが」
「流くんの言うとおりよ。それでは緊急の連絡に対処できないでしょう」

 早速熊耳が二人のいでたちを確認すると指導にはいった。慌てて野明と遊馬は、懐にしまい
こんだレシーバーを取り出すが、その影で竜馬がなにやら気にくわないような顔で腕組みをし
ていた。
 だが野明と遊馬に対してではないらしく、

 

「お前ら、いま他の人間と話してたな。誰だ?」
「こないだ話した、シャフトのゲーム開発部の人たち。偶然会ったんだ」
「ふぅん……どうも気にくわねぇな」
「あ、ひょっとすると、竜馬さんもシャフトがブロッケン事件を自作自演してたって疑ってる
のか? けどシャフトは巨大企業で、しかもあの人らはゲーム屋さんだぜ。さすがに関係ない
だろ」
「それもあるが、いま俺が言いたいのはそういう事じゃねえ」
「じゃ、何だよ」
「連中はどこ行ったんだ? 見つけてみりゃ俺の疑いもはっきりする」
「この人混みだぜ。探したって時間の無駄だよ」
「くそ……」

 と、去った隼人の気配に反応していたようだった。
 隼人の側も、竜馬の気配に気づいてその場を離脱したのだろう。内海にとっては幸運だった
といえるかもしれない。

 

・・・

 

 そして、時間はあっという間に過ぎ去って、ビッグサイトにつきっきりの警備に明け暮れた
一週間も過ぎようとしていた。
 撤収作業に追われる各出展者の仕事ぶりを眺めながら、松井・風杜両刑事が後藤のミニパト
の前でにたむろしている。

 

「何も、起きませんなぁ」
「起きない方がいいんだけどね。騒ぎといやあ、いくつかの窃盗があったぐらいか」
「まあ窃盗も許せん犯罪ではありますがな。しかし、こうなると地球防衛軍の活動予告はガセ
だったと、考えにゃならなくなりそうですわ」

 

 はあ、と松井が肩を落とす。
 警視庁あげての警備態勢を取らせた挙句に、肩すかしとは――。
 無論、建前としては厳重たる警備で、賊の犯罪を起こさせる気を潰せたといえるのだが、本
心ではこの気に乗じて連中の一斉検挙を、警視庁も松井個人も、期待していたのである。
「まだまだ、我々とテロ組織のいたちごっこは続きそうですね」
 と、風杜刑事が疲れた顔で締めている。
 全員共通の気持ちだった。

「ま、しかし落ち込んでばかりはいられませんな。そういえば後藤さん、今回の展示品は随分
と「人型」が多かったですが……なにか意味があるんですかな?」
「なあに。土木機械があそこまで人型である必要は無いんだが、日本人は江戸の昔から、から
くり人形が好きだからね。それに人体に近い機械を精巧に動かせるって意味では、高い技術力
のアピールにもなる」

 

 なるほど……と、解ったような解っていないような顔で松井が頷くと、その横で今回あつめ
たレイバーや、部品のパンフレットを整理している進士が「将来を考えると恐いですよねえ」
と、会話に挟まってきた。

「モーターの出力なんかは倍々ゲームで上がっていますし、それを有効利用するための制御シ
ステムも優秀になってます。
 今年、市場に出る製品にはその技術力が反映されるわけですよ。とすると、イングラムの優
位性も大きなものではなくなっていく。こと、第一小隊の96式改なんかロートルもいいところ
になるわけでして」

 

「それがレイバー犯罪に使われたら、か。状況は思っているよりも、切迫しとるわけだ」
「ええ。多少性能が高いぐらいのレイバーを少数配置するよりも、一定の性能のレイバーを数
揃えるという考えは、正しいのかもしれません」
「確かに、戦いは数だよって言葉もあるぐらいだしなあ。第二小隊(うち)だけはイングラム
を続行して使わせてくれりゃあ何の文句もないのに。なあ山崎」

 後藤が煙草に火を付けつつ、傍らで業者と同じく撤収作業に勤しんでいた山崎に同意を求め
た。
 だが山崎は「もう少しお金がかからなければ、そう出来たと思うんですが……」と、頭の痛
くなる発言で真理をついてきた。彼も、イエスマンが出世する世界では、生きて行きにくい性
格をしている。

 

「問題は、エコノミーの実質的な性能はどの程度なのか、ってことよね」

 香貫花が会話を継いだ。

「96式改よりちょっと使えますっていうんじゃ、話にならないわ。そうだ遊馬、あなた篠原重
工の御曹司だったわね。シノハラの連中に声かけてあの展示機に乗れるよう、頼んできてくれ
ないかしら」
「無茶いうなよ。第一、俺は勤務中だぜ。持ち場放棄で減棒なんざごめんだね。俺は実家から
金の一銭も受け取っていなくて、貧乏人なんだぞ!」
「使えないわね……なら太田、一緒にあれ強奪してみない?」

 

 香貫花が最後まで警備のために稼働させていた2号機を見上げながら、サンバイザーに釣り
下げられたマイクを手にとって、不穏な言葉を囁いた。
 それを聞いた2号機が、バランスを崩しかける。

