亀森八幡神社

Last-modified: 2013-04-28 (日) 07:05:14
 

亀森八幡神社
かめもりはちまんじんじゃ
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(参拝日:平成24年12月23日)
住所:広島県尾道市向島町兼吉723mapionlogo.gif
主祭神:品多別尊、息長帯此売命、宗像三女神
主な祭礼:10月第4土曜(例祭)

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
当社々伝によれば宝亀元庚戌年(七七〇)山陽道巡察使・藤原百川、豊前国宇佐宮の御分霊を勧請し、
彼の誠忠無比の和気清磨の雪冤を祈り、又武運長久の守護神として崇めた。

八幡宮は源氏の氏神にして頼朝天下の兵権を掌握し篤く八幡神を崇敬せられ、
文治元年乙巳(一一八五)歌島地頭・源家清は三貫文を寄進し、
元暦中(一一八四~一一八五)木曽冠者義仲の子・義重は太夫坊覚明と共に川尻に落ちのび、
文治丁未三年五月廿日(一一八七年)社殿を現在地に建立する。

降って應仁の乱以後諸国混乱諸社荒廃の時代と雖も当社は依然として其面目を保持す、
即ち嘉吉参辛酉(一四四三)年正月拾四日附、歌島手次目録に依り明かであり、
其古文書に御供米・祭礼費・神主給・社僧給等の記録がある。

弘治元(一五五五)年には毛利元就・小早川隆景の両将先蹤を追い社領として高三百十六石二桝を寄進し、
その配下に水軍守護職を以て海内に武威を輝かせる彼の小歌島城主・村上又三郎吉満は
永禄元戌午年(一五五八)八月十五日社殿を再建し守護神と崇め奉る。

慶長五年(一六〇〇)福島正則、芸備両国に転封されるや両国の社寺その所領を奪われたが、
浅野氏福島氏の改易の後を受けて入国するや社地の妨害を厳禁し、
祈祷料を寄進し御調郡九拾余村より御初穂料を進献せしめたる銀数百匁に達し、
神威普ねく地方に及び特に参勤交代の時は武運長久・往来安全の祈願又は御不例の時は平癒の祈願所となる。

又幕末の頃、七卿の長州に逸走するや、当社に参詣し、三條実美は和歌を奉納して維新の鴻業成就を祈らる。

昭和二年六月四日、県社に列せられる。

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↑拝殿↑
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↑神楽殿↑
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↑稲荷神社↑
(以下、余談)
瀬戸内海に浮かぶ向島に神社はあります。
といっても、本州とは300m程度の尾道海峡を隔てて面していますので、
尾道市街地へ通勤・通学している人が多いそうです。実際に、住宅の多い島でした。

境内には大日本除虫菊の初代社長・上山英一郎を祀った「除虫菊神社」があり、5月8日は除虫菊祭が行われます。
瀬戸内海の島嶼部は除虫菊の産地でした。のみとり粉や蚊取り線香などに使用されました。
しかし、外国産や化学薬品に押されていますが、栽培は観光用に限られています。