上杉家

Last-modified: 2010-01-03 (日) 19:52:01

上杉家(うえすぎけ)

藤原北家?勧修寺流?公家藤原重房?が丹波国何鹿郡上杉庄の地を賜った事から、上杉を名乗るようになった。

元々は、天皇家に使える公家であったが、鎌倉後期、鎌倉幕府の征夷大将軍に迎えられた宗尊親王に従って鎌倉へ下向し、後に武家となり、有力御家人である足利氏と姻戚関係を結んだ。

室町時代初期(南北朝時代)、重房の孫・憲房は妹の清子が足利尊氏・直義兄弟の母であった事から、尊氏を助けて功績を立て、上野の守護に任ぜられ、関東で南朝方の新田氏と戦った。

その後、観応の擾乱では高氏と対立する等波乱があったが、憲房の子・憲顕の時代には上野・越後・伊豆の守護を兼ねた。また、憲顕が1363年に鎌倉公方足利基氏の執事(管領)に任ぜられ、初代の関東管領になって以来、関東に居住した一族の中から、犬懸(いぬかけ)上杉家、山内(やまのうち)上杉家、宅間(たくま)上杉家、扇谷(おうぎがやつ)上杉家の4家が出た(居住地名が由来)。
このうち、宅間上杉家は早くに衰え、犬懸上杉家は上杉禅秀の乱により主流派より脱落したため、15世紀半ばから憲顕の子孫である山内上杉家と、憲顕の従兄弟の子孫である扇谷上杉家の2家が有力となるが、関東管領職は専ら山内上杉家が独占した。
その一方で上杉家と足利公方家の対立が鮮明となり、1454年には享徳の乱(鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲実を殺害したことに発する内乱)が発生する等、事実上戦国時代に突入する事になった。

主な一族

山内上杉家
初代・重房から数えて四代目の上杉憲顕?が始祖。

扇谷上杉家

宅間上杉家

犬懸上杉家

越後守護上杉家

千秋上杉家

米沢上杉家

加々爪上杉家

庶家

祐筆

一番手・・・鱒