「香貫花、お前、それはもはや犯罪だろうがっ。一体どうしたんだ。ストレスでも溜まっとる
のか?」 
「ええ。だいたいは貴方のせいだけど」

 

 香貫花になじられて、2号機が今度はしゅんと小さくなっていく。ペットは飼い主に似ると
はまさにこのことであろう。その様を遊馬はざまーみろと笑いながら見ていたが、ふと、後藤
があることに気がついた。

「そういえば流と熊耳はどこいった?」
「さっき3号指揮車で何か話していたのを見ましたが……それからは」
「おかしいな」

 

 後藤は無線を使って交信を試みるが、声は返ってこない。
 血の気がさあっと引いた。
 最近は流の暴走の多くを熊耳が止めてくれるようになったせいで、油断していたが、あの男
は、人間の姿をした猛獣なのだ。
 ひとたびその凶暴性が露わになれば、熊耳巡査部長の抑止力など、赤子も同然である。
 そして熊耳は、勝手に持ち場を離れるような人間ではない。むしろその正反対だ。
 そんな二人が一緒になって消えた、ということは。

 

 どうやら最後の最後になって、会期は無事終了とは行きそうにない空気が漂ってきてしまっ
たようだ。
 後藤は「こんな覚悟決めたくないんだけどなぁ」とボヤきつつも、その覚悟を決めざるを得
そうにない状況が発生したことを、各隊員に言い含めるのだった。

「減棒三ヶ月ってとこで済ませられないかな……」

 

・・・

 

「減棒六ヶ月。それで済めばいいけれど、下手をすれば停職、もしかすれば免職よ」

 熊耳が、先を進む竜馬の背に怨み節をぶつけた。だが返ってきたのは「別に構やしねぇ」と
いう素っ気ない答えである。
 熊耳から、もう何度目になるかも解らない溜息が漏れた。

 

「一緒に来いとは言ってねえ。お前は戻ればいいだろう」
「仲間の勝手な行動を見逃すわけにはいきません。それに、貴方の面倒を見るというのは、あ
の……例の幽霊さんと約束もしたことなのよ」
「そうかよ。だが俺は武蔵に言われた通りに、隼人を放って警官の真似事に終始しているつも
りはない。あの野郎が俺の知る隼人で無かったにしても、神隼人という存在であるかぎり、ふ
ざけた事件を起こすのは間違いねえんだ。必ずとっちめてやる」

 

 ――竜馬は、先日の野明と遊馬が遭遇したというシャフトのゲーム開発者の正体は、隼人と
その一味であると、ほぼ確信めいた思いがあった。
 何ら証拠があるわけでもないのだが、今までゲッターロボのパイロットとして、一人の格闘
家として培ってきた勘と、長いあいだ相棒であり同時にライバルだった男の持っている、忘れ
ようもない気配をはっきりと感じたのだ。
 だから、この会場のどこかに、必ず隼人が潜んでいる。

 

 竜馬はそう信じて会期中、暇を見つけては隼人を捜してうろつき回ったのだが、相手も竜馬
の嗅ぎ回っていることは感づいているらしく、どうやっても尻尾を掴ませないまま、会期が終
わろうとしていた。
 このままではヤツを取り逃してしまう。
 焦った竜馬は最後の最後になって、独断専行に出た。こうなればシャフトグループの人間が
居る所を片っ端から虱潰しにしていくのみだ、と。

 

 そのため熊耳にだけは、先日戦ったブロッケンの乗員が、神隼人であるという事実を明かし
ておいた。なにかあったら後の始末は任せる、と言って。
 だが、その熊耳はなんやかんやで竜馬についてきてしまった。竜馬の手綱を放すつもりは毛
頭無い、というのが彼女の主張だったが、その割に後藤へ言いつけはしていない。竜馬のする
がままに任せている。
 およそ警官としての自覚が強い彼女らしからぬ行動といえたが、それはいま彼女を突き動か
しているものが、責任感ではないからだった。
 むしろあるものは嫉妬という、生々しく、原始的な感情。
 熊耳は嫉妬に駆られていた。

 

 神隼人とは、そんなにも彼の心に根付いている存在なのだろうか。
 と。
 たとえ、裏切りによる怨みでも、神隼人が、自分などよりもはるかに竜馬を惹いてやまない
でいるのは事実だ。
 熊耳には、それがなぜか狂おしいほどに妬ましかった。

 

「その……神隼人という人は、あなたにとってどういう存在なのよ」
「大ざっぱには後藤から聞いているだろ。元ゲッター2パイロットであり、早乙女のジジィの
片腕。そして俺を永久囚人として、ムショにぶち込みやがった張本人よ……もっとも、この世
界に来ている隼人は、そいつとは違う、パラレルワールドに存在する隼人らしいがな。事実、
俺の知ってるヤツより一〇歳は若かった。だが、それでも」

 珍しく饒舌に語る竜馬だったが、その背中からは殺気が溢れている。
 さしもの熊耳にも、恐怖心が芽生える……
 が。

 

(ううっ)

 

 それは同時に、斬れ味鋭いナイフの上へ、そっと指を置いた時のように、ぞくっと奮えたく
なるような魅力でもあった。
 危険な、邪悪の香りがしながらも、どこか優しげのある男。
 熊耳はそういう男が好きだった。さらに顔が精悍であれば言う事はない。
 竜馬は、その全てを満たしていて、とどめに背まで高い。実際のところ、熊耳は初対面にお
いた時から、電流を浴びたかのような痺れを竜馬に感じていたのである。
 ……愚かにもアウトローに惹かれ、愛してしまう女というのは少なからず存在するが、彼女
は他ならぬ、その一人であった。
 警察官であるにも関わらず。

 

 そして彼女はその性癖のために、かつて香港警察へ研修の名目にて派遣されていた時代に、
犯罪者であるはずの男に恋心を抱いてしまった。
 その名はリチャード・王(ウォン)。
 当時香港のマフィアを追っていた先に、ふとしたことから知り合った、常に笑いを絶やさな
いが素性の一切が謎に包まれた男。だがその正体は、アジア圏を股にかけ拳銃の密輸から人身
売買まで、大小問わず多くの犯罪に手を染める大悪党だったのだ。
 そんな犯罪者と女警察官の関係がうまくいくはずもなく、やがては捨てられ、事が発覚し、
出世街道からは外され、そして巡り巡った歳月の末、警備部の掃きだめたる特車二課へと流さ
れた。
 熊耳武緒という、一人の女の過去である。
 それだけに、今度こそ愛した人のこころを射止めたいという想いは強かった。

 

 竜馬はリチャード・王などとは違って、根の部分では悪人でも嘘つきでもない。惚れ惚れす
るような正義漢であり、だからこそ、盟友だった男の裏切りが許せないのだ。
 理解できる。自分も信じた人からの裏切りに苦しんだ身だから。
 私ならあなたをきっと安心させてあげられる。仲間として背中を預けられ、女としてその身
を温めてあげたい。私は決してあなたを裏切らないから――だから神隼人などでなく、どうか
私を見て欲しい。

 そんな想いは、熊耳の中で日々膨らんでいるのだった。
 だが、見方を変えれば、それは単に竜馬へ傷の舐め合いを求めているに過ぎず、同時に竜馬
という男は、そんな軟弱に身を沈めるぐらいなら、差し違えてでも禍の元を始末しにいく人間
だという事を彼女がどれほど理解できていたかは定かでない。

 

 熊耳は、竜馬の背中を見ながらぼんやりとした想いに耽っていたから、油断まみれだった。
突然、ぴたりと歩を止めた竜馬の背にぶつかってしまう。

 

「ご、ごめんなさい」

 だがこの時、竜馬は忍び寄った敵の気配に、もう感づいていた。

「……熊耳。外でイングラムが動いている、1号機と2号機だ。それにもう一機、聞き慣れな
い駆動音がする」
「えっ?」

 

 二人は現在、撤収作業のすすむ会場の内部に居たうえに、懲戒覚悟の行動だったゆえに無線
は封印していたから外部の様子が解らなかった。
 一般客はほぼ去っていった後とはいえ、まだまだ館内には大勢の人間がごった返し、外から
の音など爆発音でもなければ、聞き取れるものではなかった。
 だが、竜馬は聞き届けたらしい。
 恐るべき地獄耳といえたが、それよりも第二小隊撤収も間近のいまになって、イングラム二
機が同時に稼働しており、そして不明のレイバーが一台稼働している……ということは、すな
わち捕り物である。
 地球防衛軍か!?
 そう思った瞬間、熊耳は深い後悔にとらわれた。

 

 ――しまった。通信は常に出来るようにしておけと、泉さんたちに厳しくいっていたのに、
こんな不始末をやらかすなんて、私は馬鹿だわ!

 ばっ、と熊耳がひるがえった。

 

「場所は!?」
「屋外駐車場だ」
「流くん。解っているとは思うけれど、任務を優先しなさい」
「……仕方ねえ」

 隼人め、運のいい野郎だ。
 竜馬は心の中で吐き捨ててから、熊耳につづいたが、どうも音だけで無く外の様子がおかし
い。出入り口のあちこちから、真っ白な煙がはびこってきているのだ。
 煙幕。
 二人に嫌な記憶を呼び起こさせる。

 

「熊耳、こいつはブロッケンの続きに違いねえ!」

 煙幕は今し方、発煙されたらしい。おびただしい量の煙はどんどんとカサを増やしていき、
ビッグサイトの東側屋外駐車場の一帯を、濃霧で包んでいく。視界がほとんど効かなくなり、
辺りは一転、パニック状態に陥り始めた。
 さらにジャミングがかかっているようで、熊耳が慌てて復活させた無線には、耳障りなノイ
ズが走るばかりでイングラムや指揮車との交信が出来なかった。
 どのみちレシーバーとマイクをオンにしてもいても、咄嗟の対処には遅れざるを得なかった
ようだ。
 焦って外に出ると、イングラムの駆動音ともう一つ、謎の甲高いモーター音が響いて、互い
に格闘を演じる衝撃が響いてくる。
 煙幕で何も見えないが、どうやら煙自体はレイバーの頭より上には達していないらしい。

 

「ガスは無毒みたいだけれど、これじゃあ何も見えないわ」
「熊耳、俺についてこい」
「行けるの?」
「俺は目が効かなくたって動けるんだよ。3号機へ行くぞ! ブロッケンの続きだとすりゃ、
隼人の野郎が乗ってる可能性は高い!」

 

 竜馬が勇む。
 だが煙幕の中をつきすすむ中、レシプロエンジンのくぐもった音が接近する。

「止まれ熊耳、車がこっちに走ってきやがった」
「この煙幕の中で?」
「へっ。すこぶる怪しいじゃねえか」

 

 ヘッドライトがきらめいた。
 速度を落とさずに近寄ってくる。こちらの存在には気づいていないのか。
 この視界が効かない中で、乗用車を運転するなど正気の沙汰ではない。そんな正気でない連
中の正体などは……
「当然、決まっているよな!」
 竜馬がヘッドライトの光に向かってニューナンブを取り出し、構えた。

 

「威嚇射撃ってやつだ」

 バンッ、と一発。
 どう考えても威嚇射撃ではなかったが、しかし実戦的なそれは威力を発揮して近づく車の脚
を止めることに成功した。
 ヘッドライトがスキール音をたてながら停車する。
 その方向へ向かって、竜馬と熊耳が走った。

「出やがれ! こんな状況で車なんざ動かしてるのは、どこのどいつだ!」

 

 竜馬は、ひとつだけ勘違いを犯していた。それはいま、会場を、イングラムを襲っているレ
イバーの搭乗者は隼人ではない、ということだった。
 かたきは、むしろ眼前に居た。
 逃げられぬようにフロントに回った先、運転席に収まるドライバーの姿こそが、神隼人その
ものだったのだ。
 見ればフロントガラスがひび割れ、運転席のバックレストに穴が開いていた。さらに、隼人
の頬からは一文字に血が滴り落ちている。竜馬の撃った弾丸がかすめたのだろう。
 それを見た竜馬の感情が、みるみるうちに膨れあがっていく。
「……貴様、隼人!」
 だが、膨らませたそれを爆発させることは敵わなかった。竜馬の声に会わせて後部座席側に
回った熊耳から
「り、リチャード・王!」
 と、ほとんど悲鳴のような叫びがあがったのだ。
 その瞬間、竜馬は熊耳に向けられた殺気に感づき、びゅんと彼女の目の前に飛んで体を大に
晒した。
 その視線の先には、驚愕しつつも半笑いを残す内海と、その後ろからオートマチックの銃を
構える釣り上がった目に、丸眼鏡をかけた男……黒崎。殺気の正体だった。
 お互いの視線がぶつかり合った時、黒崎は間違いなく恐怖していた。だがその恐怖が、一気
にトリガーを引き絞らせる。
 破裂音がし、黒崎が衝撃で後ろのドアに頭を打ち付ける。
 ガラスの砕け散る音。
 車の急発進。
 後に残されたのは、その場に崩れ落ちる竜馬と、叫ぶ熊耳の姿だった。

 

「流巡査! 流巡査!! 流くんッ!!」
「……無事か? 熊耳」
「ええ大丈夫よっ、あなたが庇ってくれたからっ。それより流くんよ!」

 黒崎の放った弾丸は、竜馬の左脇腹を喰らって行ったようだった。手できつく抑えるそこか
らは血液が溢れ出し、白い手袋を鮮血で染め上げていく。

「畜生、あのクソ眼鏡、車ん中からデザートイーグルなんざ撃ちやがって」
「デザートイーグル!? あなたよく生きて……い、いえ、そんなことより大怪我じゃない! 
動いちゃダメよ、今すぐ救急要請をするからっ」
「いいや、俺は3号機へ行く。1号機と2号機を襲ってるのが隼人でなかったにしても、その
一味であることは、こうなりゃ確実だ。せめて、そいつは俺の手でぶっ潰してやらなきゃ気が
すまねえ」
「やめなさい! 死んでしまうわ!!」
「俺が死ぬわけねえだろう。邪魔をすると、せっかく助かったのに病院送りになるぜ」
「……ッ」

 

 まとわりつく熊耳を振り払い、竜馬が立ち上がる。その脇腹から、おびただしいほどの血液
を滴らせていたが、引き千切った衣服をコルセットのごとく腹に縛り付けて応急の応急処置を
施すと、よろめきつつも走って遠ざかっていった。
 この男にこれだけの怪我を負わせたということは、デザートイーグルで撃たれたというのは
本当だろう。本来は、熊などを仕留めるための弾を発射する銃であり、射撃時の反動も凄まじ
く車内のような狭い場所でおかしな姿勢のまま、易々と撃てるものではないのだが……。

 

 とにもかくにも、竜馬は負傷したのだ。
 熊耳には、彼をこのまま放っておいて無事で済むとは、とても思えなかった。いくらレイバ
ーや熊を素手でなぎ倒すとはいえ、彼だって血液が足りなくなれば死んでしまう! と。
 どうするべきか。
 このまま指揮車に戻ったところで、ああなった竜馬は、まさしく手負いの獣だ。命令など聞
くはずもない。出来ることは、せめて少しでも早く襲撃レイバーを止めることだ。竜馬を止め
るには、戦う理由を無くしてしまうしかない。
 そのためにはどうすればいいか?

 

 混乱する頭で考えた結果、熊耳の導き出した結論は単純に「加勢すればいい」というものだ
った。
 しかしどうやって?
 次の自問をしたとき、熊耳は人格が悪魔に支配されたかのような考えを閃く。普段の彼女な
ら考えつきさえもしない行動だ。それでも躊躇しなかった。

「ここはレイバーショーの会場。周りには、腐るほどレイバーが置いて有るわ」

 

 さらに追い風。ふっと気がつけば、周囲の煙幕が若干薄れてぼんやりとした視界を確保でき
るようになっていた。少し離れた場所には激しく動き回る巨体が見える。
 どうやらこの煙幕、勢いは凄いが、長時間は持続しないタイプのガスらしい。目くらましだ
とすれば、なぜ制限時間が短いものをあえて選んだのか、不明だったが……とにかく、これな
ら自分ひとりでも身動きがとれる。
 その晴れつつある視界に、篠原重工のレイバートレーラーが目に入った。
 例の、エコノミーを登載したものだろう。

 

 ――あれだ。

 熊耳は黙って近づいていく。
 そしてトレーラーの運転席によじ登ると、中で強ばった表情をしてハンドルを握っていた、
篠原重工の運転手と、隣に乗っていたコートを片手にした社員らしき中年が一人が見えた。
 ドンドンと、ノックをする。
 二人が熊耳に気づき、特車二課制服を見るや若干、安心したような表情でサイドウインドウ
を下げていった。
 それが自爆行為だとは知る由もなく。

 

「特車二課の方ですね! いったい、何が起こっているんですか。レイバーが戦闘している音
が響いてきますけれど何も見えないわ、車載電話は使えないわ、機動隊の救助も来ないわで…
…」
「どうやらジャミングが仕掛けられているようです。それよりお願いがあります」
「なんでしょう」
「このトレーラーに積載されているレイバーを貸してください」
「は……はあっ?」
「現在、特車二課第二小隊がイングラム三機を動員して対処にあたっていますが、内、乗員の
一名が大怪我を負っています。第一小隊の到着を待つ時間もありません、すみやかに事件を沈
静化するために、どうかご協力を願えませんか。
 このトレーラーにあるレイバーは、時期パトレイバー候補のイングラム・エコノミーと伺っ
ております。動くのなら、格闘にも使えるでしょう?」

 

「し、しかしですね。そんなこと勝手にやるわけには……」
「第二小隊には、篠原重工社長のご子息が所属しているのは、社員さんならご存じでしょう。
彼を守るためでもあるのですよ」
「それとこれとは話が違……」

 そこまで言って、社員はげっ、という表情になって声を詰まらせた。

「警察の活動に協力するのは、市民の義務だと思います。そういう法律はありませんけれど」

 

 助けてくれるのだと思っていたはずの熊耳の手には、あろうことか拳銃が握られている。
 怒るでもなく笑うでもなく、涼しげな顔で突きつけられるその銃口からは、禍々しいまでの
殺意が溢れていて、社員は縮み上がった。
 なお、銃はS&W M37エアーウェイト・2インチモデル。
 ここのところ竜馬の影響か、彼女も拳銃の携行を実施するようになっていたのだ。
 機動隊において通常、拳銃を所持するのは小隊長以上の幹部のみであるが、特別の事情が有
る際はその限りでないという部分を拡大解釈し、竜馬およびその抑え役である熊耳のみは、常
時特別の状態だとして、拳銃所持が黙認されている。

 

「きょ、脅迫する気か! あんた本当に特車二課の人間なんだろうなっ」
「そうですよ。本官は警視庁警備部、特科車両二課、第二小隊所属巡査部長、熊耳武緒と申し
ます。警察手帳もお見せしましょうか」

 熊耳は胸ポケットから、手帳を取り出して相手に押しつける。その振る舞いも、いつもとは
比べものにならないほど不遜だった。

「……う、た、確かに……」
「それでは」

 ガチリ、とM37の撃鉄が起こされる。

 

「ご協力を、お願いします」

 最後通牒。
 無表情を崩した熊耳の顔が、羅刹女と化している。
 目の光がいっそう輝きを増し、その瞳のなかには、まるで渦巻き銀河のような模様が踊り始
めた……篠原重工の社員にはそんな幻覚が見えていたはずだ。
 本能的に、その目を危険だと判断したのだろう。
 社員はドライバーを小突くと、ジャッキアップの準備っ、と短く叫び、自身は持っていたア
タッシュケースから一枚のディスケットを取り出して熊耳に放った。

「の、乗り込み口が98式とは違います。案内しますから……」
「ご協力ありがとうございます」
「ただし、このことは本社を通じて、警察に抗議させていただきます。責任は、そちらで取っ
てもらいますからね!」
「構いません」

 

 熊耳は社員の指示に従って、エコノミーの背部ハッチを開放してコクピットに滑り込んだ。
乗り込み方だけは、ブロッケンのそれを簡略化したような構造だったが(背中を開く、という
よりは頭の位置がずれて操縦席へ潜る形だった)あとのレイアウトはイングラムとまったく同
じであり、熊耳にはすぐ操作の仕方が解った。

「ディスクの学習データは、昨年一二月までのイングラム3号機の稼働データを基にしたサン
プルが入っています。これは3号機の動作パターンが最も優秀だったからですが」
「なるほど、さすが流くんね」
「は?」
「何でもないわ。私は3号機の指揮担当でしたから、ちょうどいいと思ったんです」
「……ともかく、無茶な扱い方しないでくださいよ」
「……なにを言ってるの? 無茶な扱い方するために造ったんでしょう」
「それは、そうですけどこれは試作機で……ああもう、ハッチ占めますよ!」

 

 社員が吐き捨てるように言うと、ハッチが閉められた。イングラムと違って、いきなり真っ
暗にならないのは、大型のキャノピーが前面に配置されているためだ。作業用レイバーのそれ
に近いといえたが格闘用の機体として考えると、少々不安も残る。
 機体を乗せたトレーラーが台をジャッキアップしていき、ぐわりと視界が高くなる。そのと
きすでに足元の煙幕はさらに薄まり、普通の人間でも十分に動ける程度になっていた。
 だから、熊耳が見た光景は他の者にも見えていただろう。

 

「あれはっ」

 見えたのは、三機がかりのイングラムをも翻弄する、黒いレイバー・グリフォン。
 一言で表現するならば、漆黒の悪魔といえた。頭部はイングラムのブレードアンテナにも似
ているが、しかし非常に鋭角な巨大な角のように見える突起が左右に一対。
 肩のアーマーも、レッグガードも、先端が鋭く尖り、足などはまるでハイヒールを履いてい
るかのようだ。紅く塗られた頭部のカメラバイザー。そして極めつけは、背に生えた、巨大な
畳んだ翼のような物体。
 悪魔という他はなかった。

 

 その悪魔が、見ている間にも既に頭部を失っている2号機へ、瞬間移動するような速度で距
離を詰め、バッ、とハイキックを放ち、その手にあったリボルバー・キャノンを弾き飛ばすと
さらに2号機を大地へと殴り倒した。
 そこへ隙ありと突進した1号機だったが、一瞬で振り返ったグリフォンに腕を取られた上、
そのまま左腕を引きちぎられてしまう。
 さらに3号機が2号機の落としたリボルバー・キャノンを拾い、手持ちのそれと合わせた二
丁拳銃が火を噴いたが、相手は発砲の直前、弾道へ1号機の腕をぶぅんと投げつけて、銃撃を
弾き返してしまった。
 恐るべき速さ、恐るべき性能である。

 

 こんな化物にイングラムの廉価版などが通用するのか?
 熊耳は思わず唾をゴクリと飲み込むが、グリフォンの凶悪な意匠の頭部に内海……リチャー
ド・王の顔を被せると、一歩を踏み出した。
 と同時に、ガガ、とレシーバーが苦しげに咳き込む。音声が回復したようだった。
 野明の叫びが入ってくる。

「このブラックオックスもどきめ! よくもイングラムの腕を!」
「……無駄口叩いてんじゃねえぞ、野明」
「あっ。通信が回復した!? 竜馬さん、なんとかしてよ!」
「やれるならやってる。野明、援護に回れ! リボルバー・キャノンを装備しろ。被害なんざ
気にするなよ、俺が撃てと言ったタイミングで黒いレイバーへ向かって撃て」 

 

 3号機がリボルバー・キャノンの残弾を連発しつつ、グリフォンとの距離を詰めると1号機
の左腕がある地点にうまく移動して、それを拾った。
 当然グリフォンが飛びかかってきたが、瞬時に響いた「撃て!」のかけ声に、轟音をあげた
1号機の弾丸が、グリフォンを飛び退かせる。
「太田起きやがれ! 寝てんじゃねェ!!」
 その隙に、竜馬の叱咤が太田を復活させる。息も絶え絶えながら、2号機が起き上がった。
 竜馬の指揮がはじまった途端、抵抗力が高まっている。見事な采配といえよう。

 さらに後方からエコノミーが接近してきたことで、グリフォンを包囲するレイバーは四機と
なり、その場にごく瞬間的な膠着状態につくりだす。
 これに幸いと竜馬が無線機を引ったくる。

 

「3号機から各員へ! おい、あのエコノミーは誰が動かしてんだ!? 味方か!? 聞こえてる
なら返事しやがれっ」
「こちら熊耳……エコノミーを動かしているのは私です、流巡査。篠原重工のご厚意でエコノ
ミーを貸してもらえました。動作パターンはあなたの物だから、足手まといにはならないはず
よ。指揮権もあなたに一任します」
「く、熊耳巡査部長!? 無茶をせんで下さい!」
「太田巡査。流巡査はさきほど、犯人の一味と思われる相手から銃撃されて重傷を負っていま
す。猶予がありません、目の前のレイバーを取り押さえることだけに集中しなさい!」

 

 その発言に、太田のうなりと、野明の声を詰まらせたような息と、竜馬の舌打ちが同時に聞
こえた。
 3号機の中で、竜馬が怒り心頭となっている。

(熊耳め、余計なことを言いやがって)

 だが、確かに先ほどから止まらない出血のせいで、多少、集中力が途絶えてきているのも事
実だった。さっさと仕留めないと、タイムオーバーになってしまう。
 こうなれば、あのエコノミーも利用せねばなるまい。

 

「まあいい。熊耳、その意気は買った。戦場に出てきた以上は働いてもらうぜ」
「なんでもするわよ。指示を!」
「よし……ならそいつで特攻してくれ。安い機体だ、あの黒いレイバーには付いていけねえだ
ろうが機体を犠牲にすれば、怯ませることぐれえは出来るはずだ」
「ちょっと、竜馬さん何いってんのよ!?」
「いいから黙って聞け! 熊耳が黒いヤツを怯ませたら、俺が十時の方向から突進する。野明
は四時側から残った弾を全部バラ撒いて退路を塞げ! 太田は七時で電磁警棒の準備。俺がこ
いつを抑えたらトドメをさすんだ。レイバーキャリアと指揮車共は、一二時から三時方向に壁
をつくれっ」
「流っ。貴様、巡査部長を見殺しにする気か!」
「いいんです太田巡査。だってイングラムの三機がかりで手に負えない相手なのよ、なりふり
かまっていられないでしょう!」
「い、泉ぃっ。巡査部長が何かおかしいぞっ、どういうことだッ!?」
「あたしに聞かれても困るよっ」

 

「泉、太田両巡査! いいから、いまは流巡査の指示に従いなさい。これは「命令」です!」
「今日はずいぶん物わかりがいいじゃねえか、熊耳。ありがとよ。さて、そういうことだから
全員、やるこたぁ解ったな!? 行くぞ!」
「りょ、了解っ」

 竜馬の号令で第二小隊がパッと散った。
 その中でも鐘のように響いて応じたのは、やはり熊耳だった。彼女はペダルをグイと踏み込
むと、エコノミーに全開ダッシュをかけさせた。機動力はイングラムにも引けを取っていない
らしく、意外に鋭い加速が距離をつめていく。
 が……
 グリフォンに組み付こうとした瞬間、エコノミーは叩きこまれた手刀の衝撃に耐えられず、
頭から崩壊して右肩からコクピットの右端下部までが一気に両断されていく。
 CFRPの素材も、コクピット周りの強化メタルも素材の質が下がっているのか。
 サスペンションも乗り心地重視で堪え性がないらしく、その場にへたり込むようにして膝を
折ってしまった。

 

「熊耳さん!」
「巡査部長!」
「脆いわね、この機体。役立たずッ」

 展開していた野明と太田から悲鳴があがるが、熊耳はコクピットが半壊してもなお恐怖する
ことなく、そのままエコノミーの全出力を脚に加えることで、カエルのようにグリフォンへず
わっと飛びかかって、ゾンビのごとくまとわりつく。
 その瞬間だった。3号機が手に持っていた1号機の左腕をブンと放り投げ、グリフォンの頭
部へ直撃させた。バゴンとセンサーの集合部を破壊されたグリフォンが怯む。その隙をついて
3号機が迫っていく。

 

「野明!」
「うわーっ! もうどうにでもなれーッ」

 1号機のリボルバー・キャノンが再び火を噴き、それの弾頭をかいくぐって3号機がグリフ
ォンめがけて巨体を転がすように迫っていく。敵は逃げようとしたが、リボルバー・キャノン
の弾丸と3号機が前後から迫ってくるうえに、左右は2号機とレイバーキャリア・指揮車によ
る壁があって、そのうえエコノミーがしがみついている。
 逃げようがなかった。

 

(獲った!)

 竜馬は勝利を確信するが、迫る3号機に相対したグリフォンは、なにかを決意したように急
に動きを止めると、背中に銃弾を一発受けながらも怯まず、ジャキン、と翼と背中の付け根の
部分から、なにか斧状の物体を射出して取り出した。
 迫る竜馬は、その物体の形状に見覚えがあることに戦慄する。

 まずい、と思った時には遅く、電光石火の早業で投げつけられた斧は超高速回転を伴い、ブ
ゥーンと不気味な重低音で3号機へ襲いかかった。恐るべき刃が頭部は一瞬で跳ね飛ばして去
るが、まだ終わらない。斧は空で弧を描いて戻ってきたのだ。返す刀で3号機の胴体を腰から
上下真っ二つに切り裂いて、グリフォンの手元へと収まった。

「バカなっ。ヤツは、ヤツはまさかっ……」

 

 一瞬で3号機を大破させたグリフォンは、勝ち誇ったように斧を振り下ろし、絡みついていた
エコノミーを引きはがすと、邪魔してくれたお礼だと言わんばかりに滅多打ちに斬り刻んでしまう。
 あっという間にスクラップの塊と化していくエコノミー。
 さらにそれを蹴り転がして、自らの暴虐ぶりをアピールするグリフォンは、次に悠然と仁王
立ちをして超伝導モーター音とは違う、なにかの動力炉が出力をあげるような音を轟かせていく。
 すると、グリフォンの背中に備え付けられた二基の折りたたまれた翼……フライトユニット
をばさっと左右に展開すると、さらに主翼のフラップ部が変形し黒いマントとなって出現する
のを、竜馬は見た。
 達磨と化した3号機のハッチを蹴り破って外へ這い出た竜馬が、グリフォンを睨み付ける。
そんな彼を、黒い機体は嘲笑うかのようにして、天へと跳び上がると、瞬く間に消えていった
のだった。

 

 驚異的なパワー、物理法則を無視して動く得物。そして天翔る翼。
 それらの脅威を備えた戦闘マシンは、もはやレイバーの範疇ではなかった。いや、現用兵器
の範疇ですらない。

「……そうだ間違いねえ。あれはレイバーなんかじゃない、あれは、ゲッターだ! 隼人が造
ったのか? だとすればあの野郎、なんのつもりでっ」

 どむ、と竜馬が憎々しげに地を殴った。
 ……後には、何事もなかったかのような静寂が舞い戻る。
 だが地上にはレイバーの死体がいくつも転がり、そこから飛び散った内臓が、あちこちに飛
散して、戦闘の凄まじさを物語っているようだった。

 

 その場に居た一同が唖然として動けない中、ぽつりと雨が降り出す。まるで敗北した竜馬た
ちに追い打ちをかけるかのように、雨粒はすぐにざんざかとした本降りの雨となって、彼らを
無慈悲に叩きつけていく。
 その雨に、我を取り戻した竜馬が、歯ぎしりをしながらエコノミーへ近づいて、ぐちゃぐち
ゃになった機体から、熊耳を引っ張り出す。気絶しているようだった。
 だがボロボロになるまで破壊されたにも関わらず、コクピットだけは無事であり、彼女は奇
跡的に五体満足だった。出血もせいぜい唇を切ったぐらいだ。
 竜馬はそんな熊耳を見ると、特攻を命じた分際で、安堵したような表情を浮かべていた。
 が、すぐにまた鬼のような表情に戻った。

 

(よく考えると、ヤツは誰の人命も奪ってはいねえ……やろうと思えば簡単にできたのに。遊
ばれた、ということか? 俺たちは単なる練習相手だとでもいうのか)

 竜馬は血でぬるむ我が手に苦戦しながらも、熊耳を抱え起こすと気絶から回復した彼女が口
をひらく。

「あ……流くん」
「生きててよかったな、巡査部長。敵を取り逃しちまったがよ」
「終わったのね。なら、早く病院に行きなさい。お願いだから」
「解ってる。さすがに堪えたんでな。そうさせてもらうぜ」
「良かった……」
「良かあねえよ。3号機は大破、1号機と2号機は中破、借り物なんか元を留めてねえじゃね
えか。くそったれが。はらわた煮えくり返りそうだぜ」
「それなんだけど」

 

 憮然という竜馬を見上げて、熊耳がおずおずとする。
 なんだ? と竜馬が先を促すと、彼女は
「実はあのエコノミー、強奪してきちゃったの……」
 と、観念したかのように、自身の悪事について洗いざらい白状をしはじめたのだった。
 さすがの竜馬も、熊耳の変貌ぶりに我が耳を疑う。

「今日は妙に行動的だとは思っていたが、香貫花でも乗り移ったか」
「失礼ね。むしろ、あなたの影響だと思うわ」
「……俺が悪いのか?」
「冗談よ。まあ、そういうわけで、たぶん私は免職でしょう。下手すると強盗罪で禁錮刑ね。
流くん、そうなったら面会に来てくれる?」

 

「まだ決まった訳じゃねえだろうが。いいから立て、雨の中で寝てたら風邪こじらすぞ」
「そ、そうね……。皆まだ呆然としてるわ、はやく立て直らせないと」
「3号機は、担いでいけばいいか?」
「いいからあなたは病院に……あっ!」

 

 減らず口を叩く竜馬だったが、さすがに忍耐の限界を超えていたらしい。熊耳が起き上がっ
たのを見届けると、それを引き替えにしたかのように、そのまま雨に濡れたアスファルトへと
倒れ伏してしまった。
 熊耳が表情を引きつらせたが、竜馬の凄まじい生命力は単に一時的な眠りを欲したのみであ
り、彼は雨の中で豪快にいびきをかき始める。
 そういえば警備の一週間ほど、この男が眠ったところを見た者がいない。倒れたのは銃弾に
よる負傷のせいではなく、睡眠不足だった、ということか。
 よくよく見ると出血は辛うじて収まっているようだった。たしか彼はデザートイーグルで撃
たれたはずなのだが……。
 やはり化物だ。
 熊耳は、そんな竜馬の頭をそっと持ち上げて膝枕をつくると、慌てふためいた担架が運ばれ
てくるのを激しい雨に打たれながら、ぼんやりと眺めるのだった。

 

表題へ 真ゲッターの竜馬がパトレイバーに乗るようです
